14:Door Way

「まず基本の基本、魔術についてだが、俺らの世界の学校で教えられるときの言葉を借りんなら、魔術ってのは魔力に方向性を与える技術だ」


「方向性?」


「んっと、こいつはまあ、やって見せた方が早いんだが……」


 そういうとロイドは、頭を掻いてしばし迷うようなそぶりを見せた後、右手を差し出してその上に文字のようなものを出現させる。

 薄く銀色に輝く、半透明の魔力の文字。先ほどロイドが魔術を使っていたときにも表れていた魔法陣が、もっと小さく簡単な形でロイドのへの上に現れる。

 その現象に勝一郎が驚いていると、ロイドはロイドでその様子に『ああ、そうか』とでも言いたげな表情を見せた。


「そういえばお前らの世界にはマーキングスキルもないんだったな。俺たちの世界の人間は、このマーキングスキルって奴で当り前に空中に文字を書けんだよ」


 そう言いながらロイドは手の上に次々と文字を出現させ、それを線で結び円で囲んでいく。


「俺らの世界ではこうして描くことで魔力に属性や形、動きと言った一定の方向性を与える文字が、それこそ数え切れないほど発見されていてな。たとえばこうして魔力を水に変換する術式を組んで、そいつに魔力を流し込んでやれば」


 そういうとロイドの手の上で、先ほどより確かで強い気の感覚が現れ、直後に返した掌から水道をひねったかのように流水が流れ落ちる。『気』と同じ感覚を放つ水が、何もない部屋の床を濡らしていく。


「んでだ、こうして魔力を水に変換するだけじゃ使いにくいから、俺たちの世界ではコイツにさらに術式を書き加える。無駄に魔力を水として垂れ流さず、一つにまとめて使うために球体状の『形』を与えたりな」


 そういうとロイドはいったん水を止めて、すでに作っていた魔法陣の外側に新たに術式を書き加える。すると今度は掌の上に水が、バスケットボール大の球体となって現れた。


「んで、さらにここに回転という『動き』の文字を書き込んでいくことで一つの魔術、【回転洗浄泡沫≪サイクロンウォッシュバブル≫】が完成するってわけだ。大体魔術の理屈はわかったかよ?」


「んー……、まあ、大体はな。要するに魔術ってのは、さっき万能とかって言ってた魔力ってもんに、どんな物質に変身してどんな形になって、どんな動きをするかを命令するための命令文、って感じの理解でいいのか?」


「まあ間違ってはいねぇだろ。ちなみにお前が言うところの命令文を、俺たちの世界じゃ魔力に方向性を与える陣ってことで、魔方陣なんて呼んでるよ」


「ああ、魔法陣じゃないんだ……。ってあれ?」


 会話しながら、ふと先ほど水で濡れたはずの床を眺めて、勝一郎は一つの異変に気付く。

 水を零し、本来ならば濡れているはずの部屋の床、しかし勝一郎が見た限りでは床は全くと言っていいほど濡れていなかった。


「ん……、ああ、魔術で変化させた属性質ってのは、使う文字や術式によってある程度差はあるけど、術式影響下から離れて一定の時間がたつと元の【全属性】の魔力に戻っちまうんだよ」


 言われてみれば、勝一郎がロイドと衝突し、その際にいくつかの水の魔術を受けた後も、水から離れた勝一郎の体や服は瞬く間に乾いてしまっていた。ランレイがマヒからあっさり回復したのも、もしかすると体内でマヒの原因となっていた何かが元の【全属性】魔力とやらに戻ってしまったせいなのかもしれない。


「なんつうか、さっきの水で洗濯とかしたら乾かすのが楽そうだな。実際俺の服とか一瞬で乾いたし」


「つうか、今見せた【回転洗浄泡沫≪サイクロンウォッシュバブル≫】って魔術が、そのまんま洗濯や洗い物に使う魔術なんだよ。洗うもんによって若干術式の設定を変えたりはするがな。

……それはそうと、ちょうどいいから若干話をそらしてもいいか」


「なんだよ、いきなり?」


「いや、ちょうど話題が魔力の属性回帰現象の方に来たからついでにさ。一応大丈夫だろうとは思うんだけど、一応聞いておきたいんだよ」


 不安の滲む、妙に真剣な問いかけに、勝一郎は思わずうなずいて先を促す。

 同時に先ほど、ロイドが同じような表情でこちらにしてきた問いかけがあったことを思い出した。

 確かその時の質問は――、


「ここの空気はよぉ、本当に吸ってても大丈夫なもんなのかよ?」


 ――今このとき投げかけられたその質問と、ほとんど同じものだった。


「その質問、さっきもしてたよな? 臭いの問題じゃないとすれば、いったい何の問題として聞いてるんだ?」


「いや、まあ確かに臭いの問題もあるんだけどさ」


「マジで!? さっき違うって言ってたじゃん!! なんで今手のひらを返したの!?」


「いや、冷静に話せるようになったら、やっぱそれなりに臭いなって……。さっきの“水浴び”、お前もう少ししっかりしとくべきだったんじゃね?」


「お前、言うに事欠いてあれを水浴びとのたまうか……」


 こっちは人生の中でも一・二を争うくらい真剣だったんだぞと思いながら、しかし一方で互いに歩み寄る必要が出てきた今、先ほどの事態はできうる限り、文字通り水に流した態度で臨んだ方がいいのかもしれないとも思えてくる。

 だからこそ、


「|そんなことより≪・・・・・・・≫、さっきの呼吸してもいいのかって話、臭いじゃないのならいったい何だったんだ?」


「ああ、そうだった。いやな、今の話でも出てきたように、基本的に魔力から生み出したものってのは時間経過とともに元の【全属性】魔力に戻る、平たく言っちまえば消えちまうはずのもんなんだよ。ところがここに、その法則に真っ向から反してる馬鹿でかい例外がある」


「例外? それって一体……、あ……」


 疑問と共に周囲を見渡して、真っ白い部屋の壁以外何もないことを確認してから、次の瞬間には勝一郎はその壁、もっと言えばこの部屋こそがその例外であることに気が付いた。

 考えてみれば勝一郎が作る扉もその向こうにある部屋も、この世界で言うところの【気】、ロイドの言うところの【魔力】で生み出しているものなのだ。


「気付いたか? お前が扉作ってる時のこと思い出してみても、この部屋は明らかにお前の魔力からできていた。だって言うのにこの部屋は、時間がたっても一向に属性回帰を起こして消える気配がねぇ。それともお前、この部屋維持するのに何かしてたり、あるいは時間がたつとこの部屋消えたりするのか?」


「……いや、少なくとも俺はこの部屋に何もしてないし、部屋がいきなり消えるみたいな自体にも今んとこ出くわしてない」


 言いながら、勝一郎はもう一つ進んでロイドのしている懸念に気が付いた。

 勝一郎の作る部屋には、“最初から空気がある”。

 その事実は一度、勝一郎を水中から救ってくれたこともある重要な事実であるのだが、しかし同時に、この部屋の“空気さえも”、部屋や扉と同様魔力によって作られている可能性があるのだ。

 そしてロイドの知る限り、魔力から作られたものは必ず【全属性】に戻ってこの世界から消滅する。


「気が付いたかよ?

俺の世界では一つの鉄則として、魔力から生成した空気、もっと言えば酸素は、絶対に吸い込んじゃいけないってのが言われてる。もし吸い込んでしまうと肺の中で、あるいはそこから吸収された体内で、いきなり酸素になっていた魔力が元の【全属性】に戻って、“体の中に取り込んだはずの酸素がいきなり体内で大量消滅しちまう事態”になるからだ。そして、そんなことになればどうなるか」


 体内にある酸素が突然消滅すると言う事態はが何をもたらすのかは、正確なところは勝一郎にはわからない。だが一般的な酸素欠乏症の症状としてすぐに勝一郎が思い出せるものだけで予想しても、頭痛や吐き気、めまいなどの様々な不調、そして場合によっては意識を失い、最悪の場合死に至る事態にもなったはずだ。


「……それでここの空気吸っててもだいじょぶかって話になって来るのか。やべぇ……、今になっておっかねぇ……」


「まあ、とはいってもお前の話じゃ、こっちの世界に来てから六日だか七日だかの間、そのほとんどをこの部屋で過ごしてたんだよな? 少なくともそんな日数俺の世界の魔術じゃ考えられない、っていうか、普通魔術の持続時間なんてのは『日数』で数えるようなもんじゃねぇんだ。

 もうここまでくればお前の作る部屋や扉は、中の空気まで含めて属性回帰とは無縁って考えた方がいいんだろう。……まあ、それはそれで信じがたい話じゃあるが」


「お前にとっては信じがたい話でも、俺にとってはそう信じたい話だよ。っていうか俺の体、たぶん中の酸素のほとんどが“この部屋産”だ。たぶん酸素が一気に消えたりしたらその場で即死する。いや、段階的に消えるから即死にはならんのか?」


「即死とはいかないと思うが、その場合は多分六日以上無呼吸で過ごしたような体調になるんじゃねぇか?」


「ほぼ即死だよそれ。……怖ぇ、超怖ぇ……。おっかなすぎだぞ“この部屋産空気”……。っていうか“この部屋産”って時点で、不健康なにおいがぷんぷんしてくるしよぉ。空気だけに……。って、あれ……?」


 下らない事を言って不安をごまかそうとしながら頭を抱え、しかしその直後にふと気付いて頭を抱えた右手に視線を向ける。厳密には右手の掌、すでに見慣れた、『て』の字以外特に何もないその場所を。


(………………あれ? |あの時の扉≪・・・・・≫、どこ行った?)


 自分の掌を凝視して、回らない頭を必死に回して、そうしてようやく勝一郎は自分が覚えた違和感の正体に気が付いた。

 なくなっているのだ。ロイドが作り出したあの水球の中で、勝一郎自身が呼吸するために手のひらに作ったはずのあの息継ぎ部屋の『扉』が。


(……あれ、どういうことだ? この扉って消えるの……? いや、それとも消せたのか?)


 自分の体にいつまでたっても消えない扉ができているというのは、それはそれで結構嫌な状況だ。そう考えれば扉が消えているという、それ自体は大いに歓迎するべき事態ではある。だがしかし作った部屋がいつの間にか消えているという現象にどうにも納得できない気分が残るのは否めない。

 とりあえず部屋が消えても自分の体の中の酸素が消えなかったことに安堵しながら、その一方で扉は消えるものだったのかを考えて、勝一郎はすぐさま袋障子にぶつかった。


 よく考えてみればこの力を発現させてから、一度として扉を消そうと試みたことがない。


 どんな条件で消えるのか、それは勝一郎自身によってできることなのか、考えてみれば無造作に扉を作りまくったことはあっても、勝一郎は一度として扉を消す必要性に迫られたことがなかったのだ。


「おいどうしたんだよ。……まさか、なんかヤバい可能性でも思いついたんじゃねぇだろうな?」


「ああいや、そういうのとは少し違うんだけど……」


「そうか? だったら話を戻して、そろそろこの世界に来る原因について話したいんだが」


「あ、ああ。……そうだな。先にそっちについて聞いておこう」


 若干の未練はあったものの、勝一郎は自身の力の検証を後に回すことにする。最悪自身の力の検証は、後で一人でもできるのだ。今はこの男と話せる機会を最大限に活用すべきだろう。

 もっとも、もしもこのとき、勝一郎が簡単にでも自身の力についての検証を行い、もう一つ先の事実にも気づくことができていたのなら、この後の展開はもっと違ったものになっていたかもしれない。

 とは言え、勝一郎がこの決断を後悔するのはもっと後の話になる。おかしな力を手に入れても結局のところ人間でしかない勝一郎には、先のことなど予想できるはずもない。


「んじゃ話を戻すぞ。さっき魔術については簡単に説明したと思うが、実は俺たちがマーキングスキルを使って使う魔術のほかに、もう一つ別の魔術体系ってもんがある。それがここで問題になる【儀式魔術】だ」


「【儀式魔術】……。なんだか仰々しい名前だな。あれか? 今度こそ呪文とか唱えたりするのか?」


「……いや、お前の世界の魔術に対するイメージってどんなだよ。ねぇよそんな怪しげな儀式。

 【儀式魔術】ってのは、本来人間が自分で展開する魔方陣を、触媒っていう溶液を使って地面や壁に描いて別に用意する魔術体系のことだ。たいがいは人間のマーキングスキルじゃ展開できないような複雑で大きな魔方陣が必要な場合とか、あとは人間が魔方陣に注ぎ込める量じゃ到底足りないような、巨大な魔力消費が想定される魔術に使われるもんだな。

 んで、その儀式魔術ってもんの中に、今回問題になる転移魔術がある」


「転移魔術……。なかなかそれっぽい名前だな」


 言葉からその意味を推測し、勝一郎はやっぱりかと言う納得を自分の中に覚える。具体的な部分まで予想していたわけではないが、しかしロイドのもたらした情報は勝一郎にとっても予想の範疇にある解答だった。

 そしてそれゆえに、この場で今一番重要になるのはその転移魔術というものの細かい性質だ。


「転移魔術は、俺の世界において遠く離れた土地に一瞬で移動することができる、俺の世界では普通に使われている空間系魔術だ。今回の奴も、どうにも俺の知る転移魔術とは違う部分こそあるが、それでも起きた現象を考えれば転移魔術と考えていいんだろう。

 とは言っても、別の世界に送っちまうなんてデタラメな転移魔術、いくら何でも聞いたことがないが……」


 半ばあきれたような、もう半ばは苛立ったような口調で、ロイドは自身の推測を口にする。彼にしてみれば今回のこの事件は、地球の価値観で考えるところのSF的な事件にでも巻き込まれたような気分なのかもしれない。


「なるほどな。ってことは、俺が自分の世界で見たあの魔法陣も、お前の世界の転移魔方陣だったってことか」


 いったい誰が、何の目的であんな場所に転移魔方陣など設置したのかはわからないが、しかしどんな方法であれ帰るための方法に目星がつけられたというのはかなりの朗報だ。多少言い訳がましくはなるものの、今までの勝一郎はが部屋の中でぐずぐずしていたのには、帰る方法に何の手がかりもなかったからと言う理由も多少なりともあったのだ。

 もっともそれならそれで、勝一郎はもっと積極的に情報収集に励むべきだったのかもしれないが。


「俺もこの世界に来てから軽く調べてみたが、どうやらあの魔方陣、発動に必要な魔力を充填して、魔力が溜まったらそのまま待機、上に使用者が乗るなどの条件を満たしたら発動する仕組みになっていたらしい。後は――」


「――ってちょっと待て。お前今こっちに来てから調べたって言ったか? お前は自分の世界でその転移魔方陣に引っかかってこっちに来たんだよな?」


「……ん? もしかしてお前、こっちの世界に放り出された後|足元を見なかったのか≪・・・・・・・・・・≫?」


「足元……?」


 言われて記憶の糸を手繰り、勝一郎はこちらの世界で目覚めた直後のことをどうにか思い出す。だがどれほど思い返しても、勝一郎の記憶に足元のことで引っかかるものは現れなかった。

 と言うのも、


「そもそも俺が目覚めた時はもう夜になってて、あたり一面真っ暗で足元なんて見えなかったからなぁ……」


「なんだよ、目覚めたってお前こっちに来た時に気絶してやがったのかよ。

……しかもその様子じゃ、やっぱお前がこっち来た場所に関しても絶望的かな……」


「なんだよ。こっちに来た時の地面にいったい何があるってんだ?」


「いやな、俺がこっちに来た時、その出口になってた地面には、こっちに来るときに乗っちまった魔方陣がくっきりそのまんまの形で焼き付いてたんだよ。それこそもう一度その魔方陣を使用できれば、もう一回異世界転移ができるくらいくっきりとな」


「……なんだって?」


 言われたその言葉に納得できず、勝一郎の思考はしばしフリーズして真っ白になる。どうにか気を落ち着けて納得できない理由を探り始めるが、しかし混乱した思考はすぐには答えを導けない。


「……ちょっと待て。ちょっと待って……!! 疑問が大きすぎて全体が見えない。今頭ん中から引っ張り出すからちょっとでいいから待って!! 何それ、焼き付いてる? それって一体どういうことだよ?」


「どうもこうもねぇよ。あの魔術、どうも発動して人間を異世界に放り出すとき、出口になる場所に焼き付いてまったく同じ魔方陣をその場所に刻んでるみたいなんだよ。恐らく俺らが引っ掛かったのもそうやってできた魔方陣だったんだろうな」


「そうやってできたって……、だったら、だったらなんで、お前はここにいるんだよ?」


 ようやく頭の中から引きずり出した疑問を、どうにか勝一郎は自分の口から吐き出す。

 どうしてここにいるのか? 思えばそれこそが、今なされているロイドの話の根本的な矛盾なのだ。


「もしお前の話が本当なら、俺たちがこっちに来るときに地面に焼き付いたっていうその魔方陣を使えば、俺たちは元の世界に帰れるんじゃないか? いや、それともその魔方陣、目的地がこの世界だけっていう一方通行のもんなのか?」


「それは多分違うと思う。正直転移魔術については専門知識がなくって術式を見てもさっぱりだったんだが、それでもこの村やあの森の名前とかを考えれば行き先がどういった形で設定されているかは多少わかる」


「森の、名前……?」


 言われて、そういえば村の名前も森の名前も、自分が全く聞き及んでいないことに勝一郎はようやく気付く。やはりというべきか、誰にも存在を悟られずに部屋にこもっていた勝一郎と違い、ある程度村人たちと接点のあったロイドはそう言った情報面で一歩先を行っている。


「どうやら知らないみたいだから教えてやるけどな、この村のことを裏の連中は『レキハ村』、森のことは『レキハの森』って呼んでるんだよ」


「……レキ、ハ……・?」


「さっきお前、自分の住んでた町のこと『レキハ市』とかって呼んでたよな? 奇遇だよな。俺の住んでた場所も、レキハって名前の都市なんだ」


「同じ、名前……」


「偶然だと思うかよ?」


 もちろん偶然とは思えなかった。レキハと言う地名、正確に勝一郎の出身地を表記するなら『歴葉市』となる訳だが、その名前が今問題になっている三世界の三つの地域に共通しているというのは、到底偶然では片付けられない法則染みたものを感じる。

 それに共通した法則と言うなら、地名以上にもっと大きなものが有るのだ。


「考えてみれば言葉が通じるっていうのも相当な共通項だよな。それって要するに使ってる言葉が同じっていうことだし」


「恐らくそれも『条件』の一つなんだろうよ。予測できるあの転移魔方陣の性質をまとめると、『上に人間が乗ることを条件に発動する』、『行き先はフラリア語を使用されているレキハ』。付け加えるなら『行き先には異世界も含む』ってのも入るんだろうな。正直受け入れがたい条件だけどよぉ。

後は、『出口となった場所に発動したのと同じ魔方陣が焼き付く』、『焼き付いた魔方陣は再び魔力をためて待機、上に人が乗ることで再び発動する』ってとこかねぇ」


「地名はともかく、使う言語が三世界で一致しちまうっていうのも相当驚くべき事態じゃあるが……。今はそれは置いておくか。もっと聞かなきゃいけないことがほかにある。

 なあお前さ、そこまでわかってて、帰る手段までしっかりあったってのに、どうしてその魔方陣を使って帰らなかったんだ?」


 多少の情報が補足されはしたものの、結局のところ勝一郎の疑問はそこへと戻って来る。

 確かに異世界に放り出されるという事態は相当に驚くべきものではあるが、しかし今の話が本当ならば、来た時に焼き付いた魔方陣を再び使用すれば元の世界に戻れるはずなのだ。

 もちろん、世界が三つある時点で行き先が彼の世界ではなく、勝一郎の世界になってしまう可能性と言うのも十分にある訳だが、しかしそれでもつい先ほどまで第三の世界の存在を知らなかったロイドがその理由で躊躇するとは思えない。

 単純に思いつかなかっただけかとも思ったが、しかしこの男、見た目こそチンピラのような風体のくせに、中身は理系の学生のような思考回路をしていて意外に筋の通った思考をしている。下手をすれば勝一郎よりも現状を認識していたかもしれないこの男が、そんな簡単な方法を考えなかったとは思えない。


 そして事実として、勝一郎のその予想は当たっている。ただし当たっているからこそ、今ロイドはこうしているし、先ほどまであれだけ追いつめられていたのだ。


「おめぇの疑問に対する答えは簡単だよ。帰らなかったんじゃねぇ。帰れなかったんだ。

 いや、こういうと少し語弊があるな。実際にはあの魔方陣を使って帰れるかを試す前に、あの魔方陣に魔力がたまるのを待ってる間に、あの場を追い出されたってのが正しい」


「追い出された? いったい誰に?」


「……誰にじゃねぇ。怪物に、だ。いや、この世界の人間に言わせるなら魔獣だったか? おめぇも襲われたんならわかんだろ。あの化け物の恐ろしさくらいよぉ」


「……っ、あの咬顎竜か……!!」


 その存在を思い出し、勝一郎は陥っている事態をようやく把握して頭を抱える。何しろあの一匹が話に関わってきたというだけで、いろいろと頭の痛い事情が見えてきてしまうのだ。


「……ようやくわかったよ。お前があれだけ追いつめられて、なぜだかこの村の戦士たちをやたらと焚き付けていた理由が」


「……やけに大きな、地響きみたいなもんが聞こえて、そんで気になって見に行ってみたらあのでかい化けもんがいやがったんだ……。

喰われかけて、慌てて魔術ぶち込んで逃げたけど、おかげで魔方陣のあった場所を見失う羽目になっちまった。

 しかもあいつ、臭いかなんかでこっちを追ってきてるのか、暗い中で、ほとんど一晩中こっちを追い回して、探し回りやがる……!! クソ……、つうか、あのでかさは反則だろ!! 俺の【高圧洗浄水流≪ハイドロウォッシャー≫】は人間だったら軽くぶっ飛ばせるってくらいに改造してあったってのに、あいつ……!!」


 しゃがみこんだまま手を組んで額に当て、その時の恐怖を思い出してか声を震わせるロイドの姿に、勝一郎自身も自身が経験したあの巨大生物の恐怖を思い出す。あんなものに暗闇の中を一晩中追い回されたとなれば、感じる恐怖は勝一郎の物以上だっただろう。

 思えば、彼が演説で語っていた『輝く地』なる謎の単語も、要するにその時森の中に残してきた転移魔方陣のことだったのだろう。要するにこの男、帰るために必要な恐竜の排除と魔方陣の再発見を、すべてこの村の住人にやらせようとしていたのだ。


「まあ、やってたことはアレだけど、俺も人のことは言えんし、あれに二度と会いたくないって気分はわかるわな」


「……あれがいるうちは、迂闊に森にも入れねぇ。まともに戦いを挑んで勝てるような気もしねぇ。ただでさえ時間がねぇんだ、あれを倒せる奴らが俺を神様扱いしてんだったら、それをうまく利用すりゃあ良いってよ思ったんだよ……!! クソッ、そりゃ悪かったかもしれないけど――」


「――ん? 時間が無い……?」


 ロイドの発言に気になる言葉を聞き取り、俯くロイドに慌てて勝一郎はそう問い返す。対するロイドは、再びその表情を暗く染め直しながら『ああ、そういやその話をしてなかったな』と自身の知識を表に出した。


「さっき儀式魔術について、触媒で地面に描くみたいな話をしたけど、じゃあ、一度書いた術式を無力化するにはどうしたらいいと思うよ?」


「え? いや、そりゃあ、書いたもんをっていうなら、消すとか?」


 先ほどから魔術を使った後、ロイドが手元に展開された術式を消していたのを思い出し、勝一郎は何となくそう発言する。

 対してロイドは、


「ああ。まあ、触媒の性質上消すっていうより剥がすって方が近いかな。よく界面活性系の【薬属性】術式で浮かせてヘラなんかで剥がすって方法が使われてる」


「……なんかそう聞くとペンキみたいだな」


 自身で『消す』と回答しておきながら、もっと“それらしい”消し方をイメージしていた勝一郎は、そのやり方の当り前さに内心でわずかに落胆する。

 だが勝一郎には、こんなことで落胆しているような余裕は本来なかった。


「まあそんな感じで、本来一度できた儀式魔法陣ってのは消すのにそれなりに手間がかかるんだが、それはあくまで下地がしっかりした床や壁だった場合の話だ。これが|ただの土の地面だった場合≪・・・・・・・・・・・・≫、話はかなり簡単になっちまう」


「……あ、そうか。土なんてただ掘り返せばいいから……!!」


「いや、それどころじゃねぇ。土の質なんかにもよるが、下手をしなければ何かがその上を歩いただけで術式は台無しになりかねないし、雨でも降れば土が流されておじゃんだ」


「やっべぇじゃねぇか!!」


 ようやく事態の深刻さを理解して、勝一郎は慌てて何もない部屋の中で立ち上がる。

 だが悲しいかな、今の勝一郎はこの部屋の中に閉じ込められている身だ。いや、下手をすると出ようと思えば出られてしまう恐れもあるのだが、だからと言って迂闊な行動でこの村の者達と衝突する事態になったら本末転倒である。


「まずいまずい……!! いや、まずいのか? どうなんだ? 実際のところタイムリミットってどれくらいなんだよ?」


「正直環境に左右されっからはっきりしたことは言えないが、流石に一週間たってるお前の方の魔方陣はもうだめだと思う。村の奴らに聞いた話じゃ俺がこの世界に来る少し前に雨が降ったって話だし」


「雨なんて降ってたのか……」


 部屋にこもっていてそれにすら気づいていなかった自身を悔やみながら、勝一郎はもう一方、ロイドがこの世界に来る際に焼き付いた魔方陣に希望をつなぐ。ロイドの話を聞く限りでは、ロイド自身はまだ希望有りと見ているようだが、それだとて運が悪ければいつ何かの要因で消えてしまうかもわからないのだ。状況は決して楽観できない状態になっている。


「まあ、たとえ今ある魔方陣が消えても、他に俺たちみたいに転移してくるやつがいるかもしれないから、それで完全に希望が絶たれるってわけじゃないが……。それだって、次の奴が来るのがいつになるかなんてそれこそわからねぇ。もしも今ある魔方陣を逃したら、それこそ……」


 言葉が途中で途切れ、部屋の中に重い沈黙の空気が立ち込める。

 事ここに至って、ようやく勝一郎はロイドがあれだけ追いつめられていた理由を理解した。

 確かにこの、帰るための唯一の希望が今まさに危機に陥っている感覚と言うのは、ただ座り込んでいることにすら耐えられないような焦燥を勝一郎たちに抱かせる。

 急がなければいけないとわかっているのに何もできない、何かをしなけらばと気が気でないその感覚。

 だがそんな二人の焦燥に答えたのだろうか、やがて扉の外から巨大な声が沈黙をぶち破り、部屋の中にいる勝一郎たちめがけて、まるで音が振動であるという事実を思い出させるような音量で飛び込んでくる。


『おぉい部屋の中の二人!! 処遇が決まった。部屋から出て来い!!』


「「――!!」」


 外から聞こえる声に二人そろって息をのみ、慌てて立ち上がりながらも緊張に動きをこわばらせて歩き出す。

 部屋の扉を開ける都合上、二人のうち先を歩くのは勝一郎の役目となってしまった。正直言ってしまえばロイドに何かしらの理由をつけて先を歩いてほしいところではあったが、扉を開けられるのが勝一郎だけなのでこればかりはどうしようもない。


(まあ、そうでもなければ普通こう言うのは外の人間が開けて『出ろ』とかいうんだろうけど……。いや、そもそもこの世界の人間にそんなお約束は通じないのか……)


 意図的に下らない事を考えながら、勝一郎は意を決して扉のノブへと手をかける。

 岩壁の表面に作られた、日本では珍しくもない木の扉。

 しかしその向こうには、非現実的な鎧を着込んだ男たちがずらりと並んでこちらに視線を向けている。


「おお? 出てきたな。よかったよかった。あんまり出てこないもんだから、もしかして儂はただの岩に話しかけているのかと思ったぞ」


 そんな男たちの中心で、一際体格のいい四十代半ばとみられる大男が出てきた二人に語り掛ける。なにが材料に使われているのか、うろこ状の模様が浮かぶ鎧をまとい、背中に巨大な剣を背負ったその男は、この場の男たちを代表するように腕を組み、扉から出てきた二人を見下ろしていた。


「レキハ村戦士長のブホウだ。お前たちの処遇についてだが、まずはお前たち自身の男としての価値を示してもらい、その結果を見て決めるものとする」


「男としての――、」


「――価値?」


 ブホウの言葉に、何やら嫌な予感を感じて勝一郎はロイドと顔を見合わせる。

 お互い、薄々感づいてはいたのだろう。この男が言う言葉の意味が、二人にとって最悪のものである可能性に。

 だが二人がどんなに恐れても、押し寄せる現実は変わらない。


「なんだ? そんな枝木に頬をはたかれたような面をして? 男の価値と言ったらそんなもの決まっておろう。この世において男の価値などただ一つ」


 そしてその瞬間、勝一郎たち二人の運命を決める一言がいやおうもなく二人の耳へと届けられる。

 それはあまりにも容赦がなく、そしてそれゆえあまりにもこの世界らしい一言だった。


「――強さ以外にはありえない」

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