13:House of Many Doors

 人生とはうまくいかないものである。

 あれだけの葛藤を経て、なけなしの決意を振り絞って部屋を飛び出したにもかかわらず、勝一郎は再びこの白い部屋に戻ってきてしまっていた。

 いや、別に勝一郎とて、この部屋に再び閉じこもるつもりなど毛頭ない。もはや勝一郎の存在は村に住む人間たちにも知れるところとなっているし、勝一郎自身も以前のような後ろ向きな理由でこの部屋に戻ってきたという訳でもないのだ。


(それにまあ、これくらいのこと、仕方ないとも思うし、覚悟もしてたからな)


 実際のところ、別に勝一郎は閉じこもるためにこの部屋に戻ってきたわけではない。むしろ状況としてはある意味ではその逆で、現在の勝一郎はこの部屋の中に“閉じ込められて”いるのだ。


(しっかしまさか自分で作った部屋を自分を閉じ込めるために使われることになろうとは……。まあ、いきなりあの森の中に追放とかされなかっただけましか……)


 ついさっき知ったことだが、どうやらこの世界には牢獄や刑務所と言った、罪人を閉じ込める施設の概念がないらしい。否、閉じ込める施設と言うより、閉じ込めるという発想がないというべきなのか。

 恐らく、罪人を閉じ込めて養うだけの余力が、この小さな村社会の中にはなかったのだろう。社会が小さく、すべての村人が顔見知りと言うだけあってそれほど大きな犯罪が起きにくいというのも理由としてはあるだろうが、それこそ小さな罪ならば罰則のような労働によって償わせればいいという、厳罰よりも実利をとったルールの方が一般化したのではないかと言うのが勝一郎の予想だった。だからこそ殺人のような、他の村人たちとの間で取り返しのつかない罪を犯してしまった人間に対しては、もはや村の一員とみなすことができずに追放と言う形をとることとなったのだろうが。


(追放か……。俺もそうなっちまうのかな……)


 別に人を殺したりはしていないが、それでも今の勝一郎は勝手に村に入り込んでこっそり貴重と思われる食糧を盗み食いしていたよそ者である。この村の者達が、そんなよそ者を受け入れずに村から追い出したとしても、今の勝一郎には何ら不思議には思えない。

 その場合、勝一郎はあの恐ろしい恐竜が住む森に一人放り出されることになる訳だが。


(そうなっても文句は言えない、か)


 だからと言ってそうなったとしても、その原因は今まで状況に甘え続けてきた勝一郎にあるのだ。そうなっても不平を言えるような立場に勝一郎はいないだろう。

 部屋から出たことを後悔していないと言えば大いに嘘になるが、だからと言って隠れ潜んでいればよかったなどと言う卑劣な後悔だけはしたくない。


(できることなら、ランレイには迷惑をかけない形で名乗り出たかったが)


 唯一心残りがあるとしたら、やはりその部分だろうか。

 幸いにもロイドによって彼女が被ることになった体の麻痺は、それこそ勝一郎たちが捕まるその前後から徐々に抜けていった。どうやらロイドのあの魔法、持続時間が極端に短かったのか、勝一郎が暫定的にこの部屋に入れられる前には、彼女が回復したことだけは伝わってきた。それでもやはり、彼女が勝一郎の侵入に関与していたことまでは隠し通せなかった訳だが。


(まあ、今は先のことや済んだことを考えてもしょうがないか。むしろ今考えるべき問題は……)


 思い、勝一郎はそっと、“相手”に気づかれないように自身の横を盗み見る。

 膝を抱えて座り込み、暗い表情でブツブツと何かを呟く一人の男。最初に会った時の印象ゆえに、いっそ闇属性の魔法でも使っているのではないかと思えるほど暗い雰囲気だが、しかしさすがにそんな感覚は錯覚でも感じない。


(気まずい……!! ものすっごい気まずい!!)


 立場としては自分と同じ異世界渡航者なのではと予想されながら、しかし先ほど正面から衝突し、最後には扉をぶつけてノックアウトしたばかりの相手と、あろうことか勝一郎は今同じ部屋の中にいた。


(いや、まあ置かれてる状況をかんがみれば、俺らはもっと話し合うべきなのかもしれないけどさぁっ!!)


 恐らくは自分と同じく、こことは別の世界から来たであろう男である。彼からもたらされる話は、あるいは自分が彼にもたらす話は、高確率で互いにとっての利益になることは予想に難くない。たとえ一度は敵対する羽目になった相手でも、ここは過去のことはいくらでも水に流して話をするべきなのだ。


(そう、今はたとえ気まずくとも、一緒の部屋に閉じ込められたことを幸運に思うべき……!!)


 これで分けて閉じ込められでもしていたら、勝一郎はこの貴重な情報源から何も得られないままこの後を迎えることになってしまったのだ。それと同じ結果を迎えないためにも、今は一刻も早く声をかけるべき状況にある。

 だからこその第一声。


「「なあ」」


 相手もそう思っていたのだろう。なんとか絞り出した呼びかけが見事に被り、互いの視線が嫌と言うほどあって、そしてほぼ同時に気まずく眼をそらす。


(カップルかっ!! 付き合い始めの、微笑ましく初々しいカップルかッ!! つうか我ながら、気持ち悪いなぁその絵面!!)


 叫びたい衝動をぐっとこらえ、勝一郎はなんとか深呼吸して乱れた気分を整える。

 考えようによっては互いに同じ態度をとっているというのは望ましい事態だ。同じ態度でいるということは、互いに考えることも同じだということなのだから。


(そうだ、空気とか読んでる場合じゃない。っていうかこんな空気、ぶち壊した方がよっぽどいい。ここは何も考えず、とにかく会話を始めるところから――)


「な、なああんた、一つ聞いていいか?」


「噛み合わねぇなぁ、おいッ!!」


 意を決し、口を開きかけたその瞬間に声をかけられ、思わず勝一郎の口からそんな叫びがあふれ出る。

 対する男が『な、なんだよ!!』と困惑を露わにしているのを慌てて押しとどめ、勝一郎はとにかく会話を続けるべく男に向き直り、腰を落ち着ける。


「何でもない。本当に何でもない。それよりなんだ、一つでも二つでもいいから、とにかく何かを聞いてくれ」


「お、おう。それじゃあ、まず一番重要なことを聞くんだが……」


 勝一郎の剣幕に押されたのか、先ほどぶつかった時も幾分おとなしい態度のまま、男が言葉を選んで会話が続く。

 恐らくは異世界渡航の件だろうと、男からされるだろう質問をある程度予想していた勝一郎の思考は、しかし男の予想外の質問であっさりと打ち破られた。


「――この部屋の空気ってさ、吸ってても大丈夫なのか?」


「――は?」


 問われた意味が理解できず、勝一郎の喉から間の抜けた声がする。数秒かけて、どうにか男の言葉の意味を理解しても、その言葉に込めた男の真意まではさっぱり見当もつかなかった。


「吸ってても大丈夫かって、え、この部屋なんか異臭とかするの? 特に俺の方は感じないけど、ってまさか俺の体臭!? 確かに最近碌に風呂に入れてないけども!!」


「いや、そうじゃねぇよ。つかお前の体臭とかいちいち嗅いでられるほどこっちは余裕ねぇんだよ」


 なんで理解できないのかと、そんな意識すら感じるため息とともに、『だからぁ』と一言前置きしてから男はその質問の意図を話しだす。


「普通魔力から変換された属性質ってのは、魔力の属性回帰現象によって元の全属性魔力に戻んだろうが、確かに最近じゃエレウテリオスの八文字を使うことで魔術の持続時間は飛躍的に伸びたって話もあるけど、その持続時間だって決して無限じゃないわけで、このままいくと俺らは体内回帰による回帰性急性酸欠になっちまう可能性も――」


「ツウヤァァァァァアアアク!! 待って、ホント待って!! 頼むから日本語しゃべって!! 俺たちの間に通訳はいないの!!」


 湧いて出る不可解な言語の数々に、たまらず勝一郎はそんな悲鳴を上げる。だが二人の間に横たわる認識の壁は、そんな悲鳴すらも容易には通さない。


「あぁ? なんだよニホン語って、そんな聞いたこともない言語俺が喋れる訳ないだろうが」


「どこの言葉でそう言ってんだよ!! お前が今そう言ってる言語なんておもっきし日本語――、って、……ああ、そういうことか」


 言いかけた言葉が、しかし直後に生じた思い付きで勝一郎の中から立ち消える。だが相手にしてみれば勝一郎が勝手に納得してしまって自身が何もわからないというのはやはり不満だったらしく、眉をしかめてやや不機嫌そうに聞いてくる。


「おい、一人で納得してんじゃねぇ。さっきから何だってんだよテメェは。勝手に突っかかってきて勝手に納得しやがって」


「いや、当然のように言葉が通じてたから忘れてたけど、俺らはそもそも住んでた世界すら違うんだから、当然自分の話している言葉の呼び名も違うんだよなって」


「……よしわかった。俺らに必要なのは会話だ」


 勝一郎の話す言葉に理解が追いつかなかったのか、疲れたようなため息とともに男が意外に冷静な意見を口にする。

 と言うか半狂乱だった先ほどは気が付かなかったが、この男、冷静になれば意外に話が通じる相手だった。






「ちょっと待て、今頭の中で話を整理する。……えっと、魔術が使えない人間の世界に、異世界転移? 世界の数が最低三つに、正体不明の扉の力……。ああっ、クソッ!! ちょっと待て、飲み込み切れねぇ。ちょっと理解するのに時間をよこせ……!!」


 そう言って頭を抱え、ロイドは何やら呟くように口を動かしながら、時折すでに勝一郎が説明したことを再度聞き直してどうにか勝一郎の話を飲み込んでいく。

 事態の把握については勝一郎の方が進んでいるようだったので先に勝一郎がこれまでの自分の顛末を話したのだが、どうやら彼にとってそれらの情報は一度に理解するには多すぎる量だったらしい。

 それでも、およそ十分ほどでそんな懊悩を終えられたのはこのロイドと言う男が意外に優秀だったからなのかもしれない。

 ロイド・サトクリフ。自身の名をそう名乗ったこの男は、今年で十八歳になるらしく、年齢だけならば実は勝一郎よりも二つも上だった。


「……いろいろ飲み込みがたい事情もあるけど、一番わけわからんのはお前の言う『扉の力』って奴だな」


「ああ、やっぱあれってお前にもわからないんだ」


「本気でわけわかんねぇよ。いや、他のいろいろもわけわかんねぇことには変わりねぇんだけどさ、それでも俺自身の体験とかぶってる部分があるからまだ何とかって感じだ。でもその『扉の力』だけはマジわけわからん……」


 別の世界への移動は実際に体験している。魔術のない世界の人間には会っている。まるで違う世界の人間が自分のほかにも二種類いるのも感じていた。

 実際ロイドにとって、他のものに関しては言われてむしろ納得することの方が多かった。自身の体験に対して後から説明がついたような感覚が、他の三つに関してはきっちりとついて回ってきたからだ。

 だがそれらとは違い、勝一郎が得たという扉の力についてだけは、むしろ話を聞いても謎が深まったような感覚すらある。


「まあ、異世界に言ってそこですごい力に目覚めるって割とよくある話だけど、実際起こってみるとわけわからんよな……」


「……待て、よくあるだと!? お前の世界ではこれと同じようなことが頻繁に起こってやがんのか!?」


「……え? ああ、いや、これはあくまで漫画とかアニメとかの話で……」


「まんが? あにめ? いや、呼び方とかは今はいい。そうか。お前やけに事態を把握してると思ったら、お前の世界ではこう言った事態に前例があったのか!!」


「いや待って!! ホント待って!! 謝るから!! とにかく勘違いしたまま話進めるの止めて!!」


 必死に勘違いを進めるロイドを止めて、どうにか勝一郎は自分の世界の現実をロイドに説明しなおす。どうやら彼の世界には漫画やアニメ、もっと言えば雑誌やテレビと言った、勝一郎の世界に当り前にあるマスメディアが存在しないようで、それらの説明にはこれ以上ない苦労をさせられた。

それでもどうにか、最終的にはどうにかロイドの勘違いを正すことに成功したらしく、


「なんだよ……。要するにおとぎ話のなのかよ」


「いや、まあ、確かに言ってしまえばそうなんだけど」


 その際さんざん苦労させられた説明を一言でまとめられたのは、流石に勝一郎にとってもショックだった。

 なんだか頭の出来で負けたような気さえしてくる。


「にしても、聞けば聞くほどすごい世界だな。うちの世界でいろいろ言われてる社会問題とか、お前の世界の文明があれば解決しちまうんじゃ……」


「社会問題って……」


 なんでコイツ、チンピラみたいな見た目や言動の割に社会問題とか語ってるんだろう。

 と、そう思いつつもさすがに勝一郎もそんなことは口には出さなかった。興味がないわけではなかったが、それでも今は聞くべきことがほかにある。


「まずは基本的なことの確認から始めるか。まずは俺の世界で言うところの魔力についてなんだが」


「ああ、そうだ。それについては俺も聞きたかったんだ。っていうかさ、お前が言う『魔力』ってこっちで言うところの『気』とどう違うんだ? 見たところ、っていうか感じたところではあんまり大差がないような気がするんだが……」


 ロイドの使っていた魔術。この世界にあるという気功術。そして勝一郎の『扉の力』。この世界に来てから立て続けにそんな、それぞれ全く違う異能力を目にすることとなった勝一郎だが、唯一その三つに共通する事柄と言うのが、このそれぞれの力を発動する際に感じる『気』の感覚だった。

 もっとも、厳密に言えば感じられる感覚にはそれぞれ何と言葉にしていいかもわからない奇妙な違いがあったのだが。


「多分だけど、こっちで言う『気』とやらも、俺の世界で言うところの魔力も、根本的には同じもんのはずだ。違いがあるとすれば属性の問題かな」


「属性っていうと、火属性とか、水属性とか?」


「まあ、恐ろしく大雑把に言っちまえばそんなところだな。もともと魔力ってのは、あらゆる物質や現象に変換できる万能概念って言われてっから、こっちの世界では未発見ってだけで、肉体を強くする属性があったとしても不思議はない……、と思う」


「万能概念って……。なんかやけに大層な言葉が出てきたような気がするな」


「そうか? こんなもん、こっちの世界じゃ十歳前後のころに習う知識だぞ」


「小学校レベルっすか」


 ロイドの言葉に、勝一郎は異世界の学問レベルに対する自分の想像が現実に見合っていないのではと疑念を抱く。

 と言うか、よく考えれば一定の知識を一定の年齢の時に得られるというのは、ロイドの世界に義務教育が存在しているということになるのではないか。

 そのことに気付いて、これまでロイドの世界を勝手に中世レベルの文明を持つ王道ファンタジーの世界と考えていた勝一郎は、自分がまた勝手な思い込みで相手の世界を過小評価していたのではと言う不安に襲われた。

 相手を軽く見る悪癖に関していうならば、勝一郎もなんだかんだで人のことは言えないのではないかと。


「……ん、ああそうだ。魔力の性質でいうなら、そういや恣意誘導性の問題があったな。あれならもしかしたらその『扉の力』とやらにも……、いや、やっぱないか……」


「なんだよそのシイなんとかって?」


「いや、魔力ってのはいろいろな条件で微妙にその属性を変えていくもんなんだが、その条件って奴には人間の感情や意思みたいなもんも含まれるらしくてな。お前が扉の力を初めて使った時の話を考えてもしやと思ったんだが……」


「つまりその魔力が俺の願いをかなえてこんな力を与えたと?」


「いや、確かにその可能性を考えはしたんだがな……。そもそもの話、人間の精神が魔力に起こす属性の変化なんてのは本当に微々たるもんで、こんな明確な『現象』を引き起こせるような規模じゃ間違ってもないんだよ。

 砂粒一つしか動かせない蟻の力で、人間でも持てない大岩を動かすようなもんだ」


 言われて、勝一郎も後から納得する。

 考えてみればそんなに魔力が人間の願いを、それこそ神や悪魔のようにホイホイ聞いてくれるような代物なら、彼の世界は魔術だか魔法だかの技術を生み出す必要すらなかったはずだ。


「まあ、過去には恣意誘導性が現象につながった例もなかったわけじゃないけど、今回のそれがそうなのかどうかは俺程度にはわからん」


「そうか……」


 あまり期待はしていなかったものの、どうやら勝一郎の『扉の力』についてはまだその正体がわからないままで終わりそうだった。それを残念に思う気持ちがないわけではないが、そもそも期待していたわけではないし、切迫して知らなければいけない事情があったわけでもない。

 期待していて、切迫した事情のある情報はまだほかにある。


「じゃあ、異世界渡航の方はどうだ? さっきも言ったように、俺はこの世界に来る前に、お前らが使ってる魔法陣みたいな変な落書きを目撃してる。俺たちが異世界に来ちまった原因について、お前は何か知ってるんじゃないか?」


「ん? ああ。っていうかそれについては大方の想像はついてんだよ。一応帰る方法についても」


「なっ、本当か!?」


 意外に、しかしあっさりと放たれたそんな言葉に、勝一郎は思わず条件反射のように食いついた。勝一郎としてはロイドに対し、手がかり以上の成果を期待してはいなかったため、この回答は想像以上のものと言える。


「教えてくれ、どうやれば元の世界に帰れるんだ? いや、待て、そもそも帰る方法がわかっているならどうしてお前はここにいる?」


「待て待て一度にいろいろ聞くな。えっと、でもこれどっから説明すりゃいいんだ? 転移、いや、儀式魔術の……、っていうかそもそも魔術がないわけだからそっからか?」


「魔術、か。そうだな。できればそこから聞きたい。幸いと言うか不幸にもと言うか、こっちは待つことしか許されない立場なんだ。時間は多分もうしばらくあるだろう」


「……正直時間に関してはそう余裕があるって気もしないんだが……、まあでも言っててもしょうがないか」


 その表情にわずかに暗い色を滲ませながら、しかしすぐに割り切ったのか、ロイドはそう言って意識を切り替えると、すぐさま自身の世界の技術について話し始めた。

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