12:Watertight Door

 異世界の村にある一つの洞窟、その奥底の一室で理を異にする者たちが対峙する。

 光源はランレイがここに来てすぐ、男が自ら灯した壁の蝋燭が数か所のみ。そんな薄暗い部屋の中でしかし、勝一郎の眼は今の自分に必要な情報をしっかりと読み取っていた。


(とにかくあいつの魔法がこの場の最大の障害だ。特にあの水に閉じ込める魔法を攻略しないことにはランレイを部屋の中に逃がすこともできない……!!)


 ロイドに対して威勢よく啖呵を切ったものの、流石の勝一郎も今回に限っては自身の本来の目的を見失ってはいなかった。

 この場で勝一郎が最も優先するべき事柄は、まずランレイの身の安全を確保することだ。ロイドに対して怒りを抱きはしたものの、だからと言ってそれで優先順位を見失うほど勝一郎も愚かではない。

 ただ問題は三人の位置関係だ。まずいことに先ほど水の牢獄に閉じ込められた際、勝一郎の立ち位置は水ごと最初いたランレイの近くから、部屋の中央部へと大きく移動させられてしまっていた。幸いにしてランレイの前にロイドが立ちはだかる事態にはなっていないものの、勝一郎がランレイへの接近を優先して動けば確実に迎撃できる位置に現在ロイドはいることになる。むしろ直線で結べない分立ち位置としては阻むように立ちはだかるよりも質が悪いかもしれない。


(しかも当のランレイは変な液体飲まされて自力じゃ動けないときてやがる。もしあれが毒の一種だとすると、こいつから解毒の方法も聞きださなきゃならない)


 選択肢としては一応ランレイをこの村の医者の元まで運ぶという選択肢もあるが、それでランレイが元に戻るのかという疑問以前に、その選択肢でもやはりロイドの存在が邪魔になる。つまり現状、この問題をどう解決するにしても、このロイドと言うらしい男を打破する必要があるのだ。一応今からでも争いを避けて問題解決の道を模索するという選択肢もないわけではないが、生憎と勝一郎にそんな余裕はかけらもない。

 そしていざ打破しなければならないとなった時、互いの持つ手札の質と差が最大の問題になってくる。


「……言ってくれるじゃねぇか。魔術も知らない未開人が……。いや、それともさっきの壁は魔術だったのか……?」


「……魔術?」


 血走った目で勝一郎を睨みながら、震える声でそう疑問を投げかけるロイドに対して、しかし勝一郎は同じく疑問の声しか返せない。勝一郎にしてみればこの男の言う魔術とやらがどんなものかもわからないし、彼が訪ねているであろう扉の力についてもほとんどわかっていないのだ。

 だが、そんな勝一郎の事情など、今のロイドには推察できるはずもない。


「なに黙ってんだよぉ……、なんとか言えよぉっ!!」


「――っ」


 癇癪の声と共に、ロイドに右手に魔法陣が輝きを灯す。よく見れば二つの魔法陣が歯車のように重なったそれが勝一郎めがけて差し向けられ、強い『気』の感覚とともにその輝きを増していく。


「――なんとか言えって、言ってんだろぉっ!!」


「――うおッ!!」


 三度襲い来る激流から慌てて身をかわし、今度こそ勝一郎を飲み込まんと迫る水流から慌てて勝一郎は逃げ惑う。

 背後から感じる水の気配に注意を払いながら、それでも何とか近づく糸口を見つけようとロイドへと視線を戻した勝一郎は、そうしたことによってあって欲しくなかったそれを目撃する。


「おいちょっと待て……!!」


「ぶっ飛べオラァ!!」


 慌てる勝一郎に容赦なく、ロイドの|左手から≪・・・・≫放たれた二本目の水流が押し寄せる。

 事前にぎりぎりで察知できたためまたしても直撃は避けられたが、しかし水流を躱そうと急ブレーキをかけられ、バランスの崩れた態勢はもう戻らない。その上水流は、ロイドの左右の手から放たれ勝一郎を挟み撃たんと迫っている。


「――っ、仕方ねぇぇぇええ!!」


 十字砲火ならぬ十字放水が勝一郎を中心に交差する寸前、倒れ込む態勢を無理やり変えて、勝一郎は右手から込められるだけの『気』を洞窟の床面へとねじ込んだ。


「『開け』!!」


 瞬間、再び地面に扉が出現し、迫る水流を受け止めようと跳ね開く。


「ハッ、馬鹿が。さっきの二倍の水圧だ。受け止めきれるわけが……!?」


 先ほどの様子を思い出し、勝利を確信して言いかけたロイドのその言葉が、しかしその途中でありえない現実に阻まれる。さっきは激流一本分の水圧で倒れそうになっていたその壁が、しかし今は二本の激流を危なげなく受け止めてしっかりと防壁の役割を保っていたからだ。


「なんだとぉ……!!」


 驚きに目を見張るロイドに対して、勝一郎は扉の裏で地に手をついたまま必死にすきを窺っていた。

 自分を守る扉に対し、しかし勝一郎は指一本として触れていない。勝一郎が支えずとも扉が倒れることなく勝一郎を守り抜けた理由は、作った扉の先ほどとの構造の違いにあった。


「残念だが俺だって学習するんだよ。扉が“開きすぎて”倒れ掛かってくるのなら、|必要以上に開かない≪・・・・・・・・・≫扉を作ればいい」


 端的に言ってしまえばこの扉、蝶番の構造上“九十度以上に開かない”のだ。そんな扉ならば勝一郎の側に倒れ込んでくる事態にもならないし、扉自体が壊れないため無理な力をかけても蝶番が外れる心配もない。

 とは言え、壊れない防壁の出現は、必ずしも勝一郎の勝利を意味しない。


「わかっちゃいたけど、やっぱりこれじゃまともにあいつに近づけないぞ……!! っつうかなんだよ二つ同時って!! 普通魔法とかってもっと仰々しい隙だらけの儀式とかあるもんだろうが!! それっぽく呪文とか唱えてろよ!!」


 自分の中にある魔法のイメージを悪態とともに吐き出しながら、勝一郎はそれでも必死に周囲を見渡し、ロイドに近づく手段がないかを模索する。


「――ってやっべぇ!!」


 気づくと同時に、背後から覚えのある気配が発せられるのを感じて勝一郎は慌てて扉の影から後ろを覗く。

見れば案の定、扉を責めたてる水流の数が一本に減じており、代わりにロイドの右手に放水の魔法陣よりさらに多い、計四つの円が絡み合い、そのところどころに妙に空白が目立つ奇妙な魔法陣が現れていた。そして直後、先ほど勝一郎を飲み込んだあの水球が現れ、魔方陣から延びる細い水のラインに操られるように勝一郎めがけて迫って来る。


「ぬぉぉぉおおおッ!!」


 慌てて扉の陰から飛び出して、勝一郎は迫る水球を回避する。水球の速度は決して速いとは言えないものの、その危険性は放水魔法より下手をすれば上なのだ。


(やばいやばいやばいやばい、またあれに捕まったら今度こそ出してもらえない!! っていうか、呼吸はできても脱出はできないってのを、あの野郎ちゃんとわかってやがる!!)


 必殺演技『|死んだふり≪ドザエモン≫』でどうにか水球から脱出してきた勝一郎だが、それが演技であることがバレてしまった現状、もう同じ手段での脱出などできようがない。ただの水ならば水の中でどこかに扉を作れば、中の部屋に水が流れ込んでくれるかもしれないが、現状見えるあの水球にそんな水らしい特性が備わっているかどうかは疑わしい限りだ。

 そして勝一郎を襲う水の脅威は、決して飲み込み溺れさせる水球だけではない。


「ハッ、出てきやがったな、この野郎!!」


「――ッ!!」


 水球から逃れ、飛び出した勝一郎に対し、それまで扉にぶつかっていた激流が横薙ぎに振るわれ、その軌道を変える。

 それに気づいた勝一郎も慌てて回避しようと身をよじるが、うまく激流を躱せず、その水圧の一部が勝一郎の右肩を直撃した。


「うぶぁっ!!」


 肩を持って行かれるような強烈な水圧と、はじけて顔にかかる水飛沫に短く悲鳴を上げ、勝一郎の体が激流に押し倒されるように地面を転がる。

 幸いにして激流は勝一郎の肩をかすめただけでロイドの腕の動きに追従するように真上を通り過ぎて行ったが、しかしロイドがその軌道を修正して勝一郎に追撃をかけるのには一秒もかからない。


「捕まえたぞこの未開野郎!!」


 唾を飛ばして叫ぶロイドの腕の振り下ろす動きに合わせるように、叩き付けるような水圧を秘めた激流の直線が斜め上から勝一郎めがけて降って来る。


「ざっけんなッ!! これ以上真冬に水浴びなんてそれこそ肺炎になるわ!!」


 慌てて飛び起きて水流に背を向け、背後で床にぶち当たった激流が飛沫を散らす音を聞きながら走り出す。だが、その直後、背後の水から少しだけ前へと意識を向け、勝一郎は自分の判断力の甘さを呪う羽目になった。


「やっべぇ、挟まれたっ!!」


 一度足を止めさせられ、水流に追われて逆走する羽目になったことで、勝一郎は先ほどの水球めがけて走り寄る羽目になっていた。水球の動きが遅いため水球単体ならばそれでもよけられないこともないが、横に移動しようと少しでも走る勢いを緩めればそのとたんに背後の激流に飲み込まれてしまう。


「だったら、下だぁぁぁあああ!!」


 忠に浮かぶ水球の真下、洞窟の床との間にわずかに空いた隙間をめがけ、勝一郎は走る速度をそのままに足からのスライディングで飛び込んだ。

 わずかに上に浮かぶ水に肩などを接触させながらも、それだけでは速度を殺されることなく、通り過ぎ、先ほど壁にした扉の陰へと身を隠す。

 さらに、


「『開け!!』」


 進む方向を変えてこちらへと戻って来る水球を迎撃するべく、勝一郎が壁にする扉とは逆の位置にある床へと右手から『気』を流し込む。

 瞬時に勝一郎の真横の床に扉が現れ、それが勢いよく開いて水球に激突する。


――ドパァン。


 水面に戸板の面が叩き付けられるような音が部屋中に響きわたり、水球を構成していた水の一部が飛び散って蒸発するように消えていく。

 だがもたらされた結果は、言ってしまえばただそれだけだった。


「駄目だ、少し飛び散ったくらいじゃ消えてくれない!!」


 やはりというべきか、水球は多少その水量を減らしたものの被った被害はそこまでに留まった。それどころかその減らした分の水量すら、ロイド本人の魔法陣とつながる水のラインから供給されて元の大きさを取り戻す。叩き付けた扉もすぐさま水球の中に飲み込まれ、水球はその扉を簡単にすり抜けさせて勝一郎めがけて迫って来る。


「クッソ、これじゃ一か所にとどまることもできない!!」


 しかも水球から逃れようと迫る扉の壁から飛び出せば、狙いすましたように再び激流が襲ってくる。なんとか壁にする防水扉を増やしてそれを阻みながらいったん距離はとるものの、しかし扉でロイドとの間に壁を作ってしまうと今度は勝一郎がロイドのもとに向かうことができない。


「クソッ、八方塞がりじゃねぇかこの状況!! これじゃ近づくどころか前進することすらできねぇぞ!!」


 扉で作った壁の裏で呼吸を整えながら、勝一郎は打つ手のない現状に歯噛みする。せめてどちらか一つだけでも攻略できたならまだ救いはあるのだが、勝一郎の持つ扉の力だけでは二つの魔法を防御することはできても無力化はできないのが現状だ。加えて、激流の方は勝一郎を追う速度が速く、この世界にきて足の速くなった勝一郎でも扉を壁にしなければ数秒と逃げ続けられない。


(このままじゃどの道じり貧だ。あの水球があったんじゃ扉の陰に隠れていることもできない。逃げ回っていても体力が尽きたらその瞬間にやられちまう。これが“あっち”だけなら思いつく手段が全くないってわけでもないんだが……、ん?)


 何か使えそうなものはないものかと辺りを見渡し、そして見つけた。勝一郎のいる位置から少し離れたその場所に、考えてみればあってもおかしくないそれらが無造作に放置されているのを。

 同時に、またも勝一郎を追っていた水球がその位置を危険領域にまで侵入させる。


「あれしかねぇっ!!」


 自分史上最速と言える速さで判断を下しながら、勝一郎は意を決して扉の陰から“それ”がある場所へと走り出す。

 背後から狙いの性格になってきた激流が洞窟の床面で飛沫を上げる音を聞きながら、目的地までの短い距離を死に物狂いで走り抜け、滑り込むようにしてそれを拾い上げるとそのまま迫る激流めがけて力いっぱい振りかぶる。


「『開けぇぇぇええええ』!!」


 瞬間、掴んでいた“それ”が、ロイドがこの場で寝起きするために用意されたであろう毛布が扉に代わり、勝一郎を飲み込もうとしていた激流に叩き付けられ、真っ向からそれを受け止めた。


「な、なんだとぉっ……!!」


 否、受け止めてはいなかった。

扉は叩き付ける激流によって部屋の内側へと開かれ、押し寄せる水を受け止めずに、“部屋の中へと飲み込んでいる”のだ。

 そしてそうなったことで、遂にロイドは開いた扉だけでなく、その向こうにある部屋の存在すらも視界に収めることになる。


「ありえない……、なんだその空間……!!」


 受け止めきれない水圧を受け止めずに受け流す防水扉、そんな代物を盾にする勝一郎の姿に、対するロイドは呆然と立ち尽くす。

 毛布に穴が開いているだけというなら何ら不思議もない。だがその穴の向うにあるはずの勝一郎の顔面は存在せず、代わりにやけに白い部屋が、それこそこの洞窟の一室よりはるかに広い規模で広がっているのだ。これを以上と言わずになんというのか。


「どうなってやがる……、なんだその部屋……!!」


 先程勝一郎が突然出現した際一度目の当たりにし、一度は何かの間違いではとも疑ったその部屋が、今勝一郎の手に握られてぽっかりと扉を開けている。

 壁を作る魔術と言うなら聞いたことがある。と言うか、壁に限らず物体を魔力から生み出す魔術はロイドの世界においては子供でも知っている一般的な代物だ。

 だがこれが、空間丸ごととなれば話は大きく変わる。少なくともロイドが知る限りにおいて、空間そのものを作り出すような出鱈目な魔術は存在しないはずなのだから。


「なんなんだよ、なんなんだよその部屋ァッ!! ありえない……!! あっていいはずねぇだろそんな部屋ァッ!!」


「るっせぇッ!! これが現実だぁっ!!」


 うろたえるロイドにそう言い返し、勝一郎は両手で扉と化した毛布を構えて押し寄せる激流めがけて真っ向から突貫する。押し寄せる激流を部屋の中に飲み込み、遅い水球の脇を駆け抜けて勝一郎が目指すその先で、ロイドの表情が驚愕から恐怖へと変わる。


「クソッ、来るなッ!! 来るなっつってんだろうがッ!!」


 部屋へと飲み込まれる激流の軌道を変えて、扉の戸枠や隠しきれていない足元を狙うことで、ロイドはなんとか勝一郎の足を止めようと努力する。

 だがそれすらも、勝一郎の扉によって難なく阻まれた。いかに軌道を変えても、勝一郎はすぐさま構えた扉の位置を調整し、部屋の中に激流を飲み込んで突き進んでくる。もう一方の手に生み出した水球もこちらに突撃する勝一郎を飲み込もうと背後から追っているが、その速度は遅すぎてまったく勝一郎に追いつけない。


「……ッ、だったらよぉっ!!」


 激流にかまわず突進する勝一郎に対し、しかし恐怖よりも危機感が上回ったのか、ロイドが空きっぱなしだった口を閉じて歯を食いしばる。同時に、左手で行っていた放水の魔法陣が放出していた水もろとも消滅し、代わりに別の魔法陣が出現する。

 奇妙な空白が目立つ、四つの円が組み合わさったどこか歪でつぎはぎされたような印象の魔法陣。ロイドが右手に展開しているのとまったく同じ魔方陣が、今勝一郎を飲み込まんとその力を発揮する。


「今度はこいつの挟み撃ちかよ!! ったくさっきからずっと文字通り背水の陣だったってのによォッ!!」


 後ろから迫る水球が健在なのを感じる気の感覚から判断しながら、しかし同時にその速度の遅さに勝一郎はわずかに安堵する。確かにあの水球は脅威ではあるが、速度が遅いことを考えれば回避するのはそう難しくない。背後から水が迫って来るこの現状でも落ち着いて回避すれば飲み込まれることもないとそう考えて、しかし、


「ってデカ!! いや、違う広い!!」


 目の前に生まれた水球が、もはや水球とは呼べない前方広範囲に広がる壁の形になっていることにその目論見を木端微塵に砕かれた。


「もう絶対逃がさねぇ。意地でも水の中に飲み込んでやる!! 飲み込んで溺れきるまで閉じ込めてやる!! おめぇが溺れるまで絶対逃がさねぇッ!! 溺れてくたばれェ、扉野郎ォッ!!」


 恐慌による狂気さえ入り混じるロイドの絶叫。そしてそれに応じるように勝一郎を捕らえようと迫る水壁に、しかし背後からも見ずに追われる勝一郎は走り続けるしか術がない。


(落ち着け……!! こいつへの対応法なら、さっき一つだが思いついているだろう!!)


 スライディングで水球の下を通った時、一つだけ思いついたこの水球への対処法。失敗した場合のリスクが高く、しかも成功すると誰かが保障してくれるわけでもないその方法に、勝一郎はわずかに躊躇を抱きかけ、しかし、


「……今の俺に必要なのは冷静な躊躇じゃねぇ」


 思い、足とその下の地面に『気』を込める。見様見真似の気功術と、右手に輝く扉の力。この世界に来てから得ることとなった付け焼刃のこの力をそれでも生かそうと思うなら、抱くべき感情はその真逆。


「今の俺に必要なのは、扉の前で立ち止まらねぇ思い切りだァッ!!」


 掴む毛布扉を毛布に戻して体に叩き付けるようにして巻き付け、勝一郎は走る勢いそのままに前へと倒れ込む。イメージするのは一発の弾丸。自分がそれになるようイメージしてできるだけ細長く体をまとめ、同時に足と地面に込めた『気』の力を解放する。


「『開けぇぇぇぇええええ』!!」


 直後、その扉が放った音は開閉音と言うより炸裂の音に近かった。扉が開いたのは勝一郎の足元。上に乗る勝一郎を扉が勢いよく跳ね飛ばすと同時に、勝一郎自身も一瞬の気功術で強化した脚力で扉を蹴り飛ばし、その体を猛烈な勢いで、さながら弾丸のごとく前方へと発射する。

 その先にあるのは、中に取り込まれれば終わりの水球から変じた水壁。傍から見るならば、勝一郎のその行為は水壁に対して飛び込む最高の愚行。

 だが、


「しまった……!!」


 そのセリフを口にすることとなったのは、勝一郎ではなくロイドの方だった。同時に、勢いよく飛び出した勝一郎の体が、頭から水壁に突撃する。


(確かに捕まったらやばい水の塊だろうが、だが所詮こいつは水なんだよ!!)


 顔から突っ込んだことで痛む顔面に耐えながら、勝一郎は必死で体のラインを補足して水の抵抗を緩和する。

 先ほど水球の下を通過したとき、勝一郎の方は確かに水球に接触していた。だが結局それによって勝一郎がこうむった影響はほんのわずかに勢いが殺された程度で、勝一郎自身はぶつかる痛みすら感じずに、肩は水球の中を通過している。

 確かに宙に不自然な形で浮いているし、本来の水にあるべき性質を逸脱してはいるものの、結局のところこの魔法は水なのだ。水に飛び込む者の勢いが弱ければ水に勢いを殺されて中に囚われることになってしまうだろうが、逆に勢いが強ければ、


「飛び込んだ奴は水の壁を貫通して、その向こう側に突きぬけられる……!!」


「……ッ!!」


 言葉の通り、水の壁を突き破って表れた勝一郎の姿に、水壁によって勝一郎を追い詰めたと思っていたロイドの表情が暗く染まる。それでも背後の水壁を戻して再度勝一郎を飲み込もうと考えたのか、ロイドの手元の魔法陣から感じる『気』の感覚がわずかに変化するが、


「させるわけねぇだろう!!」


 空中で一度自分の体に巻き付けた毛布を水飛沫と共に広げ、勝一郎は再び扉を開いて毛布を体の横にある“それ”へと叩き込む。

 ロイドの魔法陣と背後の水壁、その二つをつなぐ水のライン。恐らくはあの水球や水壁を維持するのに必要不可欠なのだろうと予測される二本の“それ”を、毛布に作られた扉と部屋で続けざまにせき止める。勝一郎がやったのはそれだけで、そしてそれだけで十分だった。

 背後の二か所で水が地面に落ちる音が耳へと届き、同時に濡れた体が急速に乾いていく。


「ぅおっと!!」


 着地し、気を抜きかけたその瞬間に襲い来る激流を再び扉毛布で受け止め、勝一郎は再び扉越しにロイドの方へと視線を戻す。

 だが当のロイドは自身の攻撃手段を両方とも封じられてしまったためかその顔色は完全に蒼白なそれへと変わり、右手にこそ魔方陣を展開してはいるものの、左手はどこかで書き間違えてしまうのか、いらだった様子で消去と書き直しを繰り返していた。


「クソッ、クソッ、クソッッ!!」


 どうしていいのかもわからなくなったのか、ロイドは放水すら放棄してただただ勝一郎から距離を置こうと後退る。だが、放水を繰り返していた段階からすでに勝一郎から距離をとろうとしていたロイドにもはや後はなく、ほどなくロイドの背中が洞窟の岩壁へとぶつかった。


「ようやく、たどり着いたぜ……!!」


 遂に手の届く範囲までたどり着き、扉を両手で構えて腰を落とした勝一郎が、最後とばかりにロイドに言葉を突きつける。


「もう無駄だぞ。お前の魔法は俺には効かない。おとなしくランレイを元に戻して村の人たちに俺たちの正体を名乗り出るんだ」


「な、なに……?」


「俺も出るぞ。あの部屋から、この洞窟から!! 今思えば俺もお前も、ここの人たちに甘えすぎていた」


 確かにいきなり訪ねて行って『異世界から来ました』などと言っても受け入れてもらえる確率は低いかもしれないが、一方でこのまま見えない部屋の中に隠れ住み、あるいは村人を欺いて生活するのも冷静に考えてみれば相当に難易度が高い行為だ。傍から見ていてもロイドに村人を欺き続けられるほどの演技力があるようにも思えないし、勝一郎にしてみても誰にも知られずに、何の痕跡も残さずに住み続けることがどれだけ難しいかはここ数日で自身の体験として知っている。

それに何より、道義的に考えても、本来は名乗り出ることこそが正しいはずなのだ。


「ふざけんなっ!! いまさら神様じゃないなんて言えるとでも思ってんのかぁっ!!」


 だがそれでも、正しさだけで人が動くなら、今勝一郎は苦労はしていない。実際問題、ロイドを突き動かしているのは正しさなどとは全く別の理由ゆえなのだ。


「神様じゃなきゃいけないんだよ!! せっかく勘違いしてくれてんだからそれでいい!! 神様ならここの奴らに“アレ”を探させられる。神様なら“アレ”に出会わずに済む!!」


「お前……!!」


「俺はここでは、神様なんだよォッ!!」


 瞬間、右手に保持したままの魔法陣を振りかざし、ロイドが激流の魔法を勝一郎めがけて撃ち放つ。距離が近くギリギリではあったものの、魔法陣と言う前兆に注意を払っていたことが功を奏した。押し寄せる激流が顔の横を通り過ぎるのを感じながら、勝一郎は身を沈めて、扉を掴む両腕を思い切り後ろに振りかぶる。

 扉を扉としてでもマントとしてでもなく、巨大な一枚の鈍器として使うために。


「わっかんねぇ野郎だなぁっ!! だったらもう容赦もしてやらねぇぞ!!」


 ここでロイドがこちらの意見に耳を貸すようなら平和的解決も有り得たが、相手にその意思がないというのなら是非もない。扉と言う巨大な板で殴り倒して勝負を決めようと、勝一郎は一気にロイドへと距離を詰める。

 だが直後、勝一郎がまさに間合いに入り、扉を叩きつけようと腕に力を込めたその瞬間、突如として勝一郎の視界が暗闇に包まれ、振りぬいた扉が手ごたえを返さず空を切った。


(――っ、しまった!! あいつこの部屋の明かりを水の魔法で――!!)


 最初にランレイがこの部屋に入った時、ロイドが手ずから自分の魔術で火をつけた蝋燭に、ロイド自身が放水の魔術で水をかけて消したのだろう。

 当のロイドは突然の暗転に勝一郎が驚いた隙にどこかに移動してしまったらしく、扉を振りぬく軌道にいたはずのロイドの位置は、もはや勝一郎にもさっぱり見当がつかない。


(――けどなぁ、たとえお前の姿は見失っても、洞窟の“壁”の位置の方はしっかり覚えてんだよ!!)


 迷う余裕のない極限状態に追い詰められたせいなのか、思いついた手段に対して勝一郎は一切迷わない。暗闇の中で振りぬいた扉を放り棄てて両手を開けると、すぐさまそこに『気』を集めて扉を開くための力を込める。


「『開け』!!」


 体を反転させながら、両腕を広げるように背後へと叩き付けると、そこにできた扉の奥から、まばゆい光があたりを照らす。

 空気と同じく生み出した時から部屋の中にある、光源を持たない謎多き光。開いた扉から洩れるその光に照らされて、まさに背後から勝一郎に殴りかかろうとしていたロイドが驚愕しながら目を覆う。


「クソ、なんなんだよ――!!」


 光に目をやられて、生まれたその隙を勝一郎は逃さない。踏み出した足に『気』を込めて、振り下ろす足に扉を開く力を込める。


「――なんなんだよ、その扉はぁぁぁぁぁああああ!!」


「オ、レ、が、知るかぁぁぁああああ!!」


 やけくそ交じりの叫びとともに、鈍い激突音があたりに響く。

 勝一郎足元に生み出し、跳ねあげた扉がロイドの顎に激突し、昏倒するロイドの体が大地に落ちる。

 ロイドの顎と激突し、そのことによって役目を終えた扉が閉じたその瞬間、勝一郎にとって初めての戦いは、そしてこの世界にとって初めての異世界人同士の戦いは、『パタン』と言う軽い音とともに扉を閉じた。






 ただし、扉は閉じても、勝一郎たちが直面している事態はここでは終わらない。


「動かないでいただきましょうか」


「――!!」


 何の前触れもなく背後に、いた。

 ロイドの顎へと扉をぶち込み、倒れた彼を見下ろした次の瞬間には、もう背後にゾクリとする気配が現れ、年配の男性と思われるその声が勝一郎の耳に届いていた。

 否、背後だけではない。よくいれば扉からの明かりに照らされる室内には、倒れたロイドやランレイのそば、そして部屋の出入り口なども数名の男たちがいつの間にか現れている。


「ったく、ソウカクの野郎、やっぱりあいつの早とちりだったんじゃねぇか。まあ、それでも半分くらい信じかけてた俺たちにも責められないんだろうがよぉ。

 さて、じゃあまず肝心なことから聞くとしようか」


 そしてそんな男たちの中で、一際小柄で、しかし鋭い雰囲気を持つ少年が一人明かりの中へと歩み出る。

 少年の両手に握られているのは、細く鋭い二振りの剣。左右の剣を片方を倒れたロイドに、そしてもう片方を勝一郎へと突きつけながら、少年は有無を言わさぬ口調で質問を投げかける。


「まずはお前ら。神様じゃないならお前らはなんだ?」

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