11:Door Step

「出たぞ、ちくしょうっ……!!」


 拳から伝わる感覚に、勝一郎は自身の踏み出した一歩を感じ取る。

 もはや後戻りはできないという寂寥感。先の見えない道にわずかとはいえ踏み出したのだという恐怖。そして、ようやく部屋から自分を出すことができたことによるわずかな高揚。

 それらすべてを感じながら、勝一郎は右手に魔法陣を浮かべたロイドと名乗る男が自身に殴られて倒れるのを追うように、マントに作られた小さな部屋から這い出した。


「出ちまったぞォッ、こんちくしょぉぉおおっ!!」


 傍から見れば大層滑稽だろう、ただ部屋を出ただけのその宣言を、しかし勝一郎は臆面もなく言葉と声で形に残す。

 自分にだって進むことはできるのだと、その感覚をしっかりと自身の胸に刻むために。


「ショウ、イチロ……」


「悪い、ランレイ。遅くなった。本当に、ホントに遅くなった」


 背後から聞こえる声に勝一郎が振り向くと、そこには全身をびっしょりと濡らしたランレイが力なく洞窟の壁へともたれかかっている。男の直前までの態勢を考えれば首を絞められていた可能性すら考えられたが、どうやら手遅れになる前に勝一郎は介入することができたらしい。


「なんだ……、お前? どこから出てきた、いや、今その女の……」


 声に応じて勝一郎が視線を向けると、殴られた頬を押さえた男がもう片方の手の先に魔方陣を浮かべ、そこから何やら液体を発生させて地面にそれをぼたぼたとこぼしている。

 その表情にあるのは、ひたすらの驚愕と混乱。どうやら魔法じみた力を使うこの男にとっても、勝一郎の『扉の力』は理解に苦しむ代物らしい。


「なんなんだよ……、ホント、なんなんだよ、お前らぁっ!! クソッ。クソッ!! いったい何がどうなって――」


「お、おいあんた――」


 頭を抱える男に対し、勝一郎はなんとか落ち着かせようと声をかける。最初こそランレイに危害を加えていた節さえあったため殴り飛ばしてしまったが、今からでも平和的に事が収まるのならそれに越したことはない。

 だが混乱する男にとって、勝一郎の歩み寄りなど警戒すべきものでしかなかった。


「ち、近寄ってんじゃぁ、ねぇぇえええ!!」


 瞬間、再び男の手に魔法陣が出現し、ランレイを襲ったのと同じ激流が勝一郎めがけて襲い掛かる。人間一人をたやすくなぎ倒し、押し流し、叩き付けるだけの威力を持った水流。それが勝一郎を直撃して昏倒させる、その直前、


「――っ、開け!!」


 とっさに足元を踏み鳴らして扉を出現させ、勝一郎は開いた扉で迫る流水を受け止めた。水流は間一髪で勝一郎には届かず、そのしぶきを周囲にまき散らして散っていく。


「って、ぬぉおおおおお!?」


 とは言え、残念なことに扉で受け止めてそれで終わりというわけには行かなかった。強烈過ぎる勢いに押された扉は当然のように勝一郎の方に倒れ掛かり、慌てた勝一郎は体当たりするような勢いでその扉ぶつかり、態勢を変えて背中を押し付けるような形で扉を支えにかかる。


「ぐ、お、お……、重った……!!」


 少しでも力を抜けば一瞬で扉ごと押しつぶされそうな圧力に耐えながら、勝一郎は改めて男との会話を放棄する。もとより勝一郎が得た力は荒事向きとは言い難い代物だ。ランレイを一時的とはいえ救出できた今、無理に男と戦う必要はない。会話が不可能とわかったならば、後に残される手段は逃走の一択のみだ。


「ランレイ!! こっちに来い。扉の中に隠れるぞ!!」


 扉は確認した限りでは勝一郎にしか開けられない。ならば一度扉の中に逃げ込んでしまえば、とりあえずの安全は覚悟できる。そんな思惑をもってして行ったランレイへの呼びかけに、しかしランレイは碌に反応しなかった。

 否、それどころか。壁にもたれるランレイの体が重力に敗北したかのように横倒しになり、力なく投げ出されたその手足がせめてもの抵抗とばかりにわずかに痙攣している。


「……は、はひ……? はらだに、ひはらは……!!」


「――なっ!?」


 呂律のまわらない声に自分自身で驚愕の表情を浮かべるランレイの姿に、勝一郎もまたわけがわからず絶句する。

 なんとか数秒かけてランレイの体に起きている症状を理解すると、同時に勝一郎の頭に一つだけ先ほど見た心当たりが浮かんできた。


 驚き、混乱する男がその手に浮かべていた、何かの液体をこぼす奇妙な魔法陣。魔法陣などと言う非常識なもの今まで見たこともない勝一郎だったが、しかし考えてみれば今こうして使われている放水のための魔法陣よりも、あの時の魔法陣は小さかったように思う。


(まさかあの時の液体、何かの薬か!?)


 もしもあの時、勝一郎が介入する直前まで男が行っていたことが、ランレイの首を絞める行為ではなく、あの魔法陣から生まれる謎の液体をランレイに飲ませることだったとすれば、今ランレイを襲っている体の異変にも多少想像できるものが有る。


「おいテメェ、ランレイに一体何を飲ませやがった!!」


「うるせぇぇぇぇえええ!! 魔術のまの字も知らねぇテメェらに話してわかる訳ねぇだろこの未開人どもがぁっ!!」


 勝一郎の追及にほとんど自暴自棄な答えを返しながら、男は勝一郎に向ける放水の勢いをさらに増加させる。対する勝一郎も見様見真似の気功術でなんとか扉を支えようと歯を食いしばるが、付け焼刃の技術ではろくな力の底上げもままならない。


(クソッ!! なんなんだこいつは……!! さっきから魔法だか魔術だか、よくわからない力を次々と!! これじゃあまるで本当にファンタジーの世界の――)


 胸の内で悪態とともに吐き出したものの中に引っかかるものを感じ取り、勝一郎の呼吸が一瞬止まる。さっきからもう一息というところでつかめずにいた答えにようやく手が届いたような感覚が、勝一郎の中に焦燥とともに産声を上げる。


(――ファンタジーの世界……!?)


 脳裏でもう一度言葉にし、勝一郎の中のその感覚が確信に変化する。なぜ今まで気づかなかったのかと、そう自信を問い詰めたくなるほど簡単な答えが、今勝一郎の目の前に存在していた。


(|二つじゃないんだ≪・・・・・・・・≫、|世界の数が≪・・・・・≫。俺のいた地球と、この世界だけじゃない。最低でもあと一つ、この異世界渡航に関わってる世界がある……!!)


 そう考えれば、あのロイドと名乗る男の正体にも推測が立つ。あの男は勝一郎と同じ異世界人、ただし、勝一郎とは全く違う世界からやってきた別口の異世界人だ。


(多分この件に関わっている世界は三つ、いや、下手をすればそれ以上。そしてその中のどこかの世界には、きっとこの件の原因になった世界がきっとある!!)


 否、それどころか目の前にいるこの男の世界こそが、それこそ二人がこの世界に来る原因になった世界なのかもしれない。勝一郎自身この世界に来る直前に見かけた、あの『魔法陣のように見える落書き』の存在を、今でもはっきりと脳裏に刻んで覚えている。


(見つけたぞ、有ったぞ手掛かりが!! 後はこいつから、なんとか話しさえ聞き出せれば――)


「ヒョウ、イヒロ……!!」


 結実しかけたその答えが、しかし直後に投げかけられた必死の叫びと、背後から迫る巨大な気の感覚によって寸断される。

 慌てて背後を振り返ってみればいつの間に生まれていたのか背後から圧力をかけてくる怒涛の水流とはまた別に、横合いから回り込むようにして迫る巨大な水の塊が、すでに勝一郎の目の前まで近づき、迫っていた。


「しまッ――」


 慌てて回避しようと考えるが時すでに遅く、迫る水塊によって勝一郎の体が瞬く間に飲み込まれる。

とは言え、たとえもっと前に迫る水塊に気付いていたとしてもどうしようもなかっただろう。男の放つ水流を扉で防ぎ支えなければいけない以上勝一郎は身動きがまるで取れない。仮にうまく扉の裏から抜け出す手段があったとしても、勝一郎が水流を躱せば水流が向かう先は何らかの液体によって身動きのできないランレイのいる場所だ。見ている限りでは致死性こそなさそうな水流ではあるが、だからと言ってそれを浴びせかけるのをよしとできる勝一郎ではない。


(なんだこの水……!! 泳いでも泳いでも出られない……!!)


 水塊から脱出しようと必死に手足を動かすが、そんな勝一郎の努力をあざ笑うように水塊は勝一郎の体を内包したまま浮き上がり、受け止める水流がなくなり倒れ込むように閉じる扉を飛び越え、徐々に上へ上へと移動を始める。

 まるで水中でもがく勝一郎の姿を見やすい位置に移動させるように、水塊が地上から一・二メートルの位置にまで上昇すると、勝一郎のいる水中からもその水を操る男の姿がよく見えた。


「どうだよぉっ!! これが文明だ!! これがテメェらには無ぇ文明の力だ!! 調子こいてんじゃねぇぞ未開人共ぉ!! たとえ神様じゃなくたってなぁ!! 俺がテメェらより上等な人間だってのには変わりないんだぞ!!」


(っ、こいつ……!!)


 下方で手元の魔法陣から水の線を水塊へと伸ばし、中の勝一郎に好き勝手なことを叫ぶ男に対し、勝一郎は理由のわからない怒りに囚われる。だがしかし、今の勝一郎にはその怒りの理由を考えるだけの余裕はない。


(ヤバい、この中、呼吸が……!!)


 ようやくその事実に気付いて慌てて右手で口を押さえるが、時すでに遅く、肺から失われた酸素は水中では二度と戻らない。


(ちくしょう!! 間違ってたっていうのか? 扉を開けたのは……。部屋から出たのは、間違いだったっていうのか……?)


 窮地に陥り、早くも弱い勝一郎の心に、先ほど下した判断への後悔が湧き上がる。


(――違う!!)


だが水によってかすむ視界の向うに、こちらを向く男とランレイの姿をとらえ、勝一郎は無理やりその考えを否定した。


(扉を開けたのは間違いなんかじゃない……!! 逆だ。俺は扉を“開くべきだったんだ”)


 直後、勝一郎の右手の甲に輪を噛む獅子が姿を現し、直後に勝一郎が苦しげに手の隙間から気泡を漏らす。水塊の中でもがいていた勝一郎の手足が力なく水の中に揺蕩い、唯一口元に充てられた右手だけが、その状態を保ったまま残される。

 それはどう見ても、溺れもがく力すら失った哀れな人間の姿だった。






 溺れ、抵抗する力を失ったその姿を見て、ようやく地上で水を操るロイドは安堵した。


「ハハッ、ハハハハ……。やっと溺れやがったかこの野郎!!」


 乾いた笑いをもらしながら、動かなくなった勝一郎の姿に安堵し、ようやくロイドは自身が操る魔術を解除する。

【偽・水賊監≪ディス・アクアリム≫】と呼ばれる、ロイドがほかの魔術を改造する形で術式を組上げたこの魔術は、その出自ゆえにとにかく余計に魔力を食らう。こうして役に立ってくれた上に正規の魔術の術式はロイドなどには知りようのない知識であるため文句こそないが、それでも必要もないのに長く発動していたいような魔術ではない。

 中の勝一郎が生きているかどうかはロイドにはわからない。生きていても死んでいてもどちらでも構わない、というわけではなく、むしろ突然現れた勝一郎を排除するために考えなしに攻撃したため、たとえ生きていても死んでいてもこの後ロイドは困惑することになるのだが、そもそもロイドがその困惑に直面する機会は訪れなかった。


 意識を失ったまま水から解放され、そのまま地面に落ちて動かないだろうと思われていた勝一郎が、実際には見事に地面に着地を決めてロイドめがけて走り出したことによって。


「ぇ、ぁ、ハァっ!?」


 数秒間、ロイドの思考が事態についていけずに硬直する。動けるはずがない。水の中に閉じ込めていた時間は常人なら間違いなく溺れてしまえるほどの時間だったし、仮に目の前の男が常人離れした肺活量を誇っていたとしても、あれだけの時間無呼吸でいれば解放された後もしばらくは動けないはずなのだ。

 だが現実問題、敵は着地を決め、雄叫びをあげながら突っ込んできている。ロイドは相手のその声にどうにか我を取り戻し、急いで先ほどの放水術式を準備した。


「クソッ、なんでだ――!!」


 悪態とともに放たれた激流を、勝一郎は反射的に横に跳んで回避する。できれば相手が驚いている隙に一気に距離を詰めてしまいたかったが、どうやら相手もそれを許すつもりはないようだ。


「――なんで動ける!!」


「――っぅ!!」


 勝一郎を追いかけて迫る激流から全速力で逃げ回りながら、勝一郎は口の中で微かな舌打ちを漏らす。

 まずいことに先ほど水ごと移動させられた際に、ランレイのいた場所からさらに距離を離されてしまった。男と戦うにしてもランレイを拾って部屋に逃げ込むにしても、この水流の魔法がある限りまともに距離を詰められない。

 激流から逃れてなんとか距離を取り直すと、自身に近づかなくなったことで多少落ち着きを取り戻したのか放水の魔法がいったん止んだ。

 勝一郎が急いで呼吸をとの柄ながらロイドの方を睨むと、ロイドの方も混乱に満ちた目で勝一郎を睨んでいた。


「……テメェ、なんで動ける? さっきので溺れたんじゃなかったのかっ!?」


「へっ、あんなの演技だよ演技。どんなもんだったよ俺のドザエモンっぷりは?」


「ふざけんなぁ!! 演技でエラ呼吸ができてたまるか!! テメェあん中で、いったいどうやって呼吸してやがった!?」


 理解できない出来事の連続に激昂するロイドに対し、勝一郎は内心の緊張をできるだけ隠して、表情筋にあらんかぎりの力を込めて不敵に笑う。


「さあな。

まあ一つ言えることがあるとしたら、扉を開いたのは間違いなんかじゃなかったってことだけだ」


 苛立つロイドを煙に巻きながら、勝一郎はロイドから見えない位置で、自分の“右手に作った小さな扉”をこっそり閉じる。


 勝一郎が作る部屋の中には“最初から空気がある”。


 この性質に勝一郎自身が気付いたのは不覚にも、水中で空気を求め、同時に弱気に襲われていたその直後のことだった。

 今まで部屋を作った際、当り前のように室内で呼吸ができていたため気にも留めてこなかったが、そうと気づいてしまえばとるべき手段は比較的簡単だ。

口に当てた手の平に小さな扉と部屋を作り、その中に口を突っ込んで部屋の中で貪るように呼吸する。飲んでしまった水でむせた際に若干空気が外に漏れてしまったが、それはむしろ直後の溺れたふりをするうえで有利に働いた。

 後は自力脱出できない水の牢獄が解除されるまで、勝一郎は死んだふりを続けながら掌の『息継ぎ部屋』で呼吸を続けていればいい。


「ったく情けねぇ。ちょっと逆境にぶつかるとすぐにブルっちまう。ヤバい状況に陥っても自分で何とかするより強い他人にすがっちまうような負け犬崩れだよ、俺も、お前も……!!」


 水中で内心に浮き上がった弱気を思い返し、勝一郎は自分の意志の弱さを自嘲する。

 今とて男の前に立っているのが内心では恐ろしくて仕方がない。目の前にいる男も相当な恐慌状態に陥っているのは見て分かるが、勝一郎の内心とてあまり人のことを笑えないような状態だ。


「だがなぁ、そんな俺たちだからこそ、やっちゃいけないことがあるだろうよ」


 その一方で、勝一郎の中には恐怖とは別に、自身を真逆の方向へと行動させる感情がある。

 さっきはその正体がわからなかった、ロイドに対する明確な苛立ち。奇しくも長いこと水につかって頭を冷やしたせいなのか、今の勝一郎にはその正体がよくわかる。


「こんな俺たちみたいなやつが、よりにもよって俺らなんかよりすごい奴を、無理やり下に見てあごで使うってそりゃあねぇだろうが!! こいつらは俺たちみたいなのが気安く見下して、踏みにじっていいような、そんな相手じゃ間違ってもねぇんだよ!!」


 この男の世界でこの魔法じみた力がどんな文明の産物かは知らないが、それを知らないというだけでこの世界の人間を馬鹿にしていい理由は無いはずだ。そんな自分よりも立派な相手を、どこか一つ自分がすぐれているところを見つけることで無理やり見下すようなまねは、いかに勝一郎でも自分に許しては来なかった。

 たとえ勝一郎がどれだけ自分の小ささに絶望していても、そんな恥知らずな真似だけは肯定したくはない。


「来いよ同類。今からテメェに先輩風吹かして、負け犬の作法を教えてやる!!」


 手に力を込めて不格好な構えを作り、勝一郎は腹に力を込めて啖呵を切る。

 握った拳のその上で、獅子の印が光を放つ。

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