10:Door To Door

「我がどう……、いや、ここは……。俺は……。そう、か……、だから……」


 暗い洞窟の奥底で、一人の男が思案に没頭する。目の前に広がるのは、明かりがないゆえの完全な暗闇、ではなかった。そうであるはずの手元には、しかし淡く輝く文字のようなものが浮かび上がり、時々その文字が消えて別の文字に書き換えられて男の前に存在し続ける。


「とりあえず明日はこれで……。後は、あの……をどうにかして……。でもそれには……、く……、雨の前に……、何とかここの奴らに……」


 ぶつぶつと、ぶつぶつと、男はほとんど聞き取れないような声でつぶやく言葉を口から漏らす。

 落着きなく、獣の皮のようなものが敷かれた寝床の上で男はひたすら輝く文字を見つめて思案に暮れる。男の声意外、何の音もない暗い洞窟。だがだからだろう。男がその中に生まれた、自分のものではない微かな音に気づくことができたのは。


「――っ、誰だ!?」


 怒声とともに暗い室内を閃光が貫き、男の左手に現れた『加護の光』が、音を立てた人物を照らし出す。


「――っ!?」


 暗闇の中で照らし出された少女が、光に目を細めながら息をのむ。少女の表情に一瞬だけ浮かぶ畏怖の色。だがそんな少女の様子など一切気に留めず、男はその姿を見た次の瞬間にはもう怒鳴り声をあげていた。


「な、なんだ、貴様ッ!! ここにはッ、誰も近づくなと言っておいたはずだぞ!!」


 上ずりそうな声を必死に制御して、男はすぐにでも少女を追い払いにかかる。

 対する少女・ランレイは、陰で様子をうかがっていたことが露見した瞬間こそ内心で動揺を覚えたものの、しかし自分程度ではそうもなるだろうとあっさりと割り切り、すぐに事前に考えていた行動へと思考を移していった。


「お休みのところ大変申し訳ありません。失礼であることは重々承知しておりますが、実は一つお願いしたいことがあってまいりました」


 片膝をつき、『神』に対して事前に勝一郎と相談して決めておいたそんな言葉を口にする。男としてどうかと思えるような部分が多い勝一郎だが、やはりこの『神』が彼と同じ立場の人間かもしれないと考えているせいなのか、今回の作戦立案には意外に積極的で、出される意見も妥当なものが多かった。いや、それどころか、今回のこの相手との会話運びはほとんど勝一郎の意見そのままで行うと言ってもいい。

 案の定、『神』は迷うような、恐れるような表情をわずかに浮かべた後、ランレイを照らしていた光を消して、壁の何か所かに作られたくぼみに設置された蝋燭に当然のように指先に灯した火を近づけながら、『申してみよ』などと震える声で告げてくる。


「はい。実は、今回の魔獣を狩るにあたり、“私が使う”弓にもあなた様の加護を授けていただきたいのです」


 実のところ自分でも意味の分からない要望を『神』に向けて告げながら、ランレイは慎重な手つきで持ってきた弓を『神』へと向けて差し出した。






 話の流れは、おおむね勝一郎が考えていた通りに進んでいた。

 最初の方こそ、こちらから声をかける前に向こうに発見されてしまったが、どのみち隠れて相手を監視するような回りくどいことはするつもりがなかったので、これ自体はさして問題にはなりえない。強いて言うならこちらから声をかけそこなったことで相手に警戒心を持たせてしまった可能性はあったが、今のところ相手はランレイを拒絶することなく会話に応じている。


 勝一郎が考えたこの『神』への探りの入れ方はいたってシンプルだ。“この世界の”神を名乗っている男に対し、“この世界の”人間でなければ分からないような形でカマをかける。

 具体的には、女性の参戦が禁止されているこの世界の教えを踏まえたうえで、女性であるはずのランレイが“参戦を匂わせたうえで”加護を懇願する。もしもこの男がこの世界の神であるならばランレイのそんな要請は突っぱねるところであろうが、案の定と言うべきか男は仰々しくうなずくと、いかにもな仕草で弓へと光を当て始めた。

 いたって予想通りの展開だった。この男が神様などではないことを、九十九パーセント以上の確率で確信していた勝一郎にとって、むしろこの男のテンパり切った“神様”としての演技はお粗末極まりないとすら言えるほどだ。


 だがそれだけ予想通りだったにもかかわらず、勝一郎の内心にあったのは激しい動揺の嵐だった。


「……なんだ? なんなんだこいつ……?」


 この男が神を演じるため、ランレイの要請を断れないだろうことは予想通りだった。

 この男がこの世界の教義を知らず、ランレイの言葉にあっさりと応じてしまうことは予想通りだった。

 この男が神などではなく、勝一郎と同じ別世界の人間だろうことも予想通りだったはずなのだ。


 だが予想外にも、この男の外見には、一目でわかるほど明確に、勝一郎たち地球人とは異なる明確な違いがある。


「なんなんだ、こいつの耳……」


 見た目の違いという意味でなら、この男などよりもこの世界の人間の方がよっぽど顕著だ。この世界の人間はみな肌にうっすらと鱗のような模様があり、その部分が勝一郎たち地球人との間に明確な差となって表れている。

 だがこの男にはそれともまた違う、明らかに勝一郎たちよりも長くとがった、まるでファンタジー作品のエルフのような耳が存在していた。

 そして、この男の特異性はそれだけではない。


「……なんなんだよ、こいつの使っている力は……!!」


 男が生み出し、ランレイとその弓に当てている『加護の光』。光それ自体に本当に加護などという力があるのかはさっぱりわからないが、そもそも電球も何もない場所でこれだけの光が存在しているというだけでも十分に不可思議な力だ。

 だがその根元、男の手と光の間にある、ランレイが『丸い線とか字』と証言していた“それ”。

 実際に目の当たりにして始めて分かった。淡く輝くラインによって描かれた円と、その中にいくつも書き込まれた線と文字。近くに来て、初めて自分の眼で見たことで、ようやく勝一郎はそれが何なのかを理解した。


「これ、いわゆる魔法陣って奴じゃないのか……? どういうことだよ……。この世界に魔法があるなんて聞いてないぞ……!!」


 この世界には気功術は存在しても魔法は存在しない。今まで勝一郎はランレイからもたらされたその情報を前提に動いていた。だからこそこの世界の人間にも理解できない不可思議な力と聞いて勝一郎は自分の『扉の力』と同種のものと予想したし、それゆえ勝一郎はこの自称『神様』も自分と同じ地球人なのではないかと予想していた。

 だがここにきて男の姿を至近距離で見ることになり、その思い込みは儚く脆く崩れ去る。


「……どういうことなんだよ……。この魔法みたいな力を、ランレイが知らなかっただけか? それとも見た目が変わってるだけで、使う力が魔法っぽいだけで、こいつも俺と同じ地球人なのか?」


 どちらも、まったくない可能性とは言い切れない。後者もそうだが、ランレイが知らなかっただけという可能性も、この世界で話に聞いた彼女たちの知る世界の狭さを考えればありえないとまでは言えない可能性だ。

 だがしっくりとは来ない。学校の試験で明らかに間違った答えを書いてしまったのに、どこで間違えているのかが分からないような気持ちの悪い感覚が、延々と勝一郎の中で渦巻いている。

 そして混乱する勝一郎をよそに、扉の外ではさらに予想外の方向に話が動きだす。


『――テ、テメェ、う、ぅぅぅ疑ってんのか?』


『「え?」』


『テメェのその目ェ!! 俺を疑ってんのかって聞いてんだよ!!』


 外のランレイとともに呆けたような声を漏らす勝一郎をよそに、外の男は感情的な声でそうランレイ目がけて怒鳴り散らす。

 わずかに遅れて徐々に事態を理解できてきた勝一郎が部屋の中で慌てるが、部屋の中にいる今の状況では外に何の影響も及ぼせない。


『その目だ!! テメェがさっきから俺を見るその目、てんで神様を見るような視線には見えねぇ。親父やお袋が俺を見るときの、ネズミの穴でものぞき込むような目にそっくりだ!!』


『ネ、ネズミの、穴……?』


 よもやネズミはこの世界にいないのか、詰め寄られたランレイがほとんど反射的に戸惑いの声を漏らす。

 否、彼女が戸惑っているのはそんな理由ではない。

 というかだれが予想できる。先ほどまで神を語っていた男が、自分から馬脚を現したあげく、それについて当り散らしてくるなどと。


(いや、っていうかまさかこいつ……?)


 困惑する勝一郎の思考が『もしや』というその可能性に触れかけたその時、そんな勝一郎のささやかな努力をあざ笑うかのように状況が動き出す。目まぐるしく動く世界の変化は、決して部屋の中の勝一郎を待ってはくれなかった。






「あなたはいったい誰?」


 暗い洞窟の奥底で、ランレイは自分を血走った眼で見据える男に問いかける。その正体について推測できるランレイのその声は思いのほか落ち着いたものだったが、対する男の方は問われた瞬間迷うようにその視線をさまよわせた。


「俺は、俺はロイド……、いや、そうじゃなくて、俺は、そう神様、いや伝道師で……」


 真実を告白するか、それとも本名を名乗るのかも決めかねたその様子で、ロイドと名乗りかけたその男はブツブツと何かを呟き続ける。

 すでにこの男の脳裏では、自分の正体をこれ以上偽るべきかどうかも判断しきれていないのだろう。それどころか混乱しすぎてまともな思考すらできていないようにさえ見える。


「落ち着きなさい。あんたが神様なんかじゃないのはもうわかったから。もう神様の真似なんかしなくていいの。それよりも――」


「……けんな」


「え?」


 言いかけたその時、ランレイの言葉の何に反応したのか、男が突然静かになり、低い声で何事かを口にする。ランレイがその変化に驚き、もう一度その言葉を聞き直そうとしたその瞬間、


「ざっっっけんじゃぁ、ねぇぞぉおおおお!!」


 突如として男の手元に突然巨大な文字と図形の塊が現れ、そこから莫大な量の水がランレイ目がけて襲い掛かる。息をのむ間もなく突如発生した激流に殴り飛ばされたランレイの体が暗い洞窟の中で一瞬だけ浮かびあがり、すぐに岩壁に激突する強烈な衝撃とともに動きを停止した。


「あ――、グッ!!」


 壁に叩き付けられた衝撃で胸の中の空気を意図せず吐き出すこととなり、ランレイが激突の痛みと呼吸の苦しみに喘いでいると、先ほどまですぐ近くで話していた男が、ランレイに向かって歩きながら、血走った目で何かを呟いていた。


「……けんじゃねぇ。ふざけんじゃねぇ、ふざっけんじゃねぇぞ!! 神様の真似なんてしなくていいだとぉ? いまさら何ぬかしてくれてんだよ!! テメェらが俺のこと神様だっつうから、こちとら必死こいて神様の真似ごとしてたんだぞ!! クソがッ!! 魔術と奇跡の区別もつかない未開人のくせしやがって!!」


だんだんと荒くなる声に危機感を覚え、ランレイはふらつく体にムチ打って立ち上がろうと足に力を込めるが、しかしその行為は体の重心を動かした直後に、再び押し寄せた激流によって阻まれた。

 冷たい大量の水がランレイへと襲い掛かり、踏みとどまろうとするランレイをたやすく押し倒す。

 再び壁に背中を打ち付けられて苦悶の声を漏らすランレイに対し、しかし水流は一向にその勢いを緩めない。むしろより一層勢いを増してランレイを壁へと抑え込み、押しつぶさんばかりの勢いでその体に圧力をかけてくる。


「う……ぁ、くぅ……!!」


「クソッ!! どうすりゃいい……。偽物だとばれたらどうなる……? クソッ! クソッ!! せっかく徹夜でそれっぽいセリフとか考えてたのに……!!」


 実際は見るものによってはその演技は相当にへたくそで怪しいものだったのだが、今の男にそんなことを判断できるだけの精神的余裕はない。

 彼が今認識している、自分の正体を知る厄介な存在はただ一人だけだ。


「……そうだ、こいつさえいなければ……」


 追いつめられて血走った瞳が、ようやく水圧による圧迫から解放されてへたり込むランレイへと向けられる。その目にはもはや冷静さなどかけらもなく、ただただ目の前の障害を排除したいという欲求しか残されていなかった。






「ヤバい……。ヤバいヤバいヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバい!!」


 あまりにも急激な展開を見せる外の様子に、ランレイのマントに作られた部屋の中で、勝一郎はただただ混乱していた。

 部屋の中にいる勝一郎に把握できるのは窓から見える限られた景色でしかないが、それでも外で何が起きているのかを把握するのには十分だった。

 だが外の状況はわかっていても、その状況に至るまでの見通しが甘すぎた。否、そもそも見通しそのものが、有って無いようなものだった。

 もちろん、勝一郎もこの場でこのロイドと名乗りかけた男を糾弾しない程度の分別はあった。この男がいったいどんな心境でこんな真似をしているかはわからないが、傍から見ればランレイと二人だけというこの状況で、男を下手に刺激すればどうなるかは想像に難くない。いくら勝一郎でもその程度の見通しはあったし、ランレイにも一応そのことを念押しし、事実の公表は他に人がいる状況で行おうと言い含めるくらいはしておいた。

 だが言ってしまえば所詮はその程度。というか、勝一郎の中で漠然としてあった男の正体暴露のイメージが、犯人を言い当てる名探偵と泣き崩れる犯人なのだから致命的だった。

 現実の犯人はあそこまで強かでもなかったし、あそこまで往生際がよくもなかった。


「クソッ!! これじゃあ外のあいつとやってることは同じじゃねぇかよ!!」


 恐竜を退治しようと望む村人をさらに焚き付けるこの『神』と、その『神』の正体を暴こうとするランレイの陰に隠れる勝一郎。細部の違いこそあれ度、甘い見込みと強いものへの甘えで他人を危険にさらしているという点では、この二人の行いはそっくり同じだ。

 いまさらのようにその事実に気が付いて、勝一郎はまたも自己嫌悪に愕然とする。危機的状況下においてその人間の本質が現れるとするならば、勝一郎の本質は最低以外の何物でもない。

 そして最悪なことに、今この場には最低の人間がもう一人いる。


『……そうだ、こいつさえいなければ……』


「な――!!」


 続けざまに、外から聞こえてきた不穏な声に、勝一郎の背筋が冷たい感覚に襲われる。

 そんなまさか、という感情が反射的に湧き上がるが、勝一郎はすでにここに至るまでにその感情が何の役にも立たないことを知っていた。


「逃げろよ……、早く逃げろ……!!」


 部屋の中ではどれだけ叫んでも届かないと知りながら、勝一郎は乾いた声で祈るようにそう言葉を口にする。

 だが現実問題外のランレイが自力でこの場を離れることができないのは部屋の中からでもわかった。扉の窓から見える外の光景は水によって完全に滲んでおり、今もこの部屋のあるマントを着たランレイが水によって抑え込まれていることが嫌でもわかる。


「いや……、そうだよ。なに言ってんだよ……。俺が、俺が自分で助けに入ればいいじゃん」


 唐突に思い付き、勝一郎はそのまま扉の取っ手に手を伸ばす。勝一郎の指先が何の考えもないまま取っ手に触れ、


 瞬間、開いた扉の向うから、竜の顎が飛び出して勝一郎の全身をかみ砕く。


「――っ!!」


 浮かんだ巨竜のイメージに声にならない悲鳴を上げ、勝一郎は扉から一歩二歩と距離をとった。

 自分の目の前を凝視し、震える手のひらを見直して、ようやく勝一郎はそれが幻覚の類だったことを理解する。


 あの化け物が今ここにいるわけがない。あの化け物がいるのはあくまでもあの森の中で、今のこの洞窟にいるはずは絶対にない。その事実をどうにか自分に言い聞かせながら、しかし勝一郎は別の事実にも気が付いてしまった。


 ――この一度は神すら名乗っていた男が、あの巨竜に匹敵する脅威ではないとなぜ言い切れる?


 この神を名乗る謎の男は、勝一郎の眼から見ても相当に情けない人間だ。だがそれは、あくまで人格的なものであり、精神的なものであり、強さという意味ではない。むしろ強さという意味では、この男は魔法じみた力を使っている分脅威ともいえる。

 そしてそんな場所に、いくら特殊な力を手に入れているとはいえ、逃げ隠れすることしか能のない勝一郎が出て行ってどうなるというのか。いや、そもそもの話、たとえ相手が魔法使いの類でなかったとしても、まともな喧嘩の経験もないごく普通の少年でしかない勝一郎がこんな相手に戦いを挑んで勝てるのかという問題すらある。


(そうだ……。俺にできることなんて何もない。出てったって、足手まといになるだけだ……!!)


 そんな答えを導き出し、その次の瞬間それによって得られた感情に気づいて勝一郎はハッとする。

 ホッとしていた。

 認めたくないという感情が必死で塗りつぶそうとするが、一度気づいてしまったらもう否定することなどできはしない。たった今勝一郎は、自分が外で起きていることに関わる理由がないと結論付けてホッとしていたのだ。


「……クソッ!! クソッ!! クソッッ!! ちくしょうっ!! 俺って奴は!!」


 何度目になるかわからない自分への幻滅に、勝一郎は床を殴りつけ、続けざまに悪態を吐き散らす。

 この世界に来るまでは、自分がこんなちっぽけで、卑怯な、負け犬染みた臭いのする奴だとは思っても見なかった。普段の自分の踏ん切りの悪さを自覚しながら、それでもいざとなったら、それこそ物語の主人公のように動くべき形に動ける奴だと、自覚も臆面もなく、無意識に無自覚にそう信じ切っていた。

 そういう奴でありたいと、願っていた。


「……あ、理想の、自分……」


 『かくあるべしと自分に言える、こうでありたいと自信に願う、そんな理想の自分』。『どんな運命にも左右されない確固たる自分』。ランレイに投げかけられ、ずっと答えられずにいたその問いかけが、頭の中によみがえる。

 『自分はどんな奴でいたいのか』。ずっと見つからずにいたその答えが、今露わになってそこにある。

 同時に、扉の外からくぐもったような悲鳴と、苛立つ男の声が耳に届き勝一郎は床に手をついたまま扉の外を見上げる。

 本物よりも小さい教室扉の外に見えるのは、先ほどの男の胴体部分。なにをしているのかは室内から見えない。だが外のランレイが、それこそ最大級の危機的状況にあるのはどう見ても明らかだった。

 そして、今の勝一郎にとっての動くべき形も。


「……そうだ、俺は……」


 ずっと一歩を踏み出せず生きてきた。いくつも扉のある部屋の中に居ながら、ずっとそこから出ないように生きてきた。


「――ああ、そうだ!! 俺は――!!」


 だがだからと言って部屋の外に、扉の向うにあこがれなかったわけではない。

 むしろ扉の窓からのぞくその先には、その先にいる者達には、勝一郎はいつも憧れすら抱いていた。

 そして今、部屋の外へと一歩を踏み出すならば今を置いて他にない。


「俺は――、扉の外への一歩を、踏み出せる奴でいたいんだ……!!」


 決意を固めて、再び勝一郎の手が扉に伸びる。

 伸ばされた手は今度こそ取っ手を掴み、扉が思いのほか軽く、軽く滑らかに動き出す。



 その瞬間、再び扉は開かれて、その向こうにある男の顔面に勝一郎の拳が突き刺さる。

 開いた扉の外と踏み出すために。

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