9:Back Door

 ランレイという少女の、その人柄や性格について、こういってはなんだが勝一郎は今まで深く考えたことがなかった。

 この世界に来てからという物、勝一郎の頭を悩ませ、脳細胞のリソースを常に割き続けていたのは、そのほとんどがこの異世界と、自身の扉の力に対することであり、そのほかのこと、たとえばかかわる人間の心境などについてはほとんどないがしろにし続けてきたのだ。

 もっとも近くにいた人間でありながら、それどころか、この世界に来てから唯一会話を交わしている人間でありながら、これまで勝一郎はランレイという少女の人格を、表面的にしかとらえてこなかった。

 その真意を探ろうとさえ、思わなかった。


「今にして思えば、よく見捨てられなかったものだよな……」


 過去の自信の行いを振り返り、その惨状に一通り悶絶した後、勝一郎は改めてそう思う。

 今日一日、村の様子を見ていて実感した。この世界は勝一郎がいた日本ほど甘くはないことを。

 これまで勝一郎は、自分でも理解しきれないほど、多くの物に守られてきたのだろう。それはたとえば親だったり、社会だったり、法律だったりと、それこそ形も効力も様々だっただろうが、それでもこれまでの人生が何かによって当然のように守られ続けてきたのは明白だ。


 勝一郎自身、それが悪いことだとは思わない。ただ、この世界においてまでそれを当然と考えるのは、いささか以上に考えが甘かったとは思う。

 もっと言えば、危機意識が圧倒的に足りなかった。

 自称神様の演説に二度目はなかったが、その分勝一郎は今日一日で始めて、扉越しにとは言えこの村の生活の様子を目の当たりにすることとなった。


 武装して森へと入り、巨竜を捜しながら、村で使う必要物資を持ち帰る男達。

 男たちが持ち帰った物資から、村で使う生活用品を作り出す女たち。

 力仕事で体を鍛え、剣や槍を振るって戦士となるべく研鑽を積む少年たちに、成人した女たちに教えられて、簡単なものから村で使う道具を作る少女たち。


 この村では年齢や性別を問わず、まだ幼い子供たちでさえも村のために働くことを求められている。それは勝一郎ほどの年の少年たちでも同じことで、むしろ勝一郎ほどの年の男ともなれば、危険な森に出て、彼らが魔獣や悪魔と呼ぶあの恐竜のような生き物を狩り、その肉を含めた森で得られる様々な資源を持ち帰ることが当然のことらしい。


 ついでだったので、以前から気になっていたことを聞いてみた。

 『この村の外、この国はいったいどうなっているのか』と。

 それに対するランレイの答えはある意味簡潔だった。

 『クニって何?』である。


 愕然と、させられた。

 どうやらこの世界における人間社会は、村こそが社会の最小単位であり、同時に最大単位でもあるらしいのだ。

 一応、ほかにも村はあるらしい。そもそもこの村も、二十年ほど前に別の村から分離独立する形で生まれたもので、その村の人数が増えすぎたがためにこうして新しく村を作れそうな場所を探し出し、新たな村が生まれたというのだ。その村とは今でもたびたび交流があるらしいが、それでも多くて年に数回、必要な物資を交換するだけの間柄なのだという。

 おそらくこの世界の人類は、そうやって村が分裂を繰り返し、時に滅びたりしながらささやかに生き延びてきたのだろう。勝一郎の認識において、自惚れを抜いても世界で最も強い生き物は間違いなく人間であったが、恐らくこの世界では人間よりも強い生き物がたくさんいるのだ。

 地球などよりもはるかに厳しく、そして強い社会性が求められる世界。

 そんな中で勝一郎は、今までいったいどういう風に振る舞ってきたか。


「……ホント、よく見捨てられなかったもんだよ」


 思考が元の場所へと立ち返り、勝一郎は何となく右手を眺めたまま、先ほどと同じようなセリフを繰り返す。

 もちろん、勝一郎が今まで生き延びてこられた、見捨てられなかった理由として、今この右手に宿っている扉の力が大きく影響しているのは確かだろう。この力が生み出す隠し部屋という不可思議な空間は、みすみす手放すにはあまりに惜しい力であるはずだ。

 ただ、もしもこの力が勝一郎に宿っていなかったとしても、果たしてランレイが勝一郎を見捨てるようなまねをしたかどうかは疑問だった。

 もちろん、この扉の力があったからこそ、最初に『烙印持ち』と間違えられて襲われた際にも和解の糸口が見いだせたという事実はある。

 ただ、もしも別の理由で、それこそ勝一郎が何の力にも目覚めずに、それでも何らかの方法でランレイの誤解を解くことに成功していても、何の力も持たない無力で馬鹿なただの男としてランレイと出会っていたとしても、もしかすればランレイは何らかの手段で勝一郎を助けてくれていたのではないだろうか。

 思春期の男子のおバカな自惚れでもなんでもなく、ランレイという一人の少女と僅かばかりでも付き合いのあった人間の一人として、勝一郎はそんな考えを抱いてしまう。


「行ったみたい。開けて」


 と、そんな漠然とした思考に没頭していると、扉の外から当のランレイの声が聞こえて現実へと引き戻される。

 この部屋の中にいるとついつい考え事が多くなるな、などと考えながら扉を開けて手を伸ばし、その外にあるもう一枚の扉を開けて手を戻す。

 すると勝一郎が扉を閉めると同時に、ランレイが今まで潜んでいたマント部屋から外へと這い出し、素早く自分が潜んでいたマントを抱えなおすと、自分が着る勝一郎が潜むもう一枚のマントの内側へと隠して目前の洞窟に向かって走り出した。


「っていうかこれ、別にマント一枚でもよかったんじゃ……」


 実際に行ったことで、何となくマントを二枚用意した意味がないのではという考えが湧きだし、勝一郎は誰にも聞こえない室内でそんなことを呟く。

一応の利点としてこの寒い中ランレイがいちいちマントを脱がなくてもいいというものはあるのだが、いざというときに部屋に隠れる際の労力で考えたらランレイがマントを脱いで、その中にいる勝一郎が扉を開けて中へと招き入れるのと、ランレイが持っているマントを広げて、勝一郎が部屋の中から手を伸ばしてもう一枚のマントの扉を開くのではあまり大差がない。


「……いや、利点が全くないわけじゃないか」


 たとえばそう、何らかの形でマントの部屋に入ることができず、ランレイが部屋もろとも見つかってしまった場合でも、勝一郎まで見つからなくて済むという利点が、確かにあるのだ。


「……世話になりっぱなしだよな、俺」


 実際、見つかったときのリスクが勝一郎の方が圧倒的に高いのは厳然たる事実だろう。勝一郎を匿い村に引き入れていた事実はランレイにとっても良くない事態を引き起こすだろうし、ランレイだけならたとえ途中で見つかってもまだいいわけが効く。

 ただ、そういった打算を抜きにしても、ランレイは同じ行動をとったのではないかという考えが、今の勝一郎の中には確固たる根拠とともに息づいている。

 そもそも、人のいい少女なのだ。

 確かに乱暴ではあるし勝一郎へのあたりは厳しいが、それは今にして思えば勝一郎の側にそうされるだけの理由があったように思える。

 なんだかんだと言いつつも、ランレイはこの厳しい世界で勝一郎の生存を手助けし、聞かれるがままに村のことを話し、勝一郎を村の一員として受け入れてもらうための算段までしてくれている。

 本人は言わなかったが、今回件の神様の正体を探っている理由にしても村に住む男たちの身の安全を気遣ってのことだし、もしもこの神様が勝一郎と同じ境遇の人間だとしたら、勝一郎が自分の世界に変えるための手掛かりとなる公算はかなり大きい。

 ランレイがそこまで考えて、今回勝一郎を連れて神のもとへと向かっているのかは、実際のところ定かではない。

 ただ、考えていたら実行しそうだというのが、ここ数日ランレイと付き合ってきた勝一郎の正直な感想だった。


「甘えっぱなしだな、ほんとに……。なっさけね……」


 部屋の外を窓からのぞくと、明かり一つない暗闇だけがそこにあった。不可思議なことに勝一郎の作る扉は、閉じた状態ではたとえ扉に窓があったとしても外に光を漏らさない。神のいる寝所に忍び込むというとんでもない隠密行動を行っているランレイは明かりをつけて他人に見つかる訳にはいかないため、そういう意味ではこれは好都合と言えるかもしれないが、逆に言えばこの暗闇の中をまったくの明かりなしで進まなければならないのだ。

 だというのに、少なくとも外にいるランレイの動きには、特に淀みは見られないようだった。

 おそらく夜に村を抜け出すことを日常的に行っていたために、暗い中でも動くすべを身に着けているのだろう。夜に一応の見回りをしているという戦士たちも、村人全員が顔見知りで内部に敵を見出していないせいか、隠れなければいけない事態も先ほどのたった一度だけで済んでしまった。警備体制としてそれでいいのかと思う一方で、彼らが警戒しているのがほとんどが顔見知りの村人ではなく村の外にいるらしき魔獣やら悪魔やらなのだと考えれば妙に納得もしてしまう。

 まあ何はともあれ、目的地には意外にあっさりとついてしまった。


「これが噂の……」


 窓の外、ランレイに教えられた洞窟がかろうじて星明りに照らされて口を開けているのを目の当たりにしながら、勝一郎は緊張によって嫌な鼓動を刻む心臓を右手で抑える。

 自分ではほとんどすることがないとわかっていながら、それでも勝一郎はどうしてもこの嫌な緊張から逃れられない。

 おそらく自分は根本的な部分で、“状況を動かす”ということに拒否感を抱いているのだろう。その状況を良くにせよ悪くにせよ『動かす』という行為に踏み切るという勇気がないものだから、常に勝一郎は自分以外の誰かがその状況を変えてくれるのを待っている。

 自分の卑屈さが嫌になる。そして同時にあこがれる。自分のするべきことを見定めて、それに向けて迷いなく進めるランレイの強さに。


「ブレることのない、確固たる自分、かくあるべしと自分に言える、こうでありたいと自信に願う、そんな理想の自分か……」


 運命を受け入れるにはそういうものが必要なのだと彼女は言った。彼女の在り方は運命を受け入れるという姿勢とは正反対の、むしろ流れに逆らうようなありかたではあるが、それでも彼女がそうして“確固たる自分”を己の中に持っていることは、はたから見ても明らかだろう。きっとその価値観は、ぶれることなく彼女の根底にあるはずだ。


 たいして自分はどうなのか。勝一郎は暗闇を、その手前に移る自身を見ながら考える。

 “確固たる自分”などありはしない。では“理想の自分”はどうなのか?


(俺はどんな奴で、いたいのか……)


 蟻の巣のように入り組んだ洞窟を、ほとんど明かりがないというのに神のいる部屋へ向けて迷いなく進むランレイの足取りを眺めながら、勝一郎は部屋の中でそんなことを一人黙って考えていた。

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