投げたボール(俺)

時流話説

第1話 振りかぶられて

 俺は田中雅鷹たなかまさたかの腕から投げられるボールだ。


 これから投げられる。

 今、彼が振りかぶった―――つまり彼の右腕の中の俺は、振りかぶられている―――この男に。

 彼は身長182センチ、体重78キロ、高校生のピッチャーとしては十二分に優れたフィジカルだ。

 まったくもって、申し分ない。


 何故俺は彼に投げられるのか、理由を深慮するのはあまりにも野暮やぼだ―――ボールは投げるためにある。

 俺は投げられる、故に俺は在るのだ。

 地球がなぜ回っているのかと尋ねてきた幼稚園児に、上手い返事を返せなくても恥じることはない。

 地球は回っているし、俺はただ投げられるだけ。

生産者は、そう願ったのだ、思ったのだ。


 昨今の体育館ではボールを蹴るのは禁止であるというルールがあるようだが、あれについては専門外だ。

 そんなものは知らん。



 かといって、すべての事象に関して無関心でいられるわけもない。

 当然、俺を投げる人物、そのパーソナリティについては、気になってしまうものである。

 投球に関わる場合もあるのでな。


 この男はクラスのとある女子に恋をしている。

 美しい人間。

 美しい人間なのだろう、その女性は―――、俺は人間の容姿について全く造詣ぞうけいがないので、わからないが。

 ―――完全な円は美しいと思うがね。

 俺を握る指から伝わり漏れてくる、彼女への想いから美しさを推察するしかない。


 どれくらい好きなのか。

 彼の所属する野球部が甲子園に出場した暁には、この男は彼女に告白する気でいる。

 愛の告白。

 青春そのものだ。

 素晴らしい。

 とうとい。

 いや、幻想だ。

 何もかもが。

 仮にこの男が甲子園でベストフォーに入ろうが優勝しようがドラフト一位になろうが、もしくは東大に入ろうが、金メダルを取ろうが、何らかの理由を必死で考えて「まだ俺は彼女と結婚するに値しない男である」と自分に言い聞かせ、彼女とは近づかない。

 女とすれ違うだけでも強烈な動悸を催し、逃げるように歩き去るだろう。




 ボールおれに。

 俺に脚があったら、あったならばこの男のケツをばしんと力いっぱい蹴ってやりたいところだ。

 だが、悲しいかなボールは脚を持たない。

 この世界は色々と不都合が多い。

 彼は今、レギュラーに慣れるほどのチカラは持っているが、彼がとても弱い人間であることを俺は知っている。




 風を切り裂き、飛んでいく俺。

 俺は今、風を切っている。

 風の音が繊維を撫ぜる―――。


 俺に編み込まれた繊維で、セーターが一着編めると部員の誰かが言っていた。

 俺は手編みのセーターが、あれが何を想って着られているか、その気持ちは露ほども知らない。

 知らないし、かりに丁寧に説明を重ねられたところで、理解ができるか、はなはだ疑問だ。

 恋愛もわからん。

 この男が女にうつつを抜かすのは勝手だが、俺を投げる際にいらん感情が混じるのは御免である。

 色々な矛盾を抱えながら、俺はわずかに回転をかけられながら飛んでいく。




 今の俺の球種はストレートだ。

 球はまっすぐ、まっすぐ飛ぶだけだと思われがちだが、俺の意識は、視界はめまぐるしい。

 ストレートでも、回転はかかっている。


 意外と知られていない事実だろうか?

 マウンドから投げられバッターにたどり着くまでに、二十回転ほどしなければいけない。

 変化球で敵チームを出し抜いたとき、バットの野郎の悔しそうな風切り音も捨てたものではない。

 それに混じる、両チームの、その家族の声援も。





 何千回何万回と繰り返して投げられた投球ではあるが、俺はこの、俺の軌道について疑問を持たない。

 持ったことはあるが、持っても無駄だと、千回くらいの時に思い始めた。


 まぁ―――いい感じの時とミスったなこりゃ、というときはあるのだが、その時になってみないとわからない。


 俺はキャッチャーの手に吸い込まれていくだけである。

 そうだ、俺がたどり着くべきはバッターではなく、キャッチャーミットなのだ。

 それは訂正しなければなるまい。

 グローブの影の中に吸い込まれて行こうとしたその時、意図せずして達した。




 俺は大空に打ち上げられ、鳥のように野球場を俯瞰した。

 マウンドに立っている男が、口を開けて俺を見ている。

 くちびるの中から中途半端にのぞく歯が情けない。




 ちぃ、迷いを混ぜるからだ、ばかものが。

 しかし、こうなっては仕方がない。

 野球場の外には、どぶ川がある。

 あちらには落ちたくないなと、俺はそんなことを想って意識を閉じた。

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