dead.18 エピローグ

 顛末を語ろう。


 まず、女子高生二人を連れて店から逃げ切った横谷が、駆けつけた警察に保護された。しかし、横谷は何を聞かれても呆然とし、答えられる精神状態には無く、女子高生二人が警察に「テロみたいなのが起こって、伝染病みたいな状態で、みんなおかしくなってて、意味わかんないみたいな! チョー怖かったし! うあああああん!」と泣き叫びながら説明し、ゾンビのことは伝えられず、すぐに店は包囲され、二時間後には機動隊が突入した。

 これは後で分かったことだが、ショッピングセンター内で孤島のように隔離された複雑な作りが幸いし、被害は外には広がっていなかった。

 続いて、トイレから出てきた店長の関が、店の惨状と、警察に泣きながら事情を説明する女子高生、生気を失った横谷に驚き、警察に事情聴収を受けた。彼はとっさに口裏を合わせ、トイレで他の客とともにテロ集団に襲われた、自分は逃げおおせたが、他のお客様が犠牲になった、こんな私は店長失格だ! しかし、自分は生き残って早く助けを呼ばなくてはと心に誓い、命からがら逃げ出してきた! と一世一代の演技で乗り切った。

 女子高生の話から、機動隊は完全防備で突入し、大量の催眠ガスでゾンビを眠らせ、店内で生き残っていた人々を救い出した。


 横谷、女子高生二人、関を除いた生存者は七名。


 最初に、レジの陰に逃げ込んでずっと隠れていた客が三名救出された。

 次に、崩れ落ちた本棚の下から、奇跡的に二名の店員が救出された。勅使河原と西原である。

 彼らは、本の山の中で、群がってくるゾンビの口に厚めの文庫本を突っ込み続け、最後まで噛まれることなく生き延びていた。

 勅使河原曰く、「ちょうど手元に、講壇社の『驚愕堂シリーズ』があって助かりました。あれは分厚いですからね。『毛量の箱』とか」

 西原曰く、「私も運良く、手元に落ちてきたのがライトノベルの特に分厚いシリーズだったの。『境界線上の保冷材』とかね」

 勅使河原と西原がゾンビパウダーのことを話したが、錯乱していると判断され、警察にも機動隊にも一顧だにしされなかった。

 最後に、バックルームで性行為に及んでいた店員二名が救出された。佐治と矢野である。

 機動隊が突入した時、催眠ガスが充満する中、二人は夢見心地でエクスタシーに達していた。めちゃくちゃセックスした後、めちゃくちゃ怒られた。

 佐治は、ゾンビ化せず、すぐに病院に運ばれ一命を取り留めた。ゾンビ化しなかったことを佐治は愛の奇蹟だと思い、ますます矢野に惚れた。まあ、童貞があんなテクニックやこんなテクニックを受ければ、その女性に夢中になってしまうのも詮無きことだろう。

 種を明かしておくと、ジョークグッズだったはずの“君だけの特製ゾンビパウダー”が『処女の鼻血』によって本物のゾンビパウダーになってしまったのと同様、何故かトイレ用洗剤が対ゾンビに効果的だったのと同様、人類には解明できないメカニズムでゾンビ化を解除する成分が、あるものに含まれていたのだ。


 それは、『非処女の愛液』である。


 ゾンビ化が進んでいる最中に『非処女の愛液』が佐治の体液と混じり合うことによって、佐治はゾンビ化を免れたのである。もちろんそんなこと、佐治は知らない。矢野も知らない。誰も知らない。

 だから彼らは、それを愛の奇蹟だと思った。

 矢野がコンドームを使わないビッチで本当に良かったと言う他無いだろう。


 ※※※


 生存者の救助や、死体搬出が進むにつれ、原因不明の成分の存在が明らかになった。その過程で政府、いやその背後にあった斜陽の大国の命令で、ゾンビは秘密裏に処理された。しかし、このことは隠蔽され、秘匿され、握りつぶされた。ゾンビ化した人もすべて、一律に「殺害された被害者」として発表された。

 この事件は、九十五年の地下鉄サリン事件以来の、大規模な生物兵器を使った国内テロとして報じられた。最終的には、犯人は中東系のテロ集団と報じられ、これをきっかけに日本の右傾化はより一層進むことになるのだが、それについてはここで語るべきことではないため省略する。

 リビング鉄道書店・炉目呂駅前店及び、生存したスタッフたちに対しては、ほとんどの客を救えなかったというバッシングよりも、不幸な事件に巻き込まれながらも最後まで客を救おうとしたとして、同情や英雄視する声の方が集まった。原因不明の成分の存在を隠すため、政府がそうしたメディア操作をおこなったのだが、これについても語り始めるとキリがなく、また横道に逸れるため、ここでは省略する。なお、被害者遺族による長年に亘る裁判についても、同様に割愛する。


 ※※※


 テロ事件の一週間後、近隣に住む薄毛の中年男性の死体が川で発見された。泥酔して川に落ちたとして、新聞のごくごく片隅を一日だけ飾ったが、誰も気に留めなかった。

 また、テロ事件の三ヶ月後、分冊百科シリーズの老舗であるディアゴッドディスティニー社が倒産した。出版不況の折、こちらも大きなニュースにならず、すぐに忘れ去られた。同版元の商品はすべて、徹底的に回収・断裁され、現在ではほとんど入手不可能となっている。


 ※※※


 情報操作で世間から英雄視されたこともあり、リビング鉄道書店・炉目呂駅前店は閉店しなかった。

 事件以来閉鎖されていたが、半年後の翌年一月一日よりリニューアルオープンした。リニューアルオープンには、『テロに負けない国・日本』のアピールとして、時の防衛大臣が駆けつけ、店長の関とともに記者会見に応じた。

 関は、政府から渡された札束付きの脚本通り、自分と勅使河原が協力して客を救ったと美談に仕立て上げ、その結果、関と勅使河原は新聞の書評などにも名を連ねるカリスマ書店員となった。

 特に勅使河原は、そのルックスが受け、一部のサブカル女子からアイドル的な人気を博した。死地から奇跡的に生還した『ゾンビ書店員』という、皮肉な愛称でもって。

 その愛称について勅使河原本人は、「あまり趣味が良いとは言えませんね……」という控えめなコメント以上のことは、何も語っていない。

 西原は、何事も無かったかのように、今も変わらずリニューアルしたリビング鉄道書店・炉目呂駅前店のレジで、ビッグママとして鎮座している。時給、二百円増。

 佐治と矢野は事件の後正式に交際を始めたが、付き合ってみると、さまざまな男性とワンナイトラブを繰り返す矢野の奔放さに耐え切れず、佐治が心を病み、半年で別れた。

 そのまま佐治は失恋のショックから立ち直れず、大学を辞めて実家に帰った。彼がこの後立ち直り、別の女性を愛せるようになるまで八年の歳月を要するのだが、それもまた別の話。


 矢野は佐治と別れた後、姿をくらましたが、書店がリニューアルオープンして二年ほど経ったころに、ひょっこりと西原の前に現れた。


 ※※※


 休憩に出た西原が、別館と本館の間の中庭で弁当を広げていると、その時間に西原がいることを知っていたかのように、突然、矢野は現れたのだった。

 簡単な再会の挨拶の後、矢野は単刀直入に本題に入った。

「西原さん、あれ、本当にゾンビだったと思ってますか?」

 西原は、タコさんウインナーをつかみかけた箸を置き、答えた。

「……今じゃ分かんないわよ、そんなこと。ひどい事件は忘れるって私は決めたの。そうしないと生きてけないでしょう? ……それより、あなた今どうしてるの?」

「あの事件の時、私たち偉い人に色々言われたじゃないですか……、口止めっていうか」

「んん、そうね……」

 西原は口ごもった。口止めされているから、だけでは無い。本当に忘れたいのだ。しかし、この書店を離れることもできない。それが自分でも不思議だった。

 そんな西原を見つめた後、不意に矢野は言った。

「私、ビッチじゃないですか」

「は? まあ、そうだったみたいね。でもいいんじゃない? 私も若いときはさんざん遊んだし、佐治君のことだって仕方無いことだと私は思うわよ」

「実は私、今、あの時に知り合った政府の偉い人の秘書……っていうか、愛人の真似事みたいなこと、してるんです」

 そう言って笑う矢野を見て、西原は背筋が寒くなった。


 この子は、一体、何をしに来たのだ?


 西原は、やっとのことで口を開いた。

「へえ……そりゃあ、たくましいわね」

 自分でも声が震えたのが分かった。

「ですよね。……だから、色々知ってるんです。本当は何があったのか、そしてあの後、どんなことがおこなわれているのか」

 二人は黙った。

 遠くから、ショッピングモールの迷子放送が聴こえる。


 ――青いリュックで、六歳の男の子、お名前は…………くん、……――


 その途切れがちに聴こえるスピーカーの音を、西原は耳で追っていた。しかし、しっかりと聴き取ることはできなかった。


「知りたくないですか?」

 矢野は言った。


 間があって、西原は答えた。


「いらない」


「――そうですか。良かったです」

 矢野はそう言って一礼すると踵を返し、それ以来、誰の前にも姿を見せなかった。

 西原はその日、それ以上何も食べることができなかった。


 ※※※


 ――数年後。


 あの事件が、もう随分昔のこととして、少しずつ少しずつ風化していった頃。

 日本のある地方都市の小さな書店で、河合衿子という少女がアルバイトを始めた。

 衿子は高校を卒業したての十八歳で、これまでほとんどアルバイトの経験は無い。ずっと本が好きだったから、どうせなら好きなものに関われる仕事を、と思って始めたのだ。

 不慣れなので失敗も多かったが、十歳ほど年上の先輩が丁寧に教えてくれるので、毎日働くことが楽しかった。先輩はとてもおとなしい人で、休憩時間はいつも一人で本を読んでいる。最初は近寄り難かったけど、思い切って話しかけると、とても優しい人だと分かった。仕事以外に、最近ではオススメの本を貸し借りし合ってもいる。

 今日は、夏の文庫フェアを展開する日。

 衿子は、去年まで何気無しに本屋で手に取っていた「○○社 夏の百冊」というコーナーを自分が並べるかと思うと、とても興奮した。

 なんだか私、本屋さんらしくなってきたかも。

 そう思いながら、エプロンを結ぶ。

 売場に行くと、もう先輩が本を並べ始めていた。

「先輩、おはようございます!」

 元気良く声を掛けると、先輩が振り向いた。

「おはよう、えりこちゃん。今日も元気いっぱいだね」

 そう言う先輩の顔はとても優しい。だけど、先輩はいつもどこか寂しそうだ。衿子は呑気に、こういうのって大人の女の人の魅力なのかな? とそんなところにも憧れていた。

「えへへー、文庫フェアを並べるの楽しみだったんです! ……あ、この本もフェアに入ったんだ! 古い有名なSFですよね」

 衿子が言うと、先輩は少しだけ驚いた顔をした。

「よく、知ってるね」

 先輩はいつも、少ししか感情が顔に出ない。対照的に、衿子は思っていることがすぐに顔に出てしまう。

「横谷先輩が色々教えてくれたからですよ~。なんだか私、自分が最近本屋さんらしくなってきた気がします!」

 衿子は、花の咲いたような笑顔でそう言った。


 その笑顔を見て、先輩の――横谷の頬に、我知らず涙が零れた。


「先輩?」

「あ、ごめん……、えと、花粉症なの」

 そう言って横谷は、ハンカチを取り出して後ろを向いた。



 ごめんなさい、だろうか。ありがとう、だろうか。それとも、許してください、なのだろうか。

 私は、あなたに何て言えばいいんですか。大野さん。



 それでも。


 私、それでも、本屋さんの仕事、好きです。

 あんなに怖い目に遭っても、本屋さんでいたい。

 本が、好きです。

 あなたが教えてくれた、この仕事が好きです。


 横谷は、涙を拭いて顔を上げた。

「ごめんね、もう大丈夫。うん、きっと、もう大丈夫」

 そう言って横谷は、フェア用の棚に、衿子が手渡してくれたSF小説を面陳列した。


 本のタイトルは、『地球最後の女』だった。



〈「書店・オブ・ザ・デッド」 了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

書店・オブ・ザ・デッド 野々花子 @nonohana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ