恋のパラドックス
綾瀬数馬
第1話
あなた方の言う現代よりも少し先の未来のことである、ニュートリノだか、ウンウンオクチニウムだか知らないが、まあそう言うなんかすごい何かのおかげで時間遡行が可能となり、今ではタイムマシーンが自動車並に普及し始めたそう言う時代の話である。ついでに言うと、先日平衡世界が存在することも実証されたり。
私は今、十年前の世界に立っていた。
「十年も経てば、風景もがらりと変わるものかと思っていたが、存外案外そうでもないのね」
時間遡行が成功して真っ先に自動販売機に向かった私はそう呟いた。この時代の時点で既に、タッチパネル式が国民に受け入れられなかったのは今も昔も変わらないらしい。私は万国万年共通ではずれない炭酸飲料を飲み干すと周囲を見渡した。前言撤回だ、十年もあれば、例えそこが田舎町であってもだいぶ変わっている。
自動販売機だけで全てを決めるべきではなかった。
「でも、まあ電信柱の位置表記を鵜呑みするならきちんと目的地に着けたようだ」
良きかな、良きかな。
コミュニケーション能力が欠如している人に特有の独り言を呟くと、私は次なる目的地へと向かった。
さて、何故私がこんなことをしているのか話したいところだが、その前に私がどうやってこの私になったのかを話そう。持って回った言い方をしなければ、私の性格について語ろう。
今は大分まともになったが、この時代――つまりは十七歳の頃は、かなりの人見知りだった。君が慣れるまでの道のりが大変だった、と時々出会う友人が呆れるほどだ。
でも、まあそんな私にも心を許した人間がいたわけだ。
小学校の頃から仲の良かった男子だ。
性格良し、見た目良し、学力良し、趣味悪しで私の知る限りではモテていなかったと思う。でも、ありがちではあるけども、私は彼に恋をしたのだ。
とは言え、人見知りは所詮人見知りでしかないのだ。私は恥ずかしさのあまり告白することなく、しようとしても変な人に捕まったり、彼がその日家にいなかったりと阻むものが多く、結局彼とは別の大学へと進学して、以降一度も連絡を取っていない。
そして、私は持ち前の人見知りで男と言う男を寄せ付けないまま、現在に至る。少子化対策が功をなして、晩婚化から早婚化へと移行し、それゆえに二十七歳で独身と言うのはほぼ望みがないのだ。
たった十年なのに、日本は変わり過ぎた。
だから、私はこうして時代を遡ってきたのである。高校生の恋愛が結婚につながるとは思えないと、当時の私は哂ってはいたが、それが当たり前の世の中がもうすぐ来るのをあたしは知っている。
「――と、その前に」
歩みを懐かしきわが家へと向けていたのだが、ここで一つ準備しておくことがあった。準備する、と言うと前もって計画していたかのように思われるが、実はそうではなく、単に関係者が目の前を歩いていたからだ。
てくてく、と。
《宇宙人大全》なんて言う、時間遡行が可能になった現代でさえまだ発見していないものをどう監修したのか分からない、有体に言ってしまえば想像のみで構築された子供向けの、しかし、厚さは六法全書さながらの本を読みながら少年はこっちへ向かってきた。
恐らく、御両親に「男の子らしく運動して来い」と追い出されたのだろう。そしてそのまま、私の家へと向かうのだ。これもまた私の記憶にひとつとして残っていた。
「………ふぅ」
私はかつての自宅の玄関の前に立つと深呼吸をした。
さあ、未来を変えようではないか。
☆
「やあ、私」
「よう、私」
私が手を上げるのと同時に、画面の向こうの私も手をあげた。
私が時間遡行をしてからさらに十年後、今度は平衡世界と連絡を取る手段ができた。一体どこまで変われば日本は気が済むのか、と辟易するが、おかげで私が変えた世界の私と言葉を交わすことができたのだが。
「結婚できないのは相変わらず?」
「男ってものは信用できないからな」
かっかっか、と豪快な笑い声をあげてもう一人の私は炭酸飲料を煽った。
結論から言おう。あの時私は過去の私に告白をさせることに成功した。めでたく、彼氏を手に入れることができたわけだ。だが、どうにも私が遡ったと思っていた世界は、自分の世界ではなく他の世界だったらしい。
そして、その世界の私が目の前にいる彼女である。
「恨むなら、浮気者なんて馬鹿げた大学デビューをしたあいつを恨むことだね。まあ、あいつのおかげでこの職に付けたのだから、私としては感謝染み入るのだが。感謝感激雨あられって奴だ」
「離婚専門弁護士だっけ?」
「そうそれ」
あれから二十年経った今も早婚化は変わらないのだが、その代わり急激に離婚率が上がってしまった。人生の一大イベントも、今となっては一時の恋に過ぎない。おかげで離婚コンサルタントやら、離婚弁護士やらそういう訳の分からないものの需要が高まったのだが、どうやら向こうもそれは同じようで、私はそれに便乗しているわけだ。結婚したいがためにタイムスリップしたはずなのに、結果として離婚推奨派の人間を生み出してしまったのだから、何ともまあ皮肉な話であり、実に私らしいオチである。
「ところでさ、私みたいなのが一体全体どうやったら結婚できたんだ?」
「おやおや、結婚はしたくないって今し方言ったばかりじゃない」
「もしもの時のためだよ――で、今の旦那との馴れ初めは何?」
あの後、元いた時代に戻ったものの、依然として取り巻く環境が変わっていなくて嘆いていたら、友人から合コンの誘いが来たのである。普段はそう言うのに誘ってくれない友人だったので、よほど目も当てられないほどやつれていたのだろう。私も私で自棄になって珍しく誘いに乗って、まあとんとん拍子に話が進んだのだからその友人には感謝しなければならない。
ロマンスも何もない、ありふれた話である。
「ははあ、なるほど。ある意味私らしいとも言えるのかね。いやしかし、お互いままならないと言うか皮肉めいていると言うか」
「それはどういうこと?」
彼女の意味深な発言に、突っかからざるを得ない。ままならないのは分からないが、皮肉めいていると言うのは言葉選びにしては微妙に違うのでは?
「いやさ、そろそろ時効だと思うから言うけどさ、私も一回だけしたんだよね」
「何を?」
「タイムスリップ」
両者ともにこのような技術があるのだから、そっちの私がタイムスリップを行っていても何も問題はない。むしろ、移動先にいた第三の私の存在が気になる。
「ちょうど例の男と別れた時かな。なんであんな奴と付き合っていた過去を消そうと思って、タイムスリップしたんだよな。十六歳の頃に告白したから、当日の日に道案内を頼んで彼の家から真逆の所へ連れて行ったり、好きな本で釣って彼を誘拐したり……」
「…………え?」
心当たりのある出来事に体温が引いていくのが分かる。落ち着くんだ。まだそうと決まった訳じゃないし――
「それにさあ、私の世界はまだ科学力がそちらと比べて未発達でね、他の世界と繋がるためにはお互いが一度相手の世界に行っていなきゃいけないんだよ」
つまりこれは奇跡の出会いってこと、と乾いた笑みを浮かべる彼女。だが、その眼は明らかに戸惑いと脅えが混ざっていた。そしてそれはおそらく私も同様だろう。
《私》は一体何で出来上がっているんだ?
恋のパラドックス 綾瀬数馬 @ayase_kazuma
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