エピローグ
「織牙、後ろ見て。変じゃないかな」
「ああ、変じゃない」
「本当? 伯父貴の葬式で喪主がみっともない格好をしてたら申し訳ないじゃないか。ちゃんと確認してよ」
「大丈夫だよ。真理は綺麗だ」
「そうか。じゃあ、信じる」
コートを着ているが足がすごく寒い。まだ雪が降る季節ではないが、雨がぱらついていた直後の気温は摂氏一〇度を超えない。軍事課の女性社員の正装の膝上三センチメートルのスカートは足元の冷えを防ぐことはできない。
「圭一」
後ろから女性の呼ぶ声が聞こえた。真理はその呼び方ですぐに人物がわかったようだ。
「母さん」
「あら、似合うじゃないそのコート。しっかりアイロンもかけてあるし」
「お久しぶりです」
「何、その表情。折角一〇年ぶりに会ったのに」
私は真理が母親と目を合わせられないのを見ていた。記憶が間違っていなければ、真理が家族と会うのは手術をして男でなくなって以来初めてだ。
「この御嬢さんは誰?」
「私の恋人の山本織牙さんです」
「そう。あなた恋人がいるの」
「初めまして」
私が挨拶すると、真理の母親はにこっと笑った。真理の満面の笑みを見たことがないが、もしかしたら似ているのかもしれない。
「まあ今日は会えてよかったわ」
「母さん、私は家族席じゃなくて、同僚席の方に座るから、会場に入ってから私が隣にいなくても騒がないでね」
言いながら、目があらゆる方向に泳いでいる。
「わかってるわよ。じゃあね」
「うん、じゃあまた」
私は真理の母親が遠くへ行ってしまってから真理の尻を叩いてやる。
「しっかりしろよ」
「ごめん」
真理が居心地の悪さに慣れるまでまだ時間がかかりそうだった。手に息を吹きかけて擦ったり、足踏みしたり、忙しない。
「圭一じゃねえか!」
「今は真理って言うんだろ?」
また誰だか昔の真理を知っている人間が話しかけてくる。私は堂々としていればいいのにと思いながら真理を近づいてくる人間の方へと押しやる。
「晴一兄さん、陽一兄さん」
兄なんていたか? と私は目で訊く。
「織牙、私の従兄だ。伯父貴の兄の息子二人だ」
晴一と陽一は真理を小突いてからかう。お前、男やめたのに彼女いるのかよ、という声が聞こえてくる。身長では真理の方が二人より高いが、今は従兄二人の方が大きく見える。
「お前のかあちゃん、何も言わなかったみたいだけどな、本当は文句ばっかり言ってるんだぜ?」
「圭一は私に似て暖色が似合うんだからオレンジとかのアイシャドウを使えばいいのにってさ」
そう言って従兄二人は自分達だけで盛り上がっている。真理は友好的な二人にも肩身の狭い思いをしている。
だったらどんな対応をされれば満足するんだよ、と私は心の中で呟く。
「じゃあな圭一。喪主の挨拶で噛むなよ!」
終始自分達のペースだった従兄二人も真理をからかうのに飽きてすぐに会場の中に入って行った。
「私達も行こう」
無理に歩かせてもまた家族の圧力に耐えなければならないのだから、真理が自分で言い出すまで黙って待っていた。
「心配するほど険悪なムードじゃなかったな」
真理が安心すると思って言ってみた。
「話しかけてくれるのは嬉しいけど、怖いよ」
「仕事の時の感覚でいいじゃないか。私が喪主だぞって」
「艦長だったらそれでもいいけど、喪主でそれはおかしいよ」
「どうせ会場に行ったらお前は喪主兼少将なんだ」
「少将か」
「まだ慣れないか?」
「別に。持田中佐の方がおかしい」
「二階級特進か。私もこれにはまだ慣れないな」
会場に入ると、笑顔いっぱいの持田の遺影が視界いっぱいに広がった。結婚しなかった持田の葬式は企業葬になった。企業戦国時代を終結させた作戦で殉死した持田をアリトシは称賛し、通常の葬式より何ランクも上の体系を用意した。遺影の大きさもそれに比例する。並べられた椅子の横を通ると、途中で椅子が途切れて何もない空間が広がる。その左側に家族席、右側に同僚席が用意されている。家族席には持田の兄の息子二人とその家族、持田の妹で真理の母親である伊豆優美だけだ。同僚席には
真理と私が座ると同時に、坊主が入場した。
*
墓堀人をやるのはロシア系などのアリトシの低所得者層だ。私は自分の記憶を辿る。だが、既に墓が建てられている今日はその人達の仕事はない。「持田家の墓」と書かれた墓石のすぐ手前の蓋を開け、そこに持田の遺骨の入った骨壺を入れる。
真理の部下の一人が真理に布のかけられた何かを手渡す。アリトシの企業葬には何度か参列したことがあるが、私がその光景を見るのは初めてだった。真理が布を開く。中には
真理が警笛のスイッチを押す。バグパイプのような音が鳴った。電子音なのに空気を掻き回して鳴らすような温かみのある音だった。それは持田の声にも似ていた。
警笛の音に紛れて持田が帰ってくるような気がした。真理のことを最期まで心配していたのを私は知っている。もっと早く思いを伝えて、真理に自分を取り戻してもらえたらよかった。そしたらもう一度、持田が真理と楽しく過ごす機会が得られたかもしれない。真理はずっと持田を信頼していたけど、パイロットとしてより、伯父として頼られたかったはずなのだ。
何人見送っても、まだ自分の番が来ない。久保田が死んだ時も、真理が金山を殺した時も、持田が死んだ時も、自分はその場に居合わせなかった。いつの間にかいなくなって、自分の居場所も変わっていた。でも、苦しいのは誰の時も変わらなかった。早く自分の番が来ればいいのにと思いながら、沢山の人を葬った。
でも今は真理がいる。苦しいだけじゃない。
「織牙、何でお前が泣くの」
気付いたら涙が出ていた。真理が不思議そうな顔で見ている。おかしいのはわかっているのに、止められない。無線で話した時のように自分の思いを伝えられない。
「なんだか勝手に涙が。久保田の葬式でだって泣かなかったのに」
それを聞いた真理の目からも涙が零れ落ちていた。何泣いてるんだよ、ああ、やだ、化粧が落ちる、と言ったのはどっちだったか。どっちでもいい。きっと二人同時に思って、どっちかが先に声に出しただけのことだ。
CHANCE 伊豆 可未名 @3kura10nuts
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