第9話「事件勃発」

 明楽が目を覚まさなくなってから、三日が経ってしまった。

 その間に神力による浄化をおこなったり神力をそのまま注ぎ込んだりと、様々な行動を起こしてはみたものの、一向に目覚める気配は感じ取れない。それどころか容態は悪化するばかりで、神社内の空気も否応なしに張り詰めていった。


 そして、四日目の昼。

 とうとう、事件が起きた。




「きゃぁあああああっ!!」




 昼間の境内に、甲高い悲鳴が響いた。

 縁はと言えば明楽が心配で、昼に仕事の合間を縫って明楽の元へ向かっていた。弥生しか連れていないのは、明楽の容態が思わしくないということを知っているのが、彼女だけだからだ。


 あまりの声に驚き部屋を出れば、少し離れた庭に人だかりができている。見たところ誰も彼も怯えていて、嫌な空気が漂っていた。


 その上、鼻をつく錆びたような臭い。


(これは、もしかして……)


 認めたくないという気持ちと現実を見つめろという心がせめぎ合い、対立する。

 それを無理矢理押し込めさらに廊下を進めば、それは直ぐに目の届く範囲に現れた。


「……し、たい」


 後ろに控えていた弥生が、口元を押さえて絞り出すような声をあげた。縁は口を引き結び、喉の奥からこみ上げるものを必死に抑える。


 ――そこには、血の海の中に浮かぶ哀れな亡骸があった。


 仰向けに倒れた男は、虚ろな視線を空に向けている。それがぽっかりと空いた深淵のようで、引きずり込まれそうな空気が漂っていた。

 周りには他の男たちが集まり、死体を運ぼうとしている。

 しかし問題は、別のところにあった。


(……なぜこの、国で一番安全と言われているこの神社に……死体が転がっているの?)


 神人様がまします御社は、絶対的な聖域である。


 この言葉は、神社に神人様を据え始めてから生まれたものだ。

 それはつまりここならば、人が死ぬようなことなどないということである。なんせ神人様が宿す神様は、治癒の力を司る方なのだから。


 神社に勤める者は特に、そういった固定観念が強かった。それゆえに、それを見た彼らの動揺はすさまじいものであったのだ。

 縁はそれを敏感に悟った。


(ここでわたしが動揺して、どうするの……!)


 縁は、この神社の神人の守護を任されている姫巫女だ。ここでしっかりとしなくては、不安が伝播してしまう。

 そのため彼女は、腹に力を込めて告げた。


「何かあったのですか?」


 さも今その場に居合わせたかのように、縁は楚々とした態度を貫く。するとどうやら縁の存在に気づいていた者はいなかったようで、皆一斉に上を見た。そして表情に驚愕の色をにじませる。


「鏡巫女様……!」

「こ、これは……」


 そこにいた者たちに、死体を見たときとはまた違った緊張感が走った。しかし縁はそれに気づかないふりをして言う。その表情に、少しの陰りを浮かばせて。


「死体、ですか」

「そ、の……」

「……あ、ああ、とうとう……」


 縁はそう呟いて、ずるずると尻餅をついた。弥生が慌てた様子でそばに駆け寄る。


「縁様!」

「わ、わたしがいけないのです……明楽様が臥せられたのにもかかわらず、何もできていないわたしが……っ」

「縁様、落ち着いてくださいまし……っ」

「これは鏡巫女として、恥ずべき行為です! わたしが皆様に口止めしていたのですから!! それにこのような事件も起こってしまった……明楽様が悪いわけではないというのに……!」


 縁は狂女のようにわめき散らし、泣き叫ぶ。しかしその心はとてもないでいた。


(これは、一種の賭けだわ)


 縁はそう思う。

 すでにこのような事件が起きてしまった時点で、明楽に何かあったと勘づく者はいるはずだ。

 そして誰の責任となるか、と言い始める者も出てくる。明楽のせいにする者も出てくるはずだ。なんせ明楽は、神社の者に好意的に受け止められていないのだから。


(そんなこと、絶対にさせない。ならばわたしがひとりで、その責を負おう)


 動揺のあまりついうっかり口を滑らしてしまった、という方が、言葉には現実味を帯びる。

 我ながら演技達者だと縁は感じた。


(このような女を、明楽様は好いてくださるのかしら)


 なんだか自分が、とても汚らわしいものに見えてきた。

 そんなふうに感じ、縁は手をきつく握り締める。心が痛かった。

 すると男たちが不満を漏らす。


「なぜそんな大切なことを言わなかったのだ……」

「これだから女というやつは」

「しかもこのような事態が起こってしまうなど……」

「やはり……神人様が呼び寄せた災いなのではないか?」


 狙っていたこととはいえ、すべての発言が心に突き刺さる。

 そう。そうなのだ。悪意とはそういうもの。不満とはそういうものだ。一度蓋を開ければ止まらない。

 縁はその衝撃に耐えるために、唇を噛み締める。

 しかしそんな縁に向けて、思わぬ声がかけられた。


「鏡巫女様は悪くないわ!!」


 縁は、身を固めた。

 その声をあげたのは、人だかりの中にいた巫女の一人だった。


「鏡巫女様は、神人様のことを一番に考えられていただけだわ。それに神人様のせいとも考えにくいじゃない。これは人的におこなわれたことだわ」

「……そうよ。鏡巫女様と神人様がお悪いわけではないわ。今は一刻も早く、このようなことをした輩を見つけることが正しいのでは?」


 するとあちこちからさらに声が上がる。それは巫女たちで、縁にも覚えがある顔だった。

 彼女たちはほうける男たちにぴしゃりと言う。


「なんでもかんでも人のせいにしないでちょうだい! お恵みをいただいている身分の者が、そのようなことを言うものではないわ!」


 縁ですら呆気にとられてしまうほどの剣幕でまくしたてた巫女たちは、すたすたと廊下に上がると縁を庇うようにして誘導する。ゆかりは弥生に支えられながら、ずるずると廊下を歩いた。

 彼女たちは空いていた部屋に入ると、ほっと息をつく。


「鏡巫女様。お加減いかがですか?」


 一番始めに言われた言葉は、それだった。

 縁がさらにほうけていると、彼女たちは口々に言う。


「鏡巫女様が悪いわけではありませんわ。神人様が悪いわけでも。わたくしたちはそれを、しっかりと分かっておりますから」

「そうですわ。それに外からきた方があれをしたならば、非があるのはむしろ我ら巫覡(ふげき)のほうです。非難する相手が間違っていますわ」

「……です、が……」


 当惑しきった様子の縁に、彼女たちはなおも告げる。


「それに神人様が臥せられていることを告げれば、神社内はもっと動揺していたはずです。隠すのは道理かと」

「ことは起きてしまいましたが、我らが力を合わせればなんとかなるやもしれませぬ」

「そうですわ! 我らとて巫女。そしてこの神社の巫女は、神人様に尽くすことを誓った者たちです。主人のせいになどしませんわ」


 縁はまたたいた。すると一人の巫女が、恥ずかしそうに顔を袖で隠す。


「……などと大見得を切りましたが、このことに気づけたのは鏡巫女様のおかげなのです。わたくしたちは、大切なことを忘れていたのですわ」

「そうですね。いかに神人様が横暴であろうと、仕えるという事実に変わりはありませぬ。お恵みをいただいているということも。それにあのお方は、わたくしたちを遠ざけていただけで仕事もきっちりなさっておりました。怪我をすれば、文句を言いながらも治してくださいましたわ。嫌いな相手にそんなことする必要など、ないのに。……それに気づけたのは、鏡巫女様のお言葉があってからでしたが」


 何かが変わろうとしている。そんな予感がした。


 縁はその言葉を聞いて思わず、涙を浮かべる。


「わたしのお陰などという、たいそうなものではありませんよ。ですが……明楽様のことをそのように言ってくださり、ありがとうございます」


 今日ほど喜ばしいことはないと思った。

 縁はそんなことを思いながら礼を言い続ける。

 そこには確かに、信頼と呼べる形のものが存在していた。




 その日の昼、神社にいる者たちが集められた。

 明楽の側近はことの次第を包み隠さず言い、早急に事態の収束をはかると繋げる。

 そして謝罪をした。口止めしていたのは、動揺が広まることを恐れてだと。


 結果神社内には確かに動揺が広まったものの、それは決して大きくなることはなく、むしろ巫女たちの結束を高める結果となったのである。

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鏡巫女の初恋 しきみ彰 @sikimi12

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