第8話「届かぬ声」

 それから三日後。

 縁たち姫巫女はなぜか、明楽の側近に呼び出されていた。


 その呼び出され方はあまりにも重苦しく、それでいてとてもひそやか。何かある予感がひしひしと感じられる。しかも姫巫女たちの付き人ですら外で待たされるのだから、かなり重大なことが起こっているのだと分かった。


 縁たちもそれを敏感に感じ取り、口を一切開かぬまま明楽の自室へと案内(あない)される。


 中はさらに重苦しい空気が漂い、まるで通夜のあとであるかのようだった。


 御帳台(みちょうだい)を囲んでいるのは、ごくごく少数のおのこのみ。誰も彼も明楽と近しい位置にいた者たちで、中には専属の薬師(くすし)もいた。それに習うように座れば、御帳台の中が目に止まる。縁はそこで息を飲んだ。


 御帳台の中では、明楽が眠りについていた。


 血の気が失せた顔色を見て、胸が嫌な音を立てた。しかしその口が薄く開き、ゆっくりと呼吸しているのがうかがえ安堵する。

 姫巫女たちが集まったのを見計らい、薬師が一文字(いちもんじ)に結んでいた口を開いた。


「三日ほど前から、目覚めぬのです」


 三日前、という言葉に、縁は目を見開く。明楽はどうやら、縁と話をした次の朝から目覚めぬようになってしまったようだ。


(だから次の日、明楽様からのお話がなかったのね……)


 決してないがしろにされたわけではないという事実に安堵したが、実態はそれ以上に深刻であった。姫巫女たちの緊張が否応なしに高まる。なんせ彼女たちの役割は、神人を守護することなのだから。


「薬師のわたしとしましては、体の異常は特に見受けられませぬ。されど顔色は日を追うに連れて青ざめ、危うい状態にございます」

「神人様が身罷られてしまうということは、国の危機にございます。ですのでこうして、皆様にお集まりいただいた次第であります」


 側近の男が申し訳なさそうに頭を下げるのを、縁は見つめていた。

 されどすぐに視線を明楽に戻すと、瞳をすがめてみる。


(神人であられる明楽様に、妖しの類が憑いているということなの……?)


 されどそれは、にわかに信じがたい。

 この神社は、妖しや物の怪が入ってこられぬよう結界が張られているのだ。結界の番は巫覡(ふげき)たちが代わる代わるおこない、決してほつれぬよう細心の注意を払っている。

 そもそも明楽は神人だ。神人にはとても強い力が宿っており、耐性も備わっているはず。体もとても丈夫で、それ相応のことがなければ倒れぬ体であった。


 にもかかわらず明楽は三日間、こんこんと眠り続けている。


 これ以上はさすがにまずいと感じた側近は、縁たちに声をかけたというわけだ。


(声をかけるならば、もっと早くしてくれればいいのに)


 縁は内心怒りに湧いていたが、そう楽な話でもないのだろう。明楽が臥せったとなれば、神社の威信や名誉にも関わるからだ。決して郊外はできぬ事態であった。


 さらに近づき色々と試してはみたものの、これといった異常は見られない。それはたつきや千から見ても同じであったようだ。ふたりとも首を横に振って申し訳なさそうな顔をする。

 しかし触れた肌は冷たく、まるで死人のようであった。

 縁は唇を噛む。


(あの日はあんなにも、お元気そうだったのに)


 確かに少し憔悴していたが、それでも帰り際はさっぱりとした顔をしていたのだ。そして縁に文の返事を書くこと、詳しい話は後日改めてすることを告げて立ち去った。

 見計らったような機会での昏睡に、周囲に対する縁の不信感が強まった。

 それを押し隠し、縁はようやく口を開く。


「此度の件は、わたしたちにも非がございます。神人様をお守りするはずの姫巫女が、なんと情けない……」

「いや、姫巫女様方のせいではありません。今回神人様の身に起こっていることは外傷などではないのですから」


 そのような慰めを受けても、縁の気持ちが休まることはなかった。

 むしろあの日の記憶が呼び起こされ、息が苦しくなる。


 どうしてきらいになってくれないのかと。

 巻き込みたくないと。

 どうしてなのだと叫んだあの声は、本物だった。

 時間がもうないのだと泣きわめいた姿は、今思い返しても痛ましい。

 そこまで来て、縁は何か引っかかりを感じた。


(……時間が、ない? それはつまり明楽様はもうすでに、ご自身の身に危険が迫っていることを悟っていたの……?)


 分からない。しかしそうとしか聞こえない言動に、余計不安が高まる。

 縁は思わずこう言っていた。


「……しばらく。しばらく、わたしに、神人様の番をさせていただけないでしょうか?」


 縁からの思わぬ提案に。

 一同は目を丸くし顔を見合わせた。



 ***



 結局縁は、他の姫巫女たちとともに明楽の容体を見守ることとなった。


 期間は七日ほど。その間三人は、寝ずに番をする。睡眠は昼間に済ませ、昼夜逆転した生活を送ることになった。


 このようなことができたのはひとえに、たつきと千の後押しがあったからこそだ。そのことにひどく感謝しつつ、縁は明楽の手を握っていた。


 部屋の中には眠り落ちた明楽と縁、千しかいない。たつきは外を見てくると言い、剣を携え出て行ってしまった。彼女ほどの腕ならば何がきても対処できるので、特に問題ないであろう。

 だからこそ余計に、明楽のこれからが気になって仕方ない。


「不安ですか、縁様」


 ふと、千が口を開く。彼女から話しかけてくるのはひどく珍しく、縁は首を傾げた。されど直ぐに思い直すと、苦笑いを浮かべる。


「ものすごく、不安です。まさかこんなことになってしまうなんて、思いませんでしたから……」


 結局、文への返事も。

 明楽が告げた大切な話というやつも。

 何も分からないままだ。雲に隠れた月のように光は消え失せ、闇に溶けてしまった。

 すると千がぽつりと、つぶやきをこぼした。


「わたくしは、縁様が少し羨ましいのです。好いている方と寄り添うことができていらっしゃいますから……」

「……え?」

「わたくしにも、好いている方がおりました。あいにくわたくしは姫巫女でしたから、叶わぬ夢となってしまいましたが」


 千は自嘲した。普段ならば決して言わぬであろう言葉は、彼女がずっと胸に秘めていたものなのであろう。恋愛事になると乗り気だったのは、その反動かもしれないと縁は思った。


「今も、好きという気持ちは変わりません。ですから縁様の想いは、わたくしにも痛いほど分かるのです。……けれど恋というものは本当に、ままならぬものなのですね。こんなに近しいところにいても、お二人は互いの声すら分からぬのですから」


 千の言葉に、縁も頷く。


「近くにいても、分からないことは多いです。現にわたしは、明楽様がずっと苦しんでいらした原因を聞けませんでした。いつもすれ違ってばかり。……ただともにいたいだけなのに、どうしてこうなってしまうのでしょうね」


 そばにいたい。

 そんな想いとともに積み重ねてきた幼少期。


 その想いは日増しに大きく膨れ、やがて大輪の花を咲かせるまでになった。

 しかし当の本人には拒否され、やっと分かるのかと思いきやこの有様。なんとも言えず度し難い。

 すべてがうまくいくと思ったときに、必ず邪魔が入った。


 祈る気持ちを込めて手を握り締め、手の甲に唇を寄せる。少しでも多く熱を分けられたらいいのに、そう思った。かすれた声で縁は言う。


「明楽様さえ目覚めてくれれば、もう何もいりません。だから……」


 行灯の光がちらちらと、風に揺られている。

 そのたびに影も揺れ、夜特有の空気が広がっていく。


「……大丈夫です、縁様。きっと明楽様は目覚めます。ともに道を探していきましょう」


 千の口から告げられた言葉に。

 縁はただただ頷くことしかできなかった。

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