第7話「二度目の逢瀬」

 人の口に戸は立てられぬ。


 このことわざ通り、「鏡巫女が神人を慕っている」という話は瞬く間に広まっていった。

 先の交流会に参加していた巫女たちの口から神社に勤める他の巫覡(ふげき)に伝わり、あっという間に神社全体へ。その速さときたら恐ろしいほどで、縁も驚いてしまった。


 しかしそれよりも驚かされたのは、月に一度の禊の儀を終えた後のこと。

 その日の夜縁の屋敷に、神人のお通りがあるとの知らせが舞い込んできたことである。


 それを聞いた縁は思わず、弥生に三度も聞き返した。それくらい衝撃的な話だったのだ。


(これは……一体どういうことかしら……)


 自分の頬をつねったり叩いてみたりしたが、とても痛かった。間違いなく現実である。

 嬉しさ半分疑い半分、というのが正直なところだったが、それでも飛び跳ねたくなるほどの嬉しさの方が優っていた。


 屋敷にくるのは寝る前とのことで、色々な想像もあった。が、おそらくそんな展開になることはないであろうと思っている。

 兎にも角にも縁はしっかり身だしなみを整え、寝室にで待ち構えていた。


 顔合わせのときと同様に、お通りの合図がある。衣ずれの音がだんだんと近づくにつれて、縁の鼓動も大きくなっていった。

 そうして入ってきた明楽は、直ぐさま人払いをした。


 あまりの展開にほうけてしまうが、渋る弥生たちを諭すように外に出す。

 そうして二人だけとなった空間は、どこか重苦しかった。


 縁も何を話していいのか分からず、口を開くことができない。

 沈黙が辺りにゆっくりと染み込んだとき。

 ようやく、明楽が口を開いた。


「なんだ」

「……は、い?」

「あの噂はなんだ。どういう意味だ」


 縁は数回またたき、納得した。


(ああ、やはり、そのことについて聞きに来たのね)


 しかしそれくらいのことで人払いとは、なかなかに厳重なものである。その点については疑問を抱かずにはいられなかったが、それでも縁は笑みを浮かべて答えた。


「そのままの意味です。わたくしは明楽様のことを、幼少の頃よりお慕いしていますから」


 今この胸の奥に湧き上がる、あふれんばかりの気持ちを込めて告げた。本人を目の前にしていうのはいささか恥ずかしかったが、決して偽りではない。そのため堂々と言葉にすることができた。

 すると、明楽が笑う。少し馬鹿にしたような笑みだ。


「今のわたしを見てもそれを言うとは、そなた、根っからの阿呆か? 理解しがたい」

「阿呆でも構いません。わたしこう見えても、かなり頑固なんです。それにたとえ何があったとしても、想うことは自由だと思います。それすらも理解できませんか?」


 その言葉に、明楽は眉を寄せた。そして何か言おうとして、口を開閉させる。されどそれは直ぐに一文字(いちもんじ)へと変わってしまった。縁は困ったように笑う。


(理解してもらおうなんて、はなっから思ってなかった)


 それでも胸が苦しいと感じるのは、明楽のことが本当に好きだからであろう。

 触れられそうで触れてはいけないその距離感がひどく寂しく、悲しい。縁は伸ばしそうになった手をもう片方の手でそっと抑えた。そして思わず俯く。


「……迷惑であるならば、謝ります。金輪際文を送ることもいたしません。ですがわたしは……」


 そこまで言って。

 縁の視界が回った。


 気づけば下にあった視線は上を向き、そこには明楽の顔がある。

 押し倒されたのだと気づいたのは、彼の顔が近づいてきた最中であった。


「あ、きら、さまっ?」


 動揺のあまりひっくり返った声。しかし彼の顔はひどく近くにあった。前髪が縁の肌をくすぐる。心の臓が否応なしに鳴り響くのを感じた。


「……どう、……て」

「……え?」

「どう、して……」


 ひどく弱々しい声が、吐息とともに吐き出される。痛ましいまでに歪んだ表情は、何かの痛みに耐えているかのようだった。

 心の臓が、先ほどとは違った意味で大きく脈打つ。明楽の悲しい色をした瞳から、目が離せない。


「どうしてそんなにも、躊躇うことなく飛び込める?

 どうしてこんなわたしに、そのように無垢な感情を向けられる? どうして、」




 どうして嫌いになってくれないんだ。




 ぽろりとこぼれた本音は、涙で濡れていた。

 ぽたりと、縁の頬に雫が落ちる。そして頬を沿って流れていった。


「巻き込みたくない、巻き込みたくないんだ、わたしは誰も巻き込みたくない……っ」

「明楽、さま、」

「どうしたら良いのだ、もう、時間がっ……!」


 まるでおさなごのようであった。自分が何をするべきなのか分からない、おさなご。それは「独りぼっちは寂しい」と泣く、あの頃のおさなごと似ていた。

 無意識のうちに手が動き、そっと頭を撫でる。

 縁はそのまま、明楽を抱き締めていた。きつく、されど優しく抱き寄せ、髪を撫でる。


「大丈夫です。大丈夫ですよ。明楽様は、独りぼっちではありませんから」


 はじめのうちは身を固くしていた明楽は、規則正しく背中を叩かれてようやく力を抜いた。

 縁はさらに続ける。


「ひとりではできないことでも、多くの人が関わればできることもあります。できぬのなら、助けを求めれば良いのです。それで迷惑になることなど、決してないのですから」


 そう言い縁は、過去の自分を思い浮かべた。

 昔からそそっかしく何をするにも騒々しいおさなごであった。元気と明るさが取り柄の、特に目立ったところもない普通のおなご。

 そんな彼女がここまでやってこれたのは、明楽に出会ってたくさんの努力を重ね、そして弥生や他の巫女たち、家族に支えてもらいながら生きてきたからだ。

 今まで独りきりで何かを堪えてきた明楽は、頼ることが分からないのだと思う。ならば手を差し伸べてやるのが一番良いと、縁は思う。


「ひとりで苦しまないでください。たとえ何があろうとも、わたしはお側におりますから」


 すると、すすり泣きが響き出した。縁の体に腕が回される。縁はその間もずっと、頭を撫で続けた。


 しばらくしてようやく、明楽が顔を上げた。その目元は見事に腫れていて痛ましい。しかし憑き物が落ちたかのようにすっきりとした顔をしていた。

 少し頬を赤らめた明楽はそっぽを向く。それがなんだかとても、可愛らしい。


「……すまなかった。押し倒したりして。情けない姿を見せたな」


 前とは違い素直な姿に、縁は笑みを浮かべた。


「いいえ、構いません。わたしはすでに、明楽様の妻ですから。好きにしていただいて良いのですよ?」

「……そういう言葉は、おのこに対しては決して言わないように」

「明楽様ですから言っているのに」


 大真面目な顔をして告げた縁。しかしその一方、明楽は不満そうだ。縁は思わず首をかしげてしまった。

 すると明楽は、ため息を吐く。


「明日、皆を集めて話をする。……すべてはそれが終わってからだ」

「……お話ししてくださるのですか?」

「頼れと言うたのは、そなたであろう。まあ今まで、横暴ばかり働いていたわたしの言葉に耳を貸すものなど、いないやもしれぬが」


 自嘲気味に笑う明楽だが、縁は大きく首を横に振った。


「他の方が信じずとも、わたしが信じます。もし信じていただけないのであれば、ともに方法を探しましょう! それではいけませんか?」


 縁は、瞳を爛々と輝かせて言い切った。するとふと、明楽が笑う。気の抜けた、柔らかい笑みだ。縁は思わず目を見開き、凝視してしまった。


「それならば心強いな」


 そうして立ち上がった明楽は、ふと思い出したように言う。


「そう言えば、文だが」

「……ああ、はい。文がいかがいたしましたか?」


 少し口をもごつかせてから、明楽は頬を赤く染める。


「……必ず、すべての文に返事を書く。少し時間はかかるが、待っていてくれるか?」


 縁がそれを理解するまでに、少しの時を要した。

 言葉を噛み締めるにつれて、縁の表情が華やいでいく。


「もちろん! たとえ季節が巡ったとしても、お待ちし続けます!!」

「……さすがにそこまではかからんぞ」


 凍りつくような空気で始まった二度目の逢瀬は、ひどく柔らかい形で終結した。

 明楽が立ち去った後も、縁は頬をつねったり叩いたりして夢でないか確かめる。

 弥生が戻ってきた後もそんな行動をしていたせいか、病にでもかかったのではないかと勘違いされた。


 夢見心地のまま御帳台(みちょうだい)に入り、口元を緩める。


(明日一体、どんな話をするのかしら)


 縁はそんなことを思いながら眠りについた。






 ――されど次の日、明楽からの話はおろか、明楽が皆を集めることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る