第6話「巫女たちの交流」
結局あの日、明楽から文が返ってくることはなかった。
それからひと月近く文通を続けたが、彼から返信が来ることはなかった。
(でも全然大丈夫! 覚悟はしていたもの!)
しかし先に宣言していたとおり期待半分程度に待っていた縁は、その日は朝から文台の前に座り込み、軽く白檀(びゃくたん)の香りを漂わせた紙を取り出す。
そして硯で墨をすり始めた。みるみる黒くなり墨になり始める水を見つめながら、楽しそうに笑みを浮かべる。
「今日はどうしようかな」
書くことは毎回、当たり障りのないことだ。されど縁の弾んだ心が少しでも伝わるように、毎回精一杯の気持ちを込めている。
それに明楽に送る文を考えるために、毎日ひとつ良かったことを探すようになったのだ。そんな小さな幸せを報告することは、縁にとっての至福である。
そう考えるだけで一日が楽しくなるのだから、縁も単純だ。
毎回同じだとつまらないと思い、紙や焚きしめる香、共につける花など、とにかく探した。弥生はその様を見て「縁様が殿方の行動をとっておられますね」と笑っていたが。
(確かに、わたしのやってる行動は一般的には、殿方がやる行動なのよね)
まあ、それはそれでいいと思うが。
そんなことをつらつら考えつつ筆を滑らせていると、弥生が朝餉ができたことを告げにやってきた。
「おはようございます、縁様。朝餉の支度ができました」
「分かったわ。少し待って」
さらさらと、迷うことなく走らせた筆。勢いに乗せたそれで最後まで書ききってしまうと、縁は文台にそれを置いたまま立ち上がった。そして弥生に向けてにこりと笑う。
「今日もきっと、とても素敵な日になるわ」
お日様のように明るい笑みを浮かべた縁はいつになく元気に歩き、弥生にはしたないと怒られていた。
縁がこのように気持ちを高ぶらせていたのには、理由がある。
それは今日の昼に、他の巫女たちと交流会を開くことになっているからだ。
参加するのは姫巫女たちだけでなく、神社勤めの巫女たちもいる。
茶を飲みつつ遊びに興じる。そんな会は、明楽の良さを伝えるのにはうってつけの場だ。思わず跳ね上がってしまうのも致し方あるまい。
そして縁にとってたつきと千はすっかり、仲の良い友人と認識されていた。
交流会の主催者はたつきだ。
昼までにさっさと仕事を終わらせてしまった縁は、意気揚々と彼女の部屋へ向かった。
同じ本殿と言っても、場所によってものの配置や装飾などが違う。
たつきに合わせた形になっているのか、そこはどこか涼やかな印象を与える色味になっていた。緑のものが多く、なんとも彼女らしい。
そこで待ち受けるたつき自身も、気合のこもった装束を身にまとっていた。
幾重にも重ねられた、色味の違う衣。その襲(かさね)の色目は美しく洗練されており、たつきの凛々しい美しさに良く合っていた。
その美しさに一瞬目を奪われた縁だが、そのままの調子を崩さず挨拶を交わす。
「この度はお誘いいただき、ありがとうございます。本日の衣は、とても美しいですね! たつき様の美しさが冴え渡るようですわ!!」
「そ、そうか? 縁様に褒めていただけると照れてしまうな」
珍しく頬を染めて照れるたつきは、楚々とした動作で中へと誘ってくれる。
交流会は、想像以上にしっかりとしていた。
果物などの菓子類や団茶(だんちゃ)。遊具は貝合わせや囲碁まで。
束の間の息抜きにしては、十分すぎるほどの揃えだ。
神社に住まうものというのは、他の貴族とは違い午後も修行に明け暮れることが多く遊べることはあまりない。そのため巫女たちは、十日に一度ほどある交流会を楽しみにしていた。
主催は毎回三姫が代わる代わるおこなうのだと言う。
見たこともない巫女たちが集まる姿を見て、縁は胸を踊らせていた。
***
神人がまします神社。
そこに住まう女たちの間で、密かにこんな噂が流れていた。
『鏡巫女様は、神人様に恋い焦がれている』
巫女たちは皆「そんな、趣味の悪い」などと思っていたが、どうやらそれは本当なようで。
鏡巫女がここ数日、神人に文を送っているという確かな話がまことしやかに囁かれていた。
女という生き物は昔から、噂話が大好きだ。特に色恋となると食いつきっぷりはひどく、神社社会という神に身を捧げた身分の女たちからしてみたら、まさに果実のようなものである。
そのため今回の交流会で密かに注目を集めていたのは、鏡巫女である縁であった。
どこかほんわかとした空気をかもし出す縁は誰に対しても明るく穏やかで、巫女たちとしても好感の高い人だ。何より気の強いたつき、無口で無愛想な千を柔らかくまとめてくれていた。
だからなおさら気になるのだ。
するとこういう場だからか、ひとりの巫女が縁に問いかけた。
「あ、の、鏡巫女様! その……神人様に文を送り続けているというお噂は、まことなのでしょうか?」
心の中で、よく言ったと拳を握り締める巫女たち。するとその噂を知らなかったらしいたつきが、ほうけた声をあげた。
「縁様、そのようなことをなされていたのかっ?」
「……ええ、まあ」
はにかみながらも、縁は確かに頷く。巫女たちがどよめいた。
するとたつきが、慌てた様子で身を乗り出す。
「あ、あの、口が悪い唐変木だぞ? 顔合わせ以来、わたしたちのところに一度も渡りに来ないあの男だぞっ? どこが良いのだ」
「……実を言いますと、あのお方とは互いにおさなごであったときお会いしているのです。わたしの初恋にございますわ」
気恥ずかしそうに、縁は袖で口元を隠してしまう。
周囲はさらに湧き上がった。
そこに珍しく、千が入ってくる。
「初恋、にございますか」
「はい、そうなのです。ずっとお慕いしていた方でしたから、諦めがつかず……昔は本当にお優しい方でした。今もそうあって欲しいと願うことは、間違ったことなのでしょうか……」
そんな経緯があったとは知らない巫女たちは、その言葉を聞きはしゃぎ始めた。そして明楽のことを思い浮かべる。
すると存外見ている者が多かったのか、ぽつりぽつりと声が上がった。
「わたくし、神人様が花を愛でている姿をお見かけしたことがございますわ」
「わたくしも!」
「わたくしは、足を怪我した猫を手当てしていらっしゃる姿を見かけたことがございますわ」
「あら……それはもしかして、人がお嫌いなだけなのではありませんか?」
そうよそうよ、と同意の声があがると、広がるのは早かった。
すると縁の表情がパッと明るくなる。
「あのお方はわたしとお会いしていたときも、動植物を愛でることを好いていらっしゃったわ! そんなところも変わられていなかったのねっ」
弾んだ声に、巫女たちの気持ちも明るくなる。
しかしたつきは、首をひねっていた。
「うむ……そのような面もあったのか。しかしわたしは、自分の目で見てからでないと信頼できぬな……」
「それで良いのです、たつき様。むしろ皆様があのお方のことを見ていらっしゃることを知れて、少し嬉しゅうございます。悪い噂ばかりではないということを知れました」
巫女たちは少し、バツの悪そうな顔をした。
人の不幸は蜜の味というのは誰しも同じで、悪いところばかりに目がいき言葉として広がってしまう。
そんなふうに盛り上がってもまだ、明楽への負の感情が消えない者がいたが、声が大きいほうが勝つのが女社会というものだ。その中心にいるのが鏡巫女ならなおさら。巫女たちの明楽に対する認識は、人嫌いということで落ち着いていた。
「……むむ。ううむ……そうか、人嫌いか……」
一方のたつきは、分からないといったふうに首をひねっている。
すると千が、少し笑いながら口を開いた。
「縁様はとても、一途であられるのですね」
どこか羨ましそうな声音に、巫女たちが顔を見合わせる。
これはもしかして、もしかして……という疑問が湧き上がった頃、外から鐘の音が響いてきた。それは、午後の仕事の終わりを告げる鐘だ。
とても良い雰囲気の中交流会が終わってしまったことに残念がる巫女たちだが、これから咲くであろう話の種を二人も見つけたため、不満を抱きながらも満足して帰宅する。
神社を取り巻く空気は、少しずつだが確かに変わり始めていた――
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