第5話「恋する乙女の第一歩」

「ねえ、弥生」

「はい、なんでございましょうか、縁様」

「殿方に文(ふみ)を送る際、気をつけるべきことを教えてちょうだい」

「…………は、え?」


 本殿で、各地の神社から集められた鏡を清める、という仕事を進めていた最中。

 真顔で口にした言葉に、弥生は言葉を失った。布で鏡を磨いていた手が止まっている。それは弥生だけでなく、ともに鏡を拭いていた侍女たちも動きを止めていた。

 されど縁が本気であることが分かったのか、おそるおそる口を開いた。


「お、恐れながら縁様……どなた様に送るおつもりで?」

「それはもちろん、明楽様だけど」

「……あの、神人様でいらっしゃいますか?」

「それ以外、あきらと名のつく殿方がいたかしら?

 それに既婚者のわたしが他の殿方に文を送るのは、色々とまずいでしょうに」

「お、おっしゃる通りにございます……」


 弥生が放心した様子で「あの縁様がとうとう……」と嘆くのを見ながら、縁は清め終わった鏡に神力を送るべく華紋(かもん)を指先から伝わせた。


 華紋とは、術者の中でも巫女と呼ばれる者が持てる刺青のようなもの。その名の通り花の形をしたそれは、力を使うときのみ肌を伝い外部へと漏れる。術式とはまた違い、ひとつのことにしか特筆していないがその分大きな力を発揮できる証であった。

 その者が持つ華によって、華紋が持ち得る力は様々だ。


 その中でも群を抜いて高貴だと褒めそやされ、神木として崇められている華こそ桜。神人だけが持てる華紋である。

 桜には、癒しの力が備わっていた。


 かく言う縁の紫陽花には、邪気を吸い込み浄化するという力がある。それはこのように物質にも付与できた。これこそ、鑑片家(かがみひらけ)の力の証とも言えよう。


 これを手にするには、相当の修行が必要と言われている。

 そして本殿で行なう主な仕事の中には、各地から集めた鏡に力を付与する、というものがあるのだ。


 三枚目となる鏡に手をつけた縁は、さらに続けた。


「わたしはやっぱり、明楽様が悪い殿方になってしまったとは思えない」

「……ですが」

「弥生の言いたいことも分かるわ。でも、だったらなおさら、わたしから行動しなければならないと思わない? そのまま離れていってしまったら絆はおろか、明楽様の真意も分からないままだわ」


 鏡面に映った自身の顔を見つめ、縁は昨夜のことを思い出す。


『わたしが死んでしまえば、皆楽になるのかな』


 それは、ひどく悲しい言葉だった。彼の背しか見えなかった縁ですら、その哀愁はひしひしと感じることができた。

 何が彼をあんなふうにさせるのか、縁には分からない。しかし自ら死を望むようなことなどあってはならないし、そんな寂しい思いをさせていることにひどい後悔を覚えたのだ。


(あのときの言葉が本物だと、わたしは信じる)


 決意が固まった縁は無敵だ。恋する乙女とは元来、そういう生き物なのである。

 そのための第一歩として縁が選んだのは、文を書いて送るというものだった。


 一日一通、何か気持ちを込めた文を送る。


 我ながら良い案だと縁は思っていたが、間違っていたのだろうか。だがしかしあの状態のままの明楽に会い続けても、突き返されるだけで終わりそうであった。

 されど他に何か良い案があるか、と言われても、縁には思い浮かばない。そのため、弥生に聞いてみたのだが。


 至極不思議そうに首をかしげる縁に、弥生はため息をもらした。再び鏡を布で拭き始める。


「正直に申し上げまして」

「ええ」

「神人様にこれ以上の想いを寄せることはお止めになった方が良いかと思います。少なくともわたくしは、それで縁様が幸せになれる先が見えませぬ。不毛な行為と思えてしまいます」

「そうかもしれないわ」


 きっぱりと、縁は頷いた。確かにこの恋は、不毛なのかもしれない。しかし十数年も温め続けてきた想いを捨てるのは、そう楽な話ではない。


(それにわたしは別に、彼に愛されなくても良いの)


 愛してくれなくて構わない。でも、寂しいという思いすら覆い隠しあのような態度をとり続けることを見過ごす意味にはならなかった。


(愛されなくても良い。だけど明楽様の良さが誰にも伝わらないまま、嫌われてしまうのは耐えられない)


 だから行動を起こすのだ。

 それを悟っていたのか、弥生はふう、と息を吐いた。


「……ですがそこまでおっしゃられるということは、もう決めてしまわれたのでしょう?」

「あ、分かる?」

「もちろんにございます。わたくしがいったい何年、あなた様の髪梳きを勤めているとお思いで?」

「ふふ、そうね」


 一度こうと決めたことは、てこでも曲げないのが縁だ。昔からそれで良く怒られてきた。

 でも今回は特に、何があっても曲げるべきではないと縁は思う。


 まず第一に、明楽自身を変えること。

 そして縁が率先して、明楽に対する周りからの印象を変えることが大切である。


(だからまずは、明楽様と文通をするの!)


 心の中で拳を握り締めたことが分かったのか、弥生は笑う。そして手にしていた鏡を置き、しゃんと背を伸ばした。


「文の御指南でしたらお任せください。殿方が惹かれるであろう文章を、ともに考えましょう」

「ええ。あ、お返事が来なくとも、毎日送るからそのつもりでね!」

「うけたまわりましてございます、縁様」


 そんな約束を交わしたふたりはその仕事が終わると、文台(ぶんだい)で顔を突き合わせながらあれじゃないこれじゃないと言い合いながら一通の文を完成させた。



 ***



 昼頃。

 ひと通り外でやるべき政務を終えた明楽が本殿に戻ると、文台の上に文の山が置かれていた。


 またか、と明楽はげんなりする。そうでなくとも、各地の貴族からの手紙や献上品は後を絶たなかった。そんなものにばかり構っていたら、政務など終わらない。

 陰鬱な気持ちになりながらも文の選別をし始めようとすると、一番上にあった文に目が止まる。


 思わず、手が止まった。


 しかし何食わぬ顔で作業を再開すると、その文を静かに文箱に入れる。

 箱をそっと閉じた彼は返事を送るべき文と送る必要のない文を選別した後、紙に筆を滑らせた。

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