第4話「神器を司る巫女たち」

「まったくもって、なんなのだあの態度は!」


 剣巫女(つるぎみこ)であるたつきは、流麗な瞳を釣り上げながら憤りをあらわにしていた。彼女はたいそうご立腹で、未だに怒りの波を抑えきれないらしい。

 縁はそんな彼女にどう接したらいいのか分からず、隣に座る勾玉巫女(まがたまみこ)の千(せん)に助けを求めた。しかし気弱げな彼女は、それを見ることなく俯いている。


 縁は思わず、苦笑いをした。


(まぁ、たつき様が怒る気持ちも、分からないでもないのだけど)


 なんせ儀式は結局、途中で終わってしまったのだ。それもこれも、すべては明楽の勝手な行動のせいである。

 縁はそのときのことを思い出し、吐息した。


「まさかあの場で儀式を邪魔しただけでなく、途中退席をするなど! 神人にあるまじき行為だ、ありえん!」


 ――そう。たつきの言葉が、すべてを物語っている。

 なんと明楽は、儀式の最中に退席してしまったのだ。無言で剣を拾い立ち去ってしまった背中を、縁は惚けたまま見送った際のことを思い出す。


 神木に宿る神と一番通じているはずの神人が儀式を中途してしまうなど、前代未聞の事態だ。おかげで周りは大混乱。儀式を続けるどころの状態ではなかった。三人はそのため、別室に移されたというわけである。


 たつきの怒りが静まった頃、薬師(くすし)が薬湯を運んできた。縁は心の中で嫌な顔をする。


(この薬湯、苦いから嫌いなのよ)


 良薬口に苦し、とは言うが、それにしたって苦い。色も濃い緑で、なんとも言えず口に含みたくない雰囲気を漂わせている。

 その多さと苦みに辟易しながら、縁は薬湯を勢い良く流し込んだ。

 用意されていた白湯で口直しをすると、口に残っていた苦味が消え失せ次第に甘みが広がる。少し熱めの白湯が、少しばかり安心感を与えてくれた。


 儀式の後は必ず飲むこの薬湯は、失われた神力をできる限り早く回復させるためのもの。そのため巫女は、何かとこれにお世話になる。薬師は毎回その人にあった調合をし、調節をするのだ。

 はじめの頃は大抵の者が倒れる神力放出は、巫女の基本とも言えるものである。これができなければ巫女とは名乗れない。

 されど対象への負担が大きく、これをした後一刻二時間ほど休むことが厳命されていた。


 三人の様子を改めて確認した薬師は、特に異常がないことを知ると立ち去っていった。


 その場に残ったのは姫巫女三人と、それぞれ連れてきた侍女たちだけ。

 少しばかり気まずい空気が流れる。

 このままではまずいと、縁はおずおずと口を開いた。


「はじめまして。ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。わたくし、鏡巫女の縁と申します。これからよろしくお願いいたしますね」

「……ああ。そう言えば互いに名を知っているからと言って、自己紹介がないがしろになっていたな。わたしは剣巫女のたつきだ。お二方の噂はかねがね聞いている」

「……勾玉巫女の千です。その……よろしくお願いいたします」


 巫女社会というのは狭いもので、有名であればあるほど名が知られている。そのため今日初めて会った気がしないというのが縁の本音だった。同じ修行をした者として、同族意識のようなものもあるのであろう。

 少しぎこちなく始まった三人の話題の種はやはり、明楽についてだった。

 不満が大きいのはたつきらしく、拳を作りながら語り始める。


「顔合わせの際と言い、今回の儀式のときと言い、あのお方には神人としての自覚が足りない行動が目立つ。正直言って、期待はずれもいいところだ」

「わたくしは正直、そこまで期待しておりませんでした。むしろ情や恋心という無駄な感情が湧かない分、自分の役目に集中できます」

「千様はそのように考えておられるのだな。わたしは……仕えるのならば、心の底から信頼できる相手が良かったと思う」


 ただ淡々と義務に集中したいと言う千と、その一方で残念がるたつき。彼女たちにもそれぞれ、葛藤があるのだろうと思う。

 縁はそれを聞き、なんとも言えずいたたまれない気持ちにさせられた。胸元辺りがきゅう、と痛みを帯びる。


(ここで、声を大にして違うと言えたら良かったのに)


 しかし現実は甘くはない。縁が知っていた明楽は、彼がまだおさなごであったときだけだ。あれからすでに十年以上の年月が経ち、面影が残るは顔立ちだけ。


 人は変わる生き物なのだ。


 頭ではそれが分かるのに、心が追いつかない。

 恋心というものはそれほどまでに厄介で、自分自身でさえ制御の利かない暴れ馬のようであった。


(それにわたしは……あのまま儀式が続かなくて、嬉しかった)


 惚れた弱みとでも言うべきか。縁は正直、ホッとしていたのだ。

 途中でさえ激しい痛みを与える儀式をあれ以上続けていたら、と想像するとぞっとする。もともと修行が好ましくないと思っている理由も、自分の魂が削れていくような感覚がひどく恐ろしかったからだ。

 しかしこれを他の巫女たちに言うのははばかられた。


(だってあの儀式は、巫女ならば必要なものだから。むしろあれができるから、巫女になることができる)


 それを否定するということは、自分自身の存在意義すら殺すものだ。だから縁は本音をひた隠し、当たり障りのない言葉を言う。


「あの方は……どうしてあれほどまでに、横暴で傲慢な態度を取られるのでしょうね」

「知らん。わたしは、他人の心の中まで覗けないからな。だとしても、初対面の相手にあのような言葉を発するなど……神人云々というより、人としてどうかと思える。神人ならば何をしていいとお思いなのではないか?」

「……どちらにせよ、わたくしたちはあのお方に嫁いだ巫女です。あのお方のために、ひいてはこの国のために、命を賭しても役目を全うするべきではありませんか?」

「それは……そう、ですね」


 明楽の真意も分からない。彼女たちの意義や心意気も分からない今、縁が言える言葉は何もなかった。

 それからの会話はほとんどなく。

 縁はとぼとぼと本殿で与えられた私室に戻り、やるべき仕事を終わらせた。



 ***



 本殿からの帰り。縁はふと思い立ち、侍女たちを置いてある場所へと向かった。

 侍女たちは皆渋った顔をしたが、そこをなんとか押し通す。結局「少し離れたところで待っている」というのを条件に、縁は思い出の場所へとやってきた。


(あそこは、あの方と初めてお会いした場所)


 あそこに行けばすべてを捨てられるかもしれないと思い、縁はここへ立ち寄った。

 季節は春。日暮れの中見事な桜が咲き乱れ、その足元に色とりどりの花々が風になびかれ花を揺らしている。


 その光景は、昔と何も変わらない。

 縁は昔とは変わらない心を持ちながらも、確かに成長していた。


 そして明楽は。


 そんなことを思い、縁の目に涙がにじむ。

 されど足音が聞こえ、彼女は肩を震わせた。慌てて御簾の内側に滑り込み、身を固める。


(こんな場所に、一体誰が……)


 御簾の間から、少しだけ覗ける廊下。

 それを見つめ、縁は息を飲んだ。


 明楽。


 縁に気づく様子もなく廊下に座り込んだ彼は、しばらく庭を眺めていた。縁はその背中を固唾をのんで見守る。

 少しして、乾いた笑い声が聞こえた。


「未練たらしいなあ……」


 その声は。

 その優しい声は。

 昔聞いた、彼の声と同じで。

 縁の渇いた心にゆっくりと沁みてゆく。

 続いてやってきた声は、押し殺した泣き声だった。


「わたしが死んでしまえば、皆楽になるのかな」


 動かない。動けない。

 その場に縫い止められたように動かないからだとは正反対に、瞼から一筋涙が伝う。


 太陽がゆっくりと傾き、空が藍色に染まり始めていた――

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