木の中の不思議な不思議なお店
明石竜
木の中の不思議な不思議なお店
とある町の繁華街の一角に、一本の変わった形をした木がぽつんと立っていました。
その木の幹には、まるで洞窟の入口のような穴がぽっかりと開いています。
繁華街にあるので、何かのお店の入口かな? とも思われるのですが、看板はどこにも出ていないのです。
この物語は、偶然この木の前を通りかかった、とある一人の青年の体験記。
☆
「それではまず、鷹取さんの自己PRからお願いします」
「俺、わたくしは……その、けっこう、几帳面な、性格でして……地道な努力家で、継続力があり、挑戦意欲が高く、慈悲深く…………あの……えっと…………」
「では次の質問に移りますね。大学をご卒業されてからこれまで、どのように過ごされて来たのでしょうか?」
「えー、その、食品メーカーや、電機メーカーや、農協、学習塾、老人ホームなど、いろいろな企業を受けつつ、資格試験や、公務員試験にも、チャレンジを……」
十一月も半ばを過ぎたある日の昼下がり。
東京都心のどこかにある、とある中小IT企業採用試験、個人面接での一幕だ。
あぁ、今回も絶対、不採用だろうな。試験案内には〝面接は一時間程度を予定しております〟と書かれてあったけど、五分くらいで終わったし――今までにも何度もあったことだけど。今回に限っては最後に何かご質問はありますか? とも訊かれなかったな。
先ほど受けた会社が入居するオフィスビルから外へ出た俺、鷹取賢太は沈んだ気分で最寄りのJR駅へと向かって歩き進む。
その姿は傍から見ると、紺色のリクルートスーツがマッチ棒みたいな形をして路上を舞っているように見えるだろう。
俺の身長は一六五センチ。体重は、五〇キロにも満たない。標準的な成人男性と比較すれば、かなりみすぼらしい体格といえよう。おまけにどんよりとした目つきで大抵いつも暗い表情、鈍重な立ち居振る舞い、声が小さく話すペースも遅い。いかにも頼りなさそうな風貌なのだ。
集団面接、集団討論(グループディスカッション)の場において俺は毎回、同じグループになった他のメンバーと比べて最も発言量が少なかった。しかもその発言内容も周りから浮いてしまうような、あまりに突飛で的外れなものであることが多かった。他のメンバーや面接官を苛立たせたり、唖然とさせたりして来たことは枚挙に暇が無い。
入室してから着席するまでと退出する際の動作も、他のメンバーと見比べて悪い意味で一番よく目立ってしまうことが常であった。
今回受けたような個人面接の場においても、訊かれた質問に対して返答するまでにかなり時間がかかってしまうことがこれまでにも度々あった。そして答える時は大抵しどろもどろになってしまう。
ようするに俺は、コミュニケーション能力が著しく低いのだ。
面接結果は言わずもがな、いつも不採用となっている。
二十四歳、既卒二年目も後半な俺が大学三年次より就活をし始めてから、これまで三年近くで不採用となった企業の数は聞いて驚く無かれ、なんと延べ三百社以上にまで達している。
正社員はもちろんのこと契約・派遣社員、アルバイトですらも断られ続ける日々。
公務員試験も筆記は高確率で通過出来るのだが、やはり面接で撃沈。
就職活動をしていく上で、ごく普通の人ならば十社も受ければ少なくとも一、二社は採用に至るものだ。
俺がいかに社会から必要とされていないのかがよくお分かりだろう。
俺は簡単に入れる冴えない地方国立大卒。東大でなくとも早慶や、旧帝大のどこかに入れていれば、状況がかなり違っていたのかもしれないな。
ふと予備校の看板が目に留まった俺は、己の学歴の低さに改めて失望感を抱く。俺は学業面においても落ちこぼれだったのだ。
駅へ近づくにつれ、人通りもかなり増えて来た。俺のように一人で歩いている者よりは、複数で行動している者の方がずっと多かった。
そんな中、
「経理課長らしいあのデブ禿げの不細工なおっさん、マジうざかったなぁ」
「あんなキモいんが上司になったら最悪よね。絶対セクハラされるよ。あたしらが入るまで、いや次の入社前研修までに辞めるか地方飛ばされて欲しいわ。つーか死ねっ」
「不祥事起してクビになってくれたらマジうけるし」
とあるオフィスビルの出入口から、リクルートスーツ姿の男三人女二人の集団が現れた。
「そういやオレと同じゼミに横山さんってのがおるけど、あいつまだ内定一社も出んから就活続けとるらしいわ。七〇社以上連続で落ちた言うてたし」
「マージで!? ちょっと引くわそれ。そんだけ受けて決まらんとかあり得んだろ。そいつやば過ぎ。どんだけ無能なんよ。おれなんか一社目で即効決まったし」
「やるなあ。オレは一社目最終面接落ちで、二社目で初めて内々定もらった。オレの青学の彼女も三社目で地銀に決まっとったわー」
「彼女おったんかぁいっ!」
会話内容から察するに、おそらく就活をめでたく終えた来春卒業を迎える大学生達なのだろう。彼らは俺の前方を遮るように横に並んで歩き進みやがる。生き生きとした明るい表情で、じつに楽しそうに。男の方は皆、背丈が一八〇センチ近くあった。
七〇社落ち程度で無能扱いなのかよ? 陰口言い回ってモラル低そうな連中だな。
俺が不快に感じたその直後、彼らの一人がとんでもない行動をとった。飲み終えた缶コーヒーを道路脇に平然とポイ捨てしたのだ。
「あっ、彼女からメール来てるわ。これからお台場来いって。うぜえっ」
罪悪感に全く駆られてないのだろう、彼はスマホを取り出していじり始めた。
採用担当者共はあんなろくでもないやつらに内定与えてるのかよ。ああいうのは社内とかでは礼儀正しくマナー良く振る舞ってるんだろうけど、外へ出ればあんな態度だ。皮肉なことに、ああいうタイプの人間って他人に媚びへつらうのも上手いんだよな。
彼らの発した言葉や行動に、俺は強い憤りを感じた。思わず路肩に落ちていた小石をぶつけてやろうかと思ったほどだ。
俺の方が、あいつらなんかよりもずっとずっとモラルの高い人間だってことを教えてあげよう。これは、スチールだな。
俺は誰からも褒められるわけでもないのにU字磁石のような形に腰を曲げ、彼の投げ捨てた缶コーヒーを拾い上げ、そこから三〇メートルほど先にあった自販機横の空き缶入れにきちんと分別して捨ててあげた。
引き続き、俺は俯き加減で歩き進む。
学生の身分の内に易々と仕事にありつけてしまうやつらって、仕事をさせてもらえるということが、いかにありがたいことであるのかが一切理解出来ない人間になっていくんだろうな。仕事は貰えて当然、適当に仕事してても給料いっぱい貰えるんだって舐めた考えになるんだよ、絶対。特に一流企業勤めや公務員の方々はその傾向が顕著だろう。何でも自分の思い通りになるという、我侭で横柄な人格も形成されていくに違いないぞ。実際、仕事に就いてるやつらって、短気で傲慢でモラルに欠けたのばかりだからな。さっき銀行員っぽい四人組が平気な顔で信号無視して横断歩道渡ってるのを見たし。道いっぱいに広がって、のろのろ歩いてるサラリーマン・OL連中はけっこう見かけるなぁ。他の歩行者の邪魔になってるってことを何とも思わない自己中なやつらなんだよ、きっと。だいたい悪徳業者の存在。パワハラや給料未払い、不当解雇といった職場いじめっていうのは、冷酷で悪辣でモラルに欠けたやつらばかりが仕事にありつけてしまっているからこそ、社会問題化しているんだろ。
そんな持論を心の中で呟いてしまいながら、JR駅構内、自動改札を通り抜けたちょうどその時、
「ん?」
俺のスマホがブーッと震えた。
メールか。
俺はホームへ通じる階段を上りながら、スマホをズボンポケットから取り出す。
採否結果のご案内かよ。
件名を見ると、期待を全くせずにメールの中身を開いてみた。
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鷹取 賢太様
アスキーメディアソフト株式会社
総務部人事課 採用担当 杉浦 志緒利
採否結果のご案内
晩秋の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。 この度は、弊社求人へご応募いただき、誠にありがとうございました。
さて、今般の選考に当たりまして慎重に検討いたしました結果、今回は貴意に添えないとの結論に至りました。何卒ご了諾戴けますようお願い申し上げます。
末筆ながら、貴殿の今後ますますのご健勝をお祈り申し上げます。
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予想通りの不採用通知。
またかよ。日常的にもらい慣れているとはいえ、やはりきつい、精神的に。ていうかさっき受けたばかりの会社じゃないか。来るのが早過ぎだろ、採否結果は一週間程度で連絡致しますって言ってたけど、一週間どころか一時間も経ってないぞ。それに、書面ではなくメールって失礼だろ。いつも思うが何が〝慎重に〟だよ。どうせ即、不採用と決めたんだろ。まあ、通知が来るだけでも良心的だな。応募してもそれ以降全く音沙汰ない場合も多々あるから。俺に、いつまで就活させる気だよ? どこまで俺を追い込むのか――。
俺はもう一生、就職は無理なのか?
俺の社会に対する恨みは日に日に増すばかりだ。長期の就活経験で失った履歴書代、証明写真代、交通費、封筒代、郵便料金。それらの額は莫大なものになっていた。
経歴にも、救いようのないくらい致命的欠陥を抱えてしまった。学生の身分の内に就職先を決め、最終学歴後すぐに勤務し始めるのが一般的な日本社会。俺のようにそのレールから外れた者は、就職がますます困難な状況に追い込まれてしまうのだ。
事実、俺も大学を卒業して無職となって以降は書類選考の段階で撥ねられ、面接にすら辿り着けないケースが顕著に増えていた。
内定通知って、本当に実在するのかよ? 伝説上の幻のアイテムなんじゃないのか? ここまで不採用が続くと、その存在すら疑わしいぞ。
俺にとって内定通知なんてものは、もはや空飛ぶ絨毯やランプの魔人、人魚、河童、ミノタウロス、ペガサスといった空想上の存在物と化しているのである。
なんか、就職活動をすればするほど、ますます内定からは遠ざかっているような錯覚さえしてくる。俺の履歴情報がいろんな企業や役所に行き渡って、採用しないように仕向けられてるんじゃないのか? これだけたくさん受けまくっていればな。
俺は不採用通知を受け取ったショックからか、ホームのベンチに座り込んで根も葉もないことも頭に浮かべてしまう。
面接、予定より随分早く終わっちゃったし、本屋にでも、寄るか。
ふと思い立った俺は、ほどなく同じホームにやって来た山手線各駅停車に乗り込み、何駅か先で途中下車した。
なんとも鬱屈した気分で、時間潰しのため近くの馴染みの本屋へ立ち寄る。
面接対策の本は山のように出てるけど、本番じゃ全然役に立たないないよなぁ。そろそろ家帰るか。
俺は新書や就活対策本コーナーなどを三〇分ほど立ち読みしつつ、うろうろしながら過ごして外へ出た。
ん? あんな所に木が立ってる。一週間ほど前にこの辺来た時は更地だったはずなのに。
ふと目に留まり、不思議に思った俺は興味本位でその木の前まで歩み寄った。
ケーキ屋さんと靴屋さんに挟まれるように立っていた。
木の高さは五メートルほど。それほど高いわけではない。
葉っぱは新緑のように青々と生い茂っていた。黄や赤や茶色に染まり、落葉しつつある付近の街路樹とは対照的だ。
「なんか穴が開いてるぞ」
幹はけっこう太め。そこにぽっかりと開いていた穴の高さは一メートル弱。
これは大人なら屈まないと通れない。
俺は吸い寄せられるようにその穴の中へと入ってしまった。
真っ暗闇は一瞬で晴れ、
「いらっしゃいませーっ!」
「いらっしゃーい♪」
「いらっしゃいませ」
三人のメイド服姿な若くてとても可愛らしい女の子から温かい歓迎を受けた。
背丈一六〇センチくらい。ほんのり茶色な髪をポニーテールにし、面長ぱっちり垂れ目な高校生くらいに見える、おっとりのんびりとした感じの子。
背丈一五〇センチ台前半くらい。丸顔で丸眼鏡をかけ、濡れ羽色の髪を赤いリボンで三つ編み一つ結びにしていた、中学生くらいに見える清楚で大人しそうな子。
ほんのり栗色なおかっぱ頭を水玉ダブルリボンで飾り、丸顔でくりっとした瞳、一三〇センチくらいの背丈で小学生にしか見えない活発そうな子。
三姉妹のように思えた。
「このお店は三日前にオープンしたばかりですよ。お客様、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
ポニーテールの子が、呆然としていた俺におもてなしの言葉をかけてくれた。
木の香りがすごく心地よい、明るい店内だった。外の喧騒も全く聞こえて来ない。それに外からは想像も付かないくらいとても広々としていた。
中央部が木をくりぬいたような円形の吹き抜けになっていて、六階まであると思われる。
天井までの高さは、二十メートル以上はあるんじゃないだろうか?
まるで俺が不思議の国のアリス症候群にでも罹ったかのような奇妙な感覚だ。
メイド服姿ということは、ここはメイド喫茶なのか?
一応、俺は店員さんに尋ねてみた。
「あのう、ここはメイド喫茶、なのでしょうか?」
「いいえ。木の中の癒し屋さんですよ。私、店長のひばりと申します。お客様、ごゆっくり楽しんで下さいね」
ポニーテールの子の名前は“ひばり”というらしい。
本名なのかは不明だけど、まあどうでもいいや。それよりもどんなコンセプトのお店なのかの方がずっと気になる。
「癒し屋さん? 俺、そんな店聞いたことないよ」
「人間関係などにくたびれて、心を病んでしまったりした人々に幸せなひと時や、心の安らぎを与える癒しの場所です。ここには最高の癒し空間がございますよ」
ひばりさんはにっこり笑顔で伝えた。
「さあ、奥の大部屋へどうぞ。ワタシ、案内人のつぐみです」
「あっ、どっ、どうも」
三つ編みの子はつぐみさんか。
俺はこの子に案内されるがままに、木で出来た緩やかな螺旋階段を上っていく。
「木の穴を抜けたところがグラウンドフロア。それより一つ上が一階となっております。イギリスの数え方と同じですね。各階八部屋ずつ、101号室から508号室まで全四十部屋ございまして、お客様は五階506号室がご利用になられます。101号室から502号室まではただ今、すべて他のお客様で埋まっております」
「この店、そんなに人気があるんだ!」
俺はかなり驚いた。
「はい。二十四時間いつでも満席かそれに近い状態です。各部屋冷暖房器具は一切備えておりませんが、自然のぬくもりや涼しさを感じられますよ。お客様のお名前は、何と申されるのですか?」
「鷹取、賢太です。漢字では、鳥の鷹と、鳥取の取るって字の方でして」
「そうなのですか! ワタシ達と同じく、鳥さんに関係してて素晴らしいお名前ですね」
「そっ、そうでしょうか?」
俺はつぐみさんと緊張気味に会話を弾ませているうちにあっという間に五階へ。
「こちらの入口がお部屋の中へと繋がっております。穴を通り抜けましたらまっすぐ前へとお進み下さい」
木の壁に506と書かれた木製ネームプレートが張られており、その下にぽっかりと穴が開いていた。ここもまた洞窟の入口みたいだったのだ。
俺は少し屈んで恐る恐る穴を通り抜ける。
しばらく薄暗いけど幻想的な雰囲気のトンネルが続き、やがて出口が見えて来た。
出口を抜けて入ったお部屋には、クヌギの切り株のテーブルや道具箱、観葉植物などがたくさん飾られていた。
川のせせらぎや、鳥のさえずりも聞こえてくる。
フローリングとなっていて、広さは八畳ほど。ゆったりくつろげそうだ。
壁と天井も木で出来ていた。
フランス窓の向こう側には、森の中の光景が広がっていた。遠くに泉も見える。
木漏れ日も降り注いでいて、なんとも摩訶不思議な空間だ。
「なんかこの部屋に入った瞬間、急に気分が良くなったよ」
俺は道具箱を漁って、中のものをいくつか手にとってみた。
「紙粘土に、折り紙に、つみ木にカスタネット――他にも懐かしいものがいっぱい。幼い頃よく遊んだなあ」
俺は知らず知らずのうちに童心にかえって、それらで遊んでいた。
「スケッチブックも置いてある。お絵描きしよっと」
下手くそな絵をクレヨンでいっぱい描いて楽しんだりもした。
「次は本棚を見てみるか……絵本がいっぱいだ。『ぐりとぐら』とか、『からすのパンやさん』とか、『しろくまちゃんのほっとけーき』とか、幼い頃しょっちゅう読んだよ。久し振りに読んでみるか」
俺は絵本についてもまた、童心にかえって切り株のテーブル上に並べ、片っ端から夢中で読み漁った。
体と頭脳は大人になったけど、まるであの頃に戻ったかのような読後感が味わえた。
外に出れるのかな? あの森、窓に描かれた絵か映像じゃないよな?
気になった俺は、窓を開けて身を乗り出してみた。
本物の森だった。
俺はわくわくした気分で森の中へ入って行く。柔らかな日差しと小風がとても心地よい。
しばし森林浴を楽しんで、あのお部屋へ戻った途端、なんか眠くなって来た。
「お昼寝でもしよう。ん? あの隅に置かれてる緑色の物体はいったい何だろう?」
幸福感たっぷりでうつらうつらしていた俺は、気になって手に取ってみた。
これ、お布団かな? 巨大な葉っぱを巻いたような形だけど。
その隣にCDプレーヤーも置かれてあったので、俺はさっそくスイッチを押してみた。
ゆりかごのうたを カナリアがうたうよ♪
古くから親しまれている子守唄が流れて来た。やはりこれはお布団のようだ。
そう確信した俺は、子守唄に耳をそばだてつつお布団に潜り込む。
ふかふかして、とても気持ちいい。
ほどなく、俺はすやすや眠りに付いた。
☆
森の中で小鳥やリスやウサギと戯れたり、キリギリスたちの演奏会を聞いたり、とっても楽しい夢を見ることが出来た。
☆
「あ~、よく寝た♪」
そして今までの人生の中で最高の目覚め気分を味わうことも出来た。
お腹もすいて来ちゃった。そういえばここ、食事も出来るって言ってたな。確かこの郭公の置物に付いてるボタンを押して呼ぶんだったな。
俺がそのボタンを押して、道具箱から取り出した『里の秋』などの童謡CDを聴きつつ、飛び出す絵本を読みながらしばらく待つと、
「お待たせしました。わたしはお料理担当のくいなだよ」
おかっぱ頭の子がトンネルに通じる穴を抜けて料理を運んで来てくれた。
「どうもありがとう」
とてもいい香りがした。俺の顔は自然にほころぶ。
「メニューはどんぐりで作ったクッキーやお団子、紅茶とはちみつの香りの天然酵母パンとクルミパン、ラズベリーのケーキ、のプリン、きのこのグラタン、お飲み物はどんぐりコーヒーだよ。自然の恵みがふんだんに使われてるよ。どうぞ召し上がれ。おかわりも自由に出来るよ」
「どんぐり料理なんて初体験だ」
俺は期待たっぷりに食事に手をつけた。
「心がとろけそうなほどすごく美味しい。この店のサービスは全てが最高だな。中でも特に葉っぱのお布団で眠ってる時は赤ん坊に戻ったような感覚で、とても幸せな気分を味わうことが出来て」
「それはよかったです♪ 鷹取さんは、オトシブミっていう昆虫さんを知ってますか?」
「聞いたことはあるよ」
「オトシブミは、葉っぱでゆりかごのようなものを作り、その中に卵を産むの。ここのお布団はそれをイメージして作られてるの」
くいなちゃんは無邪気な笑顔で楽しそうに教えてくれる。彼女は他にも俺に生き物に関するいろんなお話をたくさん聞かせてくれた。
俺は至福のひと時を過ごすことが出来た。
このお部屋から出て、またトンネルを抜けて階段を下り、グラウンドフロアに戻ると、
「「「鷹取賢太様、ご利用、誠にありがとうございましたっ!」」」
ひばりさん、つぐみさん、くいなちゃんは声を揃えて感謝の言葉を述べてくれた。
「感謝したいのはこっちの方だよ。目一杯楽しませてもらって、利用料金を聞くのが少し怖いなぁ」
「人を幸せにさせるのにお金なんていりません。それに私たち、使い道がありませんから。なんてったって私たちは」
ひばりさんがそう言った次の瞬間、
「えっ!」
俺は目を疑った。
「「「名前のとおり、正体は小鳥さんなのですから♪」」」
ひばりさん、つぐみさん、くいなちゃん、みんな名前と同じ小鳥の姿に変身したのである。三人、いや三羽は声を揃えて打ち明けた。
すぐにまた人間の姿へと戻る。
「お金がいらないってのも驚いたけど、これはさらに驚いたよ。きみたち魔法使い?」
「妖精さんと言った方が正しいかもです。私たちは時々、本来の小鳥の姿で街の中に出て人々の生活を観察していたのです。その時、人生にくたびれて暗い気分になっている人々をたくさん目にしました。そんな人々のために、私たちが大自然に囲まれて、大空を自由気ままに飛び回っている時みたいに幸せな気分を味わってもらおうと思い、このお店を開いたのです」
ひばりさんは爽やかな笑顔で打ち明けた。
「ワタシ達は、人間は歳を取るにつれ、心がすさんでしまうお方が増えていくことに気付きました。そこで幼い頃の純粋な気持ちに戻ってもらおうと、遊び心満載のお部屋に設計しました」
つぐみさんが続けて伝える。
「確かに俺も大人になるにつれて、いろんな理不尽な経験をして世の中のいろいろな不条理な一面が分かるようになると、心がすさんで来たよ。幼い頃の何も知らなかった頃は、将来の不安も無くて毎日がすごく楽しかった。今日は忘れかけていたその頃の純粋な気持ちに戻れてよかった。やっぱ童心は大事だね」
「鷹取さんに満足してもらえてわたしもとっても幸せ♪ 一番お若い層では、中学生くらいから恋や受験や部活動、友人関係、進路などの悩みを抱えてこのお店を訪ねて来るよ。わたしはいつまでも童心でありたいな。ここは大人になっちゃった人の誰もが童心にかえれる、森のファンタジーランドなの」
くいなちゃんは満面の笑みで伝えた。
まるで夢の中にいるみたいだった。
俺は念のため、ほっぺたを強く抓ってみた。
痛かった。
現実だったようだ。
俺は生きる希望が沸いて来た。
五時間以上はいたと思うけど、こっちでは時間、全然経ってないみたいだな。本当に摩訶不思議だ。
あの店から外へ出た俺は、踵を返してもう一度木の穴の中に入ってみた。
店はなかった。
単なる空洞だった。
外の喧騒もしっかり聞こえた。
さっきまでの出来事は、やっぱり夢だったのだろうか?
☆
あれから三年後、俺は童話作家として大活躍するようになっていた。たくさんの夢と希望溢れる楽しい本を出版し、今度は俺が人々に幸せを与えるようになったのである。
もちろん俺自身もとても幸せである。
今の俺があるのは、あの時ふと立ち寄った木の中の不思議な不思議なお店のおかげであることはいうまでもない。
その木は今も変わらず、同じ場所に立っている。木も生長し、お部屋の数もあの時より十六部屋増えたらしい。
これからも現代社会に生きる、多くの人々のすさんでしまった心を癒し、幸せな気分を届けていくことだろう。
(おしまい)
木の中の不思議な不思議なお店 明石竜 @Akashiryu
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