Final Turn
「義堂さん、大丈夫ですか!? 今、止血します!」
返崎さんは自分のポケットからハンカチを取り出して僕の腹部の血を抑える。既に『リサイクル』のナイフは崩れ落ちていて、その痕跡を残してはいなかった。
「返崎さん……君に言っておくことがある」
腹部の傷の痛みを感じながらも、僕は彼女にもどうしても言っておきたいことがあった。
「君が、僕を恨んでいるのなら、このまま僕を放置してくれ。君には、その権利がある」
そう、僕は彼女を殺したのだ。彼女が僕を恨むのは当然の感情であり、彼女が僕を死なせるのも当然の権利であると思う。
だが返崎さんは、首を横に振った。
「恨んでいるわけがありません。私こそ、本当に申し訳ありませんでした」
返崎さんは目に涙を浮かべながら、僕に頭を下げる。その姿に、僕は腹部の傷以上の痛みを心に感じた。そして彼女は携帯電話を取り出し、救急車を呼ぶ。
「……返崎さん。君はこれからどうする? 既に『リサイクル』は消えて、僕は全ての真実を受け入れた。君がもう、僕の前で死ぬ必要はないはずだ」
そうだ、もう彼女は死ぬ必要はない。これからは彼女の人生を歩むことが出来るはずだ。
だが、その考えは甘かった。
「いえ、やはり私はあなたの前で死ぬことになりそうです」
「……え?」
「これをご覧ください」
返崎さんは僕に左手首を見せる。そこにあったリサイクルマークが赤く光っている。
そしてその光が左手にも及び、徐々に左手が崩れ去って行く。
「こ、これは!?」
「……きっと、時間が来たのでしょう。元々、私は一度死んだ人間。それに、義堂さんもご存知でしょう? 『リサイクル』に再構成されたものは、長くは形を保っていられないことを。それは私も例外では無かったのです。むしろ、よく持った方でしょう」
「そんな……」
どうしてだ。これからやっと彼女は自分の人生を歩むことが出来るはずだったのに。どうしてこんなことになったんだ。
いや違う。わかっている。これは僕のせいだ。僕が天青素子を殺したからこうなったんだ。
僕がどんなに後悔しても、もう遅い。赤い光は既に彼女の全身に回っていて、少しずつその形が崩れ去って行く。
「義堂さん、最後に一つだけ質問させてください」
「……」
「あなたは、私のことが好きですか?」
……これは、彼女の最後の質問だ。出来ることなら、彼女が望む答えを言ってあげたい。
でもダメなんだ。それじゃダメなんだ。だって僕はあの時、既に選択していたのだから。
「……僕はやっぱり、君のことが嫌いだったよ」
だから僕は、彼女に残酷な言葉を放つ義務があった。
「そうですか……」
「でも」
「はい?」
「もし、僕が、僕たちが間違えなかったら、僕が君を好きになる未来もあったはずだった。それは、今でもそう思っている」
それは僕の本心。僕がもっと彼女を恐れず真剣に向き合っていたら、そんな未来もあり得たと思っている。
その言葉を聞いた返崎さんは、安らかな微笑みを浮かべる。
「それを聞けて良かった……」
だがその微笑みも、徐々に赤い光と共に崩れ去って行く。もはや彼女は声も出せない筈だ。だけど、僕にはこう聞こえた。
(義堂さん、今までありがとうございました)
その声と共に、『返崎鈴音』は完全に崩れ去り、その姿を……消した。
一人残された僕は、未だに痛む腹部を押さえながら歯を食いしばる。
ダメだ。泣いてはダメだ。僕にそんな資格なんて無い。なぜならこれは全て僕の行動の結果なのだから。だから僕は泣いてはダメなんだ。
だけど、そんな僕の意志とは裏腹に。
「う、ああああああああああああああああああああっ!!!!」
僕の両目からは、涙が止まらなかった。
その後、僕は救急車で病院に運ばれて入院することとなった。
金水朝顔の死について警察から話を聞かれることにはなったが、僕はそれについては知らないと突き通した。彼を死に追いやった凶器もこの世には既に存在しないし、彼の死の状況から見て、僕が刺したわけでは無いことが立証されたため、金水は事故死したとして扱われた。
そして、金水朝顔が持っていた写真は救急車が来る前に処分した。あの写真について警察に聞かれても天青素子の死体は永遠に出てこない。ならばあの事件のことは僕の心にしまっておくのが得策だと思った。
だが決して、僕が許されたわけでは無いということはわかっている。例えこの社会で裁けないとしても、天青素子と金水朝顔を殺した僕の罪は永遠に残るのだ。そのことは忘れなかった。
そして数週間後、退院した僕はある家を訪れた。
「いらっしゃい。あなたが行峰くんね? さあ、上がって頂戴」
「はい、お邪魔します」
僕は退院した後、返崎さんの住所を教師から強引に聞き出した。そして今、僕は返崎さんの家で彼女の母親となっていた人と対面している。
その人の名前は、返崎桜子。中学校の教師をしているそうだ。彼女の顔はまるで本当の家族のように返崎さんに似ていたが、その落ち着いたふるまいのせいか、返崎さんとは受ける印象が全然違った。
「それで? あの子の行方について話してくれるんだよね?」
僕は返崎先生に返崎鈴音の行方を知っていると話し、彼女と面会することになっていた。だが僕は、彼女に残酷なことを言わなければならない。
「はっきり言います。鈴音さんは……あなたの娘さんは、もう戻ってきません」
全てを話すわけにもいかなかった。信じろと言う方が無理があるし、余計に事態が混乱すると思ったからだ。
だけど、これだけはこの事態を引き起こした張本人として、彼女に言うべきだと思った。だから僕は今、こうして残酷な事実を彼女に話している。
「……そう、なの」
意外にも、返崎先生は取り乱すことなく、僕の言葉を受け入れた。僕としては、相手が怒りのあまり僕を殴ることも予想していたので、面喰らった。だけど先生はしばらく目を伏せて、沈黙した。
「ねえ、私がすんなりあなたの言葉を受け入れたのって何でだと思う?」
しばらくの沈黙の後、返崎先生はそんなことを言いだした。
「……正直、わからないです。何故僕の言葉を真実だと思ったのですか?」
「いつか、この時が来ると思っていたのよ。あの子は突然私の前に現れた。だからいなくなるのも突然なんじゃないかって、覚悟していた」
「……」
「だから今、その事実を受け入れることが出来るのよ」
だけど返崎先生は、それでも僕と目を合わせようとはしない。
「それでね、もうあの子が戻ってこないと分かった今、あなたに伝えておくことがあるわ」
「……なんでしょう?」
「あの子が、たった一年でも私の娘になってくれて幸せだった。母さんがそう言っていたって、あの子に伝えてほしいの」
「……わかりました。必ず伝えます」
「ありがとう……」
そして僕は席を立って、家を後にしようとした。
「送って行かなくて大丈夫?」
「……大丈夫です」
「そう、ありがとう……」
返崎先生の好意を断り、僕は玄関から家を出て、扉を閉めた。
――その直後に聞こえた慟哭は、僕の耳には入っていないことにした。
それから五年が経った。
僕は大学に進学し、中学校の教師になるべく教職課程を取っていた。
僕が教師を志した理由は一つ、子供たちにしっかりと自分の意志を持ってほしい。そう思ったからだ。
教師に出来ることは限られている。だけど僕は、僕たちのような間違いを抱えて生きる人がいてほしくない。その手助けが出来るなら何だってする。それが僕の贖罪だ。
そう思いながら、大学への道を歩いている時だった。
「きゃあっ!」
僕の足に、小さな女の子がぶつかった。
「あ、ごめん! 大丈夫だった? 怪我はない?」
「う、うん、大丈夫だよ」
女の子は笑顔で僕に無事をアピールする。
「こら! ちゃんと前を見て歩きなさいっていつも言ってるでしょ!」
「ごめんなさい……」
前から女の子の母親らしき人が来て、彼女を叱りつける。その時、あるものに気が付いた。
「あれ? あの、そのアザは……? やっぱり怪我をさせちゃいましたか?」
「あ、これはこの子に生まれつきあるものですよ。安心してください」
「そうですか……」
そのアザの形は、どこかで見覚えがあるものだった。そして僕は、しゃがみ込んで女の子の目を見る。
「あのさ、本当にごめんね。君の名前は何ていうの?」
「わたし? わたしは、『スズネ』って言うの!」
「……そうか、いい名前だね」
「うん!」
『スズネ』と名乗った女の子は、僕に手を振った後に母親と共に歩いて行った。
……これは只の偶然かもしれない。そしてあのアザもただのアザなのかもしれない。
だけど、それでも僕は。
彼女の、『
返崎Re-cycle 完
返崎Re-cycle さらす @umbrellabike
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