第5話

 その巨大な生き物がなんなのか、ヨシヒサにはすぐには分からなかった。だが、ロキシーたちがその巨大な生き物の方向からやってくるのが分かった。ロキシーはその巨大な生き物の体の領域の内側に入ると、活動が活発になるように見受けられた。

 その生き物は、大きさが二万光年あった。

 その巨大な生き物ににらまれると、だれもが本能的にとてつもない恐怖を感じた。ヨシヒサもまた例外ではなかった。星よりもはるかに巨大なその構造物は、そのあまりの巨大さによって、対峙する相手に畏怖を感じさせる刺激をもっていた。ヨシヒサはその巨大な生き物に包まれながら、その爪を突きつめられて、威嚇されていた。

 その巨大な生き物がぎろりとヨシヒサを見た。確かに見たのだ。そして、話しかけてきた。

「やあ、気まぐれな隣人よ。機嫌はいかがかな。おれが見えるかい。さっそくだが、会ったばかりのきみに頼みがあってね。助けてくれ。おれはとても困っているんだ。おれの声が聞こえるかい。助けてくれ。頼む。助けてくれ」

 ヨシヒサはそれを見た。それは宇宙に浮かぶ巨大な星による構造物で、地球の細菌が五千億個の分子による構造物であるように、それは星が四百億個集まってできた構造物だった。

「あんたは何者だ」

 戦闘中のヨシヒサが叫んだ。

「おれはヤーヤードゥーヒー。分かるかい、おれの姿が。おれはこうみえてもけっこう長生きの丈夫なやつなんだが、それでも最近は困ったことになっちまってね。なんとかしようにも、どうにもならないんだ。助けてくれないか。きみなら、おれを助けれるかもしれない。頼む。助けてくれ。早く。助けてくれ」

 巨大な生き物が答えた。

「いったいどうしろって。こっちにはだれかを助けるだけの余裕はない」

 ヨシヒサがいう。

「助言をくれ。きみの助言がほしい。おれは宇宙的に見ても珍しい個体の危機に遭遇している。別の個体であるきみに、おれのような危機に遭遇したら、どうしたらいいのか教えてほしい」

 ヤーヤードゥーヒーがいう。

 ヨシヒサは危機ということばに警戒心を抱き、慎重になる。何かとても解決できないような無理難題をたずねられるのではないかと不安になる。

「分かった。答えてやる。早く聞け」

 ヨシヒサがいう。

「ああ、聞いてくれるか。ありがたい。きみのような親切な友人に出会えて、おれは運がよかった。実は、悩みというのはだな、おれの白血球についてなんだ。おれの体の白血球が文明に目覚めてしまった。おれの白血球は、おれの体のなかで勝手に道具をつくって暴れまわり、ある時、おれの体をぶち壊して、体の外に出かけていってしまった。しかも、この白血球が勝手に他の生命体を見つけて、喧嘩を売っているんだが、どうしたものだろうか」

 ヤーヤードゥーヒーがいう。

 ヨシヒサはその質問にめんくらった。自分の白血球が文明に目覚めた?

「悪い。質問の意味がわからない。助言できそうにない」

 ヨシヒサがいう。

「ああ、それは困った。生命体というのは、お互いに立たされた立場のちがいで、ものの見方というものがまるで変わるというが、これはそれかもしれない。おれがもっときみの立場に立って、わかりやすいように質問するべきだった。つまりだ。きみの戦っているロキシーという生き物は、実はおれのよく知っている生き物で、おれはロキシーを守ってやりたいと思っているんだ。それで、ロキシーをどう守ってやるかをきみに教えてもらいたいのだ」

 ヤーヤードゥーヒーがいう。

「ロキシーとは何者だ」

 ヨシヒサがいう。

「おれの白血球だ」

 ヤーヤードゥーヒーが答える。

「きみが戦っていた白い糸くずのような生き物たちはおれの白血球だ。白血球が使う星はおれの筋肉だ。つまりだ。簡単にいうと、きみはずっとおれと戦っていたんだ」

 ヤーヤードゥーヒーがいう。

 ヨシヒサは黙る。

「そこでだ。きみの助言がほしい。おれの白血球はおれのいうことを聞かない。だが、それでも、おれの白血球なのだ。おれはどうしたらいいだろう。白血球がおれの体を破って外にあふれだしてしまったのだ」

 ヤーヤードゥーヒーがいう。

「あんたがロキシーと一体だというなら、おれはあんたを殺すかもしれない」

 ヨシヒサがいう。

「ああ、それはひとつの考えだ。おれが死ねば、白血球も死んでしまう。白血球が死んでも、おれは死んでしまう。おれと白血球は同じ体を共有しているのだ。だが、それよりもこの難問にきみの助言がほしい。助けてくれ。ロキシーが暴れるせいで、おれの体はあまりいうことをきかないのだ。きみが嫌だといっても、むりやり意見を聞かせてもらうよ」

 ヤーヤードゥーヒーがいう。

 巨大な生き物の爪が動いた。そして、ヨシヒサは再び激しいめまいがした。


 気づくと、ヨシヒサは地球で普通に生活していた。朝食を抜いて仕事に出かけ、いつもどおり工場の部品の組付けを行い、帰ってきてからアカネに会った。だが、なんだか、体の様子が変だ。なぜか不思議と体内の様子が手にとるように分かり、どうも血液のなかの白血球の動きが元気良すぎるような気がする。ああ、そうか、分かった。

 これは困ったぞ。体内の白血球が文明に目覚めてしまった。白血球たちが体のなかで家をつくり、火をおこし、袋を持ち歩いて獲物をとるようになった。白血球が電話を発明して、体のなかに電話線を引きだしたし、体のなかを自動車のようなものが走りだした。まずいことになったぞ。白血球のやつらは、おれの体を大事に使ってくれるだろうか。白血球が体内の資源を掘削して、産業を起こしている。白血球たちが体内の環境をつくりかえてしまう。

 白血球が繁栄したのだから、体内の異物はすさまじい速度で発見され解体されていく。

 やばい。白血球のやつらの行動の効率があがりすぎている。白血球がおれの体をつくりかえていく。白血球が繁栄して、おれの体の形が崩れる。

 右手と右足が崩れ落ち、立っていられなくなる。腹が希薄にふくれあがる。死にそうで死なない状態に、白血球によって維持されたかのようだ。

「うわあっ」

 ヨシヒサが悲鳴をあげた。

 夢だ。今のは夢だ。現実じゃない。これはヤーヤードゥーヒーがおれに見せた夢なんだ。おれの白血球は別段いつもと変わりなく、体内を巡回している。まだ文明に目覚めたりなんかしてはいない。おれの体は無事だ。崩れたりなんかしてはいない。

 白血球が文明に目覚めたため、人類が滅亡するという筋書きが脳裏をかすめた。考えたこともない滅亡の筋書きだ。白血球が文明に目覚めると、人の体が解体されるのか。

 ヨシヒサは、正気を保って、ヤーヤードゥーヒーを見た。今のは、ヤーヤードゥーヒーがおれに見せた夢だ。

「おれの気持ちをわかってくれるか、気まぐれな隣人よ。ある時、おれの体内の白血球が文明をもち、おれの体をつくりかえながら、体の外を侵略し始めたのだ。おれは焦った。激しく動揺した。そのおれの気持ちをわかってくれるか」

 わかる、とヨシヒサは思った。

「おれとは何だ。おれの白血球たちは、おれの一部ではないのか。おれの自我とは、そして、白血球の自我とは」

 その戸惑いもわかる、とヨシヒサは思った。

「許してくれるか、おれを。おれの白血球がしたことを。わかってくれるんならいいんだ。本当にどうしようもなかったんだ。白血球と仲良くやるってのは、本当に難しいものさ。わかってくれるんなら、それだけでいいんだ。白血球が体からあふれだした時、きみはおれと同じくらいびっくりしてあわてふためいた。それがわかればいいんだ。おれはおれの白血球があふれだした時、かなりあわてふためいて、いくつもへまをやらかしちまった。それがしかたがなかったことだと思えるんならいいんだ。おかげで、ずいぶん気が楽になった。最後にいうよ。おれを殺さないようにおれの大動脈を傷つけてごらん。それだけで、きみの問題は解決すると思うよ」

 ヤーヤードゥーヒーがいった。

 ヨシヒサはいわれるままに、ヤーヤードゥーヒーの大動脈を光速砲で撃った。はるか遠くで、ひとつの星がプラスチックの弾に当たり、消滅した。

 ロキシーは、自分たちの本体の死の危険を察知して、大騒ぎになった。ロキシーには白血球であるという本能がまだ残っており、本体の生命の維持を最優先にするために、実は本体を傷つけるような行動を極度に恐れるのだった。ロキシーたちは、ヨシヒサに関わるのは種族存続の危機だと判断して、いっせいに軍隊を引きあげはじめた。

 ロキシーは、たった一発の危機で銀河征服をあきらめた。何体のロキシーが虐殺されてもひるみもしなかったロキシーたちは、ヤーヤードゥーヒーに少しでも危機があるのだと分かると、迷うことなく撤退を決意した。一部の隙もない撤退で、ロキシーは逃げていった。

 やつらはまだ白血球なんだと、ヨシヒサは思った。


 戦火にもかかわらず、銀河に光る星たちは美しかった。ヨシヒサが撃ち落とした星たちの残骸は宇宙のごみとなりまだ薄く光っていた。

 天の川の四分の一がいっせいに地球から遠ざかっていくのが見えた。天の川が大きくうねり、波うち、地球から遠ざかっていった。あれがロキシーたちの帝国だ。

 地球に帰ろう、とヨシヒサは思った。

 地球は大歓声でヨシヒサを迎えた。地球に近づく星が撃ち落とされるのを、みんなずっと見ていたのだ。助けてくれたのがヨシヒサなのは疑いの余地がなかった。こうして、宇宙生命体に襲撃された地球は平和をとりもどしたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ロキシー 木島別弥(旧:へげぞぞ) @tuorua9876

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る