ため息さえも届かない

 右翼を見て回っていたら、途中、意外な人気者を見つけた。カピバラだ。太い体毛で覆われた背中を丸めて、もさもさと草を食んでいる。いかにもケモノ然としたその姿は若干場違いではあるが、彼らはそんなことなど意に介する素振りもなく、ただ一心不乱に口を動かしていた。たまに地黒の肌が露出した鼻がひくりと動くが、動きと言えばそれくらいで、口と鼻の以外に目立った変化もなく淡々と食事をしている。触毛だろうか、口元の、ひときわ太く白っぽい毛の下へ草の緑が引っこんでいくだけの光景だ。


 カピバラは何を見て、何を考え、食事をしているのか。額の下、まっすぐ正面を見据える位置に二つの目がついている犬猫と違って、顔の側面に近い場所に目があるので、いまひとつどこを見ているのか掴めない。その目はなぜだか半開きだ。まぶたを少し伏せるようにしていて、他の毛に比べはるかに細いまつげの下で、濡れような黒い瞳がつぶらに光を宿している。なにごとかを考えているらしかったが、これもまた視線と同様に思考のほうも読めない。間延びした顔のつくりもそうだけど、どこかを見ているようなそうでないような、なにか思索に耽っているようなそうでないような、なんとも言い難いぬぼーっとしたたたずまいが、マイペースさを醸し出している。思わず“さん”づけで呼んでしまいたくなる不思議な愛嬌があった。ありていに言ってかわいい。


 ガラス越しのため、獣特有の糞尿にも似た饐えた体臭や餌の青臭いにおいもしない。だが、水槽の内側には獣臭がこもっているはずだ。においを気にかけもせず、カピバラの微笑ましいたたずまいに頬を緩めることができるのは水槽が閉じているからこそだ。ひとたびその内側に踏み込めば悪臭に辟易してその場を早く立ち去りたくなることうけあい。動物園の飼育小屋のあのにおいが部屋を満たすのを想像し、いくら愛くるしくともカピバラはペットにできないなと内心ため息をつく。


 カピバラの水槽の前は盛況だった。しゃがみこんでいる女児たちの横で、若い女性が足を止めスマホを構え写真を撮っていた。フラッシュを焚くなという注意書きがあるので閃光こそ走らないが、はっきりと聞こえる音でチロリ~ンとシャッター音が鳴り響く。ためつすがめつしながらアングルを変えチープな音を幾度か響かせ撮影を終えた若い女性が、そばにいた同年輩とおぼしき男性に液晶画面を見せてなにごとかささやき二人して小さく笑い合っていた。お似合いのカップルだ。


 そんな具合で水槽の前に人垣というほどではないが人がだまになっていた。彼らを迂回して先へいこうとした。そのとき、ふと、なにかが目に止まったような気がし僕は立ち止まる。距離を置いてふたたび目にした水槽。そこには鳥がいた。カピバラがいるその上空に鮮やかなピンク色をした鳥がいた。長いクチバシのゆるくカーブした鳥が、止まり木を支えにして休んでいる。S字を描く細い首にラグビーボール状の胴、節くれだった細い脚。サギのようなみてくれに、朱い羽がどうにも不釣り合いで、派手なくせにどこかみすぼらしさがある。無理をして着飾った貧乏人といったところか。説明書きによると南アメリカ北部に生息するショウジョウトキという種らしい。トキの名前を冠しているのも、名前負けをしている。無理をして着飾ったような印象が増す。悪目立ちをしてもよさそうな鳥だったが、だれも存在に気づいていない。見向きもされていない。みなカピバラに夢中だ。


 第一印象こそ強烈だったが、ただ羽休めをしているだけで面白みもなかったので僕は目をそらし、その場を離れた。

 それから、すみに追いやられたタコの水槽に萩原朔太郎の詩が頭をもたげたり、フンボルトペンギンの餌やりを鑑賞し心中でで生存戦略とつぶやいたりしながら館内を一周し、最後に屋上を端から端まで歩いた。


 しめに、僕はあらかじめ目星をつけておいたクラゲの水槽に戻ってくる。道中、ショーの行われるパフォーマンススタジアムへと行く人々とすれ違った。水槽めぐりをしているときに目にした服装もいくつかあった。

 クラゲの水槽はちいさかった。ペットショップにあるような規模のものが壁に埋まっている。一個の水槽内に何種類かの生物が共存しているタイプの生態展示ではない。箱のなかにクラゲだけがいる。それも同じ種のクラゲだけがが浮かんでいる。そんな水槽がいくつか並んで設置してある。それぞれの水槽はある程度離してあった。


 並んだ水槽のうちのひとつ、ミズクラゲの前に立つ。

 深海を模しているのかライトアップはない。背景もなにもない真っ暗ななか、ぼんやりと発光したクラゲがたゆたっている。触手や、傘のふち、傘を補強するよう這っている筋が夜光虫さながらの燐光を帯びていた。その淡い光がゼラチン質の身体を、青白く、にじむように透かしている。


 ミズクラゲは傘をゆったりとした仕草で開閉させては、暗い水中を浮き沈みしている。傘が水をはらんでふわりと膨らむのは、スカートがひるがえる様を想起させないこともなかったが、波を描くようにうねる傘の運動にそんな色気はなく、リズムも規則もない恣意的な反復があるばかりだった。

 表情もなく媚もない。スナメリのように客の視線を意識して目の前で旋回するサービスをかましてくれたりはしない。カピバラのようにただいるだけで見ているほうが癒されそうな味わい深いムードをまとっているのでもない。水槽のなかには十匹程度のミズクラゲがいたが、それぞれがバラバラに浮動しているだけだ。魚群のような、個の集合としての群れの、統制のとれた運動によるダイナミズムもない。


 個々が、ほとんどシステマティックに傘を開き、そして閉じている。

 それしかなかった。

 けれど、黒い海にかすかな尾をひきながら身体全体を波打たせて水をかく、そのクラゲの単調な動作に僕は魅せられていた。やさしい光が目を吸いつけ、不規則な動きが意識をさらっていく。

 単純にして短調な動きの集まり。

 降雨にも似た視覚のアンビエント。

 それは酩酊のような。

 大水槽の前で体験したあの眩暈とは異なる。あれは視覚、それに平衡感覚といった肉体感覚がさらわれていく不安になるような感覚だが、こっちは意識そのものがさらわれて行くような感じなのだ。肉体から意識が抜けだしていくかのように、とろりと頭がしびれる。


 思考が輪郭を失う。

 知らぬうちに半開きになった口から「きれいだ」と言葉を漏らしていた。

 口をついてでた自分のものとは信じがたい音に僕は我に返る。


 そしてようやっと僕はその存在を認めるのだ。

 隣に立った小柄な女性の存在を。


 二十歳かそこいらだろう。だぼっとした濃いグレーのチュニックの下に薄手のボーダーのセーターを着ている。腰回りにゆとりのある服だったが、レギンスを履いた足から細身であることがわかる。靴はレザーブーツ。

 茶色がかった色のボブに幼さを感じさせる丸みのある顔立ち、その白い肌に化粧気はあまりなく、くちびるの輝きはグロスの人工的なそれではない。皮膚そのものの血色のよさとハリでつややかに照っていた。目が悪くコンタクトをしているのか、黒目がちな瞳がまばたきをするたびに濡れたようにまたたく。

 彼女の視線はクラゲにそそがれていた。


 水槽を眺めたまま彼女が口を開いた。

「ほんときれいですね」

 唐突に大学時代のことを思い出した。

 当時つきあっていた彼女と一緒に鑑賞したテレビのことを。


 同じ学科の先輩だった彼女はサッカーが好きだった。プレイするほうではなく観戦するほうが好きでよくテレビでサッカーの試合を見ていた。衛星放送でヨーロッパリーグを追いかけるほど熱心ではなかったが、地上波で、ワールドカップやアジアカップ、チャレンジカップといった大きな大会の日本戦なんかが放映されると真剣なまなざしをテレビに注いでいた。深夜に放送があるときは次の日もかえりみずに夜更かしをしていたような記憶がある。


 対して僕はといえば、昔からスポーツ観戦というものに興味がなかった。僕の幼少時代は、いまほど野球界が凋落していなくて、スポーツ少年団や部活では野球がもっともメジャーで、どの球団のどの選手が好きなんて話題で盛り上がれる程度の知識はだれもが持っている時代だった。しかし、当時から僕はそこに関心がなかった。むしろ、ゴールデンタイムに試合を放送することや、延長で他の番組を遅らせるからあまり野球中継、ひいては野球が好きではなかった。そういった印象はサッカーでも同じだった。


 運動神経はそれほど悪くなく、友人たちと児童公園の運動場や学校のグラウンドで遊べば、野球にしろサッカーにしろ失点につながる大きなミスもなく、そつのないプレイをこなせていた。けれど、そうして友人たちに混じりながらも、ただの遊びなのにやたらに勝負に拘泥する彼らを冷めた目でながめていた。一戦一戦に打ちこみ本気で悔しがる彼らのように熱くはなれなかった。また彼らのその情熱をうらやましいとも思わなかった。その輪のなかにいながら、僕はいつも彼らから一歩引いていた。


 僕にとってのスポーツはちいさなころの外での遊びに過ぎなかった。

 そんなスポーツとは縁遠い僕だったが、彼女といっしょにサッカーを観戦するのは嫌いではなかった。


 もともと興味がないのでルールにはうといし、選手やチームについての情報なんか持ち合わせているはずもない。彼女がまじめに試合の成り行きを見守っている横合いから、オフサイドについて訊ねたり、あーこの人はバラエティ番組に出演していたから知ってるよなんて言ったりしながら隣に並んで座ってテレビを見ていた。彼女からしたら、はなはだ迷惑だっただろう。じっさい、「黙ってテレビ見れないわけ」と何度も注意された。


 ルールも知らずひいきにしている選手も応援しているチームもない。日本戦なら日本に勝って欲しいと思ったがそれくらいの思い入れしかなかった。

 けれど、本当にすごいプレーというのはそんなサッカー音痴の胸をも打つ。本物は素人にも響く。

 理屈が理解できるわけじゃない。どこがどうすごいなんて言語化することもできない。繰り出されたテクニックの素晴らしさを懇切丁寧に説明されたとしても、全部を汲み取れはしないだろう。

 あとから試合運びを分析して監督の采配に目をみはることも、また陰で試合を支えたプレイヤーを評価するといった芸当もできない。派手なプレーに目が行ってしまう。


 しかし、それでも感じるのだ。巧みなプレーの迫力を。瞬間的なその爆発を肌に感じるのだ。

 選手の間隙を縫うように一直線へゴールへと吸いこまれていく、きわどいコースのロングシュート。ぴったりと張りついていたマークを軽くいなしていくその脚さばき。鋭いシュートにダイブですがりつきボールを止めるポスト際の好セーブ。

 そうしたプレーの瞬間、僕は思わず息を飲む。


 つかの間の凍りついたような時間のあと、隣を振り向くと同じように息を飲んだ彼女がいる。僕たちは顔を見合わせ、それから同時に声をあげる。ときにはハイタッチをし、ときには意味もなく笑い合い、そしてときには抱き合いそれぞれの体温を身体に感じ、言葉にはできない熱い感動をわかちあう。


 僕たちはそうやって何度も感動をわかちあってきた。

 いや、感動ばかりじゃない。

 笑い合い、ともに泣き、怒りをぶつけあった。

 言葉を重ね、後悔を重ね、身体を重ねあった。

 いくつもの記憶が泡となって脳裏によみがえり、音もなくはぜていく。


 いまこの時間にこの水族館の、このクラゲの水槽の前に立ったひとりの女性を僕は見る。彼女は、僕がクラゲの水槽を見ていたのと同じ目線で、同じ感覚で、同じ意識で、クラゲの水槽を見ていた。それを実感した。


 しかし、僕は彼女にかける言葉を持たない。

 かつての僕であればそれができたかもしれない。まだ孤独に浸り切っていなかったころの僕であれば。

 現在の僕は彼女にさしむけるべき言葉など持ってはいない。

 あるのはこの瞬間に共有したものだけだ。

 あの空気だけだ。

 それ以上のものはなく、そしてそれだけは確実にあった。


 僕はその実感だけを疑わないまま胸にしまいこみ、相変わらず水槽に釘づけになった彼女から視線を外し、クラゲのエリアから立ち去る。なにも行動をおこさず、ただ無言で。


 メインストリートからエントランスホールに入り、土産物屋をうろついてみたが、ペンギンのぬいぐるみ(大きすぎて置き場所に困る)にちょっと惹かれたくらいで魅力的なものがなかったので、来たときのまま手ぶらで外へ出た。


 まだ昼だった。どこかに行く猶予はいくらでもあった。伊勢神宮にでも参拝してみるかと車を走らせ、その道すがら見つけたドライブインに入った。

 土産物は鳥羽水族館にあったものとたいして変化がなかった。多少食べ物の種類の層が厚く地酒のたぐいもディスプレイしあり、そのうちのニューホワイトというカルピスと梅酒をかけあわせたリキュールに好奇心を刺激されなくもなかったが、家で独り飲む気分になれず、結局これも買わずに済ませた。


 店内で見かけたポスターによると、このドライブインのすぐそばから伊勢神宮へ直通の道路が伸びているらしかったが有料道路だと知り気が萎えた。お参りなんかしなくてもいいかと参拝を取り止め、軽食ができる店を探しながら42号線を流した。行に来た道を北上しながら行く手に飲食店はないかと窓の外をうかがったが、市街地は抜けてしまって延々とまっすぐ続く道路があるばかりだ。


 カーステレオのCDはもう四巡目だった。

 車はそれなりに走っているものの直線の道路の流れは悪くなく、軽快にスピードに乗れた。赤福の看板の貼られた電柱を無数に置き去りにして海岸を駆る。

 CDを変えようとして一瞥した助手席にはキャリーケースと小物が雑にほうってあった。物が載っていない箇所にはうっすらとほこりがたまって白くなっていた。誰も座らない助手席。物置になったシート。


 急にすべてがどうでもよくなった。

 もういいや、と思う。

 孤独に染まりきりこの生活が身体にしみついてしまった僕は、どこへも行けやしない。過去にもどることも、これからやり直すことももうできはしないのだ。


 海のほうに視線をやると対向車のつらなりのむこうに、いやになるくらいに晴れ渡った空があった。

 不思議と信号にはひかからなかった。

 隣の車線を絶えることなく車が走っている。

 昼でもトラックが多い。

 大気を震わせながら、雲ひとつない空を錆の浮いたコンテナが切り裂いていく。

 トラック、トラック、またトラック。

 僕はアクセルをめいっぱい踏んだ。

 深く、強く。

 エンジンが唸りをあげ車は加速する。

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カピバラの海 十一 @prprprp

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