第15話
呼吸を整えて、手を伸ばしたら、後は勢いに身をまかせるだけだ。
白いプッシュ式の小さな電話機を買った君は、そのまま商店街の電気店に向かう。
「いらっしゃい」
来客を告げるチャイムが鳴り、いつものしわがれ声が聞こえる。
「電話線と、継ぎ足しのコネクターないですか」
「電話線、何メートル?」
「線は二メートルもあればいいかな、あと、コネクター」
「継がなくても、その分長くしたら」
店の奥にあるテーブルに座っていた電気店のおばぁさんが、新聞をたたみ、くわえタバコの火を消してゆっくりと立ち上がる。
「要る分だけの長さにしたら、コネクター要らないでしょ」
老眼鏡を額にかけなおして、前掛けの前を払い、軽く腕まくりの様な仕草。
「それもそうなんだけど、コネクターは別に要るんですよ」
「ん?」
「うん」
「すまないけど、コネクターは置いてないわ」
「わかった」
「二メートルでいいの?今作るから、ちょっと待ってな」
おばぁさんはテーブルの脇にある木の丸椅子を指差す。
「コードの色は、白でいいよね」
「はい」
おばぁさんはすぐに白いコードとかしめ機を持ってテーブルに戻って来る。
「作るんですか」
「そうだよ」
座るなり、作業をする前におばぁさんはタバコに火をつけて、それから老眼鏡をかけなおした。空気清浄機が煙を感知して動き出す。壁には他では見た事の無いほどゆっくりと回転していている換気扇が据え付けられていて、煙はさらにゆっくりと吸い込まれていく。
「ほら」
ほんの少し煙に気を取られているうちに、電話コードはできた。
「コネクター使うくらいなら、長くしたほうが始末がいいんだけどね」
「うん。ありがとうございます」
「いやいや、まいど」
あまり期待せずに寄ってみた荒物屋にもコネクターは置いておらず、舞い戻った伊勢屋でも何かの拍子に全て向こうの店舗に持って行ってしまったということだった。
君は電車に乗って家電量販店に向かう。
コネクターを手に入れて戻ってきた君を待っていたのは仕事だ。電車で帰る最中に携帯電話に入った連絡に対応しているうちに、昼のタイミングがずれてしまった日の夕方は簡単に夜になってしまう。
一通り片付いて時計を見れば、彼女の喫茶店の営業時間はとっくに終わっていた。
君はとにかく買ったものをいろいろ抱えて事務所を出た。彼女はまだ店に居るだろうか。
商店街を抜けた君は、丁度店の看板を店内に入れている彼女の姿を見る。
「間に合った。良かった。こんばんは」
「間に合ってない。閉店よ」
「ごめん。この後、時間ある?」
「店閉めてから?」
「うん」
「別に、なんにも用事無いけど」
「よかった」
「コーヒー、余ってるの飲むけど、どう?」
「ありがとう」
「それは?」
「電話」
「電話?」
「そう。でね、あの黒電話、ちょっと貸してよ」
「え」
「うん。おねがい」
彼女がカウンターに入って、電話を君に差し出す。君は、彼女の黒電話のコードの先にコネクターを取り付けて、自分の電話のコードをつなぐ。
「通話しよう」
「通話?」
「うん。つながったから。これで話しできるよ」
君は、この間の彼女の数える様な仕草を繰り返す。
「受話器、電話機、コード。ここまでがそっち側で、コネクターがあって、コード、電話機、受話器。こっち側。もしもし?もしもし?」
「ああ」
彼女が受話器を手に取って君に応える。
「もしもし」
「聞こえる?」
「聞こえる」
彼女が笑う。
「なんの話しをしよう」
「なんの話しがいいかな」
「わからないね」
「話題はないのかな」
「ある様な無いような」
「あるかな」
「ある?」
「多分」
彼女がカウンターの影にしゃがんで、君はカウンターを背にして床に座る。彼女がひとりでやると言っていた電話ごっこと違って、君と彼女の電話は流れたり止まったりしながら、切れ切れにどこまでも続く。
「わざわざ電話しなくても」
「買ってきてまで電話してるからさ」
「それもそうね」
「変だ」
「変だね。変だ」
「うん」
「変だった。いろいろ。で、よくわからない感じで付合ってた人と別れて」
「なるほど」
「なんだか最近メチャクチャ」
「どうしたかったの?」
「決着。はっきりしたかった」
「はっきりした?」
「うん。多分。だいたいは」
「じゃぁ、いいじゃない」
「いいの?」
「よくわからない感じだったんだろ?」
「うん」
「いいよ」
「不倫でもか」
「不倫でもだ」
「そうか」
「とりあえずさ」
「とりあえず」
「ううん。レイトショーにでも行こうよ」
「映画?」
「どう?」
「今、なにやってるかな」
「知らないけど」
「あら」
「行けばなんとかなるよ。多分」
「多分」
「うん」
彼女が受話器を下ろした。
彼女が受話器を下ろし Nakazo @nakazo
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