第4話 少女と事実

華恋は倒れたあと病室のベッドに運ばれたが、しばらく目を覚まさなかった。今もまだ覚ましていないが、過剰なショックで気絶しただけで心配はいらないと医者は言っていた。

 それと共に、もしかしたら大きな何かを思い出した可能性もあると言っていた。


「……」


 美由は華恋のベッドの横にある椅子に座ってうつむいていた。時々華恋の手を握り締めていた。その手の中には先ほど華恋がユノカから受け取った黄緑色の写真入れ。


「いつまで座ってるの? ベッドに入ってればいいでしょ」

「華恋ちゃんが目を覚ますまでここにいる」


 病室に入ってきた愛美の言葉に、美由は背中で返答する。


「……まぁ体の病気とかじゃないから別に問題はないけどさぁ。体調だけは崩さないでね」

「うん……ありがと……」


 いつもの覇気がない美由に愛美は戸惑っていた。ふと愛美が窓の方に目をやる。


「そういえば夕方から大雨だったわね」


 外からは雨粒が跳ね返る音が無数に聞こえてきた。その中に混じって時折雷の鳴る音が轟いている。まさに今の病室内の雰囲気に似合った天気だった。

 美由の方をまた振り返ると祈るようにずっと手を握っていた。一分一秒でも早く目を覚ましてほしい、そんな事を寂しい背中が教えてくれていた。

 美由はどうしても華恋と話さなければならないことがあるからこうして待っている。ずっと、ずっと待っている。互いにずっと待ち続けていたのだから。最後まで待ち続けたい、そんな祈りだった。

 夕日の元で美由はこんなことを口にしていた。

 本当の華恋のことを知りたい、たとえどんなに想像と違っていても。

 華恋もそれにうなずいてくれた。二人で言葉を交わさずとも約束していた。


「今日は雨だから夕日が見れないね」


 美由は華恋が目を覚ましてくれると思っていつものテンションで喋り始めた。しかし華恋は優しい顔つきで眠ったままだ。


「結局、写真は見つからなかったんだ。ベッドのすきまも、テレビの後ろも探したんだよ。屋上も中庭も探したんだよ。でも見つからなかったんだ」


 まるで一日の行動を報告するようだった。


「華恋ちゃんにはそのうち出てくるから探さなくてもいいよ、って強がってたけどさ。やっぱり記憶を失くす前の私が大切にしていたものだったから、必死に探したんだ。見つけなきゃ、前の私にもう出会えないような気がしたの」


 美由の瞳から涙が静かに流れる。静かに頬を伝っていく。そのままゆっくりと華恋の手に落ちていく。


「あれ? 勝手に涙がこぼれてきちゃった。お母さんみたいだね」


 なんとか涙を拭って話続ける。


「でももう写真を探す必要は無いの。だから泣く必要も無いの」


 華恋の持っているアクセサリーをゆっくりと開けた。そして中にある二人の女の子の写真を今一度眺める。


「運命ってすごいと思わない?」


 もちろん答えは返ってこない。雨音が鳴り響くだけ。


「出会う運命の二人はどんな道を選んでも必ず出会っちゃうなんて信じられない。たとえどんなに離れていても、いろいろな奇跡が起こって出会っちゃうんだよ」


 言葉と言葉の間には雨音しか存在しない。まるで美由と雨音が会話しているかのよう。


「たとえ生まれ変わっても出会っちゃうんだよ。だから運命は永遠に続くの。何回も何回も生まれ変わって、地球が滅亡でもしない限り続いちゃうんだね」


 ……。


「私、華恋ちゃんと出会ってからずっとどこかで思ってたんだ。私たちは運命で結ばれているんじゃないかって。それも神様が決めた運命じゃないの。自分たちで作った運命のこと。そう思わない?」


 ……。


「どんな夢を見てるのかな? 楽しい夢だといいな……出来れば私と過ごしてる楽しい夢で」


 ……。


「そろそろ一人で話すのも疲れたよ……」


 ぎゅっと手を握る。


「ねぇ、起きてよ……」


 ……。


「起きて話そうよぉ……」


 応えない。


「ねぇ……『李帆』ちゃん」


 李帆。


 華恋とは呼ばなかった。 

 李帆とは、美由が無くしたと喚いていた写真に一緒に写っていたとされている女の子の名前。そんな名前がつい心の底からの叫びで出てきてしまった。

 その子は昔の美由の親友の名前、本人はまだその頃の記憶が戻ってないらしいが親友だったのは確からしい。 


「私ね、李帆ちゃんとの記憶だけがどうしても戻らなかったの。もう少しで思い出せそうだったのに、何かが突っかかっててさ……。でも写真のおかげで思い出した。楽しかったあの頃、まさにperfect days……!」


 ……。


「あの写真さ、三年前だからさすがに二人とも変わってるけど、やっぱり根は変わってないから分かっちゃったよ……っ。これも運命……」


 ……。


「起きて、李帆……李帆の声が聞きたいよ……華恋ちゃんじゃない。李帆ちゃんの声を……っ」


 必死に祈った。今すぐに、今すぐにこの瞬間に、目を覚まして欲しかった。二人は運命なのだから、祈れば通じるのは当然。

 そう思ってる美由だから、必死に祈った。


「……ぅ……」

「李帆、ちゃん……?」


 口元から漏れたわずかな声を聞き逃さなかった。


「李帆ちゃん、李帆ちゃん!」


 必死に叫んだ。大粒の涙を浮かべながら叫んだ。


「ぁ……美由ちゃんだぁ……」


 寝ぼけ眼で美由を見る華恋。涙を流している美由の姿を見てオドオドしながらもゆっくり起き上がった。


「美由ちゃん、泣かないで……」

「泣かないなんて無理だよぉ……うぇぇぇん……」


 美由が必死に抱きついた。もう離すもんかと言わんばかりに抱きしめた。涙がゆっくりと相手の身体へと伝わっていく。

 『李帆』は優しく包み込むように美由を抱き寄せていた。




「えぇ? 華恋ちゃんがあの李帆ちゃんだったの?」


 面会時間終了ギリギリに急いでやってきた美奈子が二人のことを聞いて驚いていた。つい先ほど仕事場に帰っていったばかりだが、この事件を聞きつけてすぐに戻ってきたらしい。


「世の中にはそういうこともあるのね……」


 美奈子は電話口で知らされていたが、いざ来てみるともう一度驚いて見せた。

 それも当たり前の反応で、たまたま隣のベッドにやってきた記憶喪失の女の子が自分の娘の旧友だったなんて。


 旧友だったなんて?


 美由が今まで気づけなかったのは、美由自身も記憶を失っていたから。しかし美奈子は初めて会ったときにこの事に気づける可能性があったのではないだろうか。もしくは美由のお父さんも同様に。

 確かに数年経っているので顔は変わっているかもしれないが、娘の親友くらい顔を覚えていられないものだろうか。

 病室にはベッドに入っている李帆と隣の椅子に座ってる美由と美奈子の三人のみ、三人以外は立ち入らせないほど特別な空間を作っている。


「美奈子さん」

「え、な、何かしら?」

「美由ちゃん」

「ん、なに……?」

「実は話しておかないといけないことがある」


 李帆が真剣な面持ちで話を切り出した。


「わ、私にもかしら? もっと美由と二人きりで話した方が……」

「美奈子さん」

「……」

「一緒に居てください」


 美奈子は諦めたような顔つきで口を閉じた。

 写真に写っていた二人の少女の正体は三年前の李帆と美由で、たまたま記憶を失くした李帆とたまたま記憶を失くした美由が病院で偶然再会した、これらが分かっている情報かつ全ての奇跡の全貌である、とはいかないのが今である。

 美奈子は動揺を抑えきれないまま李帆の話を聞くことになった。美由も何やら不安そうに李帆の話を待ち構えていた。


「まず私が思い出した範囲で話すね。私は九州からなんらかの理由でここに来た。たぶん親には内緒で。そして静岡駅で運悪く事件に巻き込まれて記憶を失った。そして今、私はここにいる」

「そして私も李帆ちゃんも思い出のアクセサリーを持っていた。だから私たちは元々親友同士だったってことでしょ?」

「美由ちゃんはなんで記憶を失くしたの?」


 李帆は喰い気味にそう尋ねた。

 美由が知り得なかった記憶喪失の理由。

 二人の間に隠し事は無しという約束が交わされて、それを破ってまで言及せずに秘密にしていたが、今それを解き放つ時間らしい。

 なんせ、二人の間に隠し事は無しなのだから。


「わ、わかんないよ……誰も教えてくれないんだもんっ……お母さんでさえ……」


 美由が美奈子の方を向きながらそう悲しく告げた。それでも美奈子はうつむいたままで目を合わせない。


「色々と思い出したんだよね。昔、美由ちゃんとよく好きなアイドルの振り付けを覚えて遊んでたなぁと、カラオケで一緒に踊っちゃったりして。映画もいっぱい二人で見にいった」

「もしかしたらそんなことしてたかも。なんか懐かしいなぁー……」


 記憶の有無は確かではないが、うっすらそんな映像が美由の頭の中で流れている気がしたが、今は思い出に浸っている時間なんてものは無く、現実の話が続いていた。


「それでここからが本題なの。色々と美由ちゃんについて思い出したんだけどね。"違った"の」


 違った。

 その文章には主語はなかった。決して主語を忘れたわけではない、あえて言わなかった。


「な、何が……?」


 もちろん美由はその欠損部分を聞いてくる。


「美由ちゃんのお母さんは、美奈子さんとは違ったの」


 冷酷なほど単調な声でそう告げられた。あまりの冷たさにまた時間が止まったように思えた。


「……ん? え?」


 そんな戸惑いしか発せない美由。依然としてうつむいたままの美奈子。美由は美奈子を見るが美奈子は顔を上げてくれない。ずっと小刻みに震えているだけだった。

 美奈子にとって隠しておきたかった事実が今、明らかになろうとしている。


「あとは、美奈子さんの口から話してください」


 李帆の口から全てを話すことは無かった。自分自身で全てを打ち明けて欲しいという気持ちがあったから。

 美由は本当の自分を見つけると李帆と共に約束した。

 でもこの時ばかりは本当の自分を聞きたくなかった。

 嘘だよ、と美奈子に言ってほしかった。笑って欲しかった。泣かないで欲しかった。


「全部……本当よ」

「……」


 美由は何も言い返せなかった。怒ることもできなかった。泣き喚くこともできなかった。


「全部、話します……」


 一旦呼吸を整えてから重い話が始まる。


「まず、私はあなたのお母さんではないの、実際は伯母。あなたのお母さん、つまり私の妹はもうこの世にはいません。あなたのお父さんと共に事故でなくなりました。あなた一人を置いて。それはまだ李帆ちゃんがこの街に居たころのこと」

「え……じゃ、じゃあ、あのお父さんは……?」

「ごめんなさい、あれはお友達。演じてもらってたのよ……」


 あまりにも残酷だった。李帆は美由にこんな残酷を味あわせたくない。悲しい顔をこれ以上見たくない。

 でも真実を知らなければいけない。あの時に二人で約束した事だから。どんなことがあっても自分を受け止めないといけない。


「なんで……黙ってたの?」

「……」

「答えてよ!」


 美由の怒号が雨音を差し置いて病室に鳴り響く。反射して声が自分に戻っていく気がした。


「愛したかった……」


 小さく弱弱しい声だった。それでも二人の耳元にはしっかり届いているその声。ふわふわと消えていってしまうような声を受け止めていた。


「え?」 

「もう一度、チャンスが欲しかったの。美由を愛するチャンスが……」

「どういうこと?」

「あなたの背中に……アザがいくつかあるのは知ってる?」

「こ、転んで出来たアザじゃないの……?」


 疑問系だったが、答えは自分の中でわかっていた。わかっていたと言うより、美奈子の姿から勝手に答えが導き出されてしまった。


「……私が虐待して、出来た傷……」

「……」


 最後まで言い切れなかった。美奈子の中の色々なものがどんどん崩れているようで見てるのが辛かった。


「ごめんなさい。私はあなたをずっと傷つけていました、ごめんなさい……」

「……うそ、嘘だよこんなの!」

「悪いけど本当よ」


 病室のドアが開くと同時にそんな声が聞こえた。いつもとは違う真剣な表情の愛美がそこにいた。


「ごめんなさい、三人の中での話だから私が介入するのはどうかと思うんだけど、思わず聞き耳を立てちゃった」


 申し訳無さそうな言葉だが態度がなんだか申し訳なさが無かった。


「愛美ちゃんも……私を騙してたんだ……!」

「そうよ! 騙してたの! 悪い大人よ!」


 逆ギレの如く愛美が怒鳴った。それに対して美由は驚いて目を丸くしてしまった。


「私だって聞いたときはどう接していいかわからなかったわよ! だからいつもより目をかけて可愛がってたの! とにかく明るくしようと思ってぇ……!」


 散々喚いたあとその場で泣き崩れてしまった。愛美も当初から事情を知っていたらしい。それで美由との接し方に困って悩んでいたのだろう。あんなに明るく振舞っていても、心の中で葛藤していたのだろう。

 その空間内は李帆以外みんな感情が爆発して混乱している。だから李帆が何とかこの場を仕切るしかない。


「じゃあ……美由ちゃんが記憶を失った理由が自殺未遂というのは本当なんですね……」

「え、そ、え、自殺……そうなの……? お母さん……? 愛美ちゃん……?」


 美由が何かにすがるように問いかける。それでもきちんとした答えは返ってこない。この空間の空気が美由に答えを教えてくれているから。


「そんな……あんまりだよ……」

「あんまりだよ、そうだよ。でも、そうなんだから仕方ないでしょ……っ」


 愛美は看護師ではなく、一人の美由の友達としての言葉だった。まるで姉妹のような光景だったあの頃とは何か程遠い、そんな二人に見えてしまった。


「愛美さんはショックを与えたくないから、黙っていたんですね……」


 ようやく泣き崩れていた美奈子が顔を前へ向けてくれた。泣き崩れた顔も構わず言葉を発した。


「そう……自殺……幸い私がすぐに見つけて命は助かったけど、それの後遺症で記憶が飛んだってこと、これが全て……。後悔していた……自分の娘じゃないからどう育てて、どう愛せばいいかわからなかった……心を開いてくれないからって、言うこと聞かないからって……」


 それも当たり前だ。美由は突然両親を同時に失ってしまったのだから心を閉ざしてしまうのも自然。


「美由ちゃんの様子がおかしくなって私たちの仲も壊れてきちゃったんだよね……全然遊ばなくなって……なんとか仲直りしようと思ったけど、その矢先に転勤でこの街を離れちゃった……」

「そうだ、思い出した……美由ちゃんがいつの間にどこかへ行っちゃってたんだ、私がグズグズしてたから、捨てられたって思ってた……」


 見捨てたわけではない、その事は二人の間では言葉を交わさずとも今ならばわかっていた。


「転勤して先で生活してたんだけど、どうしても諦め切れなかったんだ、美由ちゃんのこと。でもどうしても踏み切れなかった、距離も距離だから。それでこの街を離れてから二年くらい経ったころ、つい先日くらい。親と喧嘩して家出しちゃったんだよね、それで思ったの。これが美由ちゃんに会いに行くチャンスなんじゃないかって。だから連れ戻されないように何も身分を証明するものも持たない家出少女になったの。美由ちゃんの推理どおりだよ、名探偵だね……」


 今さらそんな事で褒められても何も感じない。まだまだ悲しみや衝撃が勝ってしまっている。


「それで虐待のことも自殺のことも覚えていない美由ちゃんに真実を告げないまま、美奈子さんは隠し通そうとしていたんですね。だからバレないように美由ちゃんの持っていた写真をとっさに隠した。写真が無くなったのはそういうことですね?」


 美奈子は言葉を出さずに首を縦に振った。


「これが、記憶喪失の私たち二人が起こした全ての事。何か他にはあるかな」


 李帆は喋り疲れてしまったのか、そのままベッド上でぐったり眠るように身体を倒してしまった。先ほど目を覚ましたばかりだから身体が万全とは言えないのだ。


「そういえば、鍵がついてたアレ……」


 美由がふと呟いたアレ。

 それは李帆の荷物の奥深くにあった鍵付きの小物入れだ。暗証番号が分からないため放置されていた物だ。


「ん……そうだそうだ……美由ちゃんと関係が崩れてから色々考えてさ。仲直りしようと思ってプレゼントを買ったの」

「プレゼント?」


 美由はその事に関しては思い出せていないようだ。


「関係が崩れる直前かな。いつか買いたいねって二人で言ってたからさ」


 美由には何のことを言っているかまだわからない。しかし美由が取り出したものでその記憶がだんだん近づいてくる。


「私たちが持ってたあの写真。写真のとった日付をそれに入れてみて」


 美由は李帆から受け取って、言われたとおり日付を入れる。ゆっくりカチカチと音を立てながら数字が回っていく。そして四桁を入れ終わるとそれはあっけなくも素直に開いた。


「……これって……」

「私からのプレゼントだよ」

「恋愛成就の……ヘアピン……」


 病院で初めて会ったときに李帆がもらったヘアピンと同じもの。

 孤独だった李帆をつなげたヘアピンと同じもの。

 それは仲直りのために二人をつなげるはずのヘアピンだった。


「転勤する前に渡したかったけど、どうしても渡せなくって……ちょっと遅くなっちゃったけどプレゼント、受け取ってくれる……?」


 数年越しのプレゼント、仲直りの印のプレゼント。美由はうれしさのあまり溢れている涙を流しながら受け取った。そして二人で抱きしめ合う。やっと二人が仲直り出来た瞬間だった。


 あの失われた日々、"Perfect days"を取り戻した瞬間だった。

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perfect days 淡月カズト @awawan1123

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