いつもの通勤電車の彼女

仁志隆生

いつもの通勤電車の彼女

 いつもの通勤電車のいつもの車両。

 そこでいつも見かける女性がいた。

 彼女はビジネススーツがよく似合っていた。



 僕は彼女と話した事はない。

 だから名前も年齢もどこに住んでいるかも知らない。

 ただいつも同じ電車に乗っているだけだったが、彼女も僕の顔を覚えてくれているのか、たまに目が合うとにっこりと笑って会釈してくれる。

 こちらも会釈で返す。

 いつもそれだけだった。



 そんなある日、僕は地方の営業所へ転勤する事になった。

 住むところも通勤電車も変わり、当然彼女とは会えなくなった。




 そして数年後……


 僕は再びこの町に戻ってきた。

 

 以前と同じ通勤電車。

 以前と同じ時間に同じ車両に乗った。

 だけど彼女はいなかった。

 彼女も生活が変わったんだろうな。




 しばらくしたある日。

 仕事が終わって帰りの電車の中。

 僕は座席に座って本を読んでいた。


 途中の駅でたくさんの人が電車に乗ってきたのに気付き、ふと前を見るとそこにはあの彼女がいた。


 彼女の隣には人柄の良さそうな男性がいて、辛そうな彼女を支えていた。

 彼女のお腹は大きくなっていた。

 辺りを見ると空いてる席はないようだった。



「あの、ここどうぞ」

 僕は彼女に席を譲った。

「あ、すみません、ありがとうございます」

 彼女は綺麗な声でそう言った。

 思えば声を聞いたのは初めてだった。




 そして、自宅の最寄り駅で電車を降りた。

 改札へ向かって歩こうとしてふと振り向くと、彼女がこちらを見ていた。


 僕はあの時のように、彼女に向かって会釈した。

 すると彼女もあの時のようににっこりと笑って会釈してくれた。


「覚えててくれたんだ。ありがとう……そして幸せにね」



 僕は嬉しいような悲しいような気持ちになりながら家路についた。

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いつもの通勤電車の彼女 仁志隆生 @ryuseienbu

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