最終話
パーシヴァルとエリックの話
「エリック――頼む、教えてくれ」
パーシヴァルは弱々しくうめいた。
「あれは――あれは、本当に――」
「――何度も言いますけどね、マスター」
エリックは、彼としては非常に珍しいことに、重いため息をついた。
「オレらは、無を有にも、有を無にもできない。そらまあ、上級のかたがたは、それに限りなく近いことをやってのけたりもするッスけどね。でも、基本的には、できないんスよ。だからね――オレらにできるのは、加工と脚色までで、全然なかったことをあったことにする、っつーのは、できないんス」
「それじゃあ――」
パーシヴァルは、悲鳴のように息を吐き、吸い込んだ。
「あれは――本当に――?」
「で、やんしょうねえ。ううう、オレは、血を見るのは好きくないのに」
「――どこで?」
パーシヴァルは、こたえを求めぬ問いを発した。
「――どうやって?」
「――知りたいんスか、マスター?」
「――いや。知りたくはないし――なんとなく、わかる」
「――そッスか」
「あのかたは――新月様は――」
パーシヴァルは、いたましげにつぶやいた。
「まだ、御若いのに。あれは――あれは――」
「昔のこと、ッスね。昔、起こったことッスよ」
「あれを、見たのか」
パーシヴァルは、両手で顔を覆った。
「直接、御自身の目で」
「そして、御自身の手で」
エリックは、低くつぶやいた。パーシヴァルは、力なくうなずいた。
「エリック――私達はいったい、何をしてしまったんだろう?」
「――別に、マスターのせいじゃないッスよ」
「じゃあ、いったい誰のせいなんだ?」
「――んなこと真面目に考えてたらね、マスター」
エリックは、心配そうに言った。
「あったま、おかしくなるッスよ?」
「そう言って、考えなかったんだな――誰も」
「だーもう!」
エリックは、タンタンッ、と足を踏み鳴らした。
「どーしてうちのマスターってば自分からドンドコドンドコよけいな荷物をしょい込んでっちゃうのかなーっ! あのねマスター、オラァただでさえキャパいっぱいいっぱい、スペックギリギリの、ストとデモを同時に起こしたくなるような超絶シンドイおシゴトを、あのおネエさまがたに押しつけられる予定なんスよ? それでなくてもどえらくややっこしい願いごとをブチかまされちゃった、さらにその上今度はマスターのカウンセラーまでやんなきゃなんないんスか!? カンベンしてくださいよ、ホントにもう」
「……何を言っているのだか、実を言うとよくわからんのだが」
パーシヴァルは、かすかな笑みを浮かべた。
「余計な心配をかけてしまったようだな。……すまん」
「あ、いや……いいんスけどね、別に」
エリックは、少し驚いたようにパーシヴァルを見た――らしかった。光と言う光を跳ね返す、ミラー加工の巨大なサングラスの下の彼の目が、本当はどこを見ているのかを知ることができる者はいない。――エリックより上位の、悪魔や天使以外には。
「だが――なぜなんだろう?」
パーシヴァルは、苦しげに言った。
「琥珀卿は、確かに冷徹な御方ではあるが、決して残酷なわけではない。それどころか、公正で有能な御方なのに――」
「悲しいけどねー、マスター」
エリックは肩をすくめた。
「そんなん、よくあることッスよ。マイホームパパが敵の兵士ブッ殺したりとか、優しい司祭様が異教徒焼き殺せって叫んだりとか」
「まいほおむぱぱ?」
「家庭的な父親。家族を大事にする父親」
「いきょうと、とは?」
「へ?」
エリックは、あっけにとられた声をあげた。
「あの……異教徒、って、意味、わかんないんスか? えーっと……自分の信じてる神様じゃない神様を信じてる人達、っつーことなんスけど……」
「ああ、そういう意味か」
パーシヴァルは、納得したようにうなずいた。
「だが、それでなんで、そういう人達を焼き殺すなどという物騒なことになるのだ?」
「……は? ……へ? ……ギョゲェェェ!?」
エリックは、空中高く飛び上がり、そのまま思い切り天井に頭をぶつけた。
「お、おい、どうした、大丈夫かエリック?」
「マ、マ、マスター、まさかもしかしてひょっとして!?」
エリックは、頭をぶつけたことも忘れて叫んだ。
「こ、こ、この世界ってば、宗教戦争のない世界なんスか!?」
「しゅうきょうせんそう?」
パーシヴァルは、きょとんと首をかしげた。
「それは、えーと、例えば、ルティック教徒と樹海の守り人達が。互いにいがみあって戦争を始めたりする、と、そういう意味か?」
「そのものズバリ、ドンピシャッス」
「なぜそんなことをするんだ?」
パーシヴァルは、ますます不思議そうに首をひねった。
「なんで、って……そらぁ、ジブンらが信じてることを信じないヤツらがいる、ってのが、ムカツクからじゃないッスか? 許せないんスよ、きっと」
「おいおい、無茶苦茶だな」
パーシヴァルはあきれて言った。
「許せないからって――それをどうしようというんだ? 他人が自分と違うことを信じているから戦争? で、戦争を仕掛けて、相手をいったいどうするつもりだ?」
「あー、うー、そらぁ、ねえ、ヤッパ、殺したりとか、改宗させたりとか――」
「かいしゅう?」
「信じてる宗教を変えることッス。あー、この場合、変える、じゃなくて、変えさせる、っつーほうがピッタリくるッスね」
「無理やりにか?」
「あー、大抵は、そーゆーことになるんじゃないんスか」
「無茶苦茶だな」
パーシヴァルは顔をしかめた。
「私の世界にそんな代物がなくて、本当によかった」
「でも、宗教はあるんスよね?」
「ああ、それはいくつもあるぞ」
「なるほどねー」
エリックは、興味深げにうなずいた。
「おもろいおもろい」
「私はあまり面白くない。それに、よくわからん」
パーシヴァルはむっつりと言った。
「大分話がずれたが、要するにあれだろう、おまえは、人間は、自分の敵相手になら、いくらでも残酷になれる、と、こう言いたいのだろう?」
「へ? ……あ! ああ、あー、そうッスそうッス。そゆコトッス」
「……それでも、やはり説明がつかんぞ」
「へ?」
「あんな子供の――」
パーシヴァルの顔が、歪んだ」
「どこが敵だ?」
「……マスター」
エリックは、ボソリと言った。
「どのコのことッスか?」
「……」
パーシヴァルの顔が青ざめた。エリックは、小さく舌を鳴らした。
「理由は――ま、いろいろあるんじゃないッスか? あちらさんには、あちらさんなりの理由が。ま、もし、どこをどうひっくり返しても、なんの理由もなかったとしたら――」
「――なかったとしたら?」
「そらぁ、単なる趣味ッスね」
エリックは、どこか冷ややかな笑みを浮かべた。パーシヴァルは、ハッと息を飲んだ。
「なんの――話だ?」
「ホントは、わかってるんでやんしょ、マスター」
エリックはヘラヘラと言った。パーシヴァルは、ビクリと顔をそむけた。
「エリック――おまえは――おまえ達は――私に、何をさせるつもりだ? いったい私を、何に引きずり込もうとしている?」
「それも、ホントは、わかってるくせにィ」
エリックは、ニヤニヤと言った。パーシヴァルの唇が震えた。だが、そこから言葉がもれることはなかった。
「言えないんなら、オレがかわりに言ったげましょっか?」
「――その必要は、ない」
パーシヴァルは、かすれた声で言った。
「おまえ達は、私に―――国を裏切れ、と、言うのだろう?」
「勘違いしないで欲しいッスけどね、マスター」
エリックはクツクツと笑った。
「オレらは、相手が、全然、まったく、これっぽっちも望んでいないことを無理やりやらせる、なんていう器用なことはできゃしないんス。だからね、マスター、わかってるとは思うんスけど」
エリックは、ヒョイとパーシヴァルの前に顔をつきだした。
「それは、多かれ少なかれ、オタクが望んだコトなんスよ」
「――そうだな」
パーシヴァルは、小さく、だがはっきりとこたえた。
「そういうことに――なるのだろうな」
「だいじょぶだいじょぶ。んーなにシンコクになることはないッスよ」
エリックは、ポンポン、と、パーシヴァルの肩を叩いた。
「たかがおヒメさま一人かっさらうだけじゃないッスか」
「何が『たかが』だ」
パーシヴァルは、むっつりとエリックをにらみつけた。
「あのかたは、我が国の至宝だ」
「へいへい、わかってるッスよ」
エリックは肩をすくめた。
「どーせやるなら、ケーキよくいきましょ。至宝結構。もしかしたら、歴史にその名を刻めるかもしれないッスよ、マスター」
「おまえ、事の重大さがちゃんとわかっているのか?」
パーシヴァルはぶつぶつと言った。
「おまえはいいだろうが、もししくじれば、私は――」
「イッパツであの世逝きッスか?」
「――いや」
パーシヴァルは、じっとエリックを見つめた。
「そうは、ならないだろうな」
「……へえ」
エリックは、落ちつかなげに身じろぎした。
「もしかして、この国って、意外と人道的なんスか?」
「じんどうてき?」
パーシヴァルは眉をひそめた。
「それは、あれか、慈悲深い、という意味か?」
「あー、まあ、そんな感じッスかね」
「……罪人を、できるだけ長い事生かし続けておくことを『慈悲深い』と言うのなら」
パーシヴァルはため息をついた。
「それは確かに、私は『じんどうてき』に扱われることになるのかもしれんな。だが――私は、そんな慈悲深さの恩恵にあずかるくらいなら、とびきり残酷に扱ってもらったほうがましだ」
「ううう」
エリックは、ブルブルと身を震わせた。
「ねえ、マスター、それってばヤッパリ、オレが思ってる通りの意味なんスか?」
「おまえは、何をどう思っているんだ?」
「えー、あー、んー……死んじまった人間は、もうそれ以上苦しまない」
「その通りだ」
「――ううう」
エリックは、再び震えた。
「オレ、スプラッタはキライなのに。エグいのは、好きくないんスよ」
「おまえがそんなに心配することはあるまい」
パーシヴァルは皮肉っぽく言った。
「何しろ悪魔だからな。いくらでも逃げ道はあるだろうさ」
「そらそーッスけどね」
エリックは情けない声をあげた。
「だとしても、オラァいやッスよ」
「……そうか」
パーシヴァルは、なんとなく虚を突かれたように言った。
「もちろん、私だっていやだ。――だから」
「だから?」
「考えねばなるまい。――成功、するように」
「おっとぉ」
エリックは、喜々として身を乗り出した。
「ヤル気になってくれたんスね、マスター」
「――そうするしか、あるまい」
パーシヴァルは、重いため息をついた。
「いかな私でも、あれだけいろいろなものを見せられれば、わかる。――いや、こう、思ってしまう。――はてみの君を、琥珀卿の妻にするわけには、いかない。――いや」
パーシヴァルは、頬を染めてうつむいた。
「――したくない」
「アハハン、なーるほど」
エリックは、訳知り顔でうなずいた。
「そらそーッスよねえ。だってあのヒト、どっからどー見ても筋金入りのサドだもの」
「さど?」
「ヒトをイジメるのが大好きなヒトのことッス。ちなみに、その逆、イジメられるのが大好きなヒトのことは、マゾって言うんスよ」
「な、なるほど」
パーシヴァルは、ガクガクとうなずいた。そして、ふと悲しげな顔になった。
「私は――心配なんだ。はてみの君は――何も御存じない。だから――もし、琥珀卿が、い、いや、琥珀卿がそんなことをなさるとは限らんのだが、だが、もしも――もしも、琥珀卿がはてみの君を手酷く扱ったとしても――あのかたは、何も御存じない。だから、どんなにひどい扱いをされても、それを当然の事として受け入れてしまうのではないか?」
「ああ、正に今、そんな感じッスよね」
「――」
パーシヴァルは、張り裂けんばかりに両眼を見開き、まじまじとエリックを見つめた。
「おっとぉ、どうしたッスか、マスター?」
「お――おまえの、言う通りだ」
パーシヴァルは、のろのろと、ぎこちなく言った。
「あれは――あれは、やはり、ひどい扱いなんだ。塔に閉じ込め、人と会わさず――伏人はいるが、あんなものは、会っているとは言えん。その上、何も教えない、なんて、そんな――どうして――」
パーシヴァルは、苦しげに言った。
「今まで、どうしてそんなことを思ってみもしなかったのだろう? チラッと考えてみたり、疑ってみたりさえしなかったのは何故だろう?」
「そらぁ、やっぱり、あれッスよ」
エリックは、ヒョイと肩をすくめた。
「慣れちまってたからッスよ。あったりまえのことをイチイチ疑ってたら、世の中渡っていけねーッス」
「……慣れてしまったから……その通りだな」
パーシヴァルは、血の気の引いた顔でつぶやいた。
「だが――もう、だめだ。もう――私は、もう、それが当たり前のこと、そうであるべきこと、とは――思えん」
「マスター、その調子その調子」
エリックは、誘うように笑った。
「それで、マスター、だとしたらオタクは、これからいったい、何をどうするべきなんスかねえ?」
「――正しいこと、か、どうかは知らん」
パーシヴァルは、低い、強い声で言った。
「私がやろうとしていることは――唾棄すべきこと、恥ずべきこと、呪われたことなのかもしれん。そもそも、あのかたが――はてみの君が、それを望んでいるかどうかも知らん。おそらく――望むことさえ、御存じないのだろう。もし、失敗したら、私はきっと、百回死んだほうがましだというような目にあわされるのだろう。だが――だが――」
パーシヴァルは、大きくあえいだ。
「本当は――私が本当にすべきことは――踏みとどまって、この国を動かす、いや、動かそうとしてみることなのかもしれん。あまりに身の程知らずで、嘲る気にさえなれん考えだがな。だが――それは――もし、そうして、それで、間にあわなかったら――何もかも、手遅れになったとしたら――私は、死んだ後にも後悔し続けるだろう。――だから」
パーシヴァルは、強くこぶしを握りしめた。
「私は――国を、裏切る。はてみの君を――さらう」
「――オッケー、マスター」
エリックは、クッと笑みを吸い込んだ。
「御命令のままに。んじゃあ、新月様と手を組むんスね」
「ああ」
パーシヴァルは、きっぱりとうなずいた。
「あのかたには――あのかたの望みが御有りになられるのだろう。私には私の望みがある。それでかまわん。それで――互いの望みがかなうなら」
「腹ぁくくったみたいッスね、マスター」
エリックは、フワリと空中にあぐらをかいた。
「けっこーけっこー。さってと、そんじゃあ、計画練らなきゃね。まずは、なんつったって」
エリックは、小さく口笛を吹いた。
「はてみの君を、その気にさせなきゃね。手はあるッスか、マスター?」
「――考える。多分それは、私にしか出来んことだろう。――曲がりなりにも」
パーシヴァルは、ごくわずかな誇らしさと喜びとをにじませた。
「一味の中では私が一番、はてみの君のことを存じ上げていると思うからな。――多分」
「オー・マイ・マスター」
エリックは、こっそりとつぶやいた。
「お願いだから、もっと自分に自信を持ってチョーダイよ」
「ん? 何か言ったか?」
「いーえ、なーんでも」
エリックは、ヘラリと笑った。
「ケーカクの成功を、おイノリしてたんス」
「ふん、悪魔がいったい、何に祈るというんだ?」
「アハン、それはやっぱし」
エリックは、ニヤニヤと肩をすくめた。
「偉大なる、我が御主人様に、じゃないッスかねえ?」
「……何をふざけたことを」
パーシヴァルはあきれたように言った。
「その調子でいったら、私など――」
パーシヴァルは、いきなり真っ赤に頬を染めた。
「私が、祈る相手は――」
「――アハン」
エリックは、懸命にも沈黙を守り通した。
『出たとこ勝負も程がある』 終
出たとこ勝負も程がある 琴里和水 @kotosatokazumi
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