第50話

イズの話




「――!?」

「――夢の中で吐く、ってことはさ」

 イズは、淡々とつぶやいた。

「いったい何を吐いてるんだろうね? だって、ほら――こうやってわたしが指を鳴らすだけで、何もかも、綺麗さっぱり元通りになるんだ。夢って便利だね。――まあ」

 イズは、薄く笑った。

「見たくもない夢も、たくさん見たけどね」

「し――新月様――」

 パーシヴァルは、しわがれた声でうめいた。

「こ――これ――は――」

「何をそんなに驚いているの? これぐらい、予想していなかったわけ、おまえは? 王家のほかに、翡翠が生まれてはならない。――それがどういう意味か、ちょっとでも考えれば、簡単に予想がつくはずだろう?」

「そ――それ――は――」

「それとも」

 イズは、鋭く笑った。

「考えたこともないわけ? おまえは――おまえ達は?」

「――」

「これぐらいでへばってほしくないな」

 イズは、がっくりとくずおれたパーシヴァルのあごに手をかけ、強引にパーシヴァルと視線をあわせた。

「だって、まだ、あいつには逃げ場が残されているんだから」

「――逃げ場?」

「そう。――仕事だった、掟に従っただけだ、っていう逃げ場がね」

「――」

「そう――逃げ場は、残されているんだ。――だけどね」

 イズは、ギリ、と奥歯を食いしばった。

「たとえそうでも――許せない、どうしても、許せないことがある――」

 再び。

 過去が、動き出す――。







(あのね、イズ)

 翡翠の瞳と、翡翠の髪を持つ子供。

 一目でわかる。

 これは、現在、リセルティンの玉座の主を務めている人物だ。

 翡翠様、ナルガ・リィン・セルティニクシアの、幼かりし日の姿だ。

(なに?)

(あのね――大きくなったら、私と結婚してくれる?)

(え? ……でも……)

(……だめ?)

(……ううん。……でも、さ……でも、ナルガも、はてみの君みたいに、この人と結婚しなさい、って言われるんじゃないの?)

(そしたら、私、やだって言うもん。イズじゃなきゃ、やだ)

(ほんと?)

(うん!)

(しかられるよ?)

(平気だもん!)

(おしり、ぶたれるかもよ?)

(平気だもん!)

(おやつ、抜きかもよ)

(平気だもん!)

(えっと、えっと、おうちに入れてもらえなくなるかもよ?)

(平気だもん!)

(……ほんと?)

(うん! だから、イズ、私のお嫁さんになってくれる?)

(……うん。大きくなったら、ナルガのお嫁さんになってあげる)

(……ほんと?)

(うん!)

 他愛ない、稚い、小さな小さな、だが、当人達にとってはこの上なく重要な、子供の日の約束。







「――あいつは」

 イズは、低く、鋭く吐き捨てた。

「見てたんだ。――見てたんだよ、あの日。それは、ね――見てたのは、別に、どうだっていい。見られるようなところへ行ってたんだから、それは仕方がない。だけど、あいつは――」

 イズは、こぶしを握りしめた。

「証拠はない。証拠はないけど、あいつがやったんだ。そうとしか考えられない。あいつは――あいつは、何もかもぶちまけたんだ。わたしと、ナルガのことを、何もかも。――わたしも、ナルガも、子供だった。だけど――わたしはディンで、ナルガは翡翠だった。そう――だから、結局、アヴェロンは正しいことをしたわけだよ。ディンと、翡翠。――誰も喜びやしない。特に、玉眼の連中なんか、なんとしてでも阻止しようとする――現に今、してるしね。だから――あいつらは、わたしを、殺そうとした。だから、わたし達は――逃げた。逃げて、逃げて、逃げて――そのあいだに、わたしはディンの新月になった」

「存じております」

 パーシヴァルは、低くこたえた。

「私などが差出口をきくいわれはありませんが――その御若さで、おいたわしいことと思いました」

「じゃあ黙ってろよ」

 イズは冷ややかに笑った。

「でも、そうか。そう思う、ってことは、おまえは、ディンの新月がいったいどういうものなのか、ちゃんとわかってるわけだ。なるほど。偉いねえ。じゃあもしかしたら、こうも思ってるんじゃないのかな? ディンじゃないナルガを、どうしてわたしが選んだのか、って」

「『月に添うのはディンの者』――と、うかがっております」

「そう――ディンは、特に、月の名を冠するディンは、同じ血をひく者としか交わらない。――と、いうことになっている。だから、父上も母上も、お互いにお互いしか相手がいなかった。同じ親から生まれた、お互いしか」

「――」

「今度は吐かないの? もしかして、皆、もう知ってるわけ?」

「それは――私には、わかりかねます」

「へえ、そう。――ディンはディンとしか交わらない。だけど、それじゃあわたしはどうすればいいの? それじゃあわたしは、わたしとつがうよりほかないじゃないか。――わたしの場合、できそうなのが怖いけど」

「……」

「だからわたしは、わたしの好きなようにやる」

 イズは、淡々と宣言した。

「わたしは、約束を守る。――ナルガは、約束を忘れてなかった。だから、わたしも約束を守る」

「……」

「あいつらは、嫌いだ」

 イズは舌打ちした。

「あいつらは、国のため、って言いさえすれば、何をやってもいいと思ってる。――ふざけてるよね。逃げ場をつくってからじゃないと、自分の手を汚せないなんて。――夢守り」

「はい」

「おまえが馬鹿な誤解をしないように言っておいてやるけど、わたしの手も――血塗れだよ。知ってる? わかってる、そのことが?」

「――それは、我ら地の民とて、同じことです」

「へえ。ずいぶんと義理堅いんだね、おまえらは」

 イズは、低くせせら笑った。

「あんな昔のことを、まだ気に病んでるんだ」

「それも、ありますが――それだけではありません」

 パーシヴァルは、わずかに目を伏せて言った。イズは、小さく眉をひそめた。

「何? ――どういうことだ?」

「夢守りと、夢紡ぎは、過去のこと――過去の、歴史のことを学びます。リセルティンの歴史も――ヨルディニアの歴史も」

「――ヨルディニア、か。ずいぶんと懐かしい名前をひっぱりだしてきたな。――それで?」

「私は、夢守りです。夢紡ぎではありません。だから私は、上っ面を軽くひとなでしただけにすぎません。それでも、それでさえ、私にさえ、はっきりとわかることがありました」

「――ほう」

 イズは、じっとパーシヴァルを見つめた。

「何がわかった?」

「ヨルディニアの王も、リセルティンの王も」

 パーシヴァルは、あえぐように息を吸い込んだ。

「どちらも――どちらも、同じ。どちらも――贄王(にえおう)です」

「――」

 イズの周りの、空気が揺れた。パーシヴァルは、白茶けた顔で言葉を紡いだ。

「首を斬るには、首をつくればいい。――地の民は、ただの一度も、自分がかしらになろうとはしなかった。かしらをつくって、祀り上げて――いざ、事ある折には、なんのためらいもなく切り捨てる。地の民は――地の民は、こうべを垂れて上に従う。踏みつけられても、侮られても、ないがしろにされても――それでも、従う。――けれども」

 パーシヴァルは、真っ直ぐにイズを見つめた。

「首を斬られるのは――地の民では、ない。――今だってそうです。今でもそれは、まったく変わっていない。地の民達は――私達は――」

 パーシヴァルは、重い吐息をもらした。

「生贄の血をすすって、生き延びてきました」

「――感傷的だね、おまえは」

 イズは、どこかつかみどころのない笑い声をあげた。

「でも、まあ、それなりに面白い話ではあったよ。そうだな、お返しに、わたしも面白いことを教えてやろうか?」

「は――」

「あいつらが、わたしを殺そうとする、もう一つの理由を」

「もう一つの――?」

「そう」

 イズは、切り裂くような笑みを浮かべた。

「わたしの名前を言ってみな」

「え? ――かしこまりました」

 パーシヴァルは、戸惑いながら、ゆっくりと言った。

「イズ――アル――『アディン』様」

「残念、はずれ」

 イズはおかしそうに笑った。

「でも、安心しな。おまえのせいじゃないから。もし知ってたら逆にびっくりだよ。――わたしの、名前は、ね」

 イズは、深く、大きく笑った。

「イズ――アル――『ヨーディン』――!」

「!?」

 パーシヴァルは、息を飲み、そのまま石と化した。イズは、嫣然と微笑んで、かつての、そして、これからの眷属を見下ろした。

「――いい子だ。目を、そらさなかったね。そう――それじゃあ、御褒美に、これも見せてやるよ」

 嫌悪に満ちた目が、空を切る。

 浮かび上がる、人影は――。

 琥珀の長、アヴェロン・ティン・エルネストーリア。

 だが。

 その瞳は――黒い。

「し――新月様――これ、は――?」

「さっき、言ったろ? 瞳の色を変える薬がある、って。これはね、アヴェロンが――いや、玉眼の連中が、いけない遊びをする時の、お気に入りの変装さ。――で、どうする?」

「ど――どうする、とは?」

「この先を見るかい? あいつらが、どんなふうに遊ぶのか、を」

「――」

 パーシヴァルは、一瞬悲鳴をあげかけ、だが、それを中途で食い止めてこうべを垂れた。

「拝見――いたします」

「そう? 腹をくくっときな。下手すりゃまた吐くよ」

「――御見苦しいところを御見せするやもしれません。それでも――拝見、いたします」

「見て、どうする?」

「――私は、何も知りません」

 パーシヴァルは、血の気の引いた顔でイズを見上げた。

「あのかたを――はてみの君を、塔の外の世界に連れ出すには、どうすればよいか、どうすればあのかたの呪縛された御心を、解き放つことが出来るのか――。あのかたは――あのかたは、何も御存じない。それは――それは、やはり――ひどく、歪なことなのだと思います。何も知らぬが故に、曇りのない目で全てを見ることが出来る。けれど――けれども」

 パーシヴァルの頬が、わずかに赤らんだ。

「知る、というのは――楽しい、ことです」

「――幸せだったんだね、おまえは」

 イズはポツリと言った。

「真顔でそんなことが言えるなんてさ。――で? だからどうだっていうの?」

「私は、はてみの君に、この世界のことを御教えしたい。けれど――私は、わからないんです。どうすればいいのか。何を知ればいいのかさえ知らないんです。だから――なんでもかまいません。なんでも――私の知らないことなら、なんでも御教えください。――そうすれば」

 パーシヴァルは、キッとこうべをもたげた。

「いつか、どこかに、たどりつくかもしれません」

「――ああ、いいよ。教えてやる」

 イズは、どこか憐れむような目でパーシヴァルを見つめた。

「だが、逃げるなよ。知る、っていうのは――つらい、ことだ」

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