第49話
イズの話
「――やあ、来たね」
イズは、真紅の唇をほころばせながらパーシヴァルとエリックを迎えた。
「夢を渡れる、って便利だよね。誰にも気づかれずに、好きなだけ密談が出来る。――そう、だからね」
イズは、小さく笑った。
「おまえにも、まだ、逃げ道は残されているよ」
「――御招きにより、拝顔の栄に浴する誉れを賜りましたからには」
パーシヴァルは、イズの眼前にひざまずき、深々とこうべを垂れた。
「私とて――すでに覚悟は定まっております」
「そう」
イズは目を細めた。
「じゃあ、はてみの君をさらってくれるんだ」
「そうは申しておりません」
「――何?」
イズは、面白そうに笑った。
「どういうことかな?」
「私は――」
パーシヴァルは、震えながらも、真っ直ぐにイズを見つめた。
「あのかたを――はてみの君を、不幸にするようなことはいたしたくありません。いえ――できません。今、はてみの君をさらったら――あのかたの同意もなしに、そんなことをしたら――あのかたは、不幸になります。ですから、今のままでは、そのようなことはできません」
「なるほど」
イズは、声をあげて笑った。
「わかった。とりあえずは合格だ」
「え?」
「わたしは、義姉上に幸せになっていただきたいんだ」
イズは、黒い光を放つ両眼でパーシヴァルを貫いた。
「義姉上の幸せを一番に考えられないやつなんて、使うだけ無駄だからね」
「――私は、合格、ですか」
「ああ。とりあえずはね」
「――身分卑しい平民が?」
「もの狂いのディンが?」
「……」
「別に、そんな顔をする必要はないよ。誰だって知ってることだ。誰だって、ね。――でも」
イズは、獰猛に笑った。
「皆が知らないこともある。わたしはそれを知っている。それを――教えてやるよ、おまえに」
「――私に?」
パーシヴァルは、わずかに顔をあげた。
「――何故?」
「おまえが、それを知れば」
イズは、一瞬笑みを消し、次の瞬間、その笑みをより大きく燃え上がらせた。
「どんな手段を使ってでも、たとえ自分の命と引き換えにしてでも、はてみの君をさらわなければいけない――と、思うようになるからさ」
「……」
パーシヴァルは、何も言わずにイズを見上げた。イズは、ふと、視線を宙にさまよわせた。
「さて、何から見せようか。――そう」
イズは、小さく眉をひそめた。
「アヴェロンのことは、知ってるよね?」
「――琥珀卿のことですか?」
「ああ、そう呼ばれてるみたいだね。そうだよ、そいつのことさ」
「ええ――それは、もちろん――」
「そうだろうね。でも、これは知ってる? ラクトの実の搾り汁で、サキの葉を煮出す。そして、できた液に、テュタの花弁をひたして、花弁に染み込んだ汁を目に垂らす。――するとね」
イズは、わずかに身を乗り出した。
「しばらくのあいだ――瞳の色を変えることができるんだ」
「いえ――存じません」
パーシヴァルは、不安げに身じろぎした。
「それが、何か――?」
「知っておいたほうがいいよ」
イズは、低くささやいた。
「案外、大切なことだからね」
「……」
「ナタリー、カンナ」
イズはチラリと、後ろに控える二人をふりかえった。
「準備はできてるね?」
「はぁい、もっちろん」
「オッケーよ、ダーリン」
「そう、ありがと。――なあ、夢守りよ」
イズは、じっとパーシヴァルを見つめた。
「わたしは、見たんだ。それを――見せてやるよ、おまえに」
「は――」
「――わたしが、何年か、この国にいなかったことは、知っているだろう? それとも、それすら知らないか?」
「――存じております」
「その時、私がどこにいたか、知ってる?」
「――存じません」
「――わたしはね」
イズは、重い吐息をもらした。
「――虹の民の中にいたんだ」
「!?」
パーシヴァルは、はじかれたように顔をあげ、息を飲んでイズを見つめた。イズもアンツを見つめ返した。
「虹の民の中で、虹の民のやることは、なんでもやった。そう――『なんでも』ね。わたしは、わたしが本当は虹の民じゃないことを、見破られるわけにはいかなかった。――何を想像してる? 何を想像してるにしても、おまえの想像通りのことがあったよ。――目をそらすな!」
イズの鋭い叱咤が、パーシヴァルをうった。
「――おまえ達のせいだなんて言いやしない。何があったにせよ、昔は昔、今は今さ。ディンが愚かだったのも、ディンにはもの狂いの血が流れているのも、みんな本当のことさ。だから、わたしは、おまえ達を――地の民達を責めたりなんかしやしない。だが、目をそらすな! わたしの身に起こったこと――それは、現にあったこと、起こってしまったことなんだ。なかったことになんかならないし、させやしない。――おまえがわたしのことをどう思おうとかまやしない。だが、目をそらすのは許せない。もし、どうしてもわたしを見ることができないというのなら――この話は、なかったことにさせてもらうよ」
「――御無礼、つかまつりました」
パーシヴァルは歯を食いしばり、イズを真っ向から見つめた。
「二度と斯様な失態は繰り返しません。御許し下さい、新月様」
「――よかろう。許す。――さて」
イズは、ナタリーとカンナに小さく合図をした。
「では、見てもらおうか」
その言葉と共に。
過去からの亡霊達が、動き始めた。
丸い月が、草原を照らしていた。
満月――いや、それには少し欠ける。十四夜の月か――いや、これは、十六夜の月だ。白々と、濡れたように波打つ草原に、風変わりで馬鹿でかいキノコの群れのように盛り上がるものは、目の痛くなるような原色の布をつづれあわせた幌馬車や天幕の群れ――。
それは、虹の民の野営地だ。だが、それは、外から見た眺めではない。
この映像をつくりだしている者――この記憶の主は、他ならぬ、虹の民達の中にいる。
フッ――と、視点が動く。
馬(パルカ)が、駆けてくる。前に二頭、後ろに数頭。
どちらも、必死。だが、前の二頭の必死さに比べれば、後ろの者達のそれは、のどかな野遊びのそれに等しい。
だが、両者の距離は、グングン縮まっていく。
前の二頭の乗り手達は、あきらかに、馬(パルカ)に無理をさせすぎたのだ。
追手は、明らかに慣れきった技量で、二頭の馬(パルカ)を――いや、馬上の二人を取り囲んだ。
虹の民達は、動かない。虹の民の野営地の中は、一種の非武装中立地帯である。虹の民達の中に逃げ込んだ者達は、よほどのことがないかぎり、一定の保護が保障される。
ただし――ただし、だ。虹の民の野営地の、周りには――。
法が、存在しない。虹の民達は、国の法の保護からは、はずれたところにいるのだ。そして、虹の民は、野営地の外で起こることには一切手を出さないし、出せない。
だから――ただ、見ている。いや、そもそも、わざわざ見ている者などあまりいないのだ。
見ていても、気にとめても、歯噛みしても――所詮、どうしようもないことなのだ。
二頭の馬(パルカ)が、ひたと寄り添う。周りを囲んだ馬(パルカ)の群れから、一頭の馬(パルカ)が歩み出る。
月が、馬上の人影を映し出す。
その、人影の名は。
アヴェロン・ティン・エルネストーリア。
不意に、人の声が聞こえてきた。
その当時には、ほとんど聞こえてはいなかったその声を、悪魔の増幅能力で聞き取れるように加工してあるのだ。
流れるように、場面が拡大される。
(――なぜ、逃げるのかな?)
月光に輝く、琥珀の瞳。
口元に凍りついた、笑み。
(なにか、いけないことをしたのかな、あなた達は?)
(お――おねが――お願いです――)
震える声を絞り出す、瑠璃の瞳の若者。
大分灰色がかった、幾分くすんだ――。
それでも、瑠璃は瑠璃。
(つ――妻と、子供だけは、み、みの――見逃して――)
(見逃す?)
アヴェロンは、優雅に小首を傾げた。
(何を?)
(お願いです! この子は――この子は、翡翠なんかじゃありません!)
血を吐くように叫ぶ、琥珀の瞳の娘。
森の黒土の色が混ざる、宝石よりも木の幹の色に似た――。
それでも、琥珀は琥珀。
(ほう? ――なるほど)
崩れない、揺るぎさえしない、笑み、笑み、笑み。
(だが、私はまだ、一度もその子をきちんと見せてもらっていない。――それでは、判断の仕様がないな)
(――)
(――)
ゆっくりと顔を見あわせる、馬上の二人。
(――琥珀の、若?)
(見せてくれないか? 私に、その子を)
(――)
(――)
狂おしく輝く、二対の瞳。
(わ――若――)
(無理強いはしないが――私も、見たいんだよ、その子が)
(――)
(――)
うなずきあう、二人。
歩み寄る、馬(パルカ)。
ふところから現れ出る、大切にくるまれ、しっかりと体に縛りつけられていた、包み。
(そう――この子が)
いつの間にか。
おそろしいほど自然に。
包みは、手から手へと移って。
(――聞いても、いいかな? この子の、名前は?)
(――ユラ、です)
(――そう。かわいい名だね。そう――子供に、罪はないものね)
ゆるやかに弧を描く唇。
(だから――)
その動きが何を意味するか、誰もが一瞬戸惑い。
(すぐに――)
わかった時には。
(楽にしてあげるよ)
遅すぎた。
アヴェロンの手から投げ落とされた包みは、路上の土くれよりもあっさりと、馬(パルカ)の蹄に踏みにじられた。
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