第二話 帝国の教訓

 「あーっ、暑ぃー……」


 青空の元、簡素に造られた机に突っ伏す黒髪の少年が呟いた。

 名前は或哉榛人アルカナハルト。決して高いとは言えない身長と決して重いとは言えない体重を兼ね備えた平凡と言えば平凡と言える少年。カリスリドルの軍服とは対照的に黒色で固められた服装はこの辺りでは有名である。


 「ハルト、それ禁句だよ。こっちまで暑くなんじゃん……」


 そんな少年の隣で暑さでだれそうになるのを懸命に我慢して姿勢を保っているミニスカートを穿いた少女。歳はハルトと同じぐらいに見える。腰にまで達していそうな長い黒髪に加え、細く結ばれた三本の三つ編みが特徴的だ。


 「言わなくても暑いだろうが。俺一人が愚痴零したところで変わんないだろ」

 「気持ちの問題でしょうが。あんたが暑い暑い言うだけでわたしが必死に寒い寒いと思っても暑く感じちゃうもんなんだい」

 「それこそ嘘だろうが。寒い寒い思っただけでこの暑さ紛らわせるレベルに暑くなくなくなるなら世紀の大発見だぞ。俺が暑い言おうが暑い言わなかろうが結局暑いもんは暑いんだよ」

 「そーいうことじゃなくてねえ!」

 「うっせぇ! ホントに暑く感じるようになるだろうが!」


 二人のやり取りを代弁するように近くで会話を聞いていた数人の内一人がハルト達に声を荒げた。


 「だってカグヤがさー、暑い暑い言わなかったら暑くないなんて言うんだぜ。これは違うだろ」


 悪いのはカグヤであり自分ではない。自分を責めるのは筋違いだと。ハルトが周囲に対して言い訳を展開する。


 「暑くないなんて言ってないし! 今より暑くはならないってだけ!」


 それに対してカグヤも弁明する。ただハルトが悪いとは言わず、ハルトの言葉が間違っていると訂正する。


 「逆に言えばこれ以上悪化しないってことだろ。じゃあ暑くないって言ってるじゃん」

 「そうだけどそうじゃなくて! 元々の前提がそれだと違うじゃん! ハルトの言い方だと気温そのものが暑く感じる温度じゃなくなるって言い方だけど、わたしの言い分は体感温度主観の物言いなんじゃい!」

 「結局暑くないんだろ」

 「だからねぇ!」

 「「「だぁーっ!! 余計暑くなるわ!」」」


 臨界突破した男衆がハルトへ向けて一斉に殴りかかる。


 「危なっ!」


 ハルトも咄嗟に反応した。自分の後方へ二メートル程バッグステップで距離を取り攻撃を躱す。


 「灼熱の一撃を喰らええええええええっ!」


 間髪入れず男衆で最もガタイのいい男が単独で少年へ向けて突進する。


 「あぁもう! 殴るからな! 後で文句言うなよ」


 顔目掛けて殴ってくる男の一撃に対して状態を屈め回避すると、その体勢のまま勢いをつけて膝下、脛を狙って右足で蹴りを入れた。


 「痛ってぇ!!」


 脛の激痛にバランスを崩し男は呻きながら仆れた。


 「アイツ殴るって言っといてアニキを蹴ったぞ! 詐欺だ!」

 「この敵!」

 「とらせてもらおう!」

 「いやおい待てよお前ら、カグヤの方にもちょっとは行けよ!?」


 そう言ってカグヤを指さすが、カグヤには野郎共は一人として近寄っていない。

 それどころかカグヤを守るように陣形を展開しているようにも思える。


 「女は殴らん」

 「うむ」

 「レドゥィーは宝石箱のダイヤモンドゥ」


 誰かの若干気持ち悪いポエムに争いに関与しないでいた少女達が引いていたが誰も気には留めていない。


 「こらー、お前らまだ授業中だぞ。復習だからって真面目に受けないのは、駄目だぞ」


 前のことで今か今かと収束を待ち続けていた教師風の男が騒動の最中であるハルト達へ向けて小石を拾い、足元へ弾丸の如く放った。


 「お……おい……めり込んでねぇか……これ?」


 恐る恐る教師の方に振り向く。笑顔だった。目も口も一切作り笑いは見受けられない。これで背後からの悍ましい気配を除けばどこに出しても恥ずかしくないだろう。


 「はっ、はーい……。ほらアニキ、座りましょうぜ。ね?」

 「あの純粋そうな笑顔だけでどうやってあの威圧感を……」

 「足痛ぇ……」


 これ以上騒ぎを起こそうとすればへその緒が二つになる。誰もが互いにそう諾了した。


 「なんで先生もカグヤ狙ってないんだよ! 同罪だろうが!」


 しかしハルトは空気を読まなかった。不満点を教師にぶつける。


 「ハルトォ! わたしを巻き込むなぁ!」

 「お前が巻き込んできたんだろうが!」

 「そもそもあんたが愚痴らなかったらノー問題だったんだい!」

 「構ってこなかったらノー問題だったんだよ!」

 「責任転嫁しなすんな!」

 「事実だろうが!」

 「おのなー……いやもういい。彼奴らは放っておけ」


 このまま二人に構っていたら授業が延々と進まない。そう判断した教師はハルトとカグヤを放置して授業を進めることにした。


 「あぁクソ、だから【シャットハ―戦術育成教室     ここ     】は嫌いなんだ。いつもカグヤ贔屓にして……」

 「わたしが可愛いからね。罪だわ」

 「それ本気で思ってるのか? 自惚れも大概にしとけよ」

 「うっ、自惚れ!? は、ハルトには刺激が強すぎるのかな? おおー?」

 「あぁ強い。ストレスからの胃痛が」

 「むかー!」


 二人の自由奔放さに起こる気にもなれず教師も頭を抱えた。ここにいる彼らにとっては日常茶飯事だ。

 【シャットハ―戦術育成教室】、ハルト達が通うカリスリドル直営の青空教室である。

 シャットハ―で学ぶことは大まかに分けて二つ。


 ・必要最低限の基礎学力及びカリスリドルの歴史

 ・敵を倒す術


 前者はその通り、算術と自国内の常識。カリスリドル文字の読み書き及びカリスリドルの歴史。

 後者は、言い換えるなら相手の殺し方。人体学から体術、武器の扱いなど幅広い分野を学ぶことになる。授業バランスは驚くほど後者に偏っているが。


 「ハルト、カグヤ。お前ら成績いいのになんで素行は悪いんだ。これで行儀よかったら飛び級も許可できるかもしれないのに……」

 「だぁかぁらぁ! つまんないと思ってても周りには迷惑なの! わかる!?」

 「なんでもかんでも首突っ込んでくるなよ! そっちだって迷惑なんだ! それとな――っ!」

 「授業再開するぞー」


 そしてハルト、カグヤ、男衆、引いた少女達、彼らは全員同じ学び舎のクラスメイトだ。


 「数百年前、正確な年月は判明していないが我がカリスリドル帝国が建国された。その背景を有邑アリムラ、答えてみろ」

 「……はい。数百年前、世界的な大戦によってあらゆる国家が戦火に塗れました」


 名指し指名を受けたアリムラという少女。眼鏡に一つ結びとその風貌は優秀そうなイメージをよく体現している。


 「大戦の理由は数百年のうちに当時の文明と共に風化してしまい、今では誰もわかりません。この土地に元々栄えていたと伝えられる民主主義国家は、進んで武力行使を望んではいませんでしたが、例外として大戦不干渉とはいきませんでした。戦争中の国同士に挟まれる形で、半ば強制的に大戦へ加入することになります。当然の如く激化する戦争に対応できず、自国内で起こるクーデター。資源の枯渇、文明の崩壊。結果として、自国内もろくに纏まらないまま他国に蹂躙されることに、なりました……」

 

 表情一つ変えず語るアリムラだが、その声色からはどこか屈辱的なものが感じられる。加えて、時折読むのをやめて唇を噛んだり爪がめり込むほど強く手を握ったりと何かを堪えている様だ。


 ハルトとカグヤ以外のクラスメイトも何時の間にか各々着席しアリムラの言葉に静かに耳を傾けながら歯を食いしばっていた。


 「しかし……しかし! 我らが建国の父【ミハエル・カリスリドル】によって、暗黒の時代に大いなる希望が生まれました! かの国父は素晴らしい手腕で国から敵勢力を排除し本来のあるべき姿へと国を還えしました! カリスリドル様は国を守ったのです!」


 歓声が巻き起こる。教師も満足そうな顔をしており生徒の中には涙する者までいる。


 「その後国父様への尊敬と深謝の意を込め名は現在の国名となり、我々はこの国を守るため日々こうして学び鍛え切磋琢磨しているのです!」


 周りから惜しみない拍手がアリムラへと送られる。本人は一度恥ずかしそうにお辞儀するがまんざらでもなさそうだ。


 「いいなみんな。今アリムラが言ったとおり、帝国民としてカリスリドルに尽くすことは真の幸福であり、国の為に死ぬなんてことは大変な名誉だ。そこでだ、

一つみんなに重大発表がある」


 興奮冷めやらぬ中、コホンッと一呼吸置き間を整えてから教師が言った。


 「現在、我が国は正体不明の侵略国と戦争中だ。今こうしてる間にも誇り高い我が国の兵士が命を散らしながら戦っているかもしれない」


 当然の如く語るのはカリスリドルならではだろう。

 カリスリドル帝国は侵略を受けているといったが、自衛戦争ばかりではなく積極的に相手へ出兵している。総合的に見ればどちらが侵略して来ているのか言い切れはしないだろうレベルだ。


 「先生、そんなこと百も承知です。それより昨日、ハーフリーで選定試験とやらがあったって話じゃないですか! 試練て何ですか? どうして教えてくれなかったんですか!?」

 「えっ? そんなの僕聞いてない!」

 「私だって!」

 「俺もだ、なんで教えてくれなかったんだよセンコー!!」


 誰かの質疑を皮切りに全員が口々に不満の声を漏らした。


 「そのことで、だ。どうして極秘試験のことを君らが知っているかはこの際聞かない。どうせ発表するつもりだったからね」

 

 なら早くと周りが催促する。それに応じた教師も普段授業を行うのと同じように説明しだした。


 「確かに昨日ハーフリーにて試験が実施されていたのは事実だ。だがそれはあくまで君たちの力量を代表者を通じて軍部の中枢部が判断するためのものだ」

 「私達の力量を?」

 「そうだ。敵の侵攻が広範囲に広がり兵力不足が深刻化している。そこで徴兵年齢の改変が定められた。十七歳、君達の代からだ」


 悲鳴が響いた。だがそれは歓喜の悲鳴であって、悲哀ではない。戦争肯定を謳い、教育された彼らにはたまらない吉報だ。

 ある二人を除いては。


 「そして試練の代表者、アルカナハルトは諸君らより一足先、六日後最前線へ赴くことが決まった」

 

 教師が発表した瞬間、全員が一斉に二人の内の一人、アルカナハルトを凝視する。


 「なんでわかんないんだよお前は! 意地張んなよ!」

 「張ってないよ! ハルトの理解力が乏しいのがいけないんじゃん! そこ認めなよ! あんたの方が意地っ張りじゃん!」

 「間違ったことなんて認めるか!」

 「ほら意地っ張り!」


 渦中のハルトは視線など気にならず未だにカグヤとの口論に身を投じていた。


 「ハルト、お前のおかげでここにいる全員が若くも名誉を受理される権利を得たんだ」

 「ありがとよハルト!」

 「やっぱりアルカナ君は優秀だからね!」

 「俺らの誇りだ!」


 本人のことなど露知らず、クラスメイトが勝手にハルトを褒め称え始める。その声はハルトとカグヤの口論を打ち消すまでに肥大化すると、

 ハルトがキレた。





 「だぁーうるさいなお前ら! 俺は戦争なんか行かないんだよ、行ってたまるか!!」





 ――静寂。さっきまでの熱気が夢のように、誰も言葉を発しようとしない。発せられない。事態の深刻さを誰もが理解していた。無論、カグヤも。


 「……何を言ったのかわかってるのか、ハルト。カリスリドル この国 でその発言は非国民の所業だぞ」


 軍国主義のカリスリドル帝国において戦いを拒むことは最も反感を買う行為。

 教師の声が冷酷に染まる。呆れ諦めていた時と同一人物の声だとは思えない。


 「先生もうるさいですよ。俺は今カグヤと話してたんですから」


 カグヤはバツが悪そうにしている。とても口喧嘩できる様子じゃない。

 構わずハルトは頭を掻きながら教師に意見を述べる。


 「それに、俺は元々この国が嫌いですから。今更両者が嫌忌になったところで変わりませんよ」

 「そうか……。だが六日後お前は有無を言わさず強制出兵の身柄だ。軍部にもそう伝えられただろう?」

 「――先生、俺帰ります」

 「待てハルト。ちゃんと話を――」


 無視して荷物をまとめ一人帰るハルトの背中は、誰も寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。


                  ✜


 カリスリドル国民には住所がない。各々が勝手に雨風をしのげる場所を見つけて確保するというのが当然となっている。居場所を巡ってちょっとした小競り合いは起きなくもない。

 場所を見つけることは中々困難だ。カリスリドルには軍部に必要なごく一部の建物しか新設せず、後は昔の名残を再利用しているにすぎない。

 シャットハ―が青空教室なのはそれが理由だ。結局はほとんどを屋外での実技課題が占めるわけだから必要ないと言えばないのだが。


 「あぁ、クソ……」

 

 ハルトの住居は原形がそのまま残っていて目立ったひび割れもない。この時代では非常に希少価値が高い物件だ。家というよりは塔と言えるが。


 「なんでだよ。なんで誰もかれも死にたがるんだよ。おかしいだろ」


 シャットハ―をばっくれて帰ったハルトは自宅の屋根……塔の頂上でつい数十分前のことを物思いにふけっていた。


 「逆じゃん。センセー達からしたらわたし達が異端なんだよ」

 「……いつの間に帰ってきたんだ、カグヤ」


 知らない間にシャットハ―でハルトの隣に座っていた少女、【月城華俱夜ツキシロ  カグヤ  】、彼女がハルト眼前に立っていた。彼女も同じように、戦争を快く思ってはいない。


 「ハルトのすぐ後ろ引っ付いてきたよ? 声かけなかっただけで。気付いてなかったの?」

 「イライラしてたからな。てか、お前まで帰る必要なかったろ」

 「必要じゃなかったらいけない?」

 「いや、別に悪くないけど……」

 「じゃあいいでしょ。あのままあそこいても気分悪くなるし」


 落ち着いたトーンで喋る二人。先程まで暑い暑くないのくだらない口論をしていたとは想像しがたい程だ。

 カグヤもまた、この塔で暮らしている。ハルトとの同居だ。

 互いに恋愛感情があるわけじゃない。ハーフリーに通う以前、幼少期から二人は孤児だった。自然と身を寄せ合って生活し始めるのになんら疑問はない。


 「昨日、どこ行ってたんだろって思ってたら、まさかハーフリーにいたなんてね。道理で何も言ってこないわけだよ」

 「言ったらどうした?」

 「そりゃお節介位は焼かせてもらうよ? ハルトをそうするように仕向けた奴ら全員刀の錆とか土の肥料とか」

 「洒落にならなくなるから止めとけ」

 「へーい。で、ハルト。試験内容てどんなのだった?」

 「なんだよ、気になるのか?」

 「ひどいことだったら許さない」

 「……いつもシャットハ―でやらされてたことの他人改良版だ。ハーフリーに閉じ込められた他国の人質やらどこから来たのかもわからないような難民とかを相手にな。違う点なら……終着が一人になるまで終わらない、だな」

 「よし殺ろう。相手の顔は覚えてるオーケー? 軍部に殴り込んで血祭りにしよう。刻んで畑で野菜にしよう。そうと決まれば早速――」

 「決まってないから! ホントマジで止まって! 洒落にならないじゃなくてもうそれ洒落だから!」


 焦ってハルトがカグヤの腕を握る。本気で行くとは他の誰かなら思いもしないだろうが、放置していればカグヤは必ずやることは、ハルトは知っていた。


 「もっ、もうハルト! ヤルなら室内って決めてるでしょったら……!」


 カグヤが頬を赤く染める。ハーフリーで色仕掛けに反応しなかったハルトに、この手が通用しないことはカグヤも長年の付き合いでよく知っているし、本意ではない。おふざけみたいなものだ。


 「それに、相手が難民とかだったのが幸いして加減が効いたから余裕だったし、誰も殺さずに済んだ。血吐いて気を失ったのはいたけど」

 「なぁんだ、じゃあ軍のバカ共に一杯喰わせてやったんじゃん! バァカめぇ!」

 「なんでお前が偉そうにしてるんだよ?」

 「弟の成長は姉の喜び故」


 時々カグヤが何を伝えたいのか、ハルトには理解しがたい。断っておくと、ハルトとカグヤに血のつながりはない。


 「それよりハルト、どうすんの? せっかく数年間戦争反対派って隠し通してきたのに、今回のでオールパーだし」

 「わかってるって。今考えてるから」


 と言いつつハルトは寝そべって面倒そうにしている。


 「大丈夫なの? 危機感無さすぎじゃない?」

 「とりあえずいくつか案は浮かんでる。そっから最適案を考えるだけだからなんとかなるだろ」

 「そこんとこがけっこー不安なんだけど……」


 その点をカグヤも心配そうにしているが、ハルトはいかんせん、余裕がある素振りを見せている。


 「はいはい、信用しとけと」

 「わかってるな。さすがに」

 「何年も一緒に居ればわかるっつーの。適当な時間になったら降りてき、ご飯にするから」

 

 降りていくカグヤをハルトは無言で見送る。彼が今何を考え、どうしようとしているのか。


 「最低でも、カグヤだけはなんとかなる、しな……」


 或哉榛人、徴兵まで残り六日――。

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