ep.1:カリスリドル帝国

第一話 少年

 ハーフリーと呼ばれる半壊のドーム状建造物に幾つかの人影がある。男女比で言うと五対二といったところだ。

 年齢はまばらで四十代後半から十代前半といった範囲の人間が多い。

 暗闇のドームで彼らが何をしているのか、わかっているのは彼ら自身と一部の部外者だけ。目的は他意に渡るが、共通認識としては自分以外は“敵”、そこに疑念の余地はなかった。

 各々が散り散りに施設内に広がっている。身を隠す者、動き回る者など様々な行動を取っているがそのどれもが自分が優位に立てると思っての行為だ。

 その中で一人、見晴らしのいい場所に棒立ちで無気力そうにしている少年がいた。


 「なにしてるんだアイツ。恰好の的になるぞ」


 物影に隠れて様子をうかがっていた男性が呟く。


 「危ないぞ。忠告してやるか? 今ならまだ……」


 いや、そんな余裕はないと首を振る。少年の元へ駆け寄って教えてやれば自分も巻き添えをくらうだろうし声を出せば自分の位置が周りに悟られる可能性もあった。

 そもそも少年がおびき出そうとしているとも考えられる。もしそうなら男性は簡単に返り討ちに合うだろう。非力だから。

 武器を保有している人間はハーフリー内に今はいない。だからこそ、抵抗手段を持たない男性はむやみに誰かと接触するわけにはいかなかった。

 そう熟考し、息をひそめ様子をうかがうことにした。


 「おっ、倒してくれって言ってるなありゃ。望みどおりにしてやるか」


 そう判断してから数分、変わらず突っ立っている少年へ、離れた位置にいたいかにも不良っぽい男が一人、走り出した。


 「おいっ! 痛えけど喚くんじゃねぇぞ!」


 グーに握った拳を走り寄る勢いそのままに少年の顔めがけて放った。鈍器がぶつかるような鈍い音がそれと同時に聞こえる。

 少年に衝突する寸前、男性は目を背けていた。ギリギリまで動向をうかがっていたが、抵抗の意が感じられないとみるとすぐに目を閉じた。

 少年にはあぁする理由があってのことなのだろうと勝手に頭の中で整理し無抵抗の少年を見捨てたという現実から逃げたのだ。


 (彼はどうなった。声が聞こえてこない。まさか、死んだのか……?)


 見るのが怖かった。不良の拳は相当な力で少年の頭部を捉えた筈。壮絶な痛みで意識がとぶか悶絶しているのが普通だ。

 だとすれば少年を仕留めた男が次に新たな標的を探すのが道理。いつまでも目を逸らしているわけにはいかない。

 もし少年と目が合えばどんな風に振舞えばいいだろうか。「すまない」と申し訳なさそうにすれば許せてもらえるか。


 (そんな訳ない。恨みこもった目で自分を見てくる……でも)


 いつまでも閉じている訳にはいかない。覚悟を決めて目を見開いた。


 「――っ!?」


 と、同時に再び目を閉じた。強烈な吐き気がこみ上げる。

 視界に写ったのは広範囲に広がった血だまりの中に倒れている不良と側に立つ少年だった。


 (どういうことだどういうことだ。やっぱり少年の作戦だったのか? てかあれ、死んでるの、か……?)

 

 男性は呆然としていた。想像していたのは意識がない少年と、意識はあるが苦しそうにする少年、その二択で、あくまでそれに対しての覚悟を持つ意味で少年達の方向を確認していた。

 平たく言えば、それ以外の状況はまったく覚悟していなかったのである。まさかあの状態で不良の方が倒れているなんて予想外でしかなかった。

 想定外の結果に加えた血液エフェクト。パニックを起こしてもなんら不自然じゃない。寧ろよく起こさなかったと褒めてもいい。


 (あれ……死んでるのか? 血吐いてたけど……)

 

 男性の関心は不良の方に移った。

 生きているか死んでいるが、遠目ではわかりようがない。

 もし少年が不良を返り討ちにしたというなら、あの少年は只者ではない。眼前にまで迫ったパンチをどうやってか躱し、更にはカウンターまで決めたことになる。

 直後に聞こえた一つの打撲音から、少年は一撃で男が血を吐くほどのダメージを与えたことになる。常識的に、まだ二十歳にも達してない成長途中の少年がそれを行えることは、まずない。

 何かしらの武器を隠し持ってることも頭をよぎったが、それは青年が自身で確かめた。ありえない。

 軽くパニックを起こしながら男性は必死に状況を整理しようとした。

 

 (わからない、少年がやったとして、あの状態からどうやって……)


 男性の中で少年に対する危険値がうなぎ上りになっていく。


 「きゃあああああああっ!」

 

 思考を巡らせていると甲高い叫び声がドームに響き渡った。

 男性も条件的反射的に物陰から身を乗り出し声の主を視認する。

 写ったのは腰を抜かして尻餅をついた女性。視線の先には血まみれで倒れている男。

 そして猛スピードで女性へ近づいている少年。


 「やばいっ! 逃げ――」


 ろ、と。男性が発した声は女性に届く前に、あっという間に距離を縮められへたり込んだ女性に少年のハイキックがお見舞いされた。

 悲鳴をあげる間もなく、女性はその場で男と同じように地面に這いつくばった。違いは血液が漏れているかいないか、ただそれだけ。


 (――来るっ!?)


 男性は慌てて身を隠す。先程声を出してしまった。どうして出したと後悔した。

 もしかしたら位置がバレたかもしれない。そう考えると恐怖がこみ上げてきていた。


 「大丈夫、バレてないバレてないバレてない……!!」


 必死に不安を掻き消そうと「バレてない」を連呼する男性。丸まってガタガタと震えるその姿からは不安しか感じ取れない。

 しかし聞こえた。足音が。地面を歩く人間の音が。


 「来るなっ……来ないでくれ……っ!」


 そんな願いとは裏腹に足音は一歩、また一歩、少しずつ大きくなる。先ほどまで憂えていた相手が今は恐怖の象徴と化していた。

 そして、足音が止んだ――。


 「――助かった、のか……?」


 そう思ったとき、天井の一部が崩れて、自分のいる場所に太陽の光が差し込んできた。


 (そうだ、今はまだ昼間だったな……)


 ふぅ、と一呼吸。

 不安感を募らせる暗さとは対照的に、明るさは安心感を与えてくれた。

 

 (これからどうするか。いつまでも日の光の当たるところにいちゃいつか誰か来るかもしれない)


 名残惜しいが、早めに移動しよう。そう決断した瞬間だった。

 光りが消えた。


 「……あっ、あぁあ……!」


 少年が光を遮断しながら男性を見下ろしていた。

 絶望。男性の心はそれ一色と染まる。


 「こ、来ないでくれっ……いやだ……私は……」


 殺される。いやだ、死にたくない。助けて――。

 男性が懇願する前に、少年のパンチが男性のみぞおちを捉えていた。

 

 「ぐふぇ――っ!?」


 男性に感覚が狂うほどの激痛が走る。上下左右がわからなくなる。体中痺れて動かなくなる。


 (死ぬ……のか……? いやだ……嫌だ……)


 さらに少年が男性を起き上がらせる。抵抗することは愚か、触れられていることも今はわかっていなかった。


 「――大丈夫です。一時的に気を失うだけです」


 少年の囁きは、今の男性には到底理解することはできなかった。


 「えっ……?」

 

 訳のわからないまま、男性の意識は潰えた。


               ✜


 「――誰も死んでない筈。これで満足か?」


 少年が男性を倒したわずか数十分後、少年はハーフリーの外に出ていた。

 あの後他のハーフリー内の人間はほとんどが少年の手によって倒された。真っ向から向かっていった奴は勿論、無抵抗の人間も躊躇なく倒した。

 中には色仕掛けを駆使してまで助けを乞うてきた輩もいたが少年は一寸の迷いなく意識不明に追い込んだ。


 「いやぁ素晴らしいぞ壱壱番、まさかほとんどの参加者を一人で片付けるとは」


 ハーフリー外には白で固められた軍服を着た数人が笑顔で少年を出迎えていた。中央にいる太った中年男がおそらく最も位が高いであろう。その後ろには数百という部下が武装して待機している。

 この光景が少年には心底胸糞悪い。


 「何が素晴らしいだ。ほとんどまともな戦闘もできない難民だっただろうが」

 「それでも、だ。君は一寸の迷いもなくすべてを無効化した。それも圧倒的な力で。充分称賛に値する」 

 「称賛に値したら何だ? どうせ褒めちぎって自分達のいいように扱える駒にするんだろ。そんなの御免だ」


 ペッ、と唾を吐き捨てる。


 「貴様、何だその態度は! ここにおられるのを誰だと心得ている! 本来貴様が会話できることすら特例なのだぞ!」


 側使えのような人物が声を荒げて少年を叱咤する。


 「じゃあその特例、他の奴にくれてやれよ。上官様と話したい奴なんて俺以外には山ほどいるだろうしな」

 「貴様……!」


 血管がピクピクと浮き出ている。かなり短気なのだろう。今にも腰に垂らしている刀で斬りかかってきそうだ。


 「まぁまぁ、落ち着きなさい。彼はまだ未成年だ。礼儀を知らぬのもしょうがない」

 「しかし……はい。申し訳ありません。お見苦しい所を」


 上官の一声で側使えが敵意を隠した。目つきは変わらず少年を睨みつけているが。


 「さて、壱壱番。みごと試練を突破した君に名誉ある権利を授けよう。おい」

 「はっ、了解」


 少年の元へ先程の側使えが見るからに怪訝な顔で歩み寄り、一枚の紙切れを渡した。


 「なんだこれ」

 「招集命令。戦地への派遣指令書だよ」


 後方待機していた部下が一斉に羨みや妬みをこぼした。彼らにとってそれは望むべきものなのだろう。

 少年には何の価値も感じなかったが。


 「君には一週間後に最前線へ出発してもらう。そこで――」

 「くだらない」


 少年はその紙を受け取ると同時にビリビリに破り捨てた。

 再びざわめきが起こる。今度のはさっきより大きい。


 「貴様ァ!!」


 と、側使えが我慢できなくなったようで、抜刀し少年へ斬りかかる。


 「待てぇ」

 

 例によって、再度上官が制止する。

 

 「ぐっ……!」


 「上官の言葉が無ければ今頃貴様は真っ二つだ」とでも言いたげな様子だが、少年を睨みつけるだけで、危害を加えることはしない。

 そんな側使えを尻目に、上官の男は言葉を続ける。


 「君がどんなに拒もうと、これは決定した事なのだよ。何、君ほどの実力があればいくら初陣とはいえ死にはしないさ」

 

 少年は黙っているが興味もなさそう、閑却そうである。


 「壱壱番、一週間後の夜、君を迎えにいくよ。もし逃げようものなら、わかっているね?」


 上官は笑っていた。自分の子供と楽しい一時を過ごすかのように。目は笑っていなかったが、その分威圧感は割増だ。

 上官にこんな態度をとられて逆らうことなんてできないだろうと部下、側近、上官自身さえ考えていた。

 だが少年はブレなかった。


 「いや、わかんないし。もう帰っていい?」


 場の空気が凍りついた。


 「あとおっさん。俺は【或哉榛人アルカナハルト】だ。いつまでも壱壱番て呼ぶな」


 絶凍。上官へのおっさん呼び。中には泡を吹いて倒れる者までちらほら。対象の上官は笑顔こそ崩していないが眉毛がピクピクと動いている。


 「――もう行ってよろしい。ただし今言ったこと、忘れてはならんよ」

 「じゃ、お言葉に甘えて」


 去り際、チラッと側使えの顔を見るが、あまりの憤怒具合に少年は思わず笑いそうになった。


 「つまらない世界しか知らないな。まだ……」


 辺りの景色を見渡す。視界に入るのは半壊か倒壊した建物、燃え尽きた木々。まともに整備されない道路と、至る所に放置されている瓦礫の山。

 【カリスリドル帝国】。或哉榛人は、いまだこの世界しか知らない。

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