第1話懐かしい風

ガタンッ

「おおっ……!?」

体が前のめりに揺れる。唐突な衝撃に目を見開くと同時に、真上にある棒に手を引っ掛けてなんとかバランスを保つ。ついさっきまで寝ていた体の機能がフル動員され、状況を瞬時に理解する。

電車内。間抜けな姿を晒した俺は、心の中で恥ずかしさを噛み締めた。

(ヤッベ、完全にグッスリだったな……)

せめて座席に座ってりゃ良かったんだが、全く何やってんだか……。

と、すぐ横でドアが開く。

蘇美駅そよしえき〜蘇美駅でございます』

肉声的にくせいてきな機械音が、目的地への到着を告げる。

足元の荷物をそそくさと背負って、俺はその場を後にした。


改札を出て左へ。突き当たりの階段を下る。

出口を抜けて、壁に寄りかかると思いっきり伸びをする。

「ンーーーーーッ!……あぁ、スッキリ」

ついでに両頬をペチペチ叩いて脳ミソをたたき起こす。実際の所、自分自身、疲れていたって実感はある。地元からココまで来るのにずっと立ちっぱなしで、もう途中からは『座ったら負け』とかいう、痩せ我慢の独り相撲をとっていたし……。

まぁ、ソレはソレとして。

「付いたな、蘇美町」

懐かしい空気を感じながら、こうして俺こと烏兎射うとい清晴きよはるの、新しい生活が始まろうとしていたのであった。



駅から徒歩30分。着いたのは何処どこにでもありそうな、2階建ての普通のアパート。これから4年間お世話になる、メゾンド百合乃だ。

門を通って、下の階の一番手前。管理人の掛札かけふだがかかったドアを見つけるとチャイムを鳴らす。少し待つと、足音がしてドアが開いた。

「は〜い、今でます〜」

鈴のような声で出迎えてくれたのは、俺のよく知る女性だった。

「あら?もしかしなくても……きよくん?」

「うん。久しぶり、ひよちゃん」

「まぁ、やっぱり!背は高いし、声も低くいし……それに何より、ふふっ。すっごい男らしくなった!男の子が育つのは早いって言うけど、あれホントなのねぇ」

俺がひよちゃんと呼んだこの人は、本名を百合乃ゆりの日読ひよみと言う。このアパートの管理人の娘で、昔はよく遊んでもらっていた。家族ぐるみでの付き合いだったんだけど、ウチの家族が引越してからは、ずいぶんと疎遠そえんになってたなぁ。

「まぁまぁ、立ち話もなんだから上がって上がって。今日はきよくんが来るって聞いてたから、美味しいケーキ買ってきたの♪」

「そう?じゃあ、お言葉に甘えて」

案内されるがまま部屋に入ると、白塗りの明るい壁。8畳程のスペースに透明な丸い短足テーブルが置いてあり、周りにはクッションなどの小物。ベッドには大きなカエルのぬいぐるみが鎮座しており、最低限さいていげん必要な物だけがある状況。ひよちゃんらしく、キレイにまとめられている。

「女の子の部屋なんだから、あんまりジロジロ見ちゃダメよ?」

「え、ああゴメン!」

馴染なじみのある間柄あいだがらとはいえ、なにぶん女性の部屋に入ることなど小学生以来だ。ソワソワしていたのがバレただろうか。

「うそうそ冗談♪今お茶を用意するから、ちょと待っててね」

でも、そんな心配は必要なかったようで、ひよちゃんは足早にキッチンへ行くと、ものの5分でトレーにケーキを乗せて戻ってきた。

「はい、これ。きよくんってモンブラン好きだったよね?」

「あっ……うん、好きだよ。良く覚えてたね」

「ケーキはいつもモンブランで、上に乗ってる栗はいつも最後に食べてたじゃない?あんなに美味しそーに食べるんだもの、覚えてるよ」

それからお互いに、今まであった事や、他愛ない話をして過ごした。ひよちゃんは今、このアパートで、両親の代わりに大家をしながら、看護師として働いているらしい。大変じゃないのか、と聞くと「看護師の仕事にはやりがいを感じているし、忙しい時には、母が来てくれるから大丈夫」とのこと。昔から優しくて、面倒見が良くて、頑張り屋で。そんな彼女のことを、俺は素直に尊敬している。歳が8つも離れているのに、久しぶりに会った今でも、こうして気軽に接してくれる。ひよちゃんは変わらないままだ。

「あっ、そう言えば荷物のダンボール、もう届いてるんだった。いい時間だしそろそろ行こうか」

そう言われて、ふと疑問がぎる

「あれ、荷物が届くのって明日あしたじゃ?」

「それが今朝けさ届いてね。予定が早まったのかなぁ」

不思議に思いながらも取り敢えず、ひよちゃんを追って外に出る。階段を登り2階へ上がるとすぐそこが俺の部屋だった。

「今開けるから、ちょっと待ってね」

カチャカチャ───ガチャリ

ロックが解除され、ドアが開く。

中に入ると、積まれたダンボール箱以外には、板張りの床と、窓に無地のカーテンがあるくらいで、他には何も無い。

「あー、これ全部整理すんのかぁ」

なんと言うか、昨日の今日で箱開け作業が始まるとは思っていなかったせいで、明日やる筈の仕事が前倒しになった気分だ。

「手伝おうか?」

「んー……いいや、自分でやるよ。母さんにも、あんまりひよちゃんに甘えるなって言われてるし」

それに、あんまり頼り過ぎるのも男としてカッコ悪い気がした。

「そう、じゃあ8時ぐらいにまたくるから。何かあった呼んでね」

そう言い残して、ひよちゃんが部屋を出て行く。

「さて、やりますか!」

気合を入れ、袖を捲り、いざダンボールの山へ。

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