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チャーリーは、他の戦闘用クローラーとともに、ストーク(輸送用ドローン)の貨物部で戦闘に備えていた。アサルトギアを纏ったクローラー達は、それぞれ降下用ポッドに乗り込み、静かにその時を待っていた。
その隣で、整然と並ぶロボットは、今回実戦投入が決定されたグリズリーと呼ばれる大型対人歩行兵器であった。その姿はグリズリーというよりも、主人の命令を待つゴーレムそのものだ。
対空砲火の射程空域に入ったのか、砲撃音に伴い揺れが激しくなる。
≪総員、降下準備≫
アナウンスが響き、後部ハッチがゆっくりと開く。
≪降下開始≫
ポッドが勢いよく射出される。その次に、グリズリーがその巨体を空中に躍らせた。3万3千フィートから時速1500kmの速さで落下する流線型のポッドは、激しい対空砲火をもすり抜け、深く地面に突き刺さる。それはさながら墓標のように。
ポッドの扉が開く。既に銃声と、ドローンの耳障りな駆動音、爆発音、そして苦戦している無線の大合唱になっていた。空には大量のムクドリ。地上にはタランチュラ、そしてジャガーノートと呼ばれるパワードスーツを装着した敵が遠目からでも確認できた。
平時であれば、ビジネスマン達が歩いていただろうオフィス街は、黙示録に描かれている世界の終末のように、凄惨な戦場となり果てていた。近くに味方のクローラーはいないようだった。チャーリーはすぐに移動を開始した。
「C-52からガレオス。ポイント・ラムダに到達した。これよりポイント・カッパーへ移動する」
≪了解。なお、移動中の戦闘について、任務の障害となり得るものと判断すれば非戦闘員の殺害も許可する≫
「C-52了解」
チャーリーは反撃してくる連邦軍に向けてレールガンを撃ちながら、合流地点へ向かう。兵士や民間人の遺体の中に、2体のクローラーの残骸が確認できた。
68体のドローンを破壊したところで、チャーリーは誰かに呼ばれたような気がして立ち止まった。だが、それは幸運だったのかもしれない。
元はブティックであっただろうショーウィンドウを突き破り、3体の大型のタランチュラがチャーリーに襲い掛かった。
もしもあの場で立ち止まらなければ、チャーリーの外骨格は見るも無惨に潰れ果てていた事だろう。
タランチュラのグレネードを建物の陰に飛び込んで避けると、チャーリーは駆け出した。漆黒の鎧が、瓦礫の街を疾駆する。後ろからはチャーリーの2倍もあるタランチュラがビルの壁を伝い、燃える車を踏みつぶしながら猛然と追いかける。
タランチュラには、クローラーと同じく特殊な電磁波遮断技術が使われており、EMPGが効かない。背中から小型のグレネードランチャーを抜き、走りながら後ろへ向けて放った。弾頭はタランチュラの手前に着弾し、その中身をぶちまけた。
黄金色の液体がそのうちの2体にかかり、みるみるうちに白い煙と火花を散らしながら動きを鈍らせ、遂には停止した。王水を利用した外殻溶解用強酸弾である。
しかし、弾は貴重なため5発しか持てないのが難点であった。2体のタランチュラを倒したチャーリーは、後ろから追跡の気配が無くなったのを確認すると、残りの1体を捜索する。半径20メートルをスキャンしたが、何処にもいない。
「……すけて」
チャーリーの集音装置が、人の女性の音声を拾った。その方向に目を向けると、横転した青いセダンの中で、血だらけになりながら助けを求める女性がいた。
数秒その場に留まった後、ゆっくりとセダンへ向かったその時、頭上から巨大な鋼鉄の蜘蛛が8本の脚を広げて、チャーリーを踏みつぶさんと躍りかかってきた。
3体のうちの最後の1体だろう。高層ビルの中腹によじ登り、そこから降下してきたのだった。逃げる間もなく、その巨体の重量をもろに受けたチャーリーは、そのまま路上に叩きつけられる。
アサルトギアを纏った身体がアスファルトにめり込み、人工筋肉が悲鳴を上げる。寸でのところで、頭部に伸びてきた2本の腕を掴んだ。ガチャガチャと動くパワーハンドが、チャーリーの頭を潰そうともがいている。レールガンは弾き飛ばされ、ランチャーは、頭のすぐ上にある。選択肢は簡単だった。
チャーリーは迷わず片手を離すと、右腕を頭の上に伸ばすが、タランチュラがそれより早く、チャーリーの頭を鷲掴みにした。鋼鉄の腕がその巨体の下から強引に獲物を引き抜き、見せしめのようにぶら下げる。万力のその腕にはアサルトギアでも太刀打ちできない。ヘッドギアが、ゴーグルが嫌な音を立ててひび割れてゆく。
だが、それが本体に達する前に、チャーリーの右腕は既にタランチュラの頭部へ向けられていた。ばしゅ、という液体が飛び散る音に、何かがじゅうじゅうと焼け腐るような音が混ざった後、蜘蛛はその巨体を荒れたアスファルトへと沈ませた。
完全に機能を停止したことを確認すると、チャーリーはひび割れて歪んだゴーグルをセダンへと向け、ゆっくりと近づいた。
「……誰か……」
また、声が聞こえた。中を見る。明るいブロンドの髪をざんばらにした女性が、蒼白な顔でチャーリーを見た。顔は血まみれになっているが、殆どが鼻血のようであった。女性の声から重篤な怪我の可能性は低いと判断し、横転したセダンの窓ガラスを割ると、女性の腕と肩を掴んで引きずり出した。
淡いベージュのスーツを着た女性は、痛々しい擦り傷や打撲こそあれ、幸運にも軽傷のようだ。しかし、女性はチャーリーの異形ともいえる風貌に、その蒼い瞳を恐怖に凍り付かせた。へたり込んだままの女性に、チャーリーは、何も言わない。かける言葉を探したが見つからないのだ。
「あの……」
黙り込んだままの、異形の兵士に女性は恐る恐る声をかけた。
「ここは戦闘区域です。中央通りは通らないほうが良いでしょう。南のダウンタウンへ向かえば比較的安全です」
「私を助けてくれたの……? あ、 ありがとう」
「即刻ここから立ち去ってください。さもなければ、あなたを障害と認識し、射殺します」
射殺、という言葉に女性は小さく悲鳴を上げると、裸足のままチャーリーから逃げるように走り去っていった。その背で揺れる黄金色の髪に、何故かアリシアの画像が重ね合わさった。
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チャーリーは、市街地から移動し、合流地点である旧市街の大聖堂まで来ていた。
世界遺産にまで認定され、観光客でにぎわいを見せたバロック建築の荘厳な面影は既に無く、あるのは崩れ落ちた彫刻で彩られた石造りの外壁に、焼夷弾で焼け焦げた屋根だけであった。
広場に鎮座する祈りを捧げる聖母像も、砲弾によって顔半分と右肩部分が吹き飛ばされ、悲しみに満ちた表情で静かに祈りを捧げている。黒い鎧は見当たらない。全滅したのか、交戦しているのかは判断できなかった。
ぽつりと、目の前の石畳に小さな水滴が染みをつけた。それは次第に数を増やし、激しい雨に変わった。全身をずぶ濡れにして付近を捜索したが、待ち伏せの類は見つからない。
他のクローラーが来なければ、チャーリーが任務を遂行する手筈となっている。迷わず彼は、崩れかけた大聖堂へ入っていった。
中へ入ると、無残に剥がれ落ちたモザイク画が、天井を覆い尽くしていた。数百年前には、聖人たちを祝福する鮮やかな画が描かれていたのだろう。
その映像を記録していたチャーリーに、不審な落下音が聞こえた。大きく響いたその音は、礼拝堂の方からだった。重い足音を立て、礼拝堂への扉を開けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「立ち去りなさい。ここは神の家です」
十字架の前で怯むことなく毅然と言い放ったのは、埃まみれのカソックを纏った、老神父だった。彼の灰蒼の厳しい眼差しがチャーリーを見つめる。
周りには、脅えるような目でこちらを見る数人のシスター。そして、長椅子の影でうずくまる大勢の人々がいた。みな、安全な場所を求めて逃げ込んできたのだ。
「ここは戦闘区域です。即刻退去してください。立ち去らない場合、障害と認識し射殺します」
無感情な宣告に、悲鳴が上がった。
「私はこの教区の神父です。神に仕える身として、此処を頼って逃げてきた彼らを危険な外へ出すわけにはいかない」
その言葉を終えると同時にレールガンの一発が天井を撃ち抜いた。威嚇射撃だ。バラバラと天井の破片と共に雨粒が聖堂の床に叩きつけられる。避難民たちが今度こそ恐怖で泣き叫んだ。
「即刻退去してください。さもなければ、実力で排除します」
「……それはできない」
チャーリーが、レールガンを構え、神父に照準を合わせた。シスターが「神父様!」と悲鳴をあげたが、彼は手で制止し、避難民のそばへ寄るように彼女たちに指示した。彼の灰蒼の瞳が、チャーリーの思考にノイズを走らせた。
「なぜですか。あなたの行動は合理的ではない。あなたが殺害されたところで、彼らの安全は保障されているわけではない」
「私は貴方の、人間の良心を信じています」
「私は戦闘型バイオロイドです。人間ではありません」
その言葉に神父は少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかな佇まいを取り戻した。
「それでも、私は可能性を信じている。機械にも心が生まれ、良心が芽生えると」
「心……」
「私の命はどうなってもいい。ただ、彼らの身の安全を保証してほしいのです。お願いします」
神父はその場に跪くと、クロスをその手に祈りを捧げ始めた。避難民とシスターのすすり泣く声が、礼拝堂にさざ波のように響き渡る。
チャーリーはトリガーを引くことなく、水滴を滴らせたままで彼らの姿を見つめていた。
しかし、甲高い悲鳴が、その静寂を引き裂いた。礼拝堂の入り口に、チャーリーと同じ鎧を纏った黒い兵士が一人、佇んでいる。
チャーリーと一つ違っていたのは、彼が銀色のジュラルミンケースを持っている事だ。
「C-52、何をしている。任務の障害と判断したものは全て排除しろとの命令だ」
彼は感情の片鱗すら見せない声音で言い放つと、レールガンを人々へ向けた。
「待ちなさい! 彼らを傷つける事は許さない!」
神父が立ち上がり声を上げた。銃口が彼の胸にぴたりと向けられ、いかづちに似た轟音が、礼拝堂を揺るがした。
「神父様!……え?」
敬愛する神父の無残な死を見る事に耐えられず、目をきつく瞑ったシスターが恐る恐る目を開けると、カソックを着た細身の老人が先ほどと同じ場所で立ち尽くしていた。
彼は、バチバチと火花を散らしながら離れた所で倒れている黒い兵士と、チャーリーを呆然と見つめている。
「貴方は……」
「ここにいては危険です。2ブロック先の地下鉄まで私が先導します。」
チャーリーはそう言いながら、床に落ちたジュラルミンケースを手に取ると、倒れた兵士のレールガンを自分のものと交換し、それからグレネードと弾倉と対アンドロイド用のハンドキャノンを取り外した。
ケースを片手に、彼はゆっくりと出口へ歩く。神父には、その姿が戦地に向かう戦士ダビデと重なるように見えた。
「神よ、感謝します。彼をここへ遣わし給うたことに」
神父は涙を流しながら、天を仰ぎ十字を切った。
地下鉄への道のりは、決して安全なものではなかった。たった2ブロックであったが、数体のジャガーノートがうろついており、ドラゴンフライ(センサーガン付きドローン)も巡回していた。
武器を使える数人にEMPGとハンドキャノンを渡して待機するように言うと、チャーリーは注意を引くように敵の前に躍り出た。一斉にチャーリーに向かって砲撃が始まる。レールガンが瞬く間に3体のジャガーノートを破壊した。
ドラゴンフライの5.56×45mmNATO弾は、アサルトギアの装甲に傷一つつける事が出来ず、残骸をその場に散らした。
奇跡的に一人の死傷者を出すこともなく、彼らは地下鉄入口へ無事にたどり着いた。階段が一部崩落し、割れたガラスや瓦礫が散乱してはいるが、通れないことはなさそうだ。かつての路線データを照らし合わせながら、チャーリーは安全地帯への最適なルートを検索した。
「6番線ホームから、下り方面へ約3㎞ほど進めば、安全地帯へ到達できるでしょう」
シスターや若い男達がずぶ濡れになりながら避難民を誘導し始めた。チャーリーは、全員が地下に入るまで周囲を警戒する。すると、列から4、5歳位の少年がチャーリーに近寄り、小さい拳を突き出した。母親らしき女性が顔色を蒼くさせて飛び出て来たが、チャーリーは首を傾げたままそれを見つめた。
「おじさん、ママを守ってくれたからこれあげる。ぼくのたからもののクジラの眼」
その手には、少し青みがかった、丸い、何の変哲もない唯の石が握られていた。チャーリーはどうするべきか解らないうちに、左手を出していた。小さな手に余るほどの丸い石は、チャーリーの黒い掌に渡った途端小さく見えた。
「……ありがとう、ございます」
何故、その言葉が出たのか解らなかったが、チャーリーはそれが最適のような気がした。少年は、嬉しそうに微笑むと、母親に手を引かれながら地下鉄へ消えていった。ほぼ全員の誘導を終え、あとは老神父一人となった。彼はチャーリーの前で立ち止まると、感謝の意を述べた。
「なんとお礼を言ったらよいか……この御恩は一生忘れません」
「いいえ、ただ、貴方の行動を理解したかっただけです。何故、自らを他の個体のために犠牲にできるのか」
「……私は、自分の良心に従ったまでのことですよ。苦しんでいる人に手を差し伸べる。それが、私の務めです」
「……」
雨足が強まってきた。ざあざあと雨粒がアスファルトを叩く。
「貴方は私たちを助けてくれた。味方を撃ってまで。それが良心ではないのでしょうか」
チャーリーは神父から眼をそむけた。それが、良心であるのか、プログラム上のバグであるのか、判断がつかないからだ。
「もしも、AIに心が生まれたら、それは何なのでしょうか」
いつも通りの無感情な声音が、どことなく頼りなげで、儚いものに聞こえた。
「……人間や、AIなどというくくりに縛られることは無い。貴方は、貴方です。私はそう思います」
チャーリーは、手の中の小さなクジラの眼の石を見つめた。壊れていないもう片方の内蔵スピーカーが、ドローンの駆動音を捉え、チャーリーは顔を上げる。
「ありがとう。さあ、行ってください。もうここは危険だ。私が敵を誘導します」
「貴方の名前を教えてください。命の恩人の名前も知らないなんて……」
「チャーリー。チャーリーと呼ばれています。さあ、行って」
「チャーリー、貴方に神の加護があらんことを!」
老神父の言葉を背中で聞きながら、チャーリーは市街区へ走り出した。2つのジュラルミンケースを抱え、チャーリーは市街区を駆け抜ける。
連邦軍が投入したドローンの圧倒的物量と、降り出した激しい雨に、連合軍は苦戦しているようだ。
レールガンの残弾が7発。EMPGが2発。そして強酸弾が1発。ゴーグルの左眼は破損し、ヘッドギアは無残に歪んでいる。アサルトギアの装甲は、もはや幾度の戦闘でボロボロだった。
チャーリーは彼らと別れた後、ポイント・イオタへ向かい、味方のクローラーを破壊してケースを奪った。既に異変は作戦司令本部へ伝わっているだろう。命令違反のクローラーを処分するために、連合軍もチャーリーを追い始めている。
激しい雨の中、荒廃した街中を走りながら、彼は考えていた。
人間と、AIの差異とは。
命の定義とは。
AIは、夢を見るのか。
AIに、心は生まれるのか。
クジラの鳴き声が、遠くから、近くから、聞こえてくる。
高架道路の上のグリズリーが放った高速徹甲炸裂弾が、チャーリーの右肩に当たり、後ろへ吹き飛ばされた。着弾時の高熱で雨が蒸発し、白い蒸気がもうもうと彼の周りに上がっている。
ケースが手を離れ、反動でくるくると滑っていった。ゆっくりと体を起こす。装甲部分は破損したが、内部は無事であった。
だが、もう一度破損部分に直撃すれば、無事では済まないだろう。チャーリーを破壊するため、追手が後方から、左右から迫っている。だが、彼はケースを拾うと、敵に見向きもせずに走り出す。砲弾が、銃弾が、黒い鎧を傷つける。
だが彼はもう反撃することはなかった。ひたすらに走り続け、チャーリーはようやくポイント・アルファ、この都市の中心にたどり着いた。中央国立公園と名のついたそこは、かつては様々なストリートアーティストの作品が、路面や壁を色鮮やかに彩っていたのだが、今ではその鮮やかなアートは無残に破壊され尽くされている。
チャーリーは、その中でも比較的損傷の少ない広場へ脚を向けた。既に漆黒の鎧は、歳経て傷ついたマッコウクジラのようになり果てていた。ゆっくりと、ケースを置き、空を仰ぐ。蒼の広場と名付けられたその広場は、海をモチーフとしており、オブジェの大きな壁一面には、水面からの光を浴びながら悠然と泳ぐクジラの絵が描かれている。ほんの少しだけ、チャーリーはその絵に見入った。
「美しい」
その言葉は、今まで感じたことのない感慨に満ちていた。分厚い雲に一条の光が走り、激しい雷鳴を轟かせた。叩きつけるような雨が、チャーリーに降り注いでいる。グリズリーと、ジャガーノートがすぐ近くで戦闘に入ったようだ。雷と雨音に混ざり、銃撃音が公園内に響いていた。
ジュラルミンのケースを開けた。複雑な装置と、キーボードが現れ、それを操作する。これは、デコイ(人工知能に誤認させ誘導する装置)が装備された、プラズマ爆弾であった。いまだ実験段階の域を出ていなかったが、議会が使用を強行したのだ。
爆発後の汚染は無いが、一つでサーモバリック爆薬の約5倍の威力を発揮する代物であった。チャーリーはドローン誘導装置をオンにして、起爆コードを入力する。画面に起爆までのカウントが表示され、電子音が鳴り始める。
半径8キロ圏内のバイオロイドや自動兵器が一斉に、彼の元へ集まってきていた。思考ルーチンに重大なエラーが発生しているとの警告が視界に表示されていたが、無視した。もう、弾もグレネードもない。連邦、連合軍の激しい攻防戦が繰り広げられている中、チャーリーは蒼い海を背にして座り込んだ。
マスクを外すと、クリアな視界が広がり、冷たい雨と湿った空気の感触が、彼の人工皮膚を包み込んだ。
残り、40秒。
背後から、クジラの鳴き声が聞こえた。
ポケットに入れておいた、小さな石の感触を確かめる。
――52ヘルツのクジラは、今も孤独なのだろうか。
残り、20秒。
不意に、今まで経験し、出会った人々の画像が表示され始めた。ドクター、基地の人々、殺害した民間人、車から救出した女性、神父と避難民たち、そして、アリシア。空を見上げた。雨が止み始めていた。
分厚い雲の切れ間から、黄金色の光が差し込んでいる。その中に、空を泳ぐクジラの姿をはっきりと見た。
高く低く、謳うように。鳴きながら。誰かを呼んでいる。
ヘルメットを伝って眼に入った雨粒が、涙のように流れ落ちた。
「ああ、これが……」
そして、全てが光に包まれ、チャーリーの意識は消失した。
結局、双方ともに甚大な被害を出した連合国の大規模侵攻は、失敗に終わった。都市部で発生した大爆発により、兵士よりもドローンや自動兵器の被害が著しく、それに加えて無線や計器類が使用不能となり、これ以上の戦闘は不可能と判断したのだった。激しい消耗戦を繰り返していた両陣営は、この戦闘をきっかけに停戦交渉に乗り出した。
未だ課題が山積みではあるが、戦争が終局に向かいつつあるのは事実であった。そして、チャーリーこと、C-52の原因不明の暴走は、公式には発表されずに闇に葬られた。
あの爆発は、C-52の暴走が原因であるとは断定できない。
これが、作戦司令部の見解であった。また、C-52の暴走事件を皮切りに、第二世代のクローラー全ての廃棄処分が決定した。人工知能に、感情は必要ない。議員たちは皆一様に、その言葉を繰り返すのだった。
薄暗い地下の研究室で、主任研究員のセドリック・グレイは、チャーリーが残した映像を検証していた。あの爆発の中、全て蒸発したかと思われたのだが、奇跡的に頭部のマイクロチップだけが残っていた。
背後の鋼鉄板を中に仕込んだ分厚いコンクリート製の壁が、吹き飛んだ頭部を破壊的な爆発から守ったのだ。頭部も殆どが原形をとどめておらず、探し出せたのが奇跡であった。ポッドが輸送機から投下されるところから、あの爆発の瞬間までの映像が、時折ノイズを交えながらディスプレイに映し出されてゆく。
グレイは熱かったコーヒーが冷たくなるのも気づかずに、食い入るように映像を見つめていた。やがてその瞳から涙が流れ始めたが、彼はディスプレイを観続けていた。
「チャーリー……君は…君こそが52ヘルツのクジラだったのか」
彼は映像を観終わると、全てのデータを消去した。チャーリーという存在があった全ての証拠を消し去るように。
一つだけ変わった事と言えば、殺風景だった彼のデスクに、深く蒼い海を泳ぐ、クジラの写真が飾られたという事だけだ。
――ロボットが夢を見る。
それは新たな希望となるのか、悲劇となるのか、それは関わる人間によって大きく変わるのかもしれない。
だが私は、それが人類の希望となり得るという事を信じたい――
セドリック・グレイ
クジラは空の夢を見るか 片栗粉 @gomashio
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