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反乱勢力を掃討したことにより、その背後についていた東側の連邦が報復攻撃をかけてきた。と、上官の厳しい声がヘッドセットから流れる。
ガタガタと揺れる輸送用の車両の中で、チャーリーと兵士達は無表情でそれを聞いていた。
諸君の健闘を祈る。というそっけない言葉を最後にブリーフィングの通信が切れる。
おもむろに目の前に座る若い兵士が震える手で小さな本をポケットから取り出した。
涙を流しながらその一節を呟く姿を、チャーリーは不思議そうに見つめていた。
空襲は、基地から10kmの所まで及んでいた。その場所にあった町は、壊滅的な被害を出し、降下してきた敵が猛攻を仕掛けてきて、さながら前時代の戦争のような泥仕合となっていた。割れた窓ガラスが散乱し、逃げ遅れた民間人の遺体が血溜まりと共にそこかしこに横たわっている。
至る所に乗り捨てられた乗用車からは炎が上がって、陽炎が凄惨な戦場を歪めながら映し出した。
上空に、巨大なサメのようなシルエットが悠然と雲間を泳いでいるのを見て、味方の兵士が声を上げた。
「ちくしょう!上空にミルヴィスだ!スターリング《ムクドリ》が来るぞ!」
巨大な輸送用無人機、ミルヴィスから黒い煙のようなものが投下されていく。それはあっという間に、黒いつむじ風となり地上に襲い掛かった。
スターリング、《ムクドリ》の名を冠するそのドローンは、その名の通り大群をなして攻撃する。
一つ一つの攻撃力は微々たるものであるが、小さなカッターが内蔵されており、数千の群れに襲われれば、ものの数分でぼろ雑巾のようにズタズタにされてしまうだろう。小型のドローンは生きた煙の様に蠢きながら猛烈な勢いで向かってきた。
兵士達は慌てて乗り捨てられた乗用車や建物の陰に隠れた。負けじと味方が放つEMPG(ドローン用電磁パルスグレネード)がさく裂し、バラバラと機械の破片をぶちまける。破壊しても破壊しても、上空からスターリングが大量に投下され、攻撃が追い付かない。
≪くそ!撃ち落とせ!≫
≪だめだ!EMPGがなくなっちまった!≫
≪増援はまだか!≫
ヘッドギアに内蔵されたスピーカーからは、ひっきりなしに味方の援護を求める声や、罵声が聞こえる。チャーリーはアサルトギアを纏った身を躍らせ、高く跳躍した。
油圧式の補助装置のお陰で普段の身体能力の約8倍の力が出せるが、これはクローラーの身体能力に合わせて造られているため、常人には動かすことさえできない。
総重量380kgの鋼鉄が、路肩の車の上半分を押しつぶすように着地する。ムクドリの群れが、チャーリーの存在に気づいた。黒いうねりが、チャーリーを包み込もうとする。
鋭い刃の嵐が、装甲服の表面を削る嫌な音を立てながら猛攻撃を始めた。だが、彼は振り払おうとすることもなく、腰に装着していたクローラー用に作られた特殊なEMPGのボタンを押し、思い切り高く放り投げた。
グレネードは小さいジェットの炎を吹き上げながら、空高くに飛んでいく。ムクドリたちが誘導シグナルを出すグレネードに向けて、一斉に上空へ集まりだす。
そして、上空30メートルの所で、グレネードは強力な電磁パルスと光を辺りにまき散らし、その光を受けた黒いうねりは一瞬にして静止した。そして、夥しい数のムクドリたちは、小さな鉄くずの雨となって彼らの頭上に降り注いだ。
「うわ!あぶねぇ!」
味方の兵たちが鋼鉄の雨から慌てて逃れる。
「こちらC-52 。ポイントB7掃討完了」
≪了解C-52。次はポイントD5だ。味方が苦戦している。急行しろ≫
チャーリーは無線を切ると、すぐにポイントD5へ向かった。ポイントD5には、かなりの数のドローンと、タランチュラと呼ばれる無人歩行戦車が居た。文字通りタランチュラのような姿をしているから、そう呼ばれている。
他のクローラーが続々と集まってきていた。至る所でレールガンの発射音が響いている。
チャーリーはレールガンでタランチュラを撃破しながら、生存者を探した。半ば崩れ落ちた建物からは煙が上がっており、味方の兵士の遺体も転がっている。チャーリーの視界が、数体の生命反応をとらえた。崩落しかけたトンネルの中だった。
「トンネルに生命反応あり。移動する」
他のクローラーと本部へそう告げると、チャーリーはトンネルの中へ入っていった。トンネルの中は暗く、暗視装置がなければ動くことすらできない。天井の鉄骨が一部崩落し、崩れ落ちるのも時間の問題だった。
硬質な足音がトンネル内に響く。生命反応の場所まで、あと数メートルであった。その時、甲高い音とともに、チャーリーの肩を45口径の銃弾が直撃した。しかし、徹甲弾も弾くアサルトギアの装甲には擦り傷すら付かず、弾は天井へ跳ね返っていった。
「動くな!」
鋭い声が反響し、チャーリーは立ち止まる。
「撃たないでください。私は連合国陸軍第318部隊所属戦闘用クローラー、 C-52です」
複数のフラッシュライトがチャーリーに向けられる。黒いアサルトギアの武骨な影が浮かび上がり、数人の兵士たちが怯んだように互いを見た。
「君は……うっ……あの時の?」
「隊長、喋らないで!くそ、出血が酷い……おい、クローラー!手を貸せ!」
掠れたような声でそれに答えたのは、トンネルの壁にもたれるように座り込んだ、アリシア・デイビスその人だった。
投げ出したアリシアの右足は崩落したのであろう、巨大な鉄骨に挟まれており、その周りにじわじわと黒い染みが広がっていた。
4人の兵士達は鉄骨に取りつき、必死になって動かそうとしている。チャーリーは素早くアリシアの状態をスキャンする。右腹部に被弾。複数個所の内蔵損傷、出血量約12%極めて危険な状態。
「鉄骨の重量と、構造を計算したところ、その鉄骨を動かすことは不可能です。動かせば、78%の確率でこのトンネルは崩落します」
「ふざけるな!隊長を見捨てろってのか!」
「よせ!」
無感情な言葉に、アリシアの部下達が怒りを露わにしてチャーリーに詰め寄る。だが、それはアリシアの鋭い声に止められた。
「危険ではありますが、右足を切断するしかありません。よろしいですか」
「てめぇ!」
「いい!やってくれ!」
「了解しました」
アリシアは蒼白な顔であったが、痛みに呻くことも顰める事もなく、毅然とした表情で部下達にその顔を向けた。
「お前たちは先にここから脱出しろ!」
「しかし……」
「命令だ!口答えは許さん!いいか、私が死んだとしても、彼を恨むことは許さない。わかったな」
それは、隊長として部下に情けない顔見せたくないという、彼女の矜持でもあった。
「隊長……」
「わかったな!」
有無を言わさぬその剣幕に、彼らは反論の口をつぐみ、静かに敬礼をした。4人が立ち去り、あとには二人だけが残った。
「……なあ、はっきり言ってほしい。脚を切断しても生き残る確率はどれくらいだ?」
「……出血量から鑑みれば、20分後の生存率は30%以下です。例え生存したとしても、内臓の損傷が激しく、人工臓器の移植は避けられないでしょう」
「この区域に救護カーゴが20分以内で来れるとは思わんがな。とりあえず、ここから出たい。頼む」
「了解しました」
チャーリーはツールボックスからヒートカッターと彼女の部下が置いていったメディカルキットからモルヒネを取り出すと、処置を始めるため太腿に注射した。
肉と骨が焦げる臭いがトンネル内に漂い、右腿半ばから下を失ったアリシアをチャーリーが抱き上げて出口へ歩き出す。
チャーリーは一般的な応急処置はできるが、医療用クローラーのようにAED機能や手術機能は備わっていない。
あくまでも戦闘用のクローラーであるため、重傷の人間を治療することができないのだ。モルヒネで朦朧としているアリシアが、無表情なマスクを見つめた。
「何故、君は感情を出さない?他のクローラーは感情があるのに」
「私にもわかりません。何らかのバグがあるようですが、作戦遂行には問題ありません」
「そうか……君は私と同じだな」
「同じ?共通項は人間体というだけで他は見られませんが」
「今まで何をやっても一番だった……でも、どこか虚無感があった。孤独だったんだ」
むずがる子供のように、アリシアは固い装甲に頭を押し付けた。包帯からじわりと血液が滲み、心拍が弱くなっていた。出来るだけ、アリシアの身体の負担を最小限に、足を速めた。
「……父に終ぞ認められる事がなくてね。認められようと努力はしたけど、無駄だった。そして父が死んだとき、私には何もなくなった」
爆発音と、衝撃が地面を揺らした。トンネルの付近に空爆を受けたのだろう。トンネルの天井がミシミシと悲鳴を上げている。
「君が羨ましい。孤独も、それに対する恐怖も感じる事のない、機械(マシン)になりたかった」
光が、地面を照らした。ライトではない、純粋な太陽の光が。あと数メートルで外に出られる所まで来ていた。アリシアの心拍は、チャーリーが歩くにつれて弱まってゆく。
「……眩しい。外は寒いな」
銃声と爆音がそこかしこで未だ鳴り響いている。救護用カーゴを要請したが、生憎あと15分以上かかるとのことであった。チャーリーは比較的安全な建物の影に場所を移そうと歩き出した。
「もういい、降ろして」
殆ど吐息のような声と共に、アリシアがチャーリーの鋼鉄の胸を弱弱しく叩いた。チャーリーは何も言わず、アリシアをそっとひび割れたコンクリートの壁にもたれさせた。失血による体温低下が著しい様子で、先ほどから歯を鳴らして震えている。
「手を、握っていて。一人はとても怖い」
「わかりました。デイビス少尉」
己の血に塗れた細く白い手を、黒く大きな手が握った。サーモ機能が、アリシアの指先が氷のように冷えていくのを表している。殆ど目も見えないのか、不安そうだったアリシアの表情がチャーリーの手の感触に少しだけ和らぐ。
「アリシア。アリシアと呼んで……」
「了解しました。アリシア」
「貴方の名前を教えて……ナンバーじゃない、名前を」
「チャーリーと、そう呼ばれています」
「良い名前だわ、チャーリー、貴方に感情が無いのは、無意識に、紛い物の感情に逃げる事を拒み、本当の自分を探しているのかもしれない」
喘ぐように胸を波打たせ、咳を繰り返す。どろりとした血が、鼻と口から流れた。
「バイオロイドでもなく、人間でもない。孤独な52ヘルツのクジラ……」
「52ヘルツのクジラ……」
その言葉を反芻したとき、あのノイズがはっきりと聞こえた。今までは微かなノイズであったが、今度は遥か深海から水面に上ってくるように感じた。
「貴方に会えてよかった。私は所詮、人間。機械になんてなれない……死が怖くて仕方が無い、ちっぽけな存在……」
うわごとを呟くアリシアの手を、チャーリーは握り続ける。どんどんその力が弱まっているのを感じていた。
「ほら、みて、クジラが、飛んでいる」
「クジラは空を飛びませんよ」
完全に生命活動を停止したアリシアに、チャーリーは静かに声をかけた。
—————
戦闘が完全に終結したのは、それから75時間後のことだった。アリシアをはじめ、200人以上の兵士が戦死した。その集計にクローラーの数は入っていない。辛くも連邦軍の攻撃を退けたが、基地の中に漂う空気は暗く、重々しいものであった。
チャーリーはその日から、不可思議なノイズを聞く回数が増えてきたと感じていた。高く、低く、寂しそうな、誰かを求めているような、そんな歌声と表現すればよいのだろうか。
それと同時に、彼は自分の存在について考えるようになっていた。チャーリーはいつものようにグレイのいる地下研究室へ向かい、記憶を記録として変換するいつもの作業を行う。ノイズは、鳴りやむことはなかった。
「……リー、チャーリー! 終わったぞ。珍しいな。君がぼうっとするなんて」
「失礼しました。Mrグレイ。大丈夫です……一つ、質問をしてもよろしいでしょうか」
「ほう、なんだね?」
いつもとは違う、チャーリーの珍しい態度に、グレイは興味深そうに言った。
「52ヘルツのクジラは、本当に存在するのでしょうか」
52ヘルツのクジラ。チャーリーは帰還した後、それに関する資料や情報を探した。1989年に、ウッズホールの海洋研究所が初めてその声を聴取したが、未だその姿を発見できてはいない。
他のどんな種類のクジラの鳴き声よりも高い周波数で鳴き、同じパターンの周波数のクジラは他には確認されておらず、その個体は世界で最も孤独なクジラと海洋学者からは神秘的な存在として知られていた。
暗く冷たい海の底で、鳴き続けたそのクジラは、何を思っていたのか。
「……私には専門外だが、知り合いの海洋学者から聞いたことがある。眉唾物だが、存在を信じている者もいるらしいな。」
グレイは、デスクに置きっぱなしで冷めてしまったコーヒーを手に取り、その黒い表面を見つめた。
「私にとっては、ロボットの夢のようなものかな」
「ロボットの夢?」
「ロボット、つまり人工知能は夢を見ない。しかし、何らかの要因で自我が生まれたとき、彼らは夢を見るのか。かつてそれを実証しようとした科学者チームが居た」
グレイは黒いコーヒーの中に何かを覗き見ているのか、そのまま話し続けた。
「……しかし結局実証できなかった。膨大な人間の感情のサンプルを取り、データ化し、それをAIにプログラムしても、彼らは夢を見る事はなかった」
チャーリーはなんと声をかければいいのか、最適な言葉を選ぶことができなかった。
「さっきの君のデータを見たが、君はデイビス少尉の最期を看取ったんだな」
「ええ」
「礼を言うよ。彼女の父親は私の大学の同期でね。彼の結婚式にも行ったし、ホームパーティにも招待された。彼女が小さい頃から知っているよ。まだ、20半ばだというのにな……」
グレイは目を瞑り、深い溜息をついた。
「悲しんでいるのですか」
「悼んでいるのさ。彼女の死は、あまりにも早すぎる」
「悼む……」
死という概念が理解できないチャーリーは首を傾げる。グレイは寂しげな笑みを浮かべ、口を開いた。
「チャーリー、君は彼女がその腕の中で生命活動を終えようとしているのを見て、どう感じた?」
血まみれのアリシアが腕の中で冷たくなってゆく場面が、鮮やかにチャーリーの中で再生された。微笑みながら息絶えていったその顔も。全て。
「もう少し、デイビス少尉と話をしたかったと思いました。でも、もう話すことはできません」
「……そうか。いや、変なことを聞いて悪かったな。メンテナンスは終わりだ。帰っていいぞ」
「失礼します」
「ああ、そうだ、さっきのクジラの話だが……いるかいないかは問題ではない。存在していて欲しいか、欲しくないかだ。それは君が決めるべきだ」
「……わかりました」
研究室を出ていくチャーリーの背を見つめながら、グレイはカップをデスクに置き、端末の前に腰掛ける。そのディスプレイには、かつて自分が学会に発表した論文の一文が映し出されていた。
――もしも、ロボットが夢を見るようになれば、人とロボットの境界線は極めて曖昧なものとなるだろう。そうなれば、人類はロボットと共生してゆけるのか、それは現段階では不明である。
—————
チャーリーは自室に戻ると、支給されている端末の前に座った。それから10時間以上にわたり、ひたすらにネットの海を探し回った。
家族、孤独、夢、誕生、死、愛。人間にまつわる言葉、感情、人生、全てを知りたいという欲求が、彼の中に渦巻いていた。
自分は何者なのか。
生命の定義とは何なのか。
なぜ、アリシアは自分を52ヘルツのクジラに例えたのか。
どんなに調べようとも、何度もアリシアの最期を再生しても、それはわからなかった。非効率的だとチャーリーの理性は反発していたが、奥底から湧き上がるような好奇心と知識への渇望が、彼を突き動かしていた。
ふと、チャーリーは海、中でもクジラの映像を検索し始めた。今はもう絶滅してしまった、地球上で最も大きな哺乳類の映像が流しだされ、チャーリーは思わず見とれた。
ラピスラズリのような蒼の世界を、悠然と泳ぐその美しい姿。基本クジラは群れで行動し、単一で生活することは無い。
ひたすらに、蒼い世界を映し出すディスプレイを見つめていると、また高いノイズが響いた。
「……!」
今度はかなり大きなもので、チャーリーは思わずこめかみを抑えてうずくまった。高く、低く、謳うように、鳴いている。いや、泣いているのか。
「寂しいのですか」
口にした言葉は、誰に対してのものだったのか。
何故その言葉が出たのかも解らなかった。
その3日後、連合国議会は報復戦と称し、大規模な攻勢をかけることを決定した。
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