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基地の地下三階は名目上資料室となっており、一般の兵士は誰も訪れる事は無い。月とは似ても似つかない青白い光を受ける廊下には、同じ位冷たい表情の男が佇んでいた。


彼がスチール製の扉の脇に設置されている小さなコンソールに手を置くと、パネルに光の線が現れ、上下左右にせわしなく動き始めた。


≪認証中……認証完了。コード C-52。お通りください≫


人工音声が淡々と告げ、物々しい雰囲気の扉のロックが外れる。

白く無機質なメンテナンス・ルームには、消毒薬の匂いはない。生体兵器用の電解質溶液とフルオロカーボン溶液の容器が並び、武骨な工具類がステンレス台の上で鈍く光っていた。


中に入ると、術着姿の中年男性が作業用エプロンを着ている最中であった。白髪混じりの髪を後ろに撫でつけた恰幅の良い男性は、古い手巻き式の腕時計を見て肩を竦めた。デスクにはネックストラップが付いたIDカードがぞんざいに置かれており、『主任研究員 セドリック・グレイ』と書かれている。


「ああ、来たのか。遅かったな」


「いえ。Dr.グレイ。今は15時丁度です。その時計が5分25秒早いのです」


「いいんだ。このままで。少しだけ早くコーヒー・タイムにありつけるだろ?」


「根本的解決に至っては居ないようですが、よろしいのですか?」


「チャーリー。君は……そうだな……もう少し寛容、いや、さじ加減という言葉を学習するといい」


チャーリーと呼ばれた男が無表情に口を開いた。


「さじ加減。匙にものを盛る加減、料理の味付けの程度、具合、手加減、手心……」


とめどなく溢れる無機質な言葉に、グレイが口の端に皺を刻み、手をひらひらと振った。


「ああ、ああ、わかったわかった。君はいつも完璧な答えを出すからな。いや、私の言葉が足りなかったか」


「申し訳ありません。Dr.グレイ。不快な思いをさせてしまったようですね」


「いや、違う。これは苦笑いさ。君の論理的思考には敬服するよ。だが、そこが君の欠点でもあり、良いところでもある」


「その回答は矛盾しているのではないでしょうか」


「そう、我々は矛盾しているものだ。いつか君にも分かる。さあ。始めようか」


グレイがそう言うと、チャーリーは当然のようにメンテナンス用の椅子へ座った。 調整用の装置を頭に装着し、グレイがコンソールのキーを叩く音と共にチャーリーの意識は世界から切り離されていく。


「チャーリー。君は何故、他の個体と同一化しようとしないんだ……?」


キーを叩きながら放たれたその言葉は、訝し気で、そして何かを期待するような、そんな色を含んでいた。



その意識を宙空へ投げ出すとき、チャーリーと呼ばれた個体、C-52は少しだけ自身の意識を感じることができる。其れは自身の意識ではなく、あくまでもプログラムの産物であり、『素体』である『彼』の残留物なのか、あるいはバグなのか其れは不明であった。


あえて映像化するとすれば、何もない空間に、パズルのピースで組まれた球体だけが浮かんでおり、手を伸ばせばバラバラと崩れ落ちてしまう、そんな意識。


酷くおぼろげで、あやふやで、不明瞭なその意識を解析する術をチャーリーは取得していない。


戦闘が終わると、戦闘データはアップロードされ、チャーリーの思考はフォーマットされる。真っ新な頭の中は既に先程の戦闘の記憶は無機質な記録となり、膨大なデータの中に埋もれてゆく。側頭部からプラグが抜かれ、チャーリーは眉をしかめる。これは不快という感情ではなく、使われている素体の生理的反応であった。


「アップロードは終了だ。自分の所属と識別コードを言ってみてくれ」


「はい。Dr.グレイ。私は連合国陸軍第318部隊所属戦闘クローラー、識別コード3694745、C-52です」


「ああ、チャーリー。よくできたな。動作不良の類が起きたらすぐに知らせてくれよ」


「わかりました。では、57分前の戦闘中にですが……」


チャーリーは先程の戦闘で聞いた原因不明のノイズの事を言った。


「うーん、特に異常は見当たらないようだが、人口脳幹の数値も正常だ。本当にノイズだったのか?」


「はい。間違いありません。約50から52Hzの周波数が6.7秒間聞こえていました」


グレイは、何かを考え込むように押し黙った。だが、ピンと背筋を伸ばして座っているチャーリーを見て、困ったように笑った。


「チャーリー。他の皆はもっと笑ったり、表情豊かだ。君は何故ロボットのように振る舞うんだ?」


チャーリーを含めた第2世代は60体ほどになる。この基地に配備されているのは12体だ。戦闘用が8体に、救護用が4体。そして事務処理用ドロイドが1体。


チャーリー以外のクローラーは殆どバイオロイドと分からないくらいに、周りに溶け込んでいる。


第一世代と違い、感情や表情を細かくプログラムし、学習能力を高めたところ、ほぼ普通の人間と遜色ないコミュニケーション能力を発揮しているからだ。しかし、彼らの感情はあくまでプログラムされたものに過ぎず、人間と遜色ないと言っても所詮は紛い物だ。


トラブルを避けるために味方に危害を加えてはならないという絶対的原則が刷り込まれているし、作戦行動中は感情プログラムが抑制され、完全な機械として、任務の遂行を最優先する。さながら、喜怒哀楽を表現する人に限りなく近い人形のようなもの。


研究者たちにとってはクローラーは素晴らしい実験対象であった。だが、彼、C-52だけがまるでその感情全てを拒むかのように、任務外であっても機械的に振る舞っていた。


「必要性が理解できません。私はバイオロイドです。人間ではありません」


「基本的な感情はプログラムされているはずなんだがなぁ。何故君だけ不具合が発生しているのか……」


「Dr.グレイ。申し訳ありません。私にもわからないのです。いえ、その感情というものが理解できないのです」


「……ふむ。そうか。いや、悪かったな。もう行っていいぞ」


グレイの言葉にチャーリーは頷き、来た時と全く同じ動き、道筋で研究室を出た。


「……機械が人に近づいているのか、人が機械に近づいているのか……まるで合せ鏡のようだな」


壮年の研究主任の自嘲するような声が、寒々しい研究室に響いていた。


—————


チャーリーという名前を呼ぶものは基地の中ではグレイ以外いない。

彼だけが他のクローラーとは違って感情が無い為に、それを不気味に思って彼を遠ざける人間が殆どだった。


彼を乗せたエレベーターは、薄暗い地下から地上へと動き出す。


やがて鋼鉄の扉が開かれて、地下とは比べ物にならないくらいの明かりと喧騒の海が目の前に広がっていた。


リノリウムの廊下を軍服を着た兵士達が忙しなく行き来する。だが、彼らはチャーリーの存在など路傍の石すらにも感じていない。


そんなことなど全く気にも留めず、幾つかの部屋の前を通り過ぎると、休憩スペースで丁度コーヒーを片手に談笑していた兵士達が居た。


その一角のロッカールームへ向かうチャーリーの姿を見て、彼らは底意地の悪い笑みを浮かべた。


「おい!コープスドール!」


明らかに悪意を含んだものであったが、チャーリーの表情はピクリとも動かない。それにムッとしたのか、そのうちの体格の良い兵士がチャーリーの行く手を遮った。


「なぁ、無視は傷つくぜ?クソ野郎」


「ダグラス・マッコール曹長。私のコードはC-52です。コープスドールではありません」


その言葉を言い終える前に、ダグラスの拳がチャーリーの鳩尾にめり込んだ。元ボクサーの経歴に違わぬ重たい拳はチャーリーの体をくの字に曲げたが、ただそれだけであった。


「私闘は軍規違反です。即刻中止を要請します」


無表情に放たれた言葉にダグラスは鼻白んだが、怒りが彼をそれ以上に突き動かした。


「うるせぇ!このクソッたれゾンビ野郎!テメェの体にどれだけ戦死した奴らの体が使われてると思ってんだ!」


チャーリーの顔にその拳が振り上げられた瞬間であった。


「やめろ!」


毅然とした声が辺りに響き、拳は振り下ろされることなくその場にびくりと留まった。


「マッコール曹長。彼のメンテナンス費用は君の一か月の給料より高い。もし、いつも元ボクサーだと自慢するその拳が、彼の頭部に損傷を与えたのなら、減給された君の給料では賄えない程の損失を我が国は抱える事になるのだ。それをどう思う?」


「……あ、デイビス少尉……」


アリシア・デイビスは、この基地では数少ない女性尉官である。若くしてシルバースターを受勲し、今や古参の兵士に負けぬ程の戦果を挙げ、周囲からは一目置かれている。その体躯は小柄だが、圧倒的な存在感を彼女は醸し出していた。


プラチナブロンドの髪をひっつめにくくり、アイスブルーの瞳は氷のように冷たい。その容姿と相まって『氷の女王』と陰で呼ばれ、『敵にも味方にも一切の容赦は無い恐ろしい女』と新人の下士官たちには畏怖の対象として見られていた。


「いつからここはお前の私有地になったんだ?ここは休憩スペースだ。全ての隊員に使う権利があるはずだがな」


カミソリのような視線を受けて、マッコールを含めた兵士達はすごすごと立ち去って行った。後には、氷の女王とチャーリーだけが残った。


「コーヒーを飲むか?」


「いいえ。お気遣いありがとうございます。デイビス少尉」


相変わらず無感情な答えに、アリシアはくつくつと笑った。


「何故、彼らに対して怒らなかった?君は感情をプログラムされているんだろう?事務局のシエラなんか愛想が良すぎて煩いくらいだぞ」


「学習能力の差異でしょう。私は感情に対する学習能力が著しく低いようですので」


「まぁ、皆同じでもつまらないからな。いいんじゃないか?君みたいなのが一人いても」


「サンプルとしてはいいかもしれませんね」


アリシアはその言葉にぷっと噴き出した。


「個性の話だよ。サンプル云々じゃない。今の研究者ってのはデータをとることしか頭にない、石頭ばっかりだからな」


「……個性ですか。私は任務を遂行する上で、一番効率的である方法をとっているだけですが」


「はは。そうだな。感情ってのは武器にもなるし、弱点にもなる。この仕事をしていて、どれほどお前のようになりたいと思ったか……」


アリシアがコーヒー・メイカーから濃茶の液体を簡易カップへ注いだ。基地の人間にはここのコーヒーは泥水と同じくらい不味いともっぱらの評判だが、アリシアは不味そうな顔一つせずコーヒーを啜っている。


「私のように?何故ですか?」


「君は君自身の価値をわかってはいない。といえばいいかな。嫌悪する人間も居れば、憧れを抱く人間も居るということだ。君は、そういう存在なんだよ」


「……よく、理解できません」


チャーリーは少し考えて、そう言った。自分を蔑み、嫌悪している者達が居るのは理解できる。だが、チャーリーにはその機微が分からないのだ。


「人間は何故、自分の似姿を造ろうとするのか。自らの不完全さを補い、完全な存在そのものを造ろうとしているのか、ただ単に、神の真似事をしたいだけなのか、私にはわからん。だが、これだけは言えるさ。君達の存在は、歪(いびつ)であり、可能性なのかもしれない。だから、嫌悪を示すものも、憧憬を抱く者もいるということだ」


「……」


無機質な静寂が、二人の間に漂っていた。チャーリーは相変わらずまっすぐにアリシアを見つめ、アリシアは不味いコーヒーを澄ました顔で啜っている。だが、その静寂を引き裂くようなサイレンが、基地内に鳴り響いた。


≪red horse。総員配置に付け。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない。≫


red horse。防空警報の暗号であり最高レベルの警報である。二人は一瞬にして戦闘態勢に入っていた。


「話は終わりだ。君は君の務めを果たせ」


「了解しました。デイビス少尉。それでは、失礼します」


「ああ、そういえば、君はC-52というナンバーだったな」


「はい」


「孤独なクジラ(Cetacea)ということか。言い得て妙だな……今度はもっとましなコーヒーを飲ませてやろう。拒否権はないからな」


口調こそからかうようなものであったが、冷たく厳しい氷河のような美女に珍しく、安らいだ笑みがそのかんばせに浮かんでいた。


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