岩屋の魔女と幸せな笑顔の王女

青樹加奈

本編

 むかしむかし、ある所に幸せな笑顔をした王女様がいました。

 王様もお妃様も国民もみな、王女様の笑顔を見て等しく幸せな気持ちになりました。

 ですが、ただ一人、王女様の笑顔を憎む者がいました。

 岩屋に住む年老いた魔女です。

 魔女はひねくれた心の持ち主でしたので、幸せな人が大嫌いでした。

 子供を産んで幸せそうな女の人がいるときくと、出かけて行って子供を病気にしました。

 そして、自分で作った偽薬を女の人に高い値段で売りつけました。

 偽薬なので治るわけがありません。

 ですが、偽薬を飲むとちょっとの間、子供の病気がよくなったように見えました。女の人は蓄えを全部つかって、魔女から偽薬を買いました。

 しかし、子供の病気はどんどん重くなって行きます。

 女の人はあちこちから借金をして、魔女から偽薬を買い続けました。女の人の夫が必死で働いて借金を返しましたが、追いつきません。女の人の家はすっかり貧乏になってしまいました。とうとう、夫は女の人と病気の子供を捨てて家を出て行きました。女の人はすっかり不幸になってしまったのです。

 魔女は不幸になった女の人を見てげたげたと大笑いしました。

「やったやった! 幸せを剥ぎ取ってやった!」

 魔女は囲炉裏の周りを楽しそうに踊り回りました。

 魔女は王女の顔から幸せな笑顔を剥ぎ取ってやったら、どれほど楽しいだろうと思いました。

 或る日。

 王女様が野原を散歩していました。侍女や騎士達、そして取り巻きの貴族達が一緒です。

 王女様は薄桃色をした絹のドレスを着ていました。ドレスの胸元には美しくカットされた水晶が縫い止められていて、日の光を受けてキラキラと輝いています。

 魔女は木陰からその様子をじっと見ていて、面白い事を思いつきました。王女と同じドレスを着てみせるのです。わざと同じ服を着てみせるのはとても失礼な行いです。王女はきっと困った顔をするだろうと思いました。

 魔女は自分の真っ黒な服に魔法をかけました。黒い服はあっというまに薄桃色の絹のドレスに変わりました。胸元の水晶もそっくり同じです。

 魔女は王女様の前に進み出ました。

「ご機嫌よう、王女様」

 その場にいた全員が驚いて魔女を見ました。

 魔女は、皆が自分を見るのは王女と同じ豪奢なドレスを身に纏っているからだと思いました。王女の前をしゃなりしゃなりと歩いて見せます。

 しかし、くすくすという忍び笑いがさざ波のように広がりました。取り巻きの貴族達がヒソヒソといいます。

「まあ、なんて醜いの」

 そうです。ドレスは美しくても、顔は煤けて黒く、髪はどろどろ、ドレスの袖から突き出た腕はしみだらけ。ドレスが美しければ美しい程魔女の醜さが、何より心根の卑しさが際立ちました。

 王女様は指先を口元にあてて、皆の笑い声を制します。

 騎士達は魔女を捕らえようとしました。

 この国には王族と同じ服を着てはいけないという法律があったのです。

 王族の服装は王家の品位や権威を現す物ですから豪奢でなければなりません。王族以外の人が真似をしても、お金がかかるだけで意味がないのです。王様は国民に無駄使いをさせないように同じ服を着てはいけないという法律を作ったのでした。

 だけど魔女はそんなことは知りません。法律を破ったら牢屋に行かなければならないなんて、思いもしなかったのです。

 王女様は慌てました。王女様には魔女は少し頭のおかしくなった老婆にしか見えなかったのです。

 王女様は魔女を捕らえようとした騎士達を止めました。そして、侍女の持っていたマントをさっと羽織ってドレスを隠しました。これで、魔女と王女様は同じ服装をしていません。魔女が捕らえられる事はないのです。王女様は気の毒なおばあさんが牢屋にいかなくて良かったと思いました。

 王女様の心を察した騎士の一人が、王女様と魔女の間に立ちはだかりました。これ以上、王女様の心を乱してはいけないと思ったのです。

 王女様の一行は何事もなかったように、お城に帰って行きました。

 魔女は王女の行列を見送りながら、王女が自分を見た時のはっとした顔を思い浮かべました。そして、きっと自分と同じドレスを着ている自分を見て不愉快に思ったのだと勝手に思いました。

 王女様の思いやりは悪い魔女には通じませんでした。

 魔女は意気揚々と岩屋に帰りました。そして、囲炉裏の周りを歌いながら踊り回りました。

「もっと、不幸にしてやりたい! 王女の一番のお気に入りをめちゃくちゃにしてやろう」

 魔女は水晶玉を使って占いました。ところが、水晶玉は何も映し出さないのです。

「くそー、水晶玉め、壊れてしまったにちがいない。何かいい方法はないだろうか?」

 悪い魔女は戸棚から本を出してきて調べました。その本には数々の悪事が書かれていました。

「これがいい、この方法で王女を不幸にしよう」

 それからしばらくして、王様の元へ隣の国の王様から手紙が届きました。

「貴殿の娘御が大層美しいと評判である。ぜひ、我が輩の嫁にしたい」という手紙です。

 王様はカンカンになって怒りました。

 隣の国の王様は、齢七十を越えるお爺さんです。そこに弱冠十六歳の娘を嫁にやれる筈がありません。

 王様は、嫁にはやれないと断ろうとしましたが、そこにもう一通、隣の国の王様から手紙が届きました。

「断ったら戦争!」

 と書いてあります。

 王様はますます怒りました。

「戦争といえば、娘を素直に差し出すと思ったか! なんて横暴な奴だ。こんな奴だとは思わなかったぞ! ええい! 戦争だ。こっちから仕掛けてやる。隣の国と戦争するぞ!」

 家臣達はびっくりしました。隣の国とはとても仲良くしていたからです。慌てて王様に理由わけを聞きました。王様は怒りにまかせて、隣の国からどんな手紙が届いたか、喚き散らしました。あまりに大きな声だったので、王女様の耳にも届いてしまいました。

 王女様は王様の前に進み出ると

「お父様、私は隣の国に嫁ぎます。どうか、戦争はしないで下さい」

 とお願いしました。

 王様もお妃様も家臣達も、皆、王女様を引き留めましたが王女様の決意はとても固かったのです。

 家臣達は王女様が隣の国に行かなくても、戦争を避ける方法がないかと知恵を絞りました。しかし、いい知恵が出ません。

 王様は仕方なく、隣の国の王様に王女様を嫁にやると返事をしました。

 とうとう、王女様の輿入れの日が来ました。花嫁の行列は、お葬式の行列のように鬱々と進んで行きます。

 それをみた魔女は、とても喜びました。

 総て魔女が仕組んでいたのです。

 魔法を使って隣国の王に王女の姿を夢の中で見せ、花嫁にするべきだと唆したのです。逆らったら戦を仕掛けるぞと脅すように仕向けたのも魔女です。

 魔女は自分の思惑通りに王女が老人に嫁いで行くのを見て大笑いしました。

「けけけ、王女が結婚する所もみてやろう。さぞかし、いやな顔をするだろうよ」

 魔女は隣の国のお城に忍び込みました。お城の大広間には大勢の人が集まっていましたから、魔女が忍び込んでも誰も気が付きませんでした。

 大広間で、王女は初めて夫となる人を見ました。

 しなびた黄色い肌をした腰の曲がった老人でした。それでも王女はにっこりと笑って夫となる人に微笑みかけました。

 隣国の王はその笑顔を見た途端、えも言われぬ幸せな気持ちになりました。そして、正気に戻ったのです。

「王女よ。済まぬ。我が輩はどうかしていたのじゃ。このように若く美しい王女を我が輩の嫁にしようなどと、何を血迷ったか」

 王様はこの結婚をやめようと思いました。しかし、もうすぐ結婚の儀式が始まります。いきなり結婚をやめるとなると、国のメンツは丸つぶれです。いえ、自国のメンツだけでなく王女の国のメンツはもっと丸つぶれです。その上、王女は結婚式の場で花婿に結婚を断られた花嫁として、一生涯悪口を言われるでしょう。

 なんとかしなければなりません。

 隣の国の王様は、三番目の王子様を呼びました。

 王様は家臣に向って言いました。

「皆の者、よく聞け。花婿は我が輩ではなく、我が三番目の息子じゃ」

 三番目の王子様はびっくりしました。実は、三番目の王子様は以前から王女様が大好きだったのです。父王と王女との結婚が決まって以来、胸が塞がれる思いをしていました。

 王様が話を続けます。

「我が輩は、王女の国の誠意を確かめたかった。王女を我が輩の嫁として差し出すなら真に、王女の国は我が国と戦をしたくないと思っているに違いないと考えたのじゃ。王女よ、試して申し訳なかった。もし、そなたが気に入るようなら我が息子の嫁となって貰えぬか?」

 王女様は王様の隣に控えている三番目の王子様を見ました。凛々しい姿の王子様を王女様は一目で好きになりました。

 王女様はにっこりと笑って王子様を見上げました。

 この時、王女様の不幸を見ようと忍び込んでいた魔女は、三番目の王子様の後ろに立っていました。こっそり、従者に変装していたのです。

 そして、見てしまったのです、三番目の王子様に向けられた王女様の輝くような幸せな笑顔を。

「ぎゃーっ」

 と叫んで魔女は床に倒れました。

 あまりに幸せな笑顔をまともに見てしまったのです。魔女は打ちのめされてしまいました。魔女にとって幸せな笑顔は毒でしかありませんでした。

 皆、何事かと魔女の周りに集まって来ました。床には変装の解けた魔女が横たわっています。

 その姿を見た兵士が叫びました。

「こいつは魔女だ! 岩屋に住んでいる悪い魔女だ!」

 魔女は兵士に取り押さえられました。

 兵士は子供を病気にされた女の人の夫でした。兵士は薬がおかしいのではとずっと思っていたのです。しかし、魔女の仕返しが怖くて言えませんでした。

 兵士は魔女に子供を病気にされたと王様に報告しました。

「何をいうか、わたしゃね、あんたの子供を助けようとしたんじゃないか!」

 魔女がわめきます。

「嘘だ、ちっともよくならなかった。おまえが病気にしたんだ」

 兵士は魔女に飛びかかって、首を絞めました。

「く、苦しい。おまえなんて、女房と子供を捨てたくせに!」

 兵士はずっと後悔していた事を言われて怯みました。魔女はその隙に兵士の手を振りほどき、逃げようとしました。

「待て!」

 その場にいた騎士達が魔女を取り押さえました。

「観念しろ!」

 何人もの騎士達によって床に押さえつけられた魔女は荒い息のしたから兵士に向って怒鳴ります。

「わたしゃ幸せな人間が大嫌いなんだよ。おまえの女房は子供が産まれて幸せそうだった。だから子供を病気にして不幸にしてやったんだ。いい気味だ」

 魔女が本性を現したのです。皆、ぞっとして後ろに下がりました。

 王様は魔女に聞きました。

「我が輩を唆して、王女と結婚させようとしたのはおまえか?」

 魔女は開き直っていいました。

「そうだよ。それがどうした! わたしゃ、この王女が大嫌いだった。こいつの女房よりずっとずっと嫌いだった。だから、老人に嫁がせて不幸にしてやろうと思ったんだよ」

 魔女は王女様を見上げて大声でいいました。

「あんたが愛を知っていたら、あんたが愛する者を病気にして不幸に出来たのに。あんたはね、誰も愛してなかった。わたしゃね、水晶玉で占ったのさ。あんたが誰を愛しているか。そしたら、水晶玉は真っ白になったんだ。誰も映さなかったんだ。あんたはね、誰も愛してないんだよ」

「そんな……。いいえ、私はお父様やお母様を愛しています。私の周りの人を皆、愛しています!」

「確かに父親や母親を好きだったさ、けど愛じゃない。周りの人、みんなを愛しているっていうのは誰も愛してないのと同じなんだよ。あんたは愛を知らないんだ。あんたは空っぽなんだよ!」

 王女様はびっくりしました。魔女の言葉は王女様の心に深く突き刺さりました。王女様は自分がまるで欠陥品になったように思いました。王女様の顔から笑顔が消え、暗く悲しい顔になりました。

「くくく、そうとも、わたしゃあんたのその顔が見たかった!」

 悪い魔女は嬉しそうにゲタゲタと笑いました。気持ちの悪い笑い声があたりに響きます。

「何をつまらん事を!」

 兵士が剣を抜いて魔女に突き立てました。魔女は断末魔の悲鳴を上げて死んでしまいました。

 人々は、「王女様、魔女の言ったことなど気になさいますな。所詮、あなたを不幸にしたいばかりに言った嘘ですよ」と王女様を慰めました。

 魔女の遺体は荒野で焼かれ、その灰は沼地にばらまかれました。

 兵士は魔女の岩屋から子供の病気を治す薬を見つけ、それを持って奥さんと子供の元に戻りました。王様から魔女を倒した手柄にたくさんお金を貰っていたので、借金を返して元通りの暮らしに戻りました。

 王女様の国では魔女の計略を聞き、皆、驚いたり呆れたりしました。そして、王女様が隣の国の王様ではなく、三番目の王子様と結婚すると知ってとても喜びました。

 王女様は三番目の王子様に言いました。

「私は愛を知らないのでしょうか?」

 俯いて暗い顔をした王女様に三番目の王子様が言いました。

「悪い魔女の言った事など、気にしてはいけません。あなたは愛に溢れている。国民や国を愛しているから戦争にならないように、我が国に嫁いできたのでしょう? 違いますか? あなたの愛は大き過ぎて小さな水晶玉には映し出せなかったのですよ」

 水晶玉に映し出せないほどの大きな愛。

 王女様の胸に王子様の言葉がすとんと落ちて来て、魔女が放った言葉のトゲをぽんと弾き出したのでした。

 王女様は三番目の王子様を見上げてにっこりと笑いました。

 幸せな輝くような笑顔が王女様に戻りましたとさ。

 

 めでたしめでたし

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