第4話

 あれからどのくらい経ったのだろう。 ウェイグはまたどこだか分からない教会に来ていた。アレイグにレイピアを奪われた、あの教会。 今度は長椅子ではなく祭壇に座った状態で辿り着いたらしい。若干積もった塵に動いた形跡は見当たらない。

 自分は死んでしまったのか。 だから、この場所でアレイグに天国に連れていかれるのだろうか。 憶測ではあるものの、アレイグに呼ばれたのは間違いない。

 あらゆる可能性を考えたが、ウェイグがアレイグの考えを詮索するには材料が足りなかった。

 だが、不可解なことはそれだけではない。 あれだけ痛かった筈の怪我が無くなっているのだ。 前の夢のとき、確か意識だけを呼び込んだと言っていたが今回も意識のみ呼んだのだろうか。血液を流しすぎた身体とは思えないほどいつも通りの体温を感じる。こんなにも急速に怪我が治るとは一言も言っていなかった筈だ。せいぜい死なない程度だと。

 腕を組んで頭を悩ませていると、背後から何かが覆い被さってきた。

「……おかえりなさい。あなたには呆れました。 まさか『あの人』の魔力で操られた者と直接接触するなんて……」

 背後からアレイグが抱き締めているのか、柔らかく包むような声が耳を擽る。アレイグの重い溜め息が頬を掠めた。

「『あの人』……?」

「……あなたのお兄さんの魔力ですよ。あなたの兄は僕の絶望を継ぎました。そして、あなたは希望を。希望のみ絶望を滅ぼし、絶望のみ希望を滅ぼす。僕の思想はそのまま相性になっているのです」

 ウェイグは、途中で耳を塞ぐ。彼は信じたくなかった。 兄が、グレイヴが、自分たちのことを殺そうとした。部隊を壊滅させた。そんなの、受け入れたくない。 アレイグの嘘だと思いたかった。

 しかし、アレイグはウェイグが塞ぎ込むと腕を解き、 代わりに背中の中心部に手を当てる。 突如走る激痛は、たしかに先程突かれた痛みと同じであった。

「ぐっ、ぁ……っ」

 前屈みになり、胸部を見る。じわりと緋が広がった。紛れもない事実は主張を止めず、騎士団の制服は間もなくして白から緋へ変わっていく。 制服から一滴の緋が滴ったとき、アレイグは口を開いた。

「僕が嘘をついて何のメリットがあるのです?あなたが刺されたのは本当のことですよ。痛みを感じるでしょう? あなたが死亡することはありませんが、あなたの兄の魔力は僕にもあなたにも毒でしかないのだから」

 胸部の痛みに悶え視界が霞み始めるとアレイグの手が離れる。合図だったかのように痛みも流れた血液も消え去った。

「けほ……っ」

「……あなたはこの国の希望なのです。広がる障気を食い止めるのも、兄を救えるのもあなたしかいない。あなたがいなければ何も守れないのですよ?」

 アレイグは慈しむようにウェイグを見下げては周囲をを闊歩する。とても説教をしている風ではなく、優雅に散歩を嗜んでいるようにしか見えない。

「でも……そんな、兄貴が――!!」

「まだ信じないのですか?……強情ですね。ですが、いずれわかりますよ。不用意に近付かないでくださいね」

 溜め息混じりで答えるとアレイグは翻した衣装と共に消え去る。手を伸ばし追いかけようとしたが、祭壇から降りるとウェイグの意識は一気に現実に引き戻されていった。




「アレイグ様っ!!」

 文字通りウェイグは飛び起きると、明らかに意識を失った場所と今いる場所とは異なっていることに呆然とした。周りは生活感が溢れる家具で囲われ、狭いながらも個室になっている。自分の服装が騎士服から一転して簡素な服に変わっていた。奥の開きっぱなしにされたドアから足音が聞こえる。

「……!!よかった……ウェイグ、起きてたんだね?」

 足音の主はどうやらルシアだったらしい。急に駆け込んで来たかと思えば持っていた濡れタオルも放ってウェイグを抱擁し、瞳には涙を浮かべていた。

「ここは……?」

「空き家よ。……住人なんてもうこの村にはいなかった。とにかく、今は応急処置しかしてあげられないんだから、あと半日は寝てなさい。かなり傷が深そうだし、薬で抑えても数時間で動けそうにはないわ」

 よく見ると手当てがしてある。丁寧に巻かれた包帯のおかげで血は止まっていた。

「そっか……おれ、助かったんだ……。……あ!そういえばあの後って……?」

 ウェイグが思い出したようにルシアの肩を掴むとルシアは視線を逸らす。

「……生きていた団員は私たちしかいなかった。脈も計れない状態だったから、あんたを運びながら生存者がいないか声を掛けてみたんだけど……。団員はおろか、元々この村には誰もいなかったみたいで……」

 そんな馬鹿な。確かにこの村に入ったときから人の姿は見ていないが、『廃村』だとは一言も聞いていない。他に考えられることとなると、情報が行き渡る前に、何かがここで起きたことになる。無論、自分たちが派遣されることになる程の事案を騎士団は放置していない。だが、遠征先などの情報を管理側で変えられていたとしたなら話は別だ。任務関連の情報管理は全て軍によって管理されている。情報処理科――グレイヴの職場によって。最も考えたくない可能性が浮かび、ウェイグは項垂れ、身震いした。

「おれたち……嵌められたのかなー……」

「え……?」

 ルシアはウェイグの思いつめた声にはっと顔を上げる。いつもなら覇気のあるルシアの表情も今回ばかりは曇っていた。

「こんな、まるで、自分の力を見せつける為にやってるような……」

「……!まさか、嘘でしょ!?」

 持ち前の察しの良さで気づいたのか、ルシアもまた動揺を隠せず頭を抱える。アレイグからの助言が無ければウェイグもここまで早計に判断することはなかったかもしれない。情報処理科には他にも人員がいる。何も情報の無いままなら、きっとそこまでだった筈だ。だが、アレイグは言った。兄であるグレイヴが仕掛けたことだと。あの夢の中と思われる場所での出来事や自分とグレイヴの関係を隠さず話せばルシアもグレイヴのことを疑うだろう。しかし、まだ本当にグレイヴに仕込まれたかどうか証拠もないのに糾弾などしたくない。アレイグが嘘を吐いているとも思えないが、単純に信じることもできない。

「でも、ほら……情報は軍が管理してるし……」

「何よ……いくら相容れない組織だからってこんなこと……!!」

 許される訳ないじゃない、とルシアは声に涙を滲ませて握り拳を作る。

「……決めつけるのはまだ早いかも。だからさ、調べようよ。騎士団にも、軍にも情報処理科を疑ってるって知られないようにさ。このままじゃ、団長解雇どころじゃない」

 もし、本当にグレイヴが自分たちを狙ったのだとしたら、理由を訊かなくてはならない。調べもしないで現状に甘んじたりなどは犠牲者に対して失礼である。遺族への説明のことも考慮するとやはり自分たちは知る必要があるのだ。

「そうよね……!私たちが騎士団長の内は騎士団長として動かなきゃね。みんなの無念も晴れないよね」

 ウェイグの説得にルシアはやるべきことを見つけて頷くが、はっと思い出したように再び暗い面持ちに戻る。

「でも、どうやって?」

「うーん、今のところちゃんと軍部の情報を集められそうなとこなんて殆んどないないからなぁ……」

 痛いところを突かれてしまった。確かに、調べるにしても調べられそうな場所が無ければ土台無理な話だ。軍部の情報がある場所には必ずと言っていいくらいに軍部の息が掛かっている。故に自分たちが嗅ぎ回っていることがグレイヴに伝わってもおかしくない。今度はウェイグが落胆したように気を落としてしまう。せっかく見えた希望の兆しが覆われたかのように思えた。いくら兄を疑いたくないとはいえ、直接訊きに行けるほどの図太さはウェイグにもルシアにも備わっていなかった。

 万策が尽き、自分達の処分を大人しく受け入れるしか無いかと思われたとき、ルシアは口を開いた。

「……訊いてみる」

「へ?」

「お姉ちゃんに、書庫に入らせて貰えるか訊いてみる」

「でも、それじゃ……」

 ルシアの姉、リリアは軍やサンドリア国にまつわる莫大な数の資料が保管されている書庫の管理の仕事をしている。そこに保管されている資料は遠い過去のものからごく最近のものまで存在しているらしいのだが、歯痒いことに一般公開、ましてや煙たがっている騎士団への公開はされていない。具体的な内容を知らないのもあり、自分たちが得たい情報を必ず得られるかも分からない場所にウェイグはあまり踏み込みたくなかった。仮にリリアの口が固く、軍部内に口外されなかったとしても、処罰を決める女王にどう説明すればいいのか分からなかったのだ。

「大丈夫。きっと上手くいくから」

 今思えば、ルシアも辛かったのだと思う。切り替えを無理矢理にでもして乗り越えようとしているが、彼女とて失った団員への気持ちを完全に過去のものとして割り切れてはいないだろう。それでも『上手くいく』とウェイグに言い聞かせて安心させようとしているのは、もしかするとルシアはウェイグへ前向きな声をかけることで自分の不安を取り除くきっかけにしようとしているのかもしれない。いつまでもぐずぐずしていてはどうしようもないのだ。ウェイグは後ろ向きな気持ちに蓋をする為、ルシアの言葉に大きく頷いた。



 村を出て、ウェイグとルシアは数日の間、静かな夜を過ごす。数日前まで支え合い、笑顔を交わし、時には言い争いやどんちゃん騒ぎをした大切な仲間たちはもういない。村を出る際に区切りをつけようと村の前で追悼をしたというのに、生き残った団長の二人は焚き火を挟み、向かい合いながら膝を抱えて座っていた。今後の話し合いなどする気にもなれず、瞼を閉じれば未だ鮮明に浮かぶ団員の死体の光景が浮かぶので眠気もなく。ただ二人とも焚き火を見つめ、予め決めていた時間通りに交代で見張りをしていた。気晴らしに月を眺めたりもしたが、夜はお互いに口数も減り、気丈には振る舞えなかった。形式的に交代しているというのが正しい。

「ねぇ、ルシア、起きてる……?」

「……何?」

 目を伏せていたルシアに声をかけると、ルシアは気怠げに顔を上げる。焚き火越しだというのに、ルシアの瞳は暗く濁っていた。もし、自分に浄化の力があるのなら、ルシアの心も晴れさせることができるのではないか。アレイグは自分に悪意を向ける者に使えと言っていたが、本質としては他人に安心感や冷静さを与え情緒を安定させるものかもしれない。ウェイグはルシアの隣に座り、彼女の手の甲にそっと自分の手を重ねた。

「何よ。まさかこんな時に口説こうとか考えてる?」

「え!?あっ!!そ、そんなんじゃないよー!!」

「焦んなくてもわかるから。で?やむを得ない理由もなく、こうして触れたのはいったいどんな理由があるのかしら?」

「あぁ……えっと……ルシアを元気付けようと……」

 しまった。どう説明するかまで考えていなかった。ウェイグはしどろもどろになり、アレイグの話を回避しようと言葉を必死に選ぶ。だが、ルシアがウェイグの言葉を待ってくれる筈もなく、追撃の言葉を放つ。

「ふうん。確かに、さっきよりはマシだけど。……そういえば、あんた、あの時説明省いてたけど、これもゴブリンのときと何か関係あるの?いい加減話してよ」

「うっ……わかったよ」

 完敗だった。信じてくれないだろうけど、とウェイグは前置きし夢での出来事を語り始める。ルシアは自分で見たり聞いたりしなければ何かを信じたりしない性格であることは承知の上で、馬鹿にされてもいいと思いながら話した。アレイグがグレイヴのせいでウェイグたちの隊が壊滅させられたとほぼ断言していたことだけは伏せたが、きっとルシアも確信しただろう。

「やっぱり、そうだったんだ。偶然かと思ってたけど」

「……?」

「あんたが、アレイグ様の神子ってこと」

「し、知ってたの!?」

「ほんとにあんた頭のネジ外れてんじゃないの?あんたとアレイグ様、同じ苗字じゃない。他にローヴァンなんてアレイグ様と同じ苗字名乗る家があるなら見てみたいわ。少しくらい自慢でもしてくれればすぐに確信出来たんだけどね」

「そ、そっか……」

「ついでに言えば、あんたの兄貴……えっと、グレイヴだっけ?あいつもどうせ神子なんでしょ。ローヴァン家は代々実子を神子にするものね。養子を引き取った話もないし、この国に住んでいればある程度予想できるわ」

「じゃあ、信じてくれる……?」

「信じるしかないじゃん。だって目の前で実証されてたんだし。あんな力が使えるなんて知らなかったけど」

 ルシアはウェイグのおずおずとした声音に小さく笑う。どうやら不死身については気付いていないようだった。話せるところだけでも話せたせいかウェイグの気分も先程までよりいくらか軽い。悩みが晴れ、唐突に睡魔がウェイグを襲った。船を漕ぐようにうとうとしていると、ルシアが見張りを代わると言って肩を貸す。

 小さな二人の騎士団長は暖かな焚き火に見守られて新たな朝日を迎えた。




「いい?あんたはここで待ってて。まずは私がお姉ちゃんを呼び出すから」

「うん、わかった」

 中央都市サンドリア王国軍本部裏口。そこでルシアとウェイグは作戦の最終確認をしていた。正面からいったところでどうせ門前払いにされるのは目に見えている。サンドリア国軍は自分たちが出した依頼以外の内容で騎士団の人間が関与しようとすると問答無用で追い出すようなところだ。元々内部の人間と王室の人間以外非公開の場所に立ち入らせてくれ、と律儀に頼んだところで足を踏み込むことすらできないのは想像に難くない。ウェイグは理解した上で正面からいくことを提案したのだが、結局、ルシアに押し切られてしまったのだった。

 ウェイグが見守る中、ルシアは隠れている木陰から内部の人間が辺りにいないことを確認し、ゴミ箱などを踏み台にして裏口の換気口へよじ登っていく。丁度軍部のテラスからは自分たちのいる場所は丸見えなのだが、幸運なことに誰かがテラスに出てくる気配はない。昼である今ががらがらに開いているなら、これから混むというのは考えにくかった。

 なんとかルシアの潜入が成功したのを見届けるのと同時にウェイグは腰を下ろす。安堵からかため息が漏れた。

「なんだかわくわくしますね、こういうの」

 周囲には誰もいなかった筈だが、すぐ隣で男性の柔らかな声がした。これまで、ウェイグ本人を翻弄してきた張本人の声だ。聞き間違いではない。

「アレイグ様!?」

「こらこら、あまり大きな声を出すと見つかってしまいますよ?見られたらまずいのでしょう?」

 思わず大声で呼んでしまった。夢の中の存在が目の前に実体として見えていることも勿論驚くべき点なのだろうが、それよりも上半身(正確には肋骨から下が消失している)だけで浮遊していることの方がインパクトが強く、口がぽかんと開きっぱなしになってしまう。

「いや、えっ、その姿は……?」

「ああ、これですか?ようやく可視化できるほどに力が回復したので、無駄を削減したスタイルで出てきてみたのです」

 得意げにアレイグは胸を張るが、残念ながらケープのかかる部分から腕は出ておらず、その胸を拳が軽く叩かれることはなかった。

「可視化……って、それこそまずくない!?みんなびっくりしちゃうよ!?」

「しーっ。……大丈夫ですよ。今はまだ、あなたにしか姿も見えませんし声も聞こえませんから」

 アレイグは無邪気な子供のように笑顔を浮かべ、ウェイグの再び大きくなりかけた声を制する。

「それじゃまるで幽霊じゃ……」

「幽霊ですよ?厳密には死んだせいで霊体に近いだけですが」

「……?」

「ふふ、別に理解できなくとも支障はありませんよ」

 ウェイグが混乱気味になるのを他所に、アレイグはその不完全な可視状態で二人が隠れている周りをふよふよと浮遊して巡回した。そして、ふと、ぐるりと一周した辺りで、アレイグは訊く。

「あなたたちの移動に使った馬や荷物が見当たらないようですが」

「ああ、馬と荷物なら宿屋だよー。軍からの依頼を受けるときに使う、ずっと前から契約してる宿だから安心できるんだよねー。ここは、軍のテリトリーだから」

 そう言って、ウェイグは俯く。軍と騎士団の関係は、自分たち兄弟とよく似ていると改めて感じたのだ。どこで間違えたのか、ウェイグには分からない。何故、こちらが声を掛けると無視をするのだろう。どうして、ただ普通の兄弟として仲良くなれないのだろう。

「ルシア、まだかなぁ……」




一方その頃、ルシアは換気口を這い、資料や書物を保管している書庫を探していた。

 狭く埃っぽい空間に何度も噎せそうになった。咳をするのも、ましてやくしゃみをすることもできず、浅い呼吸を繰り返しては手当たり次第に探索している。姉のリリアとの他愛もない手紙のやり取りの中で断片的に仕入れていた本部の構造は、あながち間違いではなかった。多少の誤差も計算にいれても尚、いくつか調べる部屋は少なくなる。

 効率よく探していたせいか、次に覗いた部屋からは何やら騒がしい音がして、ここが目的地だとルシアは悟った。重厚な本が一気に落ちる音。若い女性の悲鳴。そして、その場にいたのであろう数名の足音。

 見守っていると、駆け寄った人々によって本の雪崩に巻き込まれた人物の顔がはっきりと見えた。リリアだ。ここが書庫で合っているのだろう。

 程無くして救助されたリリアは周囲の人間に会釈すると本を片付けて持ち場のカウンターに戻った。椅子に座り、埃を気にしてか他人が傍にいないのを良いことにフレアスカートの裾を軽く叩く。リリアの座っている場所は、ルシアが覗く換気口の真下。何か自分が来たことを、この換気口の僅かな隙間から落とせないものかとルシアら所持品を探る。だが、荷物は全て宿に置いてきてしまった。

 あと少し。あと少しなのに。

「……そうだ」

 ルシアは自分の髪を結う、銀の髪留めへ手を伸ばす。高く結わえていた髪は肩や背中に垂れた。多少の煩わしさはあるが仕方ない。

 手にした髪留めを換気口の隙間に宛がうと、するりと向こう側へ抜けてそのまま落下していった。かしゃり、と金属が鳴る音がする。ルシアはそっと眼下のリリアを見た。

「ルシアちゃん……!?」

 目が合った。息を飲むリリアにルシアはあまり目立つことをしないよう、唇に人差し指を添えて指示をする。少しの間、裏口の方に来るようにだけ伝え、ルシアは退散した。リリアも医務室に用がある、と他の職員に説明し、書庫を抜け出す。騎士団に入団してからは会話をする機会も無くなっていた最愛の妹からの呼び出しに、応えない訳がなかった。

 それから数分後、ルシアはウェイグのところへ戻って来たのだった。




「おまたせ」

 傷口に服の上から手を当てて待っていると、換気口から降りてきたルシアに肩を叩かれる。

「痛むの?」

「ううん、平気だよー。それで……どうだった?」

 ウェイグは手をひらひらと振って返答を待つ。いつほどいたのかルシアが一つに括っていた髪先は腰の辺りで揺れている。

「まだ分からない。お姉ちゃんと話したくても通気口の位置が高すぎてまともに会話なんてできそうじゃなかったの。だから、ここにお姉ちゃんを呼んだわ」

 ルシアが言い終わると同時に、裏口の錆びた扉が軋みながら開く。そこから、ハーフアップにした黒髪が特徴の淑やかな雰囲気を湛えた女性が現れた。

「ルシアちゃん、何かあったの?この子は?」

「彼がウェイグ。グレイヴの弟よ。……実は、リリアお姉ちゃんには頼みがあるの」

 自己紹介しようとウェイグが口を開きかけるが、ルシアはその必要はないと目配せをする。何か都合が悪いというよりは、さっき胸部を軽く押さえていたのを気にしているようだった。リリアは会釈と微笑みをウェイグに向け、ルシアとの会話に戻る。

「なあに?私にできることなら言って?」

 ルシアは頼みの綱であるリリアに、祈る思いで頼みを口にした。

「書庫に、入らせて」

「……駄目、いくらルシアちゃんのお願いでも」

 突如、リリアの顔は曇る。それはそうだろう。規則で定められているのだから。しかし、顔色を見る限りでは完全な否定ではないように見えた。本当は通してやりたい気持ちを抑えて答えた風だった。

「でも、私たちは確かめなくちゃいけないの。知らなくちゃいけないの。だから、退かないわ」

「ルシアちゃん……一体、何があったの?」

 ルシアの強い意思の宿る眼光にリリアはただならぬものを感じ、親身に聞こうという姿勢を見せる。理由を求められ、ルシアはこれまで自ら目の当たりにした凄惨な話を要約して話した。グレイヴやウェイグが神子であることも伏せ、ただ任務で騙されている可能性があることだけを上手く組み合わせてリリアへ伝える。リリアは口元を手で覆い、団員が全滅した下りで青ざめ、一通り聞き終えるとルシアとウェイグを抱き締めた。暖かな花畑の香りがした。

「よく頑張ったね。えらいね」

 やっと歩けるようになった子供を褒める調子で、リリアは二人の頭を撫でる。そして更に、妥協というよりは決意をした風に囁く。

「二人には特別に、秘密の方法教えてあげる」

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ラディンエルズ教会の鐘の音 桂川 環 @katsuragawa_tamaki

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