第3話

「だいぶ更けってきた……そろそろルシアに代わってもらおっかなー……ふわぁ……」

 予定よりも進行した位置でテントを張ったウェイグたち騎士団一行は、団員たちの体力を保つため団長が見張りをしていた。

月の位置から考えて、もう交代していい時間だろう。そう思ってルシアのいるテントに入ると彼女は既に騎士服に着替えていた。

「寝なかったのー?」

「ううん、今さっき起きたの。明日も早いしウェイグこそ寝なよ?」

「勿論。んじゃ、おやすみー」

「おやすみ……」

 ルシアが見張りに付くと、ウェイグは騎士服を脱いで寝袋に入り、やがて規則正しい寝息を立てて眠りについた。




 夢を、見た。

 多分、夢だったんだと思う。瞳を開くとそこはどこかの教会で、どうやら一番前の長椅子に横たわっていたらしい。祭壇と脆く崩れた壮大な彫刻が目の前にそびえ立っている。周りを見渡すも、誰か居るような気配は無い。どこの教会だろう。

 長椅子から起き上がると、気のせいだろうか、目の前の大きな彫刻に純白の光が集結しているように見えた。

 集まる光は幻覚ではなかったのか次第に膨らんでいき、暫くすると人型へと造形されていく。

 何者か分からない為、警戒しようと腰に帯剣している筈のレイピアに手をかけようとしたが、そこにレイピアは無かった。

「探し物はこれですか?」

 頭上から透き通った男性の声が聞こえ、上を見上げる。 自分と同じ透明感のある白髪に、兄と同じ深淵の闇のような黒髪での長い三つ編み――。

「アレイグ様!?」

 そう、光が造り出した者は紛れもないかつてこの国を治め、滅びてしまった神のアレイグ=ローヴァンだった。

 有り得ない。伝承通りの容姿ではあったが、 死んでいる筈の人物がいるのはやはり疑ってしまう。

「そうですよ。……このレイピアは、元々僕のものですので返してもらいますね」

無くなっていたレイピアは得意げにウインクしたアレイグの腰に帯剣されている。

「いつの間に……でも、それがないと任務が……」

 夢の中だけの出来事であり、現実にはちゃんと持っているなら別に構わないが、もし、目覚めた自分の腰にあのレイピアが無いとすれば今回の任務で戦えなくなってしまうので、正直困る。

 ところが、彼はにこやかな表情で首を振った。

「いいえ、ウェイグ、もうこんなものはあなたに必要ではありません。……代わりに僕の『理』と浄化能力の一部を授けましょう」

 そう言うなりアレイグは、突然の展開についていけない様子のウェイグに近付き、彼の胸元……心臓のある位置へ片手の平を添える。 少し強く押されたかと思えば、自分の心臓に何かが流れ込むような違和感が胸部に感じた。

「うっ……なに、したの……アレ、イグ……さま……」

 破裂してしまうのではないかという速度で鼓動が鳴り続け、死を覚悟した頃にその拍動は突然にローペースになり、冷や汗をかいた手を床に着く。ひび割れた床板はやたら現実味のあるざらざらとした感触で、かいた汗はささくれだらけの木目に吸い込まれていった。

「ちょっとしたおまじないです。……死を経験しないおまじない」

 死を経験しない? 言っている意味が分からない。 不死身とか、そんなものはこんなにも呆気なく手に入れられない筈だと、どこかで思っているからだろうか。

おそらく同時に付加された浄化能力より、おまじない、という表現に引っ掛かる。

「どういうこと?おれはどんな怪我をしても死なないの?」

「…少し違いますね。僕とて、一度滅んでいるのです。加えて、不安定でもある。 僕もそうしてあげたいのは山々なんですがね……あなたは『死なない』だけなんです。例え致命傷を受けても猛毒を盛られても……回復速度は常人と同じです。おまじないに過度な期待はするべきではありません」

 丁寧な説明を受け、ようやく自分がどうなったのかを理解できたような気がする。 要するに、死なないからって迂闊に行動することはやめておけ、そういう忠告だと受け取って問題ない筈。

 しかし、攻撃手段がなければ職業上辛いのは変わらない。会話の流れからして、今まで愛用していたレイピアを返してくれる様子もない。 これでは一方的に攻撃を受けるばかりである。例え、騎士団に配布される武器を使うにしても、慣れるのに数週間はかかる。

「大丈夫ですよ、あなたには僕の浄化能力を複写しましたから。 武器がなくとも皆さんを守れます。 あなたに害を与えようとする者には心を清らかにして触れてあげることです。 そうすれば、その者から悪意や狂気などが消え去り、正常に落ち着きを取り戻すことでしょう」

 アレイグはまるで心を読んだかのような説明を入れれば、小さな子供に説くように(あながち間違いではない容姿だが)目線を合わせて頭を撫でて微笑んだ。

「……そろそろ、起床の頃合いでしょう。僕はいつでもあなたの傍にいますよ」

 撫でていた手を離されると、アレイグの身体が 透けていき…気がつけば自分の意識も遠退いていた。




「………ぃぐ」

 誰かの聞き覚えのある声がする。

「ウェ……イグ……!」

 ルシアの声がする。何をしていたのか朦朧としつつ、未だ微睡みからウェイグは抜け出せない。

「起きてってば!!」

 げしっ。

 腹部、というより鳩尾に何か硬い角ばったものがめり込む。

「ぅぐっ!?」

「ったく、団長なんだから早起きぐらいしなさいよ!もうみんなは準備できてるんだから!!」

 目を開けて見るとルシアがブーツを履いた足でウェイグを踏みつけており、開いたテントの入り口からは隊員達の温かな眼差しがちらほらとあった。

『気持ち良さそうに寝ていたから起こせなかった』

 言わなくても伝わってくるいらないお世話。おかげで威厳なんてものはまた減っただろう。

 ルシアが踵を返して足を退ければ鳩尾をさすりながら一通りの身支度をし、出発の為に用意された馬に跨がった。

 あの夢の後、レイピアはきっちり無くなっている。 いまだにただの夢としか思えないが、こうなってしまえば信じるしかない。

全く、先が思いやられてしまう。





 穏やかな日差しが窓から降り注ぐ午後、サンドリア王国軍はいつものように情報管理や日々の生活に役立つ発明などに勤しんでいた。

 王国の政治に大きく関係しているその軍の中で、ウェイグの兄ことグレイヴ=ローヴァンは、戦闘・情報部隊中佐として所属している。 今は仕事が一段落ついたらしくお気に入りの場所へと赴いていた。

 とっくに大佐になれるほどの力を持っているにも関わらず中佐に自らの意思で居続けるところに軍の者からは底知れない、何か企んでいるに違いない危険人物として恐れられ、彼に近くを通られた者は、ただならぬ触れてはならないオーラに気圧されたように震えて逃げ隠れるぐらいだった。

 なので、彼が暇になる時間には彼のお気に入りの場所は当然のごとく誰も居ない。 だいたいの自分のスケジュールを周りは把握して勝手に去っていってく。独りが好きな彼にとっては好都合だったが。

 しかし、寮から持ってきたケーキの入った箱を表情筋を微動だにせず上機嫌で運んでいると、 彼はお気に入りの場所にてあり得ないものを目の当たりにしてしまった。

「まあ、こんにちは。貴方は……上層部の方かしら……?」

 彼のお気に入りの場所であるテラスのベンチには見たことのない若い女性が腰掛けていたのだ。 自分のテリトリーに他人は踏み入らないと心のどこかで決め付けていたのもあり、何と反応すべきか躊躇う。  彼女の反応からすると、まだ内部について詳しくない新入り……そう推測するのが妥当か。

「私が言うのもなんですが……そうですよ。これからお茶をしようとここに訪れたのですが……」

 それにしても、何故他の者たちは彼女に自分の存在を報せなかったのだろう。 あれ程避けているくせに新入りに話さないのは不自然な気がする。

「あらあら、もしかして、貴方がグレイヴ中佐? ここがお気に入りだと噂で聞いていましたが他の方たちがあまりにも怯えていたのでどれほど強面なのかと思えば……強面どころか綺麗な容姿でびっくりしました」

 知っていてこの態度だったとは。 彼女はどこか他人より抜けているのだろう。そうでないなら彼女は少し頭が足りないのかもしれない。 退いてくれるような雰囲気がないので、仕方なく他のベンチに座って居ないものとして扱おうとした。

 だが、その程度では振り切れていなかったらしい。 彼女は好奇心旺盛な眼差しをしてグレイヴの傍に近付いてきた。

 自分以外ここには居ないと言い聞かせてケーキの箱を開けるグレイヴ。手元のケーキと彼を見比べるなり話しかけてくる彼女。

「少し、黙っていただけますかね?」

 言わずにはいられなかった。 彼女の態度がどこか自分の弟と重なったからかもしれない。 汚れた社会を知らないような仕草と瞳がそう思わせるのだろうか。

「あ、すみません……迷惑でしたか? なんだか、ルシアちゃんからの手紙で酷く中傷されていたものだから……自分で接してどんな人か知りたかったんです」

 ルシア。 そういえば、前の騎士団長任命式でそんな名前の少女が出来損ないの弟と肩を並べて式の中心に居た気がする。  祝いの言葉を悪態で返した失礼な少女となんらかの関係があるらしい彼女に(彼女はけして何も悪くないが)むっとした顔を向けると、彼女は申し訳なさそうに苦笑した。

「あの子のこと、嫌いにならないでください。 あの子は直感で判断をするクセがあるだけ で……」

 フォローしようとしたのだろうが、全くフォローになっていない。 まるで昔からルシアを知っているような口振りからして、彼女はルシアの家族かあるいは幼馴 染みの親友かもしれない。 家族だとしたらルシアに比べて遥かに大人しそうではあるが似ているような気がする。

「ええ、もちろん。嫌いにはなりませんよ。私の弟の同僚ですし」

 必死にルシアが悪い子じゃないと庇う彼女に建前の微笑みを添えて言うと、彼女は顔を赤らめた。 なんなんだ、こいつは。 内心の呆れを悟られぬように、黙々とケーキを口に運ぶ。唯一の楽しみである名店のケーキだというのに今日は味を感じない。食べ終わったケーキのゴミを片付けているとテラスを出る手前でまた話しかけられた。

「あのっ、私、リリア=バトラーと申します!新しく書庫管理の仕事に就いたばっかりですが宜しくお願いします!良かったら書庫に私用でも立ち寄ってくださいっ」

 どうやら、かなり面倒な人物に好かれてしまったらしい。 ぱたん、とテラスの扉を閉め、グレイヴは仕事へと倦怠感と共に赴いた。





 何事もなく村に辿り着いた騎士団一行は、団長であるウェイグとルシアの指示で、依頼主が手配していた宿屋に向かっていき、団長の二人は村の入り口に残った。 おかしなことに、辺りからまるで人の気配が感じられない。

 破れたカーテン。すきま風が吹き込むぐらいにボロボロの家屋。空っぽの馬小屋。渇れ井戸。 何より人の声が全く聞こえない。砂埃が吹き荒んでいる。 この分だと宿屋も怪しい。もはやゴーストタウ ンになっているのではなかろうか。

 軍部の連絡との違いに呆然としていると、 ウェイグの右手をぐいっとルシアが引っ張ってきた。

「ぼさっとしない!依頼主に会いに行くわよ」

「あ、うん……」

 依頼主は確か、この村の先の丘に住んでいる。 せめて依頼主には居てもらわねば、捜査の仕様もない上に問題の解決もおそらく不可能だ。 嫌な汗が背中を伝う。 なんとなく、今回の仕事に身の危険があるような気がしてぞくぞくする。 ただの不安で留まってくれればいいのだが。

 道々を歩いていると、先ほど送り出した団員の数名が馬を走らせて戻ってきた。

「団長!!この先は危険です!!団員の半数が今回の問題の原因と思われる魔物を食い止めています!!一先ず安全な区域まで退避しましょう!!」

 何があったかなど、今は訊けそうにない。 ウェイグとルシアは即座に団員が連れてきた馬に股がり、村の先の丘を目指す。 丘の上の家の背面は崖なので、守備範囲が狭くとも対応ができる。

 馬に鞭を打ち、最速で丘まで駈け上がり後を振り返る。 遥か後方に拡散しつつも此方に向かってきている集団は、きっと自分たち騎士団の団員に違いない。 敵がいつ来ても対応できるよう、今いるメン バーを依頼人の家宅の周りに配置し、残りの団員を待つ。 救護の心得のある者を後衛に、戦いに自信がある者を前衛に。 そして、団長である俺とルシアは前衛の更にその前へと踏み出す。 帰ってきた団員たちはいずれも負傷者ばかりで、まともに戦える人員はその中で十数人程度。 だが、引くわけにはいかない。皆、その覚悟の下互いの背中を預けているのだ。 負傷した団員を内側に招き入れ、後衛に手当てをさせ、辺りの警戒を強める。

 実際に戦闘をした団員曰く、今回の問題の原因となったのは魔物であるゴブリンの仕業らしい。 この地域のゴブリンは、人間の幼児ほどの低身長の魔物で、魔物の中では弱い部類に入る。その上、比較的穏やかな性格な者が多く、使役魔法が使える者に従うこともしばしばあるが、間違っても人間を……しかも鍛え上げられた団員をここまで傷付けられる訳がない。

「団長、いつものレイピアはどうなさったのですか……?」

 真後ろで構えていた団員が、ウェイグの腰を指差す。 他の団員も気になっていたのか一気に視線がこちらに集中する。

「ああ、あれ、借り物だったんだ。だから一時的に返してて武器なんて一個もないよ」

「えぇ!?」

 驚きにざわめく一同。 ルシアもらしくない顔で唖然としているのが見てとれる。

「詳しい経緯はまたいつか。今は目の前の敵に気を張らなきゃ」

 狼狽える団員の気を纏めるべく、後ろ手に制止をかける。 敵、と言ってしまったが、理由なく魔物を殺めることはサンドリア王国の法律に違反する。 それが一般人の正当防衛ならまだしも、おれら騎士団が報酬という私利私欲の為とならば重罪だ。 今回のようなケースは異例故、真実を語っても何らかの罪は着せられる。 この場の誰もがそれを承知で剣を構え、殺さぬようにと身構えているのだ。 さっそく、アレイグ様から頂いた『浄化能力』 とやらが本領発揮してくれるときが来たのかもしれない。額から緊張の雫が滴り落ちる。

「ウェイグ団長!!あいつらです!!」

 何語か分からぬ掛け声をする集団を指差し、団員は声を張った。ゴブリン達の数はざっと見て三十を少し上回るぐらい。 数ならウェイグたちの方が今は多く、勝ち目は此方に向いていると言ってもいいだろう。 しかし、ゴブリン達の様子は明らかにおかしかった。 此方に近付くに連れてはっきりとそう認識できたのだが、彼らの動きは操り人形のように不自然すぎる。 何処と無く、瞳に光が失せているようにも見え、正常では無いことがすぐに分かった。ルシアも何かを感じ取ったようで、握っていた片手剣を峰打ちにするためにカチャリと向きを変え、前方のゴブリン達の行動を見計らっている。

 ゴブリンの集団はがらくたに近い武器を慣れな い戦闘体勢で持ち、一斉にこちらへ駆け込んできた。 ウェイグも動き出そうと一歩踏み出したが、不意に肩を掴まれ、後ろに退かされた。 自分の身を案じた団員かと思い鬱陶しげに手を感じた場所を払ったが、ウェイグの手は空を切ることとなり、ある筈のぶつかる感覚がない。あまりにも不審な出来事に振り返ると、肩に手を置いていた人物が目に入った。 今朝、夢に出てきた人物。レイピアを笑顔で奪っておきながら何故か憎めない神。 半透明に透けた身体はウェイグの身体を包むように背後に立ち、肩に乗せていた手を滑らせて手首をそっと掴む。

『力を使うのでしょう?使い方、今回だけは教えます。さあ、手始めに気持ちを落ち着かせてください――』

 団員にもルシアにも聞こえていないらしい言葉に頷き、深呼吸で昂った意識を鎮め、前を見据える。 ウェイグの後ろにいたアレイグが何かの短い詠唱をウェイグの耳に優しく吹き込むと、突如としてウェイグの頭は真っ白になった。 何も考えられない。心が無くなったかのようだった。 ぼんやりとしたウェイグの手に、アレイグの半透明の手が溶け込む。 あり得ない状況にも驚くことができないまま、 身体は自分の意志と関係無しに動き出す。 馬を降り、地を蹴って、ゴブリンの集団へ。 襲いかかるゴブリンたちの頭部へ次々に手を触れさせる。 その手は白い光を帯びて、ゴブリンの頭部から全体を覆って行く。 たった数秒でゴブリンの集団は動きを止めた。 ウェイグが触れたゴブリンたちは皆、揃いも揃って気絶したのだ。 自分でも何が起きたのか全く把握出来ず、漸く戻ってきた感情を込めてアレイグに視線を向ける。

『心配しなくても、彼らは生きていますよ。ただ元通りにしただけですから』

 すっ、とアレイグはウェイグの身体から離れ、目の前まで移動すると身長が低い俺と視線を合わせて状況を簡単に説明した。

彼の説明によると、始めにウェイグの心から雑念を取り払い比較的に綺麗な心にし、空っぽの心に闇の浄化の力を蓄えさせ、浄化の力である光の魔力を両手に流させることで闇の魔力で操られていたゴブリンたちを正気に戻したのだそうだ。 あのまま突っ込んで行けばなんとかなると考えていた自分からすればとてもありがたい実習であった。嘆息するアレイグに感謝しなければ。

「ウェイグ団長……今、いったい何を…?」

 近くにいた団員は、初めて怯えを含んだ声音でおれを見下ろす。 まるで、化け物を見るような視線。 ルシアでさえも戸惑いが表情に表れており、危機が去った後だというのに穏やかさがまるでない。 団員とルシアの視線が刺すように俺に集中する。

「な、なんか分からないけど魔法……使えたみたい?ははは……」

 魔法の才が無い者が剣の道を極める為に属しているような騎士団で団長を務めているウェイグがそう誤魔化しても誰も信じないことは火を見るより明らかであった。 硬直していた仲間の中で一番先に動いたのはルシアだった。半透明に透けたアレイグはウェイグから距離を空けた場所で見守り、ルシアに胸ぐらを掴まれた俺を助けてくれそうにない。

「………後でみっちり聞かせてもらうから。騎士団の士気を下げるような嘘、吐かないでよね」

「はっ、はいぃぃっ!!」

 あまりの迫力に声を裏返し返答すると、ルシアは突き放すように手を離し、団員たちにも後に話すよう念を押された。 話すとしたら夜の騎士団の修練場が適所だろう。あそこなら関係する団員以外には立ち入らない筈だ。幸い、ウェイグとルシアが率いる団員の中に口が軽い者は存在しない。

 団員たちもまだ怪訝な表情を浮かべていたが、 ひとまず納得したようで、追及する雰囲気が薄れる。

 気絶しているゴブリンたちを放置するなどできず、足元で気を失っていたゴブリンを揺すると、光が戻った丸い瞳がこちらに向けられきゅっとシワを作りながら細まった。 ルシアも他のゴブリンたちに声をかけ、助け起こす。 彼らの表情を見る限りではとても窃盗を行ったようには見えない。ここに来た理由でもあるが、詳しい話を依頼人に聞くため団員を依頼人の屋敷に送った。しかし、誰も帰ってこなかった。 大勢で向かわせたというのに一人も報せに来ないなど異変があったと誇張されているものである。 ゴブリンたちの看病もそこそこにルシアと視線で頷き合うと、依頼人の屋敷へ緊張を纏って向かった。

 木製のところどころ虫食いの目立つ屋敷の扉を開くと、埃っぽい空気がウェイグとルシアを包む。思わず咳き込みそうなほどの埃は建物内を灰色に染め、ついさっきまでは平らの床に積もってい たらしい場所には複数の真新しい足跡が残っている。この足跡はウェイグとルシアが向かわせた部下のもので間違いないだろう。 一歩踏み出すだけでももわっと舞う埃に顔をしかめつつ、足跡の方角を目指していると、ある名前表記のある部屋で足跡が途切れた。

そこには、今回の依頼人の名前が札で掛けられていた。 大人数の足跡もこの先に続いている。だが、とても会話しているとは思えないほど静かで、耳を澄ましても武器が出す金属音や装備品の擦れ合う音すらしない。いったい、この扉の先で何が起きたのだろうか。 ルシアも扉に耳をそばだてていたが、やはり何の音も拾えなかったらしい。目配せで警戒するよう告げられる。 悲しいが、今回は依頼人が騎士団及び軍を騙す、稀にあるパターン、依頼人も既に亡くなっているパターンに絞られた。 扉の先に居るかもしれぬ敵に備え、先程アレイグと一緒に戦った感覚を思い出す。 心を真っ白に、邪気を浄化するイメージを持っ て。

 徐々に両手に灯る白い光は自力で力を引き出したせいか初めてのあの時よりも弱々しい。空虚な今の心では不安を抱くことはなかったが、効力がなければ足手まといになる。いくら騎士団長のルシアでも荷物を背負って戦うのはリスクが高い。もしもの場合は死なないらしいこの身体で楯になり、ルシアを逃がす覚悟を決め、ウェイグはドアを全力で蹴破った。

 目の前には、受け入れたくない現実が広がっていた。 依頼人と思われる人物、騎士団の部下が血も流さずに息を引き取っている。たった一人の、可視できる暗黒のオーラを纏う者を除いて。 オーラを纏っていたのはこの依頼に出向く際にルシアの機嫌を直そうと尽くしたあの団員。あまりの驚愕にウェイグの浄化の力も揺らいで発光が収まってしまう。

 何が起きているのか、状況が飲み込めない。 騎士団には魔法を扱える者が居ない筈。入団時に確認される為、間違いない。ならどうして、今目の前にいる女騎士はこんなに冷たく黒い具現化した闇を従えているのだろうか。

 狼狽えるウェイグとルシアに振り向いた女騎士は、振り向くと同時に笑みを湛える。その瞳は昏く、深く、虚ろであった。女騎士の回りを浮遊していた闇は彼女が携帯していた飾り気の無い支給用の両刃剣に吸い込まれ、やがて黒剣へと成り果てる。辺りのじめじめとした雰囲気は更に悪化した。

「来る……!!」

「ルシア!!」

 正面から駆け込み、真っ向勝負に出たルシアも事態の収集が追い付かないのだろう。 彼女は勝ち気でお世辞にも頭が良いとは言えないものの、こんな無茶な行動に出たことはな い。彼女もウェイグと同じく気が動転しているのだ。

 突っ込んで行ったルシアは、ウェイグの目の前で首を締め上げられもがき苦しんだ。一秒にも満たない時間で起きた出来事に助けようとしたウェイグの足が止まる。床と靴の裏に磁石でもついているかのように足が動かない。

 情けないが、ウェイグの足は竦んでいた。

 だんだんと力を失い、鈍くもがくルシア。 ウェイグはまた、周囲に転がる団員たちと同じくルシアを救えないのだろうか。

 悩む暇など、今はない。 死なないならば楯になると決めたのだ。

「うぉおお!!」

 雄叫びで自らを鼓舞しつつ女騎士に飛び掛かると、バランスを崩した女騎士はルシアを手放した。足元から倒れそうになったルシアを支え、前方へ視線を走らせる。どう見ても正気の沙汰ではない様子を窺っていると、女騎士は再びルシア に狙いを定め、剣を中段に構えて突進してきた。

 ようやく自力で立てるほどに回復したルシアに対応は不可能。咄嗟に、ルシアを突き飛ばしていた。

 冷徹に貫いた剣は弾ける赭に染まり。

 胸部に感じる、じわじわとした痛み。温かいような、冷たいような、形容できない部位が身体に現れる。 口に広がる鉄の味は著しく込み上げ、飲み込めずに口から垂れる。どろっとして気持ち悪い。

 死なないおまじない。

 頼みの綱であるそれが発揮されることを期待して、ウェイグは女騎士と至近距離で睨み合う。

「君……分かって、るよね……こんなことして……ただで済むと思、わない…でよ……っ!!」

「ひっ…ぎ、がああ!!」

 心臓の痛みに胸を押さえて血が着いてしまった手で女騎士の肩に触れると、叫び――断末魔を上げながら、女騎士は必死に俺の手を払おうとする。

 血を流しすぎただろうか。もう、前が見えない。 死なないなんてこの血のように真っ赤な嘘だったのだろうか。

 ウェイグが最後に見届けたのは、ウェイグの血を刃に塗り、女騎士に斬りかかるルシアの姿ただひとつだった。





「へぇー、あんたなかなか上手いんだな?伊達に魔法だけで中佐にいる訳じゃないんだ」

 背後から聞こえる、見下していたことをちらつかせる声。 いつからだったか。この『影』はずっとグレイヴの背後に付きまとっている。

 誰にも見えず、誰にも聞こえない。

 故に、グレイヴが働くこの資料室にいる上司、同期、 部下…誰にも『影』のことは知られていなかった。 勤務時間だというのに話しかけてくる『影』は先程から楽しげに話しかけてくる為、正直鬱陶しい。

 彼が愉快そうに話す理由はひとつ。グレイヴの魔法で実の弟の力を調べているからだ。

『アレイグ=ローヴァンがついに動き出した』

 ある日、彼がそうグレイヴに囁いた。彼の頼みはアレイグがウェイグに与えた能力の調査。又、これから与えられるであろう能力の阻止。勿論、ボランティアで動くほど自分は安くない。彼が提唱した報酬は『与えられる筈だったもの』だと言ったから自分はこうして彼の頼みをきいてやっている。

 あいつがいなければ、あいつが生まれてくる運命さえなければ。少なくとも自分は『純粋な絶望』ではなかったのだ。

 もちろん、影の言葉を完全に信じている訳ではない。しかし、にわかに嘘とは言えないだけだ。幼き日、『影』は自分に教えてくれたのだ。

『お前が愛されないのは弟が希望を継いだからだ』と。

 家族からも使用人からも、他の同世代の貴族からも嫌悪され、忌まわしげに扱われた過去は弟を憎むには充分すぎていて。 あの日からグレイヴは弟が嫌いになった。 元から苦手ではあったが、純粋な瞳、華奢な身体、女児に近い顔つき、明るく人懐っこい性格、態度。どれもがグレイヴの怒りを駆り立てる。

「あー、こりゃあやられたな。あいつ、お前の弟に『不死』と『光』の理を与えやがった」

 賭け事に負けた愚民のような、さも残念そうな声色を出す『影』は半透明に透けた魔法で造形したモニターをグレイヴに見せる。眼前にだされたのでは見るしかあるまい。

 モニターの中を仕方なく見れば自分の魔力で操っている女騎士に刺された弟は恨めしそうに視線を走らせて、倒れ伏せている。不死かどうかは分からないが……光の力は確かなのか女騎士は弟の血液に悶えて苦しがっていて、それがリアルタイムの出来事であるのを裏付けるように心臓に痛みが迸る。

 操作魔術の代償とも言われる痛みは徐々に広がり、モニター上に映るルシアが女騎士を刺し殺すと心臓に穴が開いたような空洞感さえ現れた。

 思わず呻き声を漏らす程の激痛を取り払う為、やむを得ずグレイヴは女騎士の操作を解除し、胸部を押さえた。 職場の者からはおっかない物を見る目で注目を浴びてしまったが、痛みが引くと共に睨み付けると慌てたようにそれらの視線は外れていく。 額にかいた脂汗をハンカチで拭うなり、深呼吸をする。感じていた空洞感は晴れ、いつも通りの体調に戻った。

「いやはや、さっすが中佐ともなればやることが違いますねー。完全に死ぬ前にリンクを切るとはなかなかの傑作だ。お前みたいな奴が相棒である意味良かったぜ」

 心で微塵も思っていない賛辞を述べる『影』は、腹を抱えて笑い、拍手も含めた雑音をグレイヴの傍で奏でる。モニターに映る女騎士は自我を取り戻したのか、崩れ、横たわるとルシアの足首にすがって言葉も発せぬまま死に旅立つ。

 随分に残忍なリンクの切り方だったかもしれないが、痛みがなかったとしてもあのタイミングで切らなければ自分も道連れになるところだったのだ。人を操るということはリスクを背負わねばできない、そう暗示させるようなこの魔法は術者にも感覚が通ずるようにできている。 元々操作魔法は専門外なのだが、自分がその場に立てない以上代わりになる魔法で同じことをするしかない。

「なんだよなんだよ、怒んなよ。からかわれたくなかったか? まあ、こんくらいできなきゃな。俺の魔力を直系で引き継いだ天才君?」

 影は上半身のみの姿で浮遊し、モニターを一撫でして消し去るとグレイヴの耳朶、顎、首筋を白く滑らかな指先で形を描く。影、と呼んでいては合わないほど彼は白に包まれているのだが、着ている修道服や髪色、肌の色を抜きにして、彼は存在が『影』なのだ。

 一度だけ、聞いたことがある。『影』の名前を。 確か、名前は――セレネ。

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