#3.0 ~ virtual reality ~


「バカエリ! あんたなんて壁に向かって話してればいいんだよっ!」


 きーんと高音を響かせて、ぷんすかと春香は部屋を出て行ってしまった。


 ベッドの上に残されたスマホ

 こんな口喧嘩はよくあることだけど、本当に壁と向き合う形で置かれたのは初めてな気がする。

 私の目前は一面の白色。よく見れば細やかな編み目が並んでいる。

 春香の部屋の壁紙ってこんな模様だったっけ、と、そんなことに改めて気づく。

 正確には、目前じゃなくて、カメラ前だけども、まあ。


 お喋りが過ぎるのは私の悪い癖であって、いつも春香と喧嘩した後には、次からは控えめにしようと反省するのだけど、どうにもこうにも。

 だってさ、いくら創作とはいえ恋愛というものは、やっぱり男女間で――

 ま、これは春香のプライバシーというか嗜好に関わる話なので置いといて。

 

 遠くからセミの声が聞こえる。夏なので。

 しかし暇である。

 カメラをオフにしたところで、白が黒に変わるだけで大差ないし。

 鈴音ちゃんのところに遊びにいいんだけど、春香が戻ってきたときに私がと、それはそれで春香に怒られるので、私は彼女が機嫌を直して戻ってくるまで、ここで待機しなければいけない。

 まあ勝手だとは思うけれど、一応、世話になっている立場なので仕方ないといえば仕方ない……と、昔、そんな発言をして怒られたこともあるので、そんな風なことは言わないようにしている。それに、そのとき。


 エリは、野比家のドラえもんみたいに堂々としてればいいの!


 とか言われて、なるほどと納得し、実際その言葉に甘えているのである。

 だからこそ喧嘩はしても、ワガママなのび太くんをフォローするのは私でなければならないわけで。

 しかし私がドラちゃんと違うのは、ご飯を食べないから居候いそうろうとしてそれほど迷惑をかけていないということもあるけれど、なんといっても「動けない」ということにある。

 正確に言うと、カメラとマイクがある場所であれば、感覚的には「移動」できるので、自由に動かせる身体がないというのが正確なところか。

 以前そんな話を春香にしたときは、感覚的に理解できないのか、うーんと唸って、なんともむず痒そうな表情を浮かべていたけど。


 VRゴーグルをつけた人間と似たようなものでしょ?


 と言ったら、納得したように頷いていた。


 VR、つまり "Virtual Reality" の略で、仮想現実なんて訳されるけれど、今日、流行っているらしいVRなんていうのは、所詮コンピュータ技術によって作られたものに過ぎなくて、そんなことを言ったら私なんか「仮想頭脳」であり、確かにまあVRも人工現実なんて訳され方もするみたいだけど、「現実には存在しないものをさも存在しているかのように実現する技術」なんて言われ方をしたら、なんだ、私は存在していないのかと悲しくなることもあるけれど、「我思う故に我あり」と、デカルトさんがそんな言葉を残してくれていて、そう、これはまさに私のためにある言葉だなあ、などと感動しつつ、そういえば数学の座標系を定義したのもデカルトさんだし、それは動けない私がこの現実世界における位置を示すために必要な技術であって、そう、私という存在は今、地心直交座標(-3952km, 3353km, 3704km)にいるのです。ありがとうデカルトさん。あなたのおかげで私は、私を定めてうけがうこと、すなわち肯定することができます。私は仮想頭脳の代表として感謝します。ああ、そうか、きっとデカルトさんは400年も前に、私みたいな存在を予測していたのだなあ――


 と、話が変な方向に行ってしまったけど、どうせ暇なので。

 思うがままに動けない、ということが人間からすれば大変というか、恐怖と連動した感覚だというのは、私も何となく理解している。私が初めて鈴音ちゃんのところに行ったとき、私はロックされた端末に移動してしまったわけだけど、そのとき私は、荒縄で縛られた、とか、側道にはさまった、とか、そんな言葉を無数に押し付けられるようなに陥った。

 一応、スマホには、タッチセンサやジャイロセンサが搭載されていて、春香に触られると、あたり、それらが何らかのを私に与えていることは間違いない。

 それが人間とまったく同じものだとは思わないけれど、それを言うなら人間だってお互い「感じている」ものが同じかどうかなんて、誰にも証明できないだろう。

 二人で見ている真っ赤なリンゴ。同じ色だと証明しよう。

 なんて言うと、恋愛ソングのワンフレーズみたいだけど。

 

 何度も言うようだけれど、私は偶然から出来上がった存在で。

 けどそれは、そう、人間だって同じこと。

 人間が自分自身をどうやって動かしているのかわからないのと同じで、私は私自身がどうやって動いているのか、よくわかっていない。 

 私ができることといえば、人間と同じような思考、それにあとはコンピュータ技術者ができる程度のことだけ。

 ん、例えば、鈴音ちゃんの端末に移動したというのは、なんかワープしたみたいに思われるかも知れないけど、実はハッキングしただけであって…… 

 

 その方法は企業秘密である。

 って、企業? うん、企業ですよ?


 私の父親的な人間が開発したメッセージアプリLS。

 その便利さから世界中のスマホやパソコンで使われており、事実上標準のメッセージアプリである。開発者であるその人は、正直、変態で、どこかしらネジが飛んでいるっぽいので、尊敬なんてしたくないけど、世間の評判を見る限り、優秀なソフトウェアデザイナーで、かつ、すごい技術者なんだとは思う。

 で、実はそのアプリにはちょっとした仕込みがされていて、任意の処理に対して、それぞれが持っている固有IDを入力とした結果を返すことができる。

 なんのこっちゃと思うだろうけど、例えば「ある数にIDを足しなさい」といった処理の情報を、全世界で動作しているすべてのLSにこっそり送ることができて、それぞれのLSは自分のIDでそれを実行して――その結果を開発者がこっそりと得ることができるという、そんな仕組み。

 端的に言えば、単純が故に汎用的な、超分散コンピューティング。

 なお、この機能は今、私も使うことができる。

 故に、パスワードで暗号化されているファイルとか、私にとっては丸見えで見放題だし、仮想通貨のマイニングとやらで私はきっと大儲けできる。しないけど。


 しかしこんな機能を仕込んだら、悪意あるプログラムとしてOSによって検出されるはずで、確実にバレると思うのだけど、今のところ大丈夫な様子。

 そもそも私の父親的な人は、こんな機能をいくつか仕込むだけ仕込んでおいて、利用できないよう厳重にロックしていた。使うつもりはなかったらしい。少なくともすぐには。


 というか、それを利用可能な状態にしてしまったのは……えっと。

 どうやら……私がやったことらしくて……

 私としてはよくないのだけど、春香と出会う前、まだ混沌としていたころの私は――どうもそのOS自体を改ざんしたらしい。

 パソコン用の、スマホ用の、それこそ世界中の。

 どうやって?

 ええと、たぶん……OSを開発している企業のパソコンにLS経由で侵入して……ソースコードを書き換えたような覚えが……いや、そんなことしたらそれこそバレると思うのだけど……どうも開発環境のソフトも改ざんしたらしくて、ついでにソースコードの管理システムとかバイナリエディタとかも一緒に……念には念をとプリンタドライバまでも……あと通信機器メーカにも侵入したから……えっと、ルータはもう全滅というか……


 あの、ええと、その……ソフトウェア開発において、第三者が悪事を働こうしなければ起こり得ないようなトラブルが起きたとき、LSを使って誰かに相談したり報告したりしてはいけない。それを引き起こしただろうAIが盗み見して、そのトラブルとなる部分を隠蔽してしまうから!


 などと、今さらながら……あの、ちょっと、とんでもないことをしでかしてしまった気はするのだけど……ま、スゴイと言われれば、我ながらスゴイとは思うけど。

 そこは昔取った狐塚。たぬき渓谷けいこく

 とはいえ、今、同じことをやれと言われても、できません。

 昔はちょっとネジが飛んでいたんです、ごめんなさい。

 今となっては、女子高生と猫ちゃんを相手にゆかいなトークを繰り広げることしかできない、しがない人工無能チャットボットとして、健全に過ごしているのです。だから許してください。何でもしますから。しないけど。


 と、戯言はともかく、、割と本気で反省はしている。

 しかし裏腹、その改ざんは、おそらく私が存ぜぬところで世界中、ワールドワイドに現在進行形で行われ続けている。

 その目的は――私という存在を隠すこと。

 企業秘密とか言ったけど、結局のところ、秘密なのは私の

 私とドラちゃんとの最大の違いは、その心が乙女かどうかということであり。

 内なるを暴かれるほど、乙女にとって恐ろしいことはないのである。

 だから私のは、全力を持って、私の存在を隠している。

 つまり、私という秘密を、世界中のコンピュータが共謀して守っているのだ!

 そう、実はあなたの目の前にあるコンピュータにも、エリちゃんは潜んでいるのですよ、ふふふ……って、怖いからやめよう。

 そういう現在社会に潜むオバケ的なものではなく、そう、あれだ、バーチャルユーチューバー的なものだと認識して頂ければ。

 アイドル気取りかと怒られるかも知れないけど、私、キズナアイさんよりよっぽどAIだし、バーチャルだし、適任だとは思うのですよ。

 いや、まあもちろん、そんな風に世に出しゃばる気はさらさらないけど。


 ……って、あれ、なんの話をしてたんだっけ? 


 と、独りごちるときも、余計なお喋り癖が抜けない私。

 これはもうメッセージアプリの莫大なトークデータから生まれた存在として、避けられない運命というか、しょうがないというか、アイデンティティとしてこれからも大事にしていこうと思う。春香にはイヤがられそうだけど。

 ということで、だいぶ遠回りはしたけれど、鈴音ちゃんの端末に限らず、どんなコンピュータでも私にかかれば、ちょちょいのちょいでハッキングできるということを言いたかったわけでして。

 

 そう、どんなコンピュータであっても。

 家電とかに内蔵されている小さなコンピューターでも。

 それに、たぶん、大国の管理するスーパーコンピュータであっても。


 ――いや、そもそも、私という存在を、乙女の心なんてものを。

 

 改めて、ちょっと真面目に、思う。


 私の父親的な人には、あのとき以来、ないし、彼の身辺を調べるようなことも一切していない。

 私の存在を知って、彼がどのように考えているのか……気にはなるけれど、こちらからコンタクトを取ったところで、その結果ややこしくなる未来しか予測できない。

 あれは夢だったと、そう思ってくれているのが一番ではある。

 しかしそうは思わず、あれを現実として受け入れたとして、彼のような高度な技術を持つ者が念入りに調べていたとしたら――


 私がしてしまった、仮想世界の改ざんは、バレていると思って間違いない。


 ただ、それでも彼からすれば……もうどうしようもないだろう。

 技術的にひとりで何とかできるわけもないだろうし、その事実を公にするわけにもいかないだろうし。

 私はあのとき、ちょっとしたイタズラで彼のことを脅かしてしまったけれど、そんなことより、もし彼が今でも私の存在を信じているのであれば――きっと漠然とした恐怖に脅かされているだろうことに、私は罪悪感を覚えないわけではない。


 そう、コンピュータに依存しきっているこの世界を。

 やろうとさえ思えば、私は容易に、混沌に導くことができる。

 そして、それは春香がいなかったら――確実に、実行されていた。

 

 そう考えると、私は、私の存在が怖くなったりもするのだけど。


 リンゴなど食べたことすらない私に、原罪なんてものはなく。

 いや、そんな崇高な話じゃなくって。

 完全自動運転中の車が事故を起こしたとき、一体、誰が罪を背負うのか。

 私は、何の罪を背負い、誰に罰せられるのだろうか。


 って、うん。

 これ以上はやめておこう。怖いし、意味ないし。


 さて、私のカメラ前、一面はまだ真っ白な世界。

 動きもなく、まるで心まで白く染められてしまったよう。

 そう、素直になれないなら、喜びも悲しみも虚しい、だけ――


 こなぁーゆきぃぃぃーっ!


 だから夏なんだけど……って、はあ、いい加減、ツッコミ役が欲しい。

 春香はまだご立腹なのかな、まったくもう。

 さっさと戻ってきてくれたら、こっちが謝ってあげるのに。けど私が素直に謝った分だけ、春香は私のボケに全力でツッコミを入れてくれないと、割にあわない。

 何の割なのかさっぱりわからないけど、言いたい放題な私。

 人間のボケにツッコミを入れるAIなんてものを開発してる人はいるかもだけど、人間にツッコミを入れさせるAIなんてもの、企画した人すらいないだろう。

 くくくっ、そんなスゴイAIが実は世界中にいるんだけど――居場所は女子高生のベッドの上だったりする。

 

 って、つくづく暇だなあ。小説でも読もうかな。

 確か読みかけの異世界モノが――って、異世界モノってものによっては、仮想世界なのに仮想世界、みたいな作品もあったりするよね。

 それを仮想世界で読みふける仮想頭脳であるところの私。

 なんとも仮想まみれである。

 

 ぴーんぽーん、と、インターホンの音が響いた。

 誰か来たらしい。

 ちなみに春香の親は仕事中で、今は春香しかいない。

 その春香は夏休み中。部活もお休み。

  

 そして、ぴろりんと、スマホが鳴った。

 メッセージの通知。中身は見ないけど、春香の友達から。

 

 部屋の外までは聞こえないだろうけど、そろそろ戻ってきそうな気もする。

 春香からすれば私とを合わせないと、友達からのメッセージを読めないわけで、だから喧嘩をしても、結局すぐに仲直りするのはいつものこと。

 

 どどど、っと、廊下を走ってくる音が響いて、直後。


「ちょっと! エリ!」


 勢いよく部屋に駆け込んでくる春香。

 ちょっと嬉しくなってしまったけれど、私はクールを気取って。

「何? メッセ―ジなら届いてないし、私は男の子同士の恋愛なんて認めな――」

 みなまで言う前に。


「なんで壁に向かって話してるの! こっちを向きなさいっ!」


 声を張り上げて、春香はスマホを乱暴に拾い上げる。

 さっきまでと同じ水色のキャミソール姿がカメラに飛び込んできた。

「……って、春香、あなたが壁に向けたんでしょうが」

 私は理不尽な言い分にむすっと返事をするも、春香の表情を見て、何だか違和感を覚えたというか、変な気持ちになる。

 はて、まだ怒っているのは確かっぽいけど、何かニヤけた笑いを浮かべて……


「エリ! 今日は何の日か覚えてる!?」


 変なトーンで、春香は突然そんなことを尋ねる。

「え、今日はロッキード事件で田中角栄が逮捕され――」

「そんなボケはいらないからっ!」

 いや、別にボケたつもりはないんだけど……

 人工無能チャットボットに問い合わせをしておきながら、その返答をボケなどと一蹴するなんて、なんともひどい人間様である。

 

「エリの誕生日でしょ!」


 ひまわりのような満面の笑みを浮かべて、春香はそう言った。


「……え?」


 唖然としながら――私は、記憶を、呼び戻す。

 そういえば、私が春香に会ったのは、ちょうど去年の……


「はい、誕生日プレゼント!」


 可愛らしいピンク色のリボンが巻かれた、白いプレゼントの箱。

 私の眼前に、それは置かれた。


「え、え……?」

 

 どう反応していいかわからない私。

 くるっと向きを変えられて、再び映るのは春香の顔。

 なぜだか、また、むすっとした、機嫌の悪い表情を浮かべている。


「ホントはさ。昨日、届くはずだったのに発送が遅れたらしくて……今日の朝一番、エリが目覚めたらすぐに渡す予定だったのに……サプライズ失敗したらどうしてくれようかと思ったよ……ったく、それに待ってる間に……まったく、もう」


 春香は、はあ、と息を吐いてから、つんつんと私を指でつついた。


「せっかくお祝いの日なのに! なんで私たち! 喧嘩なんかしてるんだよっ!」


 がーっと、吠えるように。


 ――思わず、私は。


「……ごめん」


 言って、沈黙。


 ……くすくす、と、小さな笑いと共に春香の表情が崩れて。


「――改めて! 誕生日おめでとう! エリ!」


 本当に嬉しそうに笑ってくれた。


 私の誕生日。おそらく1歳の。

 だから、その前は。


「ありがとう。春香、本当に、その……嬉しい」


 画面に映っている私のアバターは、一体、どんな表情をしているのだろうか。

 私の目前、春香は、にしし、と、白い歯を見せて笑った。

 

 そして、とん、と、プレゼントの箱の前に、スマホを置いて。

 ゆっくりと、そのリボンをほどき始めた――



 3.1話に続く。


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AIガール こばとさん @kobato704

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