『黄昏色の道士』〈結〉




 先ほどのような優しさや情熱の欠片の一切ない、冷たく渦を巻く瞳。

 唇は禍々しく弧を描いている。


「イジェクさァん、それって超絶ダメダメじゃないですかァ。っていうかァ、いい大人が他人のお金を持ち出した挙句、勝手に組織を抜けて逃げ出すなんて大馬鹿やっちゃあねぇ」

「あ、お、お前……どういうことだ!? 救助じゃないのかよ!」

「アー、ね。確かに救助も頼まれたのだけど、救助した後にもう一仕事頼まれてんだよねぇ。ついでに機構の要請というのは嘘でしたァ♥」


 道士はもはや悪意を隠そうともせずに、舌を出して男を嘲って見せた。


「なに、アナタ借金あんだって? よくないねえ。しかもその上、妻も娘も売っちゃってもう返す金もない? それでこんなクソ陰気きわまりない迷宮まで逃げ込んだってわけ? でも、大丈夫ですよ、安心してください。貴方のような一文無しの外道にだってまだカタはあるんですから……」


 性質の悪い手品だった。両手を広げて仰け反る道士の手には、今しがた握られたとしか思えぬナイフが三対。


「そう! 貴方自身の中にね!」

「なぁッ!?」


 ……いや、ナイフではない。それは外科手術用のメスであった。ただし特殊加工によるのか、一切光沢のないドス黒い色をしている。

 眼前の狂気じみた光景を認識するやいないや、男は再び恐怖に震えはじめた。先ほどの何倍も絶望感の増した恐怖に。

 なんてことだ。この道士は救済者などではない。自分が属していた犯罪結社からの刺客だったのだ。しかも地上の追っ手より数倍アタマのおかしいやつを寄越してきやがった。

 もう何が起こるのか分かっていた。頭の片隅ではおそらく逃げ切れないことも理解していたが、耐え難い恐怖が男の体を動かした。愚かにも背を向け、よろめきながら、この場から逃げようと一目散に走り出す。しかし、すぐに音もなく飛来した何かに足を絡め取られて、派手に倒れ込んだ。

 結界の中に張り巡らされた罠のことを今更思い出した。

 あれは魔獣だけを狙ったものではなかったのだ。この道士のテリトリーに踏み込んだモノの全てを絡め取る、狡猾で残忍な仕掛けだったのだ。


「へへ、捕まえたァ!」

「あ、あんた、救護人……迷宮召喚師じゃないのか!?」

「残念でしたァ! 術を使うといってもおれは外法道士、左道をゆく邪術の操り手なンだよね。まー、迷宮召喚師ってのも嘘じゃあないんだけどさァ」

「けど! 地上の結社のやつが迷宮で犯罪行為をするのは、ご法度だと……!」

「おれはおれの事情で好き勝手やってるフリーランスだから関係ないんだよね。お前のオトモダチとはあくまでビジネスの付き合いがあるだけだからなァ? ついでに、こっちはこっちで別の心強いオトモダチがいるから、お咎めもなしなんですよォ」


 背を踏みつけられ身を捩れば、こちらを見下ろす夕暮れ色の視線とかち合った。

 それはまるで家畜の商品価値を値踏みするような、怜悧な瞳だった。


「臓器だなんて、そんな! で、できない……っ!」

「腎臓とか肺とか二個あるしたぶん平気だろ。まあ、もらえるものは貰う約束なんだけど」

「そ、それだけはっ! やめてっ、やめで下ざい゛!」

「だって、どうにか返済しないとオマエさ、怖い人達に怒られちゃうだろーがよ。あいつら本気出したら怖いぞ、マジちびっちゃうぞ。やだろ、そんなん。トラウマになっちゃうもんね? ついでに迷宮に逃げ込んでも、さっきみたく魔物の餌になるのがオチだしねぇ。その点おれはプロだ。痛くしないし、怖くないよ?」

『まあ、このひと闇医者だから何の免許もないんだけどね』

「ひぎいいぃいぃぃ! 無免許やだぁ!」

『おじさんのような人間でも、ちゃんと役に立てるんだよ。健康で元気なのって、すっごく大切なことなんだもの。ボクも見習えたらなぁ』


 妖精が無垢で無慈悲な最後通告を下す。

 たった今、男は魔物に食われるほうがはるかにマシだったことを思い知った。

 苦痛に満ちた惨たらしい最期を迎えることに変わりは無いが、獣のほうがまだ純粋な本能を持ち合わせている。あっさり食われて終わりだっただろうに。

 理性をもった汚濁まみれの人間の方がよっぽど恐ろしい。


「たっ、頼む。見逃してくれ! 何でも……何でもするからぁっ!」


 必死になって懇願すれば、道士は急に冷めた目つきになった。彼はさもつまらなそうに短く「無理だね」とだけ答えた。


「そんなぁ!」

「イジェクよ、オマエは年といい見た目といい、素体としての価値が無い。というか皆無。おれも汚い男の標本や屍人形に興味はないのでね」

「な、な、なにを、言って……」

「それでも幸いオマエの中身は健康そのものだ。中身、分かるね? そういうわけで唯一価値があるモノを貰うしかないわけよ。でもね、いいかい。おれが一方的に奪うってわけじゃあないんだよ? 彼ら・・の損失分をきれいに清算していただくだけだからね?」


 粘着的な口調で語る道士の目は、戦闘のさなかに見せた熱情の欠片もないただの黒い渦だ。禍々しく、しかしそれがデフォルトであるかのように凪いでいる。

 隣を浮遊していた黒妖精が思い出したように告げた。


『トワイ。あと一時間切った。はやく帰らないとペナルティだよ。ボクだってキミとまだお別れしたくないし~』

「おれだって、こんな男の代わりになるわけにゃあいかねえし~」


 道士が一歩、また一歩と距離を詰めれば、男は座ったまま後じさる。

 もう為す術が無かった。悲鳴の上げ方すらも、脳裏からはすっかりと消え去っていた。

 青年は溜息一つで自らの周囲の糸を手繰り寄せた。たわんでいた黒縄が張り詰め、男の体を緊縛する。息が漏れた。糸を操り、振り回す動きで地面へと叩きつけられる。鈍く激しい衝撃で呼吸が止まる。ぐっ、という苦しげな呻きが漏れ、そこに道士が歩み寄る。

 血の滲む黄昏色。歪んだ美貌。黒渦。まるで悪魔。

 ……ああ。もう逃げられない。終わりなのだ、なにもかもが。

 先刻と同様、首と肩の間に衝撃を覚えた瞬間、男はとうとう固まったかのように動けなくなった。それきり、永久に。




 ♦




「よいしょ、と…………あー、ダメだこりゃ。重い」


 ぐったりと脱力して動かなくなった男を一度は担ぎ上げたものの、トワイライトはすぐに音を上げた。

 舌がヒリヒリ痛くて、えらく喉が渇いている。目は相変わらず冴えたままだが、体はどんより重かった。

 疲れたな、と素直に思う。それでも、えもいわれぬ充足感があった。まるで一発ヤり終えたみたいな、そんな感じだ。

 ただし、もう一仕事残っている。早く地上に戻って片付けねば、こちらの首が跳びかねない。

 そして、やっぱり、


「ちょっとこれ重すぎ! 体重いくら? おれが死んじゃう!」

『だから常日頃言ってるでしょ。トワイライトは体力不足なんだって』

「ネロ、毎度言ってる気がするけど、おれはパワー系じゃあないの。頭使って罠張り巡らせて、後は身軽に狡く愉しく立ち回るのがスタイルなの」

『そんなこと言っちゃって、しっかり鍛えておかないといつか痛い目みるよ? この先もソロでやっていくならなおのことさ』

「わかってる、わかってるよ。ああでも、ほんとダメだわ。ちょっと重さ減らそう。いいよな?」


 返事も待たずにトワイライトがつい、と指を引く。一瞬の間をおいて男の四肢が弾け飛んだ。男の体に纏わり付いた糸がその体を切断したのだ。女人の髪で編み上げられた糸は極めて鋭利であり、骨ごと人体を切断することも出来る。断面がひどく整った細切れが辺りに散らばり、迷宮の硬い床を赤黒い血が汚した。

 一拍、実際にはもう少し長い間を置いて、おぞましい悲鳴が迷宮の暗がりへと響き渡る。

 しかし、手品めいた動作で取り出した針でその頸と背を突けば、男が叫び声を上げることは無くなった。

 トワイライトは、気を抜き取られたように大人しくなった男をすばやく布で縛って担ぎ上げた。これなら、先ほどより楽に運べそうだった。


「……殭屍キョンシーにして運ぶか、おれの殭屍を使役できればよかったんだけどね」

『要求は生きた臓器だから。それに時間がなかったのは、キミが女の子の家から遅刻してきたからでしょ』

「ネロの意地悪」

『ドスケベ間男に悪口言われたくない』

「なんで決めつけるの! おれのはぜんぶ純愛だよ!?」

『思い込みが激しい男って、面倒くさそう。というか、はやく片して戻らなきゃだよ?』

「はん。必要ないさ」


 使える部位を除いて現場に残された四肢は、下級悪魔かイミューンの餌になるだけだ。

 迷宮で命を落とすか落としかけの人間は、それがどんな形であれ、殆ど違わず悲惨な末路を辿ることになる。

 それでも探索者たちが冒険をやめることはない。彼らを突き動かすのは底なしの夢と欲望だ。地下に逃げ込むものとて、その胸に抱くのは根拠のない甘い希望なのだ。


「さて、戻ろ。摘出の時間足りるかどうか超微妙」

『最低最悪~。キミにもっと体力と分別があればボクがわざわざグロいとこ見せられずに済んだのにさ』

「よく言うよ。今日だって、お前がおれのナビを買って出たんじゃん? それに、迷宮をもっとよく見たいんだろ?」

『まあそうだけどさ。でもね、ボクだって一応女の子なんだよ、トワイライト? スプラッタやグロは苦手なんだって。エロなら大歓迎だけどね』

「なまいき言うな、クソガキめ」


 二人組は他愛のない会話を交わしつつ、その場を後にする。

 だが夕暮れ色の三つ編みを揺らし、ふいに立ち止まると、トワイライトは後方をそっと振り返った。




 そこに自分の名を呼ぶ蒼い面影を見たような気がして――。




「今、誰かおれの名前を呼ばなかった?」

『ううん。ボクは違うし、何も反応なかったよ。空耳じゃないの? もしくはまだ何か降りたままなんじゃない、大丈夫……?』

「平気だよ。聞こえないならいい。多分こっちの気のせいだ」

『なんだか最近そういうの、多くなぁい? ボクが言うのもなんだけど、調子悪いんなら医者に診て貰ったら? 紹介するよ、そっち系専門の』

「オマエそれ医者に言う言葉かよ」

『だってさ、トワイライトって邪術とか闇医術とか非合法で妖しくてビミョーなのが専門じゃん? ていうかキミ、生きた人間診れんの?』

「おれだって自己診断くらいできるわい!」


 身体の異常でもインプラントおつむの問題でもないのなら、本当になにかに呼ばれているのかも知れない。「まさかね」と呟いてトワイライトは再び歩きだす。なにしろ、今は時間がないのだ。

 そうだ。おれは幻影に取り憑かれている。

 ……蒼い竜の夢と記憶に、ずっと囚われている。

 迷宮低階層を出口に向かって歩きながら、そんな想いが胸を捉えた。

 今でもしょっちゅうそれを見る。ならば、そいつはおれの運命で、いつか牙をむいて襲いくる宿命なのかもしれない。

 愛しく狂おしげな呼び声。夢の名残。もう輪郭すらもわからない過去の亡霊が、トワイライトの名前を呼び続けている。そういう夢や幻をもう何度も繰り返し見ている。

 ぼんやり歩きつづけるうちに、ネロが『ちょっと! 内臓こぼれてるって。拾って拾って!』と促した。トワイライトは気だるい足取りで戻り、モツを詰めなおして再び来た道を戻る。

 一瞬、暗がりに蒼い炎のようなものが煌めいた気がしたが、闇の奥にはやはり何の気配も感じられない。

 おれは竜の幻影に魅入られている。でも、だからといってどうということでもない。今、この瞬間、唐突におれ自身の何かが変わるわけじゃない。それなら、いつもどおりをつらぬくまでだ。

 そうこうしている間に地下一階・迷宮入り口へとさしかかる。

 ぽっかりとあいた穴から差し込む外の光を浴びて、トワイライトは女のそれのように紅い唇を歪めた。

 それは笑みというには歪で禍々しい、姦悪な相貌だった。


「さぁて、仕事だ。ここからが道士としてのおれの本分なのさ」




 これが左道をゆく外法道士トワイライトとしての、血腥く退屈な、されどいつも通りの日常だった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

外法領域 ‐薄暮冥冥‐ 津島修嗣 @QQQ

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ