『黄昏色の道士』〈后〉
縋りつく男を点穴して黙らせると、〈黄昏色の道士〉――トワイライトは
双眸には渦巻く狂気、口元には獰猛な笑みを浮かべて。
「さぁて、ネロ。これで邪魔なくヤレるよなァ!」
『うん。まず結界内のやつらを片付けて。音に反応してこれ以上新手が引き寄せられる前にね』
「分かってるよ。あ、オマエ危なくなったらリンク切れよな」
『いや、トワイならそれはないでしょ』
「あのなァ……普段からおれを過信すんなって言ってンだろうに」
『失礼だな。これは過信じゃなくて、信頼っていうんだよ? トワイライト』
遠く距離を隔てているというのに、この小娘が今どんな顔をしているのか、トワイライトには容易に想像がついた。
たぶん、とびきり眩しい顔をして笑ってやがる。そうに決まっている。
トワイライトは舌打ち一つ。
ネロが微かに笑声を漏らす気配がした。
『反応に困るとイラつく癖、直したら?』
「……余計なお世話だ」
ネロもまたトワイライトの感情や仕草を的確に読み取っている。
知覚に認知、意識経験。そういうある種の〈魂〉を同期しているが故のことだ。ネロは今、このおれの一部となっているのだから。
そんなことを思いながら瞼を閉じる。
いや、今は考えるな。何もかも消し去ってしまえ。愛しい面影、幻影すらも全部。
『案外はにかみ屋さんだよね、トワイって……』
ネロの追い打ちを含め、すべてを頭から締め出していく。
トワイライトは固く眼を閉じ、トランスに向かって集中を高め始めた。
召喚術。自らの内側に力を呼び入れる、そのために。
地下迷宮は現世と異界の境が曖昧で不安定だ。そして
もともと異界からやってきたとされる巨大な竜、その屍が骨組みになっているというのだから、それも頷ける。嘘か真かは知れないけれど。
ともあれ竜素を練って術を編み上げ、己の血肉や精気を
さっきの魔術はその前段階で止めたもの。自分の周囲に集めた竜素を操り、魔獣にぶつけただけのものだった。
喚ばわる対象は、神でも精霊でも邪霊でも、なんだって構わない。たとえ頭をよぎったイメージの一片であろうとも。波長が合い、これと直感するものを降ろすだけ。
そうして自身が神魔の乗り物と化して戦うのがトワイライトのスタイルだった。
召喚術は符呪を用いた鬼や精霊の使役とも異なる。そして、この術は地下迷宮でしか使えない。
結界内の〈竜素〉が急激に力を増していく。
得体の知れぬ力がトワイライトの周囲に集まり、渦を巻く。
ただならぬ気配を感じ取ったのか、魔獣どもが低く唸り声をあげて臨戦態勢を取る。四肢で強く大地を踏みしめ、今にも襲いかからんと、無数の赤い眼光が鋭くこちらを睨めつける。
それでもトワイライトはまだ待っている。
イメージを練り上げ、自分の中に降り来るそれを。待つ。ひたすらに。
けして辛抱強いとはいえない自分が待っていられることといったら、真面目にこれくらいしかないだろう。
それは、暴力。破壊行為。圧倒的な開放。
……そうだ。じれったくて堪らない。
アタマの中のスイッチがあるならぶっ壊したい。
おれを縛る何もかもが邪魔なんだ。だから見えない箱を抉じ開ける。脳の中の秘密の部位を。目の奥に手を伸ばして引きちぎる。リミッターをはずす。
後戻りなんかこれっぽっちもできないように。
壊れて壊し、すべてを愛し殺し尽くしたい。
とびきり癖になる甘い毒。それが早く欲しいんだ。
陶酔と恍惚が欲しくて、ひたすら加速する。血が沸騰する。
高く飛べと誰かが内側から盛んに囁き焚きつけてくる。そいつはおれを食い破って飛び立とうと、必死にもがいている。
無慈悲な羽ばたきが脳裏をよぎる。
――舞う銀鱗と、鋭い爪痕。
そして降り来るイメージに形を与える。
「……来たァッ♥ 来たきたキタァッ♥」
はち切れそうなまでに膨れ上がった殺意と衝動。
もう抑える必要はない。それらを起爆剤に、とびきり高くトランスしてしまえばいい。
振り切って、ぶっ飛べ。
生も死も、生者も死者も怪物も、すべて侮蔑し、壊してしまえ。
鼓動が深く速く脈打ち、瞳孔は大きく拡がる。
幸福物質に興奮物質。頭から指の先まで、体中にそれらが溢れてゆくのを感じ取る。
赤くて、冷たい。なのに熱くて堪らない。
――限界を超えて、自分と、自分の中に降りた力を解き放つ。
駆けだしたトワイライトは手近な魔獣に容赦なく斬りかかり、出鱈目にねじ切って打ち捨てた。
そのまま一足飛びで次から次へと魔物に襲い掛かり、薙ぎ払っていく。
四肢をフルに使って跳び回るその立ち振舞いは、ひどく人間離れしたものだった。
自分の得物だけでなく、あらゆる身体の部位を武器に破壊を繰り出していく。
『おわっ、トワイ! 鼻血出てるよ、鼻血!』
「アアン? 今それどころじゃねーよォ!」
『頭にも体にも負荷が掛かりすぎなんじゃないの?』
「負荷ァ? そんなん知るかァッ! 爆ぜて吹っ飛べ!」
怯まず跳びかかってきた犬型イミューンを蹴飛ばし、燃やしながら哄笑する。
もうとびっきりにハイで最高だった。
それでも、舌で舐め取った己の血の味はクソみたいに不味かった。
……でも、イイ。
愉しいから、イイんだ。
「キヒッ、しょっぱぁい♥」
『あーあ。まったくもう、汚いなぁ』
「ほっとけぇ!」
おれは自分の血の奴隷だ。神の戦車で神の乗り物。でも多分、善い神じゃない。なんだって構わない。
やれ! やっちまえ! 飛び上がれ、こっち側へこい!
そうやってしきりに誘う呼び声にわざわざ抗う必要なんざない。乗ってしまえばそれでいい。
ルールもモラルも捨てちまえ。それがおれの正論だ。
少なくともこのクソッタレ迷宮の中では――
「――なんだって構わないよ! なあ、ネロ! とびきりダーティにやろうぜ!?」
『はいはい。もうお好きにどうぞだよ』
言葉通り、暴れまわる。暴発する。世界が色づく。本当の姿に反転する。
めまぐるしく変わる。何もかもが早くて、やけに世界がゆっくりだ。
ならばもうおれの独壇場。張り巡らせた罠の数々とともに世界を切り取って、狩りに興じる。
……それだけだ。
「逃ィげんじゃないよォッ、おれの領域からァッ♥」
獲物を外に逃がさぬよう、結界によって堅く閉じた秘密の狩場で、トワイライトは嬉々として刃を振るう。
召喚の際に捧げるのは「祈り」なんかじゃなく「願い」だ。
純白を装った他力本願の無粋な言葉の羅列ではなく、欲にまみれた真っ黒で純粋な原動力。それが「願い」というものの本質だ。
――そうとも、だからおれは祈らない。
自分自身と心の内に生じた力がただ想い願うままに九鈎刀をぶん回す。
刃を引きまわし、押し返す動きで次々に襲い来る魔獣を屠る。あるいは鋼糸や咒符を用いて、屍の山を築いていく。
結界で造られた見えない壁に肉塊がぶつかり、滑り落ちる。血の筋だけが残り、紅い紗幕を描き出す。
それらは燐光を放つ不可視の壁面を、夕暮れ時の複雑な色彩に染め上げていった。
……宴は、あっという間に終わってしまった。
*
「うう……なにが、どうなって……」
「ハァイ、おはようございまァす!」
絡みつく蜜のような声が耳の底に響き、男の意識を急速に掬い上げた。
……点穴を解かれたのだろう。まるで自由の利かなかった身体も元通り動けるようになっている。
我に返れば、その場で動くものは男自身と先ほどの道士、そして彼に付き従う妖精の
結界内のいたるところに肉片や血の塊、魔物の死骸がぶちまけられており、繰り広げられたであろう戦闘の凄惨さを物語っている。
イミューンの群れを一気に屠った眼前の道士は一体何者なのか。
男は慄くばかりであった。脅威が去った実感はまるでない。ガタガタと震えて怯えながら、ただ当惑するしかなかった。
「さっきは乱暴なことをして悪かったね。貴方に下手に動かれたら危ないと思って、その……咄嗟にあんな真似をしてしまって。いやどうも、お恥ずかしい」
「ひぃっ! く、来るな!」
「怯えないで。全然ダイジョーブだから、怖くない。ほら、ね?」
「あ、あ……」
身構える男に対し「すまなかった」と謝りながら、道士は手を差し伸べてきた。
先ほどの狂態が嘘のような、控えめで大人びた態度だ。青年の振舞いには悪意が無さそうに見えるが、まだ安心はできない。
地上では散々追っ手に追い掛け回され、地下では魔獣の餌になりかけて、男の心身はすっかり擦り切れていた。前ほど簡単に人間を信じることが出来なくなっていた。
「あ、あぐ、あんたなんなんだ! 何者なんだよ!」
「おれは迷宮召喚師のトワイライトだよ。こう見えてもフリーランスの救助員で、
道士は柔和な眼差しを男に向けると、優しげに微笑んだ。さっきまでの殺意や狂気は最早鳴りを潜めている。
その振る舞い方も言葉の通りで、遭難者を安心させるような温かみを感じさせるものに切り替わっていた。
「ほ、ほんとうに、俺を救助に……? でも、俺は地上では……」
「貴方の状況は知っている。これはあくまで内密な保護の依頼なんだ。今はいくら説明されたって安心できないかもしれないけれど、おれのことは信じてほしい」
「つまり……それは、助かるってこと、なのか?」
「そう思ってくれて構わない」
男の問いかけに青年がこくりと頷く。
……ああ、とても信じられない。助けが来たのだ。
ようやくその実感が男の胸に押し寄せてきた。救いの手を差し伸べられた男は、顎をわななかせながら、安堵と興奮で両眼に涙を浮かべた。
「どう、立てるかい? 怪我は?」
「だ、大丈夫だ。あんたが来てくれたおかげで……その……ありがとう」
「そりゃ良かった。うんうん、健康そのものって感じだな。これでこちらも一安心だ」
青年は男の手を取ると、力強く握りしめた。握手のつもりだろうか。少々強引ではあったがその手は熱く、頼もしいと思えるほどの力がこもっていた。
男はつられて頬をぎこちなく弛緩させた。笑みのつもりだが、まだ上手く笑えそうにない。
道士はそんな男の様子ですら優しげに見つめ、安心させるように微笑を浮かべていた。
最高級の外面に加え、内面の優しさや爽やかさまでもが滲み出ているように見受けられ、男は自分の窮地を救った青年に好感を抱いた。
……俺にも少しは運が残っていたみたいだ。これで迷宮から生きて帰ることが出来る。俺のような男にも手を差し伸べる者がいるのか。そう思うと、鼻の奥を熱く込み上げてくるものがあった。
まだまだ捨てたもんじゃないのだ、魔都も迷宮も。
地上に戻ったら、上手くはいかないかもしれないが、どうにかやり直せるかもしれない。
危機を脱した興奮で、男の胸中にはそんな希望さえ湧いていた。
……そうだ。死ぬ気でやればきっと現状から抜けだすことだって出来るだろう。
そうしたら、今度こそまっとうなやり方で生きていくのだ。
「――はァい、ということでネロ。至急、
『もうやってる。兄さん達がお待ちかねだよ。これ以上予定が押すと人生的な意味でトワイの時間がなくなっちゃうんだからね?』
「なァんでオマエの兄さん連中は揃いも揃ってせっかちなのかねェ。ちょっとケツの穴ちっちゃ過ぎんじゃねえのォ?」
『むぅ。他の人はともかくとして、ボクの兄さんの悪口いわないでよね!』
「標的? なに、を、言って……」
黄昏色の道士はニタリと婬猥な笑みを浮かべると、男を見下ろした。
禍々しい黒渦の瞳に、ひどく酷薄な色を浮かべて――。
「はん。さっきの信じたの? 内密な依頼で、おれが救助に来たってぇ、本気で信じちゃってたのォ?」
「え」
「バァカちゃんがよォ!」
何かのスイッチでも押したかのように、その態度は再びがらりと変わっていた。
それは虚飾された仮面が外され、本物の狂気が剝き出された瞬間でもあった。
トワイライトの本性がどちらなのか。
それだけは、男にも簡単に分かった。
「残念! ぜ~んぶ嘘なのでしたァ!」
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