『黄昏色の道士』〈中〉

 


 反撃? 否。それはどう見ても周到に用意された罠だった。

 いつの間に施したのか、渦巻く眼をした青年はそこらじゅうに張り巡らせた黒縄こくじょうを五指で操り、魔獣どもをいとも簡単に引き裂いていく。

 一体、二体。数えるのが追いつかないほどに速い。

 というよりも絡まる糸が瞬時に魔獣を細切れにしてしまうために、何頭片付けたのか判別がつかないのだ。

 青年は血しぶきを器用に避けながら舞い続け、代わりに汚れていくのは壁と床、それに周囲に撒き散らされた魔物の残骸ばかり。


「低能エロエロ触手魔獣にはお仕置きが必要だもんなァッ! 女の子をとろとろにして悦ばせるためにもおれが拾って再調教してやんよォ!」

『細切れにしてから言っても意味ないじゃん。やっぱりばかなの?』

「あとでサンプルを持って帰るからいいの!」

『おもいっきり違法行為を宣言しないでっ!?』


 青年はまるで意志を持った生き物であるかのように極細の黒縄を操っている。

 男の眼にも辛うじてそれが見えたのは、糸自体が淡く発光しているからだ。最初に見た結界と同じように、強化の術が施されているのかもしれない。

 同時に数多の呪符が舞い、押し寄せる触手の波に激しい雷撃を浴びせる。

 ……紫電が消えたときにはもう淫肉の群れは一掃されていた。


「そォらッ、いっちょ上がりィ!」


 唐突な反撃に怯んだイミューンどもがわずかに後じさる。

 しかし魔獣どもはまだ諦めていない。呼び集めた群れが十数匹と残っている。

 どうやら数で押す気らしい。彼らには闖入者を許す気はないようだ。極上の得物を前に、相当腹を空かせているのかもしれない。


「へへ……。どうだい、めちゃくちゃ美味そうだろォ……おれの魂魄も肉体も、おまけにもねェ! でもダメ! 残念でしたァ! ドブくせえクソゴミ淫獣に喰わしてやるモンはこれっぽっちもないんだよねェ!」

『わざとらしく腰を前に突きださないで。気色の悪い卑猥なポーズはやめなよ。吐いちゃったらどうするの、ボクじゃなくてあっちでぷるぷるしてるオジサンが』


 なおも怯まぬ魔獣を前に、青年は挑発的に舌を出してみせた。ここまでくると、果たしてどちらが餌なのか分からない。

 それにしても、妙な術をつかう奴がいたものだ。

 男は短い間で目にした光景を振り返り、はたと気がつく。

 符呪に暗器に、妖しい法術。この青年はおそらく道士だ。

 それも多彩な術を操る力を持った〈黄昏色の道士〉。魔都の裏界隈では名の知れた存在だ。男も噂くらいは知っている。裏路地街で呪医として暗躍する外法道士がいるというあの噂……。

 おそらく、間違いない。あれは本当だったのだ。

 呆然とする男の眼前ではこの間にも魔物が次々と屠られていく。

 目の前で繰り広げられる戦闘は、即興で演じられる舞踏そのものだった。ただし、あいつの独壇場だ。

 その様子を男はただ見ているしかなかった。

 震えがどうしてもおさまらない。本当は今すぐにでも踵を返して逃げ出したいというのに。


『そんなに怖がらないでよ。おじさん? ああいうふうだけど、トワイライトはべつに悪いひとじゃないんだからさ』


 ふいに幽鬼めいた姿の化身が現れ、ふわりと男の鼻先に触れてきた。

 本物と見紛うばかりの質感に男はびくりと身を震わせる。さっきから道士の傍を漂っていた奴だ。拡張現実上の立体映像。黒い妖精の化身アヴァターである。

 迷宮探索においては、リアルタイムで情報を提供する水先人ナビゲータが重宝される。目の前の相手もそれの一種だろう。

 ただし、こいつは市街地で見かける様なありふれた化身とは明らかに異なっていた。

 極めて精緻に造られたプロ仕様の造形物。芸術作品といってよいほどに、隅々までしっかりと造り込まれている。

 黒い蛇の下半身と人間の上半身、それに蜉蝣のような薄い翅を持った美少年を模しているのだが、動きはとても滑らかだ。要するに不自然なくらいに「生物らしく」振る舞うよう設計されている。

 あやうく迷宮生物と見間違えるくらいに。


「な、なんだ、おまえ……」

『おっ。今反応したってことは、キミもやっぱり埋め込み済なんだね。話が早くて助かるよ』

「あ、ああ」


 〈埋め込み済〉というのは、文字通り、電脳通信用の超微細符呪インプラントを外科手術によって体内に埋め込んである――という意味だ。

 端的に言えば、このサイバネ手術を受けた者は、迷宮内外で現実プラス薄皮一枚を加えた拡張現実の恩恵を受けることが出来るのだ。これはすでに、探索者が外部の水先人ナビと繋がり、情報を得る手段として一般化されて久しい技術。いわば迷宮探索におけるトレンドだ。

 施術を受けて水先人と契約すれば、優先経路の案内から座標の確認、注意ポイントやイミューンの出現予想区域までを音声および視覚情報として逐次的に取得可能になる。おまけにコミュニケーションツールとしても充実している。

 実際、この妖精のように向こうからこちらに働きかけることも、こちらが向こうに働きかけることも可能だ。

 電網上に可視化される化身は、探索者側にとっても一個の存在として認識されやすい。実際、それこそが売りでもあるのだ。簡易な上に、ごく短時間で意思の疎通を図る手段が探索には欠かせないのだから。


『うへへ。まあ、落ち着いてよ。トワイライトとボクがいれば、もうだいじょうぶなんだからさ!』


 ともかく眼前の黒妖精は、現実の人間と殆どたがわぬ動作でやわらかに告げてみせた。


『ボクたち、治安維持ギルドから遭難者がいるって通達をうけて救助に来たんだよ』

『治安維持、ギルド……? それじゃあ、み、味方、なのか。俺の……』

『まあ、味方というより中立的立場を取るって方針なんだけど。探索支援機構っておっきな団体、さすがにキミでも知っているでしょ? 悪いようにはしないから、もっと力を抜いて頂戴よ』


 黒妖精はふわりと舞って、男の肩に腰を下ろした。重さを感じたが、錯覚だろう。

 音もなく燐粉が散って、それらは徐々に光を失う。

 無駄で過剰といえるほどにチューンアップされた化身は、ガキどものお遊び用に拵えられた既製品とは明らかに異なっている。限りなく人間らしく、それでいて迷宮生物のような異形性を兼ね備えている。

 でも、どうして、いったいなんのためにここまでのモノをこさえるのだろう。

 遠く隔てた場所でコイツを操作する人物は一体どのような精神構造をしているというのか。


『フフ、ボクのこと気になる?』

「い、いや……そんな、ことは……」

『いいんだよ、遠慮しないで。こんなキュートで立派でかっくいいイカした化身は他にみたことないでしょう? 穴が開いちゃうくらい見つめちゃってよ!』


 どういうわけだか男の内心を見抜いたようで、黒妖精はニヤニヤ笑って詰め寄ってきた。

 どうして。まさか生体情報までハッキングされている? 

 再び動揺する男を宥める様に黒妖精は話題を主たる方向へと戻し、のんびりとした口調で、


『ま、ボクについてのいろんな疑問はおいといて、とりあえずホントのほんとに安心してよ? あんなやつら、トワイライトがすぐにぜーんぶやっつけちゃうんだからさ!』


 直後。

 殺到する低級イミューンを半分ほど退けた青年が一端飛び退き、男の横まで後退してきた。

 あれだけの立ち回りを見せたというのに、息すら上がっていない。

 どこか高揚したような異様なテンションで、青年はごく気さくに語りかけてくる。


「よう、オッサン! おれのパーティは楽しいかい?」

「な、じょ、冗談じゃない!」

「そんな邪険にしなくたっていいじゃない。せっかく助けてやろうってのにィ」

「……た、助ける、だと?」

「ああ。そうさ、とっ!」


 背後に迫る魔獣の気配を読んでいたらしい。

 青年はぐるりと体を回転させ、咒符を飛ばす。袂から飛び出していく無数の札は、まるで一連なりの羽ばたきだ。


「――☐☐☐☐、急々如律令!」


 呼ばわれた名前を、男は正確に解することが出来なかった。聞いた事のない音韻だった。それは術の操り手である道士にしか分からないのかも知れない。

 無性に怖くなって、とうとう男はその場から逃れようと踏み出し掛ける。

 よく通る道士の声が動きを制した。


「言っとくが、オッサンよォ。この先には行けないし、戻れもしないよ? おれが結界を張って閉じちまったからねぇ」

「ど、どうしてそんなことを!」

「どうして? 魔獣どもをここでまとめて始末して、あんたを救助するためさ。ここまで必死に逃げてきたんだろ。さ、遠慮せず、おれの後ろに隠れなよ」

「あ、な、なんで俺なんかを……俺は地上から逃げて」

「いいから黙って見てろって!」


 混乱と困惑で頭がいっぱいになった男は、目の前に立つ青年道士に疑問をぶつけようとした。

 しかし、言葉を発することは出来なかった。

 こちらを振り返った道士の視線が男の言葉を封じていた。有無を言わさぬ強く鋭い視線。口元に押し当てられた左手の人差し指。夕暮れ色の不吉な双眸がそれ以上を許していなかった。

 すっかり威圧された男の口からはもうマトモな言葉が滑り出ることはなかった。

 それどころか、呼吸がままならぬほどの胸騒ぎを覚え、男はその場におろおろと立ち竦むことになった。

 ……どくん、と鼓動が深く脈打つのを感じた。

 否。

 空気が震え、青年が作り出した結界、それに包まれた空間自体が揺れていた。

 …………どくん。どくん。どくん。

 同時に数多の魔法円が燐光を帯びて、青年のまわりに浮かび上がる。

 その様は多くの術を同時展開していることを表しており、この若き道士が相当な手練れであることを示していた。


「魔獣駆逐、急ぎて律令の如く行え! 勅令・☐☐☐☐!」


 黄昏色の道士は再び奇怪な呪文を紡ぐ。どうしても、男の耳ではその名が聞き取れない。ということは、やはり彼のみが真名を知りえる術式なのだ。

 道士のまわりに次々と〈竜素〉を固めたような高密度のエネルギー体が集まり始めた。

 そうか、どうりで。

 ……この青年は迷宮召喚術を使うのだ。迷宮内に満ち溢れるという竜の魂の残滓ざんし――いわゆる魔的エネルギーである〈竜素〉を集め、術を練り上げることで異界の精神生命体を呼ばわる術の使い手。それが召喚士だ。

 そういう術者がいることは男も知っていた。どうりで、音声を聞いただけでは術の正体が分からぬわけだ。

 道士を囲むように方円状に収束していた竜素が魔力の奔流となり、低級のイミューンどもを焼き焦がす。

 何を喚び降ろして使役しているのか知れないが、すごい威力だ。


「さぁて、ネロ! 準備いいかァ。派手に行くぞ!」


 いつのまに抜いたのか、九鈎刀きゅうこうとうを掲げて彼は相棒に語りかける。その口調は場違いなほど軽快だった。

 道士の気の違ったようなアッパーな振る舞い方に、男は先程にも増して強い恐怖を覚えた。


『オッケー、トワイ。バックアップは任せてよ』


 黒妖精が陽気に頷く。どうやら、彼らもまた電脳接続によって互いの感覚を結びつけているらしい。

 道士の女じみた美貌は化け物どもの血に塗れ、大きな口は歪んだ笑みに彩られている。

 そして、あの黒渦のような禍々しい双眸。

 男は闇界隈に身を置いてはいたが、あんな目をした奴など一度も見たためしが無かった。

 ……あいつはこれまでに遭った何者よりも凄惨な眼をしている。

 ここはもう魔獣どもの領域ではない。ほかでもない彼の狩り場だ。

 道士が低く屈んで糸を曳けば頭上の数体が細切れと化し、そのまま指の間に握った毒針が襲いくる獣の体力を奪う。紅く弾ける血潮が彼の舞台に彩りを加える。その間にも弱らせた敵を刀で叩き、自らの手指で引き裂いていく。

 出鱈目で、それでいて洗練された舞踏のような連続的な立ち回り。

 張り巡らされた術が敵を縛り、堕とし籠めていく。

 察するに、奇手搦め手が彼の本分なのだ。それは、相手の強襲を受けてからの反撃に特化しているということ。

 だまし討ち。奇襲。青年はいっそ卑怯ともいえる手管を使いこなしている。

 それを意識すると背筋がぞっとした。これは救助というより、どうしたって向きだろう。

 道士のすぐわきを魔獣の爪が引き裂いて、牙が通り過ぎていく。

 この青年は守りに殆ど気を払っていない。というか、関心がないようだ。そう見えた。

 実際、彼の周りには防御と強化、治癒の術式が張り巡らされ、青白く発光している。そのすべてが受動で働くように仕組まれたものだ。そもそも口の中にまで呪いの紋様を施すような奴だ。普段から強化と自然治癒の術を展開していてもおかしくはない。

 もしかしたら、こういう隙すら何かの罠なのかも知れない。

 とんでもない野郎だと思った。

 こいつは殺戮を愉しみにきた……ただそれだけなのかも。

 男の眼前で繰り広げられている光景はそれくらいに鬼気の迫るものだった。

 ――と、すぐそばの壁に肉と臓物が叩き付けられる。

 ひどい匂いだ。おまけに飛び散った血が男の顔に振りかかる。いや、血だけではすまなかった。

 男の瓦解寸前の精神はこれ以上の恐怖と混乱を全力で拒み、本能にまかせて暴れ始めた。


「ひぎぃっ、助けて! 助けてくれぇっ!」

「オイコラ、無駄に動くんじゃねえ! ぶっちゃけさっきからオマエが邪魔なんだよっ!?」

「助けぶッ!?」


 縋りつけば即座に肘で突き飛ばされる。

 この道士は思ったよりもずっと短気で、しかも血の気が多いようだ。

 言うが早いか不可視の糸で絡めとられ、自由を奪われた男は彼の手元に引き寄せられていた。


「シーッ、シーッ! ほらほらほらァ、おれに身を任せなさいって! 安心っつったら安心なんだからよォッ!」

『シーッじゃないでしょ。キレて威嚇しないで放してあげなよ』

「うるせえ! 息の根的な意味で黙りやがれ」

「うわぁっ! こ、殺されるっ!? や、やめ」

『待って、トワイ! タ……いや救助者に乱暴はダメだって。後で困ったことになるのはキミだよ』

「ちょっとチクッとするだけだから平気だよォッ!」


 黒妖精が制止をかけるのを無視して、道士は至近距離から男の瞳を覗き込んだ。深い業の渦巻く凄惨な眼だった。大きく散瞳した瞳が彼の昂ぶり様を表している。

 点穴針を構えた右手が迫る。

 痛みを感じる間も与えらずに、男の意識はそこで途切れた。

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