未来。私の名前は、未来なのだ。


 彼に処女を奪われるくらい、私の名前を教えるのが嫌だった。

 天使さんを壊した感触がまだ残っていた。

 だから赤ん坊を抱えたまま、ひとりで手を握ってごまかした。


 私は、寒いままだった。


 未来と名前をつけてくれたお父さんとお母さんは、生きている時間を寂しく思ったのだろう。此処が私の未来なのだと、辛くて笑えなくて――生ごみの溶けて消える瞬間と、自分が死体としてその辺に横たわっているイメージが重なった。なぜそんなイメージをしているのか自分でも意味がわからないし、理解もできないが、すべてなくなってしまった潔さを心のどこかで感じていて、私の顔に清々しさが滲んでいると思った。

 

 ――愛。だから愛。私は期待をこめて、産まれた彼女の名前は愛ちゃんにした。

 

「良い名前だよね」


 始まりそうな恋は始まることなく終わった。

 私だけの世界は子に捧げる愛情で死にはしないが、すでに地球は死んでいる。

 ひとりだから、ようやく理解できたのだ。

 理解できたからこそ、ようやく狂ったように泣けるのだ。

 

「あはっ」


 彼の為に笑うのを止めて、自分の為に笑い返した。

 思いきり泣くのだ。泣きたいから泣くのではない。

 悲しいから泣く、でもない。未来に向けて、明日を望む。

 心の苦しみを、ひとりぼっちで叫びたいから泣くんだよ。


「あはっ、あはははははははははは!」


 彼ではない昔の人間が外界に憧れ、描いたであろう地平線を睨みつけた。

 私は棒のように突っ立つ。まるで誰かに期待をするようだ。

 胸に抱いた可愛らしい愛は、私とは違う。強くてこれっぽっちも泣かなかった。


 私は、愛の首を絞め上げた。願い星は流れない。

 かわりに真っ白で低い空から童謡の『あした』が響いた。


 お母さま 泣かずにねんね いたしましょう

 赤いお船で 父さまの 帰るあしたを たのしみに

 お母さま 泣かずにねんね いたしましょう

 あしたの朝は 浜に出て 帰るお船を 待ちましょう

 お母さま 泣かずにねんね いたしましょう

 赤いお船の おみやげは あの父さまの わらい顔


 そんなの無理だよ。

 ひとりで生きるなんて無理でしょう。


 無理だよ。


 未来なんて、知ったことか。

 あの女の子供なんて育てられるものか。

 

 愛よ、逝け。


 叫べ。

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あえかな 高坂仁 @moudamei

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