終幕 それは終わり、何事もなく始まる。

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僕は明日は天気だろうと考える。

明日、それは僕にある筈はない、明日は僕にとってはいつも明日なのだ。

僕にはまだ長い前途が許されているかも知れないが、それは永遠の昨日の繰り返しに過ぎない。

僕にとっては全く未来なんかありはしないのだ。

それにもかかわらず、明日を考えることは何と快いのだろう。

そしてとりわけ明日の天気のことを考えることは全くいい。

明日、それは人間の作った言葉の中で最高なものだ。


しかし、これほど虚偽にみちた言葉ないのだが。

それでもやはり明日はいい。

ことに明日の天気のことを考えるのは全く素晴らしい。


――椎名麟三「重き流れのなかに」より



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    14



     ※ 


   七月三十日


     ※



 病院で起きた大量殺人事件と施設の破壊は、事件として大きく取り上げられはしたものの、人々の間でマスターキー連続殺人事件と繋がることはなかった。


 同時に、その犯人が近隣の緑地公園の土塊の中に練り込められたことも、それを行ったのがたった二人の生存者うちのひとり、志田孝義という少年だったことも知られることはなかった。



 ニュース番組や新聞で様々な識者が原因の究明を行う中、真実にたどり着いた者は誰一人としておらず、その真相を知る『6人』は、例のハンバーガーショップで食事を取っていた。

「疲れた……」

 孝義は、ぼやきながらコーヒーをすする。

「俺もこの何日かで相当疲れたぜ。マスコミの野郎、俺の家族に無断でインタビューしやがって……」

 舌打ちを交えて、犬飼真一はつぶやいてコーラを一口飲んだ。その隣で紅茶を手にした彼の『本』、緑青はにっこりと笑う。

「まあまあ、そうカリカリしないでくださいよ真一さん。そろそろ皆さん飽き始める頃ですから」

「飽きない連中もいる。腹立つくらい追いかけてくる奴もいるからね」

 額に包帯を巻き、頬に絆創膏を貼った貞野凛は、オレンジジュースを取り上げた手で真一を指差した。

「そういう奴らは脅しゃ一発だ。遠くで騒ぐ奴は放っとけばいいんだよ」

 椅子を斜めに傾けて、凛の『本』、深緋はコップいっぱいの氷をガリガリと噛む。それを見て、孝義の『本』である青藍は苦い顔をした。

「アンタさぁ、氷ばっか食って飽きない? 何の味もないでしょ」

「味とか気にした事は一度も無いね。歯ごたえが良けりゃ私ゃなんでもいいんだ」

「いっぺんケーキとか食ってみなさいよ。駅前のバス停らへんにある店のタルトとか最高なんだから」

「アホくさ、甘いだけだろあんなもん」

「はぁ? アンタ食ったことも無いくせにね――」

 あの夜、死んだはずの二人の会話を眺めながら、孝義は苦笑した。


 彼は、いつぞや青藍が言った台詞を思い出す。




 ――命かけてもいいよ、もっとも私にそんなもん無いけど。




 あの日死んだ青藍と深緋は、事件の翌日には再び彼らの前に現れていた。

 驚いて腰を抜かした三人を目の前にして、ふたりの『本』は当然のように笑い、

「壊れた本は『再版』される。『本持ち』は生きている以上、永遠に『本持ち』なんだ」

 と話してくれた。


「……つまり、さ」

 孝義はつぶやくように言う。

「初鹿野さんは毎日毎日、自分の『本』を殺し続けてたってこと……なのかな」

 その言葉で脳裏のうちにあった可能性が形を成し、その様子を想像して真一たちは息を呑んだ。

「……もうやめなよ。終わったことだよ」

 凛は言いながら、くまの浮いた目をこする。

「相変わらず眠そうだな、お前」

「そういうわけじゃないけどさ……まだまだ慣れないんだ、この感じ」

 彼女が生き返りの代償として失ったものは『睡眠』で、肉体は眠りを必要としない形に作り変えられたが、1年経った今でも精神的にはまだ慣れないらしい。

「だな……志田も罰せられずに済んだんだ。あれで終わったんだよ、あの事件はな」

 真一は孝義と青藍を交互に見つめながら、苦々しく言い放った。


 そう、青藍は孝義の犯した殺人を、特例として赦すことにしたのだ。


 その理由は2つある。あのまま初鹿野洋子を生かしておいた場合、真一たちを殺したあと、その凶刃が孝義たちに向くのは明白だったのがひとつ、そして先ほど孝義が言ったように、自分たちの仲間である『本』を数えきれないほど殺していたのがもうひとつ。

「そうそう。ホントならルールを侵した『本持ち』は、永遠に『再版』され続ける『本』にずーっと追われる仕組みなんだ。こうして仲良くコーヒー飲んだりは絶対できないよ」


 にしし、と笑い声をあげて、青藍は孝義を指さした。


 「まぁ、なんていうか……あん時は悪かったよ、青藍」

「なぁに言ってんのさ。凛ちゃんと犬飼くんが言ってるように終わったことだし、あの時言ったように仕方なかったんだよ、あの時はね」

「……あのさ、その凛ちゃんってのやめてくれない?」

「えー、いいじゃん別にさぁ、照れてんの? ねえ照れてんの凛ちゃァん?」

 体を左右に揺らしながら、青藍は凛に対してニヤニヤと笑いかけた。凛は敵意をむき出しに青藍を睨み、深緋は短いため息をつきながら頭を抱える。

「青藍、あんまり凛をいじってやるな。この子に冗談は基本的に通じん」

「冗談じゃないでしょこれ。絶対ガチで私をからかいに来てるでしょ」

「あら、バレた?」

「……次やったら無茶苦茶に裁断してやる」

「やだこの子怖ぁい!」

 ひどいやり取りを続ける青藍たち。

 それを見て、思わず孝義は吹き出してしまった。ひとしきり笑ったあと、孝義は続ける。

「色々終わって……ホッとしたよ」

「――私もだよ、志田くん」

「ああ、文字通り死ぬほど大変だったけどな」

「私は、少しだけ物足りなかったですけどね?」

「冗談やめてよ、こっちは1年走りっぱなしだったのに」

「ああ。とはいえ終わったんだ。これからはまぁ……なんだ、色々あったが、仲良くやっていこう」

「もちろん」

 孝義は笑いながら言う。直後、彼の携帯電話が振動し、メールの受信を報せた。

「――っと、ごめん」

 手にとった小さな画面の中には、彼の母親――由佳子から、晩御飯までには帰って来いという文面が浮かんでいる。

 彼は一瞬考え、友達を連れて行っても良いかと訊いた。

 由佳子からはすぐに「もちろんよ」と返事が返ってきて、孝義は小さく笑うと、目の前にいる皆に声をかけた。


「……あのさ」


 『平穏』を失った彼の生活は、これからも続いていくだろう。



     ※



 未だ見えることのない明日を思いながら、孝義は笑った。

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22時58分、僕は人を殺した Enbos @Enbos

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