第2話

 音は裏路地で響いたようだった。大きな通りの裏は往々にして怪しい店の並んでいるものだ。人目をはばかるが、客は多い方が良い。そんな欲求を満たそうとした結果だろう。怪しい店が開けば集まるのも身なりの怪しいもの達ばかりで、どの街でも裏路地で諍いが起こることは珍しくない。気の短い連中が肩同士でもぶつけたのかと容易に推測が立つ。すれ違った、それだけで腹を立てる理由には充分だ。

 しかし、今回の破裂音はその常とは少々事情が異なるようだった。そもそも、荒くれ者同士の喧嘩で出てくるような音ではない。まず間違いなく火薬が使われている。しかし、爆薬が引火したのか、誰かが悪意を持って爆弾を放り投げたのか、どちらにせよ昇って然るべきである火の手が上がっていなかった。少しばかりの煙はもくもくと立ち込めていたが、衝撃に対して明らかに少なすぎる。何より、爆発という大それたことをやれば、私兵が調査にやってくるのが目に見えていた。私兵に捕まっても構わないという覚悟の持ち主だとしても、或いは簡単な予測すら立てられない阿呆の仕業だったとしても、街にとっては大きな脅威だ。大通りはにわかにざわつき始めた。万が一、気狂いがこちらにやってきてはかなわないからだ。幾ら荒事に慣れた者達と言えど、相手に出来るのは生身の人間か、せいぜいが武器を持った破落戸ごろつきだ。爆弾を抱えた相手とやり合える筈がない。


「なんだ、なんだ?」

「おい、なんかやばくねえか」


 セシリアを捕まえていた軽薄そうな男二人も、不穏な空気は感じ取ったのか、互いに顔を見合わせている。今が好機、セシリアはすぐに踵を返し、雑踏の中に紛れた。後ろから何処に行ったと叫ぶ声が聞こえたが、小走りの足は止めず、駅内でのソルと似た動きで人ごみを抜けていく。彼に比べれば同じ技術と呼ぶのもおこがましい技量レベルだが、何の訓練も受けていないただのチンピラが追い付けるものでもない。あっさりとセシリアは二人組を撒き、ささやかな迷子になりながらもはっきりとした足取りで進んでいく。向かう先は音の聞こえた路地。せっかく危機から脱したというのにまた危険な場所に飛び込もうというのだ。


 正直なところ、セシリアには音の正体が何なのか当たりが付いていた。聞いたことのない、爆薬でもなさそうな火薬の音。やけに少ない煙の量。見たことはないが、ソルから話に聞いた銃と呼ばれる武器ならばその特徴に合致する。つまり、単に銃を見てみたい好奇心でセシリアは動いているのだ。頭の中から既にソルを探すという目的は忘れ去られていた。


 ざわついた人の波をするりするりと抜けていき、細い横道を一本入る。さっきまでの喧騒がどこか遠くから聞こえるような錯覚と共に、セシリアは自分の呼吸を整え、気配を出来る限り隠して歩く。この路地であることはほぼ間違いないが、具体的な場所までは分からない。いつ鉢合わせしても大丈夫であるように息を潜めて進む。散乱したゴミを避け、残飯を啄む鳥の類いの横を通り過ぎる。残飯が捨ててあるなんて、やはり裕福な街であることは本当なのだと気まぐれに無関係なことを考えながら二、三回道を曲がると、不意にその光景は現れた。


 三人の男に取り囲まれる一人の少年、一人の少女。男の方は如何にも力自慢といった破落戸で、一人は腰に鉈を提げている。その顔には困惑と、それを上回る怒りがはっきりと見て取れた。対する少年少女二人組は、こんな路地裏に居ることがそもそも間違いに思えるくらいに弱々しい。

 顔付きがどことなく似ているので、二人は兄妹なのだろうか。少女は白のワンピースを土煙で汚し、顔に恐怖の色をでかでかと貼り付かせたまま、竦んだ足を必死に抑えている。少年の方は、少女を守るようにして破落戸達の前に立っていた。両手で何やら武器らしきものを持ち、男達に向けているが、慣れていないせいか、その手は震えている。


 少年が持っているのが銃だろうか。細長い筒に取っ手がついたような姿をしていて、右手がその取っ手部分に、左手は筒の腹のあたりを掴み、先端を男達の方に向けている。ここからだと見えないが、先端には穴が空いていて、そこから弾丸とやらが出てくるのだろう。人数でも屈強さでも上回っている破落戸達が迂闊に動けないのは、銃の威力が簡単に人を殺せると知っているからだ。そうでなければ、銃の形を見たところで危険を感じることは出来ないだろう。セシリアから見たって銃というものがそれほど凶悪なものには見えない。リーダー格の男が持つ鉈の方が余程脅威だ。しかし、せっかく生でその威力を確認することが出来ると思ったのに、少年が取っ手部分で指を掛けている仕掛けを動かす様子は見えない。


「・・・・・・あら?」


 これ以上近付いて、巻き込まれたらたまらない。予想が外れて落胆しながらも、セシリアはこっそりその場から立ち去ろうと視線を落とす。その時、足元に何かが落ちていることに気がついた。少年が持っているのと同じものだ。何故こんなところに投げ捨てられているのか、セシリアは不思議に思いながらも、好奇心から手を伸ばす。あわよくば失敬してしまおうという腹だ。火事場泥棒のような行為に対してセシリアは欠片も躊躇わなかった。だが、彼女の予想に反して、銃と思われる筒は重たかった。


 ガシャンッ


 地面から浮かせるまでは良かったものの、意外な重量に取り落としてしまう。幾ら地面が舗装されていない、音を吸収する土だったとしても、金属がぶつかれば当然それなりの音はするわけで。

 つまり、そこに居た四人の視線が一斉にこちら側に向いた。まさか誰かに見られているとは思っていなかったのか、どちらも驚いた表情を浮かべている。取るべき行動が何なのか分からず、しばらく固まった時の中、最初に動き出したのはセシリアだった。


「に、逃げますわ!」


 ドレスの中に手を突っ込んで、手のひら大の玉を取り出したセシリアが、それを四人が立っている方向へ投げる。地面にぶつかった瞬間に玉はモクモクと煙を上げ、全員の視界を埋め尽くした。唯一投げた彼女だけがすぐに行動を開始する。落ちていた筒を改めて持ち上げ、さらに少年の元へ駆け寄り、手を取って引っ張る。うわあ、と声を上げた少年も反射的に少女の手を掴み、三人が一気に路地を抜けるため走り出した。


「おいこら、待ちやがれ!」


 ただ逃げるだけならともかく、二人を連れるのに時間を使ってしまったせいで、品質の悪い煙玉は早くも効果が切れ始めている。リーダー格らしき男の怒声を背後に聞き流しながら、少年少女三人は捨てられたゴミを踏み付けないように最低限の注意をはらいながら必死で逃げる。本当ならばセシリアに対して誰何するべき少年達も、今はそんなことを考える暇も無いとただ彼女に黙ってついていく。


 大通りを飛び出し、また別の路地へ入り、右も左もわからない道をがむしゃらに進んでいく。所詮は子供の足、男達を撒くことは出来ず、むしろ少しずつだが叫び声は大きくなっていた。その度にセシリアは大人の通りにくそうな道を選んで引き離しにかかるが、このままでは捕まるのは時間の問題だった。何より、少女の体力が限界を迎えている。足をもつれさせて転ばないのが不思議なくらいに息を切らし、全身びっしりと汗で濡らしている。少年も疲れが見え始めてきた。


「ど、どうすんのさ! このままじゃ逃げられないよ!」

「大丈夫ですわ!」


 少年のもっともな悲鳴に、セシリアは自信たっぷりに返す。何が大丈夫なのか、そう叫びたくなる気持ちを少年はぐっとこらえた。彼女に言っても何も変わらない。事態は飲み込めないが、彼女が自分達を助けようとしてくれているのならば、言う事を聞いた方が良いと直感的に理解していた。


 もう一度、今度は向かい側、住民の多く歩いている通りに抜け出して、駅とは反対方向にひた走る。突然目の前に現れた逃走劇に道を歩く人々から驚愕の声が上がる。男達はまだついてきているのか。しつこい人は嫌いですわ、と心の中で毒づいて、セシリアは人の群れを抜けていく、死に物狂いで手を繋いでいなければ、少年と少女はとっくにはぐれてしまっていただろう。耳を塞ぎたくなるほどの喧騒も今は頭の中に入って来ない。早く、ひたすらに早く。奴らの追ってこれないところまで。その思いで走って少年達の足が急に止まる。前を行くセシリアが誰かにぶつかってしまったのだ。途端に絶望と焦りが頭の中で綯交ぜになって、少年は足をもつれさせて転んでしまった。少女も同じく、彼女の場合はすぐに立ち上がることすら難しそうだ。


 もう駄目だ、訳もなく目を瞑りそうになった少年の耳に、セシリアの嬉しそうな声が響いた。


「やっぱり、私達運命の糸で結ばれているのですわ!」


 いきなりどうした、と少年が見上げると、そこには酷く嫌そうな顔をした、ライトシアンの髪の男が立っていた。



 誰か今の状況を簡潔に説明してくれ、とソルは心から願った。当然それに答えるものなど居らず、仕方なく自分の知りうる限りで状況を整理する。

 先ずセシリアを置いて駅から出た後。宿を探すかどうか迷い、その前に久々に文化的な食事が食べたいと、彼は左の通りに足を進めた。鬱陶しく付き纏って来る少女を待つ、という選択肢は最初から無く、どうせ撒こうとしたところで見つかるのだから気にしなくて良いと考えて、適当な飯屋に入った。一番安い麦飯を頼んだら、予想外の不味さに鼻をつまみながら、それでも保存食よりはマシだと完食し、腹ごなしに通りを歩いていたら、1度引き離したはずのセシリアが、見た事も無い少年少女と、それを追いかけているらしい男どもを引き連れてぶつかってきた。


 訳が分からない。ソルの正直な感想であった。追いかけられているのがセシリアだけだったのならば特に気にもせず、知らないふりをして逃げたのだが、年端も行かない子供まで巻き込まれているとなると、それもはばかられる。毎度の如く厄介事を引っ張ってくる彼女には辟易とするが、一応は大人の務めとして、ソルは男達の前に立ち塞がった。

 その姿は子供達を守る騎士のようにも見えたのだが、それは割愛するとして。


「とりあえず、あんたらは何者なんだ」


 ソルは男達二人に問い掛ける。穏健に話が済むのならそれに越したことは無い。言葉は、暴力に比べれば無力でも、争いを回避する程度の力はあるのだ。随分と物騒だが、聞く耳持たずに誰とも知れぬ相手に殴りかかるほど相手も馬鹿じゃないだろう。


「お前には関係無い。すっこんでろ」

「子供追っかけてる危ない奴らを野放しにするのも如何なものかと思うがな。ちゃんとした理由があるんなら、まだこっちも考える猶予があるんだが」

「関係ねえってんだろ」


 あくまでも事情を説明しようとしない男達にソルは肩をすくめる。そんなむりやりな理屈で渡してもらえると思っているのだろうか。ひ弱な一般市民ならそれでも通用したかもしれないが、残念なことに相手は多くの修羅場をくぐり抜けてきた旅人だった。


「ふむ。じゃあ赤の他人なりに好き勝手やらせてもらいますか」


 ソルが背中に右手を回した。武器を取り出すと想像した男達は身構える。傍目には武器を持っているようには見えないし、短剣ダガーか、或いは暗器の類いか。すぐに幾つか可能性を精査する。ソルが体を捻ると、男達が両手を交差させて攻撃に備えた。


「がっ・・・・・・!?」


 しかし、唸るような悲鳴を上げたのは目の前の男のどちらでもなく、ましてやソルでも、子供たちでもなかった。腕から血を流して、が後ずさる。一人別行動を取り、背後から隙を突いて拐かす心積りだった男は、まさか気付かれているとは思わず、ソルが背中のスローイングナイフを掴んだ時も無防備なままだった。しかし、彼を責めることは出来ない。背後から息を潜めている人間に気付くことも、一切視線を向けずに気配だけでナイフを投げ、しかも子供達をすり抜けて正確に当ててくることなど、いったい誰が想像できようか。


「さっさと帰ってもらおうか」


 人間離れした神業に前に居る二人の男が目を奪われた、その意識を抜けてソルが二人のすぐ近くにまで足を踏み入れている。身じろぎすることすら許されず、リーダー格の鉈を抱えた男は、鳩尾を掌底で打ち抜かれ、紙屑のように吹き飛ばされた。続けてもう一人の男の腕を掴み、捻りながら背負い投げる。振り抜いた瞬間に手を離し、男は慣性の働くまま宙を舞った。先の男と寸分違わず同じところに落下し、二人まとめて呻き声を上げる。


 それを見届けることなく、ソルは激しい舞踏を思わせる足さばきで振り返り、一歩、二歩、驚くほどの速さで、腕を切り裂かれた最期の男の、眼前に迫った。未だ刺さったままのナイフを引き抜き、同時に反対の手で作られた握り拳が苦悶の表情を浮かべる顔を強打する。この間には僅か一メルほども掛からなかっただろう。一蹴、という言葉が相応しい。ソルは傷一つ付けられず、対する男達は立ち上がることすらままならない。


「さてと、逃げるぞ」


 ここに居残るのは百害あって一利無し、今の状況を知るためにも少年達を連れて逃げなければならなかった。しかし、白ワンピースの少女はまだ立てないでいた。少年が慌てて抱き起こそうとするが、同年代の、しかも子供では体格にそう違いがあるわけでもなく、なかなか立ち上がらせられないでいる。


「ほら、どけ」


 いつ男達が起き上がってくるか分からない以上、一セルだって無駄にすることは許されない。ソルは少年をどかし、少女をがっしりとした腕で抱き上げる。左手は背中に回し、右手で膝の裏を支える、完璧なお姫様抱っこだ。


「あー、ずるいですわ! 私もやってほしい!」

「馬鹿言ってんじゃねえっての。ほら、ガキ。どっか落ち着ける所はねえのか」

「え、あ。こっちの方!」


 少年が指さしたのは右の通りへと続く路地。よし、と声を掛けてソルは勢い良く走り出し、二人もそれに続く。

 ようやく痛みの収まった男達が後を追うために周りを見渡しても、彼らの姿は何処にもなく、私兵の走ってくる足音だけが聞こえた。

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A Girl Want to be Killed 郡山 氷里 @hisato_sugar

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