終章 ドアによる未来

(終)

終章 ドアによる未来


 巨大な火の玉が膨れあがる。続いて、天を衝く高い原子雲。爆風が、周囲一

切を消し飛ばす。山々は削り取られ、湖は蒸発し、森は灰となった。生物は死

すらも知覚できない。大地には爆孔を穿ち、大空には粉塵を巻き上げ、暗雲が

太陽を隠す。世界の終わりを見ているようだが、この地上においてこれはもは

や日常の光景である。

 そうした熱核兵器の乱用で地上の高度は平均三〇m下がった。さらに、質量

兵器の乱用で地球の公転エネルギーはいよいよ目に見えてわかるほど減衰しは

じめた。軌道が落ち、一年は慌ただしい周期となる。星座の形も変わった。砂

漠化やオゾンホールなどという表面的な問題ではなく、本当の意味で地球は危

機に瀕してた。だが、一度火がついてしまった狂気の渦の中では、誰もが生き

残るために戦略兵器の使用をやめるわけにはいかなかった。

 ドアの長距離移動のためには事前にGPSなどによるサポートが必要だが、

今となってはそのための衛星もほとんどが撃墜され、旧式の小型衛星が数機稼

働するのみとなっている。代替衛星を打ち上げようにも即座に撃墜されること

は目に見えているし、周回軌道上には無数のデブリが舞っている。そのなか

で、ドアはかつて衛星が収集したデータやAIを搭載した巡航ミサイルのアク

ティブスキャンによって収集したデータをローカルに保存し、低精度ながらも

運用されていた。かつて主力だったドアはいつの間にか索敵補助に留まり、時

代が一周したかのように地上ではミサイルが主力として活躍するようになって

いた。

 一方、海中での主力は依然として原潜である。地上ではもはや居住可域すら

かぎられ、ある国では国民総原潜移住計画が提唱された。いうまでもなくこれ

は絵空事だ。すべての国民を収容するだけの原潜を建造するなど不可能であ

り、それだけの巨大な原潜を造ることも、数を用意することもできない。敵国

に邪魔されないことを前提に国家予算のすべてをつぎ込んだと計算し、どんな

に甘く見積もっても四〇万人程度で限界だ。戦争により人口が減っていたこと

を考慮しても総人口の一%にも満たない。あまりに多くの現実的な問題を無視

した上での試算でこれである。

 とはいえ、政府や軍部をはじめ多くの国民が海中へ避難したことは事実だ。

海中に潜み位置を特定できない相手に対し、原潜の非保有国には打つ手がなか

った。ゆえに、対抗手段としてBC兵器によりすべての海水を汚染して兵糧攻

めにするという大胆な作戦が敢行されることになる。それもまた壮大な計画

だ。そう上手くはいかない。だが、長い戦争はやがて技術的ブレイクスルーを

生んだ。彼らは極めてステルス性の高い自己増殖する超微小ナノマシンを開

発。手当たり次第に大量に散布した。それは生体電気信号に反応して致死性神

経毒を生成する。ドアインターフェイスと同じ技術である。長らく正体の判然

としなかったこのナノマシンに、原潜側の対応は大きく遅れた。対抗して原潜

側も解毒ナノマシンを開発し散布したが、そのときにはすでに手遅れであり、

海は完全に汚染されていた。

 これを機に、原潜保有国はかねてより温めていたある計画を実行に移すこと

を決定した。国民総原潜移住計画はあまりに馬鹿げた夢想だが、それは原潜の

開発という方法を取るかぎりの話である。億にも及ぶ人口を収容する原潜を用

意することなどできない。ならば、人間の方が小さくなるしかない。脳医学と

コンピュータ技術の発達がそれを可能にした。すなわち、肉体を捨て、小型の

チップに全人格を移植するのだ。倫理問題は死活問題の前に掻き消えた。受け

入れられないものは死ねばよい。

 このことにより彼らの隠密性はさらに向上。もはや原潜に乗る必要すらな

い。サイズも瞬く間に小型化し、当初はイルカ大ほどだった外殻もいつしか小

エビほどのサイズに収まった。彼らはタングステンの鎧を身に纏い、プランク

トンのように海中を漂った。そうして、無限の攻撃力を有しながらも互いに位

置を掴めぬまま潜伏する日々が続いた。

 それでもなお、戦争中には違いない。めったに攻撃はないとはいえ、忘れた

ころに死者は出た。また、チップへの人格移植はやはり脳医学的にかなり無理

があり、幻肢症状に悩まされるものが多発。激しいストレスに苛まされ、いつ

しか戦死者よりも心因性の死亡者数が上回るようになった。

 軌道上には無数のデブリが舞い、地上は穴ぼこで放射能に塗れ、海中はナノ

マシンに汚染された。人類は隠密に特化した微小の機体に魂を閉じ込め、互い

に息を潜め睨み合い、思い出したように交戦する。

 地球はご覧の有様で、「どこでもドア」とは名ばかりに、人類はどこにも行

けなくなった。


「……どうして、こんなことになってしまったんだ」

 彼はデータベースの中から人類の歴史を掘り起こしては、そう嘆いていた。

 彼の名はアキラ。歴史上の偉人に由来する名である。両親共にチップ人類、

データ上の遺伝子の人工交配によって生まれた世代である。戦争のただなかに

生まれ、そして現在までもその最中にある。普段は人格ソフトのエラー蓄積や

放射線によるソフト劣化しか気にするようなことはないが、ひとたび攻撃が始

まれば瞬く間に全滅してしまう。そのため多くの歴史記録が散逸していた。

 百二十年前。人類は第三次世界大戦(第一次ドア大戦)に直面した。

 ドアが実戦使用された初めての戦争であるが、まるで宿命づけられていたか

のようにその戦争はドアの登場とほぼ同時期に起こった。それは、今までの戦

略・戦術の常識が大きく覆った壮絶な戦争だった。

 約七年続いたその戦争は、ある一人の英雄の発案によって終結する。英雄の

名は崎島彰。この世にドア技術をもたらした科学者だ。同時にドア戦争という

悲劇を招いた人物でもあり、その評価は分かれるところである。ゆえに、彼は

激しい罪悪感に苛まれていた。だが、彼は逃げなかった。彼は故郷である日本

を攻撃するという苦渋の決断を下し、世界を狂気の渦から救ったのだ。

 しかし、彼の活躍も虚しく人類はまた同じ過ちを繰り返すことになる。戦争

終期、米国とロシア(※両者とも当時の大国)は同盟を結び、中国(※同じく

当時の大国)を共通敵とした。結果、中国が降伏し戦争は終結したが、その後

中国の分割統治問題で対立し、中国は南北に分裂。長い戦争のために疲弊した

二大国はその傷を癒すため中国から搾り取るつもりでいたが、睨み合いが続き

復興は大幅に遅れた。一方、傷ついていたのは二大国だけではない。あるい

は、戦争を無傷で生き残り野心に燃える破落戸もいた。

 和平期間はわずか五年。弱り果てた大国を狙い、有象無象の国家が群がっ

た。空軍※の力が低下していたため、つけいる隙はいくらでもあった。核とド

アによって虐げられてきた長年の復讐である。

(※空軍とは宇宙開発を事業とする企業である。当初は無報酬で情に訴える募

金活動をしていたが立ちゆかず、のちに「出資者には宇宙旅行をプレゼント」

と掲げ企業化し、資金提供を求めていた。なぜ「軍」を名乗ることが許されて

いたかは不明。かつては軍の一つだったという説もある)

 そして、第四次世界大戦――すなわち、第二次ドア大戦がはじまった。その

戦争は、現在もなお続いている。

 戦争の影響は地球全域に及んだ。対生体ナノマシンが海中すべての生物を死

滅させ、いまや彼らが単一の生態系を形成している。金属製の外殻に守られた

チップ人類には脅威ではないが、敵はさらに新種のナノマシンを開発。人類は

いま、敵が散布した金属腐食ナノマシンを排除した海中都市に生活している。

都市といっても明確な輪郭を持たないドアフィールドで覆われた球形の空間で

ある。そして、都市そのものも深海を浮遊し移動を続けている。

 狂っている。こんなものが本当に史実だというのか。思わず笑いがこみ上げ

てくるほどだ。同時に沈鬱な気持ちも襲う。要約された概史だけでも彼の感情

機構を掻き乱すには十分すぎた。蓄積したエラーを削除。熱暴走寸前にまで達

したチップより排熱。新世代として最適化されているモデルでも、強い情動に

は不可解なノイズが走る。彼にはそれが不愉快でならなかった。

 だが、彼も嘆くばかりではない。ドア物理学に精通していた彼は、ある希望

をもって地道に研究を進めていた。そのためにはどうしても必要なものがあっ

た。すなわち、ドア技術そのものである。

ドア技術は軍に独占されている。ゆえに独力で開発するほかないが、そのた

めにはあまりに知識が足りない。軍からドアを借りることはできなかった。海

底地形の調査目的と称してできるだけ真実をもって申請し、最も重要な目的は

隠す。そんな誤魔化しでは許可など下りるはずはない。ゆえに、彼は自らスク

リューを回して探索するほかなかった。ドアの貸出はできなくとも、都市の外

へ開かれたドアを通る許可を得ることはできる。ただし、命の保証はない。

 彼は全長三〇cmの外殻を身に纏った。外出時に軍が貸し出すものだ。長距

離を移動する際はこの方が都合がいい。なにより金属腐食ナノマシンから身を

守るためにはドアフィールド装甲が必要不可欠だ。都市の外へ出ることは常に

危険が伴う。敵に気づかれるおそれがあるためアクティブソナーも使えない。

探索はすべて「眼」でなされた。活動限界まで海底を泳ぎ回っては帰宅。補給

とメンテナンスを済ませてはまた探索。そんな日々が続いた。

 黒い影。はじめは地形の一部かと思った。それが巨大な金属の塊であると判

明し、人工物であることに気づいた。

 SSDNハーバード・G・リッジウェイ級。旧時代の遺物だ。

 すでにナノマシンによって大部分が腐食しているが、このサイズだ。まだ原

形を保っている。かつての人類がなぜこうまで巨大な建造物をつくらなければ

ならなかったのかは理解に苦しむが、やはり技術が未熟だったことに由来する

のだろう。

 水深三〇〇〇m近い超深海層ということもあり、ナノマシン濃度も低い。肝

心のドアは無事か。それがなによりも気掛かりだった。いや、無事ではないだ

ろう。だが、コアが残っていればそれでいい。残骸でもあればそこから復元は

できる。

 彼は腐食から生じた穴を通って中へ入った。内部もまた広大な迷宮になって

いた。水圧と腐食により変わり果てた姿なのだろうと想像はできるが、あまり

に奇妙な構造だった。あまりに空間が広すぎるのだ。当時の人類の全長が一m

を超えていたという信じがたい記述を文献から発掘したことがあるが、そのた

めなのだろうか。ドアの出力装置であるリングを目の前にしたとき、それは確

信に変わった。

 彼は思う存分その残骸からドア技術に関する情報を抽出し、嬉々として都市

へ帰った。


「あいかわらず熱心に研究を続けているようね」

 話しかけてきたのは、デフラグのための一時機能停止から目覚めた妻のリサ

だった。

「いったいなにをなさっているの?」

 彼らの会話は赤外線で行われる。海中で不用意に音を立てることは死に直結

するからだ。

「そうだな。そろそろ話してもいいだろう」彼はリサに接続し、研究要項を送

信した。ここからの会話は有線でなされた。

「まさか……これって」

「ああ。沈んだ原潜から技術をサルベージした。おかげで研究は進んだよ。サ

イズは多少大きくなるが、十分有用だ」

「しばらく見ないと思ってたら……外に出てたの?」

「ああ。大冒険だったよ」

「よくもまあ、そんな危険なことを私に相談もなしに」

「話していたら反対しただろう?」

「無事だったからいいけど。それはそれとして、いいの? こんなことして。

軍に知れたら……」

「構わないさ。私のアイデアを実証するにはどうしてもドアが必要だったん

だ」

「アイデアって?」

「いいか、時間と空間は本質的に同じものなんだ。これはドア物理学において

も変わらない。つまり、空間に作用するドアの原理を応用すれば時間軸に干渉

することもできるんだよ。私が研究しているのはこれだよ」

「そうなの。でも、実際にそれを作動させるためには理論上莫大なエネルギー

が必要になるようだけど……」

「問題ない。地球の公転エネルギーからいくらか拝借すればいい。なんならコ

アに繋げてエネルギーをいただいてもいいな。ドアを使えばエネルギーなどい

くらでも手に入る」

「冗談よね? あんまり無茶なこといわないで。それは第一級犯罪よ。危険因

子として存在ごと抹消されます。なにより、地球が……」

「大丈夫だって。全部元通りになる。この狂った歴史も綺麗さっぱり正され

る」

「歴史を……? まさか、あなたは」

「ドアを発明する以前の崎島博士に会いに行く。すべての悲劇の根源はドアに

ある。歴史の分岐点はここだ。要は彼を止めればいい」

 問題は、肝心の崎島博士の足取りだった。彼の伝記は数点出版されている

が、日本という国家に生まれた彼はなんらかの事情で米国に亡命、だがそれ以

降の足跡は軍が絡んでいるらしく辿れなかった。できるだけ早い時期に接触し

たいが、有名になる以前は記録がない。それでも根気よく検索を続けていたと

ころ、ある災害調査に派遣されていたことが判明。その仕事のあと、崎島博士

の個人ブログにてドアのことを思わせる昂奮気味の発言が確認できた。

 彼に会うならここしかない。ドア発明以前、そして場所も時刻も判明してい

る。しかし、海中に生活するチップ人類である彼らには気掛かりな点があっ

た。

「場所はここでいいの? ここでは動けないと思うけど」

「おそらく戦争で水位が下がったんだろう。太陽にも近づいたしな。今や我々

が住める場所さえ限られている。ともかく、この場所であるのはたしかだ」

「それを差し引いても、ずいぶんと浅いところに住んでたのね」

「当時は戦争中でもなかったしな。こんなもんじゃないか? 歴史が変われば

私たちもこんなリゾートに住めるようになる」

「リゾートって? 放射線も水温も機体に悪そうだけど」

「馬鹿だなあ。戦争が起こらなければそんな心配はないんだ。当時の浅海は熱

すぎず冷たすぎず、CBUにとっても最適な水温だったろう。それだけじゃな

い。当時の浅海はな、なんと宇宙が直接見えるんだよ! すばらしいだろ

う!」

 アキラは感情指数の高い情報を送信したが、妻はその意味を的確に解読でき

なかった。

「宇宙ってデブリ雲のこと? 映像で見たことあるけど、確かに綺麗ね」

「違う、そうじゃないんだ。恒星が見えるんだよ!」

「またまた。さすがに騙されませんよ。でも、歴史が変わったら私たちの関係

はどうなるの?」

「きっとまた出会えるさ。君のような美しい耐圧殻を見逃すわけがないじゃな

いか。アクティブを打ってくれれば音紋を辿って会いに行くよ」

「まあ、命懸けの恋愛ね」

「違う違う。その歴史では戦争にはなってないんだ!」

おしどり夫婦のロマンティックに浮かれたのろけが続く傍らで、そのための

計画も着々と進む。接続していた中型工作機械を離れ、彼は最終調整をはじめ

た。距離をとらなければ全景が把握できないほどの巨大なドアだが、素人にし

てはよくできたというべきだろう。

「さて、そろそろ行こうか。わくわくしてきたな」

「でも、本当に大丈夫なの? もっと事前にいろいろ検証した方がいいんじゃ

ないのかしら」

「びびりだなあ。まだなにか気になることがあるのか?」

「特に思い当たることはないけれど、初めての試みなんだから慎重を期すべき

じゃない? それこそ、時間はいくらでもあるのだし」

「……そうだな。かつて人類は陸上生活をしていたなんて珍説が囁かれるよう

な時代に行くわけだからな」

「もっと現場に関する知識も欲しいわね」

「心配ない。私ほど当時の歴史研究をしたものはいないよ。残っている資料は

可能なかぎり調べ尽くした。むろん、安全対策は万全を期す。まあ、行ってみ

ればわかるだろ。念のため、まずは時間的に先回りして様子見だな」

準備は整った。あとは実行に移すのみ。そのタイミングで、彼らは死神の甲

高い声を聞いた。

「アクティブソナー! 避難勧告が出ているわ」

「この音紋は敵……まさか見つかったのか?!」

 続いて各所で爆発音が鳴り響いた。海中都市が攻撃に晒されているのだ。

「もはや一刻の猶予もない! 急ぐぞ。すべてが台無しになってしまう!」

 時間接続ドアと空間接続ドアを組み合わせ、彼らは崎島博士のもとへ向かっ

た。その直後、敵の攻撃によりエアロックが破壊された。

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ドアによる未来 饗庭淵 @aebafuti

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