某大河ドラマの和弓の扱いが酷い件

阿井上夫

某大河ドラマの和弓の扱いが酷い件

 某公共放送局で某大河ドラマの宣伝番組を見ていた時のことである。

 真田信繁が徳川陣営を訪問するシーンが流れた。

 場面は屋敷の中庭らしき、屋外。目の前の弓立にずらりと並んだ黒塗りの和弓を見ながら、真田信繁が、

「さすが徳川様は武器の手入れが行き届いている」

 というようなことを感心して言ったところである。


 私はこれで某大河ドラマを見る気がしなくなった。


 何故なら、少なくとも和弓に関して何の時代考証もしていないことが、明らかだったからである。

 さて、このシーンの一体何がいけないのか。

 この短いシーンで、どうして私がここまで憤慨したのか。

 言いたいことは山ほどあるが、特に酷い点を三つだけ簡単に説明する。


 〇 信繁の前に並んだ和弓には、竹の節がなかった。


 弓道経験者ならば一見してすぐ分かるほどの杜撰さである。  

 要するに、並んでいたのは竹と木で作られたものではなく、表面にグラスファイバーを貼り付けた合成弓だった。そんなものが戦国時代にある訳がない。

 竹弓はそこそこのものでも値段が高いし、数を揃えようとすると扱いが大変である。それでこうなったのかもしれないが、安易に合成弓を並べるぐらいならば、このシーン自体をやめてほしい。

 物語の進行上どうしても必要な場面ならば、せめてミヤタ弓具の人工節付合成弓にして欲しかった。


 〇 戦国時代に「黒い塗弓」はかなり異質である。


 武士は自分好みの形と強さに調整するために、弓を頻繁に削っていた。つまり、黒く塗っても削れば無駄になるから、塗る訳がない。

 例外として、仕上げた弓をその形で保存するために、全体に籐を巻き、その上から漆を塗ることはある。

 これは「重籐しげとう弓」と呼ばれていたが、そんな大層なものが戦場にあんなにあるほうがおかしい。

 見栄えだけを求めた結果だろう。


 〇 武士が弓を屋外に放置することは有り得ない。


 弓は武士の魂であり、自分で管理するのが常識である。

 それに、竹弓は使用する前に念入りな調整が必要だから、手元に置かないほうがおかしい。

 現代戦における銃と同じ感覚で、徳川家が家臣に弓を配る前の状況を想定したのだろう。しかし、そんなことは有り得ない。

 弓は自前で持ってくる武器である。通常装備品として支給される弓になんか、命は預けられない。どんな癖があるか、全く分からないからだ。

 それに弓は繊細な武器であるから、直射日光の中に放置すると狂いが生じかねない。また、湿気に弱いから雨が降ったら台無しだ。


 普通の時代劇ならともかく、仮にも某大河ドラマである。それにしてはお粗末な弓の扱いに、目が点になった。

 恐らくは神田にある小山弓具店に協力依頼して、無理矢理に合成弓を必要な数だけ揃えて貰ったのだろう。

 小山さんもこんな安易な仕事、断ればよかったのに。


( 終り )


***


( 補足 )


Q:そこまで怒らなくてもよいのでは。

  一般視聴者には分かりません。

A:確かにそうなんですが、今回の扱いは「アメリカの開拓時代を舞台とした西部劇で、リボルバーを使わずにオートマチックを使った」のと同じレベルです。


Q:番組の予算や時間の都合上、仕方がないのでは。

A:竹の弓が必要ならば、弓具店や近くの弓道会にそう言えばなんとかしてくれます。例えば、スタジオジブリは「もののけ姫」作成時、弦音を録音するために東京都北区の弓道会に協力を依頼しました。


Q:時代考証を真面目にやった平清盛は、低視聴率でした。

  大部分の人が「格好良い」と思う絵のほうが大事です。

A:そういえばそうでした。作者に作品への拘りがなくてもOKだなんて、なんだかとても残念な話ですが、時代の流れなのでしょうね。

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