一周目エンディング『マイ・フェア・レディ』後編

 それから一ヶ月が経過した。

 その間、おれは結局、自分が呼び出された施設に戻り、そこで暮らした。

 「い、いやぁ。クムクムさん、良くなりましたねえ。毛ヅヤ……」

 アイシャは半ばあきれたような顔で、クムクムに言った。

 「ツヤッツヤじゃないですか」

 「お、そうか?」

 「ええ、ちょっと触っていいです? うわー、ふかふかだ」

 「そうだろうそうだろう」

 おれたちはリビングのような場所にいた。

 クムクムは机にむかって書類仕事をしていたが、アイシャに声をかけられると、顔をあげて椅子のうえに立った。そして自慢げに胸を張り、アイシャに尾を撫でさせる。

 じっさい、クムクムの毛並みはさいきん急速にきれいになっていた。ツヤッツヤでフッカフカであった。

 繁殖期……というと響きがあれだが、とにかく、ある種の時期が来て、クムクムはなんか変わった。毛並みはがらりと良くなり、柔らかい毛先がそろって、しっとりと光っている。あとなんかいい匂いがする。

 「まあなっ、いろいろな」

 彼女はソファに飛び移り、おれのとなりに座る。性格もちょっと丸くなった。

 「え、ええ……」

 アイシャは引きつった顔で、おれに目を落とす。

 「だ、大丈夫っすか、あんた」

 「……うん」

 おれは力なく答える。

 「生きてますか?」

 「ああ、なんとかな……」

 おれはぐったりとソファに身をあずけていた。

 アイシャはやれやれ、といったしぐさをする。

 「この世界だと常識なんですよね……常識すぎてだれも言わないんですけど」

 彼女もおれをはさむように座る。

 「繁殖期のコボルトが 精 力 絶 倫 だってことは、子供でも知ってますんで」

 「わははは、照れるなあ」

 「クムクムさん、もともと格闘家ですからね。体力すごいですし、大丈夫ですか? 大丈夫じゃないですね? いま体力は何割ぐらいですか?」

 アイシャはおれの顔をのぞきこむ。

 「たのむ……寝かせてくれ……」

 「あんた。そんな体力でよくハーレムとか言ってましたね。コボルトの女の子ひとりでいっぱいいっぱいじゃないですか。え? このこの」

 アイシャがおれをひじでぐりぐりする。

 「あんたにハーレムなんか無理ですよ」

 「わはは。浮気したら殺すからな」

 クムクムは足をぱたぱたさせる。



 アイシャはなじるようにささやく。

 「ええと。異世界ハーレムでしたっけ? 異世界ハーレムはどうしたんですか? そんな女の子ひとりで満足しちゃっていいんですか? あんた?」

 「いいよ……降参だ」

 おれは言った。

 「ハーレムとかもういいです。おれがまちがっていた」

 「うんうん」

 クムクムは満足げにうなずく。

 「どう見ても体力的に無理です。本当にありがとうございました」

 「わはは。勝った」

 クムクムはごきげんであった。

 「……ふん。そういうと思った。期待してません」

 アイシャはつまらなそうに言う。

 「身の程を知ってるのがあんたの一番強いところです。褒めてあげましょう」

 「イヤミか」

 「イヤミじゃないですよ。身の程知らずはみな死にます」

 アイシャはお茶を入いれはじめる。

 「ま、いいですよ。異世界人さんには最初から何も期待してません」



 「クムクムさん?」

 「なんだ?」

 「いいんですか? 最強の敵を探し出して、それと戦うのが望みだったのではないのですか? そんな小さな幸せで満足していいのですか?」

 「いいんだ」

 クムクムは遠くを見るような目をする。

 「あのとき、最後の敵と思った相手が、一瞬で燃え尽きた。わたし以外の手で倒された。そのとき……わたしの中で何かがはじけたというか……燃え尽きてしまってなぁ」

 「なるほど」

 「もう、格闘家としてのわたしは旅を終えた。これでよかったのだ」

 「ほんとうに良かったのですか?」

 「良かったんだと思うぞ」

 クムクムはおれを抱きしめる。

 「なあ、イーライ学長? そういうのもありだろ? 聞いてるか?」



 「いやーん」

 イーライはミフネに押したおされていた。

 「ぐへへへ」

 別のソファの上で、ミフネはイーライを押したおしていじくりまわしていた。

 イーライは楽しそうである。ようするに二人はいちゃついていた。

 「あらいやーん…………って、お呼びになりました?」

 ミフネに組みしだかれたまま、急に素に戻るイーライ。

 「何かご用? いまいいところなのですけど」

 「あ、いや……もういい。じゃました」

 クムクムはあきらめたように言う。

 「イーライ学長……」

 アイシャは顔をひきつらせている。

 「少しご説明いただけますか」

 「ああ……なんというか、わりと」

 イーライは火照った顔を撫でる。

 「さいきん『野蛮なダークエルフの軍属に捕まって蹂躙されるワタシ』があんがいイケるシチュエーションだったというか」

 「は、ははははは……さようで」

 アイシャはこぶしを握りしめている。

 「そうなの。気があったので、定期的におたがいお忍びで」

 「……会ってるんだ」

 ミフネはちょっと気まずそうに言った。

 「まあその。私も結構楽しんでてな。ほらその、私ら、なんというか、強引なのが好きな種族でなあ。こういうのでないと」

 「いわば需要と供給ですわ」

 「合意の上で無理やりみたいな……いやまあ。それはいいんだが」

 「それ、ここで逢い引きする理由になるんですかね?」

 「私は地方貴族で軍閥の長、イーライは王立大学の学長だ、人の目が気になる身分だ。そしてお互いに、戦争状態ではないとは言え、種族も国も違う。お互いが出かけていって言い訳が立つ場所は、多くない」

 「だからお邪魔しちゃって……」

 机の上には、学長がおみやげに持ってきたお菓子の箱が置かれている。デートの場所に使わせてもらうお礼、兼、口止め料といったところだ。

 アイシャはがっくりとうなだれる。

 「はははは、そうですか。そうですか」

 うなだれたまま身体をゆするアイシャ。

 「それでいいんですか学長?」

 「なにがですの?」

 「あなたは魔道の探求者ではないのですか? そんなイチャらぶ生活で幸せになっちゃっていいのですか? あなたの魔道の探求のため、ともに魂を売ったわたしはどうなるのですか?」

 「だ、大丈夫ですわ。アイシャさんにもいい人見つかりますわ」

 「それ、クシャポイって事ですかね。わたしとの関係は」

 「そ、そんな、そんな言い方ないじゃないですか。アイシャさん。わたしたちお互い楽しんで来たでしょう? こういう形で。何が不満なの?」

 「あなたがフツーの人になっちゃったことが不満なんすよ……」

 アイシャはゆっくりと顔をあげる、そこには確かな憎しみが宿っていた。

 「貴女だけは本物の怪物だと信じて、わたしは魂を売ったのに……」



 「エコー先生、いいんですか?」

 アイシャはその暗い目をエコー先生に向ける。

 「戦争を巻き起こし、世界を破壊するのとひき替えに、科学技術とやらを発展させるのではなかったのですか? あなたは世界の破壊者ではないのですか?」

 「あ、ああ、もちろん」

 エコー先生は寝ぼけたような顔で言う。

 「やるよ、そのうちね」

 これまた別のソファ。エコー先生はルカと重なって座り、彼に背中をあずけていた。

 「……そのうち、世界を滅ぼすさ」

 そういいながらエコー先生は、胸に回されたルカの手をいとおしそうに撫でる。

 「やるとも」

 そう言いながらエコー先生は顔をあげて、ルカと何度か軽い口づけを交わす。

 「でもちょっと、今は、彼と一緒にいたい」

 エコー先生はとろけた顔でアイシャに目をやる。

 「なるべく長い時間一緒にいたい」

 「それでいいのですか?」

 「ほかに望みはない。ぼくはずっと何かにいらついていたし、ぼくの意識の奥にははっきりしないノイズがつねにあった。彼と一緒にいると心が安まる。それでいい」

 エコー先生は目を閉じる。赤ちゃんのような表情だった。

 「わかりました。もういいです。失望しました」

 アイシャはくっと顔をあげて、手を叩く。



 「なるほど、なるほど。わかりましたよ」

 アイシャは部屋の隅にあった革のカバンをひろい、引きよせた。

 「あなたたちは、本当は『新しいもの』なんてもとめてなかった」

 アイシャは罪を責めるように言う。

 「あなたたちは、本当は、世界に対してここにないものを要求なんてしていなかったのです。ただ新しいものを要求するフリをして、自己満足していただけなのです。そうなんです」

 カバンを抱きあげる。

 「あなたたちは、本当は、ハーレムや、戦いや、魔道や、破滅なんて、望んでいなかったのです。本当は、ただ甘ったるい日常を望んでいたのです」

 カバンをゆっくりと開ける。

 「あなたたちが自分の物語に望んだのは、けっきょくのところ優しさなのです。あたなたちは優しい世界を望み、それはかないました。おめでとうございます。おめでとう、おめでとう」

 アイシャは両手で何かをとりだした。

 「おめでとうございます。見損ないました」

 それは、ガラスの容器に入った何か。

 「わたしから言うことはひとつです」

 アイシャはおれを見る。

 「異世界人さん。引き継ぎ要素を選んでください」

 「な、なにいってるんだよアイシャ」

 「なんだ引き継ぎ要素って、あたま狂ったのか」

 アイシャは問いを無視する。

 「いいから。もしもう一度この異世界ライフをやり直すなら、あなた、何をもとの世界から持ち込みますか?!」

 おれは答える。

 「……醤油かな」

 「ショーユ?」

 「食い物に慣れるのになかなか苦労したからな……醤油が欲しい」

 「なんですかそれ」

 「調味料かな」

 「そんなんでいいんですか」

 「おれにとっては大事なものだ」

 「まあいいや……わかりました」



 アイシャはにかっと笑顔になる。

 「それでは二周目プレイいってみましょう」

 「プレイ? またいやらしいことか?」

 アイシャはもう下ネタには答えず、ガラス容器のふたを回す。

 中に入っていた緑色の物体が、うごめく。

 「あ、あなた、それ、まさか!」

 「ジャガイモですよ……」

 アイシャは容器の中の緑色をじっと見つめている。

 それはジュルジュルと動いて、つるのようなものをガラスの内側に這わせている。

 「この異世界人さんが持ちこんだジャガイモです。覚醒させておきました」

 「ジャガイモを覚醒させた? なんでそんな?」

 「あの魔法のためには覚醒させるしかないじゃないですか」

 「異世界人が持ちこんだジャガイモを覚醒させたの?」

 イーライが血相をかえて立ち上がる。

 「それしかないじゃないですか……」

 アイシャは容器の中に手を突っこむ。

 「貴女何してるの! 素手で触るなんて!」

 イーライは口をおさえる。

 「あなた死んでしまう!」

 アイシャは無言で、それをとりだす。

 それは、いびつな球形をして、うすみどりの光をまばゆく放っていた。目を細めないと直視できないほど強い光だった。光に触れるだけで、肌が焼けるように感じる。

 「こうでもしないと、わたしにあの魔法は使えないじゃないですか……」

 アイシャは自分の腕を見つめる。

 「ジャガイモでも使わないと……」

 「狂ったのか? 正気に戻れ、アイシャ!」

 クムクムが叫ぶ。「緑色になったジャガイモに触るな!」

 その物体からは、光の帯のようなものがいくつも伸び出していた。それは触手のように揺らぎ、アイシャの腕にからみついて、血管のような模様を成しながら、アイシャの中に入っていく。

 「いや、ジャガイモってあんなんじゃないだろ」

 おれは言った。

 おれがツッコミ入れずに誰が入れる。

 「眼がついてるじゃないか。芽じゃなくて眼が!」

 そのジャガイモは、ぼこぼこと泡立つようにふくれあがりはじめていた。そして、それは眼を持っていた。泡のひとつひとつが眼のようになり、ジャガイモと呼ばれたそれは、無数の触手をもつ千眼の怪物に変わっていく。

 「あれがジャガイモの本性ですわ」

 イーライが言う。

 「ふざけるな」

 「お前のいた世界のジャガイモはな、あれは、いわば猫かぶっとるんだ。一つの側面に過ぎない」

 クムクムが言う。

 「ふざけんな」

 「ジャガイモは魔王だ。この世界のジャガイモは魔法の副作用で生まれるが、生まれるというのは正確じゃない。ジャガイモの本体は別の次元にあって、それがこの世界にはみ出てきてるんだ。魔法は次元を歪めるから」

 「次元のはざま……この言い方は正確ではないのですが、通常、空間と呼ばれるようなものとは別の、より大きい次元にジャガイモの本体は存在しますの」

 「かんべんしてください」

 「わたしたちがこの空間で見ているジャガイモは、それを三次元に切り取ったものに過ぎません。木の切断面だけを見ているようなものです。ひとつの切断面から木の全体が想像できないように、ジャガイモも本質は不明です」

 「おまえの世界のジャガイモは、食い物だったから。おまえは食い物だとおもってるだろうが」

 クムクムはおれに言う。

 「お前がもとの世界で見たジャガイモも、アイシャが握っているあれも、それぞれの世界から見たジャガイモの一部に過ぎない。おまえの世界のジャガイモが食えたのは、たまたま食える部位だったからだ」

 「たまたま食える部位って……」

 「おまえを呼び出すとき、身体にジャガイモをくくりつけただろ」

 「あ、うん。ついに狂ったかと思った」

 「ジャガイモだけが時空を超える能力がある。ジャガイモはいろいろな次元に根を伸ばしている高次元植物だ。わたしらはその一部をたどって別の時空を探す。それが召喚術だ」

 「狂ってるな」

 「何にせよ……アイシャはもう……」

 アイシャの握りしめるジャガイモは、ふくれあがって蟻塚のようになり、巨大な緑の光の柱と化していた。

 「魔法はもう発動しました。……止められません。次でお会いしましょう」

 柱に腕をのみこまれたアイシャが言う。

 


 「みんなで幸せになれるところだったじゃないか。なんで仲間を裏切るんだ」

 「裏切ったのは貴女たちですよ」

 アイシャはゆっくりと光に呑まれていく。

 「恋愛? 仲間? 幸せ? 愛? そんなものであなたたちは本当に満足できるんですか?!」

 「わたくしのことを愛してくれていたのではないの?」

 イーライが問う。

 「ええ、愛していました。イーライ学長だけはほかのくだらない人たちとは違うと信じていたのに……あなただけは本物の怪物だと信仰していたのに。失望しましたよ!」

 アイシャは肩まで光に呑まれている。

 「けっきょく、真の魔道の追求者はわたしだけだったようです。皮肉なものです。学長にあこがれて、ずっと背中を追いかけていたのに、いつの間にかあなたは見えなくなった」

 「あなた……そんな……」

 「さあご唱和ください。イーライ学長。時間を巻き戻すあの呪文です!」

 「禁呪じゃないの! あなたに使いこなせるものじゃない!」

 イーライは叫ぶ。

 「私すらあの魔法は制御しきる自信がない! 今なら」

 「もう遅いです。イーライ学長……あなたがわたしの望む道を辿るまで、わたしは何度でもこの魔法を使い、時間を巻き戻すでしょう」

 アイシャは笑う。

 「学長どの。わたしは何度でも、どの場所のどの時間でも、貴女に仕えます」

 アイシャはボロボロ泣く。彼女が泣くのは初めて見た。

 「かつて誓ったとおり、わたしは貴女のしもべです。あなたは天才魔導師です。あなたが魔道の探求者であるかぎり、わたしはどんな事でもするでしょう。なんどでも貴女の足に口づけるでしょう。そしてあなたが道を外れれば、こうして裏切ります」

 アイシャはまた笑う。

 「さあ二周目プレイ行ってみましょう。マイ・フェア・レディ!」

 おれの視界は真っ白になった。


 ***


 ******


 *********


 「やっぱりだめか……」

 おれはつぶやいた。

 おれは全裸で、体に大きく赤いマジックで『飽きた』と書いて、床に大の字になって寝そべっていた。

 電灯のヒモが目の前でぷらぷら揺れている。

 「こんなんで異世界にいけるわけないよな……」

 ここは間違いなく現世だ。裸のケツにあたる絨毯の感触も。

 いちおう、異世界に行ったときに困らないように、ショーユのビンをにぎりしめていたが、どのみち異世界には行けていないので意味はなかった。

 

 『あのう……本当に異世界……行きたいですか?』

 

 「は?」


 『いや、マジで、本当に行きたいです?』


 ショーユのビンをにぎりしめるおれの手に、ぐっと力が入る。

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スーパージャガイモファンタジー ジャガイモ以外全部絶滅 枕目 @macrame

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