第11話


 ラシャの返答は、一同に新たな混乱をもたらした。

 一介のメイドが貴族の名を与えられ、大金持ちのイケメンの妻になる。そんな一種のシンデレラストーリーを、ラシャはばっさり撥ねつけたからだ。

 バフラもジーンも小太郎も、そしてほかの使用人たちも、皆一様になにか言いたげな顔をしている。

 マハはといえば、わずかに眉根を寄せたものの、口を開くことはなかった。

 ラシャに対し、面と向かって文句を浴びせたのは、ガトゥール・ガヌドゥ。彼だけである。


「ラシャ、貴様! 貴様ごときが、嫌だなどと言える立場か! 感謝こそすれ、断るなどもってのほかだぞ!」


 自分の家柄に価値があると信じて疑わない。なににも勝るその名を邪険にしたことに、ガトゥールは憤慨している。

 ラシャは臆することなく言った。


「ガヌドゥという名をありがたがっているのは、旦那様とマハ様だけです! 私にとっては、なんの価値もありません!」

「……!」


 怒鳴り返すかと思われたガトゥールは、しかしゼンマイの切れた玩具のようにぴたりと動きを止めてしまった。ランプに照らされて床に映る彼の影が、心なしか縮んだように見える。


「お前まで、ガヌドゥの名を否定するのか……」

「……………」


 ラシャはガトゥールを見詰め、そのあとラグスットに視線を移した。


「ガヌドゥなんて、結局はただの苗字でしょう? 旦那様も、ラグスット様も、そんなものに縛られて可哀想です。――私は、ガヌドゥなんて名前、大嫌い」


 ガトゥールの丸い顔からは表情が消えた。

 まさかあの面の皮の厚い当主が、自分のようなたかがメイドの発言ごときでダメージを受けることはないだろうが、それでもラシャは気まずくなった。


「ねえ、もうちょっとよく考えなさいよ! こんないい話、滅多にないのよ!? そりゃ旦那様の言い方とか、ムカつくのは分かるけど、ちょっとだけ我慢してさあ……!」


 ジーンはラシャの肩を掴み、揺すった。ラシャのためを思って、言ってくれているのだろう、「意地を張らずに実益を取れ」という、その意見は正しい。

 だがラシャはどうしても、その考えを受け入れられなかった。


「マハ様のことが好きじゃなければ、我慢できたと思うけど……」

「え?」


 本気で好きだからこそ、譲れないものもある。

 ラシャはマハの正面に立って、彼の瞳を眩しそうに見上げた。


「私はあなたのことが好きです。だから……」


 ――あなたは、分かってくれるだろうか?


「貴族の娘だなんて余計な付加価値は抜きにして、私を選んで欲しいのです。今日、短い時を共に過ごした、ただの使用人である私を」


 本当に好きだからこそ、対等でいたい。

 ――そんな気持ちを。


「まったく、可愛げのない女だな。おとなしく、『はい』と言っておけばいいものを」


 マハはため息混じりに言いながら、不機嫌そうにじろりとラシャを見据えた。

「身の程知らず」とか、「立場をわきまえろ」とか、「自惚れるな、ブース」とか。返ってくるだろう罵詈雑言を想定しつつ、ラシャはぎゅっと目を閉じた。


「だが、仕方ない。お前は人に媚びず、自分を安売りしない。俺はそこに惚れたんだからな」


 しかし頭上から降ってきたマハの言葉の礫は、あまりに柔らかくて、優しくて。

 驚いたラシャは、そっと瞼を開けた。目の前にはマハの笑顔がある。


「悪かった。お前はお前であって、ガヌドゥのおまけじゃない。俺も覚悟を決めた。今回の縁談は、一切を白紙に戻す。そして改めて、俺はお前に求婚しよう」


 マハは床に片膝をつくと、恭しくラシャの手を取った。


「ガヌドゥ家使用人、ラシャ殿。私と結婚してください」


 皆が息を飲む。部屋にいる全ての人間の心はひとつとなって、バフラも、ジーンも、小太郎も、ラグスットも、その夫の牧夫も、新たな夫婦が誕生するか否か、固唾を呑んで見守った。

 マハは堂々としており、仕草のひとつひとつがスマートだった。プロポーズなんて、実は百回くらいやってるんじゃないかと思わせるほどだ。


 ――頭にくるほど格好良くて、悔しいけど大好きな人。


「喜んでお受けします」


 ラシャが照れ笑いを浮かべながら頷くと、マハは彼女の手の甲に口づけ、ふてぶてしく笑った。


「やったね、ラシャ!」

「おめでとう!」

「幸せにね!」


 一拍遅れて歓声が湧き上がり、同僚たち、そしてラグスットが駆け寄って来る。ラシャが彼らに応えようとしたそのとき、マハに掴まれたままの右手が思い切り引っ張られた。たまらずバランスを崩して倒れ込むと、マハはラシャの体を受け止め、ひょいと持ち上げる。


「わっ!」


 視界がぐんと高くなる。落ち着いたかと思うと、うつ伏せになった腹の下に、骨ばって硬いマハの肩があった。

 どうやらラシャは腰から二つ折りにされ、マハの肩に抱え上げられているようだ。


「さ、帰るぞ!」

「えっ!?」


 マハが歩くたびに伝わってくる振動に声を震わせながら、ラシャは訴えた。


「あ、あの、なにもこんな急に! ていうか、こんな運ばれ方、嫌です!」

「うるさい、黙れ。ぐずぐずしていて、また花嫁に逃げられたら、シャレにならん」


 ラシャは抗議を続けるが、マハはそれを無視して歩き続けた。


「荷物、送ってあげるからね~! 幸せになんのよ~!」


 一同が呆然と見送る中、ただ一人ジーンだけがラシャたちに向かって大きく手を振る。

 降ろしてと懇願し、暴れる花嫁を、その辺の荷物かなにかのように肩に担ぎ、花婿はのっしのっしと去っていった。









 正門をくぐろうとしたところで、ラシャは誰かに呼ばれた。担がれたまま背筋を使って上半身を上げると、ラグスットがこちらに向かって走って来るのが見えた。

 彼女は今、普通の体ではないはずだ。ラシャは慌てて叫んだ。


 「ラグ様、走っちゃダメーーーー!」


 その声にマハは足を止め、ラグスットも走る速度を緩めた。

 ようやく二人に追いつくと、ラグスットはぜいぜいと荒い息を吐きながら、ごめんなさいと舌を出した。


「どうしても、最後にお話したかったから……」

「ラグ様……」

「ううん、最後じゃない。また会えるものね。ラシャ、本当にありがとう。あなたがいてくれなかったら、私、どうなっていたか分からない。お腹にいるこの子を、不幸にするところだった……」


 自分の腹を優しくさすったあと、ラグスットはどこか凛々しい笑みを見せた。


「私、もう少し強くなる。お母さんになるんだもんね。私たちの仲を認めてくれるよう、お父様を説得してみせるわ」


 愛する人と結ばれ、新しい命を宿した。それらのことが強い力を与えたのか、ラグスットの瞳はラシャの知る気弱な少女のそれとは別人のように、力強く輝いていた。


 ――本当にもう、私はお役御免なんだなあ。


 ラシャにとってはそれが寂しくもあり、嬉しくもあった。


「旦那様は……どうされました?」


 応接間から連れ出されたとき、ガトゥールはラシャたちに背を向けたまま、こちらを見ようともしなかった。


「うん……。落ち込んでるみたい。あんなお父様を見たのは初めてだわ。きっとラシャにガヌドゥ家を否定されたことが、ショックだったんじゃないかな。お父様はね、ラシャのことをとても信頼していたのよ。そうじゃなきゃ、使用人のまとめ役なんてやらせないわ。ラシャのお父様とお母様がガヌドゥ家から去っても、あなたは残ってくれたでしょう? お父様は、だから、あなたはこの家を愛してくれていて、ずっと自分に仕えてくれるだろうと錯覚しちゃったのね」

「……………………」


 ラグスットの言うとおりだとしたら、先ほどは少し言い過ぎただろうか。


『ガヌドゥなんて名前、大嫌い』


 仮にも長い間自分を雇ってくれた主に対し、あまりに無礼だったか。

 ラシャは後悔の念に苛まれたが、ラグスットは首を振った。


「気にしないで。お父様も、これで少し変わってくれればいいと思うの」


 明るく言ってから、ラグスットはラシャを抱えたまま身の置き場がなさそうに佇むマハに、声をかけた。


「マハ様。このたびは私の勝手な事情でお騒がせして、大変申し訳ありませんでした。失礼の数々、平にお許しください」

「あ、ああ、いや……」


 ラグスットが深々と頭を下げると、マハはラシャを肩から降ろし、お辞儀を返した。


「ですがあなたは、素晴らしい宝物をお持ち帰りになりました。ラシャはなんでもできる女性です。強く、賢く、美しい。夫となるあなたのため、その力を存分に発揮するでしょう」

「お、お嬢様……」


 褒め過ぎである。ラシャが恥しそうに肩を丸めると、ラグスットはいたずらっ子のように笑った。


「でも、たった半日で結婚相手を決めちゃうなんて……。ラシャとはつき合いも長いけど、あなたがそんな大胆な人だったなんて、ちっとも知らなかったわ」

「…………」


 自分でも慎重なほうだと思っていたから、今回のことはラシャ自身もまだ信じられなかった。


「でも、不思議ね。あなたたち二人って、もう何年も前から愛し合っている恋人同士に見えるわ」


 ラグスットに言われて、ラシャとマハは顔を見合わせた。

 確かに、もうずっと前からお互いのことを知っていたような、そんな気がする。

 マハの言葉を借りれば、男女の相性とは、過ごした時間だけで決まるのではないらしい。

 どれだけ惹かれ合うか。それが大事なのだと。





 さて、このように出会い、結ばれた二人だったが、実際に籍を入れるのは、まだ先のことになりそうだ。

 結婚を迫るマハに対し、ラシャは「お嬢様たち夫婦が旦那様に認められるまでは駄目だ」と妙な制約をつけた。使用人としての忠義心からくるものなのだろうが、その強情さにキレたマハは「ならば働け!」と、ラシャは連れ去られてから早々に、馬車馬のように働かされることとなった。

 とはいえ、ラシャは労働を厭わない女性である。あっという間に仕事を覚え、商人としてメキメキと腕を上げていった。

 ガヌドゥ家よりもずっと広い世界で、優れた能力を発揮し始めたラシャは、まさに水を得た魚である。また、謙虚で働き者の彼女を、マハの実家であるマカルカ家も歓迎し、大層可愛がってくれた。

 そして多少のケンカはするものの、マハとラシャの仲は非常に良好で、制度としての結婚こそお預けを喰らっているものの、実質的には夫婦そのものだ。公私共に支え合う二人は、マハの両親と同じく、ラブラブのベタベタである。

 マカルカ家が計画していた、上流階級相手の取り引きの話は、立ち消えとなった。しかし時代はゆるやかに変化しており、最近では貴族たちが気軽にマハたちの店を訪れることも、珍しくない。


 このようにして、あっという間に三年の時が過ぎた。










「おめでとう!」


 ガヌドゥ家の庭園では、若い夫婦が、シャワーのように降り注ぐ祝福の言葉に、にこやかに応じていた。

 純白のウェディングドレスに身を包み、夫に手を引かれながらゆっくり進むのは、ガヌドゥ家の令嬢、ラグスットである。

 太陽の光を反射させ、美しく輝くドレスは、この日のためにラシャとマハが仕立てたものだ。


 ――よく似合ってる。


 ラシャは瞳を潤ませた。

 ラグスットの足元には、小さな男の子が纏わりついている。ラシャがこの家を出た三年前は、ラグスットのお腹の中にいた、あの子である。

 男の子は母親の長いドレスの裾を掴んだまま、大きな瞳をきょときょとと不思議そうに動かした。タキシードという一張羅を着せられたものの、なにが行われているのか、そしてここに至るのに自分の両親がどれだけ苦労したのかということも、彼にはさっぱり理解できていないだろう。

 パーティーの出席者は、ラシャの知らない人々も多かった。彼らはガヌドゥ家の縁者、つまり貴族ではなく、この三年間でラグスットたちが新たに友情を培った人たちだった。


「………………」


 ラシャは屋敷を見上げた。

 三年前、この家はどんよりと沈んで見えたものだ。それが今日は、なんと活気のあることか。

 そしてもうひとつ、ラシャを驚かせたことがあった。パーティー会場となっている庭である。その変わりようといったら――。

 岩。枯れ木。苔。

 みずみずしい草木や花などは脇に追いやられ、なんとも形容しがたいこの地味な雰囲気を、確か東国では「わびさび」と言うらしい。


 ――小太郎の仕業ね。


 ガトゥールがよく許したものだと、ラシャは苦笑した。

 心が浮き立ちお酒が飲みたくなって、端にあるテーブルに寄ると、懐かしい顔ぶれが続々と現れた。


「ああ、ラシャ! 元気だったかい?」

「バフラ……! 久しぶりね!」


 ガヌドゥ家の厨房を預かるシェフ、バフラだ。かなりの歳を召しているはずの彼女は、しかし相変わらず元気で威勢がいい。

 ラシャがガヌドゥ家を去ったあと、バフラはガトゥールを口説き落とし、屋敷の一部を改築して、レストランを出店したと聞いている。たくさんの人たちに自分の料理を食べて欲しいという、料理人ならではの欲求を満たすためだ。

 そしてこれが大当たり。店は連日大盛況で、最近は首都からも味にうるさい美食家たちが通ってくるという。

 ちなみに今日のパーティーで出されたご馳走も、全てバフラの手によるものだ。


「人妻みたいなもんなのに、あんまり変わらないわねえ、ラシャちゃん。ちゃんと満たされた夫婦生活送ってんのお? なんなら、精力増強に効くサプリとか、マンネリ対策グッズとか、安くわけてあげるわよお?」

「いらないから!」


 次に顔を出したのは、お色気メイドだったジーンだ。

 三年前のあの日の直後、彼女は突然ガヌドゥ家を辞めてしまった。その後しばらく行方知れずとなっていたのだが、今からほんの数ヶ月前のこと、首都の繁華街の一等地に高級クラブを打ち建て、周囲を驚かせた。

 噂では、ジーンの背後には大金持ちのパトロン、それも複数名がついているらしい。

 それもさもありなん、久しぶりに会ったジーンはダイナマイトなボディに一層の磨きがかかっており、更に身に着けているドレスや靴、バッグ、アクセサリーはどれもハイブランドの品々だった。


「あれ? 小太郎は?」


 見知った顔が一人足りない。ラシャは辺りを見回しながら尋ねた。


「ああ、あの子も辞めちゃったのよ。『カレサンスイ』を広める旅に出るとかで」

「えー! せめて、お別れを言いたかったなあ」


 それにマハの東国かぶれは健在で、常々『結婚した暁には、新居の庭は絶対に枯山水にする」と言っているのだが。


「この庭みたいなの、造って欲しかったんだけど……」

「じゃあ、旦那様に頼んでみるといいよ」

「え? 旦那様って、ガトゥール様?」


 思ってもみなかった人物の話題になって、ラシャは瞬きした。


「そうそう。この庭はね、小太郎に指導を受けながら、旦那様が作ったんだよ」

「ええええ!」


 盛大に驚くラシャの前で、バフラは苦笑を浮かべている。


「あんたがこの家を出てってから、旦那様ったらすごく凹んじゃってねえ。なんとかしようってことになって、小太郎が庭造りを教えてみたんだよ。そしたら、ハマっちゃってさ。今ではかなりの腕前だよ」

「へえ……」

「お客もつくようになってきたからさ。その礼金と、私の店の賃料を足して、借金もぼちぼち返してるらしいよ」


 ラシャは驚きのあまり、すぐには言葉が出なかった。

 高慢なくせに無能で、人間の嫌なところばかりを集めたような男が、変われば変わるものだ。

 いや、違う。ガトゥールも変わろうとしたのではないか。


 ――なんのために? いや、誰のために?


「じいじぃー!」


 ラグスットの足元で遊んでいた少年が、突然走り出す。その先には小さな人影があった。

 その人は飛びついてきた少年を抱き止めると、柔らかく微笑んだ。笑顔から、隠しようのない愛情が溢れ出ている。

 だいぶ面変わりしていたが、かつての主を忘れられるわけがない。


「ガトゥール様……」


 ガトゥールの鞠のようだったたるんだ体は、すっかり引き締まっていた。もともと褐色だった肌は更に日焼けして、なめし革のようにつやつやと輝いている。

 そして――いいことなのか、悪いことなのかは分からないが、今のガトゥールは由緒正しきガヌドゥ家の当主にはとても見えなかった。

 どこからどう見ても、孫が可愛くて仕方がない、ただのおじいちゃんだ。


 ――旦那様も、遂に自分らしい生き方を見つけたのね……。


 向こうもこちらに気づいたらしい。ラシャはぺこりと会釈した。

 ガトゥールはそっぽを向き、そしてとても小さな声で、「おかえり」と言った。ラシャも自然と、「ただいま帰りました」と答える。

 そんな二人を、ラグスットの息子が、無邪気にきょとんと見上げていた。



―― 終 ――



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