8-2 純粋なバグ

少女の巫女は親しげにリンゴに微笑んだ。

祭壇の前にたつリンゴとしては緊張で今にも倒れそうである。会食テーブルのほうのパレスティ側もアルケ側も、それぞれ緊張しているようだ。

アシュランはそばにいけないことを苦々しく思っているのであろう。背中から圧迫感が伝わってくる。

しかし、そんなアシュランの圧迫感も、目の前の巫女に対するおじけも、自分は出す訳にはいかない。

自分はアルケ王国第一王女なのだから。


「不思議なことに、あなたとは初めてお会いした気がしないわ」

「光栄です、サロメ様。ですが私はこちらの国に訪れることは初めて。外に出ないサロメ様とお会いしたことはないはずかと…」

「ええ、そう、この身体を持ったままでは確かにね」

「身体?」


リンゴは純粋に意味がわからず首をかしげるとサロメは楽しそうにしたままだ。


「もしかしたら夢で。それか、この魂が前にすんでいた身体で」

「それは…前世、ということですか?」


一瞬どきりとした。といってもリンゴの前世は少なくともこの国ではなく、現代日本であり、世界そのものが違う。

その時とは容貌はまるで違うし、ましてやサロメのような少女と知り合いだったことは−−−。


「ぜんせ、というの?そういうことを。前世…いや、それとは違う、これは。そう、魂の縁なのかしら」

「魂の縁…?」

「そう。縁、というものは、いいものでも悪いものでもないの。ただの結びつき。そしてそれが強いか弱いか。そこにあるのは絶対的な力の存在だけ。善も悪もない、力が宿るもの」

「その縁が、わたしとサロメ様にあると?」

「わたし、すべてに興味がないの」


彼女のためだけにつくられた特別なワインを当然のように嚥下し、サロメは微笑む。


「この世界がどうなろうと、わたしは踊るだけ。踊ることがわたしの存在意義。神に愛された踊りをするだけ。わたしには愛するものもない。勇者も魔王も、教義に関係なく、本当にどうでもいいのよ。でも、いまわたしはあなたに興味を持った」


巫女というのは、神子ともいうのであったかと、ふとリンゴは思い出す。

俗世に在るひとびとに尽くされ、崇められ、讃えられることが当然のことと、それが世界のひとつの理のように受け止めている存在。

そのサロメがリンゴの瞳をとらえている。


「この、わたしが。サロメというわたしが。リンゴ、あなただけに」


とにかくも、仲良くしたいわ。お話をもっとしましょう、リンゴ。

そういって微笑むサロメにリンゴは抗えなかった。








「−−−おかしいな」


天蓋の幕が降ろされたベッド。暁の頃合いが終わり、ようよう薄明るくなる部屋の寝台の上で、ミロクは肘をついて横になったまま考え事をしていた。着崩された薄い着物。肌襦袢の寝間着はははだけていて、昨夜の仕事のあとのためか、未だに色気が残っている。遊郭の中でも特別の一室をもつミロクの部屋にいた客はだいぶ前に帰しているが、金系の髪はさらりとうなじにかかり、体を洗うこともまだしていない。

そこに黒髪黒目の偉丈夫が、彼のための朝食を持ってやってきた。


「ミロク、どうかしたか」

「ああ、アクタか。システムの発動順がおかしい。なぜ、このタイミングであれが…多少のズレは想定範囲だけど、この誤差はここのところでもなかったものだ。しかも僕が何かしたわけでもない。何かのバグが発生したのか、誰かの作為か…」

「12の仕掛けか?この間までは予定通り動いていることは確認している。いま、あれを作為的に動かせることができるとしたら、エネルゲイアくらいだろう」

「アナンはシステムを知らないからね、だから僕の場所を突き止めようとやっきになってる。いまだにこの結界は見つけられてないみたいだし、まあ、毎度の苦労のことだよね…でもエネルゲイアがなにかするとは思えない。エネルゲイアの立ち位置は違う。舞台にあがることはない」

「じゃあ、純粋なバグか?お前が気づかないほどの?」

「この世界のことはだいたいわかってるつもりだけど、イレギュラーがはいりこんでるのは事実だな。エネルゲイアに聞くか…いや、エネルゲイアに接触したらアナンに気づかれるな。いまのところ様子を見ておくほかないね」

「放置で大丈夫か?」

「大丈夫。”勇者さま”の機能は動いてる。いつもと違う動きであることは事実だけどね。それも同じバグの要因かな…でも”魔王”は予定通りだし、これぐらいの動作不良は範囲内とすべきかな」


ふう、と一息ため息をつき、アクタが持ってきたお茶を寝そべりながらミロクは一口飲んだ。そのとき、こんこん、と部屋の扉をならす音がして、そしてその扉が開いた。

中をこっそりとうかがうようにいるのは、黒髪の小柄な少年だった。


「ミロク、もう起きてるの?」

「ゼロ」


ミロクは破顔し、おいでおいでというようにゼロと呼ばれた少年のほうに手を伸ばす。

少年は小走りにベッドの上のミロクに近づき、首を傾げる。


「なにかあったの?難しい顔をしてる」

「ゼロは気にしなくていい、なにも問題ないよ。ゼロ、君は僕とアクタと一緒にいれば、それでいい」


そしてミロクは愛おしげにゼロの頬を撫でて、その目を見つめた。

外が明るくなり、顔を出した太陽の光をあびたゼロの瞳の色は、まるで金色のようだった。

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魔王に攫われるはずの王女ですが勇者があらわれません コトリノことり(旧こやま ことり) @cottori

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