スゥエーデン式のさようなら

hirayama

第1話 章立てはありません







  スウェーデン式のさようなら


平山三男〈本名〉







 小説本文

 一行 四〇字

 一頁 五〇行     四〇〇字詰め原稿用紙換算、一頁あたり五枚に相当

 総頁 七二頁四六行  四〇〇字詰め原稿用紙換算、総計で三六四枚にほぼ相当

総字数・一四万五千五百字に相当

      べた打ちで103535門司



 少しは眠れたのか、それとも起きたままだったのか分からない。暗い寝床の中で、耳が敏感になっている。昼には聞こえることのないJRの電車の音が、遠く地鳴りのように響いた。私道の先の表通りを走る車の音が近づいて、遠のいていった。いつものタイヤの音とちがう。シャリシャリシャリという音はチェーンの音だ。

 一月の東京にはめずらしい大雪が降ったのだった。四日前の水曜日、霙〈みぞれ〉から変わった雪が消えきらない内に、金曜夜半から再び降り出した雪は、昨日、土曜早朝まで降り続いた。

 ・・・新聞はまだ来ていないだろう。まだ暗い。

 新聞を待ちながら、敦〈あつし〉は新聞が怖かった。父親の秘密をのぞき見る不安だった。

 新聞やテレビで昨日の父親の逮捕がどのように報道されるのか、世間でどのように受けとめられるのか、大きく報道されなければいいが・・・・。ベッドの上に起きあがった。

 隣の妻も昨夜は寝付けなかったようだったが、今、夜具〈やぐ〉3の中で動かない。敦はそっと静かに居間にでた。寝起きの素足の足もとへ冷気が染み込んできた。

 暖房のスイッチを入れ、音を小さくして、テレビをつけた。ニュースの時間ではなかった。

 カーテンを開けた。私道の脇に寄せられた雪の小山が街路灯に仄白い。雪の小山の下から音もなく側溝へと広がっていく水が黒く見える。胸の中にも、融けきらない雪の小山のような不安がいすわっている。焦燥感がじわじわとにじみ出てきてあふれた。

 街が起き始めたのか。かすかだが色々な音が聞こえてくる。

 自転車が私道に入ってきたようだ。スタンドを立てる金属音。パタン、ガシャンとかすかな音がつづいた。門柱の脇の、郵便受けの開け閉めの音だ。

 すぐ取りに行くのはためらわれた。隣のマンションの外階段を下りる音がする。すぐに音は消えた。

 息を詰めた。外の気配をさぐった。金属が鈍〈にぶ〉くぶつかりあう音がして、雪解け水の上を走る細いタイヤの軋〈きし〉る音がした。自転車が私道から走り去って行ったのだ。

 表通りを車が一台、雪水をはねのけて通っていくチエーンの音がして静かになった。

 もう大丈夫だろう。敦は新聞を取りに出た。気が急〈せ〉いて外の寒さが気にならなかった。一般紙より早く配達されるスポーツ紙が届いている。部屋へ戻って一番後ろの社会面を開いた。手がかすかにふるえた。あわただしく、しかし、なめるように紙面を見た。

 両面とも芸能情報だった。

 もう一ページめくった。左側のページの上の

  六七歳元校長

という字が敦の目に飛び込んできた。

 横書きの大きな文字だった。いやでも目を引かれた。親ゆびの長さくらいの幅の長方形の黒っぽい枠の中に、白抜きで太く大きく書かれている。やっぱり、と思った瞬間、胸がギュッとしめつけられた。

 右端には、縦書きで薄く色を着けられた大きな文字で

  地元の名士逮捕

とある。左側には立体感を出すための陰影を着け、二行に渡り

  少女は一七歳

   と知りながら・・・・

と記されてある。さらにていねいに、この左右の縦書きの字をつなぐように、中央に横書きで

  渋谷の街でガールハント

とある。目をひく見出しだ。敦は記事の内容に眼を走らせた。

   児童・生徒の手本として高い倫理観を求められるはずの小学校長を長年勤めた町の

  名士が、少女とみだらな行為をしたとして二四日までに捕まった。元校長は六七歳。

  少女は一七歳だった。

   神奈川県青少年保護育成条例違反の疑いで、横浜市金沢署に逮捕されたのは、元小

  学校長で現在無職の武田徳治容疑者。同署の調べによると、武田容疑者は昨年十月初

  旬頃から、金沢八景駅近く、平潟湾に面するマンションで一八歳未満であることを知

  りながら、都内在住の女子高生に数度に渡りみだらな行為をした疑い。二人は、昨年

  八月下旬、渋谷駅前で知り合ったという。みだらな行為をしたマンションは武田容疑

  者が自宅とは別に所有しているものだった。

   武田容疑者は自宅のある豊島区や周辺の北区など都内の小学校で長年教諭として勤

  務し、定年前の十年近くは都内数校の小学校で校長を勤めており、地元で名士として

  知られていた。小学校を定年退職後は、不登校児童の教育相談などをする豊島区の教

  育研究施設に週四日勤務し、不登校児童の指導にあたり、評判もよかったという。一

  昨年にはこの研究施設を六五歳で定年退職。

   豊島区教育委員会の高橋清教育長は「温厚な校長先生で、生徒にも慕われ、不登校

児童の指導でも力を発揮し、若手の教員からも信頼されていた人だった。あまりに意

外なことで驚いている。」と話している。

   渋谷にはいわゆる援助交際を目的に相当数の女子高生が集まっていると見られ、

  金沢署では、武田容疑者に余罪はないのかなどを含めて追求している。

 敦は新聞を読みながら、心のなかで

  「やっぱり、やっぱり、やっぱり」

とつぶやき続けた。

 何が「やっぱり」なのかは敦自身にもよく分からない。心が騒ぎながら体は冷えていく。逆に体の血が沸騰する中で心が絶望感にしぼんでいく。そんな、今まで味わったことのない感覚だった。

 勤務先の誰かもこの記事に気がつくにちがいない、と思うとなおさら胸がいたんだ。

 敦は父が出たのと同じ国立の教育大学を卒業し、都下の女子校に国語科の教諭として勤めている。今年は学年主任として二学年全体の責任も負〈お〉っている。

 都立校の非常勤講師をしている妻の洋子も、今朝のニュースで義父の逮捕が知れたら明日からは職場に出にくいだろうし、二人の子供たちも学校に行きにくいだろう、と思うとどうしようもない気持ちになった。




 昨夜、夕食前、電話があった時には耳を疑った。電話の相手は、金沢署の生活安全課少年係、水原廣警部補だと名乗った。

 水原は中年の男らしい声で、敦が徳治の長男であることを確認すると、徳治の逮捕の事実をつげた。

  「夜遅く申し訳ないんですが、被疑者の年齢が年齢ですし、ご心配でしょうから、念

  のため通知します。」

  「被疑者・・・と言いますと」

  「一般的には容疑者といわれています。」

  「・・・・あの理由と言いますか、容疑と言いますか・・・・。」

 敦の声が震えた。水原の言うことがよく理解できなかった。

 昼前にいつもの様子でマンションに出かけた父の後ろ姿が目に浮かんだ。敦の勤めている高校は隔週の土曜日が休みなので、朝起きてから、私道の雪かきをした。一休みしていると、父の徳治が外出の支度をして出てきた。

  「こんな雪の中、どこへ?」

  「ちょっとね。八景〈はっけい〉のマンションへ行ってくる。」

  「あしたにしたら・・・」

  「雪見だよ。夕照橋〈ゆうしょうばし〉の公園や海ぎわの雪が汚れる前に見たいと思

  って。」

  「昔から、父さんはものずきだから。」

 父は軽く笑って手を振った。

  「一晩、泊まってくるから。」

 そう見送っただけで、八景のマンションに行くのはいつものことだから心配もせず、マンションに電話もしなかった。何が起こったのか、敦にはまったく分からなかった。

  「先ほども言いましたが、神奈川県青少年保護育成条例一九条の違反容疑、要するに

  青少年への淫行の疑い、いわゆる援助交際、買春ですね。詳しくは説明出来ないんで

  すが、相手は都内の女子高校生です。」

 淫行、援助交際、買春、女子高生。新聞で見慣れたこれらの言葉を耳にしながら、実感がわかない。返事は出来なかった。

  「本日、これからの接見交通はできませんが、」

  「あの、セッケン・・・・と言いますと?」

  「いわゆる、面会です。・・・・本日はもう遅いですから面会できませんが、事情によっ

  ては検察官に送致する前、家族の方に会っていただいて、本人と直接話をしてもらっ

  た方がいいかもしれないと思っているんです。」

 水原は慎重に言葉を選んでいるようで、ゆっくり話した。

  「・・・・武田さんの場合、かたくなに黙秘を続けていまして・・・・」

「はあ・・・」

  「本人が被疑事実を認めれば在宅のまま調書を録取するとして、本日中に帰ってもら

  ってもよかったんですけれど、容疑否認のままですから、逮捕状執行ということにな

  りました。」

「援助交際ですか・・・・あの父がそんなことするとは思えないのですが。」

  「被疑事実については確信しております。」

  「・・・・」

  「黙秘・容疑否認のままでは、このまま留置して取調べを続け、月曜日に検察官に送

  致、勾留請求して、悪質な場合、公訴提起ということになりますから、何日間かこち

  らにいてもらうことになります。」

 水原は続けて警察署のある場所を説明した。金沢署は父のマンションのすぐ近く、国道一六号線沿いにあったのを車で行ったときに見たことがある。

 敦はふだんと違って口ごもりながら礼を言って電話を切った。そのまま電話の側から動けなかった。「検察官送致」だの、「接見交通」だの耳なれない言葉ばかりで、聞きまちがっているかもしれない。

 日常生活で「逮捕」などという言葉や事実にぶつかることなど考えたこともなかった。「コウソテイキ」など漢字も思いつかず、意味も分からない。

 ただ、父親が警察につかまっているということだけは確からしい。でも本当なんだろうか。もしかするといたずら電話かも知れない。そう考えて敦は父親のマンションに電話した。父親が出てくれることを期待した。

 いつものことだが、留守番電話のボタンを押し忘れたらしい。長い間待っても誰も出ない。呼び出し音を聞くうちに、父親の逮捕が世間に知られたらどうしようかと心配になった。水原と名のった男の声は誠実そうで落ち着いていた。何回も電話してみたが、父は出なかった。

 その間に妻の良子に事情を説明した。子供たちにはとりあえず黙っておくことにした。

 良子と相談して、金沢署に電話しようかとも思ったが、会えなくてもとりあえず金沢署に行って見ることにした。

 土曜の夜でも京浜急行の快速特急は混んでいる。

 電車の車輪の音がふと金属的な音に変わった。多摩川の鉄橋の上だった。夜の闇が黒々と現れた。川の流れも黒い。河原は雪に覆われている。電車の窓の明かりの届くところだけ、ほのかに白い色が流れて見えた。その仄白さの上を、人の歩いた跡が川の流れに沿って雪のなかに細々と続いているのが一瞬見えた。

 冷たい窓ガラスに額をあずけながら、水原の「黙秘・容疑否認」という言葉を思い出した。かたくなに黙秘を続ける父親の姿は思い浮かばない。どうしても父親の笑顔しか浮かばなかった。

 「淫行条例違反・・・・買春・・・・援助交際」。

 信じられない思いがすると同時に、「やっぱり」とも思う。亡くなった母親の顔が目に浮かんだ。自分は、何か父親に申し訳ないことをして来た、と言う思いもする。

 敦は水原の言葉を反芻〈はんのう〉しながらふと考えた。水原は面会をさせることで、黙秘を続けていると言う父親の口を開くきっかけにしよう、としているのではないだろうか。それにしても、一刻でも早く父と会って実際のことを聞きたかった。

 援助交際と言われる売・買春は世間の耳目〈じもく〉を集めている。とくに教育関係者や、公的立場にある者が関係すると大きく報道される傾向がある。そんな心配が心から去らない。

 金沢署についたのは八時を過ぎていた。歩道に残った雪がかたく凍りついて、革靴では足もとがおぼつかない。夜風が耳に痛い。父親のマンションの前に広がる平潟湾の冷たい海の暗い夜のうねりが頭の中に見える。

 警察署の玄関脇に警備の警察官が黒革のコートを着て、寒風に耐えて立っていた。その厳〈いか〉めしさが父親の逮捕という事実をさらに強く実感させた。思わず卑屈に頭を下げた。

 正面のドアから入ると直ぐ前のカウンターに受付らしい男が座っている。来意を告げた。

  「接見交通は朝九時から午後五時までです。水原警部補は夕刻帰宅しました。」

 素っ気ない口調だった。挨拶をして帰ろうとすると、

  「土曜、日曜は接見交通出来ませんから、明後日、月曜、九時以降に来て下さい。た

  だし、取り調べ中の時には面会できません。」

取り調べという言葉が重々しかった。

  「留置されていますと、着替えや歯ブラシなどが必要となりますから、明日にでも差

  し入れに来てはどうでしょうか。日曜でも差し入れは出来ます。」

 最後は意外に優しい口調だった。自分が過敏になっていると思った。挨拶もそこそこに警察署を出た。冷たい風がどっと吹きつけた。

 あわてて出て来ても何にもならなかったが、警察署の建物を見上げながら、父親が逮捕されたという事実が身にしみてきた。この建物のどこかに父親が囚われているのだ。

 マンションの鍵は万が一の時のために父から渡されていたのだが、持って来るのを忘れていた。それほど動転していたのだ。父のマンションに寄ることも出来ない。

 家へ帰り着いたのは一〇時を過ぎていた。テーブルの上に夕飯の支度〈したく〉が残されていた。子供たちはすでに部屋にもどって、妻の良子が一人で待っている。結局、無駄足だったこと良子に告げた。良子はため息をつきながら、

  「お父さんに限ってそんなことはあるはずがないわ。絶対に何かの間違いよ。」

と強く言い張った。

 敦はありがたかった。良子の言うとおりであって欲しかった。

  「遅くなったけど、夕飯食べてね。」

 そう言って台所に立った。敦はビールを出してきて、最初の一杯を飲みほした。

  「弁護士に相談したほうがいいじゃんない?」

 台所からもどりながら良子が言った。

  「・・・でもつてはないし。どこに電話したらいいのか・・・」

  「そうねぇ。弁護士なんてふだんは関係ないわね。」

  「同僚にも相談しにくいし。」

  「うん・・・」

  「ま、今考えてもしようがない。今日はもう夜遅いし・・・・」」

  「はぁー、どうしてなの。」

  「悪いな、こんなことで。」

  「何言ってるの。お父さんのことですから。明日行けるよう、着替えや日用品、バッ

  グに入れておきます。」

  「ありがとう。とにかく、もういちど、明日朝早く、行ってみよう。」

  「電話をくれた・・・水原さんだったですか・・・警部補だという人。」

  「そうだ。会えたら、もっと事情が分かるだろう。」

  「子供たちにはまだ何も言わない方がいいわね。」

  「新聞やテレビなんかでどう言われるかな」

「今日のテレビではやってなかったわよ。」

 敦はさらにビールをあおった。

「ね、食べて。食べないと体に悪いわ。」

 敦は頷〈うなづ〉いた。食事は口に入らなかった。

「八景の駅前で少し食べたんだ。」

 そう言って明日のため寝ることにした。寝つけなかった。寝たのかどうか

も分からなかったが、やはり、とろとろと寝ていたのだろう。亡くなった母の声がしたような気がして、見回したら、遠く、電車の音が聞こえたのだった。





 新聞は、一度読んだだけでは要領をえなかった。もう一度じっくりと読んでみた。

  「八景へ行く回数が、去年の秋口から増えたのだ。やっぱり、逮捕容疑は事実なのか。

 この新聞記事によれば、両親が隠居所として買ったマンションなのに、初めからまるでよからぬ目的のために買ったかのように読める。

  「神奈川県青少年保護育成条例違反」

 物々しく見える新聞のその文字を見ていると水原警部補の

  「要するに青少年への淫行の疑いですね。」

という言葉が頭によみがえってきた。

 言葉ではなく、文字として新聞に「援助交際」とあるのを見ると事実を突きつけられたような気がする。あの厳格で生真面目な父親が・・・・と批判がましく恨みがましい気持ちが沸いてくるのを止められない。

 起きてきた妻の良子が敦の椅子の傍らに立った。寒そうにガウンの襟〈えり〉を掻〈か〉き合わせた。敦はテーブルの上に広げておいた新聞を良子の前にすべらせた。

 表通りを走る車の音が多くなった。暖房をつけてからしばらく立つのに部屋は暖まって来ない。





  「背中洗ってあげる。さあ、立って。」

 バスタオルを巻いただけの少女が風呂場に入ってきた。

 徳治が体を温めてから、風呂場の小椅子に座って、アカスリに石鹸をつけようとしていた時だった。自分の手の甲に浮かんだ浅黒い染みが目についた。徳治は右手の石鹸を元に戻した。

 少女は徳治が左手に持っていたアカスリを取ると、ボディソープの容器の頭をキュッキュッと二度押して、軽く湯桶にひたし、後ろにまわった。皮膚のたるんだ体を少女の目にさらすのが恥ずかしかった。腹や胸の側には薄い痣〈あざ〉がいくつも浮かんでいる。自分で見たことはないが、背中にも痣〈あざ〉がいくつもあるに違いない。老いが目に見えてそこにあるのだ。

 ボディソープは少女が自分で買ってきたものだった。徳治は初めシャンプーの容器と勘違いをした。少女の体からはいつも清潔な匂いがしていたが、それはこのボディソープの香りだった。

  「・・・初めに、湯船にはいらないと寒いから・・・」

  「いいの、後で入るから、さあ、立って。」

と、少女はもう一度うながした。マンションの風呂場は二人で入るには洗い場が狭く、徳治が座ったままでは洗いにくいのだ。

 風呂場のすりガラスを通して、透明な冬の遅い午後の陽射しが斜めに差し込んでくる。風呂場には湯気が充満して暖かかい。

 少女は徳治が躊躇〈ためら〉うのも構わず、もう一度

 「ねえ、立って。」

と、幼いながら母のような口調でうながした。

 徳治はシャワーのある壁面に向いて立った。シャワーの下の鏡に自分の腹から腰が写っている。恥毛に白いものが混〈ま〉じっている。

 少女は徳治の右の首筋から左の首筋、右肩から左肩へと、大事なものを丁寧に磨きあげるようにやさしくアカスリをこまめに動かしていく。

 力をこめる度に少女はハッハッと短く息をついだ。少女の息がリズミカルに背中にかかるのが感じられる。

 右の肩胛骨〈けんこうこつ〉の上を少女の手が動いている。

 左手は、アカスリを持った右手に力をこめる支点にするため、徳治の左の腰骨におかれている。掌〈てのひら〉が徳治の肌にしっとりと吸いついた。

 右手がキュッキュッと肩から背中をこするのに合わせて、徳治の左腰骨の上をその手が拍子を合わせて軽く圧迫した。

 徳治の奥深くに、微かにではあるが、久しぶりの男としての熱さがわき起こってきた。

 次に少女の右手が左の肩胛骨にきた。体を左にくねらせた少女の左手は下に少し移動して、徳治の太股の外側に置かれた。徳治の中の奥深い熱さは少し強さを増していた。

 少女は何も気がつかないように、徳治の背中から腰へとリズミカルにアカスリを動かしていく。

 その手が腰まで来て、洗う手を休め、湯桶で二杯、肩から湯をかけてくれた。細かい泡が白い流れになって徳治の足もとへ勢いよく流れていく。

 湯気があふれかえった。

  「さあ、バンザイして、ね。」

 徳治は素直にバンザイをして、手のひらをシャワーの上のタイルに当てた。タイルは底冷たかった。

 少女は、徳治の右脇下から右脇腹をアカスリで洗い始めた。今度は左手を徳治の左肩の上にのせている。

 鏡の中の徳治の右側に、少女の顔の上半分が写っている。少女の目は、徳治の体を洗う自分の手元を見つめているのだろう。真剣に見開かれている。

 老眼鏡をしていない徳治には少女の睫〈まつげ〉の一本一本は見分けられず、目を際だたせるアイラインのように見えた。

 右腰の辺りまで洗うと、少女はまたボディソープをキュッキュッと二回つけて、今度は左脇下から左脇腹を洗い始めた。

  「左側は洗いにくいね。」

 そう言いながら、体を左にひねって膝をつき、右手に持ったアカスリを動かした。

 少女の左手は徳治の左のふくら脛〈はぎ〉に当てられている。胸元で合わされているバスタオルの一端が外れた。

 鏡の中に左の乳房がこぼれて見えた。自然に指を曲げたときの徳治の掌の大きさからややあふれる程の膨らみだった。

 その頂に小さな乳首が光って見える。若い肉体の輝きなのだ。小さくつぼんだ乳首の周りを、ピンクの薄赤い乳暈〈ちちかさ〉が縁〈ふち〉どっている。湯気と老眼の中ですべてが淡く見える。

 少女の手の動きにつれて、白い乳房がその軽い重さでたわむように揺れるのに合わせて、乳首と乳暈もリズミカルに揺れている。

 徳治は鏡の中の少女の乳房から目がはなせなかった。大切なものを盗み見たような、犯すべきものではないものを犯したような、かすかな罪障感を覚えた。そして、自分だけに許された得難い秘密の喜びのようなものも胸を満たしていた。

 清らかな乳房だ。淡い桃色の乳首が目にしみる。

 左脇腹を洗い終えた少女は、左手で顔に垂れかかった髪の毛を掻き上げながら、膝を床のタイルに着いたまま、体を真っ直ぐにした。

 その瞬間、湿気を吸って重くなったバスタオルがゆっくりと下に落ちた。

 鏡の中に少女の二つの乳房が見えた。

 少女はバスタオルを取ると立ち上がって、シャワーの首にかけ、湯桶で徳治に湯をかけた。温かい。

 少女は湯おけに湯を満たし、脚を曲げ、かかとに尻を乗せ、アカスリを濯〈すす〉ぎはじめた。

 徳治はバンザイをした格好でタイルにつけていた手を下ろした。体毛の薄い質の徳治の乳首の周りの毛が、年とともに長く伸びるようになり、湯に濡れて胸にべったり張りついている。毛は脱色したように白と茶色が混じっている。老いがそこにもあった。

 このまま下肢を洗わせるのは気が引けた。

  「背中を洗ってくれてありがとう。後は自分で洗うから。」

  「そう? 私もこのまま一緒に入っちゃおう。」

と屈託なく言いながら、少女はアカスリを徳治に渡した。

 徳治は小椅子に座って首から胸を洗い始めた。

 少女は新しい湯を何杯か、かぶって浴槽に入った。徳治は、自分の体を洗いながら、たるんだ皮膚を見つめた。下腹もふくらんでいる。これ以上、少女の目にさらしたくない。

  「ああ、気持ちいい。陽のあるうちにお風呂はいるの気持ちいいね。」

 少女の声はのびやかだ。

 徳治は浴槽から湯を汲んでその湯を浴びた。湯の甘い匂いがする。もう一杯湯を汲んだ。

 少女は顎〈あご〉まで湯につけ、何かを一心に見つめている。

  「湯気ってつぶつぶなんだ、よく見ると。」

 幼い真剣な声だった。徳治の目には湯気は白く立ち上るもやとしか見えない。

  「湯気の粒が見えるなんて、目がいいんだねぇ。」

 つま先を洗いながら軽い返事をした。

  「ねえ、初めて会った頃から髪の毛ずいぶん伸びたでしょ、私。・・・・髪の毛が早く伸

  びる人ってHなんですって。」

 ・・・・どういう意味なんだろうか、と思いながら徳治は泡を洗い流した。湯船の方に向き直って湯を汲んだ。そのあおりで水面が乱れた。少女の体が目の前にある。湯殿を満たしている冬の夕方近い黄金色〈こがねいろ〉の日ざしが、湯に反射して天井にきらめいた。

 顎を上に向け、湯気を見つめる目を天井にきらめく光に向けた。湯のさざ波が少女の乳房をかすかに揺らしながら寄せては引いた。乳房の頂で湯が戯れた。

 少女の顎の先から首。なめらかな弧だ。無駄なものは一つもない。若々しい命の輝きだ。吸いつきそうに柔らかそうなのに、血色のつややかな皮膚には張りがあり、夕日に照り映えて、首から乳房のふくらみへとなだらかに続いている。

 肩まで伸びた少女の髪の毛の先は湯に浸〈つ〉かって、湯船の中に黒々と広がっている。

 「次、私が洗うから、体、あっためて。私、シャンプーもするから。」

と言って少女は立ち上がった。

 少女の体に沿って湯気が立ち上った。窓からの逆光に、体から立ちのぼる湯気が仏の光背〈こうはい〉のようだ。

 湯は少女の体を流れ落ちながら、幾筋かの細い線となった。湯の筋は徳治の目の位置の高さで、少女の細い腰のくびれから女らしい豊かさを見せ始めている輝くような太股へすべり落ちていく。張りのある肌に湯の跡は残らない。淡い陰毛の先に光の滴となったのがぼんやりと見えた。

 徳治はもう一杯湯を被った。湯は染みのある肌にまといつくように残った。シャワーの頭に架けてあったタオルを腰に巻きながら立ち上がり、

 「のぼせそうだから、先に出る。」

と言って、脱衣場へ出た。

 「ゆっくりあったまればいいのに・・・」

 甘い声があとを追った。脱衣場の空気は冷たかった。脱いだままにしておいた下着が畳んである。徳治はここでもかすかな恥ずかしさを感じた。

 少女が何か優しい声で歌い出した。湯にくぐもり、丸い。

 居間で衣類を脱いできたのだろうか。そこに少女の衣類はなかった。

 徳治は下着を取り替えた。寒さが体にしみ込んできた。乾いたタオルを出し、ぬれた頭を拭い、急いで服を着た。

居間に行くと、平潟湾の向こうに、三浦半島の背をなす山の雪が傾いた光を受けてほの赤く照り映えていた。

 昨日から降った雪を見に来たのだった。





 上りの京浜急行の電車は海水浴帰りの乗客で込んでいた。夏の遅い陽もすでに落ちている。

 神奈川県警、金沢署生活安全課の水原廣警部補は帰宅するため下り電車に乗った。京浜急行の快速特急には長距離列車のようなボックス型の座席の車両もあるが、その時水原が乗っていた特急電車は、普通の横長のベンチ型の座席の車両だった。この座席には普通、横に七人が座れる。

 三、四人の大学生らしい若者が七人がけ座席のほとんどを占領していた。浅く腰掛け、大股を開いて手を座席にたらし、その脇に自分の荷物を置いている。詰めればもう二人や三人は座れるが水原は黙ってその前に立った。

 水原の斜め前の若者が、水原の後ろ、通路を隔てた反対側の座席に座っている若者に呼びかけた。唇の端に金属の輪がぶら下がっている。反対側にも同じような格好の若者が、同じように座席を占領して座っている。

 耳にウォークマンのイヤホンを差し込んだままで、通路に立っている水原たち乗客越しに大きな声で話し続けた。

 今日の海の様子や、今、流行の歌手のことなどが話題の中心だ。バーッとか、ガーッ、チヨーなど、強調らしい言葉が多い。

 彼らのはいている半ズボンを、彼らの言葉で何と言うのかは分からない。水原の前の若者の、膝まであるその半ズボンから伸びている臑〈すね〉の毛に砂がこびりついている。Tシャツの胸元は大きくゆるんで黒い胸を露出していた。長い髪の毛は脱色されている。

 隣の若者はジーンズをだらしなくはき、引きずっている裾が地面にこすれ、ほころびていた。そこにも白く乾いた砂がついている。

 ベルトをしないでズボンをずり下げたはき方は、アメリカの囚人の姿を真似したものであることを知っているのだろうか。ベルトをすることを禁止されたからズボンがずり落ちる。その姿をまねしたジーンズのはきかたは、もともとアメリカでは人種差別、権力への抵抗の表明の筈だ。そう思いながら水原は苦々しい顔でその男を見た。若者は見られていることを気にもかけない。非難がましい目で見られている意識もないのだ。

 この男は小鼻にピアスをしている。左腕の蝶の入れ墨はシールを貼ったものなのだろうか、それとも本当の入れ墨なのか。近頃、こうした入れ墨を見かけることが多くなった。タトゥーというとファッションになるのか。でも、入れ墨は入れ墨に変わりない、と水原は思う。

 巡査を拝命した頃は、駅や街角で煙草を吸ったりしている少年は水原の制服姿を見るとあわてたように煙草を消したものだった。

 その頃の中学生や高校生には「悪いことをしている」という意識があったのだろう。煙草を吸うにしても、物陰などに隠れて吸っていた。それは大人ぶるための特別の儀式なのだったと思う。背伸びにすぎないのだ。

 この頃の子供は、中学や高校の制服のまま、往来を歩きながらどうどうと煙草を吸っている。本来禁煙であるはずの駅のホームでも煙草を吸っていることもある。周囲の誰もが注意もしない。いつの間にこうなったのだろうか、と水原は考えながら、結局、苦々〈にがにが〉しい思いで默っているほかないのだろう。

 特急が最初の停車駅の追浜〈おっぱま〉に着いたとき、水原は若者たちの前から離れ、隣のドアの向こう側に移動した。移動に困難するほど車内はまだ混んではいない。水原はハンカチで額と首の汗を拭った。

 カバンから、白い表紙の大判の雑誌を出した。表紙には

 『性の商品化が進む中での青少年健全育成

     東京都青少年の健全な育成に関する条例に関して  』

  〈第二二期東京都青少年問題協議会中間答申〉

と書かれている

 新聞などで、俗に「買春〈かいしゅん〉条例」と言われる都の条例が昨年末施行されたのにしたがい、神奈川県の「青少年保護育成条例」との違いについて研究するよう、直属上司である警部の林課長から命じられたのだ。

 神奈川県などの条例は都の「買春条例」に対して「淫行条例」と俗称されている。

 長野県を除く、他の全道府県で何らかの形の「淫行条例」が制定されている。時間を見つけては、そうしたすべての条例も調べ直し、比較検討する作業を続けていた。

 神奈川県が条例を制定したのは昭和三〇年で、平成八年七月に改正され、十一月一日から改正された条例が施行された。

 水原は都の「中間答申」を読もうとしたが、疲れた頭には難しい文章が入りそうもなかった。部下の吉野巡査から渡され、冊子の間に入れておいた新聞のコピーを読み始めた。表題に

 「買春懲りないオヤジ」

とあり、

 「都の青少年条例処罰規定3カ月」

との副題がある。

 「『買春』でのおもな検挙事例」

が一覧表にまとめられてある。

 その表の中の「住職 四四歳」とあるのは都の条例適用第一号で、品川にある寺の住職のことだと分かった。

 次の「無職 四八歳」の欄には

 「新宿・歌舞伎町で毎日のように若い女性に声をかけ、一〇〇〇人から一五〇〇人と付 き合う。約六〇〇人とわいせつ行為」

とあった。

 新聞には書かれていないが、この男も住職も、補導した多数の女子中高生の供述からさかのぼって逮捕したもので、逮捕に先立った内偵調査や身辺調査などは行なっていないことを警視庁との連絡協議会で聞いていた。

 次の四六歳の中学教師の場合は

 「高校生風の若い女性を連れてラブホテルに入った人がいる」

との通報が逮捕のきっかけだった。

 記事を読みながら中学三年になる娘の祥子の顔が目に浮かんだ。

 この中学教師は授業中どのような目で教え子を見ていたのだろうか、と思うと不潔に思えて、腹立たしい。

 淫行条例にしても買春〈かいしゅん〉条例にしても、処罰対象となる行為が密室でなされるのが通常なので、捜査も立件も難しい。

 その上、管理売春ではない限り、買春も売春も通常両者の合意で行われており、当事者が告訴するはずもない。

 ある少女は、自分の証言で逮捕された男に対して

 「かわいそうに、捕まえることないのに」

と言ったということが新聞に書いてある。あきれる思いがした。

 結局、一般人の信頼できる通報を待つか、補導した少女たちの供述から相手の男を特定し、その中の悪質なものを逮捕していくしかないのだろう。

 このような待ちの姿勢ではなく、もっと積極的に淫行を摘発する方法、買春、売春をするものを処罰する方法はないのだろうか。娘のことを思うとその思いが強かった。

 電車に揺られながら水原は考えた。電車は暗い山間〈やまあい〉を走っていく。窓ガラスが鏡になった。自分の顔が映っている。柔剣道で鍛えているから贅肉はないが日焼けした頬に皺がある。自分自身で老けた、と思った。

 先ほどの若者たちの傍若無人〈ぼうじゃくぶじん〉な馬鹿笑いが聞こえてくる。水原は若者たちの方に鋭い一瞥〈いちべつ〉をくれずにはいられなかった。

 電車は京急・田浦、安針塚〈あんじんづか〉の二つの駅を通過した。

 水原はもういちど新聞記事に意識を戻した。

 少女たちが「援助交際」に走った理由として

   お小遣いがほしかった

   友達の紹介

   携帯電話料金が十万円にもなったため

などと書かれている。

  「携帯電話料金のため・・・・」

 怒りより、情けなくなる。

 水原は自分が補導した少年や少女を思い出した。

 顔に幼さが残っていても、少年・少女と呼ぶのにはふさわしくないほど体は大人で、態度もふてぶてしい者が多かった。

それでいてせわしく体を動かし落ち着きがない。

 自分を呼ぶときにも、相手を呼ぶときにも「自分は」とか「私的には」という言い方をするのが聞き苦しかった。

 水原が少し強い態度に出ると、おもねったり、許しを懇願〈こんがん〉し、それまでのふてぶてしさは簡単に卑屈さに変わる。水原が一番腹立たしく思うのは、

  「こんなことをやってるのも十代の間だけで、二十歳〈はたち〉ンなったらやってら

  れねぇ。」

などと悟ったような言い方をする若者が多いことだ。二十歳になると卒業だの、引退だのという。そういう傾向は男も女も代わりがない。各地の成人式での騒動も「こんなこと」の卒業式なのか。ずるい。水原の正義感はそう感じた。

 売春でも、覚醒剤違反でも暴走族でも、

  「こんなことやってるのは今の内だけ」

 その「こんなこと」が本当は「どんなこと」なのかこいつらは分かっていない、と思った。こいつらは分かった振りをして、結局は分からないまま一生終わるのだろう。それとも、もっとずるい智慧〈ちえ〉をはたらかせ、少年法を楯〈たて〉にする悪知恵なのか。

 汗が首筋を流れた。

 補導した少年少女との会話は、掛け違ったボタンがそのままのような、どうにも落ち着かないもどかしい感じが残る。そうした絶望的な思いの中で、ふと

  「買春〈かいしゅん〉したい奴がいて、売春ぐらいしかできない奴がいるんだから、

  両方ともほうっておけ。」

というなげやりな気持ちに落ち込むこともある。都の買春条例で逮捕された男たちは

  「無理矢理レイプしたのではない。」

  「同じことをやっている人は沢山いる」

などと言っていると新聞に書いてある。この無責任さにも水原は腹が立つ。

 こうした事犯ではほとんどが略式起訴ですむのに、四六歳の中学教諭は

  「相手が一八歳未満だとはしらなかった」

と容疑を否認し続け、正式起訴された。相手の年齢を知らなかったと主張することで、言い逃れが出来ると考えているのは狡猾〈こうかつ〉に見えて無知であるし、恥知らずだ。

 都の条例でも県の条例でも、相手が未成年であったことを知らないことに、

  「過失のないときは、この限りではない」

との断り書きがあるが、この断り書きの前段には、はっきりと

  「当該青少年の年齢を知らないことを理由として、前各項の規定による処罰を免れる

  ことができない。」

と明記されているのだ。この中学教諭の職場や自宅では、ホテルでの猥褻〈わいせつ〉行為を撮影したビデオが三千巻も発見されたという。

  「職場・・・・中学校じゃないか。」

 思わず呟き、怒りが深まった。

 電車は逸見〈へみ〉を過ぎ、次の停車駅である汐入〈しおいり〉に到着した。だいぶ混んできた。まだあの若者の一団は傍若無人な座席の占拠と大声での会話を続けている。彼らの心理が理解できなかった。

  「ノブゾウな」

と水原は声に出した。

 生まれ故郷の四国、松山の言葉だった。どういう字を書くのかは分からないが、こういうはた迷惑なことをしている者たちのことを叱るときにいう言葉だ。

 標準語で「無礼な」と言うより、国言葉の「ノブゾウな」の方が実感がある。

 電車はすぐ横須賀中央駅で停車する。ここではもっと多くの乗客が乗って来るはずだ。水原は書類を鞄の中にしまい、若者たちの座席の方へ近づいて行った。

 自分で自分の正義感が嫌になりかかった。それを押し殺して、立っている乗客の間をかき分け、水原は青年の一団に近づいていった。

 ワイシャツの背中に汗がにじみ、袖の上部が肌に張り付いていた。





  「ごめんなさい。」

 爽やかな声で思いがけない言葉が返ってきた。その意外さに徳治はふと遅れて、

  「いいえ、こちらこそ。」

と応えた。

 八月の末近く、渋谷駅の北口を出て、徳治はセンター街方面へ向かおうとした。

 周囲の様子があまりにも昔と変わっていて、駅前のスクランブルの交差点を渡ろうとして、一瞬方向が分からなくなった。

 昼に飲んだビールの酔いで少し体が重かった。日は傾きかけていたが体の奥から蒸し返されるような熱気が立ちこめている。汗が首筋に流れた。

 人混みに押されながら渡り始め、どちらの方向に進むべきか、見覚えのある建物を探そうとした時だった。前から来る少女にぶつかりそうになった。交差点の三分の一ほどを渡ったところだった。

 徳治が右に避〈よ〉けると少女もその方向に、左に避けるとまた同じ方向に避け、徳治が立ちすくんだ瞬間、少女は

  「ごめんなさい。」

とかすかに笑いを含んだ声で言った。少女は微笑みながら小首を傾け、徳治の顔を見つめるように見てから、左脇をすり抜けていった。

 眼の色の濃い、印象深い少女だ。この頃は体がぶつかっても、道をゆずっても知らぬ顔のままでいるのが当たり前のようなのに、その少女の

  「ごめんなさい。」

という自然に出てきたらしい言葉とやわらかいもの言いが暖かく心に残った。

 徳治は行き交う人の群れの中に立ち止まったまま、少女の方を振り返った。少女も顔だけひねって徳治を振り返った。意外に思いながら徳治は軽い会釈を返した。

 スクランブルの信号が点滅し始めていた。

 徳治は自分が急ぎ足の人たちの妨げになっているのに気がついた。向こうから信号を渡ってきた人の流れに従って、今、出てきた駅の方向に押し戻されるようにして戻るしかなかった。少女の後を追うようだった。

 右斜めの方向にハチ公の銅像が目に入った。何本かの欅〈けやき〉がハチ公のいる広場の周囲を取り囲むように植えられている。夏の暑い日差しからハチ公を守るように、空に枝を突き上げた欅の葉が風に揺れている。その枝先にだけ、夕日が当たっていた。わずかばかりの樹の緑がビルの谷間で新鮮に思える。

 ハチ公の周囲には人待ち顔の人が溢れていた。その人垣の間を縫うように無数の人の群が行き交っている。

 駅前には大きな見慣れないビルが建ち並び、都会はどこの景色も同じように思えた。ハチ公の銅像がなければ渋谷だとは思えないほどだ。

 ハチ公の周囲も昔とはすっかり様子が変わり、位置も昔とは少し道路側になり、向きも変わったようだ。でも、とにかく徳治はハチ公の銅像を心に留め、そこを起点として方向を考え直そうと思った。





 その日は大学時代の友人の綱島の葬式だった。葬式の後、渋谷にまわったのは久しぶりに鯨を食べたくなったからだった。

 綱島は私立大学の教育学の教授だった。綱島の勤めていた大学の停年は七〇歳で、まだ現職だったから葬儀の出席者には職場の大学関係者などで多かった。

 徳治の卒業した大学は国立の教員養成大学なので、式に参列した友人の多くは小・中学校の教職経験者なのだった。

 大学教授と違い、皆、停年退職を迎えていた。子供たちも中年となって独立し、老夫婦だけ残されたり、妻に先立たれて一人暮らしをしている者も何人かいた。

 徳治が妻に先立たれたあと、息子夫婦と同居し、老後のために買ったマンションへは、息抜きに週一度ほど行くと言うと、うらやましがられた。息子の嫁の良子もよく世話をしてくれる、と徳治は言った。

 徳治たち旧友は親族にうながされるまでもなく火葬場まで行くバスに乗った。山手通りを少し奥に入った落合だ。何度この火葬場に来たのか分からないほど親族、友人を見送った。妻を見送ってから、生死の別れがことさらに身に沁みるようになった。先に送った人の顔を申し訳なく思い出し、その多さに今さらながら懐かしさと悲しみを新たにしながら、葬儀に参列するようになった。自分の送られるのもそう遠くはない思いがある。

 骨の焼き上がるのを待っている間、徳治たちは大学関係者や親族とは別の隅に集まって、お清めに出されたビールや酒を飲んだ。

 こんな時でもなければ旧い友と会うことも少ない。ぽつりとぽつりと欠けるようになった仲間の訃報を交換する。そして、若かった頃の思い出で、今日、逝く友を送ってやる。

 昔の給食の話になったとき、徳治はマンションのある金沢八景駅近くのスーパーで見つけた鯨の缶詰の話をした。

 マンションでの自分一人の食事のための買い物に、スーパーに入った時に見つけたものだった。





 入り口近くの書棚の前で膝が破けた洗いざらしのジーンズをはいている若者が雑誌を読んでいた。その右側のレジの脇に

  懐かしの味 

  鯨大和煮の缶詰

と張り紙がしてあり、赤い地肌の小さな缶が積み上げてある。

 鯨の大和煮・・・・あまりに意外で懐かしく、一缶買ってみた。

 缶詰の絵は昔のようなラベルの張り紙ではない。皿に盛られた鯨肉の写真がじかに印刷されていた。

 MARUHA 鯨大和煮 鬚鯨〈ひげくじら〉赤肉

と横書きで記されている。

 その日、夕飯の時に徳治は缶切りで缶を開け、皿の上に載せ、電子レンジで温めた。鯨肉は甘ったるくぱさついていた。

  「鯨肉とはこんなものだったか。」

と徳治は思った。

缶を手にとって見直してみた。鯨肉の写真の反対側にも

 MARUHA 鯨大和煮 鬚鯨赤肉

と、写真の皿の上の文字と同じことが、やや小ぶりの字で書かれ、その下に黒い文字でさらに小さく何か書いてあった。

 徳治は老眼鏡をかけ直し、眼を細めてみた。よく読めなかった。六〇歳の誕生日に息子の敦からもらった天眼鏡を手にして読んでみた。

   本製品は鯨類捕獲調査事業の副産物を原料として使用しております。

と書かれてある。そして

   表面に白い斑点が粒状に固まっている場合がありますが、これは脂肪分ですので安

  心してお召し上がり下さい。

と白抜きの字で記してあった。

 その下の枠の中には原材料などが記され、さらに黒い文字で

破裂する恐れがありますので、缶を直接火にかけないで下さい。

と記してある。

 その右脇に

   缶切り不要

と記されているのに気がついた。

 缶をひっくり返して見るとプルトップが着いている。その開け方の図まで添えられていた。陳列中に付着した埃〈ほこり〉が入るのを避けるため、缶詰は絵柄〈えがら〉を逆さまにしてから、裏側のプルトップを引いて開けるものだと初めて知った。

 徳治はそれに気がつかないで、プルトップの反対側を缶切りで、缶を開けたのだった。苦笑いした。

   ・・・・缶詰までが昔と違っている。

 徳治はそう思った。

 鯨の缶詰の話をすると、旧い友はほほう、珍しいとか、新聞で宣伝しているだとか、話題が弾んだ。そして、昔の給食の話に花が咲いた。

 徳治が豊島区立西巣鴨小学校で教員となったのは昭和二七年だった。明治時代に出来た小学校は奥まった住宅地の中にある。近くに巣鴨新田という都電の駅がある。「新田」とあるのだから、江戸時代に開墾された田園地帯だったのだろう。こういう田園地帯で、昔の畦道〈あぜみち〉が道路となることが多く、細いくねくねした道が多い。西巣鴨小学校の辺りもそうだった。

 今は、都電で唯一残っている「荒川線」となったが、徳治が教員になった頃、早稲田と王子方面を結ぶ「三十六番線」だった。かつて都電は路線ごとに番号が付けられていた。

 大塚駅の山手線ガード下に「三十六番線」の駅、少し離れた南口側には錦糸町行の「十六番線」。この路線は大塚中町で、池袋から有楽町まで行く「十七番線」と合して後楽園下で右と左に別〈わか〉れる。「二十番線」は早稲田大学前から発し、護国寺で「十七番線」と一緒になって坂を上り、大塚中町で「十六番線」と交差し、駒込を通って上野・池之端に行く。

 都電は東京の中を縦横に走り、線路と駅名は交通標識のようだった。片道一三円、「往復切符だと二五円、一円のお得」と車掌が言っていた記憶がある。

 巣鴨新田から北東方向の西巣鴨小学校は二階建ての木造校舎。東側にある正門から見て、コの字型を左に倒したように校庭を囲んでいる。正門すぐ左には、建て増した「離れ」の一階建ての美術室。給食の調理室や図書館はコの字の上、正門の西側奥で、その頃の給食はミルク代わりの脱脂粉乳〈だっしふんにゅう〉とコッペパンが主体だった。

  「鯨の大和煮かぁ。しばらく食ってないなぁ。」

  「あの頃、パンに鯨の竜田揚〈たつたあ〉げって言うのは変な組み合わせだったろ。

  でも、あれはうまかった。」

  「うちの学校でも鯨の竜田揚げは人気メニュー。ご馳走だったね。」

  「腹持ちもするし・・・・。醤油味のような下味がつけられていたろう。カツだとばっか

  り思ってたけど、綱島があれは竜田揚げって言うんだって教えてくれたんだ。」

  「あいつはなんでも物知りだったよね。」

  「そう、そして講釈ずきでな。」

  「だから、大学教授になれたんだ。」

  「俺たちとちがって研究熱心ってことさ。」

  「そうだ、そうだ。」

  「・・・あぁ、あのころの食欲と、あの黒い肉がなつかしいなぁ。街の飯屋でもさ、

  鯨の生姜焼き定食は安くてうまかったよね。」

  「そうなんだ。そこでまた綱島がね、渋谷の鯨専門店の肉の焼き加減はどうとか・・」

綱島と、鯨肉との思い出話が続いた。鯨肉の昔の味も口に広がった気がする。徳治たちの想い出話はつきない。ビールを飮んだ。酒を飲んだ。したたかに飲んだ。こうした思い出話こそが供養なのだ。また、友の一人と別れるのだ。寂しさを競い合うのではなく、思い出を披露〈ひろう〉し合うしかない。

  「給食はよかったけれどさ、油しきには苦労したな」

  「そうそう、木造だったから、大掃除の時にはモップで廊下でも教室でも、床に油を

  引いたよなぁ。」

  「油だから、生徒だけには任せておけないしな。」

  「あの油、泡がたってさ。」

  「それよりも困ったよ、覚えてる? 床の油が上履きの靴のゴム底を溶かしてしまう

  って苦情。」

  「親にしちゃ真剣だったんだ。あのころ、まだ日本全体が貧しかったし。」

  「それでね、綱島が任務校で、色んな油を取り寄せて、どれが一番靴のゴム底を溶か

  さないか研究して、俺たちにその成果を送ってくれたろう。」

  「あのとき、綱島は練馬区だったかな。」

  「そうそう、開新・・・何小だったか・・」

  「やっぱり、綱島は偉かった。」

  「でも、開新なんていかにも練馬大根の小学校だな。」

  「おまえさんは郷里福島の分教場じゃないか。」

 互いに分かり合っている笑いがはじけた。

 寂しさを見つめた笑いだった。

  「分教場はどうか分からないけど、俺たちが教師になってすぐベビーブームの子供が

  入学して来たろう。うちの学校じゃ教室不足で、登校を午前組と午後組に分けて二部

  授業をしたんだ。」

  「一クラス五三~四人もいてね。」

  「そうそう! 一学年、六クラスもあってね。」

「今じゃ、単学級が多いだろう。」

  「生徒数が多かったからよかったんだよ。おまえみたいな奴でも採用されて。今どき、

  お前みたいな奴、採用されっこないなぁ。」

 皆、六〇半ばを超えた年齢なのについ出てくる学生言葉にもどっている。

  「電話がある家庭なんか、一クラスで二~三人あったかな。」

「ピアノ弾けるのは滅多にいなかったし・・・・」

「だから段階の世代はピアノにあこがれ、子供たちのために買ったんだろう。」

「でも、無理やり習わせられたピアノは弾かれなくなって。」

   「ピアノ、売って下さーい、か。」 

   「それにしても、あの頃、PTAも金がなくって、ほら、夏休み、校庭に白い幕を張って納涼〈のうり

   ょう〉映画会、やらなかった?」

  「やった、やった。なっつかしい! 久し振りに思い出した。夕方から、みんな浴衣

  〈ゆかた〉なんか着て集まったよね。」

 のどかな姿が徳治の目に浮かんだ。豊島区の小学校でも映画会はお祭りの縁日や、盆踊り大会のようだった。その当時、もちろん多くの家庭にテレビはない。ラジオさえない家庭もあった。PTAが発行したガリ版刷りの切符をもって、夕方早くから校庭にあつまってくる。手伝いの教師たちも残業などとは思いもしない。16ミリ映写機の資格をとった教員が映写技師となり、みんなで映画会を盛上げた。

  「本当に子供も大人もワクワクしてたね。」

「毎朝のラジオ体操にもよく出席したし・・・」

  「でもさぁ、夏はまだいいけど、冬、ストーブが調子悪いと煙には困った。」

  「今の子はコークスなんて知らないよね。」

  「冷房だってある学校もあるし・・・・」

  「とにかくさぁ、コークスは臭かっただろ。不完全燃焼すると。」

  「あれで頭の後ろの毛をグリッとこすると痛いんだよね。コークスを隠し持って、授

  業中、前の席の子の坊主頭の首筋から上に向けてグリッとやったりする奴なんかいな

  かった?」

 「いたいた、いたよ。そういうの。必ずクラスに一人や二人はいたんだ。」

 何時〈いつ〉も出るような話しだったが、皆、目が生き生きと輝いている。若く元気な時の話なのだ。その頃は定年後のことなど誰も思いも及ばなかった。

  「そんな奴にきまってストーブ当番の時、新聞紙と薪〈まき〉をうまく詰めてマッチ

  一本で上手に火を着けちゃう名人じゃなかった?」

  「勉強の出来不出来とは別で、ちょっとした英雄だったよね。」

 皆、自分の教えてきた子供たちの顔を思い出しているのだ。

 こうした酔いの中で、徳治は思った。久しぶりに渋谷に出て鯨肉を食べてみよう。本物の鯨を食べよう。あの鯨料理専門店はまだあるに違いない。

 とくに親しい友人の三羽〈みわ〉を誘った。三羽はその夜、常連の句会があって都合が悪いというので、一人で渋谷へ出た。





 老舗の鯨料理屋はハチ公を背にして信号を斜めに渡り、センター街を入った左手にあるはずだ。その記憶に間違いはない。

 徳治の学生時代、道玄坂下の界隈は戦後の闇市の雰囲気を残した庶民的な、というよりいささか物騒〈ぶっそう〉な感じのする街だったような記憶がある。それが、今は若者の街としてすっかり様変わりしてしまっている。

 陽はとっくにビルの影に隠れているが、夏の空は高くまだ明るい。

 その鯨料理屋にしても、料理屋というよりかつては安く肉の食える飯屋の雰囲気だった。

 徳治は人混みの中に立っているうちに気おくれがし、暑さで食欲も失せ、帰ろうかとも考えた。そう考えながら、夕食はいらないと言って出てきたので、息子の嫁の良子に悪いと思った。

 旧友の前で嫁をほめたのは嘘ではなかったが、妻ならばこういう心配もいらない。良子がよくしてくれるからこそ帰りにくいのだ。渋谷からでは金沢八景のマンションに行くのは億劫〈おっくう〉だった。

 徳治はその日、黒の礼服を着るまでもないと思い、地味な夏の背広を着てきていた。暑苦しかったが、徳治の年代の者は暑くても上着を脱ぐ習慣はない。式が終わってから、黒のネクタイだけははずし、代わりのネクタイに締め直してある。

 汗を拭おうとズボンのポケットのハンカチを出そうとした時に、ポケットの中の数珠〈じゅず〉が手に触った。ネクタイも背広も妻の栄子の見立てだった。





 長い間、徳治は栄子の用意してくれた服を着、用意してくれたネクタイをすればそれでよかった。その日も、この背広にはどれを合わせてくれたのかと、妻のことを思い出しながらネクタイを選んで来たのだった。

 こうしたことを妻は何十年も続けてきてくれたのだ。その長い間、病気らしい病気もしなかったのに、激症肝炎で急死した。あまりにも呆気〈あっけ〉なかった。発病してから一週間もたたない間のことだった。

 妻の栄子と結婚して、長男である徳治は当然のように両親と同居した。そういう時代だった。

 徳治には大学生の弟もいた。子供たちが次々と生まれ、その世話の間に弟の結婚の面倒も見、徳治の両親の死を妻は看取ってくれた。こうした長い人生、徳治は教頭、校長となり、忙しかったが、栄子は不平を言うわけでもなかった。

 結婚して独立した長男の嫁の良子は、妊娠が分かると、勤めを続けるために徳治たちとの同居を望んだ。結局、妻が家事の大半を引き受け、孫たちも育てたのだ。

 その孫たちも大きくなり、徳治が小学校を停年退職後、再就職した教育研究施設も一昨年〈おととし〉の六五裁で停年となった。

 それを機会に、同居している長男夫婦に都内の住まいを譲り、金沢八景の平潟湾に面したマンションに居住の中心を移し、息子たちと行き来をしながら、老後は妻と二人で気楽に過ごそうと考えた。

 妻は一人娘で、両親も当然亡くなっているが、妻の実家のあった六浦〈むつうら〉への乗換駅の金沢八景にマンションを購入したのだった。

 人は年を取ると古巣へ戻りたがるのだろうかと思いながら、やはりなじみ深い地名には安心させるものがあった。直ぐそばの海であがる魚も美味い。このマンションへの移住は何よりも栄子のためであった。二人だけの老後を楽しもうと心から望んだのだった。

 昔、栄子の実家に一緒に行き、泳いだり平貝を取ったりした平潟湾は、今、汚れている。けれども、マンションからの海の眺めはよかった。とくに、水面〈みなも〉に照り映える夕焼けが美しい。夕照橋〈ゆうしょうばし〉という名の橋も近くにある。

 駅の裏の小道などにも、昔、かすかに見覚えがあるような気がして安心した。

 ところが、妻の突然の死で老後の予定が根本から狂ってしまった。

 妻の死後、一人でのマンション住まいも不便だろうという息子夫婦の提案で、また同居をすることにし、時折マンションへ行く生活が続いている。





 小学校を定年後、不登校児童の教育施設に再就職している間は、仕事にもやりがいがあった。豊島区では、年間一〇〇日以上の不登校児童数は一校平均三・六人、別の区では一校平均五人近い不登校児童がいるところもある。こうした不登校児童は年毎に増加の傾向にある。

 最後に自分が担当した昭子は母子家庭だった。担当することが決まり、アパートを訪ねた。母親が迎え入れ、お茶を出してくれた。生活に疲れた感じの母親だった。お茶の上に細かい泡があるのが気になった。洗剤の残りなのだろうか。

 昭子は母親の背に隠れ、母親にせかされて軽く頭を下げると隣の部屋に行ってしまった。五月の連休が終わる頃だった。

  「ええ、あの子の父親が突然いなくなりまして、それからだんだん学校に行かなくな

  ったんです。」

 「小学校三年の時ですね。」

  「頼るような人もいないんで、私が昼も夜も仕事に出て育ててきたんです。」

 あまりにもよく聞くような話だった。

  「お母さんがお勤めに出ている間はどうしていたんですか。」

  「用意しておいた夕飯を食べて、部屋でね、じっと待っているんです。・・・・帰りが遅

  くて辛いんですけど、朝、起きて御飯を食べさせて、学校に行かせようってすると、

  嫌だって言ってしがみつくんです。」

 不安感なのだろうと徳治は思った。父親が失踪〈しっそう〉したように、自分が学校に行っている間に母親までいなくなったりしないか、と幼い心を痛めたのだろう。それでしがみついたのではないかと考えた。不憫〈ふびん〉だった。

  「最初の内は無理にでも学校に行かせたんですけど、帰って来ちゃうんです。それか

  らずるずると行かなくなって・・・・本当に困ってるんですけど。」

 母親は声を途切〈とぎら〉せてうつむいた。隣の部屋との境の襖〈ふすま〉を開けて昭子がこちらを見つめた。不安そうな目の色だ。脇に何か小動物の入った籠〈かご〉がある。その中からカサカサ、音がする。

 徳治は新しい教育理論も児童心理学も必要だと思わない。不登校児童の問題については、本人や家庭の問題なのか、学校や社会の問題なのか色々と議論がある。

 不登校の原因は不登校の児童数だけ無数にあるはずなのだ。徳治の持論は、とにかく教育とは目の前の子供をどうするかが問題で、観念的に論じても仕方がないというものだった。親の貧困を子供の教育環境に反映させるような貧困の連鎖をさせてはならない。

 焦〈あせ〉らないで何回も昭子のアパートを訪ねた。

 籠の中の小動物はハムスターだった。昭子を訪ねてもあれこれ指示しなかった。動物の糞尿〈ふんにょう〉の匂いがしたが黙っていた。昭子はハムスターの世話を熱心にやっている。それを見守って徳治は黙っていた。

  「こっちのハムちゃんは次郎、右の方はモモ。」

 次第に昭子の方から話すようになった。ハムスターについて語るときは生き生きとしている。母親がいない時にはハムスターの世話をしながら、じっと母親の帰りを待つ生活が目に浮かんだ。ハムスターが世界との唯一のつながりだったのだろう。

 母親と相談の上、不登校児童の通う施設に連れだしたのは始めて昭子を訪ねてから二ヶ月が経っていた。そうしてさらに一ヶ月近く経つと、昭子は自分で徳治のいる施設に来るようになった。世間では夏休みが終わる頃だった。

 勤務日の週四日、徳治は懸命に昭子を教えた。義務教育とは親や社会にとっての義務であり、子にとっての義務ではない。不登校の子供たちに、今後の生活で必要なことをどうにかして教えてやる義務が大人にあるのだ。昭子は年齢的に中学三年だが、かけ算の九九が満足に言えない。

 同時に心を配ったのは昭子の不安感、喪失感を補うことだった。昭子は母親から自立出来ていない。父親が失踪して見捨てられたという不安感が心の奥底にあるのだろう。初めて会ったときから徳治はそう考えていた。

 それを補うため、昭子が他人から求められ、必要とされていると思えるよう心を砕いた。知識を与えるよりもまず昭子を誉め、認めることに心を費やした。

 昭子もそれに応えてくれ、無事、中学を卒業することになった。在籍校の卒業式と同じ日、暁子の家庭なりの晴れ着を着た昭子と母親はまず施設に来た。簡単に祝って、午後から在籍校に行くことになっていたが、昭子は最後になってむずかった。

 徳治はその原因を察して、中学に電話をした。

  「本人とお母さんがこちらに来て、こちらでのお祝いは終わったのですが、もう少し、

  時間を遅らせていただいて、そちらの卒業生の皆さんが帰った後にということにして

  いただけないでしょうか。・・・・はい。・・・・ええ、ご迷惑をお掛けいたしますが、よろ

  しくお願い致します。」

徳治の口元を見つめていた昭子はほっとした顔つきになった。午後遅く在籍校に向かった。徳治も一緒に着いていった。一人きりの卒業式を行なった。

 心残りは昭子の進学先だった。区の若い教育カウンセラーとのやりとりを思い出した。

  「本人はですね、九月からかかさず施設に通い、努力しました。でも、小学校は三年  から、中学はまったく行ってないんで、おぎなえることには限りがあるんですよ。」

  「それは分かっています。」

  「あの子のいいところは優しさなんです。施設では年下の子の面倒をよくみました。」

  「それも伺いました。」

  「だから、あの子の特質を伸ばせるよう、特殊学級に入れてやりたいんです。」

  「それは無理です。知能じたいが低いわけじゃないんですから。」

  「環境の問題なんです。高校に行って普通の生徒たちについていけるとは思えないん

  です。また不登校になる恐れがあります。」

  「去年から努力できたんだから、本人次第でしょう。」

  「中学どころか小学校の勉強もまだ不十分なんです。ついていける筈がありません。

  特殊学級ならば能力的に相応だし、同級生の面倒をよく見、優しさを発揮し、必要と

  される存在となり、自らの意味を見つけられるんじゃないかと思うんです。」

  「それは何度も伺っていますが、無理です。学力は不十分でも、知能そのものが元々

  劣っているわけではないんですから。」

  「しかし・・・」

  「初めは苦労しても、推薦で、都立の夜間の商業高校へ入学した方が、今後の経歴に

  有利なんじゃないですか、特殊学級よりも。」

 カウンセラーが強い口調で言いきった。経歴のことを考えればそれにも一理ある。

 徳治は引きさがらずを得なかった。徳治の力の及ぶのもそこまでなのだ。

 一年ほどで昭子からの手紙が途だえがちになったのが心配だった。徳治は今でも時々昭子に手紙を書いている。時々返事が戻ってくる。もっとどうにかしてやりたかった。でも、ここまでが限界なのだった。

 新聞やテレビのニュースなどで「荒れる中学生」や「小学校の学級崩壊」などの記事を見ると、もう一度現場に戻りたかった。若いときから登山が趣味だった徳治は、まだ体力もあり、現場に戻る気力も十分で、経験を生かしたいと思う。

 年齢がそれを許さなかった。一律に機械的に定年はやってくる。

 自分はもう不要の人となってしまったのだろうかと寂しかった。

 小学校退職後数年は関係した小学校の周年記念行事に招待されたり、何かと出かけることも多かった。

 そうした記念行事の他に、入学式、卒業式、運動会や文化祭など、年三回か四回、招待される小学校では、かつての在校生が何時までも覚えていてくれ、

  「校長先生!」

と手を振りながら叫んだり、駆け寄って来てくれた。そういう子供たちと会うのは楽しみだった。

 小学校を退職して五年、教育研究施設を定年となった年の春には、最後に校長を勤めていた時に入学してきた生徒も小学校を卒業する年で、校長としての徳治を知っている生徒がいなくなった。

 その頃の職員だった教員の移動もあり、その後は関係した学校の行事に呼ばれても気詰まりなので出かける気も自然と薄れてきた。

 妻が死んだのはそうした生活の転換する時だった。

 今では、外出といえば妻の墓参りをするか、一人で金沢八景のマンションに行くか、登り慣れた丹沢や奥多摩の山に出かけるか、たまに友人に会ったり、その日のように葬式に出席するくらいになってしまった。マンションにいると一日人と口をきく機会がないこともある。手の甲に出来た染みが硬化し、冬にはひび割れし、しくしくと痛い。手の甲にイボも出来た。

 老いるということにしみじみと直面せざるを得なかった。

 その日、葬式のあった綱島は肝硬変で、数年前から体調の衰えを自覚していたと言うが、現職の教授としては治療に専念することも出来なかったのだろう。

 死の準備は出来ていたのだろうか、心構えは出来ていたのだろうか、と考えた。

 妻の栄子の死はあまりにも突然だった。妻は死ぬ心の準備が何も出来ていなかった、と思うと無念だった。





 徳治は渋谷の人混みの中でそんなことを思い出していた。徳治の眼は街並みの上を漂ってはいたが何も見てはいない。頭の芯には昼酒のぼんやりとした酔いが残っている。

  「どこへ行かれるんですか?」

 そう問いかけられて、徳治はその質問の相手が自分であることに気がつかなかった。

  「道に迷ったのですか・・・・?」

  「あ、私のこと? ありがとう、久しぶりに来たら渋谷があまりに変わっしまている

  んでね。」

 声のする方を振り向きながらそう言った。さっきの少女が目の前にいた。

 顎〈あご〉の下辺りで短く切りそろえられた髪の毛が軽く湾曲して顔の輪郭をおおっている。

 ぶつかりそうになった時にも感じたが、眼の色が強く、印象的だった。

 徳治は父親譲りで、年代的には背が高く一七〇㌢半ばあった。

 少女の目はちょうど徳治の口の辺りから強い光を宿らせたまま徳治を見上げている。

 紺の半袖のワンピースが、雑踏の色の洪水の中に涼やかだった。素直に伸びた足に真っ白なスニーカーをはいている。

 少女の体つきはほっそりしながらも充分女らしく見えるのだが、女として匂い立つ直前の、まだどこか中性めいた感じで、全体の印象は凛々〈りり〉しいと言った方がふさわしいように感じられた。徳治は言葉をついだ。

  「人混みに圧倒されてしまってね・・・・。センター街はこの信号を渡って行くんでした

  ね?」

  「ええ、その信号の先、他より少し狭い道です。」

 少女はさきほどぶつかりそうになって止まったときと同じように、小首〈こくび〉を傾〈かし〉げた。

 眼の色が優しくなっていた。ぶつかりそうになった先刻の好ましい印象がそのまま続いて、徳治はなんとなくうなずいて歩き出した。

 少女が着いて来た。

 スクランブルの信号がちょうど青に変わった。何か話さなくては悪いような気がして

  「鯨をね、久しぶりに鯨を食べたくなって・・・・」

  「鯨って、あの鯨?」

  「うん、あの鯨。」

  「鯨、食べられるんですか?」

 徳治は缶詰に記してあった

   本製品は鯨類捕獲調査事業の副産物を原料として使用しております。

という文字を思い出した。

  「関西にいけば関東煮〈かんとうだき〉、こちらで言うおでんの具に、鯨のサエズリ

  があるし、九州では今でも塩鯨を売っているんじゃないかな・・・・。これから行く店は

  昔から鯨料理の専門店だから、材料はどうにかして手に入れているんでしょう・・・・。」

 残っているビールの酔いが徳治の口を軽くして話を続けさせた。遊びに来た教え子と話しているような気がした。

  「センター街はこちらです。」

 信号を渡りきったところで、少女が左の方を指さした。やはり道を教えてくれるつもりでついて来たのだ、と徳治は思った。その時になって、センター街と大きく書いてある看板のようなものが電柱にぶら下げられているのに気がついた。その先の電灯にもセンター街という看板が下がっている。

  「サエズリって何ですか?」

  「鯨の舌の部分。」

  「鯨、食べたことないからいつか食べてみたいな。どんな風にして食べるんだろう。

  私ね、ヘラジカやトナカイの肉は食べたことあるんですよ。」

 ヘラジカやトナカイと聞いて意外な思いがした。徳治は思わず立ち止まった。

 少女も立ち止まった。

  「トナカイってあのトナカイ?」

  「うん、あのトナカイ。」

 さっきの会話の繰り返しのような気がして徳治は笑った。少女も笑った。前に組んだ手に黒っぽい小さなバッグを持っている。

  「鯨、ごちそうしようか?」

  「えっ、いいんですか? ラッキー! 」

 少女はあまりに屈託〈くったく〉がなかった。徳治には不思議だった。「援助交際」という言葉が徳治の頭をかすめた。それにしては、少女の印象は清潔だ。さっきはやめようかとも思っていたが、鯨を食べようという気持ちが戻っていた。

 脚の動きに合わせて、徳治のズボンのポケットの中で、数珠〈じゅず〉が微かに音を立てながらこすれる感触が太股に伝わってきた。





 水原警部補は頭の芯にまだ酔いが残っているのを感じた。家で二日酔いするほど酒を飮むのはまずいと思った。

 窓を開けて煙草の火をつけた。細かい雨が降っている。煙草の煙は、雨に降り込められるように低く漂いながら広がっていく。

 一息吸い込んだら、腹の奥底で吐き気がした。ヤニで苦い唾を吐き捨てた。

 風は絶え、蒸し暑い大気がべとついた。蚊が飛んできた。

 水原は、昨夜の息子の博之との衝突を思い出した。

 あまり口やかましく言ってはならないと思いながら、夏休みで家にごろごろしているからか、非番の日の昼間など、だらしない姿を目にすることも多い。

 博之は高校の補習から帰ってくると昼飯を食べた後、テレビの娯楽番組を見続けていた。午後遅くになって自分の部屋に引っ込んだが、夕食後、何時までも野球中継を見ている。

 酒を飲みながら新聞を読んでいた水原は、それまで何度も我慢していたが、声をかけずにはいられなかった。出来るだけ穏やかな声で言ったつもりだった。

  「・・・・そんなに何時までもゴロゴロしていていいのか。受験生なんだし。」

  「あと一〇分したら行くよ。」

  「一〇分なんて言わないで、やることはすぐやるべきじゃないのか。何か言われると

  何時もそう言って後まわしにするんだから。」

と言いかけたら、博之が激しい調子で反撥した。

  「何時だってなんてことないよ。今のことに前のことを持ち出すのはずるい。」

 水原は腹に怒鳴〈どな〉りつけたい気持ちがグッと来たが抑え、終わらせるつもりで言った。

  「今年の夏ぐらいは頑張らなくちゃな。」

  「今日の午前中は高校の補習に行って来たんだから。午後だってちゃんと勉強したじ

  ゃないか。」

 もうやめようと思いながらつい言葉が出た。

  「それぐらい当たり前だろう。」

  「・・・・大学行くの止めようか、って考えてるんだ。好きな車の整備士にでも・・」

  「何言ってるんだ。お父さんがせっかく大学に行かせてやるって言ってるのに。」

  「それがムカツクんだ。何かって言えば、何々してやってる、あれもしてやってる、

  って。俺が頼んだんじゃないだろう。」

  「なに!・・・・・ 実際、お父さんとお母さんが、お前たちを学校に行かせてやっ

  てるんだろ。少しは感謝して親の言うこと聞きなさい。大学くらい行かないと・・・・」

 二人とも怒鳴りあいになっていた。

  「大学に行ってどうしろって言うの。」

  「それはお前が自分で見つけるんだよ。」

  「そうやって、自分で考えろって言いながら口出すんだから。」

  「減らず口をいうな!」

  「人のことに口出しながら、何になればいいか具体的に言ったこと一度もないくせ

  に。」

 「情けない奴だな。そんなことを自分で考えられないのは。」

  「だから、車の整備士になるって言ってるんだよ!」

  「そんなこと、まだ早い。大学ぐらい行っておけ!」

  「大学に行って何しろって言うんだよ。」

台所にいた妻がその時、やめて、と言って中に入った。娘の祥子は何か言いたそうにしていたが、途中で自分の部屋に戻っていった。

 博之も膨〈ふく〉れた顔をして自分の部屋に帰った。ドアが思い切り強く締められた。

 水原は息を整えながら、息子が大学に行かないと言い出したのは本気なのだろうか、と考えた。

 大学に行かないことがどんなに不利になるのか、博之は分かっていない。

 水原は、愛媛県の松山城近くの有数な受験校である県立高校を卒業した。大学には行きたかったし、成績はよかったが、家庭の経済状態が許さなかった。水原の年代は誰もが大学に行くという時代ではなかった。兄も大学には行かないで地元で就職している。

 水原は柔道部の部長として各種の大会で活躍し、生徒会活動も熱心に行なっていた。担任の教師は水原に警察学校に入ることを勧めた。次男であった水原は郷里を離れることにし、東京を避け、海のある神奈川県の警察学校の試験を受けた。在学中にも給与が支給される。

 横浜にある警察学校での十ケ月間の初任科教養を終え、昭和四七年に巡査を拝命し、平成元年に警部補になるまで十七年かかった。巡査拝命から大学卒業者は一年、高卒者は四年で巡査部長の受験資格が出来、試験に合格して巡査部長になると、大卒が一年、高卒が三年の実務経験で警部補の受験資格ができる建前だった。現場で働いていると、そんな建前通〈たてまえどお〉りに行かないのは当たり前だった。

 水原の昇進が特別に遅かったわけではないが、大学卒業の警察官と比べると差は歴然としている。高卒の先輩には、警部補になるまで巡査拝命から二十年かかった者が多く、中には二十九年たってやっと警部補になった先輩もいる。

 水原は現在の署長の顔を思い出した。署長は警察庁の国家公務員Ⅰ種採用でいわゆるキャリア組だ。Ⅰ種採用者は警部補として入庁、警察大学で初任幹部課程教育を三ヶ月受けた後、現場で実務にあたるが、わずか九ヶ月で警察大学に戻り、一ヶ月後に警察庁に行くときには警部になっている。

 その後、警察庁で二年ほど勤務してから、また警察大学に一ヶ月行くと今度は警視となり、二〇代後半で警視正になると所轄の署長や県警本部の課長クラスになるのだ。

 たとえれば初めからビルの一階ではなく、上層階からエレベーターで一挙に最上層階に登っていくのに、高卒・警察学校・巡査拝命拝命のような自分は階段を一階から、いや、地階から一段一段と自分の足で上がっていくのが決められた道なのだ。

 少なくとも、大卒で国家公務員Ⅱ種に合格しての採用ならば巡査部長で始まり、水原の年までには県警の警視に成っているはずだ。生活安全課、課長の林警部はこのⅡ種採用組で、上司であるが水原より年下なのだ。

 水原は現場が嫌な訳ではない。だが、出発点が全人世を決定するというこの仕組みは理不尽に思えることがある。無理をしてでも地元の国立大学に行ければよかったと思うことが何度もあった。

 だから、息子は大学に行かせてやりたい。出発点で、自分の責任ではないハンディを背負わせることは避けてやりたい。それなのに、博之は大学に行きたくないという。その息子の気持ちが理解できない。

 親が子供になにかを「してやってる」と言うのは当たり前ではないか。素直に感謝しないで、なんで反撥するのか分からなかった。

 昨夜、息子と言い合った後、一人で酒を飲み過ぎてしまった。煙草を消し、咽喉〈のど〉が乾いたので麦茶を飲み干した。近寄ってきた蚊を追い払った。

 なんのために一生懸命働いているのか空しかった。ちょっとした息子への注意から、息子となんであんな大喧嘩になってしまうのかが分からない。

昨夜、水原は一人で飮み続けながら、博之にガソリンスタンドでのアルバイトを許可したのがまずかったと反省した。博之が整備士になりたい、と言ったのもアルバイトのせいなのだろう。妻の話では、アルバイト先のガソリンスタンドの所長が、

  「大学に行ったってたかがしれてるよ。高校卒業したらこのまま勤めて、整備士の国

  家試験を受けたらどうだ。俺も高卒だしさ。」

と言ったそうだ。

 無責任なやつだ。人の子どものことだから無責任なことを言えるのだ。子どもの言うことに迎合しているだけではないか。そうした大人を子どもは話の分かるいい大人と思い、自分の話を親身に聞いてくれていると錯覚するのだ。水原はそう思う。

 自分は博之に生き方のすべてを押しつけているのではない。何の職業につくにせよ、自分のように出発点で遅れをとらせたくないから、せめて大学には行かせてやりたい、行ってほしいと考えているだけなのだ。

 それなのに、何になれればいいのか具体的に言え、などという。

 とりあえず大学に行き、そこで自分の将来を考える、そんな当たり前のことがどうして分からないのだろうか。自分には選択肢が限られていた。子供には大きな可能性を与えてやりたい。

 その可能性の中で、なぜもっと自分の将来を自分で考えないのか。子どものことを本当に考えている親の意見を聞こうとしないのか。博之の意地を張ったわがままだとしか思えなかった。酔って考えが堂々巡りをしていた。

 アルバイトをさせなければよかった。みんなやっているから、せめて自分の小遣いぐらいは、という博之の言うことを聞いたのが間違いだった。

 この頃の子どもは、自分で金銭を稼ぐようになり、すべてのことを金銭で考えるようになっているのではないか。それが非行の大きな原因なのではないか。娘の祥子が高校に入ってもアルバイトは許可しないようにしよう。中学三年になって娘も以前より反抗的になりつつある。

 とりとめのない思いが続いた。子供たちの幼かったときの楽しかったこと、そのかわいかったことが思い返された。侘びしかった。

 手に持っていた新聞をテーブルに置いた。出勤時間がせまっている。

 とにかく仕事だ。今日は都の「買春条例」と県の「淫行条例」の比較を最終的にまとめようと思った。

 博之はまだ起きてこない。高校の補習は昨日までで、今日は昼からアルバイトだという。

 そんな息子の生活が、将来のことなど深く考えないで、目の前のことだけに囚われているように思えて情けなかった。





 徳治はポケットから数珠〈じゅず〉を出し、仏壇の下の引き出しにしまった。仏壇は東京の自宅からマンションに持ってきてある。

 六月のその日は妻の栄子の三回忌だった。

  観智院香雲妙栄大姉

と言うのが妻の戒名で、一六日が命日だ。

 一人娘だった妻の身内ではもうこの法要に招くような親族はいない。友人に迷惑をかけるまでもないと考え、三回忌の法要は身内だけで営むことにした。

 夜になって細かい雨が音もなく降り出したが、法要の間は梅雨の合間〈あいま〉の晴れ間の陽〈ひ〉が眩〈まぶ〉しく、初夏と言うより夏のようだった。久しぶりに雲は白く、ものの影が陽射しの中にくっきりとしていた。紫陽花〈あじさい〉が盛りだった。

 去年が妻の一回忌、今年が三回忌、もう妻が死んでから、まる二年もたつのだ。

 武田家の菩提寺は横浜市内の増徳院にある。外人墓地からフェリス女学院短大前を通り、山手本通りの尾根筋をたどるように下った先の寺だ。父の代に本家の墓所から移したのだった。

 その頃、徳治の家は、山手本通りから少し大和町側に降りた高台にあった。

 徳治の父は横浜で生絲〈きいと〉の貿易関係の会社に勤め、戦中は物資統制会の仕事を割り振られ、敗戦後、友人の会社の重役となり、新憲法が施行された年に通勤の便利な東京へ移った。

 土地はまだ安く、当時、省線電車といわれていた山手線の大塚駅から歩ける距離に家を建てた。

 日本が戦争に負けた年、徳治は旧制中学の四年生で、翌年発足した新制の高等学校に編入された。

 妻の法要は、子供たちの仕事や孫たちの学校のこともあるので、命日の前の日曜日にした。

 弟の妻は病気がちで弟が一人でやって来た。娘夫婦は孫たちを連れてきた。娘の夫の孝明は伊東の温泉街で寿司店を経営している。孝明は大学に行ってはいない。結婚前、東京の料理屋で板前をしていた。娘の伴子とどうして知り合ったのか、徳治夫婦は知らなかった。サラリーマンの家に育ち、自分自身は教員だった徳治に飲食店のことは分からない。伴子と孝明の結婚は不安だったが、徳治も妻の栄子も、娘の選んだ相手に不服は言わないでおいた。

 そうした時期、休みの日には孝明を家に連れて来るようになった。孝明は気軽に台所で手伝った。包丁を研いでくれたこともある。

 徳治とも酒を酌み交わすようになった。話題が豊富で明るかった。娘は同級生の男の学生よりも孝明に大人を感じたらしかった。

 伴子の卒業と同時に結婚し、その後、孝明の実家のある伊東に店を持った。伴子は、今では寿司店の女将としてうまくやっているようだ。反対しなくてよかったと思った。

 嫁の良子は息子の敦と大学の同級生だった。敦は在学中から婚約したいと言った。徳治は少し急ぎすぎると思った。だが、この時も娘の時と同じく、徳治夫婦はあれこれ言わないでおいた。

 子供たちは自分の人生を歩み始めている。親の責任はそこまでだと思っていた。

 敦は都下の私立女子高の教員に、良子は都立校の非常勤講師になった。翌々年、長男が生まれた。この孫の誕生が息子夫婦との同居のきっかけだった。

 孫たちも大きくなり、昔のようにまとわりつくことがなくなった。小さな孫たちを抱きしめる人肌の恋しさが懐かしかった。乳臭い匂い。すべすべした肌。

 伴子が小さい頃、散歩に行くのにも、神田の古本屋街に本を捜しに行くのにも、幼い手を引いて出かけた。

 徳治の父はこの娘の生まれる前に亡くなっていた。その父の法要の後、墓所に向かう長い坂道で、三歳だった伴子は手を繋ぎたがった。兄の敦が

 「お墓で転ぶと三年で死んじゃう。」

と言ったからだった。

 敦は妹にそう言いながら、自分自身は長い卒塔婆〈そとうば〉を持たしてもらって喜び、従兄弟たちと元気に石の階段を駆け上っていった。

 徳治は胸が締めつけられるようにその頃が懐かしかった。

 目の前に四十近い娘を見ながら、小さく素直に自分を頼り切っていた頃の娘にもう一度会いたい、と思った。あの頃の娘をもう一度抱きしめたかった。

 妻の栄子に先立たれた悲しみが胸にしみた。二年前のあの日、容態の急変ぶりに徳治はあわてた。





  「救急車を呼ぼう。」

 一人そう言って電話を手にした。番号を押す指が震えた。

  「はい、こちら一一九番。火事ですか、救急ですか?」

  「救急車をお願いします。」

  「住所と名前を言って下さい。」

  「武田徳治・・・・具合の悪いのは妻の栄子です。」

  「はい、住所は。」

 答えようと思ったが、まだ住所は覚えていなかった。

  「ちょっと待って下さい。」

 そう言って状差しから自分宛の手紙を抜き出して読み上げた。聞かれるままに妻の年齢、容態を答えた。マンション近くの目標物も教えた。自分が動転しているのが分かった。声が震えている。

  「はい、それではすぐに救急車を行かせますから、お待ち下さい。」

 電話を置いて、栄子の病気を甘く見ていたのではないかと悔やまれた。妻はそれまで病気一つしないほど健康だったのだ。

 徳治は、表に出て救急車を待とうかと考え、苦しそうな妻を置いて外へ出ることは出来ないと思い直した。栄子の肩をさすってからドアの外に出て、隣の杉浦という家のチャイムを押した。杉浦の家の主婦は近くの中学校のPTA役員をしており、引っ越しの挨拶のおり、色々と質問され、徳治が元小学校長だと知ると親しみを感じてくれたらしい。廊下などで会ったりすると挨拶したり、栄子と立ち話をすることもあった。

 徳治が名前を告げると、杉浦はすぐに出てきてくれた。

  「申し訳ありません。妻の容態が悪く、救急車を呼んだのですが、一人で置いて外で

  待っているわけには行きませんので、ご迷惑とは存じますが、代わりに表で救急車を

  待っていただけないでしょうか。」

一気に喋った。

  「分かりました。大変ですね。」

 そう言いながらそのままサンダルを履いて外に出てきた。ありがたかった。頭をさげて、部屋に戻った。妻の苦しみ方は尋常ではなかった。救急車が来るのを待ちながら徳治はあれこれと悔やんだ。

 八景のマンションではなく、東京にいればよかった。東京にいれば昔からかかりつけの家庭医に見てもらえ、ここまで酷〈ひど〉くならなかったのではないか。栄子は古くからの友人と東北旅行に出たのだった。旅行の話があった時、迷っていた栄子に是非行ってこいと徳治はすすめた。その旅先で体調を崩したのだ。上野に迎えに行き、まっすぐ東京の家に帰ればよかった。上野からなら自宅はすぐだった。マンションに移ったばかりだから、体調が悪いのに無理をして八景まで帰って来てしまった。

 八景のマンションはその前年に買ったばかりで、その春まではたまに来るだけだった。本格的にマンション中心の老夫婦の生活を始めてからまだ三月にもなっていない。馴染〈なじ〉みの医者もまだいない。電話帳で調べ往診を頼んだ医者は、発熱、吐き気、食欲不振、全身倦怠感などの症状を見て、

  「風邪を引いているところに食中〈あ〉たりして、その合併症だから心配はないでし

  ょう。」

と通り一遍の診察をし、

  「あとで薬を取りに来て下さい。」

と言って帰った。

 その医師の薬を飮んでも、少しも快癒しないことを不安に思いながら、普段の妻の健康さから希望的に軽く考え、日を過ごしてしまったのだった。

 栄子は額に脂汗を流し、身をよじるようにして背中を丸め、組み合わせた手で腹の辺りを押さえている。徳治はその背中をさすってやるしか出来なかった。

 掌に妻の体が温かかった。

 遠くサイレンの音がした。近づいてくる。心が急〈せ〉いた。

 ・・・・止まったようだ。それでも救急隊員はなかなか来ない。妻の背をさすりながら祈るような気持ちでドアをじっと見つめた。

 やっとチャイムが鳴った。ドアには鍵を掛けていない。寝室から出て迎えようとすると、ストレッチャーを持った二人の救急隊員が杉浦に案内されて入ってきた。

 すぐ病院に連れて行ってくれるのかと思っていたのに、救急隊員は妻の姿を見下ろしながら、徳治に栄子の年齢を聞き、病状の説明を求めた。栄子はベッドの上でじっと耐えていた。

  「友だちと東北旅行に行きまして、旅行中、牡蠣〈かき〉を食べたせいか酷い下痢で、

  十日に帰ってきたのですが、発熱し、吐き気が翌日も続きましたので、近所の金野医

  院に往診を頼みました。」

 「先生は何て言われました?」

  「風邪と食中たりの合併症だろう、ということで藥をもらって飲ませました。」

  「その藥はありますか?」

 枕元から薬袋をとりあげて見せた。

  「・・・・症状は快癒しなかったのですね。」

  「普段元気だったから治るだろうと甘く見ていたのですが・・・・関節や筋肉の痛みも訴  えるようになりまして、顔が青黄色く見えるような気もして心配になりました。」

  「今日、容態が急変したのですね。」

  「ええ、ほとんど食べ物を受けつけられなくなったので、うまいスープでも飲ませよ

  うと、昼から横浜のデパートにスープの缶詰を買いに行って、帰ってきたら、あまり

  に苦しそうなんで。」

 徳治は有名ホテルの缶詰を買って出来るだけ早く帰って来た。寝室のドアを開けると、栄子は苦しそうな声で

  「お父さん」

とだけ言った。

 徳治は説明するのももどかしかった。

 所定の手続きがあるにしても、一刻も早く病院で治療を受けさせたい徳治は、焦って声が荒くなった。妻が背をさすっていた徳治の手を握った。徳治は声を低めた。

 説明が終わって、やっとストレッチャーに乗せられた。体を縛りつけるようにバンドが締められようとするときに、妻は手を差し出し、徳治の手を握り、あえぎながら

  「お父さん、ごめんなさい。」

と言った。細く小さな声だった。

 隣の杉浦だけではなく、同じマンションに住む何人かの主婦たちが廊下に出た徳治たちを見ていた。徳治は頭を下げて挨拶した。

ストレッチャーはエレベーターに入れるのか、と不安に思っていたら、エレベーター奥の下半分の壁が取り外されていて長いままのストレッチャーでも乗れるようになっている。杉浦が管理人に話してその手配をしてくれたのだろう。

 外に出ると植え込みの山梔子〈くちなし〉の花が甘く匂った。白く厚い花弁は、枝についたまま茶色くしおれ始め、まるで腐っていくように見えた。その花をせわしなく回転する赤色灯が間欠的に血の色に染めて廻った。

 ストレッチャーを救急車後部から入れ、車体に固定させた。妻は顔をしかめ、目を固く閉じていた。息が迫っていた。

 乗り込んでからも救急車はすぐ発進しなかった。酸素吸入を始めてくれたのはありがたかった。

  「こちら金沢救急・・・・」

 隊員が無線機に向かって話す声が運転席の仕切の向こうに途切れ途切れに聞こえた。

  「・・・・搬送・・・・、・・田栄子・・・・歳」

 無線で受け入れ先の病院と話しているらしい。続いて妻の病状を説明しているらしいのがもどかしかった。走りながらすればいいのに、と思った。

 徳治はストレッチャーの脇の固い椅子に座り、妻の体をさすり続けた。苦しみに耐えるために全身に力を入れているのか、妻の体は固かった。

  「了解・・・・只今から・・・・」

 サイレンの音がけたたましく鳴った。頼もしかった。やっと救急車が発進した。

 車は国道に戻らないで、平潟湾を右に見て直進した。どこに向かっているのか徳治には分からなかった。心配になり、カーテンを開けて外を見た。野島〈のじま〉から夕照橋を渡って関東学院大学の方に曲がった。何時もの散歩コースだ。灰色の侍従川が淀んで、腐臭をあげているように思えた。酸素を求めるためか鯊〈はぜ〉らしい小魚が水面に飛び跳ねたのが目の片隅に見えた。

 徳治が栄子に呼びかけても栄子は返事をしなかった。痛みのために返事が出来ないのだろうかと心配になり、背中をさすり続けた。

 車は関東学院女子短大の先を左折して瀬ケ崎本通りに入った。何時も混雑している一六号線に出ることを避けたのだろうと思っている内に、横浜南共済病院についた。

 マンションとは眼と鼻の先と言ってもいいくらい近かった。栄子はすぐ救急治療室に入れられた。徳治も中に入った。

 医師が栄子に呼びかけたが、栄子は何も答えなかった。

  「容態が悪くなったのは何時からですか?」

 担当医はのんびりした声で徳治に病状の経過説明を求めた。救急隊員に説明したことと同じことをもう一度説明させられながら、声に棘〈とげ〉を含むのを止めることが出来なかった。こういう自分を支え、補ってくれてきたのが妻であったことをもう一度思い出し、徳治は心を静めようと思った。

 この医師に妻の命を託すのだ。早く苦しみから救ってほしい。どうにか元気を取り戻してやってほしい。

 徳治の胸の中には切ないほどの思いが溢れた。簡単な食中〈あ〉たりと風邪だった筈なのに、この容態の急変はどうしたことなのか、不安でならなかった。徳治の説明がすむと部屋の外に出るよう若い看護士に言われた。

 「武田さん、武田さぁん。」

 医師が栄子に呼びかける声がドアの向こうから聞こえた。

 「採血してすぐ生検にまわして!」

 声が続いた。廊下には手当が終わった患者なのだろうか、頭に包帯をまいた男がいた。救急隊員はもういなかった。何をしていいかも分からず、長椅子に座った。何も考えられなかった。

 しばらくして看護士が出てきていった。

  「これから集中治療室に移します。後で先生が説明しますけど、その前に入院の手続  きを一階の受付でしてきて下さい。」

 集中治療室、という言葉が不安を煽〈あお〉った。妻の傍を離れるのも不安だった。看護士の背中越しに治療室を覗〈のぞ〉こうとした。中は見えなかった。

 集中治療室の場所を聞いてから、受付に行った。

 慌〈あわ〉てていたため、息子夫婦に電話をするのを忘れていた。入院手続きの前に電話をした。

 「はい、武田です。だだいま留守にしております。ピィーッという音の後、ご用件とお 名前、御連絡先を・・・・」

 留守番電話だった。息子も嫁もまだ勤め先から帰る時間ではなかった。孫たちも学校に行っている時間だ。

  「お母さんの調子が悪くて、・・・・今、救急車で横浜南共済病院に来たんたけど・・・・」

 留守番電話に向かって独り言のように伝言を吹き込むのにはいつも抵抗がある。ぼそぼそと入院の事情や病院の場所、電話番号などを伝え、電話を切った。

 入院手続き書に妻の姓名・生年月日などを記入した。妻はまだ六二歳だ。

 「保険証は?」

と聞かれたが持って来ていなかった。

 栄子ならばこういう時も手抜かりはないだろうと思いながら、事務が淡々と進められる当たり前さに違和感を覚えた。

  「後で家族の者が来たら、保険証を取りに行ってきます。」

と答えて、エレベーターに乗り、教えられた階で下り、妻の入れられた集中治療室の前に行った。

 病室を覗いてみると、医師や看護士が慌ただしく何かの処置をしている。妻の姿はその陰になって見えない。隣に誰も寝ていないベッドがもう一つあった。病室の中は広かった。

 自分は何もしてやれない上に、妻の傍にもいてやれないのが情けない。

 気ばかりが焦り、何をしていいのか分からなかった。病室の前の粗末な長椅子に座った。顎〈あご〉を伝って汗が床に落ちた。冷たい汗だった。固く握りしめた両方の掌も汗で湿っている。

 空調設備からうなり声のような低い音がしている。消毒薬の匂いが立ちこめていた。

 しばらくして先ほどの医師が出てきて説明をしてくれた。

  「意識障害と黄疸症状があり、激症肝炎の疑いがありますので、採血して肝機能検査  にまわしています。全力を尽くしますが、予断を許さない状況です。奥様はB型ウィ  ルスか何かのキャリアではなかったですか?」

  「さあ・・・・」

 何も分からない徳治はそう答えるしかなかった。

 医師は「ステロイド剤」とか「血漿交換」だとか治療法を説明して、また集中治療室へ戻って行った。

 徳治には理解できなかった。「激症」という言葉と「予断を許さない」という医師の言葉が重く残った。

 まさかこのまま死ぬようなことはあるまいと思いながら、初めて「死」という言葉が自分の頭に浮かんだのを慌てて否定した。集中治療室の前の長椅子に座って待つしかなかった。時間の経つのも分からない。頼りなく足下もおぼつかない感じだった。

  「お父さん、遅くなってすみません。お電話のすぐ後に帰ってきて、すぐにこちらへ  来たんですけど・・・・」

 そう言いながら嫁の良子がやってきた。徳治が病院に来てからいつの間にか三時間もたっていた。夕方遅くには息子の敦が来た。

  「・・・・予断を許さないと言ってもまさかそんな急なことがあるはずはないでしょう。」

 「あなた、伴子さんの方への連絡は?」

 「伴子も店の仕事で忙しいはずだし、心配させてもかわいそうだから、もう少し様子

  を見てからでいいんじゃないかな? ねえ、お父さん。」

 徳治はうなづいた。息子の言葉にすがりついた。

 「今日はともかく、入院に必要な浴衣や湯飲みやなんかは、これから良子を帰らせて、 明日持って来させるから心配しなくてもいいよ。

  父さんは保険証を取りにマンションへ戻りながら、一休みして食事でもして来たら? その間は二人で見ているから。」

徳治は何も言えなかった。息子夫婦に任せきりで、とりあえず一度マンションに戻ることにした。

 タクシーで帰ると、マンションのドアの鍵はかかっておらず、部屋の電気も点けたままだった。栄子が手を拭きながらいつものように台所から出てくるような気がした。

 奥の寝室の乱れたベッドが目に入った。栄子はいないのだ。

 妻はまたここに戻ってくることが出来るのだろうか。不安だった。そう思ったことを、縁起〈えんぎ〉でもない、と自ら強く否定した。やっと保険証をさがしだして、病院に戻る前に隣の杉浦のチャイムを鳴らした。

 夕食の準備途中だったらしい杉浦が出てきた。妻の容態を本当に心配してくれている。徳治は丁寧にお礼を言い、待たせておいたタクシーで病院に戻った。

 良子が売店からおにぎりや飲み物を買って来ていた。敦はその握り飯を食べながら

  「早かったね。食べて来なかったんでしょう。一つ食べたら。」

と言った。徳治は食欲がなかった。

  「じゃあ、子供の世話もありますから、私は一度帰ります。明日また来ます。何か必

  要なものを思い出したら、電話して下さい。」

  「僕は、明日欠勤するって、さっき電話しておいたから。今夜は二人でついていよう。

  父さんも気をつけてよ。あまり無理しないで。」

 徳治は息子のいうことに従うだけだった。栄子の容態に気が動転して、無力だった。

 時々ドアの上部のガラス窓から病室を覗いた。ベッドの脇に据えられた何か大きな機械から何本かの管〈くだ〉が妻の右腕の方に伸びている。

 酸素マスクで覆われた顔は見えない。頭部と胸の辺りの二カ所から伸びたコードが枕元の機器に接続されている。脳波計と心電計だろうか。その他にも何か分からない機器から伸びたコードが妻の体につながれている。

 あれでは寝返りも打てないだろう。よく見ると仰向けにされている妻の手足が包帯のようなものでベッドの枠に縛りつけられていた。徳治は鋭く怒りを感じた。だが、手足を固定しなければ、そうした機器や管が外れる恐れがあるのだろうと思い直した。徳治は自分が平常よりも激しやすくなっていると、また反省した。

 妻はその手足を動かすこともなく、ただ胸のあたりを波打たせている。苦しげな声が聞こえてきそうに思った。白衣の男は医師か看護師か区別がつかないが二人いた。女性はと看護士だろう。皆懸命に動いている。

 六日前、八景のマンションまで帰ってきた妻は驚くほどやつれていた。マンションは金沢八景の駅から歩いてもすぐ近くだというのに、タクシーで帰ってきた。初めてのことだった。栄子は咳き込んでいた。頭が熱かった。

 遠慮をする妻をすぐに寝かせ、徳治は米から炊いてお粥を作った。息子がお腹にいたときの悪阻〈つわり〉を看病したことを思いだし、なんとなく甘い気持ちになっていた。今、その判断の甘さも後悔された。





 巡回の看護士の足音がした。病院は薄暗い夜間照明の中で様々な音を立てている。

 低くうなるように続く空調の音の間に、時折り激しく水音がするのはトイレの音だろう。外の国道一六号線を走る車の音は切れ目がない。どこかから患者の呻吟する声が聞こえてくるような気がする。

 徳治は自分の神経が過敏になっているのを感じた。それでいて何もすることが出来ず、心はただ焦りと不安に満たされている。

 二人で起きていてもしょうがないから、と言う敦の言葉で、代わる代わるに仮眠することにした。自分が何もできないで息子の指示を待つようなことは初めてだった。

 娘の伴子は激しいところがあったが、長男の敦はおっとりして物足りないくらいだった。その敦が、その日は自分よりもしっかりとしているように感じられて、その指示に従った。

 徳治は自分の番が来ても眠れなかった。何かを考えているようで何も考えられない。焦るような、追いつめられるような何もできない気持だ。頭の中でざわざわと音がしている。激症肝炎という言葉を何度も反芻していた。このまま自分の体がどこかに浮遊していく感じがした。

 明け方近く、病室から慌ただしく看護士が出てくると、すぐに当直医師らしい白衣の男を連れて戻ってきた。敦を起こして徳治は立ち上がった。めまいがした。

 徳治も病室に入りたかったが、医師たちの邪魔になるのがためらわれた。

 足音に振り返ると、もう一人、年輩の医師が急ぎ足でやってきた。徳治は軽く頭を下げながら脇に避けた。入院の時に立ち会った医師はいないのだろうか、と不安になった。年輩の医師は病室に入るなり、低い早口で何かを指示した。

 徳治は部屋の中をのぞき込んだ。妻の胸がはだけられていた。無惨だった。

 信じられぬ程長い針をつけた太い注射器が医師の手に渡された。医師はそれを妻の胸の中央、やや左に近いあたりにさし、一気に中の液体を注入した。

 先にやって来た若い医師がベッドに乗り、妻の体は陰になり見えなくなった。心臓マッサージを始めたらしい若い医師の体が上下に波打った。

 医師は手を止めると、枕元の機器を見つめる。そしてまた、肩を上下させ始めた。ベッドのきしむ音がする。何回かそうした動作を繰り返した後、その医師はベッドをおりた。

 じっと動かない妻の姿が見えた。

 後から来た年輩の医師が妻のベッドに近づいた。両手に黒い機器を持っていた。止まった心臓に電撃を与える機械なのだろう。

 病室に入って栄子の手を握ってやりたかった。ただ見ているだけなのは耐えられない。医師たちが妻の命を救うのに必死なのは分かっている。邪魔になるのもわかるが、ベッド脇に行って手を握って励ましてやりたい。

 あえぐような呼吸で、栄子の唇は乾いていないだろうか。氷の一かけ、水の一滴を含ませてやりたい。その名を耳元で呼びかけてやりたい。でもそれが出来ないのは分かっていた。

 見ていられない。ドアを離れ、廊下の長椅子に座り込んだ。元気な妻の笑顔が浮かんだ。助けて欲しかった。妻をもう一度取り戻したかった。声を聞きたい。話をしたい。・・・・・本当にだめなのなら、せめて最後の言葉を聞きたい。それもだめなら声をかけてやりたい。手でさすってやりたい。握りしめたい。

 壁の時計を無意識に見上げると秒針が停まって見えた。目をしばたたいてもう一度見ると、カチッと音を立てるようにして一秒分、細長い秒針が進んで停まり、かすかに揺れた。見つめていると、また、長針が一秒を刻んだ。

 徳治はその一秒一秒だけに意識を集中していた。秒針はゆっくりと文字盤の上をまわっていた。しばらく眺めてから、徳治は目を落とした。

 どれくらいの時間がたったのか分からなかった。敦が徳治の肩を叩いた。

 敦の方を見ると、その後ろの病室のドアが開かれている。胸がギュッと締めつけられた。

 敦に手を引かれ、看護士にうながされるまま、妻のベッドの脇に立った。

 酸素マスクは外され、はだけられた胸はキチンと合わされ、毛布が掛けられていた。病室の中に音はない。

 徳治は栄子の顔を見つめた。

 鼻の頭がもう白くなりかかっている。死の色なのだ。

 枕元に立っていた年輩の医師が静かな声で告げた。

 「ご愁傷様です。一六日、午前、五時二一分、お亡くなりになられました。」

 死の色は頬の辺りまで下りていこうとしている。悲しみはまだやって来ない。信じられなかった。

 妻は下唇の端を噛んでいた。唇の間から上の歯がのぞいている。徳治は手を伸ばして唇の辺りをさすった。医師が頭を下げ、ベッドを離れ、病室を出て行った。

 まだかすかに温かい栄子の頬の奥の、底冷たいような死の感触が指に触れた。何時間か前にさすってやった背中の感触とは違っている。

 ゆっくりとさする徳治の手の下で、唇は元に戻った。下唇の右端に歯形が残った。唇は白く乾いて、薄皮が浮いている。

 苦しかったのだろう、と思うと涙がせき上げてきた。必死に抑えた。

 ベッドに固定するため、四肢を縛ってあった包帯は外されていた。

   死に水をとってやれなかった。

 鋭い錐で刺〈さ〉されるような思いが突然湧〈わ〉き起こった。

   言い残すことがあったら聞いてやりたかった。

   命あるの妻の手をもう一度握りしめたかった。

 もう出来ないことだった。何かも振り捨てて、部屋の中に入らなかった分別〈ふんべつ〉が後悔された。

 やりきれない思いが、激しい悔いとなって一時に徳治の心の中からあふれ出た。

 徳治の中の激しい感情とは裏腹に、それを抑えている徳治の顔は白く無表情だった。

 栄子の死に顔をじっと見つめ続けた。看護士たちは片づけ物を始めていた。

 死の色が頬からさらに下へと広がっていく。

 死の苦しみの中、あえぐような呼吸のために乾いた口と咽喉〈のど〉。

 妻が求めていたものはマスクから出てくる酸素ではなく、一しずくの水の筈だった。そう思うと胸が痛くてならなかった。

 命の最後の時、何もしてやれなかったことが申し訳なくて、いたたまれない。涙があふれてきた。

 側にいて手を握っていてやるべきだった。痛烈な悔いが繰り返し徳治を責めさいなんだ。

 その命が消えるとき、妻の周りにいたのは医師と看護士だけだった。彼らが最善を尽くしてくれたのは理解できる。しかし、死を迎えるとき、妻はどんなにか頼りなかっただろう、励ましてやりたかった。感謝の言葉を投げかけたかった。そう考えると無念で無念で申し訳ない。

 徳治は涙を飲み込んだ。

 ストレッチャーに乗せられるときに栄子は細く小さな声で

 「お父さん、ごめんなさい。」

と言ったのが最後に交わした言葉となった。謝らねばならないのは自分の方なのだ。

 栄子はあの時、死を意識していたのではないか。あの最後の言葉は、徳治を残して自分が先に死ぬことを謝っていたのではないかと思った瞬間、深いところから嗚咽〈おえつ〉が吹き上げてきた。

 大声をあげて泣きたかった。その思いを抑えこみながら、栄子への申し訳なさと、一人取り残された寂しさとに立ちすくんだ。涙がとまらない。徳治はすすり上げた。

 梅雨の小糠雨〈こぬかあめ〉が降り出した。夜明けの光が窓の外をかすかに明るませている。

 徳治は打ち寄せる波のように、奥底から繰り返し繰り返し吹き上げてくる嗚咽〈おえつ〉に耐えようと努力した。

 敦が、母の死を妻や妹に告げるための電話から戻ってきた。

 看護士が敦に「霊安室にお移しして・・・・」とその後の指示をし始めた。

 徳治は死んだ栄子の傍にただ立ちつくしていた。





 ・・・・その時の悲しみは今も胸にある。とんでもない時にその悲しみが心の奥底から吹き出してきてどうにも耐えられないことがある。一人になってしまったのだ。栄子はもういないのだ。栄子になにもしてやれないのだ。心がしめつけられる。

 父母と妻の眠る墓を後にしながら、久しぶりに会って話の弾んでいる孫たちの若い姿を見て、徳治は一人でその悲しみを蘇〈よみがえ〉らせていた。

 そして、娘が小さかった頃、父の法要の日、残された年老いた母の寂しさに自分が思い至らなかったことに、今気がついて申し訳なかった。

 その母もそれから数年して亡くなった。徳治は父が四〇を過ぎてから生まれたのだった。

 今日の法要で久しぶりに会った娘と嫁は楽しそうに話している。

 空になった手桶を下げた息子は、孝明と先の方を歩いている。白髪になった弟だけが後ろから歩いてきた。

 遅い昼食を中華街でとった。父の生きていた時代から、中華街に来ると何時も行く店だった。

 梅雨の晴れ間はまだもっていた。木々の緑が鮮やかだった。

 徳治は、父が「中華街」と言わずに「南京町〈なんきんまち〉、南京町」と言っていたのを思い出した。

 徳治も「南京町」と言った方が昔からの親しみが蘇〈よみがえ〉ってくるような気がする。

 孫たちは元気によく食べた。食卓では亡くなった妻の想い出話も出たが、互いの近況報告に話題は移りがちだった。

 生と死、そんな言葉を心の中で呟〈つぶや〉いて、仕方がないと思う。徳治は黙っていた。

 栄子のことを一人で偲んでいた。この店を栄子も

 「南京町のあの店」

と言っていたのが想い出される。

 父と母の法事のあとも、いつもこの店に寄ることにしていたのだった。





  「これが晒〈さら〉し鯨? コリコリしていておいしい・・・・・酢味噌〈すみそ〉なん

  だ。

  白くて泡のようで、それでいて歯ごたえがあって・・・・鯨だなんて分かりませんね。」

 晒し鯨の入った小鉢を持ち上げ、その一片を箸に挟みながら少女が言った。

 徳治も晒し鯨を食べるのは久しぶりだ。徳治が若いとき、妻が酒のつまみに、時々、この晒し鯨の酢味噌和〈あ〉えを作ってくれたのを思い出した。ごく庶民的なつまみだった。

 公立小学校の教師の給料は何号俸何等級と決まっており、そのつましい給料の中で栄子は上手にやりくりしてくれていた。栄子の年代の女性にとって「共稼ぎ」ということは一般的なことではなかった。

 小さな器に入れられた鯨のたたきは、如何にも高級料理然としていた。だが、少し水っぽい。鯨のステーキもいかにも品がよく高級料理然として、鯨独特の臭みもなく、わざわざ鯨として食べる意味がないように思える。あのころの鯨の生姜焼きとは根本的に違う。ぐっとビールで飲み込んだ。

 少女は

 「ヒャクヒロ・・・・腸のことなの? オノミはさっき聞きましたね。」

と言うように、料理に使われている鯨の部位を興味深そうに聞いた。

  「晒し鯨はね、尾の脂身を細かく切ってから、ゆでて脂肪をぬいて、冷水でさらした

 もの。」

 徳治は知っている限り、一々説明してやった。分からないときにはメニューに書いてある説明を一緒に読んだ。

 徳治はビールを飲み残し、酒を頼んだ。ビールは腹が張るばかりだ。栄子が亡くなってから酒量が増えた。

 少女の言葉遣いは丁寧だった。大学生や高校生となった小学校での教え子と食事をしているような気楽さを感じる。

 鯨料理の専門店のある場所は昔と同じ所のはずだ。昔は横に長い木造の黒い建物で、入り口に柳があったような記憶がある。

 今は瀟洒〈しょうしゃ〉なビルの一部にはめ込まれたような造りとなり、料理屋というよりレストランという雰囲気になっている。通りの様子もすっかり変わっている。

 「ビール、もらっていいですか?」

 そう言うなり、徳治が答える前に、少女はおきさしの徳治のグラスからビールを飲んだ。徳治はとまどった。

 こんな少女に酒を飲ませていいのだろうか、人のグラスから気楽に飲むとはどういう神経をしているのか、と思った。

 徳治の年代から言えば考えられない行為だった。額の汗を拭った。

 やはりこの子はそういう種類の子なのだろうかとも考えた。

 少女はそんなことはまったく気にならないらしく、ビールを一口飲んで、徳治の前にグラスを戻すと徳治を見つめて話し出した。

 眉毛は細かくはえ詰まって、少女の意志の強さがそこから伺われるような気がする。

  「トナカイのお肉はね、二種類のソースで食べるんです。スモーガスボードやフラン

  ス料理だと別なんですけど、」

  「スモーゴス・・・・・なに?」

 徳治は少女の言う外国語らしい単語が聞き取れなかった。

  「スモーガス ボード。」

 少女はゆっくりと言い直して続けた。

  「日本のバイキングスタイルの元祖なんですって。バルト海なんかでとれたお魚や、

  色々な肉料理を好きなだけ自分で取って食べるんです。」

 徳治はうなずき、「バルト海」と心の中で繰り返してみた。見たことはないが、青い冷たい海の景色が目に浮かんだ。すがすがしい響きだ。

 少女は話を続けた。眼は真っ直ぐ徳治を見つめている。

  「スモーガスボードの時には、取り皿を一杯使うんですけど、スウェーデンでは、普

  通はいくつもお皿を使わないんです。

   大きなお皿にサラダを載せて、ポテトなどの添え物も一緒にして、お肉も一緒のお

  皿。そして、大きな肉の右半分には木苺〈きいちご〉などの赤い甘酸っぱいソースを

  かけたら、左半分にはホワイトソース。一つのお肉を二つのソースで食べるの。変化

  があっておいしいんですよ。お皿は一枚で実質的でしょ。」

  「スウェーデンって?」

 先ほどから、この少女の話の展開や行動に急にはついて行けなかった。

 少女は生真面目な表情のまま続けた。

  「私、帰国子女なんです。両親の仕事の関係で。・・・・ね、先生でしょ。どこの先生?

  何の先生なんですか?」

 今度は畳みかけるような口調だった。

 また徳治は気持ちがずれたような気がした。それは不快なズレではなかった。

  「もう、退職したけれど。」

  「やっぱり! 先生だ、ってすぐ分かった。あの歩道でぶつかりそうになった時、そ

  う思ったの。何の先生だったんですか?」

  「小学校」

  「すてき! だから優しいんだ。・・・・・亡くなった祖父も先生だったんですよ。・・・・

  両親はまだスウェーデンに居るんですど、祖父の所から学校に通えって、高校に入る

  とき日本に帰されたんです。大学は日本の方がいいって。来年、受験なんです。

   お祖父ちゃん、大好きだった。・・・・でも去年、亡くなって、今はお祖父ちゃんの後

  妻〈ごさい〉さんと同居。」

 少女はテーブルから顔を離して背もたれに寄りかかった。心なし寂しげに見えたような気がした。

 この子も色々な事情を持っているのだなと徳治は心の中で考えた。そして、やっぱり高校生だったのだと知って、何かを話そうとしている内に、少女がまた前に少し乗り出してきて話し始めた。

  「日本の学校ってつまらないのね。何だか同級生が皆子供っぽくて。・・・・したいこと

  や話なんかが、合わないんです。」

 不登校児童、という言葉が徳治の頭に浮かんだ。

 少女はもう別の話を始めていた。

  「スウェーデンではお芝居なんかすごく安いんです。行ってた学校は英語だから、ス

  ウェーデン語はあまり分からないけれど、シェークスピアなんか、行く前に両親に粗

  筋聞いておけば、だいたい分かるでしょ。

   今日も、その坂の上の教会の所の、ちいさな劇場にシェークスピアを見に行ってき

  た帰りなんです。」

 歌舞伎が好きだった妻は、友達と誘い合わせてよく歌舞伎座に出かけた。唯一の楽しみだったようだ。徳治は一緒に行ったことがなかった。一緒に行けばよかった、と今ではどうにもならないことを思った。

  「今日見たのは『尺には尺を』って言う喜劇なんですけど・・・・」

 少女は見てきた芝居の話をし始めた。その話し方がなかなか知的であることを見直した。

 少女は食べながら顎〈あご〉を引いたり、あげたり、首を傾けたりしながら、問わず語りのように話し続けている。スウェーデンと日本の演出の違いについて説明しているらしかった。表情が豊かだった。

 徳治はまた酒を飲んだ。

  「今日の小さな劇場の、小さな椅子に詰め込まれて見るのは我慢できるけど、何か、

  観客が、みんなお芝居やってる関係者ばかりのような雰囲気で、変な感じ。

   スウェーデンではもっと普通の雰囲気なんです。そして芝居の始まる前や、休憩時

  間は、みんな椅子に座らないの。」

 黙ったまま少女の目を見つめ、話を促した。

  「・・・・背もたれの方に座席を上げたままにして、立ったままその上に寄りかかって、

  自分と前の座席の間を人が通りやすくしておいて、始まりを待っていて、開始のブザ

  ーがなってから、自分の座席の左右を見て、もう人が来ないって分かると、座席を下

  ろして座るんですよ。日本では人のことなんか構わないでしょ。」

 少女は一気に話した。

 そうか、あの歩道で互いに道を譲りながら、まごまごした時の「ごめんなさい」と言う言葉はそういう所から出てきたのか、と徳治はまた少女を見直した。

 「お芝居やコンサートの後、パブに寄るんだけど、ほとんどイギリス風。ビールをパ

  イントで頼んでね、立ったまま飲むんですよ。

   母には怒られるんだけど、そういう時、父のビールをチョット盗んじゃう。

   あっ、ごめんなさい。私だけ話して。」

  「いや、私は話を聞きながら、ゆっくり食べたり飲んだりしているから・・・・スウェー

  デンの話をもっと聞かせて・・・・。」

 徳治がそう言ったのは本心からだった。徳治は話の内容よりも、少女の生き生きした話しぶりを楽しんでいた。一人でする食事よりもずっと心が紛〈まぎ〉れた。

 こんなに長く、人と一対一で話すのはしばらくぶりのことなのだ。

 妻の栄子は新聞を読んでいる徳治の傍らで、問わず語りに色々なことを話しかけてきたものだった。徳治は生返事をしながら聞いていた。今考えるとそれが貴重な時間だったのが分かる。もっとまともに栄子と話せばよかった。

  「ビール、もう一口ね。」

 今度も、少女がビールを飲むのを止める間がなかった。

 グラスを傾け、話に乾いた咽喉を潤すように、ビールをグッと仰いだ。グラスは空になった。

 徳治はなめるように酒を一口飲んだ。

  「ガムラ・スタンって、ストックホルムの旧市街・・・・中世そのままの石造りの街で、

  細い石畳の道が通っていて、セーターや小物なんかを売っている、間口の狭いお店が

  いっぱいあるの。

   二月になるとね・・・・二月は寒いんですけど、春物セールが一斉に始まるんです。シ

  ョーウインドウに明るい花が咲いたようにピンクや黄色のブラウスが飾られて・・・・冬

  の凍りつくような中で、春の復活祭を待ってるんだろうナァ。」

 徳治はその話を聞きながら日本の立春と同じだ、と考えた。よく言われるが、冬の最中に立春というのは春を待つ心の現れなのだろう。

 徳治の頭に、雪で凍った黒い石造りのスウェーデンの古都が目に浮かんだ。ショーウィンドウだけに春が来ている。

 そして、徳治は子供たちが小さいときには、玄関や裏口に鰯〈いわし〉の頭を刺した柊〈ひいらぎ〉の枝を飾り、大声で豆まきをしたことを思い出した。徳治が小さいときには、徳治の父がしたことだった。今は、子供どころか孫たちも大きくなり、この頃は豆まきも、クリスマスの飾りつけもしない。

  「・・・・ガムラ・スタンはスタッツホルメン島の南にあるんだけど、その頃は海が凍っ

  ているんですよ。

   凍った海の上に雪が積もっていて、その上に人が歩いた跡が幾筋も着いているんで

  す。

   道は岸辺のあちらこちらから始まっていて、気まぐれのようでいて、海の上で一緒

  になって、また、あちらの岸、こちらの岸へと分かれてるの。

   今歩いている雪の下の、氷の下は海だ、って思うと心細いときがあるけれど、前に

  歩いた人がいるって思うとほっとする。・・・・・・・・ああ、お父さん、お母さん、どうし

  てるかな。」

 テーブルに肘をついて、手の平に顎をのせ、ため息のようにそうつけ足した。

 徳治の心が、遠いところにいる両親のことを思う少女の言葉で暖まった。

 そして徳治は釈迢空 の「葛の花 踏みしだかれて 色新し この山道を行きし人あり」の歌を連想した。緑一杯の山。人はいない。でも自分の前に通った人がいる。踏みしだかれた葛の花の色が新しい。少女の言う海の上の氷に降り積もった雪の上に見た人の踏み跡を見て、ほっとした人恋しさは、この歌と通ずるのではないか、と思った。





山下公園からの海の眺めは、狭くなったと思う。海に向かって右手に出来たレインボーブリッジのためだろうか。

 水の守護神の像が肩に乗せている瓶〈かめ〉から、水があふれるように流れ出している。その池の周りには赤や黄色のバラが咲いている。

 今にも雨の降り出しそうな雲が海の上を覆い始めた。

 妻の法要の後、中華街で食事をすませ、中華街の東門を抜けて、ホテルニューグランドの脇を通り、山下公園へ来た。どっしりと古い構えだったこのホテルも建物が新しくなっている。

  「あれは、いつ頃までだったろうかなあ・・・・」

 徳治は誰に言うともなく話し出した。

  「山下公園のこちら側が金網で囲まれていて、進駐軍しか入れなかったのは・・・・。」

 孫たちはもう海際の鉄索のあたりに行っていた。その先に氷川丸が係留されている。

 側にいた敦が聞き返した。

  「進駐軍?」

  「うん。こちら側はね、日本人立入禁止で、あそこいら辺りだったかなあ、金網があ

  って、向こうは日本人、こっちは進駐軍専用だったんだ。」

 徳治はそう言いながら大桟橋〈さんばし〉埠頭〈ふとう〉の方を振り返った。

  「進駐軍って、占領軍のことでしょう?

   そんなことがあったのかなあ、全然覚えてないや。」

 「お前が生まれたのは昭和三十年だろう。その前に、日本は独立していたけれど、お  祖父ちゃんの法事のときには、公園のこちら側はまだ米軍専用だったような記憶があ  るなあ。」

・・・・あの頃は貧しかった、本牧の方も道路のすぐ左が海、右には金網で囲われた進駐軍の宿舎がずっと続いていた。本当に日本全体が貧しかった、と追憶に誘われながら、口に出すのをためらって口をつぐんだ。

 弟の敏雄も黙っていた。

 此の頃、何かというと昔のことを思い出すようになった。

 その頃教えた子供たちのこともよく思い出す。ガリ版に鉄筆〈てっぴつ〉で子供たちの詩を写し、印刷した文集を出したものだった。豊島区から荒川区の小学校に移ったときのことだった。

 二年生の男の子が書いた詩に

   どて〈土手〉のみち〈道〉をトラックがはし〈走〉ってきた。

   大きなにもつ〈荷物〉をつ〈積〉んでいた。

   にもつの上に白いゆき〈雪〉があった。

   とお〈遠〉くから来たんだなあとおも〈思〉った。

というのがあった。最後の行に子どもの感動が感じられた。

 同じクラスの女の子の詩に

   こたつ〈炬燵〉の上のみかん〈蜜柑〉。

   でんとう〈電灯〉をうご〈動〉かした。

   かげ〈影〉がの〈伸〉びたりちぢ〈縮〉んだりした。

というのがあった。この詩も最後の行に子どもの素直な驚きの目が輝いている。

 小学二年生の子供たちの豊かな想像力に感心させられてワクワクしたものだった。

 子供たちの詩を印刷して配ると、親たちも感想や詩を寄せてくれた。

  「先生、どうしても詩を書く材料が見つからない。」

という男の子がいたので、国語の時間なのに

  「みんなで材料を掘り出しに行こう。」

と言って校庭に出た。あの当時はそういうことが出来たのだった。

 その子が何を見つけるのか、その子の後を見まもっていたら、砂場に行って砂を掘り始めた。「掘り出す」という言葉をそのままに受け取ったのだと思っておかしかった。

 一生懸命に砂場の砂を掘っているのを黙って見ていた。教室に戻ったら、一気に詩を書いた。

   すなば〈砂場〉のすな〈砂〉をほ〈掘〉った。

   上の白いすな〈砂〉はかる〈軽〉かった。

   下のくろ〈黒〉いすな〈砂〉はおも〈重〉かった。

 その詩には、発見がある。自分自身の実感のあるいい詩だと思った。あまり勉強が出来ない子だった。嬉しかった。心から誉めてやった。その子は、それから一生懸命色々な詩を書くようになった。

 子供たちの詩をガリ版と鉄筆で写していると、子供たちの息吹〈いぶき〉が直接聞こえてくるような気がした。

 今はコピー機や、何というのかわからないがコピーするのと同じように簡単に大量に印刷できる機械も出来たので、子供たちの詩を一字一字ゆっくりガリ版で書き写すこともない。それで子供たちの心が分かるのだろうか。ただ機械的に学級新聞を出すだけでは意味がないと徳治は考えている。

 ガリ版印刷をすでに知らない世代が教員になっている。便利になった分、子供たちとの関係が疎遠になってしまっているのではないだろうか。

 親たちにしても、子供たちが自分で伸び、自分で何かを探していくのを待ってやる余裕がないのではないだろか。

 成長に伴う子供たちの身勝手な言い分も、抑さえつけたり、あきれ果てて無視したりするのではなく、まず、聞いてやることだと思う。

 子供たちは親からの自立を求めながら、どこかに帰属したいという裏腹な意識を持ち合わせているものだ。わがままな主張をしながら、子供たちは自分を分かってほしく、認めてほしいと叫んでいるのだと徳治は考えている。

 ゆっくりと構えて、そんな子供の言い分を聞いてやってから教え諭〈さと〉すと、子供は意外に素直に言うことを聞いたものだった。それが小学校の「教諭」なのだと思う。

 今は豊かになった代わりに、大人が余裕と自信を失ってしまったのではないだろうか。

 徳治も若いときには時として思い通りにならないことに苛立〈いらだ〉つこともあった。そんな徳治のかたわらに、いつも栄子がいて支えてくれたのだ。

 一人であれこれと思い出しながら、いつものようにもう一度、学校の現場に戻りたいと思った。若いときにはあふれる熱意だけで子供たちに向き合っていたが、今ならばもっとゆっくり子供たちの成長を見守ってやれる自信がある。

  「いやですね、お父さん。近頃はああいうのが増えて。」

と孝明に話しかけられ、徳治は一人の想いから覚めた。

 海から吹いてくる風に湿気が含まれている。左手の方にある樫〈かし〉の葉が白く光りを反射していた。木の下は小暗〈おぐら〉かった。

 その樫の樹の下で、大人とは言えないような若い男女が絡みあっている。

 男の左手は樹にもたれかかっている女の腰にまわされ、女は両手を男の首にまわし、脚を絡ませるようにしていた。男の右手は女の髪の毛をまさぐっている。そして二人は時折唇をよせ合っていた。

  「ああいうの、人前キスって言うんですよ。伊東みたいな田舎の電車の中でもくっつ

  いているんだから、まったく何考えてるんだろう。」

  「人目なんか気にならないんだろうね。・・・・うちの高校でも、年々生徒指導が難しく

  なってきたよ。教師のいうこと、聞かなくなってきて仕様がないんだ。」

  「そうでしょう。・・・・お義兄さんの高校でも援助交際ってやってる子いるんじゃない

  ですか?」

  「大きな声じゃいえないけど、それでこの前、学校やめた子がいて、本人はケロッと

  しているんだ。自分だけじゃなく、仲間も誘うから困るんだよね。中学生の頃からそ

  んなことしていたっていうし。」

 「だから家の子たちも心配なの。」

 良子たちも会話に加わった。

 敦たちは、話しながらゆっくり、子供たちのいる方に近づいていった。

 徳治は脚をゆるめて若い男女を見つめた。伴子が気がつき、戻ってきて小声で

  「お父さん、駄目よ。あまり見ていちゃ。近頃の子って何するか分からなくて怖いん

  だから。」

と注意した。

 徳治も歩き出した。孫たちはずっと先の海際を歩いている。

 樫の木の下の男女はまだ抱き合っていた。

 孫たちが氷川丸の乗船券売場のあたりで止まった。ソフトクリームでも買うつもりらしい。徳治たちも海沿いの鉄索に沿って近づいていった。

 良子が

  「あ、クラゲ! 海月〈クラゲ〉がいますよ。」

と言った。鉄索の上から覗〈のぞ〉くとクラゲが何匹も波の下を漂っている。

  「水海月〈みずクラゲ〉ですね。」

と孝明が答えた。

 濁った海水の中で丸く半透明に傘を開き、その中に何という器官か分からないが四つの小さな円がある。海月たちは波の動きに任せて重なり合ったり離れたりしていた。

 淡くはかなげだった。

 誰かが石を投げてその寒天質の体をうち砕いても、海月はそんなことも意識せず波に揺られているのではないかと徳治は考えた。

 生存している意識があるかどうかも分からない。徳治は海月をじっと見つめていた。命とは何であるかが不思議だった。

 その日はそれから、皆で仏壇のある金沢八景のマンションへ行った。次の日、学校や勤

めがあるので、夜になって皆帰っていった。

 洗い物や、片づけは自分がするからと言って、徳治は一人でマンションに残った。

 金沢八景駅近くのスーパーで、鯨大和煮の赤い缶詰を買ったのはその翌日の昼だった。





 雨はまだ降っていた。蒸し暑かった。水原警部補は二日酔いがまだ残っている頭で、県と都の条例の違いの要点をまとめてみようと県条例の表紙を見た。

 表紙には

  神奈川県青少年保護育成条例〈昭和三〇年条例第一号〉                   平成八年七月一二日 一部改正

   目次

  第一章 総則〈第一条~第四条〉

  第二章 青少年の健全育成を阻害するおそれのある行為の制限等〈第五条~第二一      条〉

  第三章 テレホンクラブ等営業の制限等〈第二二条~第三0条〉

  第四章 審議会への諮問等〈第三一条〉

  第五章 雑則〈第三二条~第三六条〉

  第六章 罰則〈第三七条~第四〇条〉

  附則

と書いてある。

 「東京都青少年の健全な育成に関する条例」も、全体の構成はほぼ同じで、「青少年を保護育成」するという目的も同じだ。

 神奈川県の条例が「淫行条例」と言われるのは

  〈みだらな性行為、わいせつな行為の禁止〉

として、第一九条に

  「何人も、青少年に対し、みだらな性行為又はわいせつな行為をしてはならない。」

という規制があるからなのだ。

 都は条例制定の際、神奈川県など他県の条例にある「みだらな性行為・わいせつな行為」というような表現が、規制対象として曖昧だということを問題にしていた。

 なにが「みだら」でなにが「わいせつ」なのかを決めるのに、倫理的、主観的な側面があるというのだ。

 都の条例には「みだら」とか「わいせつ」という表現はない。「第三章の二」に「青少年に対する買春〈かいしゅん〉の禁止」を明記し、金品などのからんだ「性交又は性交類似行為」を禁止対象としてと掲げている。

 その「第十八条の二」の第一項は、直接本人が金品を払う買春〈かいしゅん〉行為の禁止で、第二項は、自分で金を払わない接待などでの買春〈かいしゅん〉行為の禁止であると理解した。

 都の中間答申などとよく読み合わせて、さらに重要だと思われることは、都の条例の根底に、青少年の性行為を青少年だからといって「みだら」で「わいせつ」とせず、「青少年の性的自己決定能力」を尊重しようという考え方があることだと理解した。

 水原はふと思い出して、東京都生活文化局が編集発行した「第二二期東京都青少年問題協議会中間答申」を開いた。

 その巻頭近くに「東京都幼・小・中・高 心理性教育研究」から転載された「児童生徒の性 一九九六年調査」の表が載せられている。それによると高校生の性体験は 

     一年      二年    三年

  男 一二・九% 一六・五% 二八・六%

  女 一六・六% 二八・一% 三四・〇%

と累積集計された数字が載っていた。

 自分が高校生のときのことを思い出してみた。

 あの頃は異性に対する関心が性欲と結びつき、エロ本と称するものがまわし読みされ、仲間内でひそやかに誰が性体験があるかなどということをを噂したものだった。

 いま考えて見ると、いかにも自分に経験があるかのように話していた同級生もいたが、人から聞いた話だったり、本からでも仕入れた作り話だったことが分かる。皆、背伸びをしていたのだった。

 現在では、そうした話にあおられ、行動に移すものが多くなったのではないか。

 この表を見ると、現在、女子高校生の三年生は、三人に一人以上も性体験があることになる。三人に一人以上、と水原は呟いた。やはり、多い感じがする。同時に、時代の趨勢〈すうせい〉はやむを得ないだろうとも考えた。

 「性的自己決定能力の尊重・・・・」

 水原はもう一度頭の中で呟いた。

 不純異性交遊という語がすでに死語であることは水原も承知している。

 問題は、現実に行われている売買春〈ばいばいしゅん〉なのだ。

 大人たちの援助交際と称する買春〈かいしゅん〉を処罰することには異論はない。売春〈ばいしゅん〉をする中・高校生がいることも問題にするべきではないか。

 性的に背伸びをする時期に、仲間に売春をするものがいれば、それに引きずられる者もいるだろう。そうした売春行為を処罰しなければ、青少年の健全な育成は出来ないのではないか。

 水原は、都の条例の後ろをめくり、「青少年についての免責」のくだりを読み直してみた。

  第三十条 この条例に違反した者が青少年であるときは、この条例の罰則は、当該青

      少年の違反行為については、これを適用しない。

 青少年が売春したり、買春したりしても処罰しないと言うのだろうか。金銭のからむ性行為を青少年だからといって免責していいのか。

 水原は、都の条例の制定の狙いを自分なりにノートに整理してみることにした。

  ① 「管理売春」ではない双方納得の「単純売春」は、現在の売春防止法では罰する   ことが難しい。

  ② そこで、「援助交際」と称されている「単純売春」を規制し、「青少年の健全な

    育成」を図るために、大人が青少年を「買春〈かいしゅん〉」した際は罰しよう。

③ しかし、条例の目的は「青少年の健全な育成」だから、罰則規定から青少年は除

   外する。

  ④ そして、性は一律に禁止するのではなく、青少年の性的自己決定能力を高めるよ

   う努力しよう。

 各項目の下側に、関係条文の数字をそれぞれ記し、比較すべき県条例の条文の数字も書き込んだ。

 二日酔いで咽喉が乾いていた。机の上の冷えたお茶を一気に飮んだ。

雨は上がり、薄ら陽がさし始めていた。午後からのむっとうだるような暑さが思われた。





 九月になっても秋になりきれないようで、まだ蒸し暑い日が続いていた。異常発達したエルニーニョの影響による、異常気象だということだ。

 徳治は一週間ぶりに金沢八景のマンションへ来た。

 来る途中、乗り換えのため、品川駅で下りた。

 山手線の階段を登り切って、京浜急行に乗り換える改札口の階段の手前に、和食の店や洋風の食べ物を食べさせる店があった。駅の構内にあるのだ。

 昼食をとって来なかったので、一番手前の立ち食い蕎麦屋に入った。昼時〈ひるどき〉を過ぎていたから空いていた。食券を買おうと小銭を出した。

 カウンターの右側に大きな木のテーブルがあるのを見て、一昨年の春、妻が元気なときに、一緒に、一度だけその店に入ったことをその時になって思い出した。

  「お父さん、ごめんなさい。」

 栄子がストレッチャーの上で最後に言った声が突然聞こえてきた。徳治の手が止まった。想い出の不意打ちだった。

 長年妻と過ごした東京の住まいの近所には、一緒に行ったことのある店が何軒もある。妻が亡くなった後も、そうした店には何度も行った。そういう所で栄子の声が聞こえるようなことはなかった。

 この立ち食い蕎麦屋に、栄子と入ったのはたった一回のことだった。それすら今まで忘れていたのに、その時、

  「お父さん、ごめんなさい。」

と耳に聞こえて来た声は、あまりに生々しい。

 普段は心に防衛線を張っているのかも知れない。不意打ちはつらかった。

 食欲が失せ、そのまま店を出た。

 心弱くなっているのを感じた。栄子を失った寂しさが体の奥底からにじみ出して来た。いつも隣に寄り添っていた栄子はもういないのだ。

 あまり待たないで、三浦岬行きの特急電車が来た。一番先頭の座席に座って、左右に流れて行く景色を眺めた。北品川を過ぎ、新馬場〈しんばんば〉から高架になり、昔とは眺めがすっかり変わった。

 子供の頃から、電車の最前列からの眺めが好きだった。いや、六七歳になった今も子供のまま、と言うべきだろうかと思った。子供の頃が懐かしい。

 戦後は進駐軍に接収されていた根岸の競馬場の側を通って、三渓園へ泳ぎに行ったことを思い出した。

 今、本牧沖は埋め立てられ、海は遙か彼方に後退し、三渓園で海水浴が出来たことなど想像も出来ないだろう。

 結婚前、栄子とも何回か三渓園に行ったことがある。

 マンションに着くと、入り口のところで隣の主婦の杉浦に挨拶された。

 栄子の葬式を東京の自宅から出した後、入院の際に世話になったお礼に行った。杉浦やほかの主婦にも丁寧なお悔やみを言われた。

 それから二年たっている。

 今は、地元の中学校のPTA会長をしている杉浦は、面倒見のよさそうなタイプで、その部屋には色々な主婦が出入りしている。杉浦は、食べ物なども「おすそ分け」と言って、徳治の所に持って来てくれることもあった。

 徳治は杉浦の好意に甘えすぎないよう気をつけていた。

 妻が生きていれば、妻を通して杉浦たちともっと交遊があったかも知れないと思う。それだけ徳治は古風なのだ。

 部屋に入ると空気がよどんでいた。冷蔵庫の低いうなり声がしている。

 ドアの後ろの郵便受けには、何通かのダイレクトメールがあった。手に取ってみると、四角い大振りの封筒もあった。半ば期待していたものだった。

 裏を返したら、やはり、八月の終わりに、渋谷で会った少女の手紙だった。

 旅先などで知り合い、写真を撮りあって住所を教えても、写真を送ってくることの方が少ない。だから、少女の手紙が嬉しかった。

 手紙をテーブルの上に置き、カーテンを開け、窓を開けた。急いで少女の手紙を見ることはしなかった。徳治の年齢の落ち着きが、そうさせたのだ。

 部屋の中よりも熱くムッとする空気が入ってきた。この暑さで海の潮の香りが少し濁って強い。

 部屋の窓を全部開けてまわり、その途中で台所の水道の蛇口をひねった。水を流したままにしておくうちに、なま温〈ぬる〉い水が少し冷たくなった。

 徳治は東京の家でも自分の洗濯物は自分でした。洗濯機から出した下着を一度畳んでからパンパンと勢いよく叩き、勢いよく振るってしわを延ばしてから干した。家事をすることは苦にならなかった。出来るだけ、自立しようと努力していた。

 遠慮する良子を説き伏せ、良子が勤めに出る日は、朝食の後の食器を洗うことにしていた。

 冷たくなってきた水で顔と手を洗い、仏壇に供えてある水を換えた。父母の位牌〈いはい〉の間に妻の位牌がおいてある。

 蝋燭〈ろうそく〉を灯し、線香に火をつけた。青い煙が窓からの風にゆらいだ。

 冷蔵庫からビールを出した。

 上の冷凍室には妻の作った料理が今でも入れてある。東北旅行に行く前に、留守をする徳治のために色々と作っていった料理の残りだ。もう二年以上たっている。

 食べるのが惜しかった。これを食べてしまえば妻とのつながりがもう一つ失われるように思える。何重にもラップをし直しておいた。見るだけで妻を感じるのだ。

 ビールをグラスに注ぎ、いつもの椅子に座った。腹は減っていたが食欲はなかった。このごろ、少し酒が過ぎるかと思いながら冷えたビールを飲んだ。

 レースのカーテン越しに陽は眩〈まぶ〉しく強い。少女からの手紙の封を切った。

 渋谷で撮った写真が添えられている。

 一枚目の写真には少し驚いたような自分の顔が写っている。

 渋谷で鯨を食べているとき、少女は持っていたバッグの中から小さなカメラを取り出すと素早く写真を撮ったのだった。徳治は急なストロボの光に驚いた。少女が微笑んだ。

  「お食事のお礼に写真を送りますから、住所を教えて下さい。」

と言った。

 徳治はこれが住所を聞き出す手なのかと疑い、後腐れがあっても困ると考えた。その日のようなことは徳治にとって例外的な行動だった。

 少女はいたずらっ子のように微笑んでいた。バッグから手帳とペンを出して徳治に渡した。

 断ることが出来なかった。

 東京の自宅の住所を書くのははばかられ、マンションの住所を記し、求められるままに電話番号も記した。少女の微笑はあまりにも邪気がなかったし、酔いがそうさせたのかも知れない。

 手帳とペンを受け取った少女は、紙に何かを記して徳治に渡した。

 「これ、私の名前と携帯電話の番号です。」

 徳治は受け取って名前を読んだ。

  「村木・・・・英江〈はなえ〉」

  「初めてですよ。すぐにハナエって読んでくれたのは。ヒデエなんて読む人がいるん

  だから。」

 「ヒデエじゃ酷〈ひど〉いね。」

  「あ! おじさんギャグ!」

 冗談を言ったつもりはなかったが、少女に言われてみて自分の言い方が語呂合わせみたいだったのに気がついた。徳治はかすかに笑いながら財布にその紙片をしまい、

  「きれいな名前だね。誰の命名?」

と聞いた。

  「おじいちゃん。」

 少女はすぐに答え、そして付け加えた。

  「本当に大好きだったんです、おじいちゃんのこと。」

 続けて何か言おうとしたが、それをやめて、少し黙ってから、

  「こっち見て下さい。」

と言って、もう一枚写真を撮った。徳治は面映〈おもは〉ゆいような気がした。

  「英江っていう字でよかった。村木という名字に、花の枝の花枝だったらなんだか冗

  談みたいでしょ。」

と言ってまた笑った。本当に花のように笑うのだった。それから店員に頼んで二人で撮った写真も入っていた。

 封筒の裏の住所は

  練馬区大泉学園風致地区・・・・

と書いてある。徳治はその近くの小学校の祝典に行ったことがある。この辺りは高級住宅地のはずだ。

 文面は簡潔だが、文章も字もキチンとしている礼状で、好感が持てた。

 他人の文章をすぐ添削するような眼で見てしまうのも、長年の教師生活のためだと苦笑した。

 あの時の不思議な巡り会いをを思い出しながら、手紙を置いて立ち上がり、窓を閉めて周りクーラーをつけた。

 線香の火は立ち消えていた。蝋燭を消した。

 炎が消えると、ふっと細い煙が立ち上がり、蝋臭い匂いが煙と一緒に鼻に来た。生々しい死のにおいのような気がした。

 東京の家に仏壇を置いていた頃は、妻が毎朝、父母の仏壇に灯明をあげ、線香を点〈とも〉していた。毎朝の鐘の音も気にしなかったが、栄子の心やさしさが今しのばれる。でも、もうおそい。感謝のことばもいえないのだ。

 テーブルの方を振り返りながら電話を見た。

 留守電の吹き込まれている印のランプが着いているのは部屋に着いた時から気がついていた。

 留守電は外線からも聞くことが出来たが、その操作を徳治は覚えられない。ある期待を込めて、再生と書いてあるボタンを押した。

 テープが巻き戻される音がした。電子的に合成された声が「一件です」と言い、日付と時間を知らせた後、何も言わないで電話は切れ、話し中のツーツーという音に変わった。

 それだけで葬式の時に久しぶりにあった三羽からの電話であることは分かった。その日、三羽は東京の自宅に電話をかけてきて、

  「さっきマンションに電話したけど留守だったから。」

と言った。三羽も留守電にメッセージを残すのが苦手らしい。便利になる世の中に、こうして着いて行けなくなるのだろうか。自分を振り返ってみた。

 その時、三羽は葬式の日に話した歌集が出来てきたから送る、と言った。送られてきた歌集は歌日記のようで、小学校を退職した後の歌が集められていた。

 徳治は歌を作ることはしなかったが、子供の時からよく『百人一首』を楽しんだものだった。好きな歌がだんだん違ってきていた。

 三羽の他に伝言がないのは「一件です」という前置きでわかっていたが、はぐらかされたような失望感が残った。そして、

  「もし、あの日、三羽の都合が着き、一緒に鯨を食べに行っていたら、少女とは巡り  会わなかっただろう。」

と思って、不思議な感じがした。

 栄子は学生時代からの友達や嫁に来てからのご近所、子供たちを通してなど友だちが多かった。生前は何人も自宅に呼んで夕食に腕をふるい、徳治も親しく話をしたりした。このマンションに友達を呼んだことも多い。

 栄子が亡くなってから、その友人たちは、命日前後に線香を上げに来てくれたり、墓参りなどもしてくれているようだが、その他は連絡もなく、徳治の元を訪ねてくれる者もいない。栄子の友人たちだから当たり前のようだが寂しかった。

 「たれをかも知る人にせむ」という歌が頭に浮かんだ。

 『百人一首』の藤原興風〈ふじはらのおきかぜ〉の歌だ。ふと考えてから、

 「高砂の松も昔の友ならなくに」

という、二句切れの歌の後半を想い出した。

 だれを自分の知人としたらいいのか・・・長寿の松。でも昔からの友ではないことなのだ・・・・一人取り残された老齢の述懐が心に染みる。若かったころには分からない歌だ。

 座ってビールをあおった。少女から送られてきた写真をもう一度手に取った。

 狭い店内で近い距離から写したせいか、少女は頬ずりするように徳治に顔を寄せて写っている。徳治の生真面目な顔の脇で微笑んでいる。

 どうみても孫とお祖父ちゃんだ、と徳治は思った。

 返事をしなくては悪いような気がした。手紙を書くのは気が引けた。同居しているという、少女の祖父の後妻だという人が気にかかったからだ。

 財布から少女の渡してくれた紙片を出した。電話するのもためらわれた。

 援助交際という言葉が執拗〈しつよう〉に浮かんでくる。しかし、少女との会話は心に温かく残っていた。

 もう一缶ビールを飲もうと、冷蔵庫にむかうため立ち上がった瞬間、ふくら脛〈はぎ〉の筋肉がつるような疼痛がした。右の足先に痺〈しび〉れもある。腰椎〈ようつい〉の三番目と四番目が変形して神経を圧迫しているための痺れだと医者に言われた。老化現象だ。

 五十代までは老化など気にならなかった。腰の痛みや体の不調があっても、いずれ快復した。六十代になると肘の皮膚がカサカサとなり、痒〈かゆ〉みのあまり爪を立てると白い粉が落ちて、いつまでも治らなかった。手の甲の血管が目立ち初め、染みが出来、指の関節の皮膚が硬化してひび割れするようになった。そうした変調はもう治ることがないのだ。これが老化なのだ。せめて健康のため、出来るだけ歩くことにしている。そうするとときどき足がつったりする。脚の裏を揉みながら口が動いた。

 さきに、風呂でも入ろう・・・・思わず独り言を言っていることに気がついた。そこに妻の栄子がいれば、聞いていようと聞いていなかろうと独り言ではない。栄子がいなくなった今、その言葉は、正真正銘の独り言なのだ。締め切った部屋の中に音がないのが寂しい。

 テレビをつけて、ゆっくりと風呂に入った。

 秋口のまだ長い陽も、平潟湾の向こう側の山の背に沈もうとしている。風呂の中から山の端〈は〉にかかる陽を眺めた。風呂に窓がある。それも気に入ってこのマンションを選んだのだ。

 ゆらゆらと細長く、平潟湾に落日が姿を映している。渚〈なぎさ〉から見るとよどんでいる海の色が青く深まってきた。

 風呂から出てもう一缶、ビールを飲んだ。酒ばかり飲んでいてはまずいと思い、途中で買ってきたサンドイッチを袋のまま出した。皿に載せかえるのも面倒だった。栄子が生きていたら叱られるだろう。

 ぼんやりとテレビを眺め、途中からウイスキーの水割りに換えた。昔見た名画をやっているのに気がついてチャンネルを変えた。栄子と一緒に見た映画だった。

 筋は知っているから、字幕も読まず画面を眺めていた。たしかアガデミー賞を受賞した映画だが、地味な映画だった。

 ボートの転覆事故で兄を死なせた少年を母親が抱きしめている。少年が顔を上げて、次に父親の前へ行ってうなだれた。父親も默って少年を抱きしめてから、少年の背中をさすった。少年の後ろから姉が近づいた。父親は少年の背中から手を離し、姉の方に振り向かせた。姉も少年を優しく抱きしめた。

    人肌が恋しい。

 痛切な思いが来た。

 栄子が生きている頃、夜中にふと目覚めたまま寝付かれなかったことがある。栄子は安らかに寝ている。徳治はそっと手を伸ばし、布団の中の栄子の手に触った。温かかった。それで徳治は落ち着くのだった。それ以上ではなかった。性は絶えて久しい。

 出がけに栄子はネクタイの歪みをなおし、背広のポケットの蓋をきちとん整えてくれた。そうしたとき、栄子の髪の毛があごの下をくすぐった。徳治は急いでいるのに面倒くさいと思った。

 そして今、栄子が死んでから人肌に触れたことが一度もないことに気がついた。

 この映画のように、親子兄弟が感情のまま抱き合い、肌すり寄せ合うのがうらやましい。手が寂しい。腕が寂しい。人肌のぬくもりが恋しい。

 救急車を待ちながら、妻の背中をさすった温かさが思い出される。ストレッチャーに乗せられる瞬間、差しのべられた弱々しい妻の手の感触。

  「お父さん、ごめんなさい。」という細い詫びの声。

 病院に着いた後、妻は、徳治の手の届かない所に行ってしまった。医者や看護士の手にゆだねられ、点滴瓶〈びん〉から延びる管〈くだ〉や心電計のコードにつながれ、生きている間にその手を握ることも出来なかった。死のうとしている妻の苦しい息を感じることも出来なかった。そうしたことが何時までも悔いになっている。

 死の吐息に乾いた唇に、氷のひとかけらもやれなかった。耳元で励ましてやることも、最後の言葉を聞くことも出来なかった。最後の命の燃えている手を握りしめることも出来ず、すでに呼吸が止まり、死の色を見せ始めた頬に触ることしかできなかった。

 繰り返してそのことが悔やまれる。そして、もう一度生きている栄子の手に、背に触れたかった。あたたかさがほしい。この指をにぎってほしい。手をさぐってほしい。背中をまさぐってほしい。近づいてネクタイの歪みを直し、ポケットの蓋を整えてほしい。体を抱きしめたい。冷たく冷える足に自分の足をからめて温めてやりたい。甘やかな寝息を頬に感じたい。

 グラスを置いた。椅子の上で胡座〈あぐら〉をかいている自分の右足の指を左手で揉みしだいた。親指を足の甲に強くこすりつけた。

 誰かの肌を掌に感じたかった。

 映画の中の少年は姉に抱きしめられ続けている。

 羨〈うらや〉ましかった。

 日本には親子兄弟、友人や隣人が抱き合い、触れ合う習慣がないことが寂しい。

徳治は手のひらを身もだえするように足の裏に押しつけた。足の指の間に手の指を入れ、固く握りしめた。泣きたかったが泣けなかった。

 ふと、横浜の山下公園の、樫の樹の下で抱き合っていた若い男女が、目に浮かんだ。





 水原警部補は、都の買春〈かいしゅん〉条例の要点を記したノートから顔を上げた。

 次にこうした条例違反での罰則がどうなっているかをもっと具体的にまとめてみようと思った。

 神奈川県の「淫行条例」では一九条一項違反、つまり、青少年への

  「みだらな性行為又はわいせつな行為」

に対しては

  「二年以下の懲役又は一〇〇万円以下の罰金」

で、一九条二項違反、青少年に対してそういう行為を教えたり、見せたりした場合は

  「一年以下の懲役又は五〇万円以下の罰金」

とされている。

 都の「買春条例」に書かれてある買春〈かいしゅん〉の罰則は

  「一年以下の懲役又は五〇万円以下の罰金」

で、県条例より懲役・罰金とも軽かった。

 他の府県の罰則も調べてみた。すべての都道府県の条例から時間をかけて、罰則規定のみを抜き出し、一覧表にした。

 条例を制定していない長野県は別として、罰則は全国的に「西高東低」の傾向に思える。

 神奈川県と同じく、わいせつ行為に対して

  「二年以下の懲役」

としているのは沖縄と九州の全県、徳島を除く他の四国の三県のほか、和歌山、三重、静岡、岐阜、山梨、福井、石川、新潟、群馬、宮城、青森などの合計二三県だった。

 こうした県の多くは、神奈川県と同じく罰則・罰金を

  「二年以下の懲役又は一〇〇万円以下」

としている。

 福島、滋賀、大阪など「六ヶ月以下の懲役」とか、「懲役一年以下」としている他の道県の罰金は都と同額の「五〇万円以下」であることが多かった。

 あまりにも機械的なことにあらためてため息が出た。

 奈良県は「三〇万円以下の罰金」だけで懲役はない。

 自分がまとめた資料を見ながら、水原は、どうしても、都の条例にある

 「青少年についての免責」

が気になる。

 「当該青少年の違反行為については、これを適用しない。」

とあるからには、青少年が売春したときのみではなく、買春した場合も免責されることになるのではないか。都では何よりも「青少年の性的自己決定能力」を尊重しているからだ。

 水原は、都の「中間報告」に書かれてある青少年のテレクラ利用率を見てみた。

  女子中学生 二五・〇%  女子高校生 三六・〇%

とある。テレクラとは電話と伝言とで、不特定の男女を結びつける仕組みだ。

 この数字には、興味本位で一度だけテレクラに電話をした者も含まれているだろうが、これは驚くべき数字なのではないか。三年・女子高生の性体験、三四・〇%に近いのは偶然だろうか。

 次に、男子のテレクラ利用率を見た。その数字は、

  男子中学生 一〇・九%  男子高校生 一〇・八%

となっている。

 女子に比べてその利用率が格段に低いのは、逆に女子中高生のテレクラ利用の問題点を明らかにしているように思われる。女子中高生の性の相手は誰なのか?

 また、こうした男子生徒のテレクラ利用率自体は何を語っているのだろうか。売春目的の筈はない。買春〈かいしゅん〉目的ではないのだろうか?

 中年男の買春も許せないが、水原には青少年の買春はなおいっそう不潔に思えた。

青少年は保護育成するだけではなく、責任をも分担させるべきではないか。とくに青少年の「性的自己決定能力」を尊重するのならば買春にあたっても大人と同じように扱い、同時に売春の罪も問うべきではないか。

 禁止するものは禁止する、という毅然〈きぜん〉とした態度が、社会全体に必要なのではないか。水原はあらためてそのように考えた。

 こうした条例だけではなく、刑法の淫行勧誘罪などにも目を通さなければならないと思いながら、実務に追われていた。

 次に水原は「中間答申についての反対意見」と題されたキリスト教系の有名な大学教授の文章を期待を持ちながら読んだ。自分の考えている様な点について反対意見を述べていてくれるのではないだろうかと思った。





 翌日、徳治はシーサイドラインに乗った。夏休みも終わった平日の昼だから、乗客は少ない。

 シーサイドラインの駅は、京浜急行の金沢八景駅から国道を渡った左側、平潟湾の最奥にある。徳治のマンションの反対岸だった。モノレールの車両の最前部、海の景色が広がる進行方向右側に乗った。

 昨夜、映画を見終わってから、少女の携帯電話に電話をした。

 呼び出し音がなってもなかなか出ない。十時だった。やっと出たと思ったら、電子的合成音で留守番電話サービスだと告げられ、ピーという音がしたらメッセージを吹き込めとか、伝言が終わったら#を押せとかの指示があった。はぐらかされたような思いと同時に緊張した。

 とにかく写真のお礼を伝言して、指示通りに#を押して電話を切った。

 上手く吹き込めたか、無愛想に聞こえたのではないか、呂律〈ろれつ〉がまわらなかったのではないか、と心配した。

 そして、少女はどこに出かけているのだろうか、電話に出られないのはどういう状況なのだろうか、などあれこれ考えた。心が少し乱れたのは飲み過ぎた酒のためばかりではなかった。

 少女からは三〇分ほどして電話がかかってきた。

  「ごめんなさい。勉強している間、マナーモードにしておいたので気がつかなかった

  の。」

 その声を聞いて、ウイスキーの酔いにしびれた徳治の心が明るんだ。

 その電話で、今日の昼、根岸線の石川町で待ち合わせをし、中華街で食事することにした。徳治は法事の時にいつも使う中華街の料理屋へ連れて行こうと思った。他の店や、レストランなどを考えつく器用さは、徳治にはない。

 少女と待ち合わせをするようになった話しの流れは覚えていない。待ち合わせ場所と時間だけはメモしてあった。

 写真のお礼をしなくては、と徳治がいい、少女が横浜に行きたいといい、徳治が横浜を案内しがてら中華街でご馳走しよう、というように話が進んだ記憶はある。

 徳治が横浜を案内する気持ちになったのは、少女の声があまりに明るく、徳治との電話を素直に喜んでいるように聞こえたからだ。生き生きと華〈はな〉やぐ少女を身近に置きたいという思いもあった。

 東京でならば会おうと言わなかったかもしれなかったことに後で気がついた。東京では、誰か知り合いに見られるかもしれない、そんな風な少し後ろめたい気もあった。

 シーサイドラインの窓は大きく、両側に海の景色が広がって明るい。

 平潟湾を渡って、野島公園駅についた。そこからは海が右側に見える。青くのどかな海を見ながら、心が開けていく思いがする。東京湾の眺めも捨てたものではない。

 対岸に房総半島がうっすらかすんで見える。

 大きな船が何艘〈なんそう〉も行き交っていたが、ほとんど海の上に停止しているように見える。

 「海の公園南口」駅を過ぎ、「海の公園柴口」駅を通過した。夏休み中より人出は減ってはいても、渚にはまだ海の波と戯れている人たちがいた。

 次の駅の八景島の少し先までは海の景色がきれいだったが、市大医学部駅あたりからは平凡な街の眺めになる。終点の新杉田で根岸線に乗り換えた。

 京浜東北線は、昔、桜木町が終点だった。根岸線というように名称がつけられてこちらまで延びたのは何時〈いつ〉だったのか、思いだそうとしても分からなかった。

 徳治が学校に通い、横浜に家があった頃、桜木町からは市電に乗った。

 大岡川を渡って市電の進行方向右手に見えていた運河は今は埋め立てられ、その上を根岸線と首都高速神奈川一号横羽線が走っている。

 かつて、市電は市営球場を左に見、中村川を渡り、元町の入り口を過ぎると二つあるトンネルの左の方に入った。右側は車用だ。

 手前の中村川の澱〈よど〉んだ川水の上には、何艘〈そう〉ものダルマ船がいつも係留されていたものだった。船尾からは何か調理しているのか、薄く青い煙がたち、食べ物の匂いがしていたのを覚えている。

 川の上に野菜屑が浮かんでいた。生活の匂いがあった。

 そのトンネルを抜けるとすぐに下車駅の大和町の電停だった。昔の自宅は、電停から戻るように、抜けてきたトンネルの上の山手本通りに上がったところにあった。徳治の家のあった辺りは昭和二〇年五月二九日の横浜大空襲の際にも焼け残った。

 市電のトンネルは現在は両方とも車道になっており、市電も廃止されて久しい。

 横浜時代の父や母、叔父、叔母などの顔を思い出した。

 夜、栄子のことを思いながら、身のまわりですでに亡くなった人の名をあげ、顔を思いだし、そのあまりの数の多さに愕然〈がくぜん〉としたこともあった。

 皆、懐かしかった。徳治は何らかの縁のあったそういう人たちに生かされて来たことを思った。寂しさを覚えながらも、そのありがたさに感謝したことがある。

 その時、自分はあと何年生きているかを考えた。あの少女や孫たちが子どもを持つようになる頃までは生きてはいまいと思った。

 ・・・・自分はどのように記憶されるのだろうか。

 根岸線の車中でそんなことを思い出しながら、今日は平日なのにどうして少女は横浜まで来られるのだろうか、とその時になっていぶかしく思えた。

 不登校児童、という言葉がまた胸に浮かんだ。

 電車は根岸、山手と駅を通り過ぎた。

 一番分かりやすいから、少女とは駅のプラットホームで待ち合わせることした。東京から来て、進行方向、一番前、と言ってある。中華街に行く前に元町を散歩しようと考えたからだ。

 徳治は逆方向から電車に乗ったので、いつもと違って電車の最後尾に乗った。

 果たして少女はやって来るだろうか。一瞬不安がかすめた。

 電車がトンネルを抜けた。スピードをゆるめる。ホームに進入する。

 階段の下り口近く、一番手前に少女がいるのが見えた。胸が高鳴った。ひさしぶりのことだ。

 少女は東京方面から来る電車をじっと見ていた。

 反対側の電車の中の徳治には気がつかない。真剣な目の様子だ。

 たけ高し・・・・昔、古典で読んだそんな言葉が心に浮かんだ。

 ホームの人の群を見越すように背筋を伸ばして、心持ち顎〈あご〉を上げている。その顎からのどへ続く線の白いなだらかさに、清潔な若い女が匂い立っている。

 髪の毛は後ろに流され、そこに現れた耳が昼の光につやつやと輝いている。肌そのものが耀いているのだ。

 両腕を後ろで組み、ハンドバックを持っていた。品のいい紫のワンピースをベルトで止め、同色のハイヒールを履いている。

 少女と言うよりも一人の女性を感じた。

 徳治は麻の背広を着てきた。ネクタイも靴もワイシャツも、何時ものように妻の見立てた組み合わせだった。

 電車から降りた乗客の中を、徳治が近づくのに少女が気がついた。人を捜す真剣なきつい目が急にゆるんで、やさしい色となって徳治を迎えた。

 並んで階段を下りた。下りながら徳治は待たせたことを謝り、ついでのようにして学校のことを聞いた。

  「私の行っている学校、私立の二期制でまだ始まらないの。」

 何気ない声で答えた。徳治は安心した。少女が告げた学校名は徳治も知っている有名な私立の女子校だった。

 階段を下りきった左の壁に鏡があった。少女は左手を後ろ髪にやりながらその鏡を見て、

  「やっぱり、子供にしか見えないかナア。」

と言った。ぽい、とものをそこにおくような、幼く開け放した言い方だった。徳治の心が明るんだ。

 石川町の駅を出ると、細い商店街には思ったより多くの人出があった。

 改札口から左、元町の方面へ曲がった通りのすぐ右側に、昔からの船具店がある。船のランタンや飾りの他、鴎〈かもめ〉やイルカをかたどった銀のネクタイピンなども売っている。その古い店を見て徳治は昔ながらの横浜に来た感じがしてほっとした。

 商店街の人混みの中で、茶パツに染めて左の小鼻にピアスをした男がティッシュを配っていた。人混みの中で、配る対象をたくみに選んでいるらしい。男の通行人には渡していない。顔に汗を浮かべていた。差し出されたティッシュを受け取らず無視して通る人も多かった。

 男が差し出したティッシュを少女が受け取った。受け取ったときの少女の赤いマニキュアが目にしみた。

 ティッシュにはテレクラの宣伝が入っているらしい。徳治の心が騒いだ。テレクラの仕組みがどうなっているものなのかを徳治は知らない。知っているのはテレクラを利用した見知らぬ男女の買売春という悪い評判だけだ。

 狭い商店街を抜けてトンネルを右に見ながら、昔の市電の通りを渡ると元町だ。

 昔の横浜は東京とはっきり空気が違っていた。元町には東京の銀座や新宿、渋谷などにはない横浜らしい一種の空気があった。

 横浜ではバスも早くからワンマンカーだった。横断歩道の手前で、通行人のために車が一時停止する習慣も古くからあった。

 今は、元町の入り口にも米国系のファーストフードの店があり、にぎわっている。東京の繁華街と同じ雰囲気になっていた。平日なのに人や車があふれている。

 元町の入り口にもティッシュ配りがいた。目の前に差し出されたティッシュを少女がまた受け取った。徳治は目の端で鋭く少女の手先を見つめた。

 陽射しが強く暑いので喫茶店で一休みすることにした。アイスティーを頼んだ。少女が、

  「暑い、暑い。」

と言った。徳治が

  「本当にまだ暑いね。」

と言うと、少女は

  「違うの。爪さん、爪さん、大丈夫? 平気かな? 呼吸困難にならないかな。」

と言いながら、両手の指を内向きにして揃え、口の前に持って行き、熱いものを冷ますように口で吹いた。

 マニュキアをしているのにはさっきから気がついていた。落ち着いた赤だった。同系統の色の口紅もつけている。

  「母のマニキュア、塗ってきたんです。初めてなの。五回も塗ったんですよ。途中で

  いじっちゃうから、くっついちゃったりして。

  ・・・・・そうしたら指の先が熱くて。爪も皮膚呼吸するのかなあ。それとも、何年も前

  に母が置いていったものだから、マニュキア、古いのかなあ。」

 真剣な顔だった。さっき、大人びて女性を感じたのが嘘のようだった。徳治は思わず微笑んだ。

 爪を吹いて冷ますためにとがらした唇を元に戻すと、少女は話し始めた。

  「今日、雨降ったらやだなって思って、天気予報聞いていてね、昔のことを思い出し  たの。キョウフウ・ハロー・チュウイホウってあるでしょ。

  私ね、子供の時・・・・」

と言いながら微かに微笑んで徳治の顔をみてから、

  「強風がハローって言いながらやってくるのに注意するんだって思ってたの。」

 徳治は一瞬怪訝〈けげん〉な顔をしてから笑った。

 少女が徳治の顔を見てつづけた。

  「それからね、オショクジケンって、悪いことをしたんだって言うことは分かったん

  だけど、お食事の券を配って頼み事をしたんだって思ってたの。」

  「汚職・事件、お食事・券か。」

 徳治は声をたてて笑った。娘の伴子が小さいまわらない舌で「メガネ」と言えず「メナゲ」と言ったり、「ボクシング」と言えず「ボシシング」と言っていたのを思い出した。

  「私、日本語が変なのかな。外国に長くいたから。」

  「私もね、昔の映画なんだけど、その主題歌がはやって、『おーいら岬の』っていう

  歌い出しを聞いて、長い間、『おおいら岬』って地名があると思ってたことがある。

  でも、『おーいらは』俺ら、『俺は岬の灯台守』だったんだ。」

 少女も声を立てて笑ってから言った。

  「日本の古い映画・・・・小津安二郎監督や溝口健二監督の映画見たことありますよ。」

  「よく知っているね。」

  「ストックホルムの日本人会で上演するんです。みんな日本がなつかしいんでしょう

  ね。

   毎週、何か古い日本映画なんかやってるの。みんなよく集まるの。」

 アイスティーが運ばれてきた。クリスタルガラスの容器に露がついて涼しげだった。少女も甘みを加えずに飲んだ。

 少女は徳治の懐かしい映画をよく知っていた。話がはずんだ。古い日本映画ばかりではなく、イングリッドバーグマンやグレタガルボ、グレースケリーなど徳治が若い頃のスターの名前も知っており、映画も見ていた。徳治も思わず話に熱中した。それから、徳治が聞いた。

  「お父さんのお仕事は?」

  「・・・・ピアニスト。スウェーデン王立バレー団のレッスンの伴奏をしているんです。

  人によって、その日の調子によって、踊るテンポが違うから、バレリーナが気持ちよ

  く練習できるように弾くのは結構むずかしいらしいの。

   母は声楽家です。今年は公演があって日本に来れなかったの。私も来年は受験だか

  ら向こうに来ちゃ駄目だ、勉強しろって。」

 少女は何か不満そうだった。

  「スウェーデンの日本人会って独特の雰囲気なんです。必要があって、きちんとした

  仕事があってストックホルムにいる人は普通なんですけど、中には、なんて言うのか

  な、日本にいられないのかな、何かを求めてきて、何年もいる内に何国人でもないよ

  うな風になって、何て言うのかな・・・。コスモポリタンでもないし・・・・」

 少女は必死で言葉を搜しているようだった。

  「でも、人の悪口いっちゃ駄目ね。両親も今の仕事に就くまでには色々と苦労があっ

  たみたいなんです。そして、根無し草になっちゃ駄目だ、日本の大学に入れって、私

  の言うことを聞いてくれないんです。」

これが少女の両親への不満の原因かな、と徳治は思った。少女は下唇の端を犬歯でキリッと噛んでから、アイスティーを飲んで続けた。

  「でも、日本て変な国ですよね。電話ボックスに入ればへんなチラシがいっぱい張っ

  てあったり、あんな宣伝の入っているティッシュ、ただで配ったりする国なんて見た

  ことがない。こっちへ戻ってきて、初めてティッシュ渡されたときにびっくりしちゃ

  った。どうしていいか分からなくて。」

 「さっき、二つももらっていたね。」

  「これね。」

と言って、少女はハンドバッグからティッシュを出した。

 やはり両方ともテレクラの宣伝だった。大きな赤い文字で「女性専用電話」と書いてあった。徳治の胸の奥が疼〈うづ〉いた。

  「配る人たちって、結構一生懸命やっているんですよね。一人に二つ渡すような人も

  いるけれど、だいたい真面目に一生懸命で。・・・・配り終わるまでお仕事終わらないで

  しょ。

   今日もこの暑い中で一生懸命に配っていた。はじめはびっくりしたけど、一生懸命

  なのを見て、それからは出来るだけチラシもティッシュも貰ってあげるようにしてい

  るの。そうすればお仕事、早く終わるでしょ。チラシなんかは後で捨てればいいし・・

  ・・。」

 その意外な答えに徳治は驚いた。

 徳治の自宅のある山手線の大塚駅北口には、この十年ほどそういう手の店が増えたようだった。看板を持ったビラ配りが何人もいて、何とかサロンだのマッサージだののビラを配っていたが、受け取ったことはなかった。迷惑だとだけ感じていた。

 金沢八景の駅にもそういうビラ配りがいたのを思い出した。初老の男が掲げていた店の

宣伝のプラカードには

 「韓国エステ 六〇分八〇〇〇円」

とか

 「ロマンコース 一一〇〇〇円」

とか書いてあったような気がした。

 その男は、プラカードに顔を隠すようにしながら、下を向いてビラを配っていた。左の耳には携帯ラジオでも聴いているのかイヤホンが差し込まれていた。何時もネクタイをきちんとしめていた。

 近頃の不況でリストラでもされ、止むを得ずビラ配りをしているのではないか、と今初めて考えた。

 大塚の駅前のビラ配りもうらぶれた中年男や、外国人らしい若い男が多かった。

 少女のさりげないやさしさに触れて自分のことが省みられた。

 小学校の教師をしていた時には生徒と話していると、その生徒の意外な美点を発見出来たり、それぞれの負っている家庭の問題なども見えてきたものだった。

 徳治は少女を見直した思いで、自分もこれからそうしたビラやティッシュを受け取ってやろうと考えた。





 水原警部補は苦り切っていた。息子の博之は相変わらず大学に行かないと言い続け、二学期が始まっても、週三日、夕方からのガソリンスタンドのアルバイトをやめない。

 水原にとってみれば、息子が目の前の受験勉強から逃避しているとしか思えない。自分は大学に行けなかったからこそ、息子にはその機会を与えてやりたかった。そういう親の思いがなぜ分からないのかともどかしかった。ガソリンスタンドの所長に話しに行こうかとさえ考えた。そうすればより反撥するばかりだ、と妻が言うので我慢していた。

 息子との対立が家の中の空気を重くしているので気分を変えようとして、久しぶりに一緒にそろって食べた夕食の後に、

  「今度の日曜、久し振りに非番だから、たまに家族みんなで城ヶ島の方にでも出かけ

  ようか。あの岬の突端の生け簀〈いけす〉のあるところでおいしい刺身でも食べよう。」

と誘った。

  「あの富士山が見えるところでしょ?」

 妻は喜んだ。その料理屋からは、秋や冬の空気の澄んだ時になると相模湾の上に聳〈そび〉える富士の白い姿が見えるのだった。

  「でも、今度の日曜の天気は大丈夫かしら?」

 まだ、秋雨が降ったり、秋晴れになったり、天候の不安定な時期だった。その日も午後から急に曇〈くも〉りだし、夜になってかすかな雨が降り始めた。

  「平気だよ、俺は晴れ男だから、俺が行けばきっと晴れるさ。」

 水原は明るい声で言った。テレビを見ていた娘の祥子が急に口を挟んだ。

 博之は夕食をすますと、すぐに自室に引きこもって、そこにはすでにいなかった。

  「それがいけないのよ、お父さん。」

 水原には意味が分からなかった。

  「お父さんは自分が晴れ男で、お母さんは自分で雨女だって言うけど、晴れ男とか晴

  れ女っていう人は自分中心なのよ。」

 娘が何を言いたいのか分からずに、とまどった水原は

  「・・・・そんなことないだろう。」

と言った。娘は強い調子で言葉を続けた。

  「お父さんは自分で分かっていないの。雨女とか雨男とか言う人はやさしく気の弱い

  だけなのよ。みんなが出かけるとき、雨が降ると自分の責任だと思っちゃうんだから。

   晴れ男とか晴れ女は自分勝手なのよ。天気がよければ自分が運がいいんだからって

  自慢して、雨が降ったら雨女や雨男のせいにしちゃって・・・・」

 思っていなかった反撥だった。

  「自分勝手だなんて、そんな言い方はないだろう。」

と言う声が自分でも思わぬ程強くなった。

  「ほら、何かって言うと、お父さんはそうやって大声で抑えつけるんだから。」

 祥子の強い口調に水原は気色ばんだ。

  「お父さんは久しぶりにみんなで出かけよう、って言ってるだけじゃないか。」

 その後は坂を転げ落ちるように、ものの言い方や相手の口調まで持ち出して激しい言い合いになってしまった。妻はおろおろするだけだった。

 言い合いながら水原は寂しかった。何が原因か分からない。中学一年の夏まであんなに素直で、父親っ子とまで言われていた祥子の変化が理解できなかった。それがもどかしく、自分の素直な気持ちを分かろうとせず、曲解しているとしか思えない娘に手をあげそうになった。祥子はますますいきりたった。

  「ふだんは物わかりのよそさうな顔して、そうやって暴力で脅すんだから、最低!」

 まだ何か言いたそうにしている娘を妻が無理に連れ出し、娘の部屋に連れて行った。そのまま帰ってこない。

 自分専用の部屋のない水原は、そのまま居間にいるしかなかった。子どもたちをかわいがり、子どもたちの人生に何かをしてやりたいだけなのに、と思った。

 グラスに焼酎を足しながら、「ハセダにする」と言う言葉を思い出した。郷里の松山の言葉で「仲間外れにする」という意味だった。

  「ワシばかりハセダにすなや。」

と国言葉で呟いたら、思わず涙がにじんだ。情けなかった。噴き上げてくる思いを抑えて、誰にも分からない内にティッシュでぬぐった。

 娘が見ていたテレビでは同じような何人もの女の子が、踊りながらかわるがわる何か分からない歌を歌っている。子供だった。

 テレビが一台なのも喧嘩の原因になったことがあった。

 各自が部屋にこもって自分のテレビを見るようになったら家族でいる意味がない。テレビを見るのなら、譲り合って皆がそろって一緒に見るべきだと水原は考えていた。

 たまに一緒に夕飯を食べているときに、兄と妹がチャンネル争いを始めたので、水原は言った。

  「みんなで譲り合わなくちゃ。お父さんだって我慢して、一緒に見てるんだから。」

  「ほら、やっぱり、お父さんは押しつけている。普段はいいよ、いいよって優しいこ

  と言いながら、こういうときに我慢してやっているんだ、なんて言うんだから。」

 「そうじゃないさ。」

  「そう言ったじゃないの。」

 その時の祥子との喧嘩はこの食い違いがきっかけだった。自分は仲裁をしただけのはずだった。それなのにどうしてそうなるのか、水原には意外だった。自分が子どもの頃は父親にこうした反撥をしたことはない。いや、出来なかった。

 水原はグラスをあおった。力無くテレビを眺めた。

 この頃の歌には英語の歌詞が多い。その英語が正しいかどうかも分からなかったし、意味も分からない。息子にはやはり大学に行ってほしいと思う。

 その日、水原は署で、前に読んで理解にこまった都の「中間報告についての反対意見」を読み直してみたのだった。

 子供にも責任があるという、自分と同じような反対意見かと期待したのだが、正反対だった。

 その上、文章自体が一読して意味が通じないだけではなく、英語の単語が多用されており、理解もしにくかった。息子から借りた英語の辞書を久しぶりに引いた。

 冒頭の一行目に

 「性は各人に具わった“プロパティ”(財)の一形態」

とあるのが気になった。わざわざ

 「“プロパティ”(財)」

などとカッコつきで英語の単語を書く必要があるのだろうか。

 その他にも

 「コスト・アンド・ベネフィット(費用対効果)」

とか、ムーブメントとかコンセプトなどという語がずらずら出てきた。コンセプトはどうにか分かったが、

 「singleout」

とか

 「underinclusive」

など説明抜きの英単語は辞書を引かなければまるで分からない。

 大学教授であるこの筆者が、自分の意見を広く他人に分からせようと思っているのかどうか疑わしく思われる。

 文章自体も妙に気負っているように思え、論理がねじくれていて読みにくい。自分の知識をひけからし、自分の論理をもてあそんでいるように思えた。

 もっと簡単な分かりやすい言葉で述べることが出来るはずだ。プロパティなどという語は、学者仲間のはやり言葉ではないのか。この筆者の反対意見はいわゆる「学問」で、現場とは無関係な観念論ではないか。

 水原は英語の単語を多用する筆者の書き方に反撥しながら、自分が大学に行けなかったことへの引け目もかすかに意識していた。

 この筆者は、結局、「性は各人に具わった“プロパティ”(財)の一形態」であるから、他者に任せるのではなく、それをどうするか、が問題だと言いたいのだ。一言で言えば、「性的自己決定能力」を育てるべきだ、ということだ。

 それならば、子供は自由だ、お構いなしという都の「買春条例」の基本方針と違っていないじゃないか。売春しようと買春しようと「性的自己決定能力」なんだから、「淫行」と決めつけるな、と言いたいのか? 子供に決定権があるとするのなら、子供にも責任を問え、その責任のもとに売春を思いとどまらせろ、買春をさせるな。性を売ったり買ったりする奴らを大人も子供も一律に扱うのが筋なんじゃないかと水原は心で叫んだ。

居間に一人取り残された水原は、

   気落ちしていてはならない、酒を飲み過ぎてはならない、

と自分に言い聞かせ、テレビを消して、鞄から小冊子を取り出し、この「反対意見」の最後の部分にもう一度目を通すことにした。

 大学教授である筆者は、条例の適用において

  「検挙は、ほぼ必然的に選択的(selective)たらざるをえない。どんな場合に検挙し、

  どんな場合に大目に見るかという法執行のありようは、一つにかかって警察当局の判

  断にゆだねられる運命にある。」

とも書いている。ここにも必要のないような英語が挿入してあり、この後の文章もねじくれた表現が続いているように水原には思われる。

 検挙を選択的にする・・・・当たり前のことではないか。

 職権を濫用して無差別に逮捕したり、補導するわけではない。万引きなどで捕まえても、とくに初犯の場合、時間をかけて説諭し、家庭に連絡して帰している。

 通っている学校に連絡することはほとんどない。青少年のプライバシー尊重という面もあるが、学校ではそうした生徒を退学させてすませることが多いからだ。

 退学処分で学校から追い出せば学校はそれですむかもしれないが、警察の仕事はそれではすまない。そういう現場で我々は仕事をしているのだ。

 現場をあまりにも知らない大学教授の言葉に怒りを感じながら、水原はもう一度、意識を集中してその文章を読み直して考えた。

 この筆者は結局警察を信用していないのだろう。

 この筆者の頭にある「警察」とは、ほうっておくと権力を振りかざす危険なものなのだろう。こいつはどこかの歴史か過去の「特高警察」を元にした被害妄想だ。反権力が正義だと思い込んで、現実を何も分かっちゃいない。

 そしてこの筆者の頭の中の「青少年」とは、すべて可能性に満ちあふれた青少年なのだろう。この筆者が教えている大学は、国際的という意味の名を冠した著名なキリスト教系の大学だった。おそらく、選ばれた知的な青少年だけを相手にしているに違いないと皮肉な思いで考えた。

 水原はひったくり事件で逮捕した少年を思い浮かべた。いかつい体をし、髭をはやし、老婆の年金を強奪した少年の前にこの筆者を立たせて見たいと思った。

 この筆者は続けて

  「もう一つだけ指摘する。この種の犯罪の摘発過程が、関係者たる青少年に及ぼす影

  響を、慎重に考慮しなければならない。」

と書き、取り調べは

  「青少年を『保護』する前に、彼等を公権力行使のうずのなかに、まず巻き込む」

ことになるから、そうした「被害」をくい止めることを条例の中で明らかにすべきだと述べている。

 ここがこの読みにくい文章で書かれた反対意見の本当の骨子だということが分かった。

 要するにこの筆者は、青少年の性的自己決定能力を尊重することを声高〈こわだか〉に述べ、「青少年を取り調べの被害」から守ることを都の条例が明記していないから反対だ、と言っているのだ。

 これは綺麗事〈きれいごと〉だ。真面目な青少年ならば摘発はされないのだ。事件を起こしたから摘発されるのだ。

 買春〈かいしゅん〉には売春する相手がいる。この筆者は、売春した青少年が、警察捜査の「被害」に合わないようにするべきだと言っている。

 これでは売春側を捜査出来ない。警視庁の事例のほとんどは、補導した多くの少女の証言から買春〈かいしゅん〉した相手を特定して逮捕しているのだ。

 売春側の青少年を別件で逮捕したらそれこそ問題が大きいだろう。強姦の被害者を取り調べようと言うのではないのだ。積極的に売春した容疑者はきちんと取り調べ、検察官送りにするものはキチンと検察官に送るべきであろう。青少年保護の美名の元に甘やかしてはならない。

 この筆者の言うように、「青少年の性的自己決定能力」を認めるのなら、その決定能力において売春した者は摘発されるべきではないのか。

 難解なだけで、現場も知らないで自分の立場からだけものを述べている。机上〈きじょう〉の空論に過ぎないような文章を苦労して読んだのが空しかった。青少年の生きている現場はそんな所ではない。

 水原は神奈川県の「淫行〈いんこう〉条例」に基づき、生身〈なまみ〉の青少年と向かい合いながら、キチンと職務を遂行〈すいこう〉していこうと決意し直した。

 晩酌の酔いのためか祥子との諍〈いさか〉いのためか、水原の心はまだ波打っている。

 ノートにまとめておこうとしたが、鞄の中のペン入れが見つからない。食器棚の引き出しを開けて筆記具を搜した。手作りの封筒が入っていた。

 中を見なくても、小学校の頃、水原の誕生日に祥子からもらった「肩たたき券」が入っているのを知っている。素直だった頃の娘のかわいい姿が目に浮かんだ。

 今日の言い合いにしても、どこで、どうしてこうなってしまったのだろう、と水原はあらためて考えても分からなかった。

 残念で寂しかった。思わずため息をついていた。

 祥子の部屋から出てきた妻が台所で洗い物を始めた。表では音もなく秋雨〈あきさめ〉が降り続いていた。

 水原は妻に何か言いかけようとしてためらい、口をつぐんだ。

 この肩たたき券を出したら祥子はなんと言うだろうか。さっきの言い合いを忘れて、素直に肩を叩いてくれそうに思った。そうしてほしいと心から願ったが黙って座った。





 「ねえ、先生。」

 少女がきつい目をして徳治のマンションに入ってきた。

 横浜で会ってから、英江は徳治を先生と呼ぶようになっていた。

 あれから、英江とは何回か横浜で会った。

 九月の終わり、横浜の外人墓地から「港の見える丘公園」に行った。公園のすぐ右手から下に向かって高速道路の高架が視界を遮っている。ビルも多かった。昔とちがって「港の見える」というのは名前だけで、今はこの公園から港はほとんど見えなくなっている。弟を乳母車に載せた母と散歩に来た頃が懐かしい。公園の右手奥に文学館が出来たのは何時〈いつ〉だったのだろう。徳治は若い頃のことを思い出そうとした。

 文学館には入らずに、フランス山から港へ降りていった。その途中、もっと広い海を見たいと少女が言った。徳治は八景島を案内することにした。

 海を案内したのは、十月初めの明るい日曜のことだった。

 海沿いの道を歩いているとき、カラスが一羽、二羽、鳴きながら空を飛び過ぎていった。とっさに、英江は両手を握りしめ、親指を隠した。徳治が怪訝〈けげん〉な顔をすると、

  「おまじない。・・・・カラスを見たら、両方の親指をかくさないと親の死に目に会えな

  いんだって、おじいちゃんに言われたの。」

幼い声だった。両手の指を隠す仕草が可愛かった。

 それまで、時折、英江は両親への不満をもらすことがあった。

 ある時、

  「長女って損よね。弟はバギーに乗せられているのに、英江はお姉ちゃんなんだから  がんばりなさい、って何時も言われて・・・・」

と言った。

 徳治は自分の幼い頃の散歩もそうだったと思った。そして、幼い二人の子を連れた英江の母親の姿を目に浮かべた。季節は何時〈いつ〉だったのだろうか。時間は何時だったのだろうか。ストックホルムの石畳みの上だったのか、東京の大泉の樹木の日影の下だったのか。

 バギーには二人を乗せられない。バギーのそばを歩いている幼い英江が目に浮かんだ。

 英江と弟を連れた母親は困っていたのだろう。子供連れだから当然荷物も多くなる。

 母親にしてみれば、頼りは幼いながらも姉の方だったに違いない。母親は必死の思いで

  「お姉ちゃんなんだからがんばりなさい」

と英江に向かって頼んだのだ。

 そんな英江の母親の弁護をしてやろうと口を開きかけて、言うのをやめた。

 それくらいのことはこの少女も分かっているに違いない。ただ、自分も弟と同じに甘えたかったことを分かってほしいだけなのだろう。徳治は頷〈うなづ〉いただけで黙っていた。英江も一息ついて黙った。

 こんなことがあったから、カラスのおまじないの話を聞いて、徳治は両親への英江の素直な思いを見たようで安心したのだった。

 八景島の海の公園では、波がしらに秋の陽がまぶしかった。その光と戯れるように、英江は靴を脱いで波打ち際ではしゃいだ。

 沖から波が打ち寄せてくると声をあげて逃げてくる。波に追いつかれて、手でスカートを持ち上げる。膝の少し下で飛沫〈しぶき〉が上がってまた声をあげる。持ち上げられたスカートの下の太股が白い。手を上げて徳治を誘ったが海の中に入っていく元気はなかった。

 十月はじめの海は思ったよりも冷たかった。服を乾かすのに、徳治は自分のマンションに初めて連れてきた。

 それからは、英江は

  「先生のところに来るとほっとする」

と言って、徳治のマンションを訪ねてくるようになった。

 来る度に英江は栄子の仏壇に灯明〈とうみょう〉をともし、線香をあげ、時には花を持ってきてくれた。

 徳治はそれも嬉しかった。消え際〈ぎわ〉の蝋燭〈ろうそく〉の煙のにおいが気にならなくなった。

 気楽に心に浮かんだことを徳治も話した。英江はよく耳を傾けてくれた。

英江との食事は外に食べに行くこともあり、英江が作ってくれることもある。なかなか腕は良かった。

 徳治の出来るのは鍋料理くらいだ。十月の終わり、おいしい茸〈きのこ〉も出始めたので、徳治は近くの海でとれた魚介類と茸〈きのこ〉で寄せ鍋〈なべ〉を用意して英江を待った。薄味でおいしい鍋が出来た。栄子が元気な頃から鍋物は徳治が用意し、味付けをしたのだった。

 取り分けの小鉢を置いて、英江が言った。

  「ねえ。先生。・・・・何、考えてるの?」

  「・・・・小学生を教えていた時ね、小学生がうらやましくなるときがあったの。喧嘩か

  何かをして悔しかったんだろう。校庭の真ん中で両手離しで泣いている。顔を空に向

  けてね。

   大人になると下を向いて泣くでしょう。上を向いて泣けるのは小学校の低学年まで

  かな。」

  「私もそんな想い出ある。」

  「・・・・子供って、いっぱい泣いた後、ヒクッヒクッてのどを詰まらせるよね。」

 英江が頷〈うなづ〉いた。

  「そういう時、まだ声をかけちゃ駄目なんだよ。また、泣き出したくなっちゃうから。

  そうっと見ていてやるのが一番なんだ。

  ・・・・でも、子供の泣くのは本当に単純な悲しみなんだよね。それを純粋に悲しん

  でいる。・・・・私もああいう風に純粋に悲しめたらいいなあ、もう一度ああいう風

  に泣きたいなあって思うことがある。うらやましいなあって。」

 徳治は栄子の死んだ朝の自分自身の嗚咽〈おえつ〉を思い出していた。その時、徳治は涙を必死に耐えていた。大声で泣きたかったが泣けなかったのだった。

  「先生、私、泣くよ。ね、いい?」

 花江が唐突〈とうとつ〉に言い出した。

 徳治はだまってうなづいた。この子なりに何かに耐えているのだろう。

 英江は足をそろえ直した膝に手をおいてうつむいた。手に力が入ったのが見えた。

 肩が小刻みに動き始めた。肩が上がるたびに、すすり上げる音がした。

 徳治は見てはならぬもののように目をそらして、窓の外に目をやった。平潟湾の上を秋の風が吹いて渡るのが見えた。カーテンがはためくように細波〈さざなみ〉がシーサイドラインの八景駅の下あたりから野島の方へ一筋〈ひとすじ〉駆け始めると、それを追うように次から次へ、幾筋〈いくすじ〉もの細波が駆けて行った。

静かだった。

  「やっぱりだめ! 子供のように空をむいて泣かないとね。」

 英江の明るい声がした。まっすぐ顔をみた。目に涙が光っている。

  「・・・・あのね、先生、今度一緒にお風呂入ろう。」

 また、唐突に英江が言った。訳がわからなかった。

「あのね」

 子供らしい口調で英江が言った。

「私、おじいちゃんとみんなと一緒にお風呂入ったの。アカをこすってあげたら、お  じいちゃん、喜んでた。」

 徳治はますますとまどった。

  「スウェーデンにいた時の話。私が中学に入ったとき、日本からおじいちゃんが来た

  の。オスロ経由だから、家族で迎えに行って一泊したの。ホテルのサウナを予約して

  おいて、一緒に入ろうって言ったら、おじいちゃん照れちゃってなかなか入って来な

  かったの。でも一度入ったら喜んで、昔、北海道に行ったとき、脱衣室は男女に分か

  れているのに、風呂場に行ったら男女混浴で驚いた、つて。

   先生、今度一緒にお風呂入ろう。背中洗ってあげる。」

 徳治はなんと応〈こた〉えていいのか分からなかった。英江の「あのね」という言い方が子供らしくてかわいかった。英江の何かを解きほぐそうとしながら、徳治の心の奥の何かが潤〈ほと〉びて来たような気がした。

  「私、ほんとにね、お祖父〈じい〉ちゃん子だったの。前にお話し、したでしょ。小

  さい頃、言葉の勘違い。」

  「うん、オショクジ・ケン」

  「そう。それでね、まだあるの『赤い靴』って歌あるでしょ。」

  「横浜の~波止場から~、だね。」

  「そう・・・その女の子、『異人さん』につれられて行っちゃった、でしょ。」

 徳治はだまって頷〈うなづ〉いた。

  「私ね、『いい爺さん』につれられて、だと思ってたの。だからね、赤い靴の女の子、

  良かったね、ってずっと思ってたの。」

  「いい爺さん、ね。」

  「本当にお祖父ちゃん、好きだったから。いい爺さんだったから。お祖父ちゃんのお

  友だちもみんないい爺さんだったから。」

  「なるほど、いい爺さん・・・ね。」

 徳治は自らを省みた。そう、この子にとっていい爺さんに徹しようと思った。

 英江はその次に来たとき、ボディソープを持ってきた。

 それから一ヶ月以上も過ぎ、その日は十二月に入っていた。

 英江が何時来てもいいようにマンションの鍵は渡してあった。





 「ねえ、先生」

と言いながらドアを自分で開けて入ってきた英江を徳治は目で迎え入れた。

 英江はきつい目のまましゃべり始めた。

  「小母さんたちって不潔。さっき、マンションの入り口でお隣の小母さんと一緒にな

  ったの。」

  「ああ、杉浦さん。」

  「エレベーターも一緒だった。目があったら、高校生って勉強大変でしょう、って言

  うから、ええって答えたの。そうしたら、私のことジロジロ見て、武田さんのお孫さ

  ん? って聞くから、違いますって言ったの。そうしたら、教え子さん?、って言う

  の。何か私のことを探〈さぐ〉るように言うから、また、違いますって言って默って

  たら、エレベーターを降りた所で、じゃ何なのかしら?、って言うから、恋人ですっ

  て言ってやったの。びっくりしてた。・・・・なんであんな風に人のことを探るんだろう。

  ほっといてくれればいいのに。」

 徳治は悪い予感がした。

 秋になった頃から、杉浦たち同じマンションの主婦の態度がよそよそしくなったのに気がついていた。

 足繁く英江がやってくるのが原因なのだと分かっていた。





杉浦清美四三歳は、長女が中学校入学時にPTA役員を引き受け、現在は次女が中学三年の時からPTA会長を引き受けて二年目となる。

 この頃は女性会長もめずらしくなくなっている。十二月の半ば、PTAの役員会があり、その後、何人かの主婦が杉浦のところに集まっていた。

  「お隣の武田さん・・・・」

  「あの小学校の校長先生だった人。」

  「あの方、奥様亡くされたんでしょう。」

  「それが問題なの。若い女の子が時々遊びに来るのよ。」

  「私も見たことがある。若いって言うより子供でしょ。高校生くらいじゃないの?」  「ええ、気の強そうな顔をした。」

 同じマンションの違う階に住んでいる主婦が言った。

  「この前、その子とエレベーターで一緒になったから聞いてみたの、高校生だって言

  ってたわ。どういう関係かと思って、お孫さん?、って聞いたら、ふてぶてしい態度

  で、違います、恋人だって言うのよ。」

  「いやあねえ。この頃の高校生、なに考えてるかわからない。」

  「援助交際じゃないの。」

  「武田さんって人、真面目そうに見えたけど。」

  「そうでもない見たいよ。その人、背の高い、ちょっとおしゃれな人でしょ。・・・・こ

  の前、駅の側のスーパーのとこで韓国風エステっていう看板持ってチラシ配っている

  人と話してたの、その人じゃないかな?」

 「そのエステってこの春に出来たのでしょ。何するのか分からないわよね、エステっ

  て言っても。」

  「ロマンコースなんて何をするのかしらね?」

  「見た見た、私も見たわ。看板持っている人と親しそうに話してた。よっぽどおとく

  いさんなのよ。」

 「ああいうお店が近所に出来るのこまるのよね。」

  「奥さんが亡くなると、男ってみんなあんなかしらね。」

  「だから許せないのよ。いい奥さんだったし。一人じゃ大変だと思って声かけても、

  この頃、露骨に避けているみたいなのよ。」

と杉浦が引き取った。

  「私の家は隣でしょ。娘も二人いるし、隣で援助交際なんかされていたら問題だと思

  うの。」

 「やだあ、援助交際だなんて。」

  「そうよねえ、悪い影響、受けるわ。」

  「結局、売春でしょ、援助交際って。」

  「去年だったかな、東京都で何かの条例を決めたでしょ。神奈川はどうなってるのか

  しら。」

  「読んだことないけど神奈川にも条例はあるわよね。」

  「前に県の広報で見たことがある。」

  「どうする、お隣さん?」

  「私に考えがあるの。来週、PTAの会長会があって、その後、交通安全や冬休みの

  非行防止の地区の相談会なんかで、すぐそこの警察の署長さんも出席するの。」

 主婦たちは杉浦の方を見つめた。

  「このままほうっておけないから、署長さんに直接話してみようと思ってるの。」

 「それがいいわ。でも、その子どこの子かしら?」

  「本当に気の強そうな子よね? 目のきつい・・・・」

 徳治たちの知らないところで主婦たちの話が進んでいた。

 杉浦はその時の話し通りに、地区の懇談会で会った警察署長に苦情を言った。

 警察署長の青山は、生活安全課の課長、林警部に善処するよう命じた。林警部は部下の水原警部補を杉浦の自宅へ行かせることにした。

 通常、警察の捜査の端緒の六割はこうした「風評の聞き込み」や「電話での申告」、「投書」などなのだ。





 水原警部補はすぐ杉浦に電話をした。都合を聞いてから、部下の吉野巡査を伴って杉浦のところへ行った。

 子供たちの冬休みが間近に迫っている。息子の博之は妻と話し合い、とにかく受験することになり、予備校の冬期講習に行くというのでほっとしていた。娘の祥子との折り合いはまだ何かしっくりとしなかった。

 口を出すと必要以上の反撥が返ってくるので、妻との約束で出来るだけ口を挟まないで黙っていることにした。寂しかった。

杉浦の自宅にはPTAの役員が他に三名集まっていた。杉浦がお茶を出しながら皆を紹介した。

 年をねじ伏せるように赤いセーターを着た、派手な化粧の主婦が話の口火を切った。

 武田の所へ十月頃からよく少女が訪ねてきて、数時間過ごしていく、と言った。杉浦と同じマンションに住んでいる主婦だった。

 杉浦は自分は隣だからよく見かけるが、少女はほとんど毎週、土曜か日曜にやって来ており、その少女が高校生であるのは本人に確認したと言う。

 他の主婦たちも、二人がマンション近くや駅周辺で腕を組んで歩いているのを何回も見かけたことがあったと声高〈こわだか〉に言いたてた。吉野にノートをとらせ、水原は聞き役に専念し、ときおり質問した。

 二人の親密な様子を見ると特別な関係があるとしか思われない、それなのに孫でもないという。年頃の子供を持つ母親としてはそうした不可思議な関係は見過ごせない、などと声の調子を強めて訴えた。

 杉浦は自分がマンションのエレベーター内で、それとなく少女のことをたしなめようとしたら、少女は徳治の恋人だと言い切り、挑戦的な顔でにらみつけられたと言った。杉浦の声は静かで、信頼をもてるような話し方だった。

 水原は、駅の通路に制服のスカートのまま座り込んでいる数人の女子高生の姿を目に浮かべた。通行人のことなど眼中にないようで、鞄を脇に投げ出し、地べたに座り込んで、自分たちだけで話しに熱中している。

 電車の中でも他人を気にせず、ソックスを脱ぎ、素足を人目にさらしながらルーズソックスに履き替えるような、「ノブゾウ」で恥じらいも遠慮も知らない女子校生もいる。

 そうした女子校生たちは言い合わせたように細眉で、髪の毛を染め、化粧をしているが、制服のスカートの所々に食べ物をこぼしたらしい染みが着いていることがある。何か勘違いしているとしか思えなかった。

 高校の制服を着ながら、表情だけは中年の女のようだ。それでいて、ミニスカートから見える脚の皮膚が冬になって白く粉をふいていることがある。そこだけが変に幼かったが、返って不潔に見えた。

 主婦たちは水原に説明している内に怒りが増してくるのか、自分たちの生活の場へ、世の中でよく言われている「援助交際」などを持ち込まれては子供たちの教育上も大問題だと繰り返し主張した。

 水原警部補も、一人暮らしの老人のところへ血縁でもない少女が「恋人」だと称して足繁く通って来るのに、何らかの金品が介入していないはずはないと考えた。

 老人と少女の淫靡〈いんび〉な姿が目に浮かんだ。

 一人でいるマンションに少女を呼びつける目的が淫行以外である、などという善意の解釈は出来なかった。

 その老人が元校長だということを署長からも聞いており、子供たちへの影響を考えると、許すことが出来ない思いがした。憤〈いきどお〉りすら感じた。

 林警部から話を聞いたとき、水原はこの夏の終わりにあった青森県の八戸〈はちのへ〉の事例を思いだして、新聞の切り抜きを調べてみた。

 マンションの住人の通報によって逮捕されたのも、やはり元校長だった。この元校長は自宅以外のマンションに数人の少女を次々と呼び寄せ、淫行に及んでいたと言う。状況は同じように思える。校長としての勤めが終えるとそれまでの教育者としてのタガがゆるんでしまうのだろうか。それとも隠していた本性〈ほんしょう〉がむき出しになるのだろうか。

 主婦たちは、武田が駅前で配布されているいわゆるピンクチラシを受け取り、チラシ配りの男と親しそうに話していると言うことなども訴え、ますます勢い込んできた。

 そうした話を杉浦が押しとどめて、とにかくよく調べていただいて・・・・、と最後まで冷静な調子で言って話をまとめた。

 水原は署に帰って課長の林警部に報告した。

 林は早急に捜査方針を立てるよう指示した。

 水原は、まず徳治と少女の人物特定をし、淫行事実の有無、確実と思われる事柄を確認することが最初だと考えた。

 腕を組んで路上を歩いているからといって「みだらな行為・わいせつな行為」とは言えない。ラブホテルに入ったのなら淫行目的と解することは簡単だが、自宅マンションではその認定が難しい。

 また、武田容疑者の相手が、八戸の事例のように不特定の非行少女を次々に引き入れているのなら捜査もしやすい。

 しかし、杉浦たちの話では少女は一人であったし、武田とのことだけでその少女を補導し、任意であっても強制であっても供述を得るのは法的にも難しそうだった。

 自宅の密室の壁に阻まれて水原は考えあぐんだ。

 水原は一晩、自宅で捜査方針を考えた。翌日、空いている取調〈とりしらべ〉室に部下の吉野巡査を呼び、手続きや関係法令に関する注意などを与えながら、自ら確認するように捜査方針を話した。

  「まず、二人の人物を特定し、内定捜査をする。」

  「はい。」

  「写真があるわけじゃないから、隣の杉浦さんに頼んで、武田がマンションに来てお

  り、相手の少女が訪ねてきたら電話を貰〈もら〉うことにした。それで入り口付近で

  張り込んで、二人の行動を内偵する。」

 「少女がくるのは土曜か日曜が多いと言っていましたね。」

 うなづきながら説明をつづけた。

 「二人の被疑事実が確実に存在すると思われるようになった場合、少女が武田のマン

  ションにいるところをねらって任意同行かまたは出頭要求をし、警察署内で武田の供

  述をとる。武田が容疑事実を認めた場合、調書に録取〈ろくしゅ〉し、署名・押印〈お

  ういん〉をさせ、在宅のまま検察官に送致する。」

 過去の同種の事件を調べてみると、ほとんどこうして処理していた。

  「武田の場合もこの手順でいいと思われるが、もし、任意同行、出頭要求を拒否した

  り、任意同行を受け入れた後、被疑事実を否認した場合は逮捕に切り替えて留置し、

  検事に勾留請求をしてもらい、取り調べをする。そのため、使用しないかも知れない

  が、あらかじめ、逮捕状を請求しておく。」

 法的には取り調べを目的とした逮捕は認められない。が、ほとんどの場合、逮捕状に記載するべき「被疑者の逮捕を必要とする事由」として、「罪証〈ざいしょう〉隠滅〈いんめつ〉のおそれ」の適用が認められている。

 吉野巡査はノートを取りながら水原の説明を聞いた。吉野は都内の私立大学を卒業し、巡査になってまだ一年少しだった。

 水原は話を続けた。

  「もう少しで冬休みになるけど、冬休み期間中は、少女の訪問日を予測するのが困難

  であり、内偵捜査に努め、冬休み明け、一月の初旬以降の土・日曜を取り調べの目標

  とする。逮捕状の有効期限は原則として一週間だから、逮捕状請求は木曜か金曜とす

  る。」

  「相手の少女も一緒に引っ張るんですか。」

  「未成年だからそうも行かないだろう。少女の方は任意同行だな。出来たら調書を録

  取〈ろくしゅ〉するが、拒否された場合には保護者に連絡し、帰宅させるしかないだ

  ろう。細かいことは武田の供述次第だ。・・・・早い内に身元確認をしておく必要がある

  な。」

概略を吉野に説明し終わってから、二人でもう一度細部を確認し、杉浦たちの話しの概要をまとめ、林警部に報告をした。

 Ⅱ種採用の林は水原より一まわり近く若く、三〇代前半だった。年上の水原に遠慮して、言葉遣〈づか〉いだけは丁寧だった。

  「武田被疑者の被疑事実の解明を中心にしたこの方針でいいでしょう。・・・・逮捕状の

  請求は、その時になったら用紙に必要事項を記入して持ってきて下さい。

   ・・・・ただ、さっき、被疑者確定のための写真撮影をどうするかというようなことを

  言っていましたね。」

 林は、そういいながら机の端に積み上げてある中から分厚い本を取り上げた。

 「写真撮影については、裁判所の令状や本人の同意がなくとも、警察官による個人の

  容貌の撮影が認められている判例もあるけれど・・・・」

 その本の頁をめくり始めた。

  「今回は、青少年が絡んでいるし、微妙なところだからやめた方がいいと思うなあ。

  署長からも少年警察活動については慎重にするよう指示が来ていますしね。」

 そう言って、手にした法律解説書の頁を開いて指で指し示しながら水原に渡した。忙しい実務の中で水原にはなかなか読めそうもない本だった。

 水原は開かれたページを見ながら、何回かうなずき、了承の意をしめして本を返した。

 「・・・・それからこういう事件は一罰〈いちばつ〉百戒〈ひゃっかい〉という意味があ

  るから、マスコミへの対応は私の方で考えておきましょう。」

書類から顔を上げて水原の目を見た。それから林は目をそらして、別の書類を取り上げた。もう用が終わったという合図なのだ。

 水原は黙って頭を下げ、吉野と一緒に部屋を出た。

 警部になりたい、と強く思った。自分の責任で捜査から逮捕状請求、検察官送致まですべてをやりたかった。

逮捕状の請求は、司法警察員であっても巡査部長や警部補には出来ず、警部以上であることが刑訴法一九九条第二項に明記されているのだ。警部にならなければ自己の本当の捜査はできない、水原は若い林に頭を下げながら屈辱の中でそう思った。





 杉浦から、武田がマンションに来ていると水原に連絡があったのは、十二月二十三日の午前十一時だった。

 休日なので武田がマンションに来るのに合わせて、午後から少女がやって来る可能性が高いと判断していた。連絡を受けて直ぐに、水原と吉野はマンションの脇を流れる小さな宮川の対岸で目立たぬように出入り口を見張った。

 十二月の雑踏はその路地までは押し寄せて来ない。昼の光の中に静まり返っている。

 張り込みを始めてすぐ、水原の胸の携帯電話が振動し始めた。杉浦からの電話だった。

「武田さん、グレーのウールのコートを着て出ていきました。」

「そうですか、ありがとうございました。玄関前で張り込んでいます。」

 少しやりすぎだなと思いながら、一応の礼を言って切った。

 三分ほどしてマンションの入り口から出てきたのは武田に間違いがない。聞いていた容貌の特徴通りだったが、容疑者として思い浮かべていた像と何か雰囲気が食い違っているような気がする。でも通報の合った通りの服装だったから間違いはない。で

 武田に気づかれぬように尾行を始めた。

 武田はマンションから出ると駅の方向にまっすぐ歩いて行く。背筋も伸び、足取りも確かで矍鑠〈かくしゃく〉としている。髪の毛は半ば以上白くなっていたが、六七歳の年齢には見えない歩き方だ。

 平潟湾最奥〈さいおう〉にある弁財天の前を通り過ぎ、シーサイドラインの駅の手前の信号を渡った。祭日の昼間、駅近くには人が多い。

 駐輪場の脇の小道を通り、左へ曲がってパチンコ店の前を過ぎ、京浜急行の金沢八景駅へ右に折れた。パチンコ店からはジングルベルの威勢のいい音が鳴り響いていた。駅はすぐそこだった。

 水原たちは曲がり角のスーパーに入って商品を選ぶ振りをしながら武田を見張った。改札口脇にたたずむ武田までの距離は三〇メートルほどで、無防備なその姿はスーパーの窓ガラス越しによく観察できる。

 隣に立った吉野が囁〈ささや〉いた。

  「武田っていうのは七○近い老人に見えませんね。おしゃれだし、金をもって、ずい

  ぶん遊んでいる感じですね。」

 水原には身なりのキチンとした紳士としか見えなかった。見ようによっては吉野のように見えるのだろうかと思った。吉野の言葉には応〈こた〉えないで武田を見つめ続けた。

 武田は腕時計を見てから、時刻表を見上げ、改札口の方をちらりと見やった。年の暮れの、のどかな休日風景だ。

 風もなく、よく晴れ渡り、通路には光があふれている。それだけ、線路の下の連絡通路は暗かった。改札口を通った乗客の後ろ姿が、光の中から連絡通路へ入った瞬間に黒い影になった。

 電子音のベルが鳴る。電車のエアブレーキの抜ける音がする。車輪のきしむ金属音がして、上り電車が動き出した。

 スーパーの中にはオーケストラの演奏のホワイトクリスマスがかすかに流れている。

水原はその時急に、明日のイヴには家族みんなで食事をしたいと思った。年末の多忙でそれは初めから不可能だった。子供たちの面影。反撥する声・・・・・

 反対側からレールのきしる音が鋭く、次に鈍く響いた。金臭〈かなくさ〉い匂いをさせながら、下り電車の赤い車体が入って来た。

武田が改札口の方に向き直った。下り電車が止まった。

 乗客が降りるための振動で、停止した赤い車体が思いがけなく大きくゆらりゆらりと揺れている。

 下り電車に乗るためか、男が素早く自動改札口を抜け、暗い影の中に走り込んでいった。

 その影とすれ違うようにして、思いがけないほど早く、一人の黒い影が改札口に向かって来た。

 武田が影に向かって右手を挙げた。武田の手に向かって黒い人影〈ひとかげ〉が駆け出した。

 改札口の手前で、その黒い人影が冬の明るい日ざしの中に出てきた瞬間、ハッと息をのむほど印象的な美しい少女になった。

 背後の暗い通路から何人かの乗客の黒い影が続いて来た。

 自動改札機の手前で一度止まった少女が、明るい陽〈ひ〉の中で武田に微笑〈ほほえ〉みかけるのが見えた。

 冬の日だまりの中のその少女の微笑みはあまりにも清潔だった。杉浦たちから聞いていた印象とはあまりにもくい違っている。

 少女は武田の顔を見つめながら、改札機に切符を入れた。閉まっていた黒い小さな扉が外の光りに向かって開いた。

 改札口を出ると、少女は武田に寄り添った。水原たちに背を見せていた武田は少女を出迎え、こちらへ向き直った。

 腕は組まなかった。

 そのまま二人は駅を背にして水原たちのいるスーパーの方へ歩いて来た。

 吉野巡査が水原の方を見て指示を求めた。二人が目の前を右から左へゆっくり通り過ぎていく。水原は目で合図してスーパーを出、後をつけた。

 武田と少女はゆっくりと国道の方へ歩いていく。国道の赤信号で止まった。

 少女もグレーのコートを着ている。清楚〈せいそ〉だった。そして、さっき改札口で見た少女の目の光が生き生きと輝いているのが水原に強い印象を与えた。

 武田は姿勢正しく立ち、信号の変わるのを待っていた。少女は後ろ手にバッグを持ち、武田を時々見上げるように話し続けている。後ろ手にした爪の色が白くまぶしい。

 斜め後ろから二人の横顔をうかがい見ている自分が恥ずかしくなるほど、少女はさっきと変わらない清潔な印象を与え続けた。

 杉浦たちの通報が間違っているのではないか、と思われもした。

 二人は親しい祖父と孫娘、見ようによっては、父親と年をとってからの娘とさえ見える。

 信号が変わった。二人は一六号線を渡った。水原たちは少し遅れて、その後についていった。

 一六車線の国道を渡ると左へ曲がり、すぐ角にあるタクシー会社の前の信号で止まった。

 水原は二人がマンションへ向かうのだろうと思った。二人の後ろ姿を見ながら脇へそれ、少し離れたフライドチキンの店の脇に立ち止まって、煙草の火をつけた。

 吉野巡査が近寄ってきて小声でささやいた。

  「武田はやりますねぇ・・・・あんな若い綺麗〈きれい〉な女の子と・・・・」

水原は吉野を目でたしなめて、二人の方に目をやりながら煙をはいた。日の光に煙草〈たばこ〉の煙は青く、薄く広がった。

 信号が変わった。その方向の信号は国道の車の流れに合わせてあり、青の時間が長かった。少し離れて後を追おうと考え、水原は二人の後ろ姿を見つめていた。吉野も同じ方向に向き直った。

 二人で同じ方向を見つめているのは不自然だから吉野に注意しようと口を開きかけた。その時、信号を渡りきった武田たち二人が右へ曲がった。今、渡った道を隔てて、水原たちのちょうど反対側を野島方面へ歩き出した。

 水原は煙草を靴でにじり消して、信号を渡らずに、道路を隔てたまま同じ方向に少し遅れて歩いた。

 武田と少女はシーサイドラインの駅の先で、平潟湾に面した公園へ入っていった。歩道の縁石沿〈えんせきぞ〉いに植えられた植えられた夾竹桃〈きょうちくとう〉はうっそうと生〈お〉い茂っている。。二人の姿が見えなくなった。夾竹桃の細い葉の群は冬の光りの中でも緑の輝きを失わず、海からの風を防いでいる。

 水原は急ぎ足になった。一〇〇メートルくらい先の信号で道路を渡ろうと考えた。その信号は青だったが、水原たちが着いた瞬間、赤になった。二人の姿を見失うことはないと思っても、長い赤信号を見守りながら焦った。関東学院大学と金沢八景駅の間を循環するバスが目の前を走っていく。乗客はほとんどいない。

 青になった。

 急いで公園の入り口に向かった。夾竹桃の植え込みの細道を抜け、平潟湾沿いに広がる公園の階段を海に向かって下りながら、二人の進行方向である筈の右手を見た。武田と少女の姿はない。

 公園の入り口の正面の桟橋〈さんばし〉に魚船が係留〈けいりゅう〉されている。沖へ出ていく船の波のあおりで小さな漁船はゆっくりと揺れている。冬の光も波の上に緩〈ゆる〉やかに光っていた。

 左手を振り返った。二人は遠くの石のベンチに座っている。日だまりの中に静かだった。

 水原は何気ない振りをして二人の方へ歩いていった。吉野もその後に続いた。二人の前をゆっくり通り過ぎた。

 少女の影になっていた武田が財布を内懐〈うちふところ〉にしまうのが見えた。膝の上にはなにか紙包みと小さな箱があった。

 金銭をやり取りしていたのか。鋭い思いが水原の心をよぎった。

 こんな少女でも・・・・と水原の中に失望感が広まった。少女にも、徳治にも裏切られた思いがした。

 向こう岸遠くに繋がれているヨットのマストの天辺〈てっぺん〉の滑車がカラカラと乾〈かわ〉いた音を立てているのが聞こえる。海の上からいつまでもカラカラ、カラカラと鳴っている。





 風呂からあがった徳治は、風邪をひかないように手早く着替えをすませた。

 大楠山〈おおぐすやま〉に連なる三浦半島の背骨になる山並みの雪が夕日に照り映えていた。平潟湾〈ひらかたわん〉を見下ろすと、岸辺〈きしべ〉の雪は影の中に青白く沈んでいる。

 海は冬空の下で思いがけないほど青く、深かった。幼い英江が見て育ったバルト海の青さが偲〈しの〉ばれた。

 一月二十四日の土曜。明け方に止〈や〉んだ雪は、まだ人の踏み跡も少なく美しい。

 遅めの昼食をゆっくり取った後、雪の野島を見に行こうと英江と出かけた。天気はよかったが風が強くなり、体がすっかり冷え込み、足も雪に取られて濡〈ぬ〉れてしまった。部屋に帰って風呂に入ることにした。

 英江が風呂を掃除し、湯を満たしてくれた。

 待っているあいだ、徳治は英江からクリスマスプレゼントとしてもらったクリスタルガラスを手にとって眺めた。

 クリスタルガラスの塊〈かたまり〉の後ろから、フクロウの像が深く彫り込んである。羽を逆立〈さかだ〉てたフクロウの目は鋭く、生き生きとしている。その像は光の加減で刻みのそここ、ここが七色にきらめいた。

 一月前の十二月二十三日、平潟湾に面する公園で手渡されたのだった。

  「あのね、先生。これ、クリスマスプレゼント。明日のイヴは学校があって来られな

  いから、一日早いけれど。」

 長らくクリスマスプレゼントなど貰ったことがなかったから少しとまどった。

  「クリスタルガラスはスウェーデンの特産なの。このフクロウ、お祖父ちゃんにあげ

  たものと同じなの。・・・・新しく先生のために買ったんじゃなくて悪いんだけど、これ

  はいつも私の机の上に置いといたものなの。」

 かえって、大事なものを貰ったという思いがした。

 公園で包みを開けた瞬間、フクロウの像が光に輝いたのだった。クリスマスプレゼントなど念頭になく、忘れていたのが悔やまれた。

  「ありがとう。私は気がつかなくて・・・・。今からじゃ間に合わないから、何か好きな

  物でも買って・・・・」

 孫たちに小遣いをやるつもりで財布を出したら、英江に叱られた。

 プレゼント代わりに現金などを渡すのは、自分たちの世代の悪い癖だと恥じて財布をしまった。

 そのかわり、正月には英江に読んで貰いたい何冊かの本をお年玉として忘れずに買っておいた。英江は心から喜んでくれた。

 英江が風呂の用意が出来たと声をかけた。すすめられるまま先に風呂に入った。湯船であったまり、体を洗おうとしたら英江が風呂に入ってきたのにはびっくりした。

 英江の体は美しかった。

 鏡の中に乳房を見ながら、秘密の喜びを感じたのは確かだった。

 窓から冬景色を見下ろしながら、もう、このようにして英江と会ってはならない、という思いが深いところから浮かび上がってきた。

男としての感覚が、英江の素直な思いを裏切っている苦しみにとらわれた。さっき、風呂場で英江の裸の体を抱きしめたいという欲望に負けそうになったのだ。自分にまだ十分な男の能力が残されているのが分かった。危うく反応するところだった。許されることではない。英江にどのように軽蔑されるだろうか。

 見下ろしている海の青さのような悲しみが胸底〈むなそこ〉に広がった。海は青白い雪で縁取りされている。冷たく、トロリとして、波も見えない。

 濡れた頭を拭〈ふ〉いたタオルを持ち、海を見下ろしながら立ちつくした後、パジャマをまとった。

 ドアのチャイムが鳴った。誰が来たのか思い当たらなかった。

 訪問者の名乗りを聞いても誰なのか分からない。

 バスタオルを手にしたまま頭を拭きながら出てみると、男が二人立っていた。

 警察官だと告げ、玄関に入り、警察手帳を示した。

  「武田徳治さんですね。」

 水原と名乗った中年の男が、低く抑えた声で言った。もう一人の若い男が部屋の奥へ目を光らせた。

  「県条例違反の疑いがありますので、金沢署に同行していただけませんか。」

 水原が言った。体のがっしりした男だった。

 意味が分からなかったので聞き返すと、援助交際の容疑だと分かった。

 誤解だと思いながらも、自分の中のその時の罪障感を指摘された気がした。天罰だと思った。

 英江のことが心配になった。英江の気持ちもなにも汚〈けが〉してはならない。汚させてはならない。風呂場の方をふりかえった。

 その時、英江が頭を拭きながら玄関に続く廊下に出てきた。警察官の目が光った。徳治の手のバスタオルに鋭い視線を与えてから、徳治の目を見つめた。

 「言い逃れは出来ないようですね。」

 水原が厳〈きび〉しい声で徳治の耳にささやいた。英江は駆けよってきた。吉野がその前にたちはだかった。

  「どいて下さい。先生に何をするんですか。」

「金沢署のものですが、武田さんに用がありまして。」

  「何の用なんですか。なんで警察の人が来るんですか。」

 英江はたたみかけるようにきっぱりと言った。

  「それは警察署のほうでお話しします。」

「どうしてここで言えないんですか。」

 口調つよくせまった。英江の前に立ちはだかった吉野が言った。

  「邪魔すると、あなたにも一緒にきてもらうよ。」

  「いいですよ。どこでも先生と一緒にいきます。」

 水原が低い声で徳治に向かって、

  「任意同行を拒否なされた場合は、強制手段をとるしかありません。」

 英江に聞こえないように、低く力をこめて言った。

 徳治は英江を巻き込みたくないと思った。自分だけが行って、事情を説明すればいいと考えた。

「英江さん。誤解か何かがあるんでしょう。一緒に行ってみます。遅くなるといけな  いから、鍵をかけて帰っていなさい。」

「いやです。一緒に行きます。」

 水原はこのマンションの鍵を英江も持っているのだと心に刻みつけた。

「風邪を引くといけませんから暖かいようにして・・・」

 水原はそういって吉野に下がるよう目で合図した。英江が徳治の手にすがった。

  「行く必要なんかないでしょ、ね、ね。先生。何なの、一体!」 

 徳治は力なく首を振って、出かける用意をし始めた。用意といっても暖かい服装に着替え、財布や小物を持つだけだった。その間に英江も着替えを終えていた。

  「私も一緒に行きます。」

 水原は黙ってうなづいた。徳治には止められなかった。杉浦たちが外に出てきて、何かしゃべりながら物見高そうに眺めていた。

 水原は下に止めてあるパトカーに行くまで、二人の様子を目の端で監視し続けた。

 警察署につくと、徳治と英江は別々にされた。その時も英江は激しく言いつのった。

 三階にある取調室で徳治の取り調べを始めた警察官は、水原警部補だと改めて名のった。

 水原は徳治に被疑事実を告げ、黙秘権はあるが、黙秘を続けると不利になる場合もあると言った。確定的な言い方なので徳治は言葉を失った。

  「こうした事例では、容疑を認めれば略式手続きによる罰金刑ですみますから、拘留

  〈こうりゅう〉する必要もなく、調書を取った後、帰宅も出来ます。」

と事務的に告げた。

 水原が年齢や職業、住所など確認の質問をした。徳治にはよく意味が分からなかったので、機械的に質問に応えた。確認作業を終えた水原は言葉を続けた。

  「先ほどから、相手のお嬢さんのことを心配しているようですけど、違反容疑の条例

  はもともと青少年の健全育成を目指したものですから、そこには十分配慮しています。

  今、私の上司が事情聴取だけはしていますが、できるだけ早く、保護者に連絡をして、

  帰って貰うようにするつもりです。」

 その時になって徳治は、「買売春容疑」の容疑なのだ、と理解した。それを英江に告げられるのはたまらない気がした。どうしたらいいのか考えたが、徳治は何を言ったらいいのか分からない。さきほど感じた自分の男であることを指摘されたような恥ずかしさを見つめるしかなかった。

 水原はメモを出してゆっくり確認するように喋り始めた。

  「去年の十二月二十三日、午前十一時四十五分頃、京浜急行、金沢八景駅、駅前で待

  ち合わせしましたね。それから二人で連れ立って平潟湾沿いの公園に行き、そこでお

  金を渡しませんでしたか。何のお金だったのですか?」

 水原は確実な事実だと思ったことをまずぶつけてみた。

 十二月二十三日・・・・徳治は記憶を探った。英江から貰ったクリスタルのフクロウが目に浮かんだ。財布を出したことも思い出した。

 誤解だった。だが、言い解〈と〉くことは難しいだろう。いったいこの警察官はどこで自分たちを見ていたのだろうか。

 「その後、十二時三十分頃から二時頃まで、平潟湾沿い、料亭田村で食事をし、八七

  〇〇円を支払いましたね。」

 事実だった。その時は少し贅沢な昼食にしたのだった。警察官がそこまで調べているのに驚いた。容易な事態ではない。

 水原はどうにかして任意での供述書を録取しようと、手帳をのぞき込んで質問を続けた。

  「それから、十二月二十八日、この日も会いましたね・・・・」

 徳治の隣室の杉浦に迷惑がかからないように、杉浦から聞いたことを引用するのは慎重に避け、吉野巡査と捜査した事実だけに質問を絞り込んだ。

 明らかな事実を出して衝撃を与え、捜査に着手する以前のことなどは、おいおい徳治自身に喋らせようと考えていた。

  「この日は、金沢八景駅の改札口で会った後、線路の反対側の陶器店、蔦屋〈つたや〉  に行きましたね。」

 徳治は駅のホームからも見える、茅葺〈かやぶ〉きの民家が目に浮かんだ。

  「備前焼〈びぜんやき〉を専門とする陶器店でしたね。何を買いましたか?

  備前焼というのは焼き物として高いんじゃないんですか?」

 徳治は膝の上で軽く手を組み、目を半眼に閉じて黙るしかなかった。その時、英江のために備前の湯飲みを買ったのは事実だった。徳治の部屋で英江が使うための湯飲み茶碗だ。黒くしっとりとした小振りの茶碗を英江は喜んだ。

 こうした事実に関する本当の事情や気持ちを説明することは難しい。外側だけを見れば誤解される余地がある。そうした行動をしていた自分の不用意さが悔やまれた。どのように説明していいのか分からなかった。無実の証明は出来ないのだ。

 水原は、手帳のあちこちをめくりながら、時間を混乱させるように、前に戻ったり、今に近づいたりしながら、月日〈つきひ〉と時間をあげ、細かい事実を指摘し、質問を続けた。

  「今日、会ったのは十二時二十分でしたね。駅前の八景食堂で昼食を取り、野島に行

  き、マンションに戻ったのが三時二五分・・・」

今日のことまで、見張られていたのかと思うと空恐〈そらおそ〉ろしい気持ちになった。

  「・・・・責任は先生にあるんじゃないですか。」

 水原が急に強い調子でそう言った。徳治に「先生」と呼びかけたのは水原の手だった。教職に長くいる人間は「さん」づけで呼ばれると低くみられたと思うようだ。この元校長に対して、「先生」と呼んでやれば、心理的抵抗は少なくなる。

 「責任」と

聞いて、徳治はその通りだと思った。英江をこうした誤解に巻き込んだ責任は自分自身にある。その誤解だけは解いてやりたい。どうすればそうできるのか、自分の中の男のやましさを見つめている徳治には何も考えられなかった。

  「まだ、判断力もないような少女を連れまわして、部屋に呼んで何をしていたのです

  か。自らがしたことを、自らが明らかにする責任があるんじゃないんですか。自分の

  立場から弁解すべきことがあったら、弁解するべきなんじゃないんですか。」

 大声で一気にまくし立ててから、急に声の調子を下げた。

  「先生、事実は明白なんですから、少しは協力して下さい。・・・・ 奥様を亡くされて

  から、寂しかったんでしょう。・・・・でもあんなお孫さんみたいな未成年で、寂しさを

  満たすのは感心できませんね。」

 ・・・・寂しさを満たす・・・・その言葉にふと寄り添いたくなった。

 今、目の前の警察官が言っている意味とは違うが、その言葉が身にしみた。徳治は深く自分の心の中を探っていった。

 正月休みに二人でマンションにいた時、英江が徳治に言ったことを思い出した。

  「あのね、先生、高い高いしてくれる?」

  「高い、高いって?」

  「ほら、子供のこと、お父さんが抱っこして、高い高いって持ち 上げたり、下ろした

  りするでしょ。・・・・それからお父さんが仰向けに寝っころがって、子供の肩に手をつ

  いて、手と足で、高い高いって言いながら、子供を持ち上げたり下げたりするでしょ。」

 子供にかえったような口調だった。

  「お父さん、あまり体が丈夫じゃなかったし、ピアノ弾くのに指を大事にしていたか  らなのか、あまりしてくれなかったの。

   ・・・・弟は甘え上手なのかな。時々、せがんで高い高いしてもらっていたの。・・・・う

  らやましかったけど、私、素直に言えなかったの。」

 英江の悲しみがまっすぐ胸にかよってきた。

 徳治はマンションの床に寝ころび、膝を立てて、脚を開いた。

  「ほんと! うれしい。先生してくれるの!」

「子供が二人もいたからなれてるよ」

 徳治の両足の間に膝をついて、英江は上から徳治の顔をのぞき込むようにして、徳治の両肩の脇に手をおいた。英江の顔が間近にあった。息が甘かった。

 手のひらを英江の両脇に入れた。

 英江は床から手を離した。その上体の重みを徳治は両手で受けとめた。

 母親が子どもに向かって

 「いない、いない」

と言いながら両手で顔を隠し、

 「バアー」

と言って顔を表わした時のように、英江は手のひらを頬の両側に開き、徳治の目を見つめてほほえんだ。

 膝を開き加減にした徳治は、踵〈かかと〉をあげ、両の臑〈すね〉を英江の脚に添え、力を入れて英江の下肢を高く、平行に掲げた。

 両手と臑とで、英江の全身の重みを感じた。若い命の輝きだった。

 英江は花が開くように微笑んだ。

 徳治が手足の力をふっと抜いた。落ちてくるように近づいた英江の顔が一瞬驚いたような表情をする。曲げた腕に力をこめて、英江を受け止め、即座に手足を勢いよく伸ばして英江を持ち上げながら

  「高い、高い」

と叫んだ。英江の顔がまたかがやいた。

 高くあがった英江が、

  「ウワッ」

と喜びの声をあげた瞬間、また、手足の力を抜いた。輝いたまま、英江の顔が近づいた。

 徳治はリズムをとって、グッと手足を伸ばし、高く掲げてから、急に手足を曲げて低く受け止め、一瞬、力を矯〈た〉めてからまた手足を伸ばす動作を繰り返した。

 英江を持ち上げるたびに

  「高い、高い」

と大声で言った。声とともに英江の体が上がり、そして下がった。

 小さかった敦や伴子にしてやった覚えのある「高い高い」だった。

 徳治が高く掲げるたびに、英江はウワッウワッと喜びの声を上げた。

 英江の体は重くはなかったが、七八回繰り返すうちに息が切れた。そっと英江の体を下ろした。

 英江は元の姿勢に戻って、徳治の肩のあたりに手をつき、開いた徳治の太股の内側に両膝をついた。そのまま、近々と徳治の目をのぞき込み

  「ありがとう。」

と言って肘〈ひじ〉と膝の力を緩〈ゆる〉め、徳治の体の上に抱きつくように全身をあずけた。

 英江の乳房が自分の胸に押しつけられ、たわむのが感じられた。心ときめいた。足には英江を持ち上げたときの太股の張りのある感触が残っている。徳治の右頬に英江の髪がかぐわしい。そのときも抱きしめたい気持ちがわき起こったが、両手は床の上においたままにした。

 ちょっとの間そうしてから、英江は徳治の脇に横たわり、天井を向いて心から楽しそうに声を立てて笑った。徳治も息を切らせながら声を立てて笑った。こんな笑いは久しぶりだった。

 その時にはそう思わなかったが、今思うとあの時感じたときめきは、性的な喜びではなかったか。口づけさえしたいと思ったのではないか。徳治は自分自身を振り返った。今まで、教え子たちに感じたことのないものだった。勘違いをしてはならないのだ。「いい爺さん」に徹しなければならないのだ。

 今日の風呂場で感じたこともあらためて思い返された。自分の内側の本当の欲望に気がつき、黙りこむしかなかったのだ。

 それからも水原は手帳を見ながら、日時、場所を上げて問い詰めようとした。

 徳治は警察署に来るとき、説明すればどうにか誤解はとけるようにも感じていた。だが、こうした事実の背後の気持ちについて説明しても分からないだろうと思い、言い解くことのできない絶望的な思いにとらわれた。言い争ったり、説明しようとすれば、今までの気持ちを汚〈けが〉すような気もして、口をつぐむしかなかった。

 そして、こうした思いの中で、痛いほど、渋谷での出会いの時からの自分の行動の中に潜んでいたものを見つめ、口を開くことがますます出来なくなった。

 水原の言葉は徳治を通り抜けていった。

 足下が冷えてきた。時間は分からなかった。水原はため息をついた。

  「これ以上、黙秘を続けるとどうしようもありませんね。」

 水原はしばらく黙ってから、煙草を一本吸い、席を外した。

 十分ほどして戻ってきて、緊張した顔で水原が言った。

  「では、神奈川県青少年保護育成条例、第十九条違反容疑で逮捕します。・・・・これが  逮捕状です。自分自身で閲読〈えつどく〉されますか。」

 徳治はそれにも返事を出来なかった。水原は逮捕状を机の前に広げて置いた。

 徳治は見るともなく逮捕状に目をさらした。

逮捕状の上段右側にある「住居」の項には東京の住所が記してある。どこで調べたのか意外にも思ったが、もう驚くことはなかった。

 「職業」は無職と記され、次の項目は「罪名」となっている。

 その次に氏名が大きく書き込んであり、最後には生年月日までが記されてあった。周到な準備がなされているのが分かった。

 水原が静かに語りかけた。

  「・・・・村木英江さんですが、自宅に連絡をし、保護者・・・・お祖母ちゃんですか・・・・、  さきほど迎えに来ていただき、帰って貰ったそうです。お祖母ちゃんもずいぶんびっ  くりされていたようですよ。」

 英江の笑顔が目に浮かんだ。英江の名誉を守るのにはどうしたらいいのだろうか、と徳治は考えながら逮捕状の上に目をさらしていた。死んだ妻に対しても申し訳なく、恥ずかしい思いがした。子供たちにも孫たちにも恥ずかしい。

 水原は徳治が一切の抗弁をしないのがもどかしかった。瞑想〈めいそう〉するかのように軽く半眼を閉じて、何を言ってもただ黙って聞き、逮捕状を見ても何も言わない徳治の姿を見て、何か深い事情でもあるのではないかと疑念が兆し始めていた。

 しかし二人で風呂に入ったらしい様子は明らかだった。金も渡している。鍵も渡している。何もしていないはずはないと思いこみたかった。





 翌朝、白い息をはきながら出勤した水原は、朝の恒例の朝礼や仕事を終え、吉野と一緒に三階の取調室に向かった。

 部屋に入ると、代用監獄と言われる留置場から徳治がすでに連れられてきていた。

 頭を下げながら

  「おはようございます。寒いですね。」

と言いながら徳治の前の椅子に座った。

  「眠れましたか。・・・・昨日の夕食も、今朝もあまり食べられなかったようですね。少

  しでも食べないといけませんね。」

 吉野巡査が二人にお茶を運んできた。水原は吉野に礼を言いながら徳治にもすすめてから、茶をすすった。

  「昨夜、私の一存でご自宅には電話をしておきました。私が帰宅してから、ご子息が

  署に見えられましたが遅かったので帰って貰いました。いいご家庭のようですね。」

そう言いながら、書類を開いた。

  「先生の立場からでいいんです。昨日も言いましたが、被疑事実に対する弁解でもい

  いんです。何かお話を聞かせていただけないと。」

水原の本心だった。徳治の顎や頬にうっすらと髭〈ひげ〉が生えているのが見える。短い髭も半ば以上が白い。一晩でやつれたようだ。六十七歳の実年齢に近づいたように見えた。

 初めて張り込んだマンションの入り口での第一印象もそうだったが、徳治の印象は水原が今まで取調室で相手にしてきた人間たちと違っていた。村木英江という毅然〈きぜん〉とした少女の印象もそうだった。

 黙秘を続けている徳治の姿は何かを隠していると言うより、何かに耐えているように思える。時計の音が聞こえた。ゆっくりと秒を刻んでいた。

 昨夜、徳治を逮捕することにしたのは林警部の意見だった。密室の中のことなのだから、被疑事実について水原には最後まで確信が持てなかった。

 正月になって、林は捜査報告をもとめ、水原の報告を聞いて、まず任意同行を命じ、応じない場合に備えての逮捕状請求をすると言った。それは最初に提出した水原自身の捜査方針通りだったから反対は出来なかった。少年警察活動だから、捜査においては慎重にするよう口やかましく言いながら、一月になってから、林警部の態度は強行だった。上からの指示があったのかも知れない。

 林は続けて言った。

  「任意同行で供述しない場合は、あくまで逃げを打つつもりでしょう。だから逮捕し

  て、当日はどうせ供述しっこない。留置場にいれてショックを与えれば、素人なんだ

  から 次の日は吐きますよ。」

 教科書にでもかいてあるようなことを言った。今朝も、林は会うなり

  「考えていたとおり、初日は黙秘でしたね。やっぱり、確信犯ですよ。なにしろ被疑

  容疑は密室の中ですから、つじつまの合わないことを言わないよう黙秘しているんで

  しょう。このままではろくな調書もないまま、被疑者否認で、明日、月曜午後、検察

  官送致するしかないんですから、今日中にしっかり調書を取って下さい。一罰百戒で

  す。」

と、自身の見込みに基づいて、普通なら当たり前の手続きを命令口調で督促した。上司の命令に反論は出来なかった。

 今朝のスポーツ新聞にこの事件が報じられているのを見て、林がふだんから親しい新聞記者に伝えたのだと思い、苦々しかった。どう考えても早すぎる。誤認だったらどうするんだ。

 水原自身は在宅のまま時間をかけて取り調べてもいいのではないかと考えていた。取り調べを始めてから、被疑事実にはもっと別な事情があるのではないかという疑いが、兆〈きざ〉し始めてもいた。

 だから、徳治の頑迷とも言える黙秘の理由が分からず、どうにかしてやりたいのだった。被疑事実が間違っているのならば、自分自身で積極的に反論するべきではないか。

 新聞報道のことは徳治には言わなかった。気の毒に思えた。杉浦たちの話を聞いたとき、最初に感じた教職経験者、それも元校長であった老人の買春、淫行という徳治への憤りはもう消えていた。

だからこそ、水原はなんとしても直接徳治の言葉を聞きたかった。

 黙っている徳治を見て、水原はどうしたらいいのか考えあぐねた。徳治にまたお茶をすすめ、煙草をすすめた。徳治は目で会釈〈えしゃく〉を返した。

 はじめて二人の目がまっすぐにあった。

 水原は見つめ返せず、目をそらして、煙草に火をつけた。暖房で暖められた空気と冷たい空気の層の間を青白い煙が、横に薄く広がっていく。青く透明な幕を空中に広げたように見える。その幕を下から見上げながら、自分が深い海の底に沈んで水面を眺めているように感じた。

  日曜日の朝だから、表の国道を通る車の音も少ない。

  「・・・・刑事さん。」

 静かな声だったが、徳治が思いがけなく呼びかけたので驚いた。息をのんで徳治の口元をのぞき込んで黙った。徳治は静かに話し始めた。

  「・・・・色々と気を遣〈つか〉い、敬意を払って下さっていることをありがたく思って

  います。」

 今までの経験から言うと、容疑を頑強に否認している被疑者の自供はこうして突如始まるのが通例だった。手にしていた煙草を灰皿の上でねじり消して徳治に向き直った。

  「どう言ったらいいのか分からないのですが、私は自分で自分を許せないのです。」

 水原は失望した。やはり、ふつうの男と女だったのかと思った。あの少女との肉体関係の詳細など聞きたくない、と言う矛盾した考えがよぎった。

  「悪いのは私なのです。」

 水原は聞き耳を立てた。

  「村木英江さんには迷惑をかけてしまいました。」

 徳治は深く息を吸ってきっぱりと言った。水原は緊張した気持ちを抑えて、徳治を見つめた。徳治が水原の目を見つめ返した。目の色が深かった。水原は目をそらさなかった。

  「英江さんは、疑われているような、みだらな行為やわいせつなことなどする子では

  ありません。」

低く静かな声だったが、力が込められていた。

  「でも、私の中にはそうしたものがあったことに、昨日、気がついたのです。

   それが罪であることは、法律で決められているからではありません。

   ・・・・英江さんの純粋な気持ちに対して、私の中には汚〈けが〉れがありました。英

   江さんに申し訳ないと思います。」

 水原は混乱した。徳治の言っていることが具体的には分からない。少女との肉体関係を否定しているのか。それなのに、自分で自分を責めていることだけは分かった。

  「先生、では、被疑事実は否認されるのですね。行為が存在しない限り、気持ちの中

  にあったと言っても・・・・」

 それは刑法の規制対象にはなり得ない、と法律的な解釈を言いかけたとき、徳治がまた話し始めた。

  「私は自分で自分を許せないのです。」

 目をやや下にしながら、確かめるように話して、また黙った。昨日までの固い沈黙の感じではなかった。苦行僧のような表情だった。

 その静かな姿を見ながら、水原はそのとき、昨年の秋遅くのことが瞬間的に頭に浮かび、胸が締めつけられた。

 警視庁との連絡協議会の後のことだった。新橋で酒を飲み、皆と別れた後、書類の入った鞄〈かばん〉に気をつけながら、もう一軒、一人で飲みに行った。

 赤提灯〈ちょうちん〉の酒を飲みながら、不機嫌になっていくのを止めることが出来なかった。

 警視庁の上級警察官の顔と同時に、水原は林警部の顔が目に浮かんだ。

 その時も痛切に警部になりたいと思った。屈辱感からだった。

 署長の青山のように警察官僚としてエリートコースを歩む者は特別として、大学卒Ⅱ種採用の林と高卒の自分の出発点の違いが絶望的に感じられたのだ。

 警視や警視正などの地位は初めから考えに浮かんだことはなかった。望んでも不可能でありすぎた。せめて警部となって逮捕状の請求もふくめ、捜査の全般を自分の責任において処理出来るようになりたかったのだった。今年こそは昇任試験をうけようと思った。

 いつまでも巡査部長で、定年の数年前にやっと警部補になった先輩、巡査部長のまま終わってしまった先輩、そんな例がいくらでもある。自分など、今日の連絡協議会ではただの連絡役に過ぎない。

 酎ハイを三杯、あおるように飲んだ。酔うための酒だった。つまみはとらなかった。突き出しのしなびた枝豆を啜〈すす〉りながら、息子や娘との食い違いもたまらなかった。

 帰りたくなかった。水原は新橋の裏通りを浜松町の方に向かって目的もないように歩いた。

 カラオケは歌えない。バーやクラブの看板が見えたが、酔った頭で、そういう店ではいくら金がかかるか分からないと思った。

 やがて場末らしく、

 「今から六〇〇〇円・完全前金制、追加なし」

とか、

 「写真指名できます」

というような張り紙がある界隈〈かいわい〉にたどり着いた。店の前にプラカードを持った男がいる。昔のように声高〈こわだか〉の呼び声はあげていなかった。通りを行く人に

  「お客さん、写真だけでも見ていってよ」

と呼びかけている。声をかけられるまま、水原はそうした店の一軒に入った。初めからそうなることを予感していた。横須賀近辺ではこうした店に入ることは出来ない。

  「お一人様ご案内」

と大声をあげて地下の階段へ誘導した。階段の下でボーイがドアを開けて、迎え入れた。

 店内は暗く、ミラーボールの刺激的な光だけがきらめいている。鼓膜がくすぐったくなるほどの大音量でロックが流されている。

 背もたれの高い二人掛けの椅子がしつらえられていた。古い夜汽車の座席のようだ。

 影となった何組かの男女が絡み合っている。ボーイにそうした座席の一つに座らせられた。前の座席の高い背もたれが目を遮った。隣の座席は半分ずつずらされ、互いに直接見えないように配置されている。

 ボーイが銀色のお盆にウイスキーの瓶と氷とミネラルウォーターのセットを持ってきて、テーブルに並べながら、その時間の値段を言った。酔った手で上着の右ポケットを探り、あらかじめ財布から出しておいた一万円札を渡した。

 ボーイがつくった水割りを一口飲むと、下着姿の女が来て、隣に座りながら小さな袋を渡した。その小さな袋は意外に重く、小銭の感触がする。釣り銭だ。袋の表には店の名前が記されていて、サービス料、税金なども含めて計算きらしい数字が書いてあるのを知っていた。

 水原はその袋を破り、入っていた千円札の一枚を女に渡し、残りと小銭を袋のままポケットに入れた。女はその千円札を手に持っていた小さなバッグに入れ、タバコをだして火をつけた。

 水原がタバコ、というと女は自分のタバコを水原の口にくわえさせた。酔った勢いでタバコを吸うと、目の前に赤い灯が点った。

 力無く煙を吐きだした。煙が前の座席の高い背に当たって横に広がった。椅子の背がギシギシと音を立てている。

 女が水原のズボンのベルトをゆるめた。左右のホックを外した。チャックをおろした。ズボンの腰のあたりに手を当て、引きずりおろそうとした。

 水原はタバコを吸った。タバコの先がまた赤く光って、先端から燻〈くゆ〉っていた青い煙が消えた。女が腰を浮かすことを促した。水原は女の手に合わせて腰を浮かせながら、力無く煙を吐いた。白っぽい煙が目の前をモヤモヤとあがっていった。

 女が口でくわえた。水原はタバコを消し、グラスをとってウィスキーをあおった。ねっとりとした感触を感じながら情けなかった。

 水原がそうした店に行くのはそのときが初めてではない。店の者に呼び止められたから入ったのでもなかった。赤提灯にいた時から、心の底でこうした店を目指していたのを水原自身が知っていた。

 女の背においていた左手をまわし、女の乳房にさわった。力のない乳房が、女が口を動かすのに合わせて揺れるのを感じた。

 その夜のことを思い出しながら、徳治の言葉が耳に痛かった。

 何処でも、何時でも百パーセント建前なんか守っていられない、と心の中で叫んだ。

  「私は自分で自分を許せないのです。」

という徳治の言葉に激しく反撥しながら、自分の中の何ものかが水原自身を見つめ返してくる。

 情けない思いがした。ふと、徳治にそうした思いをうち明けたい衝動に囚われた。





ドアを叩く音がした。現実に引き戻された。制服を着た若い警察官が水原を呼びに来た。水原は徳治の方に向き直って頭を下げてから出ていった。徳治と吉野巡査が部屋に残された。

 一五分ほどして、またドアを叩く音がした。水原が緊張した顔をして戻ってきて、ふたたび徳治に向かって礼をしてから

  「ご一緒にいらして下さい。」

と言って、部屋の外へ先導した。

 どこへ連れて行かれるのか、徳治には分からなかった。黙って水原の後ろをついて行った。

 階段を一階降り、長い廊下を進むと、署長室と札の架かっているドアの前で停まった。水原がノックをし、

  「お連れ致しました。」

と声をかけながらドアを開けた。

 大きな机が右の壁際にあり、正面の窓に沿って三人掛けのソファがあった。

 英江が座っている。徳治は髭も剃っていない惨〈みじ〉めな姿を見られるのが恥ずかしい。息子の敦がその右隣に座っている。申し訳なかった。

 水原に促〈うなが〉されて部屋の中に入った。

 英江が目で徳治を迎え入れた。涙ぐんでいる。さっきの恥ずかしさを忘れて、徳治は胸が痛んだ。

 英江に何か言うべきだと思いながら、今ここでは何も言いたくなかった。また、どう言うべきなのか、何を言うべきなのか、思いつかない。昨日から、自分の心の中を見つめた後では、英江をまっすぐに見ることが出来ないのだ。もう自分は「いい爺さん」ではない。

 英江の座っているソファの左の椅子から、制服姿の男が立ち上がって徳治を出迎えた。その椅子の後ろにも一人、制服姿の警察官が立っていた。

 男は

  「署長の青山です。」

と名乗った。青山は三〇歳になったばかりぐらいに見える。後ろに立っているのが生活安全課の課長、林警部だと紹介してから、

  「今回は大変ご迷惑をお掛けいたしました。」

と言って深々と頭を下げた。林も、水原もいっしょに頭を下げた。

 徳治には事情が飲み込めなかった。

 徳治の左側、テーブルを挟んで署長の正面の椅子の前に立った初老の男が名刺を出して、

  「弁護士の長谷川浩です。英江さんのお祖父様にお教えを受けました。」

と挨拶をした。徳治が手を出さなかったので、その名刺をテーブルの上に置きながら、椅子に座った。

 青山署長は徳治を英江の前の椅子に座らせてから自分の席に戻った。

 水原は署長の椅子の後ろ、林警部だと紹介された男の隣で直立不動の姿勢をした。

 署長の青山が徳治に向かってまた何か詫〈わ〉び言らしいことを言い始めた。

 徳治は必死に自分を見つめる英江の視線がつらかった。目を下ろした。膝の上で堅く組み合わせている英江の手が目に入った。

 警察官らしい若い女性がお茶を運んできて、徳治の前においた。

 それを待ってから、弁護士は、

  「署長の青山さんは、大学の後輩でしてね。村木先生の御著書で勉強されたこともあ

  り、驚いていられました。」

と言った。弁護士の名刺には、日本で有数なその国立大学の法学部の非常勤講師の肩書も記されている。

  「よく事情は分かっていいだけました。

  昨夜、英江さんから電話を貰ったときに留守にしていなければ、弁護士との接見交通

  権は執務時間外にも認められており、昨夜中に解決していたんですが・・・・」

 弁護士が徳治に向かって喋り始めた。

  「何しろ、帰宅が遅かったもので、武田先生には一晩ご迷惑をおかけ致すことになり、

  申し訳ありませんでした。朝一番で参り、署長に事情を説明致しているところへご子

  息が見えられ・・・・」

 徳治は左斜めに座っている敦の顔を見上げた。敦も徳治をじっと見つめている。敦に亡くなった父の面影があった。こんなにも似ていたのか。はじめてそう思った。

  「ご子息からも色々と事情を伺った次第です。お疲れの武田先生にこれ以上お聞きす

  るまでもなく、今回の被疑事実が存在しないことは、先ほどからの話で、すでに充分、

  分かってもらえましたし、したがって、逮捕の用件も存在しないことになり、刑訴法

  二〇三条にも明記されていますように、武田先生にはすぐにお帰り願うことにします

  が、それでいいですね。」

 署長をはじめ林警部、水原警部補が頭を深くたれた。徳治には何がなんだか頭にはいらなかった。ただ、突然、逮捕され、突然、取り消されたらしいと言うことだけが分かった。

 弁護士は話の途中から署長の方に顔を向けた。所長が口を開いた。

  「その件につきましては、先程来、長谷川先生のお話で了承しております。こちらの

  勇み足で申し訳ありません。武田先生にもお詫び申し上げますとともに、今後このよ

  うなことがないよう注意致します。」

 一度頭を上げた署長は徳治に、そして弁護士に向かってまた頭を下げた。署長の後ろの二人は頭を下げたままだった。

  「念のためにもう一度申し上げますが、任意同行については、目的の正当性・手段の

  必要性・相当性が要求されるわけでして、・・・・今回の場合は、近所の方の通報による

  誤認らしいですが・・・・」

  「その件につきましても今後充分注意いたします。」

  「・・・そう願いたいですね。」

 すでに終わっている話を徳治に聞かせる口調のようだった。青山署長はあらためて恐縮したように、徳治と弁護士に向かってさらに深々と頭を下げた。署長の後ろに立っている水原警部補と林警部もまた最敬礼した。林警部の顔は青かった。

 徳治は自分と無関係な世界が進行しているように思われた。それでも頭の底で、英江にこれ以上の類が及ばないらしいことが分かり、救われた思いがした。

 弁護士が徳治の方に向き直って、真面目な声で確認するように話しを続けた。

  「武田先生、お疲れの所、申し訳ありませんが、念のため、今のうちに二三お聞きし

  たいことがあるのですが、よろしいでしょうか。」

 徳治は弁護士の方に顔を向けた。徳治はなにもこたえなかった。

  「昨日、任意同行から逮捕に切り替えられた際、弁護人を選任することが出来る旨を  告げられましたか?」

 徳治は右頬に英江の視線を感じた。

  「・・・・青山署長、ご承知のように、検察側と我々との間に若干の見解の相違があるの

  ですが、弁護人選任については憲法三四条前段の要求するところでありますし、刑訴

  法二〇三条にも明記されています。この件につき、不動文字で弁解録取書冒頭に印刷

  記載されているとしても、その告知がなされているという証拠にはならない訳で、・・

  ・・取り調べにあたった水原さんがこの点につき、武田先生に明確に告知したかどうか

  を伺っておきたいのですが。」

これも徳治に聞かせるための説明のようだった。水原が責められているらしいことだけは分かった。答えなくてはならないと思った。声が出なかった。

  「水原さんは・・・・」

と言いかけて、声がかすれた。生唾を呑み込んだ。皆が徳治を注視した。

  「・・・・水原さんに対しては不満はありません。十分な敬意を払ってくれました。」

と言い直した。自分の声ではないようだった。

 署長の顔がほっとゆるんだ。水原が指先で目をぬぐった。

 徳治は顔を正面に戻して、また視線を下げた。英江の手は白く血の気を失うほど、堅く組み合わされている。

  「そうですか。・・・・それでは先生、次にお聞きしておきたいのですが、黙秘権の行使

  について、告知はなされましたか?」

 弁護士は署長の方へ向きなおって言葉を続けた。

  「任意同行から逮捕に切り替えた理由として、そこの警部さんによれば、武田先生の

  黙秘が上げられているのですが、黙秘権の行使は刑訴法一九八条二項にも明記してあ

  るように、当然の権利としてあることを告知する義務があるわけでして、被疑者の人

  権を守るためにも取り調べにあたる方には周知徹底していただきたいのですが、・・・・。

   武田先生、昨日からの取り調べにあたりその旨の告知はどうだったのでしょうか。」

 徳治は、水原に対して不満はないという言葉をもう一度繰り返した。早く終えてほしかった。帰りたかった。問題はそういうところにあるのではないと思っていた。林警部はいたたまれないようだった。

 弁護士は肯〈うなづ〉きながら署長に向かってゆっくりと自らの言葉を確かめるように言った。

  「最後になりますが、一番重要な問題は今朝の新聞報道ですね。スポーツ紙に一紙載

  っただけなのは不幸中の幸いですが・・・・。

   日刊紙などは事実関係について慎重だったのでしょう。被疑事実さえ判明しない内

  に報道機関に伝えたのは軽率でしたね。

   林さん、もう一度、刑訴法一九六条の訓示規定を読み直してみて下さい。」

  「・・・・はい、その件につきましては重々反省しております。関係報道機関には先ほど

  のお話の後、これ以上報道されないよう、林警部から訂正の連絡を致させました。」

 署長は恐縮した様子で、また頭を下げた。林警部は下を向いたままだった。

  「約束していただいたように、掲載されたスポーツ新聞には、訂正記事の掲載につい

  て、必ず、確約させて下さい。その上で、武田先生と後程よくご相談して、民事賠償

  としてどうするかを考えなくてはならなくなる。」

 強い口調でそう言い切ってから、弁護士は少しくつろいだ様子になって話し続けた。徳治の前で確認すべきことは確認し終わったという様子だった。

  署長と弁護士の話に「独居老人」とか「ボランティア」などという語が出てきた。

 弁護士が声の調子を変えて話し出した。

  「英江さんはお祖父ちゃん子でしてね、去年の秋だったかな、学校の帰りに、私の事

  務所へ遊びに来て、今度、すてきなお友達が出来た。お祖父ちゃんに似ていて・・・・」

 「今は恋人です。」

 今まで黙っていた英江が弁護士の話をぴしりと中断した。弁護士は苦笑いをして英江を見つめた。

  「失礼だと思うんです。独居老人という言葉は。」

 英江は押さえていたものを噴出させるように、署長たちの方に向かって強い調子で言った。英江の声の調子が徳治の心を貫いた。

  「それに私、ボランテイアのような気持ちで先生の所に行ったんじゃありません。先

  生に会って色々と話をするのが楽しかったんです。心が落ち着いたんです。恋人だと

  いってどうして悪いんですか?」

激しい意志が目に現れている。

  「それに、それに・・・・」

 すこし泣き声になった。でも英江はつづけた。

  「私、二月八日が誕生日でもうすぐ十八歳になるんですけど、それ以降なら問題にな  らないんですか。

   淫行ってどんなことなんですか!

   年齢で違うんですか!」

 つよい調子でたたきつけた。

  「昨日先生と一緒にお風呂入りました。お祖父ちゃんとだって入りました。背中を洗

  ってあげたのが淫行になるんですか。恥ずかしいことじゃないと思うから、昨日、そ

  こにいる警部さんに先生と会ってからのこと、みんな話したんですけど、笑いながら、

  私の話を悪くとるばかりで、よく聞いてくれなかったし・・・・・」

 英江は顔をまっすぐにしたまま一挙に話した。声だけはしっかりしていたが、涙が次から次へとあふれ出て、頬をつたっていく。止められないようだった。

 徳治は英江の涙を見つめた。大粒の涙は窓からの逆光にきらめいて頬を伝い、膝の上に落ちた。英江は手の甲で涙を拭〈ぬぐ〉った。

 何度も何度も拭い、声をひくつかせながら話しはじめた。

  「・・・・私、先生に悪くって、私が十九歳だったり二十歳だったりすればよかったのに

  ・・・・。私、先生が好きなんです。」

 そう言った後、言葉を続けることが出来なくなった。

 冬の午前の陽が部屋を満たしていた。

 誰も言葉を発せなかった。英江のしゃくり声が皆の心を打った。

 徳治は英江のしゃくり声を黙って受け止めていた。

 少したって弁護士がためらいがちな声で、

  「・・・・今日は、とりあえず、これで・・・・」

と帰ることを促した。立ち上がり、署長と挨拶の言葉を交わした。

 英江は肩をふるわせ、しゃくり上げながら、涙に潤〈うる〉んだ目で徳治をまっすぐに見つめていた。

 敦に促され、徳治も立ち上がった。脚がふらついた。敦が手を添えた。

 英江も立ち上がった。水原が徳治の方をまっすぐに見つめ、深々と礼をした。林警部はずっと項垂〈うなだ〉れているままだった。

 水原警部補の先導で警察署の裏の駐車場へ出た。駐車場の塀に沿って雪がかき寄せられていた。その頂〈いただき〉あたりはうっすらと埃〈ほこり〉をかぶっていたが、白くまぶしかった。冬の冷気が急に足下へ来たようだった。

 敦が運転してきた車で東京の自宅に帰ることにした。英江の連れてきた弁護士も車で来ていた。

 敦が昨夜領置された徳治の荷物を受け取った。海の方角から冷たい風がどっと吹きよせた。

 英江がすっと近づくのを感じた。

 英江は目を大きく見開いて徳治を見あげ、まだ声をしゃくりあげさせながら早口で言った。

  「先生、また、会おうね。私の話を聞いてね、ね、先生。鍵は持っているからね。返

  さないからね。また行くからね。」

 必死に訴えるように言った。そして、静かな声で

  「・・・・先生、今日は、スウェーデン式のさようならをしよう。」

と言いながら、徳治に身を寄せ、その背に両手をまわし、徳治の左頬に自分の頬をすりつけながら、背中の手に力を入れて徳治を抱きしめた。

 徳治は素直に背をかがめ、英江にされるまま肩に顎〈あご〉をゆだねた。目を閉じた。

 胸の奥の奥から深い息を吐いた。昨日からのつかえが一緒に出ていくようだった。

 英江の手が背中に暖かい。

 徳治は目をつぶったまま顔をあげた。涙をこらえるためだった。鼻がふるえた。

 その背中を英江の手が柔らかくなでさすった。

 英江が何かを取り戻すよう必死な声で早口に言った。

  「先生、先生、私の誕生日、きっと会ってね、お祝いしてね。二月八日だよ。もうす

  ぐだよ。」

 徳治は返事をしようとしたが、声が出ない。

 英江がどう言おうと、もう会うべきではないと決心していた。すすり泣きが徳治の唇からかすかにもれはじめた。それは徳治の本当に深いところから沸き起こってきたのだった。

 英江は髪の毛を徳治の頬にすりつけた。奧深いところから熱いものが溢れてきた。それをしゃくり上げながら、徳治はうっすらと目を開けた。青空が涙でにじんだ。その中に、亡くなった栄子がいた。英江が強い力で徳治を抱きしめた。

  「先生、先生、二月八日だよ。もうすぐだよ。忘れちゃいや、きっと会ってね。」

 あくまでも澄み切った一月の空の色が深かった。

 その空の中を一筋の飛行機雲がまっすぐに北の空へと伸びていった。

 徳治は英江の言葉に答えようとしたが、声が出なかった。もう一度しゃくりあげたら、のどの奥から細い声があふれ出した。止まらなかった。

 開けたままの目に雲がにじみ、透明な光が溢れた。徳治は英江に抱きしめられながら、抑えていた泣き声を解き放った。

 素直な気持ちだった。英江も声をあげて泣き始めた。

 耐えていた徳治の心が子供の泣き声とともに解き放たれていった。




 二人の上、はるか上空で、飛行機雲が澄み切った空の中にゆっくりと広がっていった。




参考資料


『性の商品化が進む中での青少年健全育成   東京都青少年の健全な育成に関する条例に関して  普及版』〈第二二期東京都青少年問題協議会中間答申〉

     東京都生活文化局 1997 4・3 


『青少年問題研究 NO.186』〈特集 「東京都テレホンクラブ等営業及びデートクラブ営業の規制に関する条例」について〉

     東京都 1997 8


『青少年問題研究 NO.187』〈特集 「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正について〉

     東京都 1997 12


『第二二期東京都青少年問題協議会答申』

東京都生活文化局 1998 2・18


「神奈川県青少年保護育成条例」〈昭和三〇年条例第一号〉

     平成八年七月一二日一部改正


『代用監獄』朝日新聞社会部 1992 3・5

  著者  朝日新聞社会部

  発行者 木下秀男

  発行所 朝日新聞



『少年警察活動と子どもの人権』 1991 10・20

  著者 日本弁護士連合会少年法「改正」対策本部

  発行 日本評論社


 『読売新聞』1998・3・16 朝刊


『新版 刑事弁護マニュアル 上』

  〈捜査弁護、外国人・少年弁護編〉1997 8・25

  編集  東京弁護士会法友全期会 刑事弁護研究会

  発行所 株式会社 ぎょうせい


『注解 刑事訴訟法 中巻 全訂新版』 1984 4・28

  全訂新版第二刷

  著者代表 平場安治

  発行者 逸見俊吾

  発行所 株式会社 青林書院新社


『刑事手続 上』1988 6・30

  編者 三井誠、中山善房、河上和雄、田邨正義

  発行者 関根栄郷

  発行所 筑摩書房


『警察法〈新版〉 法律学全集 12-1』1989・3・30

  著者  田上穣治

  発行者 江草忠敬

  発行所 株式会社 有斐閣


『裁判法〈第三版〉 法律学全集34』1994・3・30

  著者  兼子 一 竹下守夫

  発行者 江草忠敬

  発行所 株式会社 有斐閣


『刑法各論〈新版追補〉 法律学全集41』1994・9・30

  著者 団藤重光 平川宗信

  発行者 江草忠敬

  行所 株式会社 有斐閣



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スゥエーデン式のさようなら hirayama @vrymmto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ