番外編 王女殿下と春を呼ぶお菓子7

「いいわよ。お菓子好きなあなたが持っていなさい。いつかあなたに家族ができた時それを使って王様のケーキを用意したらいいわ」

「わたしの家族…」

 メイリーアは姉の言葉をかみしめた。

 まだまだ全然先のことだと思っているけれど、メイリーアにもいつか自分の家族を持つのだろうか。そうしたらその家族と一緒にこうして春の祝祭を祝って、ケーキを用意して楽しくお茶をするのだろうか。

「ありがとう。お姉さま」

 メイリーアはにこりと笑ってお礼を言った。

 なんだかんだで、母のことを忘れてしまうと言ったメイリーアの言葉を忘れていなかったのだ。だからこうして母との思い出の品を取りだしてきてくれた。

「いいのよ。気にしないで。そうだわ、わたくしのお願いを聞いてくれるのよね。なににしようかしら…」

 ちゃっかりケーキをふた切れも平らげたアデル・メーアは最後にこう締めくくった。

 アデル・メーア以外の三人は互いに顔を見合わせた。第一王女のお願いだなんて一体なんだろう、と。




 なぜだかメイリーアはアーシュとともに宮殿の庭園を歩いていた。といってもそろそろ日も落ちてしまう時間だ。

 姉のお願いとは「あなたちょっと時間あるならメイリーアの運動不足に付き合って、一緒にその辺を散歩してあげなさい」というものだった。ということは外出禁止は今日で解けたらしい。メイリーアはようやく堅苦しい生活から解放されると胸をなでおろした。

 しかしここでもう一つ問題があった。

 何故にせっかくの外出にアーシュが付いてくるのだ。宮殿の中くらい一人で歩ける。しかもルイーシャはアデル・メーアに取られてしまい本当に今アーシュと二人きりなのだ。

 回廊に灯された明かりを頼りにアーシュはメイリーアの手を引いていた。これもさきほどからメイリーアを緊張させる一因を担っている。

 大体アーシュも断ってくれればいいのに、と前を歩くアーシュの方に視線を向けた。後ろ姿からは何も感じ取ることはできないし、それよりも前回の出来事、ニルダの言葉を思い出してしまいメイリーアは何を話していいのか分からなくなってしまった。

「怪我したんだって? もう平気なのか」

「え、あ、うん。大したことないのにみんなが大騒ぎしすぎるのよ」

 考え事をしていたせいでアーシュの言葉に返事が遅れてしまった。メイリーアは慌てて答えた。

 アーシュの言葉はいつも唐突なのだ。

「まだそんなに歩かない方がいいな」

 アーシュまでそう言う始末である。すこしばかりげんなりしてしまう。

「もう、アーシュまで。ここ数日ずぅっと部屋の中に閉じ込められていたのよ。せっかくの夜会だって出ることができなくなったし」

 会う人間すべてに安静と聞かされたおかげで今のメイリーアは安静とか何するな、という言葉に少し敏感だ。

 メイリーアの言葉を聞いているのかいないのか、アーシュは近くに見つけた東屋の方までメイリーアを連れていった。

 なんだか夜会を抜け出してきたような気になってメイリーアは落ち着かなかった。そんな経験はないけれど、話には聞いたことがあったからだ。

 腰を下ろしたはいいけれど、何を話したらいいんだろう。

 いや、別に夜会を抜け出してきたわけではないのだし、普通にいつものように話せばいいのだけれど、なんというか気まずかった。

「えっと、春祭り行かなくてよかったの?」

 出てきた言葉は本当にどうでもいいことだった。春祭りといえば広場でダンスを踊るとか、逢い引きだとか、そんなどうでもいい会話が思い出された。

「別に、興味ないし」

 そっけない一言で会話が終了してしまった。

 どうしよう。メイリーアは目を泳がせた。大体、こんなところに連れてきておいてそんなにつんけんしなくてもいいのに。

「おまえは行きたかったのか」

 しばらくお互い沈黙していたが、唐突にアーシュが口を開いた。

 メイリーアはアーシュの横顔を見上げたが、暗がりということと相変わらず無表情のままだったので真意は測りかねた。

「そりゃあ、少しは興味はあったわ」

「ふうん、夜会なんてそんなに楽しいのかね」

 横目でメイリーアの方を見て不機嫌そうにため息交じりにつぶやいた。

「え、そっちのほう?わたしはグランヒールの春祭りの方だと思ったのに。だって、炎を囲むんでしょう。面白そうだわ」

 返答を受けたアーシュはなぜだか鼻白んで言葉に詰まったようだ。

「ねえ、アーシュ今から連れて行って」

 いい考えとばかりにメイリーアは立ち上がった。

「できるわけねえだろ。寝言は寝て言え。ほら、帰るぞ。部屋まで送っていくから」

 アーシュも立ちあがってそのまま東屋をでた。

 メイリーアもしょうがなくそのあとをついていく。

 結局アーシュはどうするのだろうか。聞きたいけれど、メイリーアが口をはさむことではないのでうまく言い出せなかった。

 このままだと部屋についてしまう。まだ話したいこととかあるのに、沈黙ばかりで今日は全然調子がない。このまま別れるのは名残惜しい。

「じゃ、じゃあ! 夜会の方に少しだけ行ってみない?」

「はあ?なんでまた」

 アーシュは思い切り渋面をつくった。

「だ、だって。つまらないんだもの」

「知るか」

「なによ、アーシュはわたしといるよりさっさと『空色』に帰りたいのね。どうせわたしよりもニルダといるほうが気が合っていいんでしょう」

 アーシュのそっけない態度に腹が立ってしまってメイリーアは結局自分から話を振ってしまった。開いた口と話した内容は取り消せない。

「なんでそこでニルダが出てくるかね」

「し、知らないわよ」

 慌てたメイリーアは結局顔を真っ赤にして怒った。唯一の救いは暗がりで顔色までは見えていないことだった、多分。

「まあいいけど。彼女には返事したよ」

「へ…?」

 突然の核心事項にメイリーアはすっとんきょうな声をあげた。

「どうせ気になっていたんだろう」

「いや、わたしは別に…その。アーシュが誰に好かれようと関係ないし。逢い引きでもなんでもすればいいのよ」

 口をついて出たのはやっぱり憎まれ口だった。もう自分でも何が言いたいのかさっぱりわからない。

 アーシュは小さく、そこは気にしろよ、とかなんとか呟いたのだがメイリーアには届かなかった。

 恥ずかしくなったメイリーアはずんずんと一人で歩いた。生まれた時から住んでいる宮殿なので明かりが少なかろうがどこになにがあるかくらい分かっている。

 風に乗って音楽の音色が聞こえてきた。どうやら夜会を催している広間の近くまでやってきたようだ。

「一応言っておく。なんか変に誤解されたくないから」

「…ええ」

 アーシュの言葉にメイリーアは彼と対峙するよう向かい合った。

 なぜだかメイリーアまで緊張してしまい、まるでメイリーアが告白でもしたような気分になってしまう。とても落ち着かない。

「俺にとってニルダは大事な仕事仲間なんだ。彼女には悪いけれどそれ以上でもない。だからカスティレートには一緒に行けないって答えた」

「そ、そうなの」

 行かない、という言葉を聞いてメイリーアは自分の体から力が抜けるのを感じた。

 ニルダには悪いと思ったけれど、正直なところホッとした。まだアーシュは遠くには行かない。そのことが単純に嬉しかった。

「まあな。やりたいこととか色々あるし」

 アーシュのやりたいこと。グランヒールの下町の片隅にひっそりと構える『空色』でこれから何をしていくのだろう。新作の菓子作りだとか、客の好みに応じて予約販売を行ったり、レオンのカフェに品物を提供したり。今アーシュのしていることを頭の中に思い浮かべて、ほかにもきっと面白いことを考えているのかな、とメイリーアは思った。

(わたしもそばで見ていたいな)

 『空色』での日々はメイリーアにとってもかけがいのないものになっていきている。そこに通うお客さんと会話をしたり、仲良くなったり。

 まだもう少しだけ、時間の許す限り通っていたい。

「ほら、戻るぞ」

「はあい」

 メイリーアはアーシュの声に機嫌よく反応した。




 機嫌よく笑みを浮かべるメイリーアの後ろを姿を追いかけながらアーシュはゆるく口の端を持ち上げて嘆息した。再びアルノード宮殿へ赴くことになろうとは思っても居なかったが元気なメイリーアの姿を見てホッとしている自分がいる。

 今日菓子を届ける前にニルダに返事をした。

 一緒には行けない、自分はまだグランヒールで、『空色』でここを訪れる人と関わっていきたいから、と。神妙な顔つきで言葉を紡ぐアーシュの顔をじっと見つめてニルダは困ったような笑みを浮かべた。

「そんなに深刻そうな顔しないでよ。予感はあったんだし、まあなんていうか駄目もとっていうかさ」

 からりと笑ったニルダはそれでもどこか少しだけ痛みをこらえるような顔をこちらに向けて、アーシュは申し訳なく思った。

 多分これまで受けた告白の中で一番返答に困った相手がニルダだった。

 一緒に働いた仲間であった分、彼女とは気まづい終わり方をしたくなかった。しかし、ここで曖昧な言葉を使うのも彼女に対して失礼だ。

「なんつーか、その。悪い」

「いいよ、いや、そりゃ辛いけどさ。これで心おきなく前に進めるっていうか。未練なく故郷に帰れるよ」

「そっか」

 最後までからりとした風情で笑おうとするニルダにアーシュも笑みで返した。多分そうしたほうがいいと思ったからだ。

「それにグランヒールまで旅してきたおかげで沢山お菓子も食べられたし。実家に帰ってから新商品沢山つくれるよ。トリステリア風の菓子売りだしたら絶対売れるし」

 商魂たくましいところは菓子屋の跡取り娘らしい発言だった。ニルダは春祭りの見学も早々にグランヒールから旅立つという。

 レピュート広場に設営された薪を横目にアーシュとニルダは並んで歩き、馬車乗り場で別れた。

 別れ際にニルダはメイリーアによろしく伝えてほしい旨をアーシュに伝えアーシュも片手をあげて応えた。なんでも彼女のおかげで普段だったら絶対に入ることのできないであろうグランヒールの由緒ある菓子店の特別室でケーキを食べることができたらしい。そんな話初耳だと、店名を問いただしてみたらなんと『金色の星』だった。若き職人ライデンとの確執も記憶に新しいのでアーシュの内心は穏やかではなかったけれど、ニルダの手前何も言わずに、ああ分かった、とだけ返しておいた。内心本当に面白くなかったけれど。おそらくライデンなりの詫びのつもりなのだろう。

 ニルダは最後にアーシュに、「あんたも面倒なことが大好きなんだね」と意味のわからない言葉を残して去って行った。

 確かにアーシュは面倒事ばかり抱えている。

 数ヶ月前から再び厄介事の渦中に引き戻されたし、いやなら再び姿を消せばいいのにそれをしないでいまだに同じところにとどまり続けている。おかげで面倒な相手その一から手紙は届くし、面倒な相手その二から宮殿への呼び出しは食らうは、となんだかんだで巻き込まれているような気がしなくもない。

「アーシュったら、どうしたの」

 振り返ったメイリーアの呼びかけにアーシュはなんでもないと返した。

 アーシュが今ここにいる理由なんて多分とってもちっぽけなものだった。

 ふわふわした金色の髪の毛を揺らしながら歩く少女は覚えているのだろうか。十年前にもこうして一緒に歩いたことがあるということを。

 多分、いや絶対に忘れているんだろうな、とアーシュは思った。お互いの正体が分かった時の反応は初対面のそれであったし、その後もメイリーアからは何も言ってこなかったからだ。

 十年くらい前のある時期、アーシュは実家の王宮に居づらくなり、一時期トリステリアのアギスハルムという街にある館に滞在していた。父王の計らいもあり、トリステリア王国の第一王女アデル・メーアと見合いをするためもあった。これはガルトバイデン国王の一方的な思惑で水面下で進められたことで、表向きは両国の友好の為とかいういつの時代にもありそうな対面だけの理由だったのだが。ちょうど王妃を無くしたばかりのトリステリア国王の子どもたちがアギスハルムにあるルイデン館に滞在していたのだ。

 アデル・メーアと初対面をした後、することもなかったので庭園を散策しているときに出会ったのがメイリーアだった。幼い少女は母親が亡くなったことを理解できずに泣きながら母親のことを探していた。

 お母様はどこ、と涙を浮かべて鼻をぐすぐすさせながら歩く迷子をほおっておけるほど当時のアーシュはすれてはおらず、成り行きで子守りをする羽目になった。

 リィアと名乗った幼子がアデル・メーアの妹だとはすぐに分かったが、妹がいるとはいえ泣いている子どもをあやすのは得意ではなかったし、しかも相手は亡くなった母を探しているのだ。どうしたもんか、と途方に暮れてしまったとき、ポケットに入れた菓子の存在を思い出した。

 当時母に仕込まれていた菓子作りはほぼ日課になっていて、腹が減ったとき用に少量を常備していたのだ。なにしろ育ち盛りの十五歳だ。腹なんてすぐに空いてしまう。

 とりあえずそれを差し出して食わせて泣きやませて、四苦八苦しながらお前の母はちょっと遠いところからお前のことを見守っている的なことを言ってどうにか納得させた気がする。

 そういえばあの時、自分の作った菓子を美味しそうに食べる子どもを見て菓子屋も悪くないかとかなんとか思ったんだよなぁ、とアーシュは感慨深げに頷いた。人生なにがどうつながっていくかなんて分からない。

「なあに、さっきから一人でうんうん頷いて」

 気がつくとメイリーアがすぐそばでじっと見上げていた。金色のふわりとした髪の毛が風に乗ってアーシュにまとわりつくような、そんな距離感にアーシュは思わず後ずさった。

「べ、別になんでもねえよ」

「ふうん」

 メイリーアは少し訝しむようにアーシュの方を見つめていたが、すぐにくるりと表情を変えていたずらっぽい笑みを浮かべた。

「ねえ、せっかくだから夜会のお食事を少しだけくすねてこない」

「おまえ、くすねるとかいう言葉どっから覚えてくるんだよ」

「あら、近頃わたし色々なお友達ができたもの」

 アーシュが咎めるとメイリーアは得意そうに胸を張ってそう返してきた。

「あほか、ほら帰るぞ。おまえを無事に部屋まで送り届けないと俺がアーデルに殺される」

「えー、つまらないわ」

 不服そうに唇を尖らせるメイリーアを無視してアーシュは歩を速めた。放っておくとどこにいくか分からないお姫様の手をしっかりと取って歩み出すと、彼女もつられたようにアーシュの傍らについてきた。

「来年は春祭りに案内してね」

「気が向いたらな」

 アーシュのそっけない返事にメイリーアは絶対よ、と返してきた。

 そもそも来年の今頃こうして二人で一緒に歩いているのか、そんなことがふと頭をよぎったけれど、今そんなことを言うのは野暮というものだ。

 もう少しだけこうしてたわいもないやり取りをしているのも悪くない、それが今のアーシュの本心だったからだ。

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