第4章 逃亡犯

「ここが……事務所?」

 夜の街で適当に追っ手をまいたあと、ようやくたどりついたおれたちの事務所――フェイゲン&ファード探偵事務所に、うやうやしく招じ入れられたクロディーヌの第一声がそれだった。あやしむような目つきで、じろじろとあたりを見まわしている。

 失敬な――と言いたいところだが、クロディーヌの疑念ももっともではあった。

 事務所は旧市街のはずれ、オールドベース・ウエスト38番地にある。いったいどれほどまえからここにこうして建ってたのかわからないような、しけた三階建てのビルがそれだ。

 エルバストンは火星開拓の中心地だったから、どこの街より古い建物が残っている。まさか民政移管まえの火星基地時代にまでさかのぼりゃしないだろうが、古びたビルの外観からは、そうであったとしても不思議はない。

 ビルは一階がガレージ、二階が事務所で、三階をおれと相棒の住居として使っている。

 いや、使っていた、というべきか。六月におきたボーニ・ファミリーの事件で、三階のおれたちの居室は盛大に穴だらけになっちまった。あろうことか、グレネード弾を撃ちこんだばかがいたのだ。

 むろんすぐに修繕の手配はしたが、例によってこれが遅々として進まない。修理人がとっとと部屋を直してくれるか、せめて作業現場をもすこし片づけてくれるかすればよいのだが、たまにしか仕事にこないくせに、あちこちに脚立だの板だのパイプだのが置きっぱなしになっていて、とてもじゃないが安眠できる環境ではない。

 さりとてホテルかどこかに泊まる金があるはずもなし、女のとこにころがりこむほどの甲斐性はさらにない。以来、事務所のソファがベッド代わり、というのはしごくもっともななりゆきだった。

 とはいえ、そのソファだって事務所にあるのはひとつきり、どうつめたってひとりぶんのスペースしかない。おれにも相棒にも男と同衾する趣味はないので、結局のところ、あぶれたやつはガレージに泊めたおんぼろグルマの後部座席バックシートで我慢するはめになる。

 寝床をかけた、週に一度の男と男の真剣勝負だ。勝ったほうが、その週はソファを独占できるとりきめになっている。ちなみに先週の勝負はポーカー、今週は火星ダービーの着順予想で勝敗を決した。

 勝負は時の運というが、偶然というのはおそろしいもので、この三か月間というものおれはずっと車中泊だ。なんだか釈然としない。

 とまれそういうわけだから、事務所のなかに一歩足を踏み入れたクロディーヌが、はたしてここは探偵事務所なのか、難民キャンプなのかと危ぶんだとしても、無理からぬ話ではあった。

 床のうえにはビール缶やら空き瓶やらが散乱しているし、テーブルには、相棒の今夜の晩飯とおぼしきテイクアウトの中華の残骸。あまつさえ、すみっこのほうには洗濯もののつまったポリ袋が、三つ四つ積みかさねてあるといったあんばいだ。

「いまは少々とりこみ中でね。いろいろと――事情があって」

 おれはそれだけ言うのが精いっぱいだった。もうちょっと片づいてるときもあるんだが、なんてせりふは、言い訳がましくて、新規の客の好感度をあげるためにはかえって逆効果だろう。

 せめてポリ袋は、黒いやつを使うんだった。こっちは彼女のことをまだろくに知らないってのに、向こうさんにはおれの下着の趣味までまる見えってのは、どうにも分が悪い。客足がとだえてひさしいので、すっかり油断していた。

「おい、グレイ、お客さんだぞ」

 と、おれはうしろ手に年季のはいったドアを閉めながら、戸口から声をかけた。

「……ずいぶんひさしぶりですね。六月以来ですか」

 ソファのうえのぼろ布のかたまりがふいに口をきいたので、部屋の惨状にかたまっていたクロディーヌが、びっくりして身をよじった。

 ぼろ布、と見えたのは、三か月前の襲撃でずたずたになったブランケットやらシーツやらの切れはしを、どうにかよせあつめて即席の寝具にしたてあげたもので、声の主はそのなかに首まですっぽり埋もれているグレイ――相棒のグレイ・ファードだった。

「ちらかってますが、どうぞ、お好きなところにかけてください」

 ぼろ布の寝具にくるまったまま、まったく動く気配もなく、グレイがすすめた。ミノムシじゃあるまいし、これじゃ男前がだいなしだ。

 クロディーヌはソファから、テーブルをはさんだ向かいの椅子へと視線を動かしたが、そこにも資料やら請求書のたばやらが雑然と積まれていた。

「あの……そうしたいのはやまやまなんだけど、いったいどこに座ればいいのかしら」

 さすがにグレイも、われらが事務所の悲惨な現状に、いまさらながら思い至ったらしく、

「これは失敬。いま、場所をあけます」

 しぶしぶといったていで、それでもようやくソファから起きあがった。ぼろ布の寝具をひとまとめにし、申し訳程度に革張りの座面をはらう。ずぼらなのが欠点で、必要にせまられなければ指一本動かしたくないというのがやつの生活信条だが、さすがに最低限の礼儀くらいはわきまえているようだ。

 言いたかないが、ぼろのなかから出てきたとは思えないほどのいい男だ。眉目秀麗、容姿端麗。まっすぐな黒髪に、人形のようにととのったオリエンタルな顔立ち。おれよりもやや長身、おれよりもやや年上。おれほどではないにしても、なかなかの男ぶりであることはまちがいない。おれほどではないが。

 野郎を形容するのに、はきだめに鶴というのはふさわしくない気もするが、薄汚れた事務所のなかにすらりと立つ姿は、まさにその言葉がぴったりだった。もっとも、そのはきだめの九割がたは、こいつのものぐさが原因だというのを忘れてもらっちゃ困る。まあたしかに、おれもちっとは寄与しちゃいるが。

「それにしても、こんな夜中にご婦人の訪問客とは珍しい」

 グレイはそのへんを適当に片づけて――積んであったものを、床のうえに無造作にはらい落としただけだ――椅子のひとつに陣どると、

「シルバーとは、まえからのお知り合いですか?」

 ふだんのやつらしくもない、じろじろと無遠慮な視線をクロディーヌに向けた。息子のガールフレンドを検分する母親のように、上から下まで眺めまわしている。

 いましがたまで眠りこけてたとは思えないほど、冴え冴えとした面持ちだ。目頭に目やにのひとつもついてたほうが人間らしいというもんだが、こいつのそんなとこは見たことがない。

 実際、眠ってはいなかっただろう。おれたちが建物の外階段をあがりはじめるより早く、気配を察知して目ざめていたはずだ。長年の習慣は、そうたやすく抜けるものではない。

 にわかには首肯しがたいだろうが、ずぼらと有能は共存しうる。納得できなくたって、その実例がここにいるんだからしかたがない。

 茫洋としたたたずまいからはうかがいしれないが、おれといっしょに探偵をはじめるまえ、グレイは裏社会の人間だった。その筋でいうところの「クリーナー」、つまりは殺し屋だ。それもとびきりの一流。何年もまえに足を洗ったが、いまでもその名は、一部の人間にとって恐怖と畏敬の対象となっている。

 悪名高き《掃除屋》グレイが、どうして元刑事デカのおれ――よりにもよって自分を逮捕した当の相手である、このおれと組んで探偵事務所をひらくことになったのか――そのへんのいきさつは、いずれ話す機会もあるだろう。

 高価な服に汚れがつきゃしないかと疑うような目を、ちらりとソファにくれると、クロディーヌは、

「いいえ、彼とはさっき会ったばっかり。危ないところを、すっかり助けてもらって……あの、ごめんなさい、あたしこんな時間に」

 最前までグレイが横たわっていたあとへ、おずおずと小さなお尻を落ち着けた。

「お気になさらず。探偵に夜も昼もありません。ごらんのとおり、仕事を選り好みできる立場にはありませんので」

 そりゃそうだが、そんなにはっきり言わなくたっていいじゃないか。おまえに男の見栄ってものはないのか。――ないよな。そんなことに頓着する男じゃない。知ってる、短くないつきあいだ。

「申し遅れましたが、わたしはグレイ――グレイ・ファードといいます」

「あたしは――」

「彼女はクロディーヌ。バーで飲んでるときに知り合ったんだ。妙な連中にからまれてたんでな、ほっとくわけにもいかないから、ここまできてもらった」

 おれはテーブルのうえの食べ残しを片づけながら、横からクロディーヌの言葉をひきとって言った。

「そうですか。……妙な連中に」

 グレイは相変わらず、吟味するような目つきでクロディーヌの顔を眺めていた。なにか含みのある言いかたでおれの言葉をなぞると、

「念のために訊いておきますが、それはあなたの昔のお仲間ではないでしょうね」

「おっと、ひとの昔なじみの悪口はそこまでだ。警官がなんで彼女をいじめるんだ。妙な連中と言ったろ。彼女を連れて行こうとしてたのは、見るからにやくざ者の三人組だ。ひとりは片目が潰れて、こーんな――」

 おれは両手で自分の口を横に広げてみせた。

「ワニみたいな口をした禿げ頭の大男だ。こいつがボスだろうな。心あたりはあるか?」

「片目の大男ですか……」

 グレイは裏社会時代の記憶をたどるように、いったん言葉をきると、ソファのかたわらに立つおれにようやく目を向けた。

「なくもないですね。たぶん、その男はなんでも屋のニック――通称鰐口わにぐちニックでしょう。フリーランスで、いろいろと汚れ仕事を請け負っている男です」

 そういや仲間にニックとか呼ばれてたな。あんまり顔のインパクトが強すぎて忘れてた。禿げ禿げ言って悪かったかもしらん。銃までもらったことだし、今度会ったら、ようニック、くらいは言ってやろう。

「知った顔か」

「面識はありませんが、話には聞いたことがあります。いわば、裏街道の便利屋ですね。なかなかのやり手だそうですよ。裏と表、住む場所が違うだけで、考えようによってはわれわれと似たようもの、と言っていいかもしれません」

「おいおい」

 おれはクロディーヌの手前をおもんぱかって、あわてて打ち消した。

「そりゃないだろう。もっと、自分の仕事に誇りを持てよ。なるほど、たしかに公明正大な依頼ばかりじゃないのは認める。グレーゾーンをかすめてるときもあるし――」

「うちにくるのはたいていそうです」

 おれは断固無視して言葉をつづけた。

「――きれいとはいえない手を使うときだって、まあないとは言えない。でもな、すくなくともおれたちゃ、彼女みたいなか弱い女の子を泣かすような、ひどいことはしないぜ。おれたちのポリシーは正義だ。いつだってまっとうな人間の味方として、正義のがわに立って働く。そこがおれたち探偵と、連中との違いだ。――だろ?」

 半分以上はクロディーヌに聞かせるために、おれは弁舌をふるった。女の、というには、ちょっとばかりとうが立ってるが、なにかまいやしない。うちのモットーはサービス第一だ。

「……正義のがわに、ね」

 グレイは小さく、意味深なため息をついた。

 と、なにを思ったか、テーブルのうえのリモコンに手をのばすと、

「あなたはわかってないようですが、シルバー、だとすると、これはその信条に反する、いささか厄介な状況かもしれませんよ」

「そりゃ、いったいなんの話だ」

「今夜はずっと、テレビもネットも見ていない。違いますか?」

「ああ、見てないさ。午後いっぱいかけて金策に走りまわっちゃみたが、どうにも工面はつかないし――そのあとはひらきなおって、バーにみこしをすえてたからな。バーテンにいやな顔をされながら、カクテル三杯でずいぶんねばった――」

 言い終わるよりさきに、事務所の奥手の空間にぱっと映像が浮かびあがった。

 全員の目が、いっせいにそちらを向く。

 再生されているのは、今夜のテレビニュースの録画映像だ。よく見る顔のアナウンサーが、しかつめらしい面持ちで事件のあらましをつたえている。

『本日最初のニュースです。今夜九時ごろ、エルバストン近代美術館で発砲事件がありました。美術館では各界の名士も参加するなか、あす初日を迎えるリチャード・ジェイド展のオープニング・レセプションがひらかれており――』

 膝のうえに置いていたバッグを、クロディーヌが床に取り落とした。せっかくの美貌が色を失い、こわばっている。

 静まりかえった事務所のなかに、アナウンサーの声だけがとうとうと流れつづけた。

 著名な彫刻家……メディア嫌いで知られ……氏の命に別状は……器物損壊、殺人未遂の容疑……被害額は推定――

『なお警察では、現場から逃走した犯人はいまなお市内に潜伏中とみており、市民に厳重な注意と警戒を呼びかけています。――もう一度犯人の特徴をおつたえします。こちらが美術館の監視カメラがとらえた犯行時の映像です。犯人の女は二十代後半、白のパーティードレスに緑のストール……』

 テレビの画面では、大きなサングラスで目もとを隠した犯人の女が、血色のいい六十がらみの彫刻家に、なんの遠慮もおかまいもなく、たてつづけに銃をぶっ放している。

 耳をつんざく派手な銃撃音とともに、真っ赤な閃光が二度三度画面を横切り、狙いのそれた銃弾ビームが、作品のはいったガラスケースをつぎつぎに吹っ飛ばしていく。粉々に砕けた破片が盛大に飛び散り、きらきらと輝きながらあたりに降りそそいだ。

 現代美術に関するおれのとぼしい知識によれば、リチャード・ジェイドの作品は、そのすべてが人物像だ。それも等身大。もっとも特徴的なのは、素材がすべて無垢の翡翠だということだ。人間大の翡翠ともなれば、美術的価値をさし引いても、目の玉が飛び出るほど高価なのは想像にかたくない

 そのお宝が、乱射のあおりを食って一体、また一体と吹き飛んでいく。

 最初の銃撃で、ジェイドはすぐに数人の護衛に引きずり倒され、床に伏していた。あっぱれな連中だ。みずからおおいかぶさって人間の盾となり、護衛対象を守っている。

 すべては初弾から、わずか数秒のあいだの出来事だった。

 金切り声のような警報器のサイレンが会場に響きわたるなか、上流人士ぞろいの来場客は、その場にしゃがみこんだまま、気死したようにだれひとり動けずにいた。きらびやかに着飾った金持ちたちが、まるで平蜘蛛のように這いつくばり、恐怖に身をかたくしている。

 そのど真ん中にばかでかい銃を握って、臣下をしたがえる女王のように、ひとりだけすっくと立ちつくしているのは――

 おれはソファの背に片手をついたまま、ゆっくりとかたわらのクロディーヌを見やった。

 ニュースがはじまってから、クロディーヌはひと言も発していなかった。いや途中からは、ニュースを見てさえいなかった。とても見ていられなかったのだろう。両手に顔をうずめるようにして、うなだれている

 映像では目もとが隠れていたが、髪の色、身につけているものから、からだつきまで、どこをとってもまちがいようもなかった。

 クロディーヌ――警察総出で捜索中の、乱射事件の犯人がそこに――おれたちの事務所のソファに、ちょこなんと腰かけていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シルバー&グレイ FILE-1 ハーヴェスト・ムーン あしもりのぞみ @ashimorinozomi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ